「―――というわけで、きみの昇進はまた流れちゃったよ。済まなかったね、力になれなくて」
私は藤田君に頭を下げた。
「はい? なんで主任が謝るんです? 気にしないで下さいよ」
私の謝罪を聞いて、藤田君は笑顔を浮かべて手をヒラヒラと振った。
「そもそも、俺は昇進も昇給も興味ないです。俺の給料を上げるくらいなら、ここの予算を上げてほしいですし」
冗談めかして言う藤田君。
「うーん、私としてもそっちの方が嬉しいかもしれないけどさぁ」
私は苦笑するしかなかった。
「それにしても、芹香会長は厳しいねぇ。藤田君に対しては本当に容赦ないよ」
「あはは、確かに要求するハードルが高いかなって感じる時はありますね。
でも、それって俺のことを期待するが故の厳しさですから、別に嫌だとか辛いだとかは思わないです」
心底そう思っているのだろう。彼の言葉には強がりが全く感じられなかった。
「まあ、会長モードに入ってる時の芹香はちょっと厳しいくらいで良いんですよ。家では俺が完全に主導権を握っていて、尚かつ厳しくしちゃったりすることもあるから、そうすることでバランスも取れますし」
頬を掻きながら藤田君が言う。
「厳しく、ねぇ」
芹香お嬢様に対する『厳しく』っていうのが何の事かいまいち理解できなかったが、あまり家庭内のことに踏み込むのも悪いかと思い、私は曖昧な返事をするに止めた。
「はい。厳しく、です」
「……はあ、厳しく、ねぇ」
その頃、会長室では……
「姉さん! 何を考えてるのよ!」
「まったくや! いくらなんでも厳しくしすぎやで」
「芹香さん……鬼ですね」
芹香が、綾香・智子・セリオの三人から叱られていた。
「……だ、だって……」
「「「だってじゃない!」」」
「……うう……」
集中砲火を浴びて身を縮ませる芹香。
胸の前で、人差し指を突っつき合わせている。
先程の毅然とした態度がウソの様だ。
「それだけ期待してるってのは分かるわ。だけどね、限度ってものがあるのよ!」
「……はい……」
綾香の叱責の声を聞きながら、芹香は『確かにちょっと厳しすぎましたね。今度また何か浩之さんが功績を残したら、その時はすぐさま昇進させてあげましょう』と心に決めるのであった。
……が……
普段は聖母のように優しい芹香も、会長モード時は――浩之限定で――限りなく厳しくなってしまう。
ちなみに、先程のような誓いは、既に芹香の中で何度も何度も何度も繰り返し行われてきたということを明記しておく。
つまり、全く守られていないわけで……
芹香の決意とは裏腹に、浩之が昇進できる日は果てしなく遠い……のかもしれない。
―――次の日
「おや? 会長はどうしました?」
室内を見回しながら私は尋ねた。
「えっと……今日はお休みなのよ」
その問いに、非常に言い辛そうに綾香さんが答える。
「昨晩、浩之さんに厳しくされてしまったもので……今日は大事をとって自宅療養です」
「芹香さん、足をガクガクさせとったもんなぁ」
どことなく遠い目をするセリオと智子さん。
それを見て、
(なるほどねぇ。厳しくってのはそういうことか)
昨日の藤田君との会話を思い出し、
(芹香会長とは対照的に藤田君はピンピンしてたし。……確かにバランスが取れてるわ、こりゃ)
私は、妙に納得してしまうであった。
「……バランス、取れてますか? 本当に? とてもそうは思えないんですけど……。浩之さんの方が絶対に厳しいです……しくしく」