何時いかなる時も常に一緒、常にベッタリだと思われている藤田家の面々。

 だが、もちろんそんな事があるわけはなく、休みの日などは、結構別行動を取っていたりする。

 例えば、この日の彼女の様に。





『休日の過ごし方』
< あかりの場合 >






「んんー。まんぞく〜。美味しかった〜〜〜♪」

 居間のソファーに座って昼食後のコーヒーを楽しみながら、ひかりが幸せそうな声をあげた。

「えへへ」

 ひかりの向かい側に腰掛けたあかりが、照れくさそうに笑って賞賛に応える。

 この日、母親であるひかりに請われて神岸家に遊びにやって来ていたあかりは、「お母さん、あかりの作ったご飯を食べたいなぁ〜」とひかりから上目遣いで『お願い』された。
 「もう、しょうがないなぁ」と思いながらもそれを了解したあかりは、最初、二人しかいないこともあり、簡単に『豆腐の田楽』でも作って済まそうと思ったのだが、ひかりの「ひかりん、お肉がいいなぁ♪」というセリフにより断念。代わって、最近セリオに教わったばかりの『アヤムパンガン(インドネシア風ローストチキン) 』を披露したのである。
 その料理がストライクゾーンど真ん中だったらしく、ひかりは先程からずっとご満悦状態になっていた、

「あかりってば、本当にお料理が上手になっちゃって。これなら、料理学校の先生も立派に務められるわね」

「そ、そんなことないよー。先生なんて無理だってば」

 ひかりからの褒め言葉を、あかりが両手を振って否定した。

「無理なんかじゃないわ。これだけ作れればね」

「そ、そうかなぁ」

「ええ。自信を持っていいわよ」

 ニッコリと優しい笑みを浮かべてひかりが肯定した。

「うん。ありがとう、お母さん」

 料理を作る上での目標とも言える母からお墨付きを貰い、あかりが嬉しそうに言う。

「あ、そうだ。ねえねえお母さん。晩御飯、なにかリクエストある? もしよかったら、わたしが作っていくけど。たまには、お父さんにもわたしの料理を食べてほしいし……」

 良い気分になったあかりが笑顔で訊いた。ちょっと調子に乗っているようだ。

「リクエスト? その申し出はありがたいけど……でも、本当にいいの?」

「うん。なんでも言って♪」

「そう? それじゃあ……」

 人差し指を口元に運び思案顔になるひかり。
 しばらく「そうねぇ」などと言いながら考えていたが、やがて何かを思い付いたらしく『ニヤリ』とした笑いを浮かべた。

「リクエストって、なんでもいいのね?」

「……わ、わたしがレシピを知ってる物だったら……」

 母親の妖しげな笑みを目にして、やや自分の発言を後悔しながらあかりが答える。

「大丈夫よ。あかりも絶対に知ってるから……作り方」

「そう。ならいいんだけど」

 あかりが露骨にホッとした顔になる。

「……で? リクエストは決まったの?」

「ええ、決まったわ」

「なに? わたしは何を作ればいいの?」

「それは……」

「それは?」

「それはね……」

「うんうん」

 身を乗り出してひかりの言葉を待つあかり。
 そのあかりに、ひかりはさらに『ニヤリ』笑いを深くして言い切った。

「赤ちゃん

 ガターーーン!

