身動きの取れないあかりたちに代わり、浩之が一人で挨拶回りに出ていた時のこと。



『おじじ』




 皆が揃って床に突っ伏していると、『ピンポーン♪』というチャイムの音が聞こえてきた。

「あっ、お客さんかな?」

 反射的にあかりが立ち上がろうとする。
 ――が、次の瞬間、腰を押さえてヘナヘナとへたり込んでしまった。

「……ううっ。動けなひ」

 あかりの目から幅広の涙がダバダバと流れ落ちる。
 一同の間に何とも痛ましい――お労しい――空気が流れた。哀れさに直視できず、目を逸らしているのも数名。

「仕方ないわね。あたしが行ってくるわ」

 よっこいしょと言いながら、綾香が無理矢理に身体を起こす。

「……綾香さん、大丈夫なんですか?」

「大丈夫……ではないけど。でもまあ、それなりに鍛えてるから、あかりや姉さんたちよりは体力が残ってるしね」

 セリオの問いに苦笑しつつ答えると、綾香は玄関の方へと歩いていった。腰に刺激を与えないようにおそるおそるといった感じで。

「綾香さん、凄いです。まだ歩けるだけの体力が残っているだなんて。やっぱり憧れちゃいます。わたしも負けないようにもっともっと頑張らないと!」

 瞳をキラキラと輝かせて感動している葵。
 そんな彼女を横目に見ながら琴音と芹香が、

「綾香さん、本当に体力なんて残ってるんでしょうか? とてもそうは思えないんですけど」

「単にやせ我慢してるだけでしょうね。綾香ちゃん、弱みを見せるの嫌いですから」

 苦笑いを浮かべ合って肩を竦めていた。
 それを耳にして、あかりたちが口々に「なるほどねぇ」と呟いた。綾香の姿を追うように、皆の目が自然と玄関の方へと向けられる。
 すると、まるでその視線に応えるかのようなタイミングで綾香の声が聞こえてきた。「えっ!? お、お爺様!?」という驚きの声が。

「……へ? お爺様? え? それってもしかして……」

「来栖川の会長さん? ウソやろ?」

 理緒と智子が顔を見合わせる。予期せぬ事態に他の皆も揃ってポカンとした表情を浮かべていた。
 そして、その困惑が消える間もなく、

「お邪魔するぞ。明けましておめでとう。……なんだ、いい若い者がゴロゴロして」

 件の人物がセバスチャンを引き連れて姿を現した。

「はわっ!?」

「OH! これは恥ずかしいところを見せちゃったネ」

 慌ててガバッと身を起こすマルチたち。

「は、はう〜」

「アウチッ。急に動いたから、腰にピキッとデンキが走ったネ」

 尤も、すぐにガックリと崩れ落ちたが。

「……ま、まあ、辛いのなら無理せずにそのままでいなさい。よく分からんが、見ていて不憫だ」

 死屍累々の態を晒す愛孫たちの姿を目の当たりにして、頬に一筋の汗を垂らしてしまう来栖川翁だった。

「ところで、藤田君がおらぬな。出掛けておるのか?」

「は、はい。今は挨拶回りに出ています。その……わたしたちがこんな有様ですので、一人で……」

「そうか。それは少し残念だな」

 あかりからの返答を受け、言葉通りに残念そうな表情を浮かべて翁は顎をさすった。

「それで、会長。本日はどのようなご用件で……」

 こちらへお掛け下さいと翁にソファーを勧めた後、セリオが質問を口にする。
 へたれることなく立ち姿勢を維持しているのは来栖川トップに対する敬意か、単なる意地か。

「待て。その前に一つ言いたい事がある」

 腰を下ろしながら、翁がセリオの問いを遮った。有無を言わせぬ眼光を向けられ、セリオの身体に緊張が走る。

「な、なんでしょう?」

「会長ではない。そこは……可愛らしく『おじいちゃん』と呼びなさい」

「……は?」

 セリオ、お口あんぐり。意表を衝いた発言に、周りの者も目が点状態。
 ついでに、台所の方からもなにやらずっこけたっぽい痛々しい音が聞こえてきた。因みに、現在台所にいるのは実直な執事であるセバス氏。動けないあかりたちに代わってお茶を用意してくれていたりする。事情を察し、余計な詮索をせず何も聞かずに率先して行動をしてくれる辺り、気配りの行き届いた執事の鑑である。
 閑話休題。

「お、おじいちゃん、ですか? し、しかし、わたしはメイドロボです。その様な呼び方は失礼に当たるのではないでしょうか」

「なにを言っておるか。お主は藤田君の嫁だろうが。あやつはわしにとって孫だ。ならば、あやつの嫁であるお主も当然わしの孫。違うか?」

「ち、違わない、と思います、けど……ですが……わたしは……」

「人間だろうがメイドロボだろうが孫は孫。小さいことなど気にするでないわ」

 メイドロボである自分を――無論、マルチに対しても同様であろう――きっぱりと『孫』だと言い切る翁。その気持ちと言葉にセリオは涙が溢れそうなほどの感動を覚えた。

「だから、孫らしく甘えても無問題。というわけだから、今後は会長という呼び名は禁止。『おじいちゃん』と呼びなさい。もしくは、ちょっと変化球気味に『おじじ』でも可だぞ。語尾にはーとまーくを付けてくれたら尚良し」

