「いてててて。マジで痛いって! いい加減に放せよ!」

 通い慣れた通学路を、左右の耳を引っ張られているという状態で歩きながら浩之が叫んだ。

「うるさい。これもお仕置きの一環なんだから我慢しなさいよね」

……我慢して下さい

 浩之に責め苦を与えている張本人、綾香と芹香がシレッとした顔で応える。

「ま、少なくとも、学校に到着するまではこのままやな」

「仕方ないよね。お仕置きだもん」

 智子とあかりがお互いの言葉に同意して『うんうん』と頷いた。

「お、お仕置きって、俺が何をしたって言うんだよ〜」

 トホホと言いたげな情けない顔をして浩之が抗議するが、その声は全員に黙殺された。





『お仕置き決定』




 浩之がこのような仕打ちを受けているのにはそれ相応の理由があった。

 時は少し遡る。


「おはようございます」

 朝。浩之たちが出かける直前に、メイド服を着込んだ数人の女性が藤田邸にやって来た。
 来栖川から派遣されてきたハウスキーパーたちである。

 藤田邸は広い。その為、学校のある浩之たちでは掃除をしきれない。どうしてもやり残しが出てしまう。あかりやセリオといった家事に長けた者がいたとしてもである。
 従って、週のうち月・水・金の三日、来栖川系列のハウスクリーニング会社の人間が出張ってきてくれることになった。
 当初は、『そこまで甘えるわけにはいかない』と断っていたのだが、翁直々に是非にとも言われ、また掃除が滞っていたことも事実だったので、結局はその厚意に甘えることにした。
 ちなみに、彼女たちは浩之たちの自室には絶対に立ち入らない。掃除するのは、客間等の普段手が回せないような場所だけだった。特に打ち合わせをしたわけではないが、この辺は暗黙の了解というものである。

「あ、おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」

 ハウスキーパーたちを出迎えたセリオが、そう言ってペコリと頭を下げる。

「はい、お任せ下さい」

 一同のまとめ役と思われる女性が柔らかな笑みを浮かべて応えた。

「それでは、失礼いたします」

 一礼しながらそう口にして、リーダー格の女性が邸内に入る。
 それに続いて、後ろで控えていた者たちも、浩之やあかりたちに挨拶しつつ入ってくる。

「……あっ!」

 浩之たちの方に気を取られていたのか、最後に入ってきた一番年齢の若そうな女性が、玄関で足下不注意の為に躓いた。

「わ、わ、わ、わ」

 腕をバタバタ振ってなんとかバランスを保とうとしたが、その努力は報われず、

「はわ〜」

 マルチのような声を上げて前方に豪快にダイブ。

 その女の子は、痛みが襲いかかってくるのを覚悟した。

「……あ、あれれ?」

 しかし、衝撃はいつまで経ってもやって来なかった。それどころか、温かで力強い、不快とは無縁な何とも心地よい感触に包まれる結果となった。
 どうしたんだろうと思って顔を上げると、そこには、

「おいおい、大丈夫か?」

 この邸宅の家長である浩之の顔があった。
 どうやら、転びそうになった自分を抱き留めてくれたらしい。

「は、はいぃ。だ、だ、大丈夫ですぅ」

 声を上擦らせながら返事をする。ドキドキと鼓動が高まっていくのが止められない。

「そっか。それなら良かった。ちゃんと足下にも気を付けないとダメっすよ」

 しょーがねーなぁと言いたげな優しい瞳で見つめてそう諭す浩之。

「は、はいです。以後、気を付けますです」

 それを見て、女の子は、頬を見事なまでの赤色に染め上げてしまった。

 玄関先に、何とも表現しがたい桃色の空気が漂う。

 ―――が、そんな物が長続きするはずがなかった。

「ひ・ろ・ゆ・き〜」

 顔の筋肉をピクピクと引き攣らせながら、綾香が浩之の右耳を力一杯引っ張った。
 結果、浩之と女の子の体が引き離される。

「いてててて! な、何しやがるんだ!?」

「いつまで抱き締めてるのよ、あんたは。あたしたちの目の前で他の女の子とラブラブムードを作るなんて良い度胸してるじゃない」

「ち、ちょっと待てよ。俺は抱き留めただけであって別に抱き締めたわけじゃない。そもそも、不測の事態だったんだから仕方ないだろうが。お前の言い分は言い掛かり以外の何物でもないぞ」

