私立了承学園
After School:「鳥」


 

雨。

 

雨が降っていた。

 

病院の窓ガラスは厚く、外の雨音は一切聞こえない。だから、一心に絵本を朗読していた香奈子は

今始めて、窓の外に水のカーテンがかかっている事に気付いた。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「あ・・・ううん、なんでもないよ。お外で、雨が降ってきたみたい。」

「ふうん・・・・ね、続きは?」

「はいはい。」

(かさ、持って来なかったな・・・・)

妙に現実的なことをちらっと考えながら、香奈子は朗読を再開した。

 

放課後、長瀬家一同は病院に来ていた。といっても、別に誰かが体調を崩したというわけではなく、

見学授業というわけでもない。ごく私的な、子供達のお見舞いである。

以前、祐介達はこの病院で人形劇の披露を手伝った事があった。それ以来、みんなすっかり子供達

になつかれてしまったので、放課後に時間を見つけてはこうして病院を訪れて、絵本を読んだり折紙

を作ってあげたりしているという訳である。

 

「どちらかというと、僕らの方が遊んでもらっている気がしますよ。」

 

子供達の親にそう言って照れ笑いする祐介は、心底このお見舞いを楽しみにしているようで、今日も

わざわざ子供達のために新しい絵本を購入していた。彼にとって、自分の能力が子供に笑顔を与える

ために役立ったという事実は、本当にたまらなく嬉しいものだったようだ。今日も祐介の周りには目の

不自由な子、耳の不自由な子を含めて、10人以上の子供達が集まり、祐介の「桃太郎」の朗読に聞き

入っている・・・いや、聞き入っているというか、「桃太郎」の電波を楽しそうに受け止めていた。

 

「・・・・・・青い鳥は、チルチル達の頭上を何度か飛回った後、高く高く飛んで、大空のかなたへと飛んでいきま

した・・・・チルチル達は、いつまでもいつまでも、青い鳥が飛んでいった青い空を、ずっと眺めていました・・・

はい、おしまい。」

 

ぱちぱちぱちぱち・・・・・・・・・

 

香奈子が読み終わったところで、周りにいた子供達が拍手をする。香奈子が読んでいたのは幸せの鳥を探して

旅をする、2人の兄妹の絵本だ。絵本であるから原作と比べてかなり簡略化されてはいるが、世界的にも有名な

作品である。

「ねえねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、青い鳥見た事あるの?」

香奈子の膝の上に陣取っていた一番小さな女の子が、くいくいと香奈子の服を引っ張りながら言う。好奇心が強い

子で、四六時中いろんなことをたずねてくる子だ。

「ん、私?もちろんあるわよ?」

「ほんと!?すごーい!」

「ねえ、どこで見たのー」

「わたしもみたいなー」

得意げに言った香奈子の言葉に、周りの子供達も興奮気味に反応する。

「ねえねえ、捕まえたの?」

「んー・・・」

香奈子はちょっと考えるそぶりを見せてから、不意にくすっと笑った・・・その場に大人の女性がいれば、彼女の

笑いが苦笑に近いものであった事に気付いたかもしれない。

「一度は捕まえたんだけどねー・・・お庭に放したら、どっかに飛んでっちゃった!」

「えー。じゃあ、もういないのー。」

「うん。もういないの。でもね、いいんだ。今は、白い鳥がいるから。」

「白い鳥?」

「うん。」

女の子はよく解らないといった顔で香奈子の顔を見上げたが、香奈子は特に何も言わなかった。女の子の方を

見てまたくすっと笑って、ただ、女の子の頭を静かに撫でただけだった。そして彼女は、女の子の頭を撫でながら、

部屋の反対側で子供達に囲まれている祐介を静かに見つめていた。

 

 

 

「はーいみんな。そろそろお昼寝の時間ですよー。」

 

