『強さとは?』




「どうして……どうして上手く出来ないんだ」

 クラブハウスにあるシャワールーム。そこで頭から熱いお湯を浴びながら、僕は呪いの言葉でも吐く様に何度も何度も繰り返した。

「くそっ! どうしてなんだ!」

 ドンと両拳を壁に叩きつけて叫ぶ。

 アウトサイドキック。これが、今の僕を苛立たせているプレーの名前。

 その名が示す様に、足のアウトサイド(外側)でボールを蹴るプレーである。 
 通常、ボールはインサイドで蹴る。コントロールしやすく、容易に狙い通りの場所にボールを運ぶ事が出来るからだ。しかし、相手にコースを読まれやすいのが難点だったりする。
 それに比べて、アウトサイドキックは相手に読まれにくく、意表を突くプレーをすることが出来る。だが、その反面、ボールコントロールが難しい。慣れていないと、とんでもない所に蹴ってしまう事すらある。

 ここ最近、僕はずっとこのプレーを練習しているのだが、いつまで経っても満足のいく結果が得られない。
 どうすればいいのか頭では分かっているのに、それでも上手くいかない。

 イライラする。
 これが、もしも浩之だったら、とっくにマスターしてしまってるのではないだろうか。
 自分の才能の無さに嫌気がさす。

 いっそのこと、サッカーなんてやめてしまおうか、なんて自棄っぱちな思いまでもが浮かんできた。



 ―――そんな事を考えていると、

 カチャッと音を立ててドアが開いた。誰かが入ってきたらしい。
 そちらの方に何気なく目を向ける。
 すると、そこには、良く見知った顔があった。



「やあ、浩之」

「よっ、雅史じゃねーか」

 僕が声を掛けると、浩之は軽く手を挙げて応えてきた。

「同好会。今、練習が終わったとこ?」

「ああ。お前もか?」

「うん」

 浩之からの問い返しに、僕はうなずいて答える。

「そっか」

 浩之は簡単に言葉を返すと、僕の隣でシャワーを浴び始めた。

「ところで、お前だけなのか? 他の連中は?」

 体に勢い良く当たる熱いお湯に心地よさげな顔をしながら、浩之がそう訊いてきた。

「みんなはもうとっくに上がったよ。僕だけちょっと居残り練習してたから」

「居残り? はぁ、相変わらず頑張るねぇお前は」

 浩之が感心した様な、どこかしら呆れた様な口調で言う。

「あんまり張り切り過ぎると体を壊しちまうぞ。それでなくても、お前は他のヤツより細身なんだしよ」

「大丈夫だよ。無理はしてないからね」

 どことなく心配した様な響きが含まれた浩之の言葉に、僕は笑みを浮かべて返した。

「ならいいけどな」

 細身、か。浩之の言った事を思わず胸の内で反芻する。確かにその通りだと思う。もう少し筋肉が付いて欲しい。あと、出来れば身長も。
 僕は、隣にいる浩之にチラッと視線を送った。

「ところでさ」

「ん?」

「浩之って、いい身体をしてるよね」

「……は?」

 唐突とも思える僕の言葉に、浩之がポカンとした顔になる。

「綺麗な肉体をしてるよ。思わず見惚れちゃうくらいな」

「……っっっ!!」

 浩之がズザザッと勢い良く後ずさった。

「な、な、な、何を言い出すんだ、お前は! 俺にはそんな趣味はねーぞ!」

 顔を引きつらせて浩之が叫ぶ。心持ち青ざめてすらいる。

「あのねぇ。そんな趣味、僕にも無いってば。僕はただ、浩之の身体の筋肉の付き方が羨ましいだけだよ。浩之ってば、本当にバランスの取れた体つきをしてるからね」

 苦笑を浮かべながら僕が弁明する。

「なんだよ。紛らわしい言い方するなよな」

 ホッと息を吐いて、浩之が体勢を戻す。その顔には安堵の色がありありと浮かんでいた。

「あはは、ごめん」

「いいけどな、別に。……んなことより、俺の身体ってそんなにバランスが良いのか? 自分じゃよく分からねーけど」

「うん、理想的なくらいだよ。もっとも、優秀なトレーナーにサポートされてるんだから、それも不思議じゃない気がするけどね」

「まあな」

 僕が言った、『優秀なトレーナー』という賞賛に浩之が嬉しそうな表情をする。トレーナーとはもちろんセリオちゃんの事だ。浩之にとって、愛すべき彼女たちの事を誉められるのは、自分の事以上に喜ばしいのだろう。

