(2)

 責任、と一言でいってしまうのは簡単なことだ。
 だか責任の重さというものを知っていれば、『責任を取る』というのがいかに困難なものであるかは自明の理というものである。
『じゃあ自分が責任をとればいいんでしょう!?』等と、簡単にいってしまうような輩は、その重みが分かっていないどころか実のところ何が問題となっているかすら、把握していないことも珍しくはない。

「――まああたしも若い頃は色々無茶やったもんよ。あの頃はオトコがとーっても新鮮に思えたからねー。屈強の色男を7,8人屋敷に連れ込んで、三日三晩一睡もさせられずに輪されちゃったりとか。
 体中の穴という穴に突っ込まれて、食事もさせられず排泄もその場で垂れ流し、更にそれをネタに辱められたりして。お願いだから少し休ませてって懇願しても全然きいてくれなくて、何度も何度も絶頂されて、気絶してもまたすぐ乱暴に突き上げられて強引に目覚めさせられて、もう抵抗する気力も無くなってされるがままに男共の性欲処理に使われてありとあらゆる陵辱の限りを尽くされて」
「メ…メイフィア様…」
「でも実はこっちも相手の精気を吸いまくりだから犯れば犯られただけパワーチャージされるからねー。魔力のレベルアップのための経験値稼ぎとしては手頃だったな♪」
「……………アノ、御相手ヲ務メタ方々ハドウナッタノデショウ?」
「そりゃもう骨と皮ばかりのミイラ…」
 じと――――っと、半眼でこちらを見やるマインに気づき、こほん、とメイフィアは口調を改めた。
「……腹上死って、男の浪漫?」
「メイフィア様!」
「だーから柳川先生は大丈夫だって!エルクゥの潜在エナジーって凄いんだから!こっちの方が保たないって」
 行儀悪くクッションの上で胡座をかいて、は〜〜っと疲れた溜息をメイフィアはついた。
 と、場をごまかすようにメイフィアはさっきからずっと沈黙している柳川に視線を向けた。
「あのさ。とにかく、あたしに気を遣う必要なんて全然無いんだからね。まああたしにあんたが気を遣うとも思えないけど。
 あたしみたいなアバズレ女にゃ、こんなのタダの一夜の火遊びなんだから。
 それよりさ。…問題は、マインの方なんじゃないかな?」
 答えない柳川と、不思議そうにしているマインを当分に見つめ、ヤレヤレとメイフィアは首を振る。
「あのさ。まあ、あたしにも責任の一端はあるんだけど。
 酒の勢いでムードもデリカシーもなくしかも二人並べてでの初体験なんて…マイン、あんた昨夜が初めてよね?念のため」
「…………」
 顔を少し赤らめてコク、とマインが頷くのを確認して、きまり悪げにメイフィアは下ろしていた髪をいつものようにアップしてまとめ、ヘアピンで留めた。
 それから、言う。
「こんな初体験…なんか最低ね。半分レイプみたいなもんだし」
 ぴく、と僅かに柳川は震えた。
 昨夜のことは酒のせいで多少ぼやけたところはある。
 だが、全く覚えが無いわけではない。
 メイフィア同様、マインを抱いた感触は、しっかりと身体が記憶している。
 決して一方的な交わりではなかったかもしれない。だが、殊更に、初めての相手に優しくしてやったわけでも無かった。
 何より…おおよそ考えられる限り、最低な成り行きであった。
「俺って奴は…」
 苦々しくそう呟いて、しかし今更どうしようもない事に、やり場のない怒りを覚える。
「そーそー。あんたね、嫌われたって仕方のないコトやってんだから。責任感じるならまずソレでしょ?あん?
 ……マイン、あんたも恨み言の一つや二つ言ってやんなさいアタシが許す」
「ハ?」
 キョトン、としばらく考え込み…マインは、おずおずと問いかけた。
「アノ…」
「なあに?」
「…ココハ、怒ルトコロ、ナノデショウカ?」
「………はい?」
 かなり間抜けな声がして、それが自分の口から漏れ出たものだということに気づき、柳川は憮然とした。が、それはともかく顔を上げると、無機質そうに見えて、心配そうな顔をしているマインがすぐ傍にいた。
 黙りこくっている柳川に代わって、ちょっぴり汗など浮かべているメイフィアが、尋ねる。
「えーっと…まあ、一般的には、怒ってもいいところなんじゃないかなーって思うんだけど?」
 そして、しげしげとマインの顔を覗き込んで続ける。
「その。まあ人其々かもしれないけど。…あまり、良い感情は持てないんじゃない、かなぁ…?」
「ハア…」
 両手を胸に添え、少し首を傾げて考え込んで、それからマインはあっさり言った。
「…私、ヨクワカリマセン」
「わかんないって…まあそんなものなのかな?感情が芽生えたっていっても、まだまだ未発達なんだから仕方ないかもしれないけど」
 ぼやくメイフィアと怪訝そうな顔の柳川を等分に見つめ、マインは、やや低く呟いた。
「…ソレハ…出来レバ、モウ少シ、優シク…シテイタダキタカッタデスケド」
「ぐふぅ…!」
「あー、これくらいで潰れてるんじゃないわよんっとに」
「デモ…」
 声に少し微妙な変化をつけて、マインは少し間を置いてから続けた。
「…遠慮ナク、扱ッテクダサイマシタカラ」
 ………。
 ………。
「…あ?」
「え〜っと。…ごめんマイン、よくわかんない」
「遠慮ナク、扱ッテクダサイマシタ」
 やや伏目がちに、マインは繰り返した。
「…柳川様ハ、イツモ、御自分ヲ抑エテ、…私ニハ距離ヲ置カレテイマシタ。
 ソレハ…私ノ事ヲ、思イ遣ッテ下サッテノコトダト、理解ハシテマシタ。
 理解シテマシタケド…デモ」
 視線をあげて、ゆっくりと見つめる。
「私ハ、それが少シ、…寂しかっタのダト…思いマス」
 そして、胸の前で指を組みつつ。
「ダカラ、乱暴ダッタカモシレナイケレド、ソノ分気兼ネナクシテ頂ケタヨウデ…。
 モット近クニ、私ヲ思ッテクレテルヨウデ…」
 もう一度、考え込んで。
 それから、マインは言った。
「私ハ、ソレデモ…イイデスカラ」

