私立了承学園
Voluntary Toraining:「現場の声」


 

「あっ!・・っっ・・・・・」

「ご、ごめん!!大丈夫、葵!?」

「葵ちゃん大丈夫か!?」

 

格闘技を行う者の多くが、一番気を使っている事は何か?

打撃力の向上、瞬発力や持久力のアップ、実践的な勝負感の習得、精神面の強化・・・

これら全て、多くの挌闘家がそれぞれ意識している事だろう。だがもっと、流派や種目の枠を越えて、

全ての挌闘家が意識している事がある。

 

彼ら、彼女らが普段から最も気にしている事。

それは、「怪我をしないこと」である。

 

「だ、大丈夫です・・・すみません、私がスリップしちゃったから・・・・」

「あ、あ、葵、目!目から血が!!浩之!!きゅ、きゅ、救急車!!」

「落ち着け綾香!病院はすぐそこだ。ほら葵ちゃん、おぶさって!」

「え?あ、す、すみません!!」

「よっと・・・よし、しっかりつかまっててくれよ。走るぞ綾香!!」

「う、うん!!」

 

日曜日の午前中。

普段どおりにロードワークと軽めのアップを済ませた後、浩之と綾香、葵の3人は交代で組み手の

トレーニングに精を出していた。ひとつ、普段どおりでなかった事と言えば、セリオが欠席している事だ。

 

4人揃っているときは、組み手は大抵セリオと葵、浩之と綾香というペアで行うのが普通だった。

「組み手」と言うのは、実際の試合で自分の動きができるようにするためのシミュレーショントレーニング

のような物である。あらかじめ互いの動きを決めて行う「約束組み手」と、実際の試合のように動きの打ち

合わせなしで行う「自由組み手」というのがあるのだが、自由組み手であってもまるっきり試合と同じと言う

わけではなくて、スピード重視とか、蹴り技主体でとか、きちんと状況や目標を定めて行うのが普通である。

闇雲に全力で打ち合ったところで、なかなか弱点補強には繋がらないからだ。色々な状況を想定し、最初は

ある程度は互いに動きをあわせる。そして、徐々に動きを早めたり、新たな動きを交えたりと応用していく訳である。

 

だから組み手のパートナーというのは、当然自分の動きをよく理解してくれている人が望ましい。体格差などの

ハンデがある場合はなおさらだ。そんな訳で葵の組み手には、大抵セリオがあわせるのが通例となっていた。

 

 

 

しかし、この日はセリオがいなかった。そこで、綾香がセリオの代役を買ってでたのだが・・・・

 

「・・・・・・私が慣れてなかったから・・・・・」

「いや、慣れてなかったって事はねえだろ?以前にも綾香が組み手の相手をしたことは何度もあったわけだし。」

「でも・・・・・」

「今回の事故は綾香のせいじゃねーよ。運が悪かっただけだ。」

 

日曜日であるため、病院の外来待合室は閑散としていたが、看護婦達がせわしなく、ほとんど駆け足に近い

足取りで動き回っている。病院スタッフたちの忙しそうな様子が、待合室で待つ浩之と綾香の不安を駆り立て

ていた。それでも、看護婦さんたちが通り過ぎ様に笑みや会釈を交わしてくれると、わずかでもほっとする事

ができる。

浩之が言うとおり、完全なアクシデントだった。組み手の最中に葵がスリップしてしまい、綾香の蹴りが葵の目

に当たってしまったのだ。だが、たまたま自分が代役を受け持ったときに起こった事なので、綾香はどうしても

責任を感じてしまっているようである。何しろ怪我をしたのは左目で、目の怪我というのは万が一のことがあれば

選手生命に関わる。冷静でいろという方が無理かもしれない。

事故の際、浩之の対応は非常に冷静だった。今日は日曜で、学園の保健室にメイフィアはいないだろう。そう判断

してすぐに葵を背負うと、ものすごいスピードでダッシュして学園内の眼科病棟に駆け込み、急患を告げたのである。

 

「大丈夫だって。ここの目医者さんはすごく優秀な人だって祐介が言ってたろ?いざとなりゃ、他にも色々頼りに

なる人はいるしさ。」

「うん・・・・」

 

