私立了承学園第454話
「そしてこのとても素敵な」
(作:阿黒)





「理事長。少々相談があるのですが」
 朝のミーティングの後、午前中に予定されている区内学校連の理事研修会に出席するため、職員室に留って校長であるひかりと何やら相談している秋子に、やや遠慮がちに柳川は声をかけた。
「はい、なんでしょう?」
「いや…お忙しいところ恐縮なのですが…その」
 ごく自然に応じる秋子に、しかし柳川は常に無く歯切れの悪い口調で、なかなか用件を切り出してこなかった。
「急用でなければ、午後からにしてもらえません?時間も多少は作れると思うんですけど…」
 見かねたひかりにそう言われ、しかしそれで踏ん切りがついたのか、柳川は僅かに背筋を伸ばした。
 一度、小さく深呼吸して。
「では、簡潔に。…学園の備品を払い下げてもらえませんか」
「備品の、払い下げ…?」
「メイドロボを一体。つまり…その、マインを」
 きょとん、と、秋子とひかりは見つめあい。
 そして、示し合わせたわけでもないのに、同時に頭のそばでパッ、と握ったこぶしを開いた。
「「UFO♪」」

 ちゃらららちゃっちゃっちゃっ♪ちゃららちゃっちゃっちゃっ♪

「…いや…ピンクレディーのモノマネなんて、もう全然わかんないし…」
「まあお二人の年齢を考えれば相応なネタ…かなぁ?」
 実年齢は○百歳以上というルミラが、自分のことは遠くに置き去りにしてぼやく。それはともかく一応驚愕を表しているらしい踊りを止めて、秋子・ひかりの学園二大巨頭は元の位置に戻ってきた。
真面目な顔で、云う。
「あみんかWinkの方がわかりやすかったかしら?」
「…なんで俺、こういう人達の学校に就職しちゃったかなー…」
「柳川先生、なんだかまるで人生最大の痛恨事みたいな顔で苦悩するのは止めてくださいよ」
「そうそう。それよりなに、ついにマインちゃんを娶る決心したの?」
 期待に満ちた…というか、他人のゴシップに目の色変える某女子学生を思わせるキラキラした光るというか潤むというか、ぶっちゃけた話、腐肉を見つけたハイエナのような瞳を二人分向けられて、柳川は慌ててそのほとんど確定的な問いかけを否定した。
「…別にそんなわけじゃありません。いや、そのほら、メイドロボって結構役に立つんだなと実感しまして。ですが一応マインは学園のロボットですから使用上、色々と気をつけなきゃいけない煩わしい点もあって。いっそ自前で新品を買ってしまおうかとも思ったんですが、マインはもう家に馴染んでますし、気心も知れてるし…新しい機体だと、一からまた色々なことを再教育しなければいけないし、それならマインを正式に自分の所のメイドロボとした方がいいかな、と」
 やや早口でまくし立てる柳川の言葉に、たまたま机の向こう側にいたガチャピンが不思議そうな声を上げた。
「え?別に再教育しなくても、マインさんの学習データを新しい機体に移植すれば業務上全く不都合は…」

 かい――――ん!!

「どおおおおおおおおおおっ!!?頭が割れるように痛いっ!!!」
「割れてます、割れてます」
「つーかそこ、頭なんだね…ナルホド」
 鬼パワー全開で重いクリスタルグラスの灰皿を投げつけられ、頭とおぼしき箇所から白い体液をダラダラと流しながらのたうつガチャピンを前に、アレイとイビルがちょっと冷や汗を浮かべてしみじみと唸った。
「と、いうわけで!マインは新古品ですし新品を買うよりずっと良いかなと思うんですが!!」
「いや…わかりましたからいつでも投擲できるように灰皿振り上げて凄むのは止めてくれません柳川先生?割れると破片が危ないし掃除も大変ですから」
「…流血して転げまわるガチャピン先生は無視?ひかり…」
 と。
「よっこらしょ」

 ぬるりん。

 妙にヌメっぽい感じに、ガチャピンはあっさり脱皮した。艶々と真新しい緑色の外皮には、傷一つない。
「ふぅ、すっきりしました…って、アレ?」
 周囲にいた教師達が一斉に思いっきり引いてしまっている理由が判らず、ガチャピンは首を傾げながらもヌケガラ(?)を綺麗に折り畳んでゴミ箱に入れた。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
「…ごめん。私が悪かった」
「わかってくれればいいのよ、秋子…」
「なんか…ドッと疲れが…出直してきます」
「ちょーっと待ちなさいって柳川先生!」(×2)
 頭が痛そうに立ち去りかけた柳川の袖を、ひかりが慌てて掴んだ。秋子が右手を頬に添えて、優しい口調で尋ねてくる。
「つまり、柳川先生…マインさんと、そういう関係になったわけじゃないんですか?」
「そういう関係…って…」
「や〜ね〜、ナーニ想像してんのよ?このお・ま・せ・さん?」
 クスクス笑いながら会話に参加してきたルミラは、憮然としている柳川の肩に軽く手を置いた。
「そりゃーもちろんズコパコお○こやりまくりやがってるかってことよ」
「星になれい!!!」
 どりきゃすっ!!!