 激しい音を立てて、あかりが豪快にずっこけた。

「あらあら。どうしたの、あかり?」

「ど……ど……『どうしたの』じゃないよー! いきなり変な事を言い出さないで!」

 身を起こしながら、あかりが母親に食ってかかった。

「変な事なんて言ったかしら? わたしはただ、あかりへリクエストをしただけだけど? 赤ちゃんが欲しいって」

 さも当然といった風情でひかりが返す。

「変だよ! そ、それに……そんな事リクエストされても困るよー!」

「どうして? 『なんでもいい』って言ったのはあかりじゃない」

 ひかりの言葉にあかりが『う゛っ』と苦い顔になる。

「……い、言ったけど〜」

「それに、『作り方』は知ってるでしょ?」

「……し、知ってるけど〜」

 あかりは、顔を少し赤らめてボソボソと答えた。

「なら問題ないじゃない♪」

「問題ある! そもそも、わたしがリクエストを求めたのは晩御飯でしょ! ば・ん・ご・は・ん!!」

「あら〜。そうだったかしら〜?」

 あらぬ方向を見て誤魔化すひかり。

「そうだよ!」

「まっ、そんな細かい事はこの際どうでもいいわ」

「細かくないってば〜!」

 サラッと流そうとするひかりに、あかりが声を高めてつっこんだ。

「わたしは全然気にしないわよ」

「わたしが気にするの! とにかく! 赤ちゃんはダメ! ぜーーーったいにダメーーーッ!!」

「……ぶぅ。あかりんのケチ」

 絶叫するあかりの声を聞いて、ひかりが不満そうにくちびるを尖らせた。

「ケチとかそういう問題じゃないでしょ。高校生の娘に赤ちゃんを求めるなんて何を考えてるのよ。常識を持ってないの?」

「なによー。そんな言い方はないんじゃない? これほど理解のある母親なんて滅多にいないわよ」

「理解があるのは分かってるよ。でも、どう考えても度が過ぎてるでしょ」

 あかりがため息をつきながら零す。

「そんなことないと思うけどなぁ。あかりこそ堅すぎるんじゃないの?」

「お母さんみたいにグニャグニャにとろけきっているよりはマシよ」

「……ぐ……ぐにゃぐにゃ……」

 あかりの容赦ない言葉がひかりの胸に突き刺さった。

「ひ、ひどいわひどいわ。あかりんってばひどいわ」

「ひどくない。本当の事を言っただけだもん」

 一刀両断するあかり。それを聞いて、ひかりの瞳に涙の粒が溢れ出す。

「……ううっ……ぐすっ……あかりがいじめるー」

「……あのねぇ。いい年して泣かないでよ」

 幼児退行した様な母の姿に、あかりはこめかみを指で押さえながら、再度深いため息をついた。

「あかりってば、やっぱり意地悪なのね。さすが『いじめっこあかりん』の名は伊達ではないわ」

「お母さん! その呼び方はやめてっていつもいつも言ってるでしょ!」

「……ふえっ……あかりが怒った〜」

「あーんもう。だから泣かないでってば〜。ね? ね? 何でもするから」

 あかりは、自分も泣き出したくなる気持ちを抑えて、必死にひかりを宥める。

「……だったら……ひかりんのリクエストを聞いてくれる?」

「…………それはダメ」

「『何でもする』って言ったのに〜。あかりんのうそつき。しくしくしくしく」

 実際に『しくしく』と口に出して泣くひかりを見て、あかりは今日三回目の深いため息をついた。
 このまま放って帰ってしまおうかと真剣に考えていた。

「とにかく、ダメったらダメ。そもそも、そんなに赤ちゃんが欲しいのだったら自分で作ったら?」

 呆れ顔で、あかりがある意味ごもっともな指摘をする。

「ふっふっふっ。もちろんその辺はぬかりないわよ」

 先程までの泣き顔はどこへやら、表情をコロッと変えて、妙に妖しい笑みを浮かべてひかりが言う。

「計画実現の為に、愛しのダーリンと毎日毎日朝から晩まで頑張ってるわ!!
 ……って、何を言わせるのよー。きゃー、ひかりん、恥ずかしいー

 ソファーからガバッと立ち上がり大声で意味不明な事を宣言したかと思うと、急に身をくねらせて悶え始めた。

 そんな、ちょっとお近づきになりたくない雰囲気をプンプンと漂わせているひかりに、健気にもあかりはツッコミを入れようと試みるのだが、

(もしかして、今までの嘘泣き? 何が『もちろん』なんだろう? 『計画』ってなに? 『何を言わせるのよー』って勝手に言ったんじゃ? それからそれから……)

 あまりにもつっこむべき所が多すぎて、逆に何も言えなくなってしまった。
 ただ、「わたし、20歳近く離れた弟か妹が出来るんだね」という思いが、半ば確定事項としてあかりの中に深く深く記されるのであった。



 それからしばらくの間、某姫川嬢に勝るとも劣らない程暴走していたひかりだが、あかりのジトーッとした視線に気付くとばつの悪そうな顔をして腰を下ろした。

「…………こほん。
 ま、まあ、あかりの赤ちゃんが欲しいというのは半分は冗談だけど……」

 一つ咳払いをしてから、取り繕うようにひかりが言う。

(……ってことは、半分は本気だったんだね)

 その母の言葉に、あかりはそう口を挟もうとしたが、ここで茶々を入れると話が進まなくなると判断して我慢した。
 もっとも、ひかりには全てお見通しだったが。

「あなたの思ってるとおりよ。半分は本気だったわ。でもね、それは別に今すぐってわけじゃないの。わたしだって、流石に、高校生の娘に母親になってほしいなんて思わないわよ」