自らの不安と心配を押し隠して、浩之は真っ青な顔をして落ち込んでいる綾香の肩を抱いた。

 

「意味のないことで自分を責めたって、落ち込むだけだぜ?そんなの、綾香の性分じゃねえだろ?」

「うん・・・・・」

「だいたい、お前がそんな顔するとこっちまで不安になっちまうぜ。」

「うん、そだね・・・・ありがと。」

「そうそう。その顔でいろよ。」

 

少し落ち着いてきたのか、綾香もやっと薄い笑みを浮かべて、浩之に身体を預ける。

そのとき病室の扉が開いて、中から看護婦が顔を出した。

 

「藤田さ〜ん、どうぞお入りくださ〜い。」

「あ、は、はい!!」

 

浩之は慌てて綾香の肩を抱いたまま立ち上がり、ふわりとした笑みを浮かべた看護婦に会釈した。綾香はまだ

不安が拭い切れず、浩之の服をぎゅっと握り締めている。

 

「大丈夫、大丈夫ですよ。」

 

看護婦のゆるやかな微笑みが、浩之達には何よりありがたかった。

 

 

 

病室では先ほどの看護婦に負けず劣らず、やわらかい笑みを浮かべたショートカットの女性が、白い眼帯をして

申し訳なさそうな表情を浮かべている葵に何か説明しているところだった。着ている白衣のタイプが異なり、一見

して看護婦ではなく女医である事が解る。

 

「葵、大丈夫なの?」

「先生、葵ちゃんの怪我、どうなんですか?」

 

全く同時に声を発した綾香と浩之に、にっこりと微笑んで女医が返答する。

 

「はい〜。心配、要りませんよ〜。瞼の内側を切っていますけど〜、眼球には〜、傷はありませんから〜。」

 

後光がさしてきそうなほど、柔らかく暖かな笑顔。童顔であるが不思議な落ち着きがあり、「母性」という言葉でその

個性の8割は表現できそうな女性だった。手元でカルテを整理するてきぱきとした動作と、ゆっくりと間延びした口調

がアンバランスで、声を聞いているだけで安心してしまうような不思議な雰囲気がある。先生は先生でも、医者という

より保育士さんを連想させる人物だ。

 

「眼帯も〜数日で外せると思いますから〜。」

「すみません綾香さん、藤田先輩・・・私の不注意で・・・・」

「「よ、よかったあ〜〜〜〜」」

 

大事に至らないことがわかって、綾香はへなへなと浩之にもたれかかる。つい先ほどまで、「失明」という最悪の事態が

脳裏から離れなかったのだ。

 

「本当にすみませんでした・・・ご心配をおかけしてしまって・・・」

 

葵は葵で、「自分の未熟のせい」と思っているのだろう、何度も綾香と浩之や、医師に向かって頭を下げる。

 

「いや、大事に至らなかったんだし、もういいってば。先生、どうもありがとうございました。」

 

綾香と葵を両手で撫でて落ち着かせながら、浩之は眼科医の女性に頭を下げた。

女医はニコニコと笑みを絶やさずに頷くと、浩之に1枚の書類を差し出した。

 

「この紙を〜、受付で出してください〜。替えの眼帯と〜、目薬をもらえますから〜。」

「あ、はいどうも。さっき家の方に電話しておいたんで、すぐに保険証持って来れますんで・・・」

「事故に備えて〜、練習の際は、保険証も携帯しておいてくださいね〜。コピーでも構いませんから〜。」

「は、はい。」

 

言いながら、内心ばつの悪い浩之である。と言うのも、普段の練習なら、セリオが保険証のコピーや診察券、

応急処置用の救護セットなどを常に携帯してくれていたからだ。いつもセリオがしっかりとやってくれていた

ために、いつのまにかセリオにまかせてしまっていた事を、3人とも、今回一番反省すべき点だと感じていた。

 

「それから〜」

「?」

 

くるっと椅子を回転させて机に向かうと、女医は大きな机においてあるノートパソコンをカタカタと操作した。

次いで、机のとなりのOAラックに装備してあるレーザープリンターから印刷物が排出される。

手早く印刷物にサインしてから、女医は相変わらずのんびりした口調で浩之にそのプリントを差し出した。

 