 コークスクリューブローというか、異常に手首が大回転しまくるパンチという感じのとにかくやたらと豪快な鉄拳を浴びて、ルミラは壁に大の字の穴を開けて天空の彼方に消えていった。いかに高位魔族といえど、単純な近接戦闘では鬼に分がある。
「というか、単なるヤクザ暴力だよなアレは。ま、ルミラ様なら死にはしないと思うけど」
「イビルさん…何気に非情ですね…。まあ、今のはちょっとルミラ様らしからぬ下品な物言いでしたが」
 アレイが複雑な表情でぼやくが、まあそういった外野の声はとりあえず置いといて、秋子とひかりは両脇から柳川を責め立てた。
「それで?結局、どこまでいったの?」
「いやあの…どこまでって…」
「そう……例えば二人で夕飯のお買い物に出かけた時!」
 自由の女神像のようなポーズで右手を上に掲げ、夢見るようね瞳でその先の虚空に視線を向けて、ひかりはやや陶然とした声と表情で言った。
「たまたま見かけたアクセサリーを少し物欲しげな顔で見ている彼女。
『ん…でも、ちょっと高いね。それに私にはちょっと大人っぽすぎるし』
 そう言いつつも、ちょっとだけ未練を残してその場を立ち去る慎ましい彼女。
 確かに少し高価かもしれないけれど、でも自分達でも十分手が届く、贅沢とは程遠い品。
 一緒にその場を離れながらも、後で一人だけ引き返して、そのアクセサリーを求める彼。
『えっ、そんな、私そんなつもりじゃなかったのに』
『いいんだよ、俺が急に欲しくなって勝手に買ったんだから』
 彼の強引さに少し眉を顰めながらも、不機嫌な顔でそっぽ向いている彼の姿に不器用さを見出して、彼女はほんのり心が暖かくなるのを感じるの。
『に、似合うかな?』
 ちょっと照れてそう問い掛ける彼女。
『まあまあじゃねーか?』
 ホントは可愛いよ、よく似合ってるよ、と思ってるくせにそんな口を叩いて、さっさと歩き出す彼。そんな彼の背中で、追いついてきた彼女が、
『…ありがと』
 って、彼にだけ聞こえる声で囁きかけてきちゃったりとか!?」
「もしくは昼下がりの喫茶店…」
 祈るように両手を胸の前で組み合わせて、夢見るように秋子が言ってくる。
「日当たりの良いテーブル。
 オレンジジュースのグラスが一つ。
 そして、二本のストロー。
『…おい、ちょっと待てよ…今時こんな恥ずかしいこと…』
『そ、そうかな…でも、一度はやってみたいとか思わない?』
『えーと…その…』
『わ、わたしも、恥ずかしいけど…でも…』
『でも、なんだよ?』
『子供の頃、ちょっと憧れたりしてたんだよね…えへへ』
『えへへって、お前なぁ……。は〜、まったくお前っていつまでもガキっぽいよな』
『い、いいわよもう!…それに…やっぱり恥ずかしいし…ね…』
 そのまま顔を真っ赤にして、ジュースはそのままにお互いしばらくメニューを覗き込むんだけど…どちらからともなく、言うわけね。
『…でもまあ…せっかく頼んだんだしな…』
『そうだよね…勿体無いしね』
 そんな言い訳を口にしながら、もう氷が半分以上溶けて薄くなったジュースは、でも奇妙に甘い味がするわけなの…」
「………………理事長…これから研修会に出かけるんじゃなかったんですか?」
 二人して半分アッチ側に逝きかけている秋子とひかりに、表情を無くした顔で静かに柳川は注意した。
「今の…お二人の体験談だと思います?」
「どーでもいいよ…もう腹一杯だぜ…」
 アレイとイビルが、胸焼けしたような気分に陥りながらぼやく。
「いやー。泣かせる話だなー」
「なんでやねん!」
 ハンカチを目頭(?)に当てていたガチャピンに、これ幸いという感じでイビルはケリを入れた。コロコロと転がっていく緑色の巨体を何気なく目で追って。
「じゃ、私はこれで」
「だーから待ちなさいって柳川先生」
 しゅたっ!と手を挙げて、明らかに逃げかけた柳川の両肩に秋子・ひかりが手を置く。
「で、どうなんですか?その辺りの進展とかは」
「いくら理事長でもプライベートにまで干渉する権限は無いでしょう!」
「大丈夫!これは職務とは全く関係無い単なる私的好奇心だから!」
「もっとダメでしょ校長!?…折角ですが、お二人が喜びそうな話はありません!本当です!」
「…………」
 しばらく沈黙した後、二人はそっと顔を寄せた。
「どう思う、秋子?」
「確かにあまり派手な事は無いみたいね…残念だけど」
「長瀬さん…いえ、長瀬警部さんの方だけど、今から学園に来ていただくわけにはいかないかしら?真実を明らかにするにはやはりプロの方のご協力が…」
「なんでそこまでっ!!?」
 聞くとはなしに聞いていた柳川が、その不穏な内容に思わず悲鳴を上げる。
「だからっ!そんな事はどうでもいいでしょう!で、結局どうなんですか、マインを払い下げてくれるんですかくれないんですかっ!!?」
 一瞬、きょとんと秋子とひかりは顔を見合わせたが、すぐに二人してポン、と手を打った。
「ああ。そういえばそういう話だったわね」
「うんうん。そういえばそういう話だったわよ」
「ううっ…くじけるな俺…がんばれ俺…ファイトだ俺…」
 あははは〜と気楽に笑っている二人に何だか泣きたいような心境になりながらも、ギリギリの所で踏み止まっている柳川だった。
「…とりあえず、500万くらいは都合がつけられますが」
 メガネを抑え、努めてビジネス口調でそう言ってくる柳川に、即座には秋子は答えなかった。珍しく少し考えこむ。
「マインさんは…新古品ですから400万くらいでは…いえ、4という数字は縁起が悪いですね」
「そうですね、4は死に通じるといいますから」
「ちょっと待てい宇宙人」
 いつの間にか戻ってきて重々しく頷くガチャピンに、投げやりなツッコミを入れるイビルである。
「じゃあ、切りの良いところで300万…それくらいでどうかしら?」
「了承」
 ひかりの提案に柳川が何か言う前に、秋子がごく自然にそう言った。
「それくらいでどうですか、柳川先生?問題なければ、今日中に書類を整えておきますけど」
「…それ、あたしにやれってこと、秋子?」
 今日の午前中は雪音が手伝いにきてくれる筈だったから、事務上の細々とした手続は彼女に一任しようか、と思いながら、苦笑しつつひかりは頷いた。
「じゃあそういうことで。詳細についてはお昼からということにしましょうか」
「結構です。…お時間をとらせて申し訳ありません、理事長」
 表面上完璧に礼儀を守って礼をする柳川をゆったりと見やって、秋子は頷いた。
「…じゃあ時間もたっぷり空けておいて、じっくりと今後のことについて、レクチャーいたしましょうか?女の子が喜びそうなデートスポットその他諸々とか。ね、ひかり♪」
「それはもちろん☆ウチの教師がそんなラブラブな武勇伝の一つも持っていないというのも寂しいし」
「…あの…そんなことを俺に期待されても…というか完璧におもしろがってるし…」
 胃のあたりを抑えながら、深く静かに重いため息をつく柳川だった。