「あいつは本当によくやってくれてるよ。俺に合ったトレーニングのメニューを一生懸命考えてくれるし、食事の面なんかでも細心の注意を払ってくれるしな。俺の身体が理想的に仕上がっているというのなら、それはセリオのおかげだぜ」

「確かにね、セリオちゃんの貢献度は高いと思う。でも、どんなに優れたメニューだったとしても本人にやる気が無かったら無意味になっちゃうよ。だから、トレーナーが非常に優れているというのは大きな要因には違いないけど、それはあくまでも理由の一つでしかない。結局の所は浩之が熱心に練習してきた賜物であり成果なんだと思うな」

「熱心に、か。まあ、自慢じゃないがやる気だけだったら異様にあるな」

 そう言うと、浩之は腕を組んで、納得した様に何度も『うんうん』とうなずいた。

「『だけ』ってことはないんじゃないかな」

 浩之の言い様に苦笑いを浮かべて応える。

「それにしても、あの飽きっぽい浩之が格闘技に関してはよく続いてるよね。エクストリームってそんなに面白い?」

「『飽きっぽい』は余計だけどな……」

 僕の問いに、浩之は一つ前置きすると、

「面白いぜ、格闘技。マジで夢中になるよ」

 笑みを浮かべて、そう答えた。
 だが、次の瞬間には表情を引き締め、

「……でも、俺が格闘技を続けてるのは『面白いから』って理由だけじゃないけどな」

 と、さらに言葉を続けた。

「え? どういうこと?」

 それに対して、僕は疑問を投げかけた。

「俺……強くなりたいんだ。格闘技が面白いとか上達するのが楽しいとかって気持ち以上に、今は強くなりたいって欲求が大きいんだよ」

 拳を握りしめて、力を込めて浩之が言う。

「なるほどね。まあ、格闘技をやる人だったらみんな同じ様な事を思うんじゃないかな。だけど、浩之は既に十分すぎるくらい強いじゃないか。綾香さんにだって互角に渡り合えるんでしょ? それなのに、まだ不満なの?」

「いや、そうじゃないんだ。俺の言う強さっていうのはそういうのじゃないんだよ」

 浩之が、僕の言葉をやんわりと否定する。

「なあ、雅史。お前は『強い人』ってどんなヤツの事だと思う?」

「え? 強い人? うーん、そうだねぇ……」

 浩之からのいきなりの質問。その問いに僕は、

「やっぱり……何らかの『力』を持ってる人じゃないかな。腕力とか知力、財力に権力とか。単純な解答だけど、僕はそう思うよ」

 少しの間考え込んでから、僕なりの……というか、一般論的な答えを返した。

「そうだよな。そんな風に思うよな。……俺も、以前は同じ様に考えていた」

「考えていた? それって、今は違うってこと?」

 浩之が過去形で言ったことに気付き、僕は確認する様に尋ねた。

「ああ。何て言うかさ……格闘技の訓練を始めてから、『強さとは、力とは何か?』って事を真面目に考える様になったんだ」

「……うん」

「腕力、知力、財力に権力。どれも確かに『力』だ。それも、目に見えやすい分かりやすい『力』。だけど、『力』ってそういうのだけじゃねーと思うんだよ」

 真剣な表情で話し続ける浩之。僕は、それを黙って聞いていた。まるで、魅入られてしまったかの様に。

「例えばさ……全てを優しく柔らかく包み込んでくれる器のでかさ、どんなに悲しくても決して絶やされる事のない笑顔、自分のしたい事を犠牲にしてでも家族の為に頑張り続けた健気さ。……これらも、俺は立派な『力』だと思ってる。そして、そんな『力』を持っているヤツらを、俺は心底『強い』と思う」

 僕には、それぞれが、あかりちゃん・マルチちゃん・雛山さんの事を言ってるのだと分かった。

「それだけじゃねぇ。心の安まる暇のない厳しい環境で育ったのに優しさを忘れなかった者、たった一人でも夢に向かって頑張り続けた者、辛い過去があっても明るさを失わなかった者。俺の周りには、そんな『真の強さ』を持ったヤツがゴロゴロしてる。だから……だからこそ……」

 そこで一旦言葉を止めると、

「俺も強くなりてぇ。あいつらに胸を張れる様な『強さ』が欲しい。その為に俺は格闘技の鍛錬を積んでいる。厳しい練習に耐える事で心を鍛え、いつかはあいつらみたいな『強さ』を得たいから」

