私立了承学園
After School:「母の息子」


 

『さらさら』と・・・・・・・・・・・・

 

木の葉の音がする。

 

 

校門近くにある林から、針葉樹独特の香りが流れてきた。

ぴんと跳ね上がったくせっ毛をそよ風にゆらしながら、少女はすうっと深呼吸をしてみる。

 

日暮れを告げる時刻の風は、どこか懐かしいにおいがした。

 

(子供の頃、お父さんとお母さんと、おじさんと、お兄ちゃんと、お姉ちゃん達と・・・・ピクニックにいったなあ。)

懐かしい記憶というと、彼女にとってはそんな日々の記憶であった。家族の記憶。両親の記憶。

家族の笑顔の記憶。

なんとなくそんな事を思い出しながら、少女は校門の外を眺めた。

 

待ち人は、まだ現れない。

 

特に約束していたわけではないが、「校門で待ち合わせ」というシチュエーションが魅力的に思えて、

彼女は夕食の買い物の後しばらく、校門で待つことにした。

例外的なことは彼女の待ち人は学園から出てくるのではなく、校門の外から帰ってくるということ・・・

そして、彼女の待ち人は「片思いの先輩」ではなく、「両思いの従兄」である事だろう。

 

何度目か・・・校門の外に目をやった少女は、ぱっと目を輝かせると大きく手を振った。

 

「おかえり!お兄ちゃん!!」

「やあ初音ちゃん、待っててくれたの?」

 

初音の「天使の微笑み」を見て、耕一は小走りで校門に駆け寄ってきた。

彼女のくせっ毛をピコピコつつきながら、やさしく頭をなでる。

 

「うん、もうそろそろ帰る頃だと思って。お仕事お疲れ様。」

「いやいや、まだまだ未熟者だからね。できるだけ現場も見ておかないと。」

 

放課後、鶴来屋のイベントに関する打ち合わせのため、耕一は学外に出ていた。

千鶴が他の取材のために出席できなかったので、その代理である。

学園生活を最優先できる環境が整っていても、二人は時間が許す限り、鶴来屋の仕事に携わる

事にしていた。それは鶴来屋の多くの従業員に対する責任でもあるし、自分達家族のためでもある。

 

「ねぇおにいちゃん、鶴来屋の仕事って、好き?」

「え?うん、面白いよ。そりゃ、大変なこともあるけど、足立さんたちのサポートのおかげで随分

助けられてるしね・・・・・なんで?」

「ううん、お兄ちゃん、他になりたい物とかあったんじゃないかなあって・・・・・」

 

初音としては、一番上の姉と同様、世襲のような形で鶴来屋に就職した耕一が少し心配なのである。

仲良く働いている姿を頼もしく思う反面、家族を養うため、という理由で夢を我慢してほしくない、とも思うのだ。

 

「そんなの気にしなくていいよ。だいたい俺、将来の夢って昔からかなり漠然としか考えてなかったし。

それに、今の俺の一番の夢は、初音ちゃんたちの理想の旦那さんになることだからね。」

「ふふっ、今でも十分理想の旦那様だよ。」

「それはどうも。」

 

仲良く手を繋いで帰ろうと思ったとき、耕一の視界の端にふと、見慣れない女性が映った。

何気なく視線を人影に向けると、相手の方も耕一に気付き、半瞬ためらった後やや遠慮がちに近寄ってきた。

 

「あの・・・・すみませんが、こちらの学園の方でしょうか?」

「え、ええ。ここの学生ですけど・・・・?」

 

質問からも、学園の関係者ではない事がわかる。日本人女性としては平均的な身長で、歳は・・・・

見た感じは30半ばぐらいだろうか。落ち着いた雰囲気をもった、かなり綺麗な人だ。服装もごく地味な

淡いグレーのスーツで、彼女の印象にぴったりと当てはまっている。

 

(・・・・・・・・あれ?)

