私立了承学園


『その後の必須科目 アンファン・テリブル』

※先に第437話『必須科目』を読んでください。

 作:OLSON

 Kanonサイド


「はっ…はっ…はっ…」

 道に積もった雪を掻き分け、俺は真琴と共に保育所に駆け戻っていた。

祐一「全く、名雪を忘れて帰るなんて旦那失格だな…」
真琴「真琴も…生徒を忘れてくなんて先生失格…」

 雪の勢いが増し時折吹雪く中、白い息を吐きながらひた走る。
 他のみんなはそのまま帰宅させた。全員で戻っても仕方ないし、この雪では危険でもある。
 そして保育所の門をくぐり、小さな滑り台やブランコがある庭にさしかかると……


「まてまて〜」
「きゃはははははっ♪」

 柳川先生が…子供達と遊んでいた。
 遊びの内容は…そのまんまなので語るまでもないだろう。

柳川「つっかま〜え………た…」

 彼はインテリヤクザな服装の上にPiyoPiyoブランドのひよこマーク付きエプロンを身に付け、優しい笑顔を浮かべて(信がたい話だが、彼にもそうする能力があったのだ!)男の子を抱き上げたまま俺達の目線に気付いて固まっていた。
 俺と真琴は見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、突っ込みを入れる事もなく玄関に向かった。


 そこは……戦場だった。


 走り回る男の子。

 額に『肉』(かろうじてそう読み取れた)と落書きされて途方に暮れる手鏡を持ったHM-12型。

 彼女のエプロンを引っ張る女の子。

 目深に帽子をかぶった怪しげなカウボーイのような格好で白いギターをかき鳴らし、緒方英二の曲を奏でる躁状態の貴之さん。

 それに合わせて合唱する子供達。

 電話の応対にてんてこ舞いの晴子さんを初めとする保母さん&保父さん達。

 泣いている女の子をあやす秋子さん。

 子供達にもみくちゃにされる名雪。


名雪「祐一〜、置いてくなんてひどいよ〜」

 …やるな、ガキども。あの名雪を起こすとは。
 …ってそうじゃない。

祐一「すまん、名雪」
秋子「そうですよ、忘れるなんてひどいです」

 秋子さんが俺をたしなめた。

秋子「まあ…この状態では人手が増えてありがたいんですけどね」

 そう言って苦笑した。

祐一「すみません…しっかしこの状態は一体何なんです?」

「お、ええときに戻ってきたな、TVみてみぃ」

 そう言ったのは晴子さんだった。

「――雪の影響で首都圏のJRや私鉄は、運転の見合わせや運休が相次いでいます。運転しているところもダイヤが乱れています。高速道路や有料道路も各地で通行止めになっているほか、チェーンなどの滑り止めが必要な区間が出ています――」

晴子「てなわけや。滅多に無い大雪で交通機関がマヒしてな、足止め食ろうて帰るの遅うなったり職場で泊まりっちゅう親が続出したんや」

 どうやら雪は学園限定の物ではなかったらしい。

秋子「それで人手が必要になりまして、手が空いていてなおかつここに来れる状態だったのは私と柳川先生達だったんですよ」
祐一「…そうだったんですか。しかしもうちょい人選を考えた方が…」

 そう言いながら庭を見た。
 そこにはようやくフリーズの青画面から再起動して『子供と遊ぶ.exe』を再開した柳川がいた。
 …案外似合ってるのかもしれない。

 柳川はかつては刑事だったそうだが、刑事ってことは交番勤務の時代もあったんだよな? 案外、優しいお巡りさんだったのかな?


 などと考えていたら…。

 さっきまで緒方英二の曲を演奏していた貴之さんがカツカツと歩いてきた。
 彼はうつむきかげんの帽子を上に上げ、顔を出したと思ったら…
 投げキッスしてきた。
 頭痛がしてきた。

貴之「祐一君、君はニッポンじゃあ2番目だ…」

 帽子を2本指で押さえながら呟く貴之さん。

祐一「なら日本一は誰…って言うか何が?」

 激しくなった頭痛を堪えながら聞く。

 すると貴之さんは、「ヒュウ」とひとつ口笛を吹き、チッチッチッチと舌打ちをした後、満面の笑みで自分を指差した。

 頭痛は激しさを増した。

 その時、孝之さんの後ろにHM-12型が忍び寄った。
 彼女に見覚えがあると思ったら…以前、柳川先生の授業に遅れたあゆが泥だらけになった12型に連れられて来た事があった。
 授業は連帯責任で中止になり、家族全員で彼女の服と体を洗ってやった(ロボットとはいえ女の子なので俺の出る幕はあまり無かったが)ことがあったっけ。
 あの時、柳川先生は「ガラクタ」とか「ポンコツ」などとひどい呼び方をしていた。
 孝之さんの後ろでポケットをまさぐる12型はあの時の彼女なのだろうか?