 微かに苦笑いを浮かべながら話すひかり。だが、その表情はすぐに引き締められた。

「ねぇ……あかり。お母さんが今更こんな事を言っても説得力がないかもしれないけど……。子供はね、自分たちが本当に欲しいと思うようになるまでは作っちゃダメ。周囲に何て言われてもね。無理に作ったって良いことなんかないわよ。
 心から望んだ時に授かる。それが親にとっても、そして子供にとっても一番なんだから」

「うん。そうだね、お母さん」

 真剣な顔で諭すひかりの言葉を、あかりは胸にしっかりと刻み込んだ。

「まっ、『過程』だけはいくら楽しんでも構わないわ。ただ、避妊には気を付けるのよ〜♪ さっきも言った様に、本気で子供が欲しくなるまではね。これはひかりんとの約束よ

 一瞬前までのシリアスさはどこへやら。ひかりは一発で雰囲気を粉々にすると強烈な爆弾を投下した。この辺の切り替えの早さは、もはや天性の物と言えるだろう。

「…………」

 必要以上に強調された『過程』という言葉を受けて、あかりは耳まで真っ赤に染めて沈黙した。
 そんなあかりに穏やかな視線を送りながら……と同時に口元には何故かニヤニヤとした笑いを形作りながら……ひかりは尋ねてきた。

「ねぇ、あかり? 浩之くん……優しくしてくれる?」

 どんな時にかは訊かない。口にしなくてもお互いに分かっているから。

「う……うん。浩之ちゃんは優しいよ……とっても。……と、ときどき……凄く……その……イジワルだけど……」

「気持ちよくしてくれる?」

「……………………うん」

 ひかりからの生々しい問いに、あかりは顔を伏せて恥ずかしげにポソポソと答える。その全身は赤く茹で上がり、今にも湯気が出そうになっていた。

「それじゃあ……浩之くんって……上手?」

 さらに続くひかりからの遠慮のない質問。それに、あかりはしばらく考えた後で答を返した。

「……………………分からない」

「分からない? なんで? いつもいつもいーーーっつも浩之くんに可愛がってもらってるんでしょ?」

「わ、分からないものは分からないよ。だって、わたし、浩之ちゃんしか知らないもん。比較のしようがないよー」

「あっ、なるほど。それもそっか。あかりが浩之くん以外の男の子を『知ってる』わけがないもの」

 ポンと手を打って、納得したような表情になるひかり。

「あかりってば、きっとわたしみたいに、生涯夫一筋なんでしょうねー。そうよ。きっとそうだわ。そうに違いないわ。うんうん」

「…………あ、あのー。盛り上がってるところ悪いんだけど……。お、夫っていえば、お父さんはどうしたの? 今日はお休みじゃないの?」

 これ以上こんな恥ずかしい話題を続けられては堪らないと思ったあかりは、母のつぶやきに出てきた『夫』というキーワードに活路を見出し、なんとか話題展開をしようと無難なネタを振ってみた。

「お父さん? お父さんは…………お仕事だって」

 ひかりは、すぐさまその話題に食い付いてきた。
 “ちょっとあからさま過ぎたかな?”と不安を感じたあかりだったが、その心配は杞憂に終わったようだ。
 思わず、ホッと胸をなで下ろして安堵を感じるあかり。

「どうしても抜けられない大事な仕事だって、朝早くから会社に行っちゃったのよ。せっかくの休日なのに」

 そんなあかりの様子を気にも懸けずに、ひかりはブツブツと不満を言い続ける。夫の休日出勤がかなり気に入らないようだ。

「『仕事とわたしとどっちが大事なの?』なんてつまらない事を言うつもりはないわ。そんなの比べられるわけないもの。だけど、だけどね、せめて休みの日くらいは仕事を忘れて構ってくれてもいいじゃない! 思いっ切りイチャイチャしたいじゃない! あかりだってそう思うでしょ!?」

「う、うん。そうだね」

 ひかりの猛烈な勢いに押され、やや顔を引きつらせながらあかりが応える。

「それなのに……それなのに……ああ、それなのに! こーんなに美人で可愛くて若くてキュートでコケティッシュでちょっぴりお茶目さんの妻を放って行っちゃうなんてーーーっ!」

(じ、自分でそこまで言う?)