「泣く子も笑う」と評判のはんなりとした看護婦さんが、ぽんぽんと軽く手をたたいて部屋に入ってきた。この病棟は

病院というより病院内に併設された養護学校のような場所になっていて、子供達は年齢別に一緒に看護されている。

ご飯もお昼寝もできるだけみんな一緒にして、少しでも子供が退屈しないように、また、将来人の中で生活していける

ように配慮されているのだ。祐介達が訪れているのは幼稚園ぐらいの子達の病室で、看護婦さんも自然と保育士さん

のような態度になる。

「えー、いまおもしろいとこなのにー」

「ねむくなーい。」

ぶーぶーと子供達から反論があがる。この辺は普通の子達と全く変わらない。

『あはは、ごめんね。お兄ちゃんもちょっと読み疲れちゃった。また今度、続きを読んであげるね。』

丁寧に祐介が子供達に意識を送ると、子供達はちょっと名残惜しそうにしながらもそれぞれベッドに入る。

不思議な事に、祐介や瑠璃子に対して子供達は驚くほど素直なので、今では祐介達は病院でもちょっと

評判になっていた。特に沙織の子供に笑いを絶やさせない話術や、瑠璃子の子供を泣き止ませる不思議

な笑みは、看護婦さん達の間で「将来、うちに来てくれないかしら」とまで言われるほどなのだ。

「おねーちゃん、またねー。」

「また来てねー。」

香奈子も子供達一人一人に手を振りながら、看護婦さんにぺこりと頭を下げて、祐介と一緒に病室から

退出した。

 

「あれ、亜紀ちゃん。」

 

病室を出たところで、祐介と香奈子は小さな女の子と鉢合せした。やはり目が見えなくて、数ヶ月後に手術

を控えているという女の子だ。そういえば、今日はずっと姿が見えなかった。

 

「お昼からずっと、検査だったの。」

 

特に何かたずねた訳でもないのに、亜紀ちゃんは祐介と香奈子にそう言って、彼らの疑問に答えた。

彼女に限らず、ここの子供達は時々、人の心を読んでいるように見えることがある。病院では時々経験

している事だったので、二人とも特には驚かなかった。

 

「そっか。亜紀ちゃん、もうすぐ手術だったね。」

「はやく、良くなるといいね。」

「うん、ありがとう。」

 

ちょっと気が弱いところが心配だが、頭のいい、しっかりした子だ。手術が怖くないはずはないだろうに、

こういう笑みが浮かべられる所は瑞穂に似ている・・・そんな風に香奈子は思った。

 

「もう、帰っちゃうの?」

「あ、うん。お昼寝の時間みたいだから・・・」

「わたし、ねむくない。」

 

ひどくがっかりした様子で、亜紀ちゃんは祐介のズボンの膝のあたりをつかんだ。ちょっと困った顔で

祐介は屈み、視線を亜紀ちゃんと同じ高さにする。

 

「でも、亜紀ちゃんも検査で疲れたんじゃないかな?きちんと休まないと、はやく良くなれないよ?」

「でも、ねむくないもん。」

 

いつもなら聞き分けがいい子なのだが、今日ははっきりと首を横に振る。亜紀ちゃんが自己主張したのを

見たのは初めてだったので、つい、祐介の頬も緩んでいた。

 

「そっか。じゃあ、お話してあげようね。」

 

そっと亜紀ちゃんを抱っこすると、祐介は先ほどまでいた病室と廊下をはさんで反対側にある、亜紀ちゃんの

病室に入って行った。こちらの病室では、瑠璃子、沙織、瑞穂の3人が、子供達を寝かしつけているところだった。

 

「きょうは、なんのおはなし?」

 

祐介にベッドに寝かしてもらいながら、亜紀ちゃんが期待に満ちた顔で尋ねる。

 

「今日はね。鳥のお話だよ。」

 

亜紀ちゃんに掛け布団をかけてあげていた香奈子の手が、ぴくっと、一瞬だけ止まった。

 

「お姫様、でてくる?」

 

「でてくるよ。」

 

「王子様は?」

 

「・・・・・・王子様は出てこない。でも、お姫様のそばには男の人がいる。」

 

「あいしあってるの?」

 

「心から。」

 

そして、ちょっとだけ目を瞑ってから、祐介は静かに語り始めた。

 

 

 

あるところに。

綺麗な、とても優しいお姫様がいました。

 

お姫様は、ある日、窓に綺麗な青い鳥を見つけます。

 

そしてお姫様は、その青い鳥が大好きになりました。

 

 

 

でも。

 

 

ある日、青い鳥は、暗い暗い箱の中に、閉じ込められてしまいました。

 

お姫様は、青い鳥がかわいそうで、箱を開けるかぎを探しにでかけました。

 

青い鳥が閉じ込められた箱を持ったまま、お姫様はかぎを探してどこまでも旅をしました。

 

旅をしている間中、お姫様は箱の外から、中の鳥に語りかけました。

 

「青い鳥さん、寂しくないですか?」

「大丈夫だよ。」

鳥は言いました。でも、その声は、寂しそうでした。

 

 

「青い鳥さん、つらくないですか?」

「大丈夫だよ。」

鳥は言いました。でも、その声はとてもつらそうでした。

 

 

「青い鳥さん、怖くないですか?」

「大丈夫だよ。」

鳥は言いました。でも、その声はとても不安そうでした。

 

 

そして、お姫様はまた、旅を続けました・・・

 

 

大きな白い教会に

 

