「先輩、ここ好きなの?」
「…………(こくん)」
「気持ちいい?」
「…………(こくこく)」
「先輩が気持ちよくなってる顔、可愛くて好きだな」
「…………(ぽっ)」





価値あるモノ






「こらこら!! 浩之も姉さんもいい加減にしなさいって」
「なんだよ〜。今、すっごく良い雰囲気だったのにさぁ」

 俺は、その声の主(もちろん綾香)に視線を向け、抗議の声をあげた。

「あのねぇ。……良い雰囲気になるのは勝手だけどさ、誤解を招くような会話はやめてよね」

 心底呆れたような声で返してくる綾香。

「誤解って何だよ!? 俺たちは、ただ、芝生の上でひなたぼっこをしてただけだぞ」
「…………(こくこく)」
「自覚が無いから、なおさらたちが悪いのよねぇ」
「なんだそりゃ?」

 わけわからん。

 ………………ま、いっか。
 俺は、頭のうしろで手を組み、そのままゴロンと寝転がった。

「あらあら。ごろごろしちゃって、まあ。せっかくの休みだっていうのに」
「お前こそ、休みの日くらいのんびりしたらどうなんだ? いっつも、せわしない奴なんだからさ」

 俺の言葉を受けた綾香は、しばらく「ふむ」と考え込んだ。
 そして…………

「そうね〜。たまには、そういうのも良いかもね」

 と、言いながら、俺の横に寝転がった。

 おいおい、いきなり寝るか!? こいつ、本当にお嬢様か!?
 ま、綾香らしいと言えばらしいが。

 てなことを考えていたら…………

「…………」
「え? わたしも、だって?」

 先輩も俺のすぐ横に寝転がった。

 あらら。この人も、お嬢様っていう自覚が無いなぁ。
 こんなとこ、セバスチャンなんかに見られたりしたら、何を言われることやら。

「…………」
「え? これで『川』の字ですね?」
「…………(こくん)」

 なるほど。それがやりたかったわけね。

「それは違うぜ、先輩」
「…………?」
「俺たちの場合は、真ん中が一番長いんだから『小』の字だよ。……だろ?」
「…………(こくこく)」
「はぁ〜〜〜。浩之って、くだんないこと考える時は、ホントに頭の回転が早いわよねぇ」
「ほっとけ!!」

 ま、実際は『川』でも『小』でもないけどな。
 俺たちの密着具合からすると数字の『1』が最も近い気がする。
 なんか、本当にどうでもいいことだけど…………。



○   ○   ○



「ねぇ、浩之。あの日のこと、覚えてる?」

 いきなり、綾香がそんなことを訊いてきた。
 唐突すぎるって。わけわかんねーぞ、それ。

「あの日って、どの日だよ?」
「浩之が初めて来栖川の屋敷を訪れた日のことよ」

 あぁ、あの日のことか。

「そりゃーまあ、覚えてるけどさ。それがどうかしたのか?」
「ん〜、何て言うかさ。急に思っちゃったのよ。あたしたちが、今、こうしてのんびり出来るのは、あの日の浩之のおかげなんだなぁ、ってね」
「んな、大袈裟な……」
「大袈裟なんかじゃないわよ。姉さんだって、そう思うでしょ?」
「…………はい、浩之さんのおかげです」

 先輩まで……。

「ほらね」

 うーーーん。別に大したことはしてねーけどなぁ。
 それ以前に、俺、何かしたか?

 えーーーっと。あの日は確か…………



○   ○   ○



 みんなと共同生活(同棲)をすると決めた次の日から、俺は各家庭への挨拶廻りを始めた。
 反対されようが、罵倒されようが、通すべき筋は通さねぇとな。
 ―――てなわけで、気合いを入れて臨んだのだが……あかりたちの事前の根回しが効いていたのか、どこも拍子抜けするほどに好意的に迎えてくれた。
 あかりの両親に至っては「孫の顔が楽しみ」などと言い出す始末だ。

