『両手にお花を』



「んぐんぐんぐ……ぷはぁ。ああっ、この一杯の為に生きてるって感じだな。……ん? どうした、千早、春香? お前たちも飲め飲め」

「遠慮しておきます。私たちは未成年ですから」

「そうですか? それじゃ私も……」

「……って、春香!」

 プロデューサーに言われるままに缶ビールに手を伸ばした春香。私はその後頭部をペシッと叩いた。

「いたっ。じょ、冗談だってば、冗談」

「……どうだか」

 思わずため息。冗談、とは言いつつも春香の目は名残惜しげにビールへと向けられたまま。これでは信憑性など欠片も有りはしない。
 まったく。どうせ飲めもしないくせに。
 プロデューサーがあまりにも美味しそうに飲んでいるから興味が湧くのは分かる。自分も飲んでみたいという気持ちになるのも理解できる。けれど、一口含んだだけで涙目になるのは火を見るよりも明らか。パートナーとしては、阻止できる惨状は防いであげるのが人情というものだろう。まあ、瞳をウルウルさせて「千早ちゃん。これ、にが〜い」と悶える春香も見てみたくはあったが。面白そうだし。

「うん? 私の顔になんか付いてる? 千早ちゃん、ちょっとニヤニヤしてるよ」

「別に。なんでもないわ」

 不思議そうな顔をして小首を傾げる春香に、私は軽く微笑んで返す。

「それにしても……」

「なに?」

 私は視線をこの場に居る唯一の男性へと向けた。

「プロデューサー、さっきから凄い勢いで飲んでるわね。大丈夫なのかしら?」

「そうだね。普段はお酒なんて殆ど飲まないのに。でもまあ、今日くらいはいいんじゃない? お祝いなんだし」

「……そう、ね」

 事務所の一室を借りてのささやかな宴。それは私たちの成果を祝って催された。
 私と春香のユニット『AIEN』のCDが100万枚を超えるセールスを達成したのだ。その報に私たちは手を取り合って喜んだ。
 道のりは決して順風満帆だったとは言えない。何度も意見を衝突させたし、ケンカもした。オーディションに落ちて悔し涙を流したことは一度や二度ではない。ユニット解消が囁かれた事だってある。あのユニットでは通用しない、そう陰口を叩かれた事だってある。
 そんな今までの苦労を思えば、一日くらい羽目を外しても罰は当たるまい。

「でも、いくらなんでもあれは飲みすぎじゃないかと思うけど」

 私の視線の先には真っ赤な顔をしたプロデューサー。彼の前には空になったビールの缶が山になっていた。

「あ、あはは。プロデューサーさん、さっきよりもペースが上がってるね」

 春香が頬を引き攣らせて乾いた笑いを零す。それも致し方ないだろう。空き缶の増え方が尋常じゃない。少し目を離した隙に、とんでもない数のビールが消費されていた。
 さすがにこれはちょっと危険では?

「プロデューサー。その辺にしておいて下さい。明日だって仕事があるんですよ」

 私はお酒を取り上げようと彼に近付いた。
 先に断っておく。他意は無かったのだ。これっぽっちも。

「ちはやぁ、おまえものめのめ」

「飲みません。しっかりしてください、プロデューサー。言葉が全部平仮名になってますよ。……まったく。お酒はもうダメです。これ以上は体にも毒ですから」

 ため息を吐きつつ、お酒を奪おうと手を伸ばす。
 ――が、ビールに届く前にその手をプロデューサーに取られ、グイッと引っ張られ……

「え? え? ええっ?」

 バランスを崩したっ、と思った次の瞬間には、わたしの体はプロデューサーの腕の中にすっぽりと納まっていた。

「ふぇっ!? ぷ、ぷぷぷぷぷ、ぷろでゅーさー!?」

「おれのこときづかってくれるのかー。ちはやはやさしーなー。いいこいいこ」

 プロデューサーは私を膝の上に座らせると、狼狽っぷりを華麗にスルーして頭をナデナデ。

 酔ってますね。これは完全に酔ってます。
 そうでなければ、あの朴念仁のプロデューサーがこんな嬉しい……もとい、大胆で破廉恥なことをしてくるはずがありませんから。

「や、やめてください、プロデューサー」

 そう言いつつも、私は彼の手を振り払うことが出来なかった。
 プロデューサーに出会う前までの私なら、頭をナデナデなどされたら『子供扱いしないで下さい。失礼ですよ』とでも言っていただろう。不快な気分になっていたかもしれない。けれど、今の私にはとても好ましく、心地好く感じられた。いつまでもこのまましていて欲しい、プロデューサーに触れられていたい。そんな思いすら抱いていた。