 彼女はエプロンのポケットから取り出した『舞奈メモ』とかかれた紙に目を落とす。
 かすかに驚き、そして葛藤した後…。

 がす!

 メリケンサック(香里が同じ物を持っていたような気がする)を嵌めて貴之さんの後頭部を無造作に殴りつけ、彼はあっけなく床に沈んだ。

12型「ヨイ子ハ真似シテハイケマセン」

 彼女は人差し指を立てて子供達に言った。

子供達「はーい♪」

 素直に返事する子供達。

 12型がメリケンサックをしまい、カウントダウンを始めた。

12型「3,2,1、ゼロ」

 そして、孝之さんはしゅたっ! と立ち上がった。

貴之「と、いうわけで次は『大きなのっぽの古時計』を歌おうか」

 歯をきらりと輝かせた爽やかな笑顔で、何事もなかったかのようにそう言った。

子供達「はーい♪」

 素直に返事する子供達。

12型「オサワガセシマシタ」

 彼女は一礼し、モップを取って子供がこぼしたミルクを拭き始めた。

 頭痛、頭痛、頭痛……。

 彼はかつて強力な薬物で精神が崩壊していたが、秋子さんに治療されたそうだ。
 何でもあのジャムを服用したらしい。猛毒を持って毒を制すと言った所か。
 しかし…治療したから、あの程度まで回復したのか、ジャムを使ったから、あんな風になってしまったのか…。
 後者のような気がする、猛烈に。

 それと、12型に違和感を感じた。
 浩之んちのマルチちゃんそっくりの姿と声。
 だが、初めて会ったときの彼女はまさに機械そのものの無表情、そして平坦なしゃべり方だった。
 今も変わらない…ようだが何かが違った。
 外見が同じだけで別の機体なのだろうか?


 などと考えていたら…。


 あるとき ねこは だれの ねこでも ありませんでした。
 のらねこだったのです。
 ねこは はじめて じぶんの ねこに なりました。

 ゆっくりと絵本を朗読する声が聞こえた。
 声の方向を見ると、綺麗な黒髪の女性が床に座り、膝に男の子をひとり乗せて絵本を読んでいた。周りも子供達に囲まれている。

祐一「あれ? みさき先輩?」
みさき「その声は…祐一君、かな?」
祐一「正解。こんにちは先輩」
みさき「こんにちわ、祐ちゃん♪」

 ぐあ…。満面の笑顔でそう呼びますか?

子供達「ゆうちゃんこんにちわー♪」

 ぐわあ…。滅茶苦茶楽しそうだ…。

祐一「先輩…その呼び方やめて…」
みさき「可愛いのに…」

 心の底から残念そうに言う。

祐一「可愛くなくていい。第一、長瀬家の祐介と区別つかねーだろ…」
みさき「あ、そうだね。一緒にいたら混乱しちゃうね」

 いや、真面目に受け取らなくていいし。

みさき「じゃあ祐一ちゃんでいい?」
祐一「…もう好きにして…って、あれ? 浩平は? 一緒じゃないの?」
みさき「うん、いつも一緒ってわけじゃないよ。今日は市街地区の病院へ目の検診に行ってたんだ。今ではもう、一人で行けないわけじゃないからね」
祐一「…そうか」

 夫婦としてお互い信頼はしているが、決して一方的に頼ったりはせず自分でできることは自分でやる。当たり前のことを当たり前にやっているだけなんだな。

みさき「とは言っても、この大雪じゃ危ないからどうやって帰ろうかと途方に暮れてたんだよ。積もるほど降るとは思ってもいなかったからね。そしたら秋子さんが迎えにきてくれたんだ。そのまま帰ってもよかったんだけど、折角だから私もこっちに寄ることにしたんだ」
祐一「そうか。…って、絵本!?」
みさき「あ、これ? これは点字の絵本なんだ」