 * * * * *

「んん〜〜〜〜〜〜〜…」
 メイフィアは意味もなく唸りながら机に向き直った。カルテを置き、その代わりのようにボールペンを意味も無くクルクルと回す。
「ここんとこ調子良いみたいだし、とりあえず様子見で薬、減らしてみよか?…今までだって大して使っちゃいないけど」
「あ、そうですか?」
 割と気楽に応える貴之をチラリと見ると、メイフィアはカルテに何やら書き込みながら、少しぼやいた。
「本当はねー、あたしも長生きしてる分、治癒術や薬学にはそれなりに自信はあるけど、でも専門医ってわけじゃないからねー」
「謙遜しなくてもいいんじゃないですか?俺も柳川さんもメイフィアさんには感謝してるんですから。…魔術治療なんて、そうそう受けられるものじゃないですし」
 実際、その治療効果は驚異的なものがあるだろう。以前はほとんど廃人同様であった貴之が、まだまだ予断は許さないとはいえここまで回復してきたのは。
 貴之の賛辞に、ウィッチ・ドクターはさほどうれしそうもなく頬杖をつく。
「こっちの言葉にあるでしょ?当たるも八卦、当たらぬも八卦…って。
 水を差すようで悪いんだけどさ、魔法の学術的な体系って、結構理論が未解明なところが多いのよね。
 なんていうか、とりあえずこんな風に実験したら成功した、っていう経験則だけで基本ができちゃってるとこ、あんのよ。だから、あんまり期待されてもあっさりパーになっちゃう可能性も無きにしもあらず〜」
「…そ…そんないい加減な…」
「んな事いってもね。本来おまじないを唱えて火の玉を作るなんてこと、世界法則にとっては不自然なことなんだからさ。そもそも生物的・霊的に魔力を操ることには未発達にできてるんだから、人間は」
「そんなもんなんですか?」
「そーよ。生物学的にみれば、魔力なり超能力なりを扱う能力をもつ生命体は、それ専門の…なんていうか、第六感覚器官、みたいなものがあって然るべきじゃない?目が無いのに見ることができる?耳が無いのに音を聞くことができるっての?」
「そ、そんなこと言うならメイフィアさんはどうなるっていうんですか。メイフィアさんは今は魔族かもしれないけど、元は人間だったんでしょ?」
 仮初めの実体こそ持ってはいるものの、その本質は己の肖像画に魂のみを移した精神体である齢400歳以上の魔女は、肩を竦めて見せた。
「だからよ。あたしは解脱…っていうのかな、こういのも?とにかく『こうなった』からこそデュラル家の一員に相応しいだけの実力を備えた魔女になれたんじゃない」
「ははあ…」
「…趣味ガ酒・煙草・競馬・パチンコ・麻雀ジャ、ソコラノ中年親父ト同ジデスケドネ」
 …………。
「ま〜い〜な〜ちゃん?あんた、なんちゅ〜か、すっげえ頭が高いわよねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
 保健スタッフの看護婦風コスチューム姿の舞奈は、そんな主人に事もなげに応じる。
「上司ノ教育ノ賜物ダト自負イタシテオリマス」
「貴之くん〜〜〜〜、今からでもマインとこの可愛くないメガネ娘を交換しない〜〜〜〜!?」
「…いや、そんな泣いて頼むほどのことでも…ダメですけど」
 困り顔でやんわりと、しかししっかりと申し出を拒絶する貴之に、メイフィアは部屋の隅っこに蹲ってイジイジと拗ねて見せる。
「ああっ…あたしの人生天中殺…男はいないし家はつぶれるし助手はナマイキで可愛げはないし、クソ厄介でバカバカしくてしかも意味のないトラブルには巻き込まれてばかりだわ…いっそ、何もかも捨てて旅に出てしまおうかしらん?」
「いや、そういうことされると困るんですけど。特に俺とか」
「冬の日本海の荒波に、小林旭って微妙に似合うよね」
「そ、そうかなぁ…」
「♪ハノ娘をペットにしたくって」
「あまつさえモノマネまでされても」
「シカモ似テナイシ」
 まあ、元からおちゃらけてるだけではあったが、あっさり立ち直るとメイフィアは元の机に戻ってきた。
「でもさ。あの男もいよいよ年貢の納め時かしらねー。あの根性曲がりがマインを引き取ったかー。ま、ようやくといった感じだけど」
「そうですね。俺も二,三度その事は勧めてはいたんですけど腰が重かったから、柳川さん」
「貴之くん、ちょっぴりヤキモチとか感じない?今までキミ一筋だった柳川センセが、まあ、まだ恋愛なんてレベルじゃないにしても、キミ以外の誰かに関心を寄せるなんて」
「メイフィアさん…」
 ちょっぴり困った顔をして貴之は頭の後ろで手を組んだ。そのままギシギシと座った丸椅子を鳴らしながら、やんわりと言う。
「まあ、そういう感じも無いとは言わないけど…俺は、いいことだって思ってるよ?
 だってさ。
 なんていうか…柳川さん、普段は相変わらず傲慢で態度でかいけど。やっぱ…昔の事とか、その…口にはしないけど、やっぱり色々と屈託があるみたいでさ。だから戒めって感じで妙な所でストイックだったりするんだよね」
 一旦口を閉じ、貴之はやや上方に視線を向けた。
「でも、そんな柳川さんがようやく自分の幸せってやつかな、そういうの、求めはじめたっていうか。今回の事は。
 柳川さんはいつも俺のことを第一に考えてくれてる。それはありがたいし、嬉しいけれど、でも、俺はそれは…申し訳ないって気分もあるんだ。
 俺がいなかったら…もっとさ、柳川さんには、いろんな可能性があったんじゃないかって。元々、優秀な人なんだし。
 なのに、俺がいるばっかりに、俺のことばっかりに関って、自分のことは放っておいてさ?」
「なーに言ってんのよ、バカバカしい」
 冗談めかしてはいるものの、ほんの少しの影を隠しきれていない貴之に、メイフィアは面倒くさそうにヒラヒラと手を振った。
「あんたがいるからあの男は今、こうしていられるんだよ。あんたはあいつのほとんど唯一の心の拠り所だったんだから。さもなきゃ、とっくの昔に破滅してるわよ、あの人は。
 …弱いんだからさ。あの男。
 めっちゃくちゃ弱虫だから。
 誰かが傍にいてやんないと、すぐに挫けてイジケてメソメソして腐って糸ひいて、まあ1人で勝手に腐る分には全然かまわないけど、基本的にあの男傍迷惑だからねー。
 だからね?
 絶対に、あいつを1人にしない。そんなのが1人くらいいないと、ダメになっちゃうわけ。あの手の社会不適応者は」
 メイフィアはそう喋りながらサラサラッ、と鮮やかな手つきでカルテを書き終えると、ボールペンにキャップをした。
「…マインもね。まあ、あの娘もまともそうに見えて、人を見る目が全然無いってことがよーくわかったけど、それでも一応は本人の希望であるわけだし。おねーさんとしては、可愛い妹がダメ男グレイテストコンテストbPの毒牙にかかってしまうのは、まあ、なんだかなとは思うけど、本人が幸せならいっか、と生あったかい目でじったりと見守ってあげようかと」
「…おねーさんというよりおかーさん…」
「貴之くん?」
 メイフィアは卓上に置いてあった、二、三本吸殻が突っ込まれた空き缶を指差して見せた。口の中だけで僅かに何かを呟く。

 きゅぱっ!