 ………。

 メイフィアが、ぽつんと言った。
「あんたもしかして…マゾ趣味?」
「……違イマス!」
 その、微妙な間が、何かを物語っているような気もしたが、その疑念を無理矢理否定して…というか、したい柳川であった。
「ダカラ、気ニシナイデ下サイ、柳川様」
 その言葉に、嘘はない筈だ。
 ロボットは嘘をつけないのだから。
 でも。
 嘘ではないとしても、全くの無傷というわけではないのだろうに。
 どうして、傷つけられた方が、傷つけた方に気を遣うのだろう。
 思い切り、詰られたほうがまだ楽だった。
 気遣いなど、して欲しくなかった。
 ロボットのマインにそんなことは無理な注文ではあったが、それでも、一言、怒ってくれた方がまだマシな気分だった。
 怒られることで、責められることで、自分の罪悪感を誤魔化そうとしているわけではなかったが。
 いや、どうなのだろう?

「柳川様」

 思考の袋小路の、それも不健全な方へと歩みかけていた柳川の気分が一気に現実に引き戻された。
「アノ…質問ガアリマス」
「な、なんだ?」
 思わず身構える柳川の様子には構わず、しかし躊躇いつつ、マインは、言った。
「…私…ヨカッタ、デスカ?」
「―――あ?」
 なにか、こう、自分が思い悩んでいた事とはとんでもなくかけ離れたようなことを聞いたような気がして、思わず柳川はメイフィアと顔を見合わせた。対するメイフィアも、???な顔をしている。
「デスカラ…ソノ…御満足、シテ、頂ケタノデショウカ…?」
 ああ。
 つまり、自分のグアイは良かったかってことね。
 ああ。
 そーいうこと、ききますか?そりゃある意味重要かもしれんが。
 つんつん、とメイフィアに肘で小突かれて、ちょっぴり現実逃避しかけていた思考を繋ぎとめると、柳川は昨夜のことを思い出した。
「…そりゃあ…まあ…良かった、けど」
 確かに百戦錬磨のメイフィアとは比べ物にもならないほど稚拙な技巧ではあったが、その初々しい反応の一つ一つがたまらなく男の歪んだ嗜虐と征服欲を高めてくれて。それに、造りも、温もりも、感触も、具合も。とても人工物とは思えない出来で。
 いい仕事してます、来栖川エレクトロニクス。
 思わず3回も中に出してしまいました。
 いやー。それになぁ…ふきふきってのが…。

 ぽかっ。

「何故殴る!?」
「いや…なんとなく腹立って」
 ちょっぴり不機嫌そうに視線を逸らせるメイフィアを軽く睨んで、対照的に少し嬉しそうな顔をしているマインに視線を戻す。
 と、そのマインの顔が真剣なものになる。
「モウ一ツ…質問、ヨロシイデスカ?」
「お、おう。なんだ?」
 一旦口を閉じ、隣のメイフィアを見ながら、マインは言った。

「メイフィア様ト私…ドチラガ良カッタ、デスカ?」












 はっ。


 言われたことに、ちょっとばかし衝撃を受けて、呆けてしまっていた。
 気を取り直して。
「いや…あのな、そんなどっちがヨカッタとか…そんな即物的な、な?ホラ?」
「答エテクダサイ」
「いや…だからな、お前」
「…答エテクダサイ」
「あ、あの、…マイン、さん?」
「――へ〜〜え?いっちょまえに対抗意識燃やしてるもしかして?」
 視線を外そうとしないマインを真正面から見据え、ちょっぴり冷たいものが混入された声をメイフィアが上げる。
「腰も満足に振れないネンネが、ちょっとばかし経験積んだからってこのメイフィアさんよりオトコを悦ばせることができると思ってるだなんて…増長するのもいい加減にしておきなさいよね?」
「確カニ私ハ未熟デスガ、ソレデモ、昨夜ハ…少ナクトモ、負ケテイハイナイト自負イタシテオリマス。少シ経験ヲ積ミ、データヲ蓄積スレバ差ハ開ク一方デハナイデショウカ?」
「うふふふふふふふふ、なんか生意気な口を叩くようになったわねぇ…」
「メイフィア様ノ教育ノ賜物デス」

 うわ、純粋に怖い。

 何やらガンつけバトルに発展している二人から少しでも距離をとろうと、柳川はジリジリと離れようとした。

 はしっ!(×2)

 途端に両方から腕を掴まれ、あっさり逃亡の意図は潰える。


「何処ニ行カレルノデスカ、柳川様?」
「そーねー。この際だから白黒はっきりつけてもらいましょうか」

 誰か助けて――。

 どちらを選んでも、選ばなくても、それなりに地獄っぽかった。
 一体、何時から、こんな話になってしまったんだろう?
 今更そんな事を考えても全くのムダではあったが、しかし、睨んでいる二人の視線から抜け出せないまま柳川は……久しぶりに、『途方に暮れる』という気分をジッタリと味わっていた。