 そう言って持っていた本をこっちに広げて見せた。
 文の上に凹凸のついた透明なシールが貼られ、絵の所も大まかな輪郭に沿って凹凸がついていた。

祐一「へぇ、こんなのがあるんだ」
みさき「うん。母親が子供に絵本を読んであげるって光景に憧れていたから嬉しいよ」

 そう言って力強く微笑んだ。

男の子「おねえちゃーん、つづきよんでー」

 退屈した子供が催促した。

みさき「あ、ごめんね。続き続き…と、あれ? どこだっけ?」

 そう言って絵本の凹凸をなぞる。
 一旦指を離すと、それまで読んでいた所に戻るのは困難なのだろう。
 教えてやりたいが俺は点字が読めない…って、

祐一「『ねこは はじめて じぶんの ねこに なりました』だから、その次…ここだな。手、掴むよ?」

 そう言って、普通に印刷されていた文を読み、そのあたりのシールに先輩の指を導く。

みさき「えっと…あ、ここだね。ありがとう」


 ねこはじぶんが だいすきでした。
 なにしろ りっぱな とらねこだったので りっぱな のらねこに なりました。


 子供達に囲まれて絵本を朗読する先輩…いいな。こういうの。

 むぎゅ!

祐一「痛でっ!」

 名雪と真琴が俺の頬をつねっていた。

名雪「浮気は駄目だよ」
真琴「そーだそーだー!」
祐一「違うって」
みさき「そ、そうだよー、そんなことしないよー!」

 俺とみさき先輩は顔を真っ赤にしながら否定していた。


 と、その時、玄関の扉が開き、柳川先生と外で遊んでいた子供達が戻ってきた。

柳川「マイン、もっとタオルを持って来い」

 12型にそう呼びかけた。
 そう言えば、秋子さんが貴之さんの介護に就いてた12型の名付け親になったって言ってたな。
『マイン』…か。いい名前を貰ったな。
 HM-12という『物』から、マインという名をもつ『者』になった事で、以前は「ガラクタ」だの「ポンコツ」だのとひどい呼び方をしていた柳川先生も心なしか角が取れているような気がする。

柳川「…あ、こら、動くな。ちゃんと拭かないと風邪引く……ぞ…」

 雪で濡れた子供の頭を乱暴に拭いていた柳川先生は、俺達の視線に気付きふたたびフリーズした。
 そして数分後再起動した彼は…。

柳川「ふん、どうせバツイチパパみたいだとでも思ってるのだろう」

 ぶっきらぼうにそう言い放ち、子供達のふきふきを再開した。(変な想像はしないように)
 どうやら彼のスタートアップには『悪態.exe』がインストールされているらしい。
 別にそんな事思ってはいなかったのだが、彼が自分で言ったバツイチパパと言う単語が妙にマッチしていて激しい笑いがこみ上げてきた。
 それを堪えていたら…。

 12型…マインが戻ってきた。なぜかエプロンが無かった。

マイン「ハイ、追加ノタオルデス。御主人様」

 柳川先生は、またまたフリーズした。どうやらOSが相当不安定になっているようだ。再インストールが必要かもしれない。

柳川「…頼むからその呼び方、禁止」
マイン「スミマセン、ツイ、習慣デ」

 その時…。

「…ごしゅじんさま、はい、タオル」

 マインから剥ぎ取ったと思われる明らかにオーバーサイズのエプロンを身につけた女の子は、そう言って上目づかいでおずおずとタオルを差し出した。
 柳川先生は、またもフリーズした。

男の子「あれー? オニのおじさんどうしたのー?」
女の子「マインお姉ちゃんのまね、つまんなかった?」

「あは、あははははは…」

 俺達は力なく笑うしかなかった。


 それからも、食事をとらせたり、お漏らしした子供を着替えさせたり、まるで電池が切れたかのように貴之さんが鬱状態になったり、子供達が元気付けようと孝之さんに教わった歌を歌ったり、身に着けたマインのエプロンに足引っ掛けて転んだ女の子をなだめたり、服のボタンを止めてやろうとしゃがんだマインが子供に頭を撫でられてオーバーヒートしたり、と、てんてこ舞いの時間が続いた。

 そして、子供の親が迎えに来たり遊び疲れて眠るなどして一段落して、事務所でようやくひと休みしていた。

「お疲れさん」

 保母さんの一人がお茶を淹れてくれた。

祐一「あ、ありがとうございます」
保母「人を噂や見かけで判断してはいけないって本当ね、秋子の学園の人達って本当に面白いわ」

 彼女はそう言って柳川先生を見た。

 相変わらずフリーズを続ける柳川先生をジャングルジムに見立て、子供達がよじ登って遊んでいる。
 柳川先生は一向に再起動する気配が無い。どうやら彼のOSは完全に崩壊したらしい。