 ただ、その感動が長続きしないのが困りものだったが。なんというか、いろいろと台無し。
 喜ぶべきか嘆くべきか、判断に苦しみまくるセリオだった。
 おじじ発言が翁の口から出てきた際、台所の方から再び豪快な転倒音が聞こえてきたが……さもありなん、である。

「まあ、それはさておきだ。話を本題に移すが、今日やってきたのは他でもない、皆にお年玉を渡すためだ」

「……え? お年玉、ですか?」

「お、お爺様があたしたちに直接?」

 芹香と綾香が驚きの声を上げる。
 二人とも決して今までも来栖川翁からお年玉を貰っていなかったワケではない。だが、それは人伝であったり、振込みであったりと、非常に味気ない与えられ方だった。ぬくもりの感じられない機械的で義務的な行為。それがこれまでの翁からのお年玉であった。
 故に、芹香も綾香も驚愕を隠せない。人間、変われば変わるものだ。その思わずには居られない。

「ま、あまり多くはないがな。生活費の足しにでもしなさい」

 懐から封筒を取り出し、それを芹香へと差し出した。照れくさそうに頬を掻きながら。
 
「はい。ありがとうございま……」

 礼を言いつつ素直に受け取る芹香。その顔色が封筒を手にした途端に変わった。
 ――厚い。異様に厚い。
 おいおい、ちょっと待て。そう突っ込みたくなるほどに厚い。

「姉さん? どうかしたの?」

「……いえ。なんでもないです」

 平静を装って芹香が答える。
 袋の厚さから予想される金額を下手に口に出したりしたら、理緒辺りは白目を剥いて倒れかねない。
 翁へと「ありがとうございます」の言葉と共にお辞儀をしながら、余計なことは言わないほうが吉と判断してこの場は口を噤む芹香だった。

「それと、もう一つ」

「……まだあるのですか?」

 どことなく警戒した口調で芹香が尋ねる。
 この爺様、どうにも加減や限度というものを弁えていないっぽい。それに加え、今までの反動か、とんでもないほどに『孫煩悩』『爺馬鹿』化していた。放っておいたら藤田家一同の為に町の一つでも買収しかねない勢いがある。たった今その片鱗を見せ付けられたばかりの芹香が警戒するのもやむを得ないところだった。

「というか、どちらかと言えばこっちが本命だな。皆の為にとある衣装を用意した」

「衣装ですか?」

 興味の色を浮かべて琴音が尋ねる。
 女性は基本的に着飾ることが好きであり、それは藤田家の面々も例外ではない。琴音と同様に、皆も一様に関心を示した。

「うむ。きっと皆に似合うと思うぞ」

「それってどんな服なんですか?」

「キモノだったら嬉しいネ」

 あかりとレミィから向けられた視線。それを受け、翁は深く頷くと声を大にして言った。

「巫女服だ」

「……はい? み、巫女服、ですか?」

 思わず聞き返してしまう葵。
 その彼女に何とも表現しがたいニヒルな笑いを投げ掛けると、爺さんは胸を張って言い切った。

「巫女服だ。清楚でありながら、そこはかとなく漂う色気。凛とした強さを感じさせつつ、仄かな淫靡さをも纏わせた男子垂涎の萌え衣装。巫女服だ」

 拳を振り上げて力説する来栖川翁。威厳とかなんとか、人として大事な物をどこかに置いてきてしまったっぽい末期さがプンプンと漂っていて、直視するのがいろいろな意味で辛い。こめかみを押さえる者、頭を抱える者、諦観の溜息をつく者が大絶賛続出中。
 台所の方からもまたまた派手な音が響いてきた。『ゴスッ』という打ち所の悪そうな何気にやばい音がしていたが……セバスなら大丈夫であろう。たぶんきっとおそらく。

「あ、あの、お爺様? そんな服を渡されても、あたしたち、困ってしまうんですけど」

 職務に忠実な執事へ心の中で冥福を祈りつつ、綾香が眉間を指で揉み解しながら訴えた。

「そうなのか? しかし、巫女服を着た皆の姿を見たら、きっと藤田君はメロメロだぞ?」

『……メロメロ?』

 一同の声が綺麗にハモッた。

「うむ。間違いないな。皆の魅力にメロメロのデレデレでタジタジだ」

『メロメロデレデレタジタジ』

「というワケだが……巫女服、本当にいらんか?」

『いります!』

 間髪いれず、力いっぱい即答してしまっていた藤田家女性陣だった。




「――で、今日もまたこの惨状なのね」

 次の日、藤田邸へとやって来たひかりは盛大に溜息を吐いた。
 その彼女の目の前では、あかりたちが死屍累々と転がっている。

「体力が底をついてるのに、どうしてそんな誘惑するような真似をするのかしら。どう考えたって自殺行為でしょうに。というか、少しは学習しなさいよ、あなたたち。これはやっぱり一から教育しないとダメね。それはもうスパルタでいろんな事を基礎からみっちりと」

 お間抜けな愛娘たちの姿に、呆れるやら情けないやらで激しい頭痛を覚えてしまうひかりだった。



 因みに、

「長瀬よ。次はどんな服がいいと思うか? やはり、直球でナース服辺りが良いかの? もしくは、園児服というのも中々にマニアックで萌えるかも……さもなくば……」

「……大旦那様……いえ、なんでもないです……ハァ」

 セバスは生きてました。辛うじて。
 忠義の執事の苦労はまだまだ続く。