「この手紙を〜、生物のガチャピン先生に〜、お渡し願えますか〜?」

「はい?ガチャピン先生に・・・ですか?」

 

意外な名前が出たために奇異に思って、浩之はプリントに目を落とした。そこには、「学園内での安全な

課外活動のための要望」と題がある。そこから先は格式ばった定型文ではなく、やや親しげな文章で

「眼球保護のための簡易プロテクターを作って欲しい」という要望が書かれていた。

 

「ええと・・・・?」

「私のおせっかいかもしれないのですが〜、眼と言うのは、鍛えるわけにはいかない部分ですから〜。

それでガチャピン先生に〜、ご助力願えないかと思いまして〜。」

「あ、いえ、ありがとうございます、そこまで配慮して頂いて・・・・。あの、ガチャピン先生とは、お知り合い

なんですか?」

「はい〜。学会などで〜、よく存じておりますよ〜。とてもすばらしい先生ですよね〜。」

「・・・同感です。」

「ガチャピン先生には〜、最新型の子供達の歩行器ですとか〜、階段昇降機等を寄付して頂いて〜、

とても感謝しております〜。」

「ああ、なるほど・・・・・」

 

そういえば、この病院には目の見えない子供達が多数入院していると、浩之も祐介達に聞いた事があった。

そういう子達のために、手作りの発明品を寄付しているのだろう。

 

「眼科医の本音としては〜、本当は面などのきちんとした防具をつけて頂きたいんですけど〜。極真の方々ですと、

そうもいかないでしょうから〜。せめて、目だけでも保護できる小型バリアーがあればいいかと思いまして〜」

「すみません、なにからなにまで・・・・・」

 

浩之達がやっているのは極真空手とはまたちょっと違うのだが、まあ今回の件に関しては大差ないだろう。

そんな些細な間違いより、浩之達には医師の細かい心遣いの方がはるかに重要で、ありがたかった。

 

「あと〜、自主練習の際にも〜、出来るだけ、顧問の先生か、マネージャーさんに付き合ってもらうようにして

くださいね〜。空間転移装置を借りておくのも〜、いいと思いますよ〜。」

「はい、次回から必ずそうするようにします。今回は、本当にどうもすみませんでした。」

 

3人揃って、医師に頭を下げる。

 

「いいえ〜。これが私の仕事ですから〜。気をつけて、練習に励んでくださいね〜。」

「ありがとうございます、えっと・・・・・」

「あ、片倉です〜。」

「ありがとうございました、片倉先生。」

「はい〜。セリオさんにも、よろしくお伝えくださいね〜。応援していますから〜。」

「はい?」

 

突然セリオの名前が出てきたので、浩之はびっくりして聞き返した。片倉医師はニコニコしながら、

言葉を続ける。

 

「セリオさんとは〜、この間祐介さんたちと〜、子供達をつれてヒーローショーを見に行ったときに〜、

会場でお会いしまして〜。」

「そ、そうだったんですか?」

「はい〜。過疎レンジャーの変身ポーズを〜、一通り子供達に教えていただきました〜。」

「は、はぁ。」

 

セリオが繰り出すこだわりの変身ポーズの数々を、祐介と瑠璃子が熱心に子供達へ電波で伝えている様子

を想像して、綾香は「ちょっと楽しそうかも」、とかちろっと思ってしまった。

 

「あんなにお優しいお嬢さんが〜、格闘技をなさっていると聞いて〜、すごくびっくりちゃいましたけど〜。」

「・・・・・彼女のおかげで、俺達もすごく助かってますよ・・・・。おかげですっかり甘えちゃってたみたいで、面目ないです。」

「ほんとにすごいですよね〜。まだお若いのに〜、医学知識も相当なものをお持ちで〜。」

「えっと・・・・・あの片倉先生?」

 

片倉医師の発言にどうも気になる部分を感じて、綾香はちょっと遠慮がちに口を開いた。

 

