『ザ・オヤクソク』
「なんか、結構並んでるな」
特設された催事場を目にして、俺はそんな感想を漏らした。なにげなく、手にしている一枚の券に視線を送る。
行き着けの書店で新刊のコミックを一冊購入した際に貰ったものだ。『只今、当商店街各店舗にてお買い物をなさったお客様に、300円につき1枚、こちらの福引券をお付けしております』との事。
別に福引なんかには大して関心もなかったが、せっかく貰った物をポイ捨てするのは申し訳ない気がしたし、多少は勿体ないという気持ちにもなった為に、指定された場所へとやって来たのだが……。
「わざわざ待ってまで福引なんかしたくもねぇな」
商店街の一角に設けられた福引場の予想外の盛況ぶりに、俺は完全に引き気味になっていた。
「どうせ券は一枚しかねぇし、ポケットティッシュくらいしか当たらないだろうし」
決めた。何もせずに回れ右して帰ろう。
俺は胸の内でそう決断を下し、実際に行動に移そうとした。
しかし、正にその瞬間、
「あら、ヒロじゃない。なに、あんたも福引しに来たの?」
背後から実に聞き慣れた声が。
振り返るまでもない。俺をヒロと呼ぶ奴は世界広しと言えどもたった一人。
「そのつもりだったが混んでて時間が掛かりそうだからやめた。じゃあな」
俺は振り向きもせずに、後ろの志保にヒラヒラと軽く手を振ると、さっさと場を立ち去ろうとした。
だが、俺の思惑は脆くも崩される。
タタッと小走りに駆け寄ってきた志保が、俺の肩をガシッと掴んできたのだ。
「ちょっと待ちなさいっての。どうせ暇なんでしょ? だったら、少しぐらいの時間の浪費くらい我慢しなさいよ。せっかく券を持ってるんだったら無駄にするのは勿体ないじゃない」
「まあ、そうなんだけどな」
顔だけを志保に向けて応える。
「なら、素直に並んで順番待ちしなさいな。あたしが暇潰しの相手になったげるからさ」
言うや否や、志保は俺の腕を手にして強引に列の最後尾へと引っ張っていった。
「お前が俺の暇潰しの相手になってくれたと言うよりは、俺がお前の暇潰しの相手にさせられたって気がするぞ」
「仮にそうだったとして、ヒロに何か不都合でもある? あたしのお陰で、あんただって暇を潰せるのは間違いないんだしさ」
俺の意見を否定もせず、澄ました顔で志保が返す。
なんか、凄い屁理屈を言われてる気もする。するが、
「……ま、いっか」
志保の言い分にも一理有り、結局は若干不本意ながらも納得してしまう俺であった。
「ところでさ、志保?」
「ん? なーに?」
「この福引だけどさ、当たったら何が貰えるのか、お前知ってるか?」
俺が問うと、志保はあからさまに呆れた表情を浮かべた。
「あんた、そんな事も知らずに並んでたの?」
並ばせたのはお前だろうが。
そう文句を言いたかったが、ここで下手なツッコミを入れると話がややこしくなりそうなのでグッと我慢しておく。
「ハァ、やれやれ。仕方ないわねぇ。無知で愚かなヒロの為に、この情報の専門家であるビューティー志保ちゃんが特別に教えてあげるわ。ありがたく思いなさい」
いろいろと、本当にいろいろと反論したかったのだが、同上の理由で今回も何とか堪えた。この借りはいつか必ず返す、と心に決めつつ。
「まず、5等はポケットティッシュ。等とは付いてるけど、ハッキリ言っちゃえば残念賞とか参加賞の類ね」
「最低限、それは貰えるってワケだ。嬉しいかどうかはさておき」
「そういうこと」
志保がコクンと頷いた。
「4等はすこーしだけ豪華になってタワシ」
「本当にすこーしだな」
俺が口を挟むと、志保は「でしょ?」と言わんばかりの表情を浮かべ、軽く肩を竦める動作をしてみせた。
「ま、ここまではぶっちゃけハズレね。――で、3等は2,000円分の商品券。この商店街限定だけど。でもまあ、例え限定であっても4等5等に比べたら格段に貰って嬉しい物になったわね」
「確かに」
短く同意の返答をする。
「2等は自転車よ。残念ながら単なるママチャリだけど」
「それは仕方ないだろ。福引の主な対象は商店街に通うおばさん達だろうからな。その景品にマウンテンバイクとかは違和感ありすぎるだろうし、ママチャリが妥当じゃないか?」