 綾香の方に顔を向けて、浩之が無罪を主張した。

……問答無用、です

 聞く耳持たずといった風情で芹香が言う。浩之の左耳を引っ張りながら。

「せ、芹香まで!? い、いてててて! 引っ張るなよ! お、おい! マジで痛いって! おいってば!」

 抗議の声も虚しく、二人に引きずられていく浩之。
 まさに『連行』という言葉がピッタリな情景だった。

「それじゃ、わたしたちももう行きますね。あとのことは、よろしくお願いします」

 あかりが満面の笑顔でそう言って、ハウスキーパーたち一人一人に丁寧に頭を下げた。
 もっとも、こめかみの辺りはちょっぴり引き攣っていたりしたが。

「は、はい。行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」

 ニッコリと笑って挨拶すると、あかりは玄関から出ていく。
 次いで、智子やマルチたちも同様に挨拶して家を後にした。





 それから暫く経ち、全員の姿が視界から消えたのを確認して、リーダー格の女性がポツリと呟いた。

「みなさんから怒りのオーラが漂っていたわね。浩之さん、大丈夫かしら? 五体満足で帰ってこられればいいけど」

 もちろん、その問いに答えられる者など誰もいなかった。

「ところで、あなた」

 まとめ役の女性が、先程浩之に助けられた女の子に視線を向けた。

「は、はいです!」

 その子は、浩之に抱かれた余韻に浸りきって『へにゃ〜』とした表情をしていたが、かけられた声にハッと我に返った。
 そして、先程のドジのことを怒られるのかと思って顔をグッと強張らせる。
 背筋もピーンと伸びていた。

 だが、彼女への言葉は全く予想外の物だった。

「これからもその調子でね」

「へ? そ、それってどういう……」

「さあ。それじゃそろそろ仕事を始めましょう!」

 リーダーの女性は、女の子に最後まで言わせずに遮って、パンパンと手を打ち鳴らして、仕事の開始を宣言した。

「ほら、あなたも。今日も頑張りましょう」

「は、はい」

 言われた女の子は、釈然としない顔をして不思議そうに首を傾げながらも、素直に自分の持ち場に向かっていく。

 それを見送りながら、

(非常に好ましいアクシデントだったわ。あの方もきっとお喜びになるはず。うふふ、うふふふふ)

 まとめ役の女性は、企みの成功を喜ぶようなニヤリとした笑みを浮かべていた。





○   ○   ○





「やれやれ。浩之さんってば、本当に無意識に女の子を口説くんですから。油断も隙もあったものじゃないですね」

「ウンウン。ヒロユキってナチュラルなプレイボーイだよネ」

「まったくやな。しっかし、これだけの人数に囲まれていて、まだ足らんのやろうか?」

「浩之ちゃん……そうなの? 足りないの?」

「ううっ。誤解なのに……」

 セリオ・レミィ・智子・あかりに言いたい放題に言われ、浩之はシクシクと涙を流していた。

「俺、何も悪いことしてないじゃないかよ。なにか? それだったら、あの状況で放っておけって言うのか? 助けなかった方が良かったのか?」

 肩を落として浩之が零す。

「うーん、それもちょっと。そんなのらしくないと思うし」

 口元に指を添えて理緒が首を傾げる。

「そうですね。らしくないですよね。それに、本当に勝手な言い草で申し訳ないんですけど、あの場面で手を差し伸べないようでしたら、ちょっと見損なっちゃってたかもしれませんし」

 その意見に葵も同意した。

「やっぱり、浩之さんは女の人に優しくないといけませんよねぇ」

 マルチも首をコクコクと縦に振って続いた。

「見捨てるなんてことしたら、それこそ本気でお仕置きですよね。滅殺しちゃいます」

 そして、最後を締めるかのように、琴音がさも当然のように言い切った。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ、俺はどうしたらいいんだ? 助けてもお仕置き、助けなくてもお仕置き。どっちにしてもアウトじゃんか」

「世の中ってのはそういうもんよ。ま、その辺は仕方ないこととして諦めてもらうしかないわねぇ」

 浩之の嘆きを綾香がサラッと流す。

「なんだよそりゃ!? そんなの有りかよ〜!?」

「有り。というか、あたしたちを綺麗に無視して、他の女とラブラブな空気を作り出した浩之が悪いのよ。まあ、抱き留めた所まではオッケーとしても、その後すぐに離れなかったのは大きなマイナス点よねぇ」

