『だっこだっこ』
どうすればいいのでしょう。
この状況、あまりにも酷ではありませんか?
今日は相沢さんと二人でお出掛け……ま、まあ、有体に言ってしまえばデートなのですけど……
恋愛物という相沢さんらしからぬチョイスの映画を観て、百花屋でお茶をして――と、ここまでは良いです。
その後、相沢さんの希望で公園に行ってベンチでノンビリ――はい、これも問題はありません。
では、なにがマズイのか。酷なのか。
ズバリ言ってしまいますと、それは体勢です。
……わたし、何故に相沢さんの膝の上にいますか?
相沢さんの膝の上にチョコンと乗っかっているわたし。加えて、わたしの腰に当然の如く回されている相沢さんの腕。
抱っこです。紛う事なき抱っこです。
こういう体勢を、世間様では間違いなく『抱っこ』と呼びます。
公共の場で、しかも屋外で、まだ日の高いうちから抱っこ。まったくもって酷です。
さすがに昼間にこれは勘弁していただきたかったです。
……い、いえいえ、決して『夜だったら構わない。寧ろ望む所』とか思っているワケではありませんよ。ホントですよ。ホントにホントですからね。
と、とにかく、おかげで、わたしは先ほどから赤面しっぱなしです。まともに顔も上げられません。
「あ、あの、相沢さん」
「ん? どした、天野?」
「お願いです。そろそろ降ろしてください」
羞恥に耐えられなくなり、わたしは相沢さんに懇願しました。
「なんで?」
「なんでって……は、恥ずかしいからに決まってるじゃないですか」
「恥ずかしい? 大丈夫、そんなのは気の所為だ。それよりもさ……見てみろよ、みっしー」
わたしの言葉を至極アッサリと流すと、相沢さんは視線を上へと向けました。
「雲ひとつ無い綺麗な青空だぞ。ホント、いい天気だよなぁ。今日は絶好のベンチ日和だ。そうは思わないか、みっしー」
顔が燃えてしまいそうな程の強烈な羞恥に苛まれているわたしの気持ちを綺麗に無視して、相沢さんが後ろから能天気な言葉を掛けてきました。
何なんですか、ベンチ日和って。いや、まあ、なんとなくニュアンスは通じますけど。
「あの、相沢さん。どうでもいいですが、いい加減、みっしーと呼ぶのはやめて頂けませんか? 少なくとも、人前ではやめて下さい。恥ずかしくて仕方ないです」
「なるほど。つまり『みっしー』は『ふたりきり』の時の専用呼び名にしてくれということだな。うむ、了解したぞ」
「い、いえいえいえ、そういうことじゃなくてですね……」
勝手に変な了解をされてしまいました。理解じゃなくて曲解されてます。
「確かに『みっしー』という呼び方は、俺と『ふたりきり』の時の天野にこそ相応しい気がするしな。『ふたりきり』バージョンの天野は、いつもの凛とした雰囲気が崩れて一気に甘えん坊さんになっちゃうし」
「……そ、そ、そそ、それは……はうはう……」
なんども『ふたりきり』を強調され、図らずもその時の様子を思い返してしまい、わたしの頬が更に温度を上昇させていきました。
仰るとおり、相沢さんとふたりだけでいる時のわたしは、普段とは比べ物にならないくらいに甘えている気がします。
自分から身を摺り寄せたり、愛の言葉を欲しがったり、それに……
「昨晩の天野もまさに『みっしー』という感じだったしな。いや、むしろ『みっしーちゃん』か。キスを強請ったり、スンスンと鼻を鳴らして抱っこをせがんできたり。……いやぁ、可愛かったよなぁ」
「あああああっ、ごめんなさいごめんなさい。後生ですから思い出さないで下さい。せめて、口には出さないで下さい。できれば顔にも出さないで下さい。お願いですから許して下さい。っていうか、相沢さん、話題を戻しましょう。ええ、そうしましょうそうしましょう」
「話題?」
なんとか有耶無耶にしようと必死に言葉を紡ぐわたしに、相沢さんがキョトンとした声色で返してきました。
「そうです。つまり、膝の上から下ろしてくださいという事です。わたしは降りたいんです。さあさあ、そういうワケですからサクッと了承しちゃって下さい。そして、わたしを解放しちゃったりなんかして下さい、さあ早く」
「やだ」
超即答!? しかも一言!?