 

違和感を覚えて、耕一はもう一度女性の顔を見直した。確かに初対面のはずだが、

彼女の顔にはなんとなく、既視感があった。

 

「そうですか・・・・あのすみませんが、多妻部の寮というのはどちらにあるか

教えていただきたいのですが・・・・」

「ああ、それなら自分達もこれから寮に帰るところですから、ご案内できますよ。」

「ありがとうございます。学園の位置はわかったのですが敷地内が随分と広いものですから、

すっかり迷ってしまって・・・」

 

深々と耕一たちに頭を下げてから、女性はほっとしたような笑みをうかべた。優しそうな、

それでいて微かに影のある、そんな微笑み。

その笑い方も、耕一が感じた既視感をさらに強めるものだった。

 

(あれ、やっぱりこの人どこかで・・・・)

 

そのとき、黙って女性のほうを見ていた初音が、何かを思い出したのか小さく「あっ」と声をあげた。

 

「あの、すみません、ひょっとして、長瀬さんでいらっしゃいますか?」

 

初音の問いに女性は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに先ほどの優しい笑みをたたえて自己紹介をした。

 

「はい、申し遅れました。私、長瀬祐介の母でございます。」

 

先ほどの既視感の理由がはっきりして、耕一も「ああ」と声をあげた。確かに目や口元の感じ、

笑い方の印象など、同じ多妻部に所属する長瀬祐介に非常によく似ている。

初音は人の顔を記憶するのが上手な娘なので、彼女の笑顔を見てほぼ確信できたようだ。

 

「そうでしたか、どうりで・・・あ、俺、いや、自分は祐介君と同じ多妻部の学生で、柏木耕一っていいます。

祐介君には、いつもお世話になっております。」

「あ、いえいえ、こちらこそ・・・・お名前は、祐介から伺っておりました、よろしくお願い致します・・・・・・・・・

そちらは、妹さんでいらっしゃいますか?」

「あ、えっと、従妹の娘でして、まあそんな感じのぉっっ・・・・・・・・!!」

「『婚約者』の、柏木初音です。よろしくお願いします。」

 

初音がこっそり耕一の背中をつねったので、耕一は最後まで言えなかった。初音自身耕一の事を

「お兄ちゃん」と呼んではいるのだが、紹介のときに子ども扱いされるのはやはり不満なようだ。

まあ、耕一としても、普段はちゃんと初音を恋人として見てはいるのだが、初対面の人物に

『婚約者』と紹介するのはまだどうしても照れくさいらしい。

 

長瀬夫人は二人の様子を少し眩しそうに見つめながら、くすくすと静かに笑った。

水瀬理事長や神岸校長とはまた違った感じの雰囲気だ。一拍の間を空けて、静かな調子で話し出す。

 

「職員の方々に御挨拶してからと思ったのですが、警備員さんにお伺いしましたら会議中という

ことでしたので、先に息子達に会おうと思いまして・・・・」

「そうでしたか・・・・あ、あの・・・・・・大丈夫でした?」

「はい?」

「いえ、その、ここの警備員って、ほら・・・・・」

「?とても親切な対応の方でしたけど?」

「そ、そうですか。」

 

いいよどむ耕一に対し、長瀬夫人は意味がわからないと言った感じで小首をかしげる。

初めて学園に来た外来者は、日中も時々学内を巡回しているラルヴァを見てまず例外なく腰を抜かす

のであるが、どうやら長瀬夫人は初対面の人物の第一印象を外見で判断するタイプではないらしい。

 

「じゃ、じゃあまず寮のほうに行きましょうか。」

「あ、はい。ご面倒をおかけします。」

 

ぺこりとまた頭を下げて、長瀬夫人は耕一と初音の半歩ほど後方について歩き始めた。

 

「ここの学園は、俺達もまだ時々迷っちゃうぐらい広いですからね。あそこであえてラッキーでしたね。」

耕一の一人称は1分も経たないうちに「俺」に戻ってしまったが、そういう部分も親近感として受け取られる

のが彼の特徴である。頷く長瀬夫人を見ながら、初音がふと口を開いた。

「でもせっかくお母さんが来るんだったら、長瀬家の人たちも誰か迎えに来てあげればいいのに。」

「あ、いえ、祐介達には、今日来る事は伝えていないものですから。」

長瀬夫人が少し慌てた調子で答える。

 

「あ、そうなんですか?」

「え、ええ・・・ちょっと、急な事で・・・・・」

「へえ、じゃあびっくりするでしょうね。みんな、喜ぶと思いますよ。」

 

「・・・・・・・・・そう・・・・・でしょうか?」

 