 だけど、今日ばかりは、そういう訳にはいかないだろう。何故なら、今日の訪問先は来栖川家。名門中の名門。
 同棲なんてこと、ただでは許してくれねーだろうなぁ。
 さてさて、なにが起こることやら。



 ―――と、思ったのに、結局なにも起こらねーでやんの。
 先輩たちのご両親は俺たちの同棲を快く了承してくれたのだ。
 ご両親にしてみれば、先輩が“男の人を好きになる”という女の子らしい感情を抱いてくれたことが、また、先輩のことを普通の女の子として扱ってくれる、俺という存在が嬉しかったらしい。
 綾香に関しても「まあ、綾香だしねぇ」のひとことで済まされてしまった。
 何と言うか、非常にフランクな人たちだなぁ。流石は綾香の親だ、と妙な感心をしてしまった。
 もしも、先輩がこの人たちに育てられていたらどうなっていただろう? ちょっと、見てみたかった気もするな。



 それから、終始和やかな雰囲気で会話が進んでいたのだが、ひとつのノックがその空気を打ち砕いた。

 な、なんだ? 一瞬にして全員の顔に緊張が走ったぞ。
 先輩も綾香も、今までに見たことがないくらいに強張ってる。
 一体、なにが?

「失礼いたします。大旦那様をお連れいたしました」

 聞き慣れたセバスチャンの声が響いた。
 大旦那様? ―――って、ことは…………先輩たちのじいさんか。

 そのじいさんは、部屋に入ってくるなり俺の顔に一瞥をくれると、ソファーに腰掛けながら言った。

「出て行け」

 …………は?
 いきなりの身も蓋もないセリフに、俺の思考は暫し停止していた。

「聞こえなかったのか? 出て行けと言ったのだ」

 ちょっと待てや!! なんだそりゃ!?
 思わず叫びそうになったが、なんとか堪えた。ここで、無理に印象を悪くする必要は無い。……手遅れかもしれないけど。
 しかし、堪えられなかった奴らもいた。

「どうしてですか!?」
「いきなり『出て行け』は無いでしょ!?」

 先輩と綾香だ。

「『どうして』だと? 聞くまでもなかろう。この小僧はお前たちに相応しくない。だから、出て行けと言ったまで。それだけのことだ。そんなこと、お前たちにもよく分かっておろう?」

 なるほどね。ま、そんなとこだろうとは思ってたけどさ。

「…………分かりません」
「何で、あたしたちに相応しくないなんて分かるのよ!? 勝手に決めないで!! あたしたちは浩之のことを……」
「いい加減にせんか!! この、大バカ者どもが!!」

 綾香の言葉を遮って、じいさんの一喝が炸裂した。
 思わず、ビクッとなる綾香。
 いや、綾香だけじゃない。先輩も先輩たちのご両親も、セバスチャンでさえ硬直してしまった。
 もっとも、俺という例外もいたが。

「いつまで、戯けたことをぬかすつもりだ!! お前たちは来栖川の人間なのだぞ。それが、このような小汚い庶民と付き合うなどと、戯れ言も大概にせんか!!」

 悪かったな、小汚い庶民で。

「お前たちに相応しい相手は、わしが見つけてきてやる。お前たちは、わしの言う事だけを聞いておればいいんだ!!」

 おいおい。

「よいか。そもそもお前たちは来栖川家の人間として…………」

 あーぁ、じいさんの演説が始まっちまった。
 それにしても、話を聞いてると、独善的というか何というか。金持ちって、みんなこうなのか?
 先輩とか綾香みたいな方が例外中の例外なんだろうな、きっと。

 ―――って、悠長に、んなこと考える場合じゃねーな。
 今まで、反論を先輩と綾香に任せて楽をしていた分、こっから頑張らねーと。
 さってと、そんじゃいきますか。

「なぁ、じいさん」

 俺は、いまだにベラベラと語り続けるじいさんを遮った。

「じ、じい!? …………ぶ、ぶ、無礼者!! 貴様、誰に向かって……」
「あんただよ。まさか、自分のことを“じいさん”じゃないと思ってるのか?」
「黙れ!! 来栖川グループの会長である、わしに向かってなんたる暴言!!」
「あんたが来栖川の会長だろうが何だろうが俺には関係ねーよ。なんてったって筋金入りの庶民だからな」

