『まくら』






 ある休日の昼下がり。  俺は、仰向けに寝転がって、優雅な読書タイムを楽しんでいた。  すぐそばには一匹のネコ。  そいつは、俺の腹を枕にして、穏やかな顔をして微睡んでいる。 「なあ、綾香?」 「…………うん…………? なーに?」  反応がかなり鈍い。  もう、80パーセントは寝てるようだ。 「気持ちよさそうにしてるのに、非常に申し訳ないのだが……」 「…………だから…………なによ?」 「重い。そろそろ頭をどけてくれ」  人間の頭というのはかなり重い。  それが、ずーーーっと腹の上に乗ってるのだから、いい加減辛くなってきたのだ。  がばっ!  俺の言葉を聞いて、一気に眠気が覚めたらしい。  勢いよく、綾香が身体を起こす。 「なによそれ。失礼ねぇ。だ〜れが重いですって!?」 「綾香」 「きっぱり言うな!」 「仕方ねぇだろ。事実なんだから」 「あんたねぇ。女の子に対して、その言葉はタブーだってこと分かってる?」 「なんだよ。別に俺は体重のことを言ったわけじゃねぇだろ。  頭ってのは、誰だって重いもんなんだからさ」 「それでもよ。女に『重い』は絶対の禁句なの!!」 「わ、分かったよ。俺が悪かった。二度と言わねーよ」 「よろしい。それなら許してあげる」  ニッコリと、綺麗な笑顔を浮かべる綾香。  不覚にも、俺はそれに見とれてしまった。 「そらどうも」  そのことが無性に照れくさく感じられ、ついつい素っ気なく返してしまう。  そんな俺に、綾香は優しい眼差しを向けるだけで、特にツッコミは入れてこなかった。 「ところでさ、浩之はさっきから何を熱心に読んでるの?」  そう言いながら、綾香は俺の上にのっかってきた。  どうやら俺は、枕から敷き布団に進化を遂げたらしい。 「本」 「……バカにしてるの? そんなの見れば分かるわよ」  俺の答えがお気に召さなかったらしい。  綾香姫は、こっちを軽く睨んできた。 「まあ、浩之のことだから、どうせマンガなんだろうけどさ」 「お前こそ、俺をバカにしてるだろ。俺だってマンガ以外の本を読むぞ」  ちなみに、いま俺が読んでいたのは世界中の格闘技を詳細に紹介している本。  高尚な文芸作品ではないが、マンガでもないのは事実だ。 「うそ!? そうなの!?」  綾香は、俺の言葉に驚愕の表情を浮かべてくれたりした。 「どういう意味だ!?」  俺は、綾香の額を軽く突っついて問いただす。 「そのままの意味よ。浩之がマンガ以外の本を読むだなんて……。  明日の太陽は西から昇るかもね」  ため息混じりに、綾香はとんでもないことをサラッと宣ってくれやがった。 「んなことあるかい」  俺は、ツッコミの意味を込めて、綾香の頭頂部にデコピンを入れる。  ビシッ! 「っ! いったぁ〜!」 「…………あ」  予想外のクリーンヒット。  しかも、よっぽど『いいところ』に入ってしまったのか、綾香の瞳には少し涙が滲んでいる。 「ひどいよ、ひろゆきぃ〜」 「わ、わりぃ。ちょっとミスった」  今の一撃に対しては、こちらが完全に悪かったので、平謝りに謝る。 「…………なでなで」  綾香は拗ねるような目で俺のことを睨んでいた。  だが、しばらくの後、唐突にそんなことを言い出してきた。 「…………は?」 「だから……マルチにするみたいに、なでなでしてくれたら許してあげる」 「マルチにするみたいに?」 「そ」 「なんでまた、そんなことを……」 「いいじゃない。されてみたかったんだから」 「でもなぁ」  『なでなで』  別に変なことをするわけじゃないのに、改めて要求されると何か無性に照れくさい。  そういうわけで俺が躊躇していると…… 「あ〜ん、いた〜い。浩之のせいで頭がいた〜〜〜い」  綾香のやつ、大袈裟に痛みを訴えてきやがった。 「いたい〜。とって〜〜〜もいた〜〜〜い」  観念して、俺は一つため息を吐いた。 「分かった分かった。撫でてやるよ」  苦笑しながら綾香の頭に手を添えると、ゆっくりと動かし始める。  なでなでなでなで。  なでなでなでなで。 「60点」 「……はい?」  無言で綾香の頭を撫でていると、不意に点数を付けられた。 「だから、今のなでなでは60点」 「なんで?」 「だって……こういう時は『痛いの痛いの飛んでけ〜』って言うもんじゃないの?  それが無いから60点なの」 「なっ!?」 「と、いうわけなので……はい、やり直し」  まさか、俺にそんなこっぱずかしいセリフを言えというのか? 「どうしたの? ほら、早くぅ〜。『痛いの痛いの飛んでけ〜』ってやってよ〜」  ……どうやら、そのまさからしい。 『んな恥ずかしいこと出来るかーっ!』  そう言って逃げ出したい。それが偽らざる本心。  でも……綾香の期待に満ちた瞳を見てしまうと、拒否することなんか出来なくて……  だから結局…… 「ったく、しょーがねーなぁ」  いつもの口癖を言ってしまうのだった。  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「う〜ん。まだ痛いかな」  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「もう少し」  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「……あと……ちょっと」  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「…………」  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「…………」  なでなで。 「痛いの痛いの飛んでけ〜」 「…………」  しばらく撫でていると、綾香からの反応がまったく返ってこなくなった。 「ん? もういいのか?」 「…………」  反応なし。 「綾香? どうかしたか?」 「……すー……すー……」 「……って、おい」  寝てやがる。  ひとに恥ずかしい思いをさせておいて、自分は気持ちよく寝てしまうとは……許せん奴だ。  でも…… 「……すー……すー……」  安らかな顔をして眠っている綾香を見ると、『ま、いっか』とも思えてしまった。 「ったく。ほんとにしょーがねーなぁ」  どうやら俺は、正真正銘、敷き布団にされてしまったようだ。  だけどまあ、偶には、こういうのもいいかもしれない。  ふと、そんなことを思う。  だって、いつもは、俺は掛け布団になってばかりだから。 「……………………」  脳裏に浮かんだ、そんな『おやじギャグ』にも劣る考えに、俺は我ながら呆れ返ってしまう。 「……………………」  はぁ。読書の続きでもしよ。  俺は綾香を上に乗せたまま、再び本に目を向けるのであった。  それは、ある休日の昼下がりの一コマ。