長瀬夫人の呟きは聞き落としてしまいそうな低音量であったが、耕一と初音はさっと顔を見合わせた。

二人とも既に両親を無くしているせいか、母親である女性への敬意と気遣いは人一倍強い。

だから、長瀬夫人が何らかの不安にかられている事にも敏感に反応した。

 

「あの、失礼ですけど、何か心配事がおありですか?祐介さん達とは私達家族も仲良くさせて頂いて

いますから、なにか力になれることがありましたら・・・・・」

こういうとき、何の打算もなく純真にそう言えるのが柏木家4女の長所である。

加えてお節介な印象とはまったく無縁なのも、彼女の徳のなせる業であった。

 

「有難うございます、初音さん・・・。お恥ずかしいのですが、うちは共働きだったものですから

あまり家にいる時間がなくて・・・・。新城さんたちとも、まだゆっくりと話した事がないんです。」

「はあ、それで少し緊張していらっしゃると言うわけですか。」

「ええ・・・・。」

 

耕一はそんな長瀬夫人に、わずかな違和感を覚えた。

(それだけが理由だろうか?)

なにか別の理由があるような気がしたが、何となく聞くのは躊躇われたので耕一は別の事を口にした。

 

「秋子さん・・・学園理事長から、この学園のお話は聞いていますよね?」

「はい、詳しく説明していただきました。祐介の事も任せられる方かと・・・・」

「祐介君は、秋子さんの期待に十二分に応えていると思いますよ。」

「そうですか・・・・・」

「ええ。後で秋子さん本人にも聞いてみてください。これは俺の主観ですけど、俺が星1つだったら

秋子さんは祐介君には星6つぐらいくれると思いますよ。」

 

それは謙遜しすぎじゃないかなあと初音は思ったが、口には出さず、代わりににっこりと長瀬夫人に微笑みかけた。

 

「ですから、大丈夫ですよ。」

 

「・・・・・・・・・はい。ありがとうございます。」

 

長瀬夫人は、目の前でやさしく笑う長身の青年と、天使のように微笑む少女に、不思議な印象を抱いた。

何か突飛な表現ではあったが、二人が自分のことを励ましてくれた、という事実は、彼女の不安を緩やかに

鎮めてくれるものだった。

 

(うちも、共働きっていやあ、共働きなんだよなあ。)

ふとそんなことを考えながら、耕一はなんとなく、長瀬夫人に親しみ以上の何かを感じていた。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

「ああ、ほら見えてきましたよ。あの建物が、今の祐介君たちの家です。」

わずかの間無言で歩いていると、不意に耕一がそう声をかけた。

長瀬夫人は一瞬びくっとしたように足を止めると、ひとしきり身なりを気にしてみた後、おずおずと

耕一たちを見つめた。

「あの・・・・」

「はい?」

 

少し震える声で、長瀬夫人は耕一も初音も思っても見なかった言葉を口にした。

 

「あの、も、もしよろしければ、少しの間同席していただきたいのですが・・・・・・」

「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「え、えっと・・・・」

『どういうことですか?』と初音が聞こうとしたとき、耕一がそれを制した。

まっすぐに長瀬夫人を見つめ、ゆっくりと口を開く。

「解かりました。ご一緒させていただきます。」

「・・・・・・・ありがとうございます・・・・・・・」

 

申し訳なさそうな、ほっとしたような複雑な表情を見せながら、長瀬夫人は膝に額が着くかと思われるほど

深々とお辞儀をした。顔を上げたときの表情は笑顔に戻っていたが、その笑みはやはりどことなく、

不安げに見えた。

 

(お兄ちゃん・・・・・・)

(ん?)

(い、いいのかな、私達、一緒に行っても・・・・・・・)

 

長瀬夫人に聞こえないように、こっそりと会話を交わす。

初音も今の長瀬夫人の表情を見て、一緒に行くのが最善である事は感覚的に察した。

だが、一緒に行った所でどうしていいのか解からないので、そんな風に聞いてみたのである。

戸惑い気味の初音に対し、耕一は直接は答えなかった。ただ、ポツリと呟くように言った。

 

(長瀬さんってさ・・・・・)

(うん?)