 今、この室内は完璧に俺とじいさんの対決の場と化した。
 他の奴らは、気圧されたのかピクリとも動かない。
 先輩も綾香も、もの凄い緊張状態にいるんだろうなぁ。わりい、少しの間だけ我慢しててくれ。

「俺にとっちゃ、あんたは先輩と綾香の祖父でしかねーんだよ。それ以外のくだらねー肩書きなんて知ったことか」
「小僧。あまり、わしを挑発せん方がいいと思うがな。わしを怒らせれば怒らせるほど、ふたりとの婚姻は遠くなるぞ。……わしの許しが欲しいのだろう?」

 けっ。あんたのご機嫌を取っても同じことだろうが。

 それに…………

「じいさん。あんた、なんか勘違いしてるぜ」
「勘違い、だと?」
「俺たちは同棲の報告に来ただけだ。別に、あんたの許しをもらいに来たわけじゃねー」
「なんだと!?」
「わからねーか? あんたが何を言おうと、ふたりは頂いていく、って言ってるんだよ」
「…………なっ!?」

 きっぱりと言い切った俺の言葉に、絶句するじいさん。

「貴様、本気か!? そんなことが出来るわけなかろう!?」
「出来るさ。……なんなら、力ずくでも構わないぜ」
「バカな!! そんなことをすれば、来栖川家を手に入れることは出来んぞ!!」

 はぁ? 来栖川家だぁ、何言ってやがる…………って、なるほど、そういうことか。
 俺のことを、来栖川の財産目当てだと思ってやがったな。ったく、冗談じゃねーぜ。

「俺が欲しいのは先輩と綾香だけだ。来栖川家なんて知ったことか。んな面倒くせー物いらねーよ。犬の餌にすらなりゃしねー」

 その答えが、よっぽど予想外だったのだろう。じいさんは、今度こそ完璧に沈黙した。


 それから、どれだけの時が流れたのだろう。
 ずっと無言だったじいさんが、絞り出す様にして声を発した。

「お前に、芹香と綾香を幸せにしてやれるのか?」

 長い時間考え込んで、何も訊いてくるのかと思いきや…………。

「してやるさ、もちろんな」
「どのように!? 地位か? 名誉か? 富か?」
「笑顔さ」
「…………なに?」
「笑顔だよ。ふたりが常に笑顔でいられるようにする。それが今の俺に出来る精一杯だからな」
「ふざけるな!! 笑顔だと!? 笑顔なんぞが何の…………」
「あんた、ふたりの笑顔を見たことねーだろ」

 俺は、じいさんの言葉を遮り、そう言い放ってやった。

「そ、そんな物。パーティーや各種公式行事の時にいくらでも…………」
「俺が言ってるのは、そんな作り物のことじゃねーよ。ふたりの真の笑顔だ」
「真の…………笑顔?」
「本当に心を許した相手にしか見せない、とびっきりの笑顔のことさ」
「心を…………許した…………とびっきり…………」
「あんたは見たことがねーんだ。一度でも、あの笑顔を見たことがあるのなら、『笑顔なんぞ』なんて言葉は出てこねーはずだぜ」
「…………お前は…………あるのか?」

 じいさんの質問に、俺はうなづきつつ、こう答えた。

「もの凄く暖かい気持ちになれるぜ。あの笑顔に比べたら、どんな地位も名誉も富も、ゴミ以下にしか感じねーな」

 俺の答えを聞くと、じいさんは「むう」と呻きを漏らし、再び沈黙に落ちていった。
 ―――が、しばらくするとおもむろに立ち上がり、そのまま扉の方へ歩き始めた。
 慌てて、後を追うセバスチャン。