「最近、わたし達も時々信じられなくなっちゃったりする事もあるんですけど・・・・あの娘、セリオは実は、

メイドロボなんですよ。」

「・・・・・・ええええええっ〜〜〜〜!!!!ほ、本当ですか〜〜〜!!」

「ええ、間違いなく。・・・・もちろん、一般に出回っているタイプとは異なるんですけど。」

「・・・・・・・・信じられないです〜〜〜〜」

「耳のところに、センサーがありましたでしょ?」

「・・・・・・あ、そういえば〜〜〜。わたしはてっきり、「過疎グリーン」の「地域振興ブーメラン」を着けて

いらっしゃったのかと・・・・」

「・・・・・あれはそういうコスプレじゃなくて、本物なんですよ。」

 

何気に詳しい片倉医師である。セリオがテレビの過疎グリーン同様に、オーバーアクションで顔の横に

装着されたセンサーをブーメランとして飛ばす様を想像し、葵は「ちょっとかっこいいかも」、とか不覚にも

思ってしまった。

 

「まあ、信じられないのも無理はないですけど・・・片倉先生がお感じになったとおり、セリオには優しい本物の

心がありますから・・・・」

「そうでしたか〜〜。それで博識でいらしたんですね〜〜。また、お暇があれば、子供達と遊んであげて欲しいと

お伝えください〜〜〜。」

「ええ、そのときは俺達も一緒でもいいですか?」

「はい〜〜、もちろんです〜〜。」

 

浩之は、今後眼科にかかることがあれば、必ずこの先生のところに来ようと心に決めた。セリオがメイドロボと

知ってもなんの偏見も持たず、「セリオがセリオである部分」を正確に認識してくれている片倉医師を、浩之は

秋子やひかりと同等の信頼を寄せられる人だと確信していた。

 

「・・・・・そういえばこの病院って、メイドロボをあまり見かけませんね?」

 

ふと、先ほどからの病院内の風景を思い出して、浩之はそんな事を聞いてみた。

 

「ええ〜。院長先生の方針でして〜、この病院では〜、患者さんの看護や応対は、すべて人手でまかなう事に

なっているんですよ〜。」

「そうなんですか?」

「はい〜。患者さんとの、心の通ったコミニュケーションは〜、健全な医療環境の基本ですから〜。

メイドロボットさんたちには〜、看護や介護以外の部分で〜、がんばっていただいています〜。」

「なるほど・・・・」

 

理屈は浩之にもよく解った。こういう実情は、以前、長瀬主任からも聞かされたことがある。

 

もともとメイドロボは、医療機関や介護施設での活躍を期待されて開発されてきた。初期のメイドロボは、

デザインも機械むき出しで、会話もほとんど出来ないという、工業用ロボットと大差ないものだった。

これでは介護や看護を受ける側の人が、まるで自分が何かの部品や物として扱われているような、疎外感や

不安感を抱いてしまう。そこで、多くのメイドロボが現在のような、人間そっくりの女性型に進化してきたわけだ。

現在では会話のパターンや自然さも飛躍的に向上し、一見して人間と全く区別がつかないデザインになっている。

だがそれでも、やはりメイドロボはロボットであり、機械である。心の通ったコミュニケーションという点では、生きた

人間の看護婦や介護士の代わりはやはり務まらないのだ。ある程度の模倣は出来ても、それは結局想定された

マニュアルパターンの選択肢に従っているに過ぎないのである。実際、相手が病人や目の見えない子供とあっては、

人間だって、誰もが自然なコミュニケーションを取れるわけではないのだから。

 

だからこの病院のように、メイドロボには掃除や洗濯、事務処理などの仕事を担当してもらい、その分できるだけ

多くの人員を患者の対応にまわすという方法をとっている病院は、結構多いのだそうだ。浩之にも、現段階では

それがベターな方法の様に思えた。

 

だが、マルチやセリオの妹達が、「心を持たない」という理由で働く場所を制限されている事が、浩之には寂しかった。

彼女達がマルチやセリオと同じように作られていたら・・・と、つい、考えてしまうのである。

 

「あの・・・・片倉先生?」

「はい〜?」

 

仕事中にあまり長話をしてしまってはいけないと思いつつ、それでも浩之は目の前の女医に

聞きたい気持ちを抑え切れなかった。

 

「心のあるメイドロボって・・・どう思います?」

「・・・・・はい?」

「えっと、すみません、その・・・・ほら、たとえば、うちのセリオとかみたく・・・・・」

 