 心の中で突っ込むあかり。

「けどけど、仕事に熱中してる時のダーリンも格好良くて素敵だから好きなんだけどね

「……………………はいはい」

 愚痴をこぼしているのか惚気ているのか判別の難しい事を宣うひかりを見ながら、あかりが投げやりに返した。

(まったくもう。いつまで経っても頭の中がピンク色なんだから、この万年新婚夫婦は)

 目の前で怒ったり照れたりを繰り返しているひかりを見て、あかりが口には出さずに文句を言った。
【余談だが、約20年後、あかり自身も全く同じセリフを言われることになるのはお約束である】

「でもまあ、そのおかげであかりを呼ぶきっかけが出来たんだし、良かったと言えば良かったのかもしれないけどね」

「え? そのおかげで? なにそれ?」

「だから……退屈になっちゃったから、あかりでもからかって遊ぼうかと……」

 テヘヘと笑いながら、身も蓋もない解答をしてくれるひかり。

「お、お母さん!!」

「あはは。ウソウソ。冗談よ」

 プクーッと頬を膨らませて詰め寄るあかりを、ひかりがヒラヒラと手を振って宥める。

「ホントはね、もっと単純で衝動的な理由なのよ。ただ、急にあかりに会いたくなったの。久しぶりに顔を見て話したくなったの」

 突然、空気をシリアスな物に変えてひかりがポツリとつぶやいた。

「お父さんが仕事に出て、家に一人で残された時に、不意にあかりのことが頭に思い浮かんだのよ。あかりは今、なにをしてるのかな? 元気にしているかな? 最近会ってないな。……って感じでね。そうして……気が付いたら、あかりに電話してたわ。……ごめんね、迷惑かけて」

「ううん。そんなことないよ」

 優しく微笑みながら、あかりが首を横に振る。

「ありがと。…………ねぇ、あかり?」

「ん? なに?」

「前にも言ったけど、たまには、わたしたちにも顔を見せに来なさいね。あかりってば、こっちから呼ばないと全然帰ってこないんだから」

「う゛っ」

 ひかりに苦笑混じりに言われ、あかりが言葉に詰まる。

「毎日顔を見せろなんて言わないけどね。これも以前に言ったけど、わたしもお父さんも結構寂しい思いをしてるのよ」

「……うん。ごめんね」

「まあ、帰ってこないってことは、それだけ浩之くんたちとの生活が楽しいってことなんだろうから、親としては喜ぶべきなんだろうけどね」

「…………お母さん」

 部屋の中が、しんみりとした、それでいて温かみを感じさせる空気で包まれた。

 ―――が、その時、

「ただいま〜」

 ドアが開く音と共に、玄関から声が聞こえてきた。

「あっ、お父さんだ」

 あかりは、視線を一瞬玄関の方に運んだ。そして、母の方に向き直ると ひかりの姿はそこには無かった。

「…………あれ?」

 あかりが不思議そうな顔でキョロキョロしていると、ひかりの声が玄関の方から響いてきた。

「あなた〜。お帰りなさ〜〜〜い

「…………お母さん……い、何時の間に……」

 ひかりの早業にあかりが呆れていると、居間の方に先程までのシリアスな雰囲気を台無しにする夫婦の会話が流れてきた。

「あ〜ん、あなた〜。ひかりん、寂しかったの〜」

「ごめんよ、ひかり。せっかくの休みなのに済まなかったね」

「ううん、いいの。思ってたよりも早く帰ってきてくれたから、ひかり幸せよ」

「埋め合わせと言っては何だけど、明日から三日間の有給を取り付けてきたよ」

「えっ? 本当?」

「ああ」

「きゃーん。ひかりん嬉しいー♪」





「…………な、なんだかなぁ」

 容赦なく耳に飛び込んでくる赤面物の会話に、あかりは思わず頭を抱えていた。

「とても40歳近い夫婦の会話とは思えないよ。もう、ホントに恥ずかしいなぁ」





 ―――5分経過

「それにしても……」





 ―――10分経過

「お母さんたち、こっちに戻ってこないんだけど……」





 ―――15分経過

「もしかして……わたし、ほったらかし?」




 ―――20分経過

「…………………………………………」





 ―――30分経過

「うーーーっ! わたしが……わたしが顔を見せなくて寂しい思いをしてるなんて絶対にウソだよーーーっ! わたしのこと、完全に忘れてるじゃない! あーーーん、お母さんのばかーーーっ!」

 ポツンと取り残されたあかり。
 心からの叫びを上げるが……その声に応える者は……哀しいかな誰もいなかった。





 ちなみに、ひかりがあかりの存在を思い出したのは、それから1時間が過ぎてからのことだった。







< おわり >







 ☆ あとがき ☆

 なんつーか、ひかりんの低年齢化が進んでいるような( ̄▽ ̄;

 しかし、この作品のヒロインはあかりのはずなのに……影が薄いなぁ(^ ^;


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