 瞬間、空き缶はまるで見えない手に握り潰されたように、縦に平らになった。
「…ちょっと気圧をいじってやれば、人間だってこんなもんよ?」
「私が悪ぅございましたメイフィアお姉様」
 単純なパワーで考えれば、今の魔術はそう大したものではない。だが、人を殺すのに戦車一台を完全破壊するようなパワーなど、不要である。
 必要なだけのことを、確実に成し遂げられればそれでいい。
 このあたりがメイフィアの魔族としての怖さであろう。派手ではなく、淡々としているが故に得体の知れぬ凄味。無造作に、しかし何時の間にか心臓に差し込まれる鋭利な刃。その酷薄な冷たさに似ている。
「でさ。貴之くんは正直どう思ってるわけ?マインのこと」
「どうって…?」
 しばらく考えて、貴之は、カラリと笑った。
「いい娘だと思うよ。おとなしくて静かだけど、でも根暗っていうんじゃなくて、なんていうかな。…人間じゃないかもしれないけど、なんだか、そこにいてくれるだけでホッとするというか。影が薄いってだけかもしれないけどね」
 もう少し自分の考えを整理するだけの間を置いて、貴之は呟いた。
「俺、自分で言うのもなんだけど、ちょっと軽めで調子いい性格してるからさ。まあ、大概の人とはそつなくつきあっていけるんだよね。なんていうか、相手に合わせるのに長けてる…っていうか」
 そんな貴之だからこそ、人付き合いの悪い柳川とも折り良くやっていけたわけなのだが。
「でもさ。俺、顔見知りはたくさんいるよ。でも何ヶ月も会えなくても、お互い、別に困らない。そのまま、顔も名前もいつの間にか忘れちゃって。
 別に、友だちってのは三国志の桃園のチギリ、みたいな大げさな証がなければいけないわけじゃないけどさ。
 でも結局、そんな程度のつきあいでしかないんだね、俺の場合。広いけど、浅い。
 だから、まるで本当の兄弟のように、…肉親以上に親しい人って、俺も、1人しかいなかったんだ。
 過去形だね。
 そう。今は、もう1人いる。人間じゃないけど、でも本当に俺と柳川さんのことを想ってくれている。機械だから、って言われればそれまでだけど、でも、俺はそんなことを言うような人に、何を言われたって気にしない。
 まあ、マインの気持ちって、俺と柳川さんとじゃ微妙に方向性が違うみたいだけどね」
 また少し間をおいて、貴之はポン、と軽く手を打った。
「なんか、犬みたいだね、マインって。犬ってさ、やっぱり家族の中で…昔でいう家長っていうとやっぱり一家の大黒柱であるお父さんを、自分の主人だって思うそうだから。普段、ご飯をくれたり散歩に連れてってくれる他の家族より、滅多につきあってくれないお父さんを一家の長として認めてるんだって」
「犬…デスカ。正確ナ例デハアリマセンガ、ソレホド、間違ッテモイナイヨウナ…」
「まあ犬っぽいとこはあるわよね12型って。…元が元だし」
 メイフィアは、舞奈をチラリと見つめると、白衣のポケットからラッキーストライクを取り出した。さっ、と一本咥え、火を点けないまま視線を窓の外に向ける。
「まあ…別に、買い取ったからといって、何が変わるわけでもないとは思うけどね。形式が伴っていなかっただけで、実質的には随分前から、あの娘はもう柳川センセの所のモンだったんだし」
「形式は、まあ、それほど深い意味はないかもしれませんけど…頭から無視できるものでもありませんよ?」
 その、何気ない貴之の言葉はそれこそさして深い意味など込められたものではなかったが、ほんの僅かに、メイフィアは唇を噛んだ。窓の方を向いていたので、貴之も舞奈もその事には気づかなかったが。

 * * * * *

 マインのような量産型のAIが、僅かばかりはマルチのデータも使われているからといって、まがりなりにも心を持ちえるほど成長できるものだろうか。
 普通に考えれば否定的にならざるをえない。
 だが現実に、無論マルチやセリオには及ばないまでも、感情らしきものをマインは身につけてきている。
 喜び。悲しみ。笑い。怒り。好意。愛情。憎しみ。
 感情のままに、理不尽な行為を行うこともある。
 時に人に逆らい、時に激情のまま思いのたけを人にぶつける。
 自分の意志によって。
 …心とはなにか。
 精神とはなにか。
 実のところ、自らが『精神体』と呼ばれる心だけの存在になっているメイフィアにとっても、その問いに対する明確な解答を持ち合わせているわけではない。
 非常に抽象的で、観念的なもの。言葉で説明することなどできないもの。
 全ての人間が心を持ちながら、心というものを具体的に説明できうる者が、一体どれだけいるのだろうか。いたとしても、それはおそらく断片的な解答ではなかろうか。
 心を持つ者でさえ、心とは、一体何なのか――わかってはいない。
 だから実を言えば、『心を持ったロボット』を開発しようとした来栖川エレクトロニクスの開発スタッフ達の試みを、メイフィアは不遜な思い上がりだと思っている。
 人の心など千差万別。100人の人間がいれば、100の心がある。
 そんなものを、どうやって人の手で作ろうというのか。そんなあやふやで不確かなものが、本当に作れるというのだろうか。
 結局のところ、マルチやセリオの心は――一番大事なところは自分自身で学び、育て上げたものではないだろうか。
「…でもそれができるだけのAIを作ったことは、確かに賞賛ものか」
 ポカッと、口から煙の輪をはき出しながらメイフィアは1人呟いた。助手の舞奈も所用で外出しており、保健室には他には誰もいない。
 …魔法学の見地から考えると、ロボットが心を持つということは確かに可能性は低いが、実は全く有り得ないと断言できるものでもない。
 相似性・関連性のあるもの同士は霊的な繋がりがある。この魔法の基本的な考え方は一般にも広く知られている。
 例えば、呪いの藁人形の類。相手に呪詛をかけるために、憎い相手に見立てた『藁人形』に釘を打ち込むものだが、どうしてそれが人形なのか。それは呪詛をかける相手の身代わりになるものだからである。身代わりの人形に釘を打ち込めば、その苦しみが本人に伝播するという考え方に他ならない。ブードゥの呪人形のように、人形の中に本人の爪や髪の毛を仕込めば、より霊的な同調が増す。対象の一部、あるいは対象に似せた物は霊的チャンネルを繋ぎやすい。それが魔術的機構というものだ。最も原始的なものではあるが。
 だから魔術的には、人の形をしたものには当然人の思いがこもりやすい。死者の魂の依代として、夜中に動き出したり涙を流したり、髪が伸びるといった人形の絡む怪談話は昔からいくらでも例がある。メイフィアが自分の魂を移したのも、自分の姿を正確に写し取った肖像画…つまり霊的類似性・関連性が高いものである。
 想いが力になる。
 それが魔法の発動システムを最も簡潔に、しかしその真理を表している言葉だ。
 魔法とは、本来あらざる事象を在るものにする。大袈裟な言い方をすれば、発火の魔術で落ち葉に火を点けるといった初歩の魔術でも、その小さな炎の分だけ全世界のエネルギー量の総和が変化したことになる。
 落ち葉に火の点いてない世界から、火の点った世界へと移行させる。ささやかな、しかし確かな世界の改変。それを誘うのが意志というものである。
 鳥や動物はそんなことを思わない。岩石や樹木は意志を持たない。あるがままにあり、そして在りつづける。
 その、在ることに留まれないもの。在るものに干渉しようとするのは、己の意を持つものぐらいである。
 我思う、故に我有り。
 自己の存在を自覚することによって初めて自分が生じる。明確に己とそれ以外を隔て、『自分』を確立し『自分以外』を意識し区分する。そこから外に対する干渉を成し得る可能性が生じる。
 想いが力になる。想いを力とする。
 想いが、人を強くする。
「…僅かばかりの小さな想いが…大きくなって終には機械に心を与える…か?」
 来栖川のスタッフ達には一笑に付されるだろうか。まあ、非科学的極まりないことであるし。
 だが、まあ、理屈などどうでもいい。自分の考察が正しかろうが誤っていようが、現にマインというロボットは在るのだから。
 マインはきっと誰かの…少なくとも柳川達の幸せになれる。
 いつの間にか根元まで灰になっていた煙草を揉み消すと、メイフィアは夕焼けの色が増してきた遠い空を窓から見つめた。
「いいことじゃない…誰にとっても」
 屈託というほどのものではない。
 大きくはなく強くもない。
 悪意などというものとは程遠いだろう。
 ただ。
 なにかが胸の内にある。
「なんだってのよ…なに考えてるの?あたし。これじゃまるで…」
 胸の内に…とまどいがある。
 新たな一本を咥え、しかし火を点けないまま……しばらくそのまま、メイフィアは微動だにせず、ただ、一言、呟いた。
「…あたし、これじゃまるで…その辺の小娘みたいじゃない…」