「芹香、綾香」

 じいさんは、扉の前で振り返ると、今までとはうって変わった穏やかな声でふたりに呼びかけた。

「…………はい」
「なに?」

 僅かな沈黙の後…………

「お前たちの好きにしなさい」

 ポツリと、そう呟くと、静かに部屋から出ていった。



○   ○   ○



「―――で、好きにしたわけだよな」
「…………(こくん)」
「ほら。やっぱり、浩之のおかげじゃない」
「だーかーらーさー。俺は大したことしてねーって」

 ただ、じいさんと言い合っただけだしなー。

「なに言ってるのよ。“あの”おじいちゃんと真っ正面から対決したのよ。それって、もの凄いことなんだから」
「そうなのか?」
「そうよ」
「…………(こくこくこく)」

 なんだかなぁ。
 ま、先輩たちがそう言うんだから、きっとそうなんだろうな。

「そういえばさ。おじいちゃん、あれ以来、浩之のことを気に入ったみたいよ」

 はあぁ〜〜〜〜〜〜? 気に入った? なんだそりゃ?

「セバスから伝え聞いた話なんだけどさ、おじいちゃん、浩之のことを褒めていたんだって」
「何て?」
「えーーーっとね…………」



○   ○   ○



「長瀬」
「はい、大旦那様」
「あの少年、名は何と言う?」
「藤田浩之様、でございます」
「そうか、藤田君か」
「はい」
「久しぶりに骨のある男を見たな。しかし、わしの一喝にも全く動じんとは。いやはや、肝の据わった奴もいるものだ」
「まったくでございますな」
「長瀬よ」
「はい」
「芹香と綾香は、良き伴侶に巡り会えたようだな」
「…………さようでございますね」
「長瀬よ」
「はい」
「藤田君たちをバックアップしてやれ。金銭や住宅等、全ての面で不都合が生じぬようにな」
「はい。かしこまりました」



○   ○   ○



「―――ってね」
「へぇ〜、あのじいさんがねぇ」

 なんと言うか、ちょっと意外な感じだな。

「おじいちゃんに、あそこまで食ってかかった人は今までいなかったからねぇ。よっぽど珍しかったんでしょうね」
「珍しかった、って……俺は珍獣か!?」
「あら? 表現が悪かったかな? だったら、言い方を変えるわ。おじいちゃんにとって、初めて真っ向から向かってきた人。つまりは、おじいちゃんにとっての“初めての人”ね」
「もっと悪いわい!!」

 気色悪い発言はやめろって。

「あ、あははー。……と、とにかく、浩之は気に入られちゃったのよ」
「じいさんに気に入られてもなぁ。……ま、嫌われるよりはマシか」
「…………」
「え? 全然マシです、だって?」
「…………(こくん)」
「そうよね。そのおかげで、あたしたちの仲が引き裂かれる心配は全く無くなったんだからね」
「…………(こくこく)」

 そっか。それもそうだよな。
 もう、そんな心配は絶対に無いんだよな。

「先輩」
「…………はい」
「綾香」
「うん?」
「いつまでも、いっしょにいような」

 ―――あ、しまった。
 場の空気に乗せられて、ついつい真っ昼間っから恥ずかしいセリフを言ってしまった。

「当然!! 誰に何を言われたって決して離れないからね
「…………わたしもです

 でも、こういう雰囲気って、やっぱり良いよな。

「浩之」
「浩之さん」
「ん?」
「あたしたちのこと、幸せにしてよね。今よりも、もっともっと幸せにしてよね」
「…………(こくこく)」

 ―――ったく、何を改まって、当たり前のことを言ってるんだか。

「ふぅ、やれやれ。お嬢様方はわがままですなぁ」
「そうよ〜。これから、も〜〜〜っとわがままになるんだから。覚悟しておいてね」
「しておいて下さいね」
「へいへい。ったく、しょーがねーなぁ」
「…………」
「…………」
「…………」
「ふふふ」
「くすっ」
「あはは」

 俺たちは、顔を見合わせて笑い合った。

 笑いながら、俺は心の中で誓った。

 『思いっ切り幸せにしてやる。幸福感で溺れそうなくらいにしてやるからな』

 そんなことを、ふたりの笑顔に誓っていた。

 我ながら、キザだなぁと思いながら。

 ま、こんなのも、たまにはいいよな。たまには……な。









Hiro



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