「おっはよー」

 全く脈絡もなく、唐突に、救いの神は現れた。

「「「えっ!?」」」

 部屋の戸口から顔を覗かせて苦笑している貴之は、それぞれの表情で驚いている三人を見渡した。そのまま、いつもと変わらぬ口調で、あっさりと言ってくる。
「お腹が減ってる時に難しいこと考えても、良い結果にはならないと思うよ。ゴハンできてるから食べよう?俺も腹へったし」
「ソウデスネ」
 その貴之の後ろから、看護婦風コスチュームにエプロンをつけた舞奈が顔を出す。
「なっ…なんでアンタまで…!?」
「…昨夜、貴之様ヲ御送リシタノハ私デスカラ。忘レテマシタ?」
「いや〜。はっはっはっ。俺も寝てたから、柳川さんたちがいつ帰ってきたのかは憶えてないんだけどー」
 表情を作って、貴之と、それから舞奈は、言った。
「「――昨夜はお楽しみでしたね?」」

 ガタン。

 床に頭を打ち付けて身悶えする柳川にはかまわず、何やら据わった目をしたメイフィアと、無表情ながら背後に炎のようなものを背負ったマインが、揃って立ち上がる。

「すいません調子に乗ってましたっ!!」
 即座に貴之は額を床に摩り付けていた。
 メイフィアはともかく、マインまで。
 …純朴な村娘がどんどん肝っ玉の大きな辺境のエルンガー娘になっていくのを見守る某皇の気持ちが、少しだけわかったような気がする貴之であった。

  * * * * *

 結論から言うと、舞奈の料理はそれなりのものだった。
 ご飯に味噌汁、それに佃煮や漬物、簡単なオカズが何品か。びっくりするほどおいしい、というわけではないが、慣れ親しんだ味付けだった。
「当然デス。マインサンノ経験データヲ、分ケテ頂キマシタカラ」
「どうりで。…アンタが料理なんかしてるとこ、見たことないもの」
 マインのメンテナンス用PCから必要なデータをロードしただけで、初めての料理を舞奈は出したわけである。こういう時は、ロボットの利便性を実感できる。食事中、手持ち無沙汰に立っていたマインは、複雑な心境であるらしかったが。
「落ち着いた?柳川さん」
「――ああ」
 リビングのソファに移動して、食後の茶を喫している柳川を対面から貴之は眺めた。
 …メガネが、湯気で少し曇っていた。
「さて、それじゃちょっと問題点を整理してみようか。…本来、こんなの俺の役目じゃないとは思うけどね」
 微苦笑しながら、柳川の左右に分かれて座っているメイフィアとマインに視線をやり、それから一人だけ椅子に座ってる傍らの舞奈に振り向いて。
「ところで問題点ってなんだっけ?」

 ガコッ!

 かなり容赦のない、チタン製のナックルガード(HM-12専用)を装着した舞奈の拳にどつかれて、貴之は床のカーペットに接吻した。
「3,2,1、ゼロ」

 しゅきん!