 * * * * *

「お疲れさん♪」
 この1時間で人生の全ての愛想と忍耐を使い切ってしまったような心境で理事長室から退室してきた柳川は、無頓着に明るい声に出迎えられて胡乱げな目をした。その視線の先で、壁に背を預けていたメイフィアは、白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、ニヤリと笑う。
 と、そのいかにも他人の不幸を楽しみに来たような笑いが、やや怪訝なものに変わる。
「なあに、それ?」
「…見て判らんか?」
「いや、具体的には判ってるけど…」
 柳川は右手に簡素な茶封筒――マインの売買契約書と、そして左手になにやら分厚い雑誌の束をぶら下げていた。
「…なか○し一年分」
「うん。それはわかるの。…でもなんで?」
 愛と正義の美少女漫画雑誌とは縁遠い人生を歩んできたであろう青年は、目つきの悪い無愛想な顔に疲労を滲ませて、言った。
「……とりあえず初級のテキスト代りということで、読破するように持たされた。女の子の心理を少しでも理解できるように、と」
「…ははあ…」
「来週末に感想レポートを提出するようにも言われた」
「…それはそれは…ご愁傷様」
「…………今までキスとか膝枕で耳掃除とかダキダキとかスリスリとかフニフニとかはいアーンしてとかやってないからって、なんでここまで非難されにゃならんのだ!?」
「え、いや、えーと、個人的にはそれは節度ある立派な態度だと思うけど、ウン」
 ちょっとだけ間を置いて、メイフィアは言い足した。
「まあ、相手がそれを望んでいて、こっちもオッケーなのにも関わらず、いつまでも待たせてしまってるならそれは…あんまり誉められたことじゃないかも…?」
 無言で視線を逸らし、柳川はややきまり悪そうに問い掛けた。
「ところで何の用だ?」
「そりゃ勿論あんたをからかいに来たんだけど。――わかった。わかったから無視して歩き去りなさんなって」
 やや猫背気味に廊下を歩き出した柳川の後をついていきながら、メイフィアは頭の後ろで手を組んだ。
「ほら。…一応、名目上とはいえあたしはマインの管理責任者だったわけだし。だから、まあ、マインを譲渡するにあたって、一言、柳川氏にご挨拶申し上げておこーかなと」
「…手短にな」
「じゃあ一言。――ヨロシクね」
 柳川は立ち止まった。肩越しに振り向いて、メイフィアの顔を見つめて瞬きをすると、シミジミと、云った。
「――それは一体何の暗号だ?」
「そのまんまの意味よっ!」

 どがっ!!