保母「鬼のような人だと聞いてたけど、子供思いのいい人じゃない」
祐一「鬼のような人って…なんか違う。ような、というかそのものというか…」
保母「ふふっ、秋子の学園って色々な人が居るね。宇宙人さん、魔王さん、鬼のような人、ロボットさん、薬でちょっと変になっちゃった人、不自由な所がある人、よく寝る人、おたくの人、他にも死神さんや天使さんや魔法使いさんにエスパーさん…その他もろもろ、ちょっと変わってるけど、話してみたら大抵はいい人、中にはちょっと困った人もいるけどね。初めは怖がっていた自分が恥ずかしいわ」

 彼女はそう言ってたおやかに微笑んだ。
 あの面子を『いい人』や『ちょっと困った人』で片付けるとは…。

保母「みんな色々違う所があって当たり前、でもお互い解り合うことが出来るし、解り合えなくても共存は出来るわね。肌の色とか国籍とか障害とか信じる神様とか、そんな自分と違う所を見つけ出して差別するのがいかに馬鹿げた事かというのが、あの人達を見るとよく解るわ」
祐一「…はは…そう…ですよね…」

 何と言うか、この保母さんは晴子さんと違って普通の人だと思っていたのだが、晴子さんの同僚が勤まるだけあってこの人も只者ではなかった。

晴子「ほなうちは何やっちゅーねん!」

 すぱーん!
 ハリセンが一閃した。

祐一「うぐぐ…」
真琴「あ、真琴もお茶飲むー♪」
晴子「ほな、まこちゃんのはうちが淹れたろ」

 和やかにお茶し始めるふたり。秋子さんの友人、並びに居候が勤まるだけある。

晴子「友人…言うても、秋子と知り合うたのはこの学園来る時やで?」
秋子「そうですね」
祐一「へ? 真琴のバイト探してて、秋子さんが晴子さんに紹介したんですよね?
保母「あ、紹介受けたのは私です」
祐一「え? 秋子さんの友人の保母さんって、晴子さんじゃなかったんですか? …そもそも、真琴がこの保育所でバイトしてたのってこの学園来る前で、その時は既に晴子さんと一緒に仕事してたんですよね?」
真琴「そうだよ?」
晴子「そうやで?」
祐一「…そもそも、この保育所、どこにあるんですか?」
晴子「もちろん学園の近所、東京都特別解放区ですよ?」
保母「秋子が学園を設立する時に、前の街から建物ごと転送されてしまったんですよ」

 そう言って苦笑した。

晴子「そうなんか? うち、寮に引っ越すまで特に通勤ルート変えた覚えないで? ほな、うちはどうやって通勤しとったんや?」

 訊いてみると、晴子さんが属する国崎家がかつて住んでいた海辺の町と俺達が住んでいた雪の街、そしてここ、東京都特別解放区はとても離れており、通勤など到底出来る距離ではなかった。

晴子「どう言う事や!? これって…」
秋子「……?」

 秋子さんは突然何かを思い出したのか自分のノートパソコンを開き、何か作業を始めた。

秋子「私達が住んでいた○○市がここで晴子さん達が住んでいた××町がここだから…」

 そう言いながら操作するPCのモニターには日本地図が表示されていたが、他にも色々と開いているサブウインドウには「地磁気」「水脈」「重力分布」「龍脈」等のパラメータが表示され、只の地図ソフトではない事を物語っていた。

秋子「やはりそうでした」

 そう言ってモニターをこちらに向ける…が、よく解らない。

秋子「祐一さんが来る少し前、私はディバ○ディングドラ○バーの研究をしていたんです」
祐一「ディバ○ディングドラ○バーって、学園の敷地を作ったあの…?」
秋子「はい、あの頃はまだ技術的に未完成で、地磁気等の影響で空間を自由に作れなかったんです。で、試験的に作って通常空間に繋げてみた場所が…」
晴子「うちが住んでた町と…」
保母「この保育所だった?」
秋子「そのようですね」