……浮気はいけないと思います

「だーかーらっ、それは誤解だって! ラブラブだの浮気だの、俺には一切そんな気はねぇっつーの!」

 浩之は、その後も熱心に自分の無実を説いた。何せ、このままではお仕置き確定なのだ。従って、浩之は必死になって自分の正当性を主張した。

 しかし、浩之がどんなに弁解しようと女性陣は聞く耳を持ってくれず、学校から帰った後、宣言通りに本格的なお仕置きは決行された。

 ……お仕置きの内容に関しては明言を避けさせていただく。凄惨すぎて、ここで語ることは憚られるため。



 もっとも、

「おいおい。お前らの方が先に音を上げてどうするんだよ? ったく、情けねーなぁ」

 それが浩之にとってお仕置きになったかどうかは甚だ疑問ではあるが。





○   ○   ○






「大旦那様。一つお尋ねしてもよろしいですか?」

「どうした?」

「現在、藤田様のお宅へハウスキーパーを派遣しておりますが……」

「長瀬よ」

 長瀬――セバスチャン――の言葉を遮るように、来栖川翁が右手を軽く挙げた。

「はい。なんでございましょう?」

「ハウスキーパーなどという無粋な呼び方をするな。藤田君の所へ行かせているのは『来栖川メイド部隊』だ。以後、間違えぬようにな」

「……は? 来栖川メイド部隊、でございますか?」

 目を点にして、セバスが確認するように聞き直した。
 その問いに、「うむ」と至極簡潔に答える来栖川翁。

「何故にそのような名称をお付けになりましたので? ハウスキーパーでは何か不都合でも?」

「その方が萌えるのでな」

「も、萌える……でございますか?」

 セバスが尋ねると、翁は鷹揚に頷いた。

「はあ。さようでございますか」

 よく意味が分かっていない顔をしながらも、セバスは一応納得したような態度を取った。

「それはそれとしまして……ハウス……もとい、メイド部隊でございますが、何故ゆえにあのような人選となっているのでしょう? 技術よりも年齢と容姿が選抜基準となっているように見受けられますが」

「当然だ。若くて美しい者を選んでいるのだからな」

「ど、どうしてそのようなことを?」

 長瀬の問いに、翁は『フッ』という笑みを洩らす。

「大旦那様?」

「知れたことよ、長瀬。全てはシナリオの為だ」

 そう言って、翁は不気味とも表現できるイヤすぎる笑みを零した。

「シナリオ……でございますか?」

 セバスは訊いた。シナリオという単語に一抹の不安を感じながら。
 本当はあまり知りたくはなかったのだが、翁が話したがっているのが感じられたので、立場上訊かざるを得なかったのだ。

「うむ。私が発案した『適度なジェラシーは恋愛のスパイス。可愛い娘を派遣して藤田家女性陣にヤキモチを妬かせちゃおう! 愛のテコ入れ大作戦』のな」

 得意満面の表情で翁が言う。
 対するセバスは、口をあんぐりと開けて、見事なまでに呆然としていた。
 正確には呆れ返っていた。

「やはり、恋にはある程度のトラブルが必要なもの。その為、このシナリオでは……」

 手振りを交えながら翁が熱弁を振るう。

 それを呆けた顔で聞きながらセバスは、

(大旦那様……ここまでお壊れに……)

 心の中で慟哭していた。

(来栖川安泰の為には、一刻も早く芹香様に会長職に就いてもらう必要があるかもしれませんな)

 そんなことを、半ば本気で考えてしまうセバスチャンであった。








< おわり >






 ☆ あとがき ☆

 なんか、浩之って立場低っ!Σ( ̄□ ̄;

 とまあ、それはさておき。

 はい、全ては翁の暗躍です(;^_^A

 この人もどんどん壊れキャラになっていきますねぇ。

 取り敢えず、セバスという外付けの良心回路が付いていますから、本当にヤバヤバな事はしないとは思いますが。

 もしかしたら、某キ○イダーの様な不完全な物かもしれませんけどね( ̄▽ ̄;<良心回路




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