『前夜』



 休日前夜。
 仕事や勉強からの開放感。翌日への期待感。
 それらが混じり合った、一種独特の空気を漂わせている時間。
 ややもすれば、休み当日よりも安らぎを得られるひととき。

 本日の仕事が終わるや否や俺の部屋へと直行急行してきた由綺も、久々の完全オフを前にして、そんな穏やかさや安堵感を思いっきり堪
能していた。
 今現在由綺が陣取っているのは俺の腕の中。とは言ってもベッドインしているワケじゃない。大きなクッションに胡坐をかくようにして
座っている俺の足の上、そこにちょこんと乗っかって身を委ねてくる由綺を、背後からギュッと抱き締めているのだ。最近の由綺のお気に
入りのポジションだった。
 その体勢で、俺と由綺は明日の予定について話し合っていた。

「なあ、由綺? どうする? 何かリクエストでもあるか?」

 せっかくの休み、由綺には心から楽しんでもらいたい。いつもいつも頑張っている由綺に、心の底から羽を伸ばさせてあげたい。背負っ
ている荷物を降ろさせてあげたい。だから、彼女の要望には可能な限り応えるつもりだ。

「うーん。そうだなぁ」

 俺の問いに、由綺は口元に人差し指を当てて暫し考える。

「それじゃあ……遊園地に行きたい、かな」

「遊園地?」

 俺が尋ねると、由綺は弾んだ声で「うん♪」と答えて、小さくコクンと頷いた。

「ジェットコースターに乗りたい。そして、キャーって大声を上げるの」

「キャーですか」

 みっちりとボイストレーニングを積んだ由綺の悲鳴。さぞかし『立派』なことであろう。

「後は、フリーフォールとか。乗って、キャーって叫ぶの」

「またキャーかよ」

 キラキラと目を輝かせて語る由綺に少し苦笑してしまう。

「オバケ屋敷とかにも入りたいな」

「オバケ屋敷? 大丈夫なのか? おまえ、怖いの苦手じゃなかったっけ?」

「うん、苦手だよ」

 怪訝な顔をして訊く俺に、由綺がニッコリと笑って返してきた。

「だけどね、冬弥くんとだったら入ってみたい。でね、おっきな声でキャーキャー絶叫するの」

「ここでもキャーかい」

 楽しげに言う由綺を見て、俺はほんのちょっとだけ呆れてしまう。
 そんなにも叫びたいのだろうか。
 やっぱストレス溜まってるんだなぁ。――なんて妙な納得をしてしまった。

「後はね、コーヒーカップにも乗りたい」

「まさか、これもキャーか?」

「ううん。コーヒーカップは『わーい』」

 ま、それもそうか。コーヒーカップで悲鳴を上げる奴もそうは居るまい。
 しっかし、由綺がコーヒーカップに乗って『わーい』か。
 違和感ないな、全く。こう言っては失礼だが由綺って子供っぽいし。

「……冬弥くん? 今、何か失礼な事、考えなかった?」

 ニッコリと微笑みつつ、平坦な声で由綺が尋ねてきた。

「い、いえ、滅相もない」

 彼女から伝わってくる異様な迫力に圧され、俺はブンブンと首を左右に振って否定する。

「……それならいいけど」

 妙な所で鋭い奴。

「え、えっと……そんじゃ、明日は遊園地に行くってことでオッケー?」

 場を誤魔化す為、俺はそう言って話を切り上げようとした。
 すると、それを聞いて由綺は再び思案顔になり、

「うーん。でも、動物園も捨てがたいかなぁ」

 暫しの後、そう口にした。

「動物園? 何か見たい動物でもいるのか? パンダとか?」

「カバ」

 由綺嬢、即答。

「……な、何故にカバ?」

 あまりにも予想外かつ意外な返答に、微かな脱力感を覚える。

「変かな?」

 小首を傾げて由綺が問うてきた。

「変、とは言わないけど。……いや、やっぱ変かも」

「そうかなぁ? カバって可愛いじゃない」

「可愛い?」

「うん、可愛いよ。かばーっとしてて」

 さも当然といった顔で由綺が断言した。

「かばーっと?」

 どういう表現だ、それは? つーか何語?
 いや、まあ、なんとなーくニュアンスは伝わるけど。

「……えーっと、由綺さん?」

 こめかみ辺りを指で押さえながら俺は切り出した。

「ん? なーに?」

「いきなりで悪いんだけどさ、今から挙げる動物の印象を一言で表していってくれないか?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、まず……ライオンから」

「うーん。強そう、かな」

「なら、象は?」

「おっきい」

「パンダ」

「可愛い」

「カバは?」

「かばーっとしてる」

 どうやらこだわりがあるらしい。

「どうかしたの、冬弥くん? なんか変な顔してるけど」

「いや、何でもないよ。気にしないでもらえると助かる。それより……」

 怪訝な顔をしている由綺を置いて俺は話を先へ進めた。やや強引に。
 時間は有限であるし、なにより俺自身の気持ちを立て直したかったので。

「他には何か希望はある? 遊園地と動物園以外に。もしあるのなら予め出しちゃってくれないかな」

 先ずは全ての要望を出し尽くして、その後でそれらの中から最善の物を選ぼう。俺はそう提案した。

「他に? うーん、そうだねぇ」

 少しの間由綺が考え込む。

「だったら……映画。映画も観たいかも。このところ全然映画館に足を運べなかったし」

「映画か。今の時期ってなにか話題作上映してたっけ?」

「別に話題作じゃなくてもいいよ。映画だったらなんでもいいの。ラブロマンスでもアクションでもサスペンスでもホラーでも」

 内容ももちろん大事だが、それよりもなによりも映画館独特の雰囲気を味わいたいのだと由綺は言った。
 大きな画面に迫力のある音。チケット売り場にパンフなどの売店。上映前の期待に満ちた空気。
 そういった、所謂『映画館的』なモノを感じたい、と。