(お袋に・・・・・似てるんだよな・・・・・・・・)

 

 

 

『ああ、そうなんだ。』と初音は思い、ぎゅっと耕一の手を握った。初音にとって、全てを納得できる答えだった。

 

 

「こんにちは〜。ごめんください〜。」

「は〜〜〜〜〜い!!」

 

呼び鈴を押し、初音が玄関から声をかけると、元気いっぱいの声とともに、トタトタと躍動感あふれる

足音が聞こえてきた。

 

「あ、いらっしゃい、耕一さん、初音ちゃん!どうしたの・・って・・・あ、お、おばさん!?」

「お久しぶりです、新城さん。」

「あ、は、はい、お、お久しぶりです!!ど、どうぞ上がってください、ちょっと、散らかっちゃっていますけど・・・・」

 

たちまちカチコチに緊張して頭を下げる沙織を眩しそうに見つめてから、長瀬夫人は、自身も同様に緊張した

動作で会釈をし、家へと入った。

それと同時に・・・・声が聞こえたのであろう、奥から長瀬家の若き家長が顔を見せた。

 

「・・・・・・・やあ、母さん。久しぶりだね。」

「ええ・・・・ごめんなさい、急に連絡もしないで・・・・」

「いいよ。あ、耕一さんたちもどうぞ上がってください。ちょうど、お茶にしようと思ってたところなんです。」

「わ、悪いな。」

「いえ。」

 

祐介の態度はごく自然な感じであったが、耕一は何となく不自然な印象を受けた。

いつもの祐介なのだが、自分の母親に対して、なんというか・・・・そう、自然すぎるのだ。

あまりに自然すぎて、それが、不自然だった。

子供の頃の自分に置き換えて・・・友人などの前で、親に対する態度というのはこんなにも自然だったろうか?

家に友達が遊びに来たときとか、若しくは授業参観とか・・・何となく気恥ずかしいような、照れくさいような、

そんな感じを受けた覚えがある。わざとそっけなく振舞ったり、ぎこちなくなったり。

それから見ると、祐介の態度は何か洗練されすぎた印象だった。まるで、もう10年以上も前に

親から独立したような・・・・そんな感じだった。

 

 

この日の長瀬家のアフタヌーン・ティーは、いつもより3人メンバーが増え、いつもより3割ほど緊張した、

初々しいお見合いのような雰囲気に包まれた。長瀬家の未来の妻達は皆緊張して会話もどこか

ぎこちなく、いつもは話上手な沙織までかなり無口になってしまっている。長瀬夫人はそんな彼女らを

フォローするために部屋や彼女達の服をひとつひとつ褒めたり、お茶の感想を述べたりして会話の中心

になり、初音や耕一もそれにあわせて会話が途切れないように勤めていた。

祐介だけはごくマイペースで、静かに相槌を打ったり、自分から話題を振ったりしており、初音は長瀬夫人が

先ほど感じていた不安は解消されたのではないかと感じ始めていた。

 

 

「ところで・・・・今日はどうしたの、母さん?ずいぶん急な来訪だったけど、ひょっとして実家で何かあった?」

 

あまりに自然に口にされた祐介の言葉に、かえって長瀬夫人は動揺したようだった。ややためらった後、

観念したように話し始める。

 

「じ、実はね・・・・話自体は先月からあったのだけれど・・・・この間、正式にお父さんの転勤が決まったの・・・・・」

「転勤?どこへ?」

「苫小牧。」

「・・・・・・・北海道か・・・・・結構遠いね。いつからになるの?」

「多分、来月から・・・・・」

「来月!?」

 

少し片眉を上げて、祐介が聞き返す。確かにずいぶんと急な話だ。

「じゃあ大変だね。引越の準備とかもあるし・・・あ、手伝う事があったらなんでも行ってよ。一人暮らしの能力は、

父さんよりずっとあるつもりだし。」

「ううん、単身赴任じゃないの。今のアパートを出て、母さんも一緒に苫小牧に行くつもりなのよ。」

「・・・・・・・・・一緒に行くって・・・・・・・・母さん、仕事は?」

「辞めたわ。昨日。」

 

「え・・・・・・・ええっ!!!!!」

 

初めて祐介の表情に明らかな動揺の色が見えた。いや、動揺などというレベルではない。あまりの驚きに

一瞬固まってしまったその姿は、そのまま『驚愕』という題名の絵画になり得た。

 

 

 

(辞めた?

母さんが?

仕事を?

あの母さんが!?

あんなに活き活きと楽しそうに仕事をしていた母さんが?