 そう言って微笑んだ。

晴子「…うちはそないな遠くまで通っとったんか…道理で保育所だけ寒かったり滅多に降らん筈の雪が積もっとったわけや」

 晴子さんは脱力しながらそう呟いた。

秋子「で、空間の繋がりごとここに転送してしまったみたいですね」

 呑気にそう言った。

晴子「ほな、引越しはここ経由だったら楽に済んだんやないか」
秋子「そうですね」
祐一「…他にはそうやって繋げた所は無いんですか?」
秋子「いくつかありますが…ディバ○ディングドラ○バーは今のところ安定して作動しているようですから変にいじらない方がいいですね」
祐一「Wind○wsじゃあるまいし…」

 そしたら、ディバ○ディングドラ○バーが不安定になったら学園はどうなるのだろう…?
 …そう言えば、フリーズしたままの柳川先生は…?
 その方向を見ると…。

 またも子供がよじ登っていた。
 そしてバランスが崩れ…。

祐一「まずい!」

 柳川先生は長身だ、だから子供がそこから落ちたら打ち所が悪ければ骨折くらいしてもおかしくはない。
 ダッシュする、が、間に合わない…!

 と、思ったらあっさりとマインが子供を受け止めた。
 そして、柳川先生は石像のように硬直したまま倒れて…。

 ごぎゃ

 額を激しく床にぶつけた。

マイン「ア…」
祐一「あ…」

 むくり、と立ち上がる。
 そして憮然とした顔で俺達を見て…。

柳川「怪我、無かったか?」

 そう言ってマインが抱いている子供の頭を撫でた。
 そしてさっきまで俺達がお茶していた事務所の方に向かった。

祐一「なんか…いつもと違うな。頭打ったせいか?」
秋子「その前からわりと穏やかでしたよ?」

 いつの間にか秋子さんが俺達の後ろに立っていた。

秋子「たまには童心に帰って思い切り遊ぶのもいいものです」
祐一「まあ…そりゃそうかもしれないけど」
秋子「子供の遊びや玩具というものは、古代や中世の宗教儀式の名残だったものが多いそうですよ?」

 秋子さんはそう言って柳川の後に続いた。

祐一「…どう言う意味だ?」
マイン「ハテ?」

 首を傾げるマイン。
 そして、さっきの子供は…マインに抱きかかえられたまま眠っていた。


 結局雪はやまず、除雪も追いつかず俺達はここでお泊りする事になった。

 川の字…を通り越したザコ寝状態だった。
 沢山の子供の相手は本当に疲れる。
 確かに多妻の家族にこの実習は必要不可欠だ…などと考えながら、あっさりと眠りについた。





















 ぐに

祐一「ん?」

 目を開けると…女の子が俺の頬を引っ張っていた。
 マインのエプロンを剥ぎ取ったあの子だった。

女の子「…おしっこ」
祐一「あ、はいはい」

 起き上がり、その子をトイレに連れて行く。
 その途中、事務所に明かりが灯っていた。
 そこにはマインと…。

祐一「あれ、耕一さん?」
耕一「おう、祐一」
祐一「どうしてここに? それにどうやって?」
耕一「秋子さんに呼ばれてな、この雪でも力を使えば移動は簡単だ、それより…」

 そう言ってさっきからもじもじしている女の子を見やる。

マイン「ア、私ガ連レテ行キマス」

 マインが女の子を連れてトイレに行く途中…。

マイン「ミサキサンモ、トイレデスカ?」
みさき「あ、えっと…マインちゃん、かな? その通り…なんだけど、はっきり聞かれると恥ずかしいよ〜」
マイン「…失礼シマシタ。誘導、致シマショウカ?」
みさき「あ、助かるよ」
マイン「手、ツカミマスネ」

 マインはそう言ってみさきの手を掴み、空いている反対側の手をみさきの腰に添えて歩いていった。

耕一「へぇ、ああいう機能もあるんだな」
祐一「デリカシーには欠けるみたいだけど」

 お互い苦笑してから俺は耕一さんに尋ねた。

祐一「秋子さんは、何で呼んだんです?」
耕一「それは、アレだ」

 そう言って指差した先には…ザコ寝する人達から離れた玄関に近い所で、只一人、毛布に包まって眠る柳川先生がいた。

耕一「今日は俺が当番なんだ」

 そう言って腕につけたエンジ色の腕章を見せた。

『とにかく柳川先生をなんとかする係』

祐一「…なるほど」
耕一「マインは、柳川がここに泊まるのをすごく心配していたんだ」
祐一「…やっぱり柳川先生にはそういう趣味が…?」
耕一「違う…と、言い切れないのが辛い所だが…違う。祐一は、俺達の力のことは知っているだろう?」
祐一「ああ、前に雪合戦した時のアレは本当に凄かった」
耕一「…それのコントロールの問題なんだ」
祐一「力加減はちゃんとできてたみたいだけど? 子供を抱き上げたりしてたし」
耕一「…そういう問題じゃないんだ」