片倉医師は少し戸惑った表情を見せていたが、しばらくして、浩之の目を見つめながらゆっくりと

語りだした。

 

「そうですね〜。セリオさんのような方が〜、うちで働いてくだされば〜、患者さんも〜安心してお任せする

事ができます〜。」

「そうですよね・・・・」

「でも〜」

・・・・・・・・?」

「医療に携わる者の本音としましては〜、心をもったメイドロボットが量産される事より〜、一人でも多くの

人間が、医療や介護に関心を持って協力してくださる事の方が〜、うれしいです〜。」

「・・・・・・・・・・・・」

「現在では〜、人手も〜予算も〜足りないところがほとんどですから〜。うちの病院は、かなり充実して

いますけど〜、それでも、メイドロボットさんをたくさん導入するのは、大変なんですよ〜」

「予算(おかね)・・・ですか。」

 

王手を指された感じで、綾香が呟く。実際、最新型のメイドロボが導入できる施設と言うのは、かなり珍しい

部類なのだ。試作機であるマルチから「心」を含む多くの機能を削ってコストダウンを図り、低価格モデルと

して発表されたHM-12型の大ヒットが、皮肉にもそれを証明していた。HM-12型がマルチと同仕様で発表さ

れたとしても、実際に導入できる病院はほとんどなかっただろう。

 

「新聞を読んでますと〜、今後は医療予算が削減されて、もっとお金が足りなくなりそうですから〜。だから、

根本的な問題解決のためには〜ロボットさんをたくさん作るより〜、今いる皆さんに頑張って頂かないと〜。」

 

「それは・・・・確かにそうですね。」

葵には、片倉医師の言った「今いる皆さん」というのが、自分達の世代を指しているように感じられた。

・・・・いや、社会に住む人間、全部を指しているのかもしれない。

 

「それに〜、車があると〜ついついすぐ近くでも〜、歩かないで車を使ってしまいますよね〜?」

「・・・・・・?そ、そうですね。」

「それと同じで〜、あまりロボットに頼ると〜、わたし達も〜、心を鍛える事を忘れてしまいますから〜。」

「・・・・・・・」

「優しい心をもったメイドロボットさんが〜、病院で頑張って下さっても〜、人が心を失っては〜、何にも、

なりませんから〜。」

 

「まさか・・・・・と、思いたいですね・・・・」

思わず、頭を振ってしまう浩之である。リアルに想像できすぎたのだ。「心優しいメイドロボ。これさえあれば、

医療介護問題ももう解決。」「おじいちゃんが寝たきりになっちゃったから、さあメイドロボを買おう。」・・・・

・・・・・・社会の様々な部分で機械がなければ生活できないほどになってしまった人間が、「心を必要とする

作業」までロボットにたよってしまったら、もうどちらが生きている人間かわからない。

それに、そんな社会からは健全な心をもったメイドロボだって生み出されないだろう。

 

「ですから〜、将来、心を持ったメイドロボットさんが登場されるとしても〜、その前に準備すべき事が、たくさん

あるのではないでしょうか〜?」

「そうですね・・・・。俺も、もっともっと勉強しないとならないです。」

「私もですよ〜。毎日、勉強になってばかりです〜。」

 

くすくすと笑いながら、ひどく嬉しそうに、片倉医師は言葉を続ける。

 

「お勉強に疲れたら〜、子供達と遊んであげてくださいね〜。祐介さんたちも〜、よくいらしてますから〜。」

「ええ、それはぜひ。」

「あ、そういえば〜、もうひとつおねがいしたいことが〜。」

「はい何なりと。私たちに出生きる事でしたら!」

 

なにやらすごく感銘を受けたらしい葵が、元気よく承諾の返事をする。綾香も浩之も、強く強く頷いた。

 

「よかったです〜。では、お言葉に甘えて・・・・」

急に片倉医師は立ち上がると、戸棚の中をごそごそとなにやら探し始めた。

「あれ〜?おかしいですねぇ〜?内藤さ〜ん?」

「はい、何でしょう片倉先生?」

「ここにあった赤い箱を見ませんでしたか〜?」

「・・・・・先生・・・それだったら、目の前の机の上にあるじゃないですか・・・・」

「・・・・・・・あ、ほんとです〜。」

 