 思わず柳川の背中に蹴りを入れるメイフィアである。が、小揺るぎもせずそれを受け止めると、柳川はやや不機嫌そうに云った。
「だって。お前がそんな簡潔にまともなことを云ったためしがないだろう」
「つくづくアンタにだけは云われたくないわよ!」
 両者はしばしそのまま睨み合ったが、慣れた者同士の無言の呼吸で、すぐに視線を外して歩き始める。
 ややあって、今度は柳川の方から話し掛けてきた。
「なあ。なんか今日のお前、ちょっと変だぞ」
「変って、何がよ?」
「ふむ?」
 自分でも、何故そんな質問をしてみたのか不可解げに柳川は考えていたが、少し自信無さげに云ってくる。
「うまく説明できんが、こう、なんというか…言葉の端々とか、口調とか、とにかく…」
 右の人差指をくるっと回して、柳川は続けた。
「とにかく、ちょっといつもと違うような」
「気のせいよ」
 一言で切り捨てられて柳川は一瞬眉をしかめたが、しかしもう一度立ち止まった。今度は身体ごと向き直って、メイフィアに正対する。
 恐れ気もなく、メイフィアも柳川を見返した。
 一秒。
 二秒。
 五秒。
 十秒過ぎた時、柳川はポツリと云った。
「――ピグマリオンって知っているか?」
「…………」
 右の眉だけ少し上げて、無言のままメイフィアは頷いた。
 ――ギリシャ神話で語られるこのキプロスの若き彫刻家は、美の女神アフロディーテをモデルに美しい女性像を作り上げた。その彫像のあまりの美しさに、彼は自らが作り上げた像に恋してしまう。だが彼がどれだけ愛しても、命を持たない像は彼に何も応えない。
 思いつめたピグマリオンはいっそ崖から身を投げてしまおうか、と悩み苦しむ。しかし、それを見たアフロディーテは像に生命を与え、人間にする。
 ピグマリオンはその像…ガラテアを妻とし、末永く幸福に過ごした、という話である。
「この話の主題は愛の奇跡…信じることの貴さ、というものでしょう?」
 一瞬、マインの顔が脳裏に浮かび、ほんの僅かだけ間を挟んで。
「――強く愛すれば奇跡だって起こる。信じつづければ必ず良い結果が出る。実際、このピグマリオン効果って奴には確かに実効はあるでしょうけど…」
 誉めて育てる。
 一言で説明するならば、ピグマリオン効果とはそういうものである。自らの可能性を信じ、周囲もまたそれを信じ助力することで、人間の持つ可能性を引き出し良い結果を生む。
 もっとも、メイフィア自身は同僚でありコミックZの編集長でもある真希子同様、逆に罵倒することで相手が反発し奮起することを狙う、といったやり方を多用することが多い。
 これはどちらがより優れた対処法というものではないだろう。一つの方法が全てにおいて有用なわけではない。誉める相手と貶す相手、それぞれに適した方法を用いるのが基本であるが。
「だがな。人間を二十数年もやっていると、愛の奇跡とか信じるものは救われるとか、そんな根拠の無い奇麗事を素直に信じらることなんて、できなくなるものでな。…色々と、邪推したくなるんだよ」
 人気のない廊下の奥に視線を向けて、柳川は軽く息をついた。
「例えば…ピグマリオンはどう考えたって生身の女より彫像に入れ込むアブノーマルな性癖の持ち主だろう?なにせ、美の女神であるアフロディーテそのものよりも、それをモデルにした彫像の方が良いっていうんだから」
 畏れ多くも神様に、などという理屈は当てはまらない。ギリシャ神話の登場人物は性に関しては非常に大らかで奔放である。いや、奔放すぎるであろう。女神・人間・妖精の区別なく、美女であれば人妻でもおかまいなし。美しければ美少年も範疇に入る。だからギリシャ神話ではピグマリオンが女神の神々しさに遠慮して恋をあきらめる、という展開にはならない。もっとも、貞淑という言葉とは無縁の美と愛欲の女神は、潔癖症の人間にはあまり好まれないだろうが。
「あのさ。あんたの、そういうもってまわった言い方って嫌いじゃないけど…今はそれにつきあうほど私はヒマじゃないの。云いたい事があれば単刀直入におっしゃって下さらない?」
 慇懃な口調と目線のメイフィアに苦笑すると、柳川は、もう一度息をついた。そして静かに、小さな声で、云う。
「――人間は機械を愛せない。絶対に愛せない」
「…………」
 メイフィアは、少なくとも表面上はまったく変化を見せなかった。動揺した気配も無く、無言でその先を促す。
「機械を愛せると思っている人間の、その感情は…その正体は、単なるフェチズムに過ぎない。
 ピグマリオンの愛情は自分の理想像――正に文字通りの理想像だが――それに己の願望を投影した、一方的なものだ。相手の生い立ち、それに伴う人生、そしてその結果としての人格…それら全てを排している。必要なのは自分の理想を具現化した存在であることのみ。
 そんなものを、どうして愛情と呼べる?」
「…理想を持つこと、それを相手に投影すること。それは誰でもやってることじゃないの?」
 否定とも肯定ともつかぬ口調で、メイフィアは軽く云った。それと同じ程度の軽さで柳川も肩を竦める。
 現実には理想どおりの相手を見出すことはできないとしても、人は漠然とでも理想とするイメージくらいは持っているものだ。初恋の人を重ねる。死んだ父親の影を見出す。そんな風に人を好きになることの取っ掛りとして、過去の群像からイメージを代替することもある。
「それは相手の人格を認め、ちゃんと絵空事と現実を弁えていればの話さ。そして、だからこそ、自分のイメージ以上のものを相手に見出すこともある。だからこそ、恋愛ってものは不可思議なものなのだと思う。…まあ、偉そうな事を言う程経験豊富というわけじゃないんだが。
 しかし、機械を相手に恋愛は成立しない。人形への愛なんて、欺瞞だよ。どこまでもそれは自己完結してしまっている、閉ざされた輪みたいなものだ。不毛だね」
 単なる世間話のような口調で、柳川は喋りつづけた。
 メイフィアは、ただ黙って聞いていた。
 そして柳川は、云った。
「…ずっと思ってた。
 マインが、俺を慕ってくれるのを見ながら、ずっと思ってた。
 あいつが、俺に尽くしてくれればくれるだけ、その思いはますます深いものになっていった。
 俺が今、感じているこの感情。
 俺はただ、自分の我がままも、弱さも、醜さも、甘えも、何もかも。
 何もかも、どんなものでも、許容してくれる…そんな理想的な相手を。
 俺の持っている、良いものも、悪いものも、全部。
 俺は、自分を受け入れてくれる人形が欲しいだけの…只の甘えん坊なんじゃないかって」
 乾いた唇を、少しだけ舌で湿し、口を開いて柳川はやや冷えた空気を身体に取り込んだ。
 窓の外は、夕日も落ちて、既に真っ暗になっている。
「…くだんない」
 全く感情のこもらない声で、メイフィアは云った。
「くだんないわね。そんなくだんないことウジウジ考えて、今までずっと遠回りしてきたワケ?ホント、かんっぺき!にくだんないワ」
 黙って苦笑する――つまりは自分の断定を肯定している柳川に、どこか自分でも不分明な感情を覚えながら、メイフィアは問い掛けた。
「で?今回、マインを買い取ったってことは、つまりは心の決着とかそんなもんがついたってこと?」
「実はそうでもない」
 肩を竦めて、柳川は歩き出した。
「形式を整えること。…あいつは、金で買える耐久消費財なんだってことの確認。テレビや冷蔵庫の同類なんだってこと。ただ、人間の女の子のような姿をしていて、言葉を喋るということ。
 ただそれだけのことで、感傷的になっているところがあるんだろう」
「…………」
「…もっとも、人の身体を持っているから、人に酷似した思考パターンを育むのかもしれんがな。人間はとにかく身体を持って、感覚を持って生まれてくる。身体から得られる外的要因が精神の発達に何らかの影響を与えているのは当然だろう」
「………?」
 自分の――かりそめの身体を一瞬強ばらせ、メイフィアは僅かに頭を振った。
「――だからさ。まわりくどい言い方は、この際は控えてくれない?結局どうなのよ、あんた。
 マインのこと、好きなの?嫌いなの?」
「それを認めてしまえば、簡単なんだろうがな」
 そういって、柳川は頬を掻いた。少し視線を逸らして、云う。
「…ずっと、俺はこんな理屈をこねていた。自分の感情に理由をつけるための理屈。自分の衝動を説明づけるための理屈。自分の判断を正当化するための理屈。
 で、気づいたんだが…それはつまりは、万人を納得させるためにつけようとした、理屈なんだな。
 …ロボットを相手に恋愛なんて異常だ、という考えに対する。
 だが、万人を納得させられる理屈なんて、存在しない。俺が自分のこの感情を認めようが認めないが、どちらを選択したところで、全ての人間と感情を納得させることなんてできやしない。
 …じゃあ、どうするか?」
 不意に、そしてこの男としては珍しく、悪戯っぽい口調でそう問われ、メイフィアは窮した。
 とりあえず思い浮かんだのは。 
(――この人、こんな顔もできたんだ)
 そんな、埒もないことだったのだが。
「……それがどうした」
「――え?」
 自分の思考に気をとられ一瞬、話の流れについていきそこねたが、柳川は気づかなかったようだった。
「それがどうした。だからなんだ。どっちにしてもダメなら…開き直るしかないじゃないか。
 直接の当事者は俺なんだ。
 だったら、俺の好きなようにすればいい。
 変態と呼びたければ勝手に呼べばいい。
 それがどうした?
 そう。――だからなんだ、ってんだ」
 軽くフン、と息をつくと、柳川は、笑った。
「考えるのは大事だが…考えることと、迷うことの区別はちゃんとつけないとな。考えるのは答えを探すこと。迷うのは、目の前にある答を、選べないというだけのこと。
 その区別がつけられないと、こんなに遠回りすることになる」
 両手に荷物を持ったまま、起用に肩を竦めて見せて、柳川は。
「…私の主人は、あなたです、だと。
 マインの奴は、選んだんだ。俺より先に。
 じゃあ、俺だって、いつまでも迷ってはいられない。
 つまりは…そういうことさ」
「へえ…あの娘、そんなこと云ったわけ?」
 少し目を見開き、そして、その目をやや伏せて、メイフィアは尋ねてみた。
「ね。これは、純粋な好奇心なんだけど」
「…なんだよ」
「…そのセリフ云われた時、こう…くるものがあった?」
「…………………うるさい黙れ」
「ふっふーん?」
「勘ぐるなっ!」
「あ。それじゃ、あたしここでお別れするわ。今夜はちょっと、お邪魔だろうし」
「いつだって邪魔だお前は」
 そう云いながらメイフィアの視線を追って、柳川は出入口の外に佇んでいる、貴之とマインの影を見出した。
「そんじゃま、おやすみなさ〜い。時間的にはまだ早いけど」
「…ああ」
 ぶっきらぼうに、短く言い捨ててそのまま歩き去ろうとして…柳川は足を止めた。怪訝そうにこちらを見るメイフィアの顔から、僅かに視点をずらして、小声で囁く。
「長話につき合わせて、すまなかった」
「あんた、時々めっちゃ語るからね。まあ慣れてるけどこういうのには」
「…実は、さっきまで、まだ少し迷ってた。今も、完全に迷いが吹っ切れたわけじゃない。
 でも、こうやって口に出してしまえば、もう退路は無いからな。
 これで踏ん切りがついた。――つきあってくれて、感謝する」
 照れる、というよりは拗ねているような顔と声で半分口の中だけで礼を云って、柳川は今度こそ離れていった。
「……おやおや。お礼を云われちゃったよ」
 こちらも相手に聞こえない程度の声で呟いて、メイフィアは踵を返した。実はメイフィア自身そのまま帰宅するつもりであるし、それならば途中まで同行した方が手間がかからないのではあるが。
 今日のところは、遠慮しておくべきだろう。
 そのまま数メートル程歩いて、ふと、メイフィアはある事に気づいた。
「あんにゃろ…結局、明言はしなかったわね」
 好きか嫌いか。
 たった一つのシンプルな解答に対しては。
「…ったく、存外優柔不断なんだから」