あんなに多忙を楽しんでいた母さんが??

眩しかった母さんが???)

 

 

「いい機会だったのよ。もう40過ぎのおばさんなんてあまりできる仕事もないし、職場の世代交代も

どんどん進んできていたから・・・お父さんもこの年になって一人暮らしは大変だろうし、今度の転勤で

お給料も上がるから、母さんも楽させてもらえるかなって。」

 

絶句している祐介を見やりながら、淡々と長瀬夫人は言葉を繋ぐ。周りのものはあまりの急展開について

いけず、祐介と夫人を交互に見るばかりだった。

 

 

(いい機会?うそだ。あんなに好きでやってた仕事を・・・

母さんはそこらの新人よりずっと仕事はできる。

父さんだって、母さんの仕事好きを知っていたから、今まであんなにサポートして・・・

僕にも、言って聞かせて・・・)

 

ぐるぐると頭の中で考えるうち、祐介は母の退職について、どうにもやりきれない結論に達してしまった。

 

おそらく・・・・雇用調整。

 

きっと前々から、いつでも辞められる環境は整えられていたのだろう。母さんは仕事ができて人望も

あったから、頭ごなしにリストラとはいかなかっただろうけど、本人が言い出せばいつでも任意退職。

そこに父さんの転勤の話が来た・・・そんなところか。

 

「母さん・・・・・・・本当にいいの?結婚前から頑張ってきて、もう勤続20年になるのに・・・・」

「いいのよ。ありがとう祐介、気遣ってくれて。母さんのことはいいの。自分で考えて、しっかり

けじめをつけたことだから。それより・・・・・」

 

 

 

一瞬の沈黙。

 

 

 

「祐介・・・・・・もしよければ、あなたも一緒に、苫小牧に行かない?」

 

 

全員がはっとして―実際に言った本人も含めて―凍り付いてしまった。

祐介は一瞬何を言われたのかわからない様子で母親を見つめ、長瀬夫人はまるで箱を開けてしまった

直後のパンドラのような顔をして息子を見つめていた。

 

 

また、しばしの沈黙。

そして、沈黙に耐え切れず、瑞穂が何か言おうとしたとき。

祐介は、ゆっくりと息をついた後、呟くように言った。

 

「そんな・・・・いまさら・・・・」

「祐介!!!!」

 

自らのあまりに大きな怒声に、耕一自身が驚いたようだった。慌てて取り繕うように座りなおし、

言葉を濁して語りなおす。

 

「い、いや・・・・・す、すまん。し、しかし、そういう言い方は・・・・」

 

頼まれて居合わせたとはいえ、第3者であり、しかも実の母親の前で祐介を怒鳴りつけた事を

耕一は後悔した。冷静に聞いていたつもりだったが、知らず知らずのうちにかつての自分と祐介を

重ねていた事に気付く。

 

しかし、耕一を第3者だと見なしていたのは、本人以外には一人もいなかった。

 

「い、いえ!!柏木さん、いいんです!本当に、祐介の言う通りなんです。ごめんね、祐介。

ごめんなさい、月島さん、新城さん、藍原さん、太田さん・・・・・・・・突然来て、勝手なこと言って。

そうよね、もう祐介たちにはちゃんと生活があるのに、私なんでこんな事・・・・・」

「そ、そんな、おばさん・・・・」

慌てて沙織が取り繕うが、さすがに彼女もこんなときになんと言ったらいいのかはわからなかった。

 

祐介の隣に座っていた瑠璃子が、そっと、呆然としている祐介の肩に手を置いた。

諭すような目で、静かに見つめる。

 

「ごめんなさい、母さん。」

 

後悔の念を全身から滲ませながら、深々と祐介は頭を下げた。

そして、何かを振り切るように頭を振ると、まっすぐ母親を見つめて、言った。

 

「でも母さん。悪いけど、僕は苫小牧にはいけないよ。僕はここで、沙織ちゃんと、瑠璃子さんと、

瑞穂ちゃんと、香奈子ちゃんと・・・・柏木家の皆さんと、学んで行かなければならない事があるから。」

 

「祐君・・・・」

「長瀬ちゃん・・・・」

「祐介さん・・・・」

「長瀬君・・・・」

 