 やっぱり、私はプロデューサーのことが……。

 いつしか私は全身から力を抜き、彼に身を委ねていた。
 そして、導かれるように、両の腕をプロデューサーの体に、

「はっ!?」

 絡めようとしたところで気が付いた。ビシビシと突き刺さってくる視線に。
 くっ、私としたことが。雰囲気に浸ってしまい、春香の存在を素で忘れてしまっていた。それはもう綺麗サッパリと。

「え、えっと。違うの、春香。何が違うんだかよく分からないけど。ちょっぴりウットリとかしちゃったけど。ときめいちゃってたりもしたけど。でも、とにかく違うのよ、春香」

 言い訳になっていない言い訳を口にしつつ、恐る恐るといった仕草で振り返る私。
 そんな私を出迎えてくれたのは、

「千早ちゃんだけずるい。私だってプロデューサーさんとイチャイチャしたいのに」

 人差し指を咥え、心底羨ましそうにしている春香の姿だった。
 呆れや放置された怒り、そういった類の表情を想定していた私は少しだけ肩透かしを食らった気分に。
 ――っていうか、別にイチャイチャなんてしていません。……してない、ですよね? 確かに甘い雰囲気を醸し出してしまった気もしたりしますが、あれくらいならイチャイチャではない、ですよね?

「プロデューサーさん、私も千早ちゃんみたいに甘えていいですか? 私のこともナデナデしてください」

 だ、だから、私は甘えたりなど……。
 彼女の言葉に動揺してアタフタしている私を余所に、春香はトコトコと近付いてくるとプロデューサーの隣に腰を下ろした。そして、彼に潤んだ瞳を向けて、上目遣いで再度「私にも千早ちゃんみたいにナデナデしてくれますか?」とおねだり。
 春香の様な可愛い娘にそんなことを言われ、断れる男性がどれだけいるだろうか。
 取り敢えず、私のすぐ傍に居る人は断れない側だった。

「もちろんだぞぉ、はるか。ほら、いーこいーこ」

 少し訂正。『断れない』ではなく『断らない』が正解だった。
 寧ろ、自分から積極的にナデナデしています。やれやれ、です。
 ――それにしても。
 改めて言うまでもないが、今の私たちは凄いことになっていた。
 一人の男性に二人の女性がベッタリとくっついている。第三者が見たら眉を顰めること疑いなしの光景だった。

「まったく。傍から見たら、両手に花のハーレム。担当アイドルに手を出す鬼畜プロデューサーの図ね。……まあ、強ち間違ってはいない気もするけど」

 思わず、といった感じで私の口から言葉が零れ落ちた。
 それを聞き、春香がクスクスと笑う。

「確かにね。ふふっ。こんなとこ、社長とか小鳥さんが見たらきっと驚くだろうね」

「ええ」

 頷きつつも私は少しだけ思った。その二人だったら『ああ、やっぱり。いつかはそんなことになるんじゃないかと思ってた』なんてセリフを笑顔でサラッと言いかねない、と。
 ――それはさておき。