 がん!

 割と大きな音を立てて、メイフィアは廊下の壁を爪先で蹴った。
 …そしてしばらく、声にならない苦悶を上げて、片足で辺りを跳び回った。

 * * * * *

「……?」
「どうしたの、柳川さん?」
 等間隔をおいて街灯が設置されているため視界はさほど悪くない夜道を歩きながら、隣の柳川が耳を澄ましているのに気が付いて、貴之は不思議そうに声をかけた。
「ああ。いや…なんか、声にならない叫びが聞こえたような気がしたようなしなかったような」
 ………。
 云われて貴之とマインも周囲に注意を払ったが、特にめぼしいものは見当たらなかった。
「気のせいだったかな…?まあいいさ。大したことでもない」
 二人の歩調に合わせてややゆったりとしたペースで足を動かしながら、柳川は前の暗がりを見つめた。夜目のきく鬼の視力が街灯の光が届かない場所もそれなりに見透かす。
「………」
 自分の、右後ろ斜め、少し遅れてついてきている。つまりはいつもの定位置にいる、マインを見下ろして、柳川はちょっとだけ考え込んだ。
「帰ってからにしようかとも思ったが…ま、それほど格好つけるようなことでもないか」
 そう云いながらも、少し口調を正して柳川は続けた。
「マイン。今日付けで、お前は私立了承学園保健部所属では無くなる。代わって個人所有機として…つまりは、俺のところのメイドロボ、ということになる」
「だから、柳川さんのこと、御主人様って呼んでいいわけでしょ?名実共に」

 がたん。

「…柳川さん。何もないとこで転ぶなんて、器用なんだかドジなんだかちょっとわかんないね」
「云うべきことは他に無いのか貴之…?」
 砂を払いながらゆっくり立ち上がると、柳川は、マインに顔を向けた。
「なあ、マイン」
「ナンデショウ…御主人様?」