「そうね、それがいいわ。みんなには、幸せな家庭を築いてもらいたいから。幸せになってもらいたいから。

そうよね。そのために祐介は、ここに来たのですものね。」

祐介の言葉を受けて、長瀬夫人も、何かを吹っ切ったような様子だった。初音は何か言おうとして言葉が

でなくなり、先ほどから握っていた耕一の手をさらに強く握り締めた。

 

「北海道ったって、この学園の先生に頼めば毎日でも遊びにいけるよ。頻繁にお小遣いせびりにいくからさ。

父さんと第2の新婚生活、楽しんでよ。」

「そうね。同じ星の上ですものね。いつでも会えるわよね・・・・・。いつでもいらっしゃい。姑として、

家事の手ほどきをしてあげるから。」

「母さんの味なら、僕がもうとっくに受け継いでるよ。」

「あら、母さんだって仕事の合間を見て、ちゃんと料理の腕は磨いてるのよ?」

 

憎まれ口を叩きあいながら、わざと明るく振舞おうと努める。お互いにちょっと我慢しているのが

みえみえで、そんな不器用さが、耕一には自然な親子の会話に感じられた。

 

「ごめんください。秋子ですけど、祐介君のお母様がいらしたとか・・・・」

 

そんな時、玄関から涼やかな声が聞こえてきた。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

「あ、お母さん?うん、あたし。元気?そう。うん、こっちもみんな・・・・・・・・・・」

かわるがわる実家に電話を入れる長瀬家の未来の妻達。

凄くうれしそうに、ちょっとうらやましそうにそれを見つめていた初音の肩に、すっと、手が置かれた。

「あ、瑠璃子さん・・・・・・・」

にこにこと吸い込まれそうな笑みを浮かべ、瑠璃子は囁くような声で言った。

「・・・・・・・・今度一緒に、ピクニックに行かない?」

「え?」

「お弁当もって。家族みんなで。」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・ね?いこ?」

 

「・・・・・・・うん!帰ったら、早速みんなに話してみる!!」

満面の笑みを瑠璃子に返しながら、初音は凄く懐かしい幸福感に包まれていた。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

「お仕事の事・・・・本当によろしかったのですか?」

理事長室で詳しく話を聞いたあと、秋子はやや心配がちに問いかけた。

「ええ。その事は本当に、自分で決めたんです。やれるだけの事はやりましたし・・・まあ、思っていたより

ちょっと、専業主婦になるのが早まりましたけど。」

「・・・・・・・あの、ここの学園では・・・・・・・・」

なおも仕事に関して気にする秋子をさえぎって、長瀬夫人はにっこりと微笑んだ。

「お心遣い、感謝いたします。でも、私も祐介と同じく、親として勉強しなくては。また祐介の近くに戻ったのでは、

いつまでたっても子離れできませんからね。」

くすりと笑った長瀬夫人を見て、秋子も微苦笑を返すしかなかった。どうも、秋子の考えは全て見透かされて

いたようである。加えて、子離れに関しては秋子自身もちょっと耳が痛いところだった。

 

「ふふ・・・・私、実は秋子さんに嫉妬していたのですよ?」

「は?」

 

「子供って、親がしっかりしていなくとも、ちゃんと育っていくものですね・・・・」

困惑する秋子をよそに、長瀬夫人は淡々と語りだした。

「私、あの子が小さい頃から、仕事ばかり優先して、ちっとも親らしい事しませんでした。授業参観も行かず、

高校入試も「自主性」なんて美辞麗句を使ってあまり助言しませんでしたわ・・・。

ほんとは、きっと、心のどこかでは、知っていたんです。あの子が、助けを求めていたのを。

あの子の毎日から、色が失われつつあったのを。」

 

「長瀬さん・・・・」

 

「でも・・・私にはあの子を助けてあげられませんでした。・・・怖かったのだと思います。だって・・・・

私も仕事にでると・・・同じ恐怖との戦いでしたから。親として何もしてこなかったくせに、いざという時に

怖気づいてしまっては、ほんとに失格ですね。」

 

「そんな事は・・・・」

 

「あの子が、月島さんや、新城さんらと知り合って・・・彼女達に助けられたとき、初めて私もそれに気付いた

気がしました。私も助けられたんです、彼女達に。そして、祐介に。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