苦笑する看護婦にぺろっと舌を出して見せてから、片倉医師は浩之に、綺麗な可愛らしい包装紙で包まれた

箱を手渡した。

 

「こちらを〜、祐介さんにお渡し願いたいのですが〜、お願いできますか〜?」

「はぁ、それはお安い御用ですけど・・・・なんですか?これ?」

「クッキーです〜。手作りなんですよ〜。」

「手作りクッキー?・・・・って、先生の手作りなんですか?」

「はい〜

「・・・・・・・・えっと・・・・・それなら、直接渡した方が祐介も喜ぶんじゃ・・・・」

「ちょっと!浩之!

 

綾香が小声で後ろからつつくが、そんな事には構わずに、片倉医師はニコニコしながら言葉を続ける。

 

「そうしたいのは山々なんですけど〜、病院では〜、結構一緒のお嬢さんたちのガードがかたいものですから〜。」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「それで、皆様にご協力いただければ〜、想いも届くかと思いまして〜」

 

なんだかだんだん怪しげな話になってきた。ついさっきまで可愛らしく見えていた片倉医師の微笑みまで、

ちょっと妖艶な感じがしてくるから不思議である。

 

 

「え〜っと・・・・・わっかりました。祐介に渡せばいいんですね?」

「浩之ってば!」

「はい〜。よろしくお伝え願えますか〜?」

「ぇ、ええ。」

「知らないわよ、私・・・・」

 

後ろで綾香がぶつぶつ言っているが、ともかくも今回は非常に世話になったわけだから、ここは快く承諾する

事にした。というか、もともとこのタイプの女性の頼みを断るのが、浩之は大の苦手なのだ。

 

「よかったです〜。皆様のご助力に、感謝いたします〜。」

「い、いえ・・・・。こちらこそ、お世話になりました・・・失礼します・・・・。」

「はい〜。お大事に〜。」

 

聖母のような満面の笑みを浮かべている片倉医師に、ちょっぴり引きつった笑みを返しながら、浩之達は

病院を後にした。

 

 

 

 

 

「・・・・・・俺さあ。」

 

帰り道。寮の近くまで帰ってきたところで、ポツリと浩之が口を開いた。

 

「メイドロボに心はいらないって考え方って・・・・、なんか、ロボットは隷属する能力さえ在ればそれでいいって

言う、一種の封建的な考え方だって、どっかで思ってたんだよな・・・。今日、病院で先生の話聞いて、ちょっと

恥ずかしかった。」

「・・・・私も。でも、それだけじゃないのよね。」

「現状ではまだ、心のあるメイドロボを受け入れられる環境って、出来てないんですね・・・」

 

綾香も葵も、ちょっと自嘲気味に呟く。

 

心のあるメイドロボを大量に作るということは、親や家族のいない人間を大量に世に出すと言う事だ。

現在、全てのユーザーや企業が、メイドロボを家族として受け入れられる環境は、残念ながら整っていない。

それに、片倉医師が言っていたように、今の病院などは予算的にも、人間の職員を受け入れるだけで精一杯

なのだ。

 

「メイドロボに頼りきってしまう様になるっていうのも、怖いわよね・・・。本来、人にしか出来ない事が、ロボットにしか

出来ないようになったら・・・・」

「・・・・私は・・・人間はそんな事ないと、信じたいですけど・・・・」

 

浩之も綾香も、その点は全く葵と同感だった。そこを信じられないと言うのは、あまりにも悲しすぎる。

 

「ま、そんな事にならんように、俺達もちょっとずつでも頑張らないとな。今回の件でも、いつの間にかセリオに

頼りきりになってた部分が結構あったし・・・恥ずかしいよな。」

「そうですよね・・・・私も、恥ずかしいです・・・・。」

「これからは面倒な事でも、先に俺達が気付いてやるぐらいにならないとな。」

「そうね。どんな小さな事でも、協力していかなくちゃね。」

「うむ、その通り。では綾香君、この品を長瀬家に届けて来てくれたまえ。」

「い、いやよ!引き受けたの、浩之でしょ!」

「どんな小さな事でも協力していかなきゃって、今言ったろうが。」

「それとこれとは話が別でしょ!何で私が不倫の片棒担がなきゃならないのよ!」

「不倫の片棒って・・・・義理チョコか、お中元みたいなもんだと思えばいーじゃん。」

「そう思うなら浩之が渡しなさいよ。私はいやよ、中から恋文とか出てきて沙織のスパイクの巻き添え

食うのは。」

「や、やな事いうなよ・・・・。」

 