「まーね。――でもって、1等は一泊二日の温泉旅行のペアチケットよ。熱海の」
「ふーん、なるほどねぇ」
志保に教えてもらった数々の景品。それらを脳裏に浮かべて思った。というか口にも出した。
「嬉しいのは2等か3等かな。つーか、1等なんか当たったらちょっと困る」
ペアチケットなんか当たっても、な。うち、11人もいるんだから。
「大丈夫。そんな心配は無用よ」
「なんでだよ?」
怪訝な顔で尋ねると、志保は胸を張って答えた。
「決まってるじゃない。1等はあたしが当てるからよ」
自信満々に言い切る志保。
「マジで言ってるのか?」
「マジもマジ、大マジ。1等はあたしの物よ。必ずゲットしてやるわ。信じる者は救われるのよ」
冗談半分に言ってるのか思ったが、どうやら心底本気らしい。
何の疑いも無く断言する志保の姿に、呆れるべきか感心するべきか、少々判断に苦しむ俺であった。
――そんなこんなしている間に列はどんどん短くなり、気が付けば俺たちの番になっていた。
お互い、暇潰しの役は見事に果たせた模様。
「さて、そんじゃあたしからね」
「志保からかよ? 先に来てたのは俺の方だぞ」
「いいじゃない、レディファーストよ」
「……いいけどな。しっかし、レディって柄かよ、お前が」
「うっさい!」
志保、俺をキッと一睨み。
「はい、おじさん。福引5回ね」
表情を笑みに改めて、志保が催事場のオッサンに5枚の福引券を渡す。
「見てなさいよ、ヒロ。ギャフンと言わせてあげるからね」
志保は挑発めいた表情を浮かべると、俺に向けてグッと人差し指を突き出してきた。
「ギャフンだかギャバンだか知らねぇけど早くやれよ。後、つかえてんだからよ」
ため息混じりに俺が返す。
「むー。ノリが悪いわねぇ」
口を尖らせて志保が福引器のハンドルを手に取る。そして、おもむろにグルグルと回し始めた。
この福引で使用されているのは、八角形の木箱に回転させる為の取っ手の付いた正統派の抽選器であった。ガラガラという音に味わいと情緒を感じる。
こういうのって子供の頃は妙に憧れたよな。母親に強請って代わりにハンドルを回させてもらったりしたこともあった。結果なんかどうでもよくて、ただただガラガラと回す過程が楽しかったっけ。
――なんて事をボンヤリ考えていた俺の耳に、志保のハキハキとした声が飛び込んできた。
「出たわ」
志保の声に誘われるように玉へと視線を送る。色は赤。
「赤か。じゃあ、5等のティッシュだよ」
笑顔で言って、オッサンは志保にポケットティッシュを差し出した。
「5等、か」
「うるっさいわね。今のは準備運動よ、準備運動」
俺のボソッとした呟きに反応して、志保が声を高めて言い返してくる。
福引に準備運動もへったくれもない気がするが、志保がそう言うのならそうなんだろう。ワケ分からんが。
「こっからが本番なの」
しかし、志保の言葉とは裏腹に2回目も赤。3回目も4回目も。
「こりゃ、全部赤かな」
「分かってないわね。ヒロインは最後の最後で大逆転を果たすものなの。いいから黙って見てなさいよ」
俺が入れた茶々に対して、「ふん」と鼻を鳴らして志保が反論する。
そして、5回目をゆっくりと回し始めた。今まで以上に気合を込めて。
「えーい! どうだぁ!」
叫びと共にカランッと吐き出された玉。その色は青。
志保は期待に満ちた目をオッサンへと向ける。
「あいよ。4等のタワシ」
けれども、現実は無情だった。
「……ギャフン!」
バッタリと崩れ落ちる志保。
「お約束な奴だな、ホントに。でもまあ、ある意味感動したぞ。見事なまでの玉砕っぷりに」
「……う、ううっ」
ダメージを負っている志保を横目に、俺はオッサンに券を渡すとガラガラと抽選器を回し始めた。
「大体なぁ、こんなの、そう簡単に当たるワケないだろうが」
俺の言葉が終わるのと同時に、抽選器の口から玉が飛び出てくる。
白。コロコロと暫く転がり続けた玉の色は白。
「おや?」
「えっ!?」
俺と志保の声が重なった。否、もう一つ。オッサンの声も。
「おめでとう! 2等の自転車大当たりぃ♪」
「な、ななな、なんですってぇ!」
志保が驚愕の叫びを上げる。
「前言撤回するわ、志保。何気に当たるもんだな、こういうのも」