「ねえ、春香?」

「なに?」

「もしも、もしもよ」

 私はそう前置きすると、一つ小さな吐息を零してから言葉を切り出そうとした。
 しかし、それを春香が手で制する。

「言わなくてもいいよ。分かってるから。……いいよ。私、千早ちゃんとだったらいいよ。寧ろ望むところかも」

「はる、か?」

 目をパチクリさせる私。
 そんな私にクスッと微笑みかけると、春香は――さすがにお酒が回ったのか、ウトウトし始めていた――プロデューサーに尋ねた。

「プロデューサーさん。私と千早ちゃんのこと、好きですか?」

「ぅえ? ああ、もちろんだよ。ふたりともだいすきだー」

 瞼を閉じたまま、半分以上眠りに落ちているであろう表情で、それでいてハッキリと答えを返す。
 そのプロデューサーに、尚も春香は畳み掛けた。

「それはアイドルとしてですか? 女の子としてですか?」

「おんなのことしてに、きまってるじゃないか。はるかも、ちはやも、あいしてるぞー」

「だってさ」

 春香が真っ赤な顔を私に向けてくる。
 それも致し方あるまい。あんな大胆な質問をして、尚且つ想いを寄せている相手から『愛してる』などと言われてしまったのだから。
 因みに、私も同様の顔色をしている気がする。頬が異様に熱い。

 ――し、しょうがないじゃないですか。不意打ちで『愛してる』だなんて……そんなの反則です。卑怯です。ずるすぎです。

「これで何の問題も無しだね」

「そ、そうなのかしら?」

「そうだよ。だって、プロデューサーさんは私と千早ちゃんが好き。私はプロデューサーさんと千早ちゃんが好き。千早ちゃんは?」

 瞳に確信の色を浮かべて尋ねてきた。訊くまでもないけど、と言わんばかりの口調で。

「わ、私は……春香の事はもちろん好きよ。プロデューサーの事だって……その……えっと……嫌いでは、ない、わ」

「だよね。ほら、やっぱり問題ないじゃない」

 心底嬉しそうに春香がニコニコと微笑む。

 ――い、いや、問題はあるでしょ。人として、倫理的に。

 でも、それなのに、

「そ、そうね。問題ない、わね」

 私はそう答えてしまっていた。
 後にして思えば、勢いで強引に押し切られてしまったという気がしなくも無い。そして、それは事実だろう。
 しかし、春香からの『提案』に抗いがたい魅力を感じてしまったことも間違いなく事実だった。

「うん♪」

 私の答えを聞いて、春香が満面の笑顔で頷いた。
 釣られた様に私も笑みを返す。
 ある意味、誓約の交わされた瞬間だった。

 正直言って、やはり問題はあると思う。こんな関係、世間的には絶対に認めてもらえない。
 けれど、それを理解した上で、敢えて私は胸の内で繰り返した。

 そうね。何の問題もないわ。

 すっかり眠りに落ちてしまったプロデューサーの顔を見つめ、共犯者である春香と微笑み合い――もう一度だけ、繰り返した。



○   ○   ○




「……何がどうしてこういう事になってるのでしょうか?」

 次の日の朝。目を覚ましたプロデューサーの口から零れ落ちたのは困惑の言葉だった。
 それも無理からぬことだろう。
 私と春香にピッタリとくっつかれていたのだから。
 左右の腕を二人に抱き締められた上で、「おはようございます」の合唱をされれば大抵の人は驚くに違いない。

「え、えっと……」

 頭の上に大量の『?』を浮かべているプロデューサーに、私と春香は揃って極上のスマイルを向けた。

「プロデューサー」

「これからも、私たち二人のこと」

「あ、愛し続けてください」

「私たちもプロデューサーさんのこと、大好きです。ずっと、ずーっと、三人一緒にいましょうね」

「え? えっ? な、何を言って……えええーーーっ!?」

 思いっきり動揺の色が見える叫びを上げるプロデューサー。
 そんな彼に、私たちは体を摺り寄せて追い討ちした。

「昨日のプロデューサーさんの言葉」

「とても嬉しかったです」

「き、昨日!? 俺の言葉!? な、何を言ったんだ!? いったい何を言ったんだぁっ!? 俺は何か凄い発言をしてしまったのかっ!?」

「はい。してしまったんですよ、プロデューサーさん」

「言うまでもありませんが、前言撤回の類は一切認めませんのであしからず」

「の、のおおぉぉぉっ! お、俺は何を言ったんだ!? 頼むから教えてくれぇっ!」

 プロデューサーからの問いを私と春香はニコニコ顔でスルー。

 ――昨夜は私たちがドキッとさせられたので、実に勝手ながら今度はこちらがプロデューサーをドギマギさせる番に決定なのです。

 彼の叫びを耳にしながら、悪戯っぽい微笑を交し合い、そう目と目で会話する私と春香だった。

 めでたしめでたし。