無闇矢鱈のテンションで強引に押し切るつもりでしたが、その思惑は呆気なく一刀で両断されてしまいました。
「な、何故ですか!?」
「だって、天野を抱いてると柔らかくてあったかくて気持ちいいからなぁ。放すなんて、勿体なくてとてもじゃないが出来ない」
「気持ちいい、ですか?」
身体の向きを変え、相沢さんの顔を見ながらそう尋ねました。
「うん。すごく気持ちいい」
「……ウソばっかり。相沢さん、嘘つきです」
満面の笑みを浮かべて言う相沢さんに、わたしは頬を軽く膨らませて拗ねた口調で言い切ります。
「え? なんで? 全然ウソなんて言ってないぞ」
「ウソです。ウソに決まってます。だって、自分で言うのも何ですが……わたしの身体……貧相ですよ。こんな起伏の乏しい身体、抱いたって気持ちいいワケがありません。どうせ抱っこするのでしたら、川澄先輩や倉田先輩、美坂先輩の様な方のほうが相沢さんも楽しいのではないですか?」
「本当にウソなんか言ってないんだけどなぁ。確かに舞や佐祐理さん、香里の触り心地は良い。こう、何と言うか、『ムニッ』とした感触がたまらなく素晴らしい。けどな、天野だって決して劣ってないんだぞ。天野の場合は……そうだな……擬音にすると『ふにっ』て感じかな。微妙な肉感が実に萌える逸品であると相沢祐一的に断言できるぞ。と言うか、そもそも、抱いていて気持ちよくない娘を、『ふたりきり』の時にあんなに何度も何度も堪能するものか」
「そ、そうですか? それならばいいのですけど」
嬉しいような照れくさいような複雑な気分です。
「ところで、相沢さん」
「なんだ? って、いたたたた!」
わたしはニッコリと微笑むと、相沢さんのほっぺたをギューッと引っ張りました。
「川澄先輩や倉田先輩、美坂先輩の触り心地を御存知なのですね。熟知しているのですね。先程の発言で、『良さそう』ではなくて『良い』と断言してましたもの。相沢さん、わたしというものがありながら浮気ですか? そうなのですか?」
「ち、違う! 違うって! 舞にしろ佐祐理さんにしろ香里にしろ、あと名雪とか栞とかあゆとか真琴とか、あいつら、ふざけて俺にじゃれ付いてきたりするんだよ。タックルを仕掛けてきたりとかさ。きっと、俺をからかって遊んでるんだぜ。で、そんな事をされてるうちに、嫌でも感触とかを知ってしまったってワケだ。決して浮気とかしてるワケじゃないぞ」
口を尖らせて、幾分不満そうに言う相沢さん。
その相沢さんに、わたしは胸の内だけで突っ込みました。
相沢さん、先輩方も真琴たちも十中八九ふざけてなんかいませんよ。それ、絶対に思いっきり確実にアプローチです。
相沢さんって本当に変なところで鈍感なんですね。
本来なら情け容赦なく蹴落とすべきライバルの皆さんですが、今ばかりは少しだけ同情です。
それにしましても、やっぱり相沢さんって多くの女性から想われて――狙われて――いるのですね。
「……ん」
「天野? どうしたんだ? 急に身体を摺り寄せてきたりして」
「気にしないで下さい。深い意味は有りませんから」
「……?」
別に皆さんに対抗心を燃やしてるワケじゃないですよ。
ヤキモチを妬いてたりなんかもしませんよ。
わたしの匂いを相沢さんにマーキングして所有権を主張、だなんて事もちっとも考えてませんよ。
「俺が今更こんな事を言うのもおかしいと思うけど……恥ずかしいんじゃなかったのか?」
「いいんです、気分的にそれどころじゃなくなりましたから。……もとい、もう慣れましたから平気です」
本当は恥ずかしさは少しも薄れていませんけど。
でも、今は羞恥心よりも『こうしていたい』『相沢さんとピッタリと触れ合っていたい』という気持ちの方が強いのです。
誰か知人に見られてしまうかもしれないという危険性に今更ながらに気付いて、何気にちょっぴりドキドキだったりもしますが……構いません。あとは野となれ山となれ、です。
「なんかよく分からんが、天野がいいと言うのならいいか」
「はい。いいんです」
微笑んで応えると、わたしは目を閉じて、相沢さんの胸に顔を埋めました。
まだ日の高い公園のベンチ。
公共の場での抱っこ。
今のわたしたちは、傍から見たら眉を顰めたくなる様なバカップルかもしれません。
でも、たまにはいいですよね。
時には思いっきり大胆になるのも必要でしょう。特に、恋敵には難敵が揃っていますし。
譲りませんよ。この相沢さんの抱っこはわたしだけの物なのですから。誰であろうと絶対に譲りません。
相沢さんの温かさに包まれながら、わたしは改めて固く固く決意するのでした。
< おわる >
(余談)
――次の日の朝。教室にて――
「ねえ、天野さん」
「はい、なんですか?」
「天野さんってさ、もっと大人しい人かと思ってたけど」
「意外や意外」
「大胆だよねぇ。あんな所で熱烈なラブシーンだもん」
「はうっ!? え、えっと……みなさん、ひょっとして……」
「見てたよ♪」
「堪能しました♪」
「御馳走様」
「……あ、あうあうあう。世の中って、やっぱりお約束に満ちているのですね……はふぅ」
さもありなん。
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