『呼び名』



 それは、夕食後の穏やかのんびりとした時間の事。


 俺の視線の先では、

「あーっ! ちょっと待って保科さん! それ待った!」

「ふっふっふ。甘いで神岸さん。勝負の世界は厳しいんや」

「あ、あかりさん、ファイトですぅ!」

 あかりと委員長がオセロに興じていたり、その横でマルチが必死に声援を送っていたり、

「ねえ、リオ。ちょっーとオネガイがあるんだけど……」

「あ、あの……わたしからも……」

「なんですか? 宮内さんにセリオちゃん」

「オコヅカイ……500円でいいから前借りさせて欲しいんだけど……」

「できれば……わたしも……その……」

「……………………」

「り、リオ?」

「ひ、雛山さん?」

「ダメです。却下です。不許可です」

「……そ、そこをなんとか……」

「…………とりつくシマもなしですか…………しくしく」

 レミィとセリオが理緒ちゃん相手に無駄な努力を繰り広げていたり、

「綾香さん! 動かないでくださいってば!」

「ひ、姫川さ〜ん。もう勘弁してよぉ〜」

「なに言ってるんですか。まだ30分も経ってませんよ。最低でも、あと2時間は付き合ってもらいますからね」

「……ううっ……絵のモデルなんか引き受けるんじゃなかった」

 琴音ちゃんが、よりにもよって綾香相手に『おとなしく』なんて無理難題を吹っかけていたり、

「芹香さん、よろしかったらちょっとここを教えてもらえませんか?」

いいですよ松原さん。えっと、これはですね……

 葵ちゃんが芹香に勉強を見てもらっていたりしていた。



 ぶっちゃけた話、いつもの光景である。

 あるのだが……俺はさっきからある事が気になって仕方がなかった。

 いや、本当はずっと前から気にはなっていたのだ。ただ言い出すきっかけがなかっただけで。
 別に放っておいても実害はなかったし。

 もっとも、いつかは直さなければいけない事でもあったのだが。

 それでも、いつもだったら「ま、そのうちにな」で済んでいたのだ。
 なのに、今日は何故か無視できないほど気になってしまっていた。
 どうしてかは自分でもよく分からないが……まあ、人の気持ちなんてそんなもんかもしれない。

 だが、まあ良い機会だとも思える。これも一種のきっかけかもしれないしな。いつかはやって来る『そのうち』が『今』だっただけだ。

 胸の中で自分に言い聞かせると、俺は腹を括った。

「あのさ、みんな。ちょっといいかな?」

 俺が声をかけると、みんなは異口同音に『なに?』と応え、こちらに視線を向けてきた。

「その……なんつーかさ……俺たちは家族だろ?」

 そう言うと、みんなは『何を当然の事を』と言いたげな顔をしながらも素直に頷いた。

「だったらさ……何時までも苗字で呼び合うのって変じゃねーかな? てか、変だろ?」

「それは……まあ……変、かな」

 ちょっと小首を傾げながらも同意するあかり。

「確かにそやね。なんか他人行儀やし」

「ウンウン。ヒロユキの言うとおりだと思うヨ」

「だろ? だからさ……これからはみんな名前で呼び合わないか? いきなり呼び捨てにしろとは言わないけど、少なくとも、名前にさん付け程度にはしようぜ」

「そうね。良いんじゃない。あたしはオーケーよ」

 俺からの提案に綾香が即座に賛成してくれた。
 それにつられるように、他のみんなも口々に賛同する。

「よし、決まりだ。
 では、あかり……お手本として委員長の名前を呼んでみそ」

「え? あ……うん」

 あかりは俺の言葉に首肯すると、委員長に顔を向けて、

「えと……そ、その……と、とも……智子……さん」

 恥ずかしげに名前を呼んだ。

「……う゛っ」

 呼ばれた委員長の方も、あかり同様に照れたらしい。
 頬が面白い様に赤く染まる。

「ほらほら。委員長もあかりに返してやれよ」

「…………そ、そやな。
 ……………………コホン。
 で、では……こ、これからは名前で呼ばせてもらうわ。
 ……あ、あかり……さん」

「…………う、うん」

 まるでお見合いでもしているかのように真っ赤になるあかりと委員長。
 第三者として見ている分にはかなり笑える光景だった。
 俺もみんなも、二人の微笑ましすぎるやり取りを見て、肩を震わさずにはいられなかった。

「ひ、ひどいよみんな。そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「まったくや」

 あかりと委員長が不満気にくちびるを尖らせる。

「みんなだって他人事じゃないんだよ。
 …………もちろん、浩之ちゃんだってね」

「へ? お、俺?」

「そうだよ。浩之ちゃんだって、これからはちゃんと名前で呼ばなきゃいけないんだよ。
 ほし……智子さんの事を『委員長』じゃなくて『智子』ってね」

「うぐっ」

 あかりからの反撃に、思わず言葉を詰まらせる俺。

「それもそうですね。家族への呼び名としては、『委員長』というのは相応しくないですもの」

 ご丁寧に、琴音ちゃんが追い打ちをかけてくれた。

「まったくやな。うんうん。みんなの言うとおりや。
 そんなわけやから、今後はわたしの事は『委員長』やなくて『智子』で頼むわ。
 なっ、ひ・ろ・ゆ・き♪」

「うぐぐっ」

 やぶ蛇。
 俺はその言葉を嫌ってほど実感していた。
 だが、そんなものは後の祭りなわけで……。

 また、自分から言い出した以上、それを拒否する事など出来るはずもなく……。

「……分かったよ。分かりました。…………智子」

 俺は『委員長禁止令』を受け入れたのであった。

 智子と呼んだ時、顔から火が出そうなほど照れくさかったのは……ここだけの秘密だ。

「と、とにかく……」

 俺は『コホン』と一つ咳払いをすると、

「これからはみんな名前で呼び合おうと思います。賛成の者は挙手をお願いします」

 冗談めかして議会っぽく言った。

『はーい』

 結果、この案は全会一致で可決された。



 これにて一件落着。めでたしめでたし。よよよいよい。





 ―――で、その日以降、俺たちはファーストネームで呼び合うようになった。

 まだちょっぴり恥ずかしそうにしていたり、たまに言い間違ったりしているが、じきに慣れるだろう。



 俺も、一日も早く慣れるように思いっ切り努力している。





 なぜなら……





「あ、そうそう委員長。この間の件だけど……」

「……………………」

「? 委員長?」





 さもないと……





「『委員長』やなーーーい!」

 スパコーーーーーーン!

「ぐはああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」





 俺が危険だ。









< おわり >





 ☆ あとがき ☆

 この件の話は本当はもっと早く書かなければいけなかったのですが……

 とにかく、これで呼び名については解決ってことで。

 ……たぶん、ね( ̄▽ ̄;





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