 < おまけ ――神岸あかり編―― >  ある休日の昼下がり。  俺は、仰向けに寝転がって、優雅な読書タイムを楽しんでいた。  頭の下には柔らかな感触。  上からは、慈愛に満ちた視線が降り注いでくる。 「なあ、あかり?」 「なに、浩之ちゃん?」 「その……膝枕してくれるのは嬉しいけど……辛くないか?」 「うん。全然辛くないよ」  ニッコリと優しい笑顔を浮かべて答えるあかり。 「でもさあ、もう1時間も経ってるぜ。本当に平気なのか?」  俺は、壁に掛けてある時計を横目で見つつ、あかりに問い掛ける。 「あ。もうそんなに時間が経ったんだ」  自らも時間を確認して、心底驚いたようにあかりが言う。 「楽しい時間って、過ぎるのが早いってホントだね」 「『楽しい時間』って……。ずっと膝枕してただけじゃねーか。  俺は本に夢中になってたから確かに楽しかったけど、あかりは退屈なだけだったんじゃねーか?」 「そんなことないよ。わたしも楽しかった」  屈託のない笑顔であかりが答える。 「なんで?」 「浩之ちゃんと一緒だからだよ」  そんな赤面もののセリフをサラッと宣ってくれやがった。  聞いてるこっちの方が恥ずかしくなってくる。 「浩之ちゃんの重さを感じて……温かさを感じて……。  ウソでも偽りでもなく、わたしは本気で楽しかった」 「そ、そうか」 「あ。浩之ちゃんってば照れてる」  面白い物を見付けたような口調で言うあかり。 「う、うるせーな。別にそんなんじゃねーよ」 「はいはい。そういうことにしておいてあげるね」 「そらどうも」  クスクス笑うあかりに、俺は少し憮然として答える。  そんな俺の様子を見て、さらにクスクス笑うあかり。  ……ダメだ。こいつにはどう足掻いても勝てねぇ。  心からそう思った。  でも……  あかりにだったら……勝てなくてもいいや。  そうも思った。  上からは、依然として優しい空気が降り注いでくる。  俺は、それを心地よく感じながら本に視線を戻した。  それは、ある休日の昼下がりの一コマ。






 ☆ あとがき ☆  何と言いますか……単純にまったりのんびりした話が書きたかったんです(^ ^;  現実が慌ただしいので、願望が出たのかもしれません(;^_^A  ともかく、この話は『まったり用』です。  ですから、読み終わったら、どうか皆様もまったりして下さい(^^)

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