 そう言って耕一はとつとつと話し始めた。

 エルクゥという異星の狩猟種族。
 破壊と殺戮を好む本能。
 その血は柏木家に伝わり、男子はほぼ例外無くその本能を押さえることができず、文字どおり古の伝説で語られる「鬼」そのものになってゆく運命。
 耕一の父と、妻達の父である伯父も押さえる事が出来ず、鬼になってゆく自分と戦い続け、自らの命を絶った。
 …愛するものを傷つけないために。
 そして、叔父である柳川もその本能を押さえることが出来ず、鬼になってゆく自分と戦い続けている。

耕一「マインの話では、万一の暴走に備えて柳川の寝室は複合装甲で補強されているんだそうだ」
祐一「それで、ここに泊まる事を心配していたのか」

 柳川先生を見る。
 相当疲れているのか起きる気配は全く無く寝ていた。
 話に聞くような怪物にはとても見えなかった。

祐一「…じゃあ、耕一さんもいつか…?」
耕一「いや、俺や俺の爺さんは例外的に制御できるんだ」
祐一「じゃあ、その違いって、どこからくるんだ?」
耕一「解らない。生まれた時からそう決まっているんだ」
祐一「解らないって…」
耕一「…もしかしたら、どうにかする方法はあったのかもしれない。だが、誰かに話して協力を求めるわけにはいかないし、調べたり新しい方法を試すわけにもいかない。失敗した時のリスクが大きすぎるからな。だから、破滅的であっても確実な方法をとるしかなかったんだと思う」
祐一「破滅的な方法…か。うちの舞と同じだな」
耕一「舞って…確か剣を持っていた子だっけ?」
祐一「ああ、不思議な力を持っていて、周りから気味悪がられて子供の頃から迫害を受けていて、その力を嫌悪して、拒絶して、分離した力は魔物になって10年間にわたって孤独な戦いを続ける事になったんだ」
耕一「…破滅的ってことは、その魔物は…!」
祐一「ああ、舞自身の命と直結していた。それでも、その力を断ち切ろうとしていたんだ」
耕一「確かに、親父達と同じかもしれないな。だが、彼女は生きている。なぜだ?」
祐一「受け入れることができたから、だろうな。まあ、拒絶も受け入れも、そのきっかけは俺だったんだがな」
耕一「受け入れ…か。でも、俺達の場合、それは暴走ってことになるかな。結局、自分でも具体的にどう制御しているのかよく解らないし。…それにしても、今日、柳川に一体何があったんだ? いつもと違って、とげとげしい感じがしないんだが」
祐一「俺もそれが不思議でならない。子供と遊んでいただけなんだ。秋子さんは『たまには童心に帰って思い切り遊ぶのもいいものです』なんて言ってたんだがな」
耕一「思い切り遊ぶって…ストレス解消したぐらいでどうにかなるとは思えないし、逆にストレスがたまるような気がするんだが」
祐一「そうだよな…あと、秋子さんは『子供の遊びや玩具というものは、古代や中世の宗教儀式の名残だったものが多いそうですよ?』と言ってたけど、まさか、鬼ごっこが…なあ?」
耕一「鬼ごっこ…それが狩猟本能を昇華させたとか? はたまた鬼の力を封じたとか? そんな安直な…」

 全くだ、安直過ぎる。もし、そんな方法でどうにかなっていたとしたら柏木の一族がこれまで苦しんできたのは一体何だったのか。第一、本当だったらとっくの昔にそうしているだろう。

 でも。

祐一「駄目だと決め付けて、試しもしなかった方法が沢山あるんじゃないか? 第一、安直でも、それは効果がないという理由にはならないだろ。舞が力を受け入れるきっかけも、かいつまんで言えば『恐れることなく受け入れてくれる友達が出来た』という安直なものだったんだから」

「そうかもしれないね」

 いつの間にかみさき先輩が会話に参加していた。

みさき「えっと…耕一さん…耕ちゃん、でいいかな?」
耕一「…どうぞ、お好きなように」

 先輩は案の定ちゃん付けで呼んだ。そして耕一さんは苦笑で答えた。

みさき「話、全部聞いたわけじゃないんだけど、私もまだ方法はあると思うよ? 私、小学生の時に目が見えなくなって、お医者さんでも治すことが出来なかったんだけど、この前、ほんの一時だけど光を取り戻すことができたんだ」