「あの子が、彼女達と暮らしていくと決めたとき、夫と二人で嬉し泣きしましたわ。それからはしっかりしようと

決めたつもりだったのに、ここしばらく、家が寂しくて・・・・。めったに家に帰らないくせに、時々帰った家に

息子がいないと寂しがるんですよ?もうどうしようもないですね。」

声を殺して、泣いているような感じで笑う。『本当に、よく似た親子だわ』と、秋子は思った。

 

「それで夫と話しまして、もう少し二人の時間を作ろうという事になったんです。」

 

「はあ・・・・」

 

「でも本当に、うらやましいですわ・・・・祐介に、あんなに頼りにされてますものね・・・新城さんも、月島さんも、

藍原さんも、太田さんも、秋子さんも・・・私は、あの子が助けを求めているとき、何もしてあげられなかった。

今さらですけど、やっぱり妬けちゃいますね。」

 

「そんな事は・・・それに、まだまだ祐介君は、長瀬さんに頼る機会があるはずですよ?」

 

「あの子は大丈夫ですわ。それに、今度祐介が助けを求めてきたら、その時こそしっかり助けてあげないと。

そのためにも、親としてまだまだ勉強しなくてはなりません。いつまでも子供に甘えていたのでは、

新城さんたちにも笑われてしまいます。」

 

「長瀬さん・・・・そんなに自分に厳しくなされずとも、本当に、いつでも祐介君に会いにきてください。

祐介君たちも待っていますよ。なんなら、苫小牧から通うことだって・・・・」

 

「いいえ。いつでも会える、という事で十分です。秋子さん、私はまだ未熟者ですから、

祐介の事、よろしくお願い致します。」

 

「は、はい、それは責任を持って。祐介君は本当によくやってくれていますし。」

「そうですか。安心しました。」

 

これ以上は長瀬夫人の再出発に水を指す事になると思ったので、秋子は気持ちよく見送る事にした。

「あの、月並みな言葉ですけど、がんばってください。いつでも遊びにきてくださいね。」

「ありがとうございます。あの・・・・」

「はい?」

「あの子、男の子としてはずいぶんしっかりしてきたと思いますけど、それでもまだ『男の子』ですから・・・・

お手数ですがあまり焦らず、基礎からゆっくりと順番に、根気よくご指導をお願いしますね。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(汗)」

 

秋子をこうも絶句させられる人物というのも珍しい。確かに祐介は「その手」の刺激にはめっぽう弱く、

授業中に気絶してしまった事が1度や2度ではない。具体的な授業内容は知らされていないはずだが、

長瀬夫人は現時点での長瀬家の問題を見事に指摘して見せたのだ。

 

「あ、あの・・・えと・・・・」

 

柄にもなくうろたえる秋子をおかしそうに見やりながら、長瀬夫人は思い出したように話題を転じた。

 

「あの子には恋人以外にも、いいお兄さんができたようですね。」

「あ・・・耕一さんですか?」

「ええ・・・・とても、頼りになる、優しい方ですね・・・・」

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

秋子と長瀬夫人が理事長室で会話を交わしている頃・・・・

噂の『兄弟』は、繁華街地区の焼き鳥屋台にいた。

 

 

「ひょっと耕一さん、やっはりまずいれすってば。」

「あ〜?何がまずいんだよ?俺はもう成人してんだ、屋台だろうが飲み屋だろうがお咎めなしだよ。」

「いや、僕はみせえねん・・・・・」

「まあ、いいから呑めよ。お祝いだお祝い。」

「お祝いって・・・(ひっく)・・・・なんの?」

「あ〜〜?だからお祝いだよ。お袋さんの。カドデの。そ。カドデ。あれ?