「映画を観ながらポップコーンを食べたり」

「定番だな」

「コーラを飲んだり」

「これも映画には付き物だな」

「そして、途中でグースカと寝ちゃったりするの」

「お約束だよな――って、寝るなよ!」

「えへへ」

 俺のツッコミを受け、由綺が楽しそうに笑う。
 屈託なくクスクスと。

「後は……そうだね……どこにも行かないで、お部屋でゴロゴロしてるのもいいかな」

「ゴロゴロ?」

「うん。ダラーッとするの」

「ダラーッと?」

「そう。ダラーッと。結構、憧れなんだよね。偶には、時間を思いっきり無駄にしてみたいの」

 タイトなスケジュールの中を生きている由綺にとって、時間を無駄にするという行為はこれ以上ない贅沢なのだろう。
 テレビ局のスタッフとしてその一端を垣間見ている俺には、由綺の気持ちはなんとなく理解できた。
 憧れ。確かに憧れるに足るモノであるのかもしれない。

「そっか。――よし、そういうことなら俺に任せておけ。ダラダラすることに関しては、俺はちょっとうるさいぞ」

「うるさいの?」

 苦笑混じりに由綺が尋ねてくる。

「おう。何を隠そう、実は俺は日本で2番目のダラダラの達人なんだ」

 無意味に偉そうにキッパリと言い切った。こういうのは言った者勝ちである、たぶん。よく分からんが。

「へぇ。ダラダラするのが得意だなんて、さすがは冬弥くんだね。凄いなぁ、憧れちゃうなぁ、尊敬しちゃうなぁ」

「……そこはかとなくバカにされてるっぽい感じがするのは俺の気の所為なのだろうか」

 眉を顰め、ジトーッとした目を向けて、由綺を軽く睨み付ける。

「うん、もちろん気の所為だよ」

 しかし、由綺はどこ吹く風。クスクスと笑ってアッサリと受け流した。

「……ま、いいけどな」

 そんな態度を見て、俺はため息と共に小さく肩を竦めた。
 改めて言うまでもないが、無論俺は本気で気分を害してなどいない。由綺も其れをよく分かってる。
 恋人同士の定番のじゃれあい、コミュニケーションというやつだ。

「ところでさ……冬弥くんって日本で2番目なの?」

「え? 何が?」

「ダラダラ」

「ああ、それか。そうなんだ。残念ながら俺は1番じゃないんだよ」

 言葉通り、如何にも残念そうに零した。

「そうなの。それじゃ、1番って誰?」

「はるか」

 俺は間髪いれずに即答した。

「あ、なるほど」

 そして、由綺も即行で納得。
 ポンと手を打って、しきりに「なるほどなるほど」と口にしながら頷いている。
 はるか、本人の与り知らぬ所で『ダラダラ日本一』の称号をゲット。
 自分で言っておいて何だが……はるか、不憫な奴。



○   ○   ○


 その後も俺たちの話は延々と続けられた。
 あんな事がしたい、こんな事もしたい。
 やりたい事が多すぎて、行きたい所が多すぎて。
 だから、俺と由綺の会話は尽きなかった。
 ――否、尽きないと思われた。
 しかし、その終わりはいきなりやって来た。
 会話の最中、由綺の頭が唐突にガクンと落ちたのだ。

「え? 由綺?」

「……すぅ……すぅ……」

 眠っていた。それはもうグッスリと。
 察するに、既に眠気は限界に達していたのだろう。
 けれど、おそらく由綺は、それを必死に耐えていたのだ。
 今のこの時間が心底楽しかったから。
 手放すには余りにも惜しかったから。
 容赦なく襲ってくる睡魔にギリギリまで、本当にギリギリまで抗っていたのだろう。

「……と、うや、くん……」

 穏やかな笑みを浮かべ、俺の名を口にしながら眠る由綺。
 夢の中で、一足先にデートを楽しんでいるのだろうか。
 そんな、由綺の安らかな寝顔を見ながら俺は思った。
 明日のデートは、是が非でも楽しいモノにしてやらないと。夢の中の俺に負けないようにしっかりとエスコートしてやらないと。
 由綺を嬉しそうに微笑ませている夢の中の俺に微かな嫉妬と対抗意識を覚えつつ、そう思った。

「――って、自分で自分にヤキモチかよ。アホか、俺は」

 己に対して苦笑しつつ、俺は由綺を腕に抱いたまま、彼女を起こしてしまわないように細心の注意を払って立ち上がった。
 そして、ベッドの上に優しく降ろし、そっと布団を掛けてやる。
 ――ついでに、由綺の額に軽く唇を触れさせた。

「おやすみ、由綺」

 良い夢を。



○   ○   ○


 ――余談

 次の日の朝。

「ど、どうしたの、冬弥くん? 目が真っ赤だよ」

「……気にするな」

 デートの行き先を決められずに悩みまくり、殆ど眠れなかったりしたのはお約束である。

「ああ、太陽が黄色い」

「……?」

 こんなところでも、ちょっぴり優柔不断さを発揮してしまう冬弥くんでありました。まる。









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