話を一気に8段階ほど低次元にして言い争いを始めた綾香と浩之を横目に、葵はこっそり溜息をつく。

ちょうどそのとき。

 

「葵さーんっ!!

「え・・・・セリオさん?わざわざ、帰っていらしたんですか?」

「はぁ、はあ、・・・・葵さんっ!!お、お怪我は、だ、大丈夫なのですか!!」

「あ、はい、大丈夫です。ちょっと瞼を切っただけで・・・ご心配かけてすみませんでした。」

「いいえ、私こそ肝心なときにその場にいなくて・・・。ああ、やっぱり分室に赴くのを午後からにしておけば・・・」

 

どうやら話を聞いて来栖川の分室からまっすぐ走ってきたらしい。何の責任もないのに変な後悔をしている

あたり、非常にセリオらしいところだ。

「メンテの途中で抜け出してきたんでしょ?ごめんね、セリオ。心配かけちゃって・・・・。」

「いいえ、当然の事です。メンテナンスは、これから再度赴けばすむことですから。」

「ありがとな、セリオ。」

 

いつものようにセリオの頭を撫でようとして、浩之は手にしていた赤いプレゼントの箱が邪魔な事に気付いた。

これ幸いと素早く綾香に箱を押し付けて、やさしくセリオの頭を撫でる。

 

「あ・・・・・・・・。そうでしたか・・・大事に至らなくて本当によかった・・・」

 

頭を撫でられて頬を赤らめながらも、セリオも安心した表情を浮かべる。

「さ、葵ちゃん、帰ろうか。セリオも、こっちは心配ないからさ。ゆっくりメンテナンス受けてこいよ。お前の健康も、

我が家ではこの上なく重要だからな。」

「はい、ではまた、いってまいります。」

「うん、いってらっしゃい。じゃ、綾香、その箱よろしく。」

「ちょ、ちょっと浩之、ずるいわよ!!」

「?綾香さん?その箱はなんなのですか?」

「え?ああ、それは・・・」

 

と、浩之がそこまで言いかけた時。綾香の頭に、天啓が閃いた。

 

「そうだ!!ねえセリオ、悪いんだけどさ、分室に行った帰りに、ちょこっとの祐介んトコによって、これ渡して

きてくれない?」

 

セリオに気付かれないようにさっと浩之に目配せして、さり気なさを装いそんなことをいう。

 

「はい?祐介さんに、ですか?」

「ああ、そうそう。それ、祐介へのプレゼントなんだよ。悪いけどセリオ、後でちょっと寄って渡してきてくんね―かな?」

「?ええ、構いませんよ。どうせ、通り道ですから。」

「サンキューセリオ!!恩に着るわ!」

 

こういうときの綾香と浩之のコンビネーションは、藤田家随一である。葵が何もいわないのは、別に結託している

訳ではなくて、呆れているからだ。

 

「では、もう一度分室に行ってまいります。そう遅くなる事はないと思いますので。」

 

「ああ、いってらっしゃい。」

「気をつけてね〜よろしく〜。」

 

ひらひらと調子よくセリオを見送ってから、綾香と浩之も再び歩き出したが・・・その歩みは葵のジト目の視線で、

数歩行かぬうちに中断された。

 

「・・・・・・・・・お二人とも・・・・。言ってるそばからセリオさんに面倒事押し付けて・・・・」

「ち、違うわよ葵!!誤解誤解!!」

「そ、そうそう!!あの場合、箱の中身も事の経緯も知らないセリオが渡すのが、一番面倒にならないんだって!!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「ほ、ほら!中身とか内容とか知らないんだったら、セリオも巻き添え食ったりはしないじゃない?