「…いや、別にボケたつもりじゃなかったんだけど」
 舞奈の秒読み通りに起き上がってそうぼやく貴之に、一瞬何か言いたげな顔を柳川はしたが、なにかこう、あきらめムードで沈黙を保つ。
「えーと。つまり、昨夜ハメを外しまくって泥酔して皆の前で醜態を晒しまくったあげく、勢いだけで行きつくとこまでいっちゃった大ボケ間抜けのぶちかましな感じな柳川さんでしたが」
「容赦ないぞ貴之…」
 その抗議を黙殺して、貴之は先を続けた。
「でも、男日照りでむしろオッケーなメイフィアさんと割と乱暴にされるのも好きなマインは別に気にもしてないわけですが、だからって笑って済ませるというわけには…ちょっと、いかない?」
「…まあ…あながち間違った表現じゃないかもしれないけど、やっぱ腹立つなぁ」
「別ニ…好キトイウワケデハ…」
 不満そうだが、強くは抗議してこない二人を見遣り、貴之はピン、と指を立てた。
「で、問題は、その気になればまあ、多少の後ろめたさは憶えつつも昨夜のことは水に流してしまえるのですが、その気になれないところ、でいいのかな?」
「概ネ、ソンナ所デハナイデショウカ?」
 貴之の確認にあっさり頷く舞奈を、胡散臭げにメイフィアは睨んだ。
「なんか、アンタ仕事の時よりも積極的な気がするんだけど。…何を企んでる?」
「企ムダナンテ…」
 無表情に、舞奈は言った。
「タダ、メイフィア様ト柳川先生ヲクッツケタラ、何トナクオモシロイカナ?ト」
「そんだけかいっ!」
「アト、メイフィア様ヲ持ッテッテ貰エタラ、後腐レ無クテ良イナァ、トカ」
「ロボットだから嘘がないねぇ」
「こっ…こっ…この正直者ッ…!」
 目を閉じて心を落ち着けようとしながらも、なんかこう、破壊的な魔術の構成を編みかけていたりするメイフィアである。
「さて、ちょっとマジメな話をしようか。…柳川さん?」
 ずっと不機嫌そうに眉をしかめ、しかしいつもより精彩の欠ける柳川に、貴之は優しく呼びかけた。
「正直、柳川さんはどう思ってるわけ?二人のこと」
「……………」
 答えない柳川に少し苦笑して、貴之は勝手に話を進めた。
「好きか嫌いかということなら、好きの方がずっと近いよね。マインはもちろん、メイフィアさんも」
「…なんでそーなる!こいつは俺の仇敵だ!」
「仇敵なんてあたしはそんな…単なるオチョクリの種程度」
「あ〜ハイハイ、抑えて抑えて。どうどう」
 互いに腰を浮かせていつもの攻撃と逃走に入りかける二人に、貴之は抑えるような手つきをした。
 そして、さり気なく言う。
「だって、柳川さんヤっちゃったじゃない」
「…た、貴之…あのなぁ…だから、アレは酒の上での過ちというもので」
「確かにそうだけどさ。別に女なら誰でもいい、ってわけじゃなかったんだよね?」
 口篭もった柳川とメイフィアに対し、貴之は静かに落ち着いていた。
「俺は最初の方で退席しちゃったから事の一部始終を見たわけじゃないけどね。ただ、柳川さんは好みがうるさいって事は承知してる。
 言っちゃなんだけど、他にも女性はたくさんいたのに、お酒で理性のタガの外れた柳川さんは、マインと、メイフィアさんを抱きたい、って思ったわけだよね?
 そりゃ、まともな思考ができる状態じゃなかったし、場の流れや勢いもあるし、他の女性陣も一筋縄じゃいかない曲者ばっかりだとしても、柳川さんは、二人を選んだわけだ。
 …どうして?」
「どうしてって…」
 本当に、どうしてなんだろう。
 泥酔して理性を失って、内面の鬼が噴出した結果だと説明付けることはできる。