 がたたん。

「今度は後頭部からコケちゃったね、柳川さん」
「…ワザとなんだかイヤミなんだか天然なんだか微妙なトコだな貴之…」
 ブリッジからゆっくりと起き上がってくると、柳川は乱れた髪を撫でつけた。
「…前にも云ったが、その呼び方、禁止。確かに正式に俺がお前のユーザーになったわけだが、この際は関係無い!」
「ウウッ…」
「なんでそんなに恥ずかしがるのかねぇ…」
 無言で、しかしこの件に関しては断固拒否、と雰囲気で語っている柳川に苦笑しつつ、貴之はしょうがないなぁ、と云うつもりで傍らのマインに振り向いた。
 と、滅多に寄せられない貴之の眉が、少し、寄る。
「…どうしたんだい?そんなに気落ちして?まあ、ほら、気長に飼いならしていけば、そのうち御主人様って呼ばせてくれるようになるさ」
「飼いならすってお前…」
 ちょっぴり口元を引き攣らせながらも、柳川はマインの、少し俯き加減の顔を覗き込んだ。光量は足りないが、柳川にはさほど問題は無い。
「…………」
「…どうしたんだ、マイン?」
 反射的にピク、と口を開きかけ、メイドロボはその小さな唇を閉じた。
 先程から、マインは、さほどうれしそうな様子では、無かった。
 じっとマインを見つめ、柳川は、囁きかけた。
「マイン。…ひょっとして、嫌だったのか?俺に買われるのは、嫌だったのか?」
「…………」
「お前…今のままの方が、良かったのか?学園のメイドロボでいた方が、良かったのか?」
 ゆっくりと顔を上げると、マインは二人を見つめた。そして、小さく頭を振る。
「私…嬉シイ、デス。御二人ガ、私ノ、本当ノ、ユーザーニナラレタ事。私ヲ、必要ダト、オッシャッテ下サル事ハ、本当ニ、嬉シイノデス。デモ…」
「でも…?」
「でも、なんだ?」
 また少し俯いて、小さく、マインは呟いた。
「…ソノ…300万…私ノタメニ、大変ナ出費ヲ…」
 柳川と貴之は、しばらく見詰め合った。そして、ややあって。
「あ。ああ。そういうこと。…そう。いや、別におかしくなんかないよね、うん。ぷぷ。ちっとも。いやいや、大切なことだよウン。はは。しっかりした金銭感覚はしっかりしてない金銭感覚よりも、確実に3倍くらいは良いと思うよ、多分。よくわかんないけど」
 クスクス笑いを堪えてそんなことを云う貴之に苦笑いし、やや柳川は表情を改めた。
「マイン。これは形式上必要な手続の一環だ。それにもう、済んだことだ。あきらめろ」
「いや、あきらめろってね柳川さん」
「ま、確かに俺にとってはかなり痛い出費ではあるが」
「や、柳川さん」
「これは、俺一人の勝手な考えだが。これくらいの痛みを伴わなきゃ、お前を手に入れる甲斐が無い」
「…………」
 黙って、自分を見つめるマインと貴之の目を見返しながら、柳川は少し笑った。
「それと、これは俺の勝手な意地を通すための代価でもある」
「意地…?」
 軽く頷いて、柳川は云った。
「俺は別に財産家ってわけじゃない。俺くらいの年代の、ごく平均的な収入とそれに見合ったささやかな貯えからすれば、300万ってのは大金だ。
 でもな。
 もし、そんな事情を憐れんで、理事長が無料でお前を譲ろうと提案していたら、俺は理事長を嫌いになっていただろうな。殴っていたかもしれん。
 一般的な見解や相手の思惑なんぞ、俺には関係無い。
 俺は、そういうのは嫌なんだ」
 背を屈め、マインと同じ視点から、柳川は黙って自分の言葉を聞いているメイドロボットの顔を見つめた。
「別に、そういった身勝手な心情を、理解する必要はない。我ながら、こんな身勝手な考え方は理解できない方が良いと思うしな。
 俺はただ、自分がやりたいようにやっただけだし、結構満足してる。
 少なくとも、この点に関しては後悔なんてしていない。
 お前は、それだけを分かっていてくれれば良い。な?」
「…………」
 ゆっくりと、そして大きく、マインは頷いた。
 そのマインの頭に、てん、と右手の茶封筒を――マインの売買契約書を柳川は置いた。
「これは、お前にやる。こんなものは、本人が持つのが当たり前だろ?」
「そうだね、柳川さん」
 柔らかく、しかしはっきりと貴之も同意する。だから、マインは、それを黙って受け取った。
 そして、二人の男と一人のメイドロボットは、家路についた。

 ことばとは、とても不自由なものだ。
 このとてもとても、
 とてもとてもとても大きなこの気持ちを、
 このとてもとても大きな感情を、
 うまく、表すことができない。
 多分、今。
 私は、私たちは、とても幸せなのだと。
 ただ、一緒に歩いていくこの時が、とてもとても幸せなのだと。
 とてもとても。
 とても。
 この、とても心地よい。
 そして、このとても素敵な。
 気持ち。

 マインは、両手を伸ばして、前を行く二人の手を軽く握った。
 一人は少し驚いたように、もう一人は、相変わらず、おもしろくもなさそうな顔をして、振り返ってきた。
 そして、マインは、二人を見つめて、ただ、笑った。


 <了>







【後書き】
 いきなり後書き及びHiroさんのコメントから見るというちょっと捻った方はいないという前提で、まずは申し上げておきます。

 つきあっていただいて、ありがとうございました。

 いや、なんせ、自分で読み返してみてまず思ったのが「うげ、長い」ですから。
 これは言い訳ですが、これでも結構削ってるんですよー。俺的にはダイジェスト版くらいに。どういう風に削ったか、一つ例を挙げると理事長室から出てきた柳川に一言するのは当初はメイフィアではなく小野寺さんでした。それに伴って内容もリコール商品としてのマインの危険性、全てのHM−12がマインのようになるのか…人間に反抗しうる存在になるのか、とか。色々。それも踏まえて、それでもマインを迎え入れるのか?といった事もあったのですが、その辺はスッパリカットです。
 ピグマリオンうんねんに関しては、こういったロボット物の中ではよく引き合いに出される件でもあって、少々手垢がついた題材かな、とも思いましたが、私は時々健忘症になるので忘れました。ハイ。(結局忘れきれてないけど)
 私は意図的に、肝心な所を割とぼかして書くようにしているのですが、今回はいつもよりはぼかさなかったのですが…あんまり変わんないかな?どうだろ?
 こういうのって、本人にはよく判断できないトコですから。
 とりあえず、今回はマインの出番は極力削るという方針で、…「柳川家」設立に向かおうかと。思っています。具体的にはメイフィアとか。

 …大人な恋愛でアダルトな展開も、あり?なのか?覚悟ついたか自分?
 なんかこー、相対的にデュラル家のメンバーが減少していくのでいいのかなーとかちと迷ってるんですが(苦笑)





 ☆ コメント ☆

セリオ:「ロボットを愛するのって変態ですか?」

綾香 :「まーねぇ。普通に考えたら立派な変態だと思うわ」(^ ^;

セリオ:「ということは……浩之さんは変態ってことですね」

綾香 :「そういうことになるかな。
     てか、それ以前に浩之は完璧にアブノーマルだけどさ」(^ ^;

セリオ:「え? そうなんですか?」(・・?

綾香 :「そうよ。決まってるじゃない」(−o−)

セリオ:「だ、断言しますか」(;^_^A

綾香 :「だって、あいつってば『縛り』はするし『後ろ』に興味を持ったりするし。
     どう贔屓目に見たって変態じゃない」(−o−)

セリオ:「ええっ!?」(@@;

綾香 :「ん? なにを今更驚いてるのよ?
     あなただって、散々いろんな事をされてるでしょ?」(・・?

セリオ:「『縛り』とか『後ろ』ってアブノーマルだったんですかっ!?」(@@;

綾香 :「おいおい」(−−;

セリオ:「わたし、てっきり皆さんも普通に行っている行為だとばかり……」(@@;

綾香 :「この娘、あれらの行為をノーマルだと思ってたのね」(−−;

セリオ:「そりゃー、確かに最初は少ーしだけ違和感がありましたけど……」(@@;

綾香 :「少ーしだけかい」(−−;

セリオ:「うわ、うわ、ビックリです〜。デカルチャーです〜」(@@;

綾香 :「……なんだかなぁ」(−−;;;



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