 そう言って微笑む。
 その時、マインが湯気を立てるカップを持ってきた。
 気を利かせてホットミルクを作っていたようだ。

マイン「ドウゾ」

 そう言ってみさきの手を取り、カップの取っ手に導いた。

みさき「ありがとう、マインちゃん」

 そう言って空いている手をさ迷わせる。
 手の高さからみさきの意図を察したのか、マインは頭を…ためらいと恥じらいと緊張、そしてわずかながら期待の表情を浮かべて…差し出した。

 ぽふ
 マインの頭にみさきの手が乗った。

マイン「アッ…」

 ピクリ、マインの身体が震えた。

みさき「ふふっ」

 みさきは笑顔と共になでなでを開始した。
 なでなでなでなでなで…

マイン「ハワワ…」

 マインは両手を口に寄せ、恥じらっていた。

みさき「ぽわぽわしてて気持ちいいよ」

 なでなでなでなでなで…

マイン「アゥ…フア…ハウウ…」

 マインの頬がたちまち赤くなり、変な声を出すまいと懸命に堪えている。
 なでなでなでなでなで…

みさき「あは、ひよこみたい」

 なでなでなでなでなで…
 マインは頭だけ見えない柱に固定されたかのように動かさず、体だけ器用によじらせている。

 なでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなで…

マイン「ア、アウウ…アハウッ、ク…フゥ…」

 マインの腰がガクガクと震え、今にも座り込んでしまいそうだった。
 撫でる手が止まる。

みさき「…何だか、いやらしい事してるような気がしてきたよ。なんとなくね」

 みさきは少々赤面して言った。

祐一「は、はは、もう、その位でいいんじゃないか?」
みさき「…そうだね」

 みさきが手を下ろすと共に、マインが安堵と共に少々物足りなさそうな表情を浮かべながら後ろに下がった。

みさき「…で、話は戻るんだけど、学園のいろんな人達…ガディム先生や芹香ちゃんやコリンさん、芳晴さん、ユンナさん、エビルさんにエリアさん、他にも沢山の人達が力を合わせた魔法で私は幽体離脱したんだよ。この眼…ってのは魂だけになっていたから正確じゃないんだけど、自分で色々なものが見れたんだ。綺麗な星空や学園や満月、あと、家族のみんなや浩平君の顔…想像してたよりずっとずっとかっこよかった……って、な、何言ってんだろ私」

 真面目な話をしていた筈だが途中からノロケ話になっていた事に気付いて赤面し、落ち着こうとさっきマインが入れてくれたホットミルクを飲もうとしてむせて激しく咳き込んで、マインが背中をさすった。

マイン「ミサキサン、大丈夫デスカ?」
みさき「ゴホ…すまないねえ。いつも苦労をかけて…。せめておっかさんが生きていてくれたら…」

 みさきはさりげなくボケた。
 気を遣わせまいと思ったのだろうが、普段意識的にギャグを言うことがないため滑り気味だった。
 それを聞いたマインは硬直した。いきなりみさきギャグの相方になれというのは無理な注文である。
 マインは何かのデータをロードし始めた。そして…。

マイン「…オトッツアン、ソレハ言ワナイ約束ダヨ」

 …凄い。ボケにボケで返すとは! 機械その物だったあの頃に比べて色々なことを学習しているようだ。
 今にも借金取りが乗り込んできて風車の弥七とか遊び人が助けにきてくれそうな微妙なやり取りだった。

みさき「…それでさ、ほんの一時だけだけど、いろんな物が見れたんだよ。学園のみんなのおかげだよ。学園が無かったら決して出会う事はなかった人達が力を合わせたから出来た事なんだ。耕ちゃんのお父さん達にはこんな事は無かったんじゃないかな?」
祐一「そりゃあ、こんな学園なんて前代未聞だろうな」
耕一「…そうだな。学園の面子なら、これまで出来なかったことも出来るようになるだろうな」
祐一「万一の時でも対等に渡り合える人は結構いるみたいだしな」

 そう言って笑う。
 本当に暴走した時はどうかは解らないが、耕一さんと柳川先生の乱闘を普通(と言う表現が出来る人間は学園にはあまりいないのだが)の人間が制止した事例もいくつかある。
 雪合戦という限定された状況でなら俺達だって勝った事がある。
 鬼の力と言えど、絶対ではないのだ。