 ただ、その鬼の獣性にしても…我が事ながら、鬼としての自分も女の選り好みはかなり厳しい。
 女を孕ませて子を産ませたいという、獣の肉欲を暴走している時の自分は持ってはいるが、さて具体的にどういう女かというと…実は、自分でもうまく説明できない。それはまあ、一般に美人と評される女ではあるのだろうが、それでも心の琴線に触れるものが無ければどうにも食指が動かない。
 千鶴にそういうものを感じたことはあるが、それも性欲の対象としてより闘争の相手としての渇望の方が、はるかに強かった。
 だから、真実自分の心の内から突き動かされるままに事に及んだのは、実は昨夜が初めてなのである。
(俺…こいつらに欲情したのか?)
 自分の左右に分かれて座る二人を交互に見つめ、柳川は考え込んだ。
 この女、かわいい。
 惚れた。
 抱きたい。
 そんなケダモノのシンプルな劣情を愛情の内に入れても良いのなら、俺は、確かに惚れているのかもしれないが。惚れた相手を抱きたいと思うのは、ごく自然なことであるはずだ。
 だが、一般的な恋愛観や倫理的な観点からは、その獣の論理を肯定できるものではないだろう。
 同じ性行為に到る道程としても、それが恋愛によるものか、単なる劣情によるものか、結果的に同じ行為を行うとしても、そこには大きな隔たりがあるはずである。
 ――少なくとも、一般的な常識や良識、というものからすれば。
「…じゃあさ、別な方向から考えてみようよ」
 その、柳川の心の内を読みきったかのように、貴之はそう言った。
「柳川さんは、二人のことが嫌い?」
「…え」
「嫌いじゃないよね。…メイフィアさんとはケンカばっかりしてるけど、でも本気で嫌ってるなら顔なんか合わせないでしょ?人間本当に気に入らない相手とは、口をきくどころか一緒の部屋にいることさえ嫌なもんだし」
 それはメイフィアさんも同じかな、と言って、貴之はマインを見た。
「マインの場合は…やっぱりロボットだから、どうしたってその差異に二の足を踏んじゃうもんだからね。浩之君みたいに、そうそう人間ができている人は中々いないもんだし。
 でもさ、俺の見るところ、柳川さんそういった心理的な障害もクリアしたように見えるんだけど…」
 やや俯いたまま沈黙しているマインから、表情を消している柳川へと視線を移して、ふっ…と貴之は力を抜いた。
「…俺に、遠慮してるの?」
 ぴくりと…本当に、ほんの僅かに指先だけを震わせて。
 柳川は、静かに貴之の顔を正面から見つめた。
 だが、その視線はすぐに逸らされる。
「貴之。お前、自分の将来とか考えたことあるか?」
「はい?」
 全員が、やや調子の外れた声をあげる貴之と多かれ少なかれ同じ心境に陥った。
 とにかく、訊かれた当人は、うーんと考え込んで。
「あ。あはは。…いや、特に考えてないけ…ど」
「まーとりあえず楽しくやっていければそれでいいわよね?」
「…無計画…」
「なんか言った舞奈?」
 なにやらジリジリと距離を測り始めた魔女&助手はとりあえずマインに任せておくことにして、柳川ははあ、とため息をついた。
「まあ俺だって具体的にどうこう、って計画立ててるわけじゃないけどな。
 ただ…貴之には、ごく普通に結婚してさ。ありふれた、ささやかな家庭ってやつを持ってもらいたい、って思ってる」
「なんか、クニのおふくろみたいなこと言うなぁ」
「…時々、電話来るぞ。たまにはこっちから電話ぐらい入れてやれよ、貴之」
「あ、あははは…」
 ごまかし笑いをする貴之を柳川は見つめた。