「納得いかない! 納得いかないわ! どうしてあたしがティッシュとタワシでヒロが自転車なのよ!?」
噛み付いてくる志保に、俺は簡潔に答えた。
「日頃の行い」
それを聞いた志保の顔が真っ赤に染まる。
「ふ、ふざけんじゃないわよぉ! 認めない! ずぇーーーたいに認めない! このままじゃ引き下がれないわ! 必ず、必ず、必ず必ず必ず必ずグゥの音も出せなくしてやるんだからぁ! 覚えてなさいよぉ!」
一方的に捲くし立てると、志保は土煙を立ててダッシュ。
その場にいた全ての者が呆気に取られる勢いで走り去っていった。
もちろん俺も例外ではなく、志保の消え去った方角を、呆然とした面持ちで眺め続けるのであった。
呆けた顔でいつまでもいつまでも。
○ ○ ○
その日の夜。
晩飯もとうに終わり、家族みんなと居間でマッタリと過ごしていた時の事。
穏やかな団欒の中、不意に鳴り響く『ピンポーン』というチャイムの音。
「ん? 誰だ、こんな時間に?」
思わず時計へと視線を向ける。示されていた時刻は午後9時を少し過ぎたところ。
特別遅い時間ではないが、かといって来客があるような時間でもない。
「わたしが見てきますね」
ソファーから立ち上がろうとした俺を制してセリオが玄関へと走っていった。
――それから暫し経ち。
セリオがやや困惑した顔で部屋へと戻ってきた。一人の客を連れて。
「あれ? 志保じゃないか。どうしたんだよ?」
志保の両手には大きな紙手提げが二つぶら下がっていた。一つには洋服だの雑貨だのが。もう一つには大量のポケットティッシュ、所により時々タワシ。
「お前、まさか……」
「ふっふっふ。これを見よ!」
紙手提げを床に置くと、志保は俺の言葉を遮ってバーンと何かを眼前に突きつけてきた。
「あ? なんだこりゃ?」
差し出されたのは大きめの封筒。真ん中に『一等』の文字入り。
「え? 志保、これって……」
「どうよ? どうよ!? 当てたのよ! 1等、当てたのよ!」
「福引でか!? マジかよ! 凄いじゃないか!」
思わず素直に感嘆の声を上げる。
俺たちの会話を聞いていた回りの皆もそれに追随していった。
あかりもマルチも葵ちゃんも口々に「凄い」を連発する。
「なるほどね。このティッシュの山は激闘の副産物ってワケか」
綾香が苦笑を浮かべて紙手提げを覗き込んだ。
「一念岩をも通す、ネ」
「…………」
「どちらかと言いますと『下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる』の方ではないかと思います? はい、わたしも同感です」
笑顔のレミィに、小首を傾げた芹香とセリオが応える。
「ところで、商店街の福引って300円で一回でしたっけ?」
賞賛と呆れが交錯している中、手提げの中の大量のティッシュに視線を送りながら琴音ちゃんがポツリと呟いた。
それに理緒ちゃんも続く。
「うん、そうだよ。……旅行券、普通に買った方が絶対に安く済んだよね。ちょっと、勿体ない、かな」
小さい、本当に小さい声。しかし、その声は室内に妙にハッキリと響き渡った。
――途端。
ピシッと志保が固まった。
気付いていなかったのか、もしくは敢えて気付かないフリをしていたのか。
どちらかは定かではないが、とにもかくにもその部分を突っ込まれた結果、志保は物言わぬ石造と化した。
「し、志保!? ちょっと! 志保!?」
「はわっ!? し、志保さん、大丈夫ですかぁ!?」
「志保! 気にするな! こういうのは金額じゃないんだ」
「そうや! 自分の手で勝ち取ったという事実こそが大事なんや!」
あかりやマルチの心配気な声。
俺と智子の『己の経験に基づいた』フォロー。
だが、そんなものでは志保の石化を解除することは出来ず、
「わ、わたしたち、まずい事を言っちゃいました?」
「ご、ごめんなさい、長岡さん。悪気は無かったの」
無論、オロオロする琴音ちゃんと理緒ちゃんの声も届かず。
「志保ぉ! しっかりしろ! 傷は浅いぞぉ!」
暫しの間、藤田家の居間を飾るインテリアと化した志保であった。
ああっ、最後の最後までベタベタな奴。
< おわり >
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