「…ふぁ」

 可愛いあくびが聞こえた。
 すっかり忘れていたが、俺を起こした女の子もテーブルにつき、ホットミルクを飲んでいた。

女の子「ねむい…」
みさき「そっか、じゃあ、お姉ちゃんと一緒に寝よっか?」

 みさきがそう言ったが…。
 女の子は周りを見回した後…。

女の子「…オニのおじさんがいい」

 そう言って、とてとてと玄関の柳川先生の元に向かい、毛布を少しめくって胸元に潜り込んだ。
 子供の相手と数度に及ぶフリーズと再起動は相当な疲労をもたらしたのか、柳川先生が目を覚ます事はなかった。

みさき「あはは、負けちゃったよ。柳川先生から怖い電波は感じないし、子供もそういうの解るんだね」

 みさきはそう言って苦笑した。

祐一「まさか、本当に…?」
耕一「鬼ごっこが効果あったってのか?」

 俺と耕一さんは顔を見合わせた。

 柳川先生の胸元にいる少女は完全に安心しきった寝顔を浮かべていた。

祐一「バツイチパパ…」
耕一「…言われてみればそれっぽいな」
祐一「自分からそう言っていた」
耕一「…マジか?」

 お互い、こみ上げてくる笑いを必死で堪える。

 本当に、効果があったのかもしれない。
 ただ単に、今夜は発作が無かっただけかもしれない。

 解らない事はいくらでもある。
 そして今は、それを調べ、確かめる事が出来る環境がある。

 …希望はすぐそこにあるのかもしれないな。見落としているだけなんだ。




あとがき

 一年越しの了承学園投稿です。
 時間の流れを無視して437話の直後になります。まあ、他の話に影響はないと思いますが…。
 ようやく必須科目での晴子さんの不整合をフォローするネタを思いつき、首都圏を直撃した大雪をきっかけに執筆しました。

 しかし…長っ! 色々詰め込みすぎました…。

 ちなみに、みさき先輩が読んでいた絵本は…気付いた人も多いと思いますが「百万回生きたねこ」です。
 どことなく「えいえんのせかい」に通ずるものを感じ、登場させました。点訳されているかどうかは不明ですが。

 さて、柳川先生は『責任のハタシカタ』にてメイフィアといい感じになりましたが、この話ではメイフィアの出番は無しです。
 どうも上手く動かせなかったし収拾つかなくなるし話がダブりそうになるし。
 とりあえず、他の『たさい』同様に四六時中一緒にいるわけではないってことで。

 なお、文中では保育士ではなく保母さんor保父さんと表記してます。この方が温かみがあると思いますから。
 言葉狩りすりゃ男女差別が無くなるって訳じゃないのに、温かみがある言葉がなくなっていくのは悲しい事です。
 さて、現場の保育士さんはどう思っているのやら…。





 ☆ コメント ☆

綾香 :「……うう」

セリオ:「どうしたんですか? なにか嫌そうなお顔をなさってますが」

綾香 :「えぐえぐ、さむいのきらい」(;;)

セリオ:「喋りが平仮名になってますよ」(;^_^A

綾香 :「だってだって」(;;)

セリオ:「駄々っ子化してるし」(;^_^A

綾香 :「だってだってだってだって寒いのはいやなのよぉ。
     特に朝。起きるのに一苦労だし。ただでさえ低血圧で辛いのに」(;;)

セリオ:「……」(^^;

綾香 :「えぐえぐ、さむいのきらい」(;;)

セリオ:「また平仮名に戻ってしまいました」(^^;

綾香 :「寒い日は、おこたに入ってゴロリンしてるのがいいのぉ。
     お布団でヌクヌクがいいのぉ」

セリオ:「おこたでゴロリン、ですか。さすがは猫系の綾香さんですね」(;^_^A

綾香 :「でもでも、雪遊びやウインタースポーツも大好きなのぉ。
     雪の積もった庭を駆け回るのも好きなのぉ」

セリオ:「……実は犬系ですか? と言いますか、両方を兼ね備えてます?」

綾香 :「バイリンガルって呼んで」

セリオ:「それはちょっと使い方が間違ってる気が……」(^^;

綾香 :「そう? なら、両刀使いでも可」

セリオ:「もっと間違ってますよ」(−−;



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