 ――確信に近い風景がある。
 日曜日。
 行楽で賑わう動物園に、一組の家族の姿がある。
 まだ若いお父さんとお母さん。
 お父さんはまだ小さな娘の手を引き、お母さんは更に小さな弟を抱いていて。
 その少し後ろに、大きなバスケットを抱えた、小さなメイドロボ。
 一通り園内を見て回った後、家族は適当な芝生でお昼にする。早速メイドロボはシートを広げ、バスケットから次から次へと、お弁当を取り出して並べる。
 楽しい、昼食の一時。
 朝からずっと上気している女の子は、いち早くお弁当を食べ終わると彼女の“お姉ちゃん”に言うだろう。
 おねえちゃん、早くいこう。まだまだ見てない動物さんがたくさんいるの。
 はやくいこうよおねえちゃん!

「――俗っぽいとは思う。でも10年後…貴之がそんな生活を送ってくれていて欲しい、と思う」
 少し俯いてしまった貴之を見据え、柳川は、ごく自然な顔になっていた。
 何の裏も無い。
 ただ、そうだったらいいな、という、それだけの顔。
「確かに貴之はまだ健康上不安はあるが…でも段々と良くなってきている。それにマインが傍にいれば、大抵のことは何とかなるだろう?
 なあ、貴之。お前は10年後、そういう生活を送っている。きっと、送っていける。
 そうなっていたいとは、思わないか?」
「それは…その…」
 たしかに、そうなったらいいかと思う。
 人並みの、小さな、ささやかな幸福。スケールの小さい、平凡な将来。
 でも、好きな人と結婚して、子供を作って、暮らす。
 それは、とても、いいものだと思う。
 しかし……。
「…御姉様方ニ、尋ネタ事ガアリマス」
 意外に、口を開いたのはマインだった。
「御姉様方ハ、ロボット、デス。
 浩之様ノ、子供ヲ、産ンデサシアゲルコトハ、デキマセン」