 一拍おいてから、力強く言い切った。

「ちょっと古風な考え方かもしれねーけどな」

「そっか。そうなんだ。大丈夫、浩之にだったらきっと得られるよ。僕みたいな軟弱者とは違って、浩之には一度決めた事は何があろうとやり抜く頑固さがあるからね」

 浩之は既にその『強さ』を持ってるんじゃないかな、なんて思いながら僕は言った。

「おいおい、なに言ってるんだ。そのセリフはそっくりお前に返してやるよ。頑固者って言うのなら、お前の方がよっぽど頑固者だろ。そもそも誰が軟弱者だって? 俺は、雅史の事も『強さ』を持ってるヤツだと思ってるんだぜ」

 だが、それは浩之にあっさりと弾き飛ばされてしまった。思いも掛けない言葉と共に。

「ええっ!? ぼ、僕が『強さ』を!?」

「ああ」

 驚きの余り大声を出してしまった僕に、浩之は当然と言わんばかりにうなずいてみせた。

「お前ってさ、サッカーなんかもそうだけど、努力して毎日少しずつコツコツと積み重ねていくタイプだろ。最初は出来ない事でも、根気よく根気よく納得いくまで頑張り続けて、最終的には完璧にマスターしてしまう。俺は、雅史のそんな所を本当に凄いと思ってるんだ。とんでもない『強さ』を感じるよ」

「ほ、誉めすぎだよ」

「誉めすぎなもんか。まだまだ言い足りないくらいだ。俺、マジでお前のこと尊敬すらしてるんだぜ」

 僕の目を見ながら、浩之が真面目な顔で言う。

「ひ、浩之……」

「……なんてな。なんか、らしくねー事を言ってるな、俺。わりぃな、つまらねー話に付き合わせちまって」

「ううん、そんな事ないよ。僕にとっても有意義な話だったからね」

「そっか? それならいいんだけどな」

 そう言うと、浩之は頭から勢い良くシャワーを浴びた。
 そして、しばらくの間その熱さを堪能すると、シャワーを止め、頭を左右に振って水気を切った。

「ふぅ。……さて、俺はそろそろ上がるわ。あんまり遅くなるとあいつらが……っていうか綾香がうるせーからな」

「うん」

「そんじゃお先。またな、雅史」

「うん。また明日」

 僕の言葉に小さく手を振って応えると、浩之はシャワールームから出ていった。



 浩之が出ていったドアを見つめながら、僕は僅かな嬉しさと大きな恥ずかしさを同時に感じていた。

 嬉しさは、浩之が僕を『強い』と思ってくれていた事。尊敬している、などという最高の賛辞を贈ってくれた事。
 恥ずかしさは、僕が自分の原点を忘れていた事。コツコツと少しずつ積み重ねていくという僕の原点を。

 ほんのちょっと練習して上達しないくらいで、僕はどうして嫌気がさしていたのだろう?
 パスもドリブルもそれなりにこなせる様になった事で、自分でも気付かないうちに天狗になってしまっていたのだろうか?
 アウトサイドキックだって、冷静になって考えてみれば、一昨日よりは昨日、昨日よりは今日の方が、些細の差ではあるけれど精度が上がっていたじゃないか。それなのに、なんでイライラしたりしたのだろう?
 一時の気の迷いとは言え、何故、大好きなサッカーを捨てる事などを考えてしまったのだろう?



 いつの間に、僕はこれほどまでに弱い人間になってしまっていたのだろう?



 恥ずかしかった。たまらなく恥ずかしかった。

「また、浩之に教えられちゃったね」

 考えてみれば、僕は子供の頃から浩之に助けられてばかりだった気がする。浩之にはそんな自覚は全くないだろうけど。

「ありがとう、浩之」

 自分の過ちを気付かせてくれた彼に向けて、僕は心から感謝の言葉を述べた。もちろん対象となる相手には聞こえていないのだが、それでも言わずにはいられなかった。

「よしっ!」

 一つ気合いの声を上げると、両手で思いっ切り自分の頬を張った。

 シャワーを止めると、僕は窓の外に目を向けた。
 既にだいぶ暗くなっていたが、それでも何とかボールは見えるだろう。校門が完全に閉じられるまでには、まだ幾ばくかの余裕もありそうだ。



 僕はシャワールームから出ると、急いで服を着た。部活の時にいつも着ているスポーツウェアを。

 そして、僕は再びグラウンドに走り出ていった。



 忘れてしまっていた自分の持ち味を取り戻す為に。

 浩之の言う『真の強さ』に、僕も一歩でも近付ける様に。



 なにより、浩之の親友として、胸を張って彼の隣にいられる様に。



 僕は、再び走り出した。










< 了 >






 ☆ あとがき ☆

 強さとはなんだろう?

 そんな事を考えながら執筆しました。

 SS一本で書ききれる様な単純なテーマじゃないですけどね。








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