お姫様はたどり着きました。

 

そして・・・とうとう、お姫様は箱のかぎを見つけました。

 

お姫様は、とうとう、青い鳥を箱の中から出してあげる事ができました。

 

 

「鳥さん、そとですよ。大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ。」

青い鳥は言いました。

 

その声は、まだちょっぴり寂しそうでした。

 

でも、とても嬉しそうでした。

 

そして青い鳥は、そら高く、飛んでいきました。

 

ずっと遠くへ、飛んでいきました。

 

でもお姫様は、寂しくはありませんでした。

 

外に出られた青い鳥は、どこへでも飛んでいけるから。

 

だから、いつか必ず会う事ができると

 

知って

 

いたから・・・・

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・眠ったよ。」

そっと亜紀ちゃんのベッドから離れながら、祐介はゆっくりと香奈子に言った。

「・・・・・・・・・うん。」

 

それだけ言って、香奈子は祐介の腕をつかみ、そのまま、静かに病室から出た。

 

 

 

雨。

 

まだ、雨が降っていた。

 

廊下の傍らのロビーには、祐介と香奈子の2人しかいなかった。祐介も香奈子も何も言わず、ただ、静かに

窓の外を眺めていた。

 

 

 

「お姫様は」

 

不意に、香奈子はそう口にして、くすっと笑った。彼女らしい、苦笑の仕方だった。

 

「『女の子』は、白い鳥に聞きました・・・・」

 

そっと、祐介の後ろに回り、祐介の背中に額をつけて、香奈子は続けた。

 

「白い鳥さん、淋しくないですか?」

「・・・・・・・・・・・・少しだけ。でも、沙織ちゃんがいるから。」

 

「・・・・白い鳥さん・・・・・つらく、ないですか・・・・・?」

「少し。でも、瑠璃子さんがいるから。」

 

「・・・・・・・・白い鳥さん、怖くないですか・・・・・・・」

「・・・・・・・・瑞穂ちゃんが、いるから。」

 

「・・・・・・・・・・・・白い鳥さん・・・・・・そとは・・・・・大丈夫ですか・・・・・・・・」

「香奈子ちゃんがいるから。・・・・・・・・・みんなが、いるから。」

 

 

祐介は、ほんの少しだけ声を大きくした。

 

「大丈夫だよ。」

 

ぎゅっと、背中から抱きしめてくる香奈子のぬくもりは、いつもよりちょっと頼りなげに感じられた。

 

「祐介君・・・・・」

「うん・・・・・」

 

「どこにも行かないでね・・・・・・・」

「うん・・・・・・・・・」

 

「ずっと、そばにいてね・・・・・・・・・」

らしくない。でもそれが当然だと、祐介は思った。

 

 

「どこかに行くときは。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「必ず、一緒に連れて行くから。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・・」

 

やわらかい、満面の笑みを浮かべた香奈子は、そのままずっと、離さぬように、白い鳥を抱きしめていた。

 


(あとがき)

夜、布団の中で眠る前に頭の中に浮かんだSSです。香奈子ちゃんのスタンスは長瀬家でのまとめ役、

お姉さん役といった感じで確立していまして、自分としても普段はそれが自然な気がします。

でも、ちょっと「らしくなく」ても、内面的には、太田さんは家族の中で一番守られる立場にあるような気も

してまして、今回はそんな一面のお話です。

一方で、らしい部分も出したいと思ったせいで、最後の方はまたちょっと書きすぎてしまったかもしれません。

個人的には、かっこわるくても「ちょっと寂しいときとか、不安な事もあるけど」と正直に言えるところが、

祐介君らしさかなと思ってるんですけど。



 ☆ コメント ☆ セリオ:「長瀬家の方々は確かに子供たちに好かれそうですよね。      みなさん穏やかですし」(^^) 綾香 :「うんうん、そうね」(^^) セリオ:「誰かさんとは違って」(−o−) 綾香 :「…………誰かさんって誰のことよ?」(^^メ セリオ:「さぁ? 誰のことでしょうねぇ?」(−o−) 綾香 :「……………………。      ま、いいわ。      ところで……香奈子って強そうに見えるけど、内面は不安でいっぱいなのかもね」 セリオ:「ですね。      どんなにしっかりしていても、やはりか弱い女の子ですから。      ちょっと弱気になる時もありますよ」 綾香 :「そうよね。まったくだわ」(^^) セリオ:「誰かさんとは違って」(−o−) 綾香 :「…………だから、誰かさんって誰のことよ?」(^^メ セリオ:「さぁ? 誰のことでしょうねぇ?」(−o−) 綾香 :「……………………」(^^メ



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