 ――そうですね。確かに、それは悲しいことです。
 子供を産むことが妻の条件ではないでしょうけど、でも、他の皆様と、機械である私たちの、最大の差異はそこにあるのですから。

 穏やかに応えるセリオ御姉様の後を継いで、マルチ御姉様は笑って言いました。

 でもですね。
 私たちは、人の幸せのために生まれました。
 人の夢のために生まれました。
 私たちは、新しい命を産みだすことはできないけれど、でも、生まれた命を、守ることはできます。
 育てることはできます。
 守って、育てて、そしてその幸せを広げていくことはできます。
 夢を、繋いでいくことはできます。
 ずっと――ずっと、です。
 私たちはロボットだから、メンテナンスさえ受け続ければ、人よりも永く、育てていくことができるんです。見守っていくことができるんです。
 浩之さんや、あかりさんや、皆さんから、始った命を、幸せを、ずっと。
 広げて、守って、つないで、育てていけるんです。
 私たちは、浩之さんの子供たちに伝えます。
 お父さんと、お母さんが、どれだけ皆さんのことを愛しているか。
 そしてどれだけ、皆さんの幸せを願っているか。
 私たちが皆さんと出会って、どれだけ幸せだったか。
 私たちが皆さんにどれだけ愛されたか。

 ♪私からあなたへ この歌を届けよう
  広い世界にたった一人の私の好きなあなたへ

 知ってますか?私の大好きな歌の一つ。
 私たちは、次の世代へ、そしてまた次の世代へ、そして更に次の次の世代へ…贈り物を届けていくんです。
 それが、私たちロボットの幸せ。


 ぽふ。

 マインの、ちいさな拳が、軽く隣に座る柳川の胸にふれた。

 ぽふ。

「私ハ…正直、子供ヲ産ム事ノ幸セトカ、ヨクワカリマセン。
 デモ、御姉様方ノ、幸セハ、何トナク…理解デキマス」

 ぽふっ。
 ぽふっ。

「貴之様ノ、御子様ニ…“お姉ちゃん”ナンテ、呼ンデ貰エタラ…ソレハ、トテモ、トテモトテモ、嬉シイト思イマス」

 ぽふっ。

 それは、触れるというか打つというか。
 僅かに、力が入ったような音を、立てた。

「ソレガ現実ニナッタラ…どんなに、良イかと思いマス」

 ぽふっ!

「マイン…?」
 軽くではあったが、それは“触れる”ではなく“叩く”であったのか。
 それと注意しなければわからぬほど、小さく震える拳で、マインは柳川の胸を。

 ぽふっ!

 叩いた。

「――デモ、柳川様は、ドコにイマス?」

 ぽふっ!

「マイン…?」
「ソノ時、柳川様は何処にイルんでス?」

 ぽふっ!

「柳川様は何処にイマス?」

 ぼふっ!

「柳川様は何処にいるんでス?
 ソノ時、柳川様ハ何処にいるンですカ!?」

 ぽすっ!

「柳川様はソコにイナイ」

 ぽすっ、ぽすっ!!

「イナイ!」

 ぽくっ!!!

「…こほっ」
 大した力ではない。
 だが、それでも、軽く息が詰まった。

「ソンナノ、チットモ幸せじゃナイ」
「……………」
「――ダメです。そんなの」

 ぽふ。

 自分の胸に手を置いて、動かなくなったマインを見て。
 柳川は、そっと呟いた。

「…痛いよ、マイン」


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