ねぇ、雄蔵さん、『カドデ』の『かど』って、『角』のカド?」

「いや。門を出ると書いて、『門出』と読む。」

黙々と焼き鳥を焼きながら、いたって真面目に立川教諭が答える。

「そうそう、それ。門を出るのよ。あららしい出発よ。それなのに!!」

ドン、とあおったグラスをカウンターに置くと、とぽとぽと手酌で酒を注ぐ。

「なあんで、お前は!!そんな門出のお袋さんのそばにいてやらんの?」

「・・・・・・・・・・贅沢・・・・・・(ひっく)・・・・・・・・ですよ。」

「あ〜〜〜〜?なんだあ、聞き捨てならんぞ〜〜〜?親が元気なうちに、孝行しとかんでどうするよ〜〜〜?」

「孝行はしますよぉ・・・‥・・お盆も正月も帰るし・・・(ひっく)・・・・それ以外もちょくちょく顔出しますからぁ・・・・・」

「ホンなら、実家から通ってもいいんでないの?」

「・・・・・・眩しいんですよ。」

「あ?」

「母さんは・・・・僕が小さい頃から、働いて・・・すごく活き活きしてて・・・・そりゃ、あまりかまっては

もらえなかったけど、家事もしっかりやってたし、毎日がきびきびしてて・・・・(ひっく)・・・・・。

初めて沙織ちゃんに会ったとき見たく、いつも眩しくて・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「もっと僕が・・・(ひっく)・・・・しっかりしないと・・・・・今も・・・・・沙織ちゃんたちに助けられっぱなしなのに・・・・・・・

その上母さんに甘えたりなんて、贅沢ですよ。今の僕れは、絶対、ぜったい、ぜえっっっったい!!・・・・・・・(ひっく)。

戻ったら結局、甘えちゃう事になるんれすから・・・・

「だあ〜かあ〜らあ〜〜〜!!17のがきんちょが、親に甘えて何が悪いのよ!!ねぇ、雄蔵さん!?」

「む。」

「いいんじゃないのぉ?甘えちゃえばさあ。祐介、自分に厳しすぎると思いません?」

「まあ確かに、甘えられる事が逆に活力となることも否定しないが・・・・。それより耕一、少し飲みすぎだぞ。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・はい。すんません。・・・・・ちょっと。今日。飛ばしてます。わかってます。」

「あまり遅いと、家族の者が心配するぞ。」

「あ、そーッすね。家族は大事ッすね・・・・。へへ、雄蔵さん、しってますぅ?うちの嫁さん、かわいいけど

怒ると怖いんですよ〜〜〜。」

「ああ、よく知っている。」

「でもね〜〜〜。やっぱり、かわいいんれすよ〜〜〜。こないだもねえ・・・・

「・・・・・・・・」

これは自力で帰るのは無理だな、と思い、雄蔵は耕一に肩を貸し、既に睡魔に全面降伏した祐介を無造作に

担ぐと、ゆっくりと、寮に向かって歩き出した。

 

(祐介え〜〜〜。お袋さん大事にしろよぉ〜〜〜)

(すうっ〜〜〜〜〜すう〜〜〜〜〜〜〜ひっく。・・・・すう〜〜〜)

 

「ふん。子供だな、ふたりとも・・・・・」

兄にはさらに兄がいる。さして重そうな様子も見せず、雄蔵は何となく幸せそうだった。


(あとがき)

『多妻家族の親御さん達は、どういうことを思っているだろう?』という発想から、こんなSSができました。

17歳といえば時代によっては巣立っている年頃ではありますけど、それでも現代なら、やっぱり

ちょっと寂しくなってしまう親御さんもいるかもしれない。生活の中に不安ができたとき、ふと、そんな

寂しさが浮き出してしまう事もあるかもしれない。そういうことを考えて、祐介君のお母さんを書いて

みました。多妻家族を担う本人達はもちろん、彼ら、彼女らの親達もまた、勉強していく・・・

そんなシーンの一例になっていればいいのですけれど。


 ☆ コメント ☆

あかり:「はぁ」(−−;

理緒 :「どうしたの? ため息なんかついて?」(・・?

あかり:「祐介くんのお母さん。年相応に落ち着いた雰囲気の人だなぁって思って」(−−;

理緒 :「はい?」(・・?

あかり:「それに比べてうちのお母さんは……」(−−;

ひかり:「ヤッホーあかりん♪ 遊びに来ちゃったー☆」(^0^)

あかり:「…………はぁ〜〜〜」(−−;

理緒 :「…………」(;^_^A

ひかり:「? あら? ねぇ、理緒ちゃん。あかりんったらどうしたの?」(・・?

理緒 :「いや……その……ちょっと……あ、あはは」(;^_^A

ひかり:「ふに?」(・・?

あかり:「はぁ〜〜〜」(−−;

理緒 :「何と言いますか、典型的な『隣の芝生が青く見える』状態になってるみたいです」(;^_^A

ひかり:「ふにふに?」(・・?

あかり:「はぁ〜〜〜〜〜〜」(−−;




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