・・・・それとも、葵が渡してきてくれた?」

「え?そ、それは・・・・でも、やっぱり私たち3人が頼まれたわけで・・・・」

「こうしておくのが、一番みんな平和なんだって。セリオは人伝に中身を知らないお中元を祐介に届けたと。

誰もうそをつくことにはならないし、誰も怪我しないだろ?」

「そうそう。いわゆるそのお・・・安息のための処世術ってやつよ!」

「・・・・・・・・なんかお二人とも、理論武装が長岡先輩みたいです・・・・」

「「うっ・・・・・・・・」」

 

まだ納得いかない表情の葵からしきりに視線を逸らしつつ、綾香も浩之も、セリオが帰ったら今日はたっぷり

上映会に付き合ってあげようかとか、そんな事を考えていた・・・・のだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「祐介さ〜ん。あの、お届け物ですよ。」

「あ、セリオさん、どうもありがとう・・・・何、これ?」

「さあ・・・・そういえば中身は伺っていなかったのですが、プレゼントだって綾香さんが。」

「え?綾香さんから?なんだろう・・・・・・・えっと・・・クッキーと・・・・手紙?」

 

 

 

 

 

 

 

えてして、こういう画策をしたときと言うのは、たいがい、余計にややこやしい話になってしまったりする

ものである。

 

ち―――――ん(合掌)。

 


(あとがき)

「実際のところ、心のあるメイドロボっていうのは、医療現場の人にとってはどういうものだろう?」という

点に着目して、今回のSSができました。HM-12型が心を持って生まれてこれなかった事の理由として、

現場からこういう意見が出る余地も、まああるのではないだろうかと。もちろん、ほんとに現場の方に

インタビューしたりしたわけではありませんので、異論もでるかと思うのですけど。

「心のある―生命のある―メイドロボを量産する事がどんな意味を持つのか」、という点では、

To Heartに関する主流SSの中では、アンチテーゼ的な印象を与えてしまうかもしれないです。

別にそうゆーつもりはなくて、ただ、あまり描かれていない視点を探してみたらこういう風になった

だけなのですけど。いや、案外こういうことも、どこかで既に語られてるのかもしれないですね。

 

・・・・・・ところで、セリオのセンサーがブーメランって、ウイングマンみたいで我ながらかっくいいん

じゃないかと思うんですがどうですか?(台無し)





 ☆ コメント ☆

雅史 :「浩之や祐介くんたち……あれからどうなったんだろ?」(^ ^;

圭子 :「あ、それは気になりますね」(^ ^;

志保 :「……阿鼻叫喚の地獄絵図(ぼそ)」( ¨)

雅史 :「え? なに?」(・・?

圭子 :「長岡さん? 何か言いました?」(・・?

志保 :「いいえ〜、なーんにも。
     …………世の中には知らない方が幸せってこともあるのよ(ぼそっ)」( ¨)

雅史 :「…………?」(・・?

圭子 :「…………?」(・・?

志保 :「…………」( ¨)

雅史 :「よく分からないけど……ま、いいや。
     それはさておき……。
     僕、メイドロボには心がある方が良いに決まってるって思ってたけど……」

圭子 :「必ずしもそうではないんですね」

雅史 :「うん。目からウロコが落ちた気分だよ」

圭子 :「はい、わたしもです」

志保 :「心のあるメイドロボを受け入れられる基盤が出来ていないってのはあたしも同感だわ。
     世の中、ヒロみたいな奴ばっかじゃないし。
     メイドロボに心を求めるよりは、人が心を成熟させる方が先よね。
     もちろん、あたしも含めて」

雅史 :「…………」(@@;

圭子 :「…………」(@@;

志保 :「ん? どしたの? 二人して黙っちゃって」

雅史 :「いや、何て言うか、志保がそんな真面目な事を言うなんて意外だったから……」

圭子 :「ちょっと驚いちゃいました」

志保 :「あ、あんたら……。あたしを何だと……」(ーーメ

雅史 :「志保も偶には良いこと言うんだね。見直したよ」(^^)

圭子 :「ですねぇ」(^^)

志保 :(……誉められてる気が全くしないのはあたしだけ?
      というか、ひょっとしてこの二人、遠回しに喧嘩を売ってるのかしら?)(ーー;



戻る