私立了承学園第471話
「墓参り」
(作:阿黒)






「ふう」
 別に疲れたわけではないが、長い石階段を登りきると自然に息をついた。
 海からの風が、少しだけ火照った身体に心地よい。
 緑多く静寂。
 いい環境だと思う。小高い丘という立地条件で、海を見下ろす風景は画になると思う。さして絵画に造詣があるわけではないが。
 死者を葬るにも、死者を見舞うのにも、いい環境だと思う。
 もう一度息をつくと柳川は寺のやや古びた門をくぐり、境内に入った。

  * * * * *

 柏木家は地元の名士、それも最上位にある。
 自然、その墓もそれなりに格式あるものになるし、実は一度だけ、隆山に赴任してきた時に参ったこともある。
 それでも目的の場所に辿り着くにはやや時間がかかった。
 敷地の広さと墓石の多さ、その間を多岐に分かれる路地の複雑さ。
 そんな理由もあるが、時折墓石に刻まれる『柳川』という名につい、目を留めてしまう。
 元々母はこちらの人間である。
 探したことは無いが、隆山には当然、母の実家や親戚筋もいるだろう。
 あるいはいない…いなくなってしまったかもしれないが。
 地元一の名士の妾となり、そして逆らった娘がどう思われるか。
 経済面という一面だけを見ても、柏木家は隆山の代官といってもいいだろう。
 単純に鶴来屋グループの傘下に所属している者とその家族、そしてその他の経営者にとっても鶴来屋グループは地元最大の取引先であり、つまりは住民の大半は何らかの形でグループの恩恵を受けている。隆山という地に限って言えば、その影響力は絶大なものがあるだろう。
 たとえ、殊更に柏木耕平が指示を出さなくとも、その意を迎えようと勝手に蠢動する輩もいた筈である。――それを思うと、あまり楽観的にはなれない。
 それに親子ほども歳の離れた男の妾になる娘を、家族が黙って容認していたかどうかは甚だ疑問だ。
 険悪な関係になってしまっていたか、あるいは元々縁が薄かったのか。
 母はそのあたりを全く息子には説明してくれなかったが…だとしたら、母子揃って親類縁者には疎遠なことだ。
 思わず苦笑してしまう。
 事実はどうあれ、仮に柳川の縁者と出会ったとしても、お互いに全く見知らぬ他人ということに間違いはない。
 親愛も、懐古も、湧き上がる理由など皆無だ。互いに気まずい思いをするだけだろう。
 それでも…全くの無心ではいられない。
 厄介だが、血の繋がりとはそういうものかもしれないと、頭のどこかが納得してもいる。
 そんなことを考えながら、ようやく目的の――柏木本家の墓所を見出した時、そこに見知った人影を発見して、咄嗟に柳川は身を隠しかけた。
 だがすぐに思い直し、ゆっくりと近づいていく。
「――墓参りか、楓」
「……こんにちは」
 さして驚いた風もなく、軽く会釈を返すとそのまま楓は供えられた花を取り替える作業を続ける。
 四人の姪の1人である彼女は柏木直系の血に連なる者として、当然鬼の異形の能力を持つ。
 特に精神感応の点では、彼女は現存する一族の中では飛びぬけて敏い。こちらの発した僅かな動揺の気配を、やはり感じ取っていたようだった。
 黒御影石の、1級品だが最上級ではない、意外に素朴な印象さえある墓石を柳川は見上げた。
 自分はさほど感傷的な人間ではない、と信じている。
 だがそれでも、やはり自然に心の居住いを正してしまう。
 こういうことに小難しい理由はいらない。それでいいと思える。
「…花」
「え?」
 唐突に話し掛けてきた楓に、やや意表をつかれてとりあえず声は返す。
「お花は、持参されてないんですか?」
「いや。…別に墓参りにきたわけじゃない」
「…そうですか」
 それっきり、再び無言に戻ってしまう。
 いささか会話の努力をする必要を感じ、しかしさてどう切り出そうかと柳川が内心悩んでいると、また唐突に楓は口を開いた。
「では、お墓にケリを入れにきたんですか?」
「なんでそうなる!?」
「前に一度、耕一さんが」
「…蹴ったのか?」
「はい。後ろの方から」
 そう言って、楓は墓の前部に僅かに残る傷痕を指し示した。
「耕一さんとしては…叔父さん…お父さんを敬愛しながらも、色々と思うところはあったみたいで。
 本当は、生きているうちに一発、殴っておきたかったって。それで、せめても…と。
 でも力がちょっと入りすぎて。お墓が前のほうに崩れかけたところを危うく梓姉さんが支えて事無きを得ましたが、スタイルと料理と性格のこと以外であれだけ千鶴姉さんが怒ったのは、滅多に無かったですね」
「そ、そうか」
「実は、私も少しだけ怒りました」
「……そうなのか?」
「はい。しばらく耕一さんが私の顔を見るたびに泣きそうな顔で土下座するのには、少しやりすぎたかもとか思わないでもなかったですが」
「お前…」
「なんちゃってぴょーん」
「……………」
「…ここ、笑うところなんですが」
「いや、うちのマイン以上に無表情にそんなこと言われても」
「もう少し、ゆうもあ感覚を磨いた方がいいと思います」

 何だか物凄く理不尽なことを言われた気がする。
 第一、まるで冗談に聞こえなかったし。

「…以前は週に一度はお墓の掃除に来ていたんですが」
「また唐突に話題を変えるなお前は。別にどうでもいいが」
「最近は、月に2,3度くらいですね」
「それでも随分マメなんじゃないか?今時は墓参りなんて盆と正月くらいしかやらない奴が大半だろう」
「そんなものでしょうか…」
 そう言いながら楓は手際よく花を取り替え、古い花は新聞紙に包んで脇に置く。
 小さなポーチから線香の箱と100円ライターを取り出し、線香に火を点す。
 黙ってそれを見ていた柳川に、楓は数本の線香を差し出した。
「折角ですから、ご一緒に」
「……………」
 少し戸惑って、しかしそれを受け取ると、柳川は墓に線香を上げた。
 ほんの申し訳程度に手を合わせてすぐに引き下がった柳川と入れ替わるように、楓もまた線香をあげ、そのまま座って目を閉じて拝む。
 しん、と静まり返った空気は、しかし不思議と重くなく、柳川はただじっと、楓が立ち上がるのを待っていた。
「――隆山まではやはり…鶴来屋を通って?」
「ああ。旅の風情は無いが、便利だからな」
 現在、湾曲空間内に存在する了承学園に鶴来屋は移転しているが、しかし隆山から鶴来屋が無くなったわけではない。
 遠く離れた二つの場所に、一つの鶴来屋が、『同時存在』している。
 
「まったく何をどうすればこんなことをあっさりやってしまえるんだか…ちょっと、あたし自信無くしちゃうワ」

 以前説明を求めた時、何事にもスチャラカなメイフィアがそうぼやいていたのが柳川には印象的であったが。

 ともかく、これだけは新しく設けられた『学園側出入口』から鶴来屋本館に入り、従来の正面口から出ると、そこは昔と変わらぬ隆山の風景が広がっていた……。

「あの…少し、いいですか?」
「用件によるな」
 ようやく立ち上がってこちらを向いた楓の方に、柳川は思考を切り替えた。
「私、あなたのことを何と呼べばいいでしょうか?」
「え?」
「初音は…割と抵抗無くあなたのことを『柳川おじさん』って呼んでますけど…本当は、嫌なんじゃないかなと思って。私も、千鶴姉さんより少し年上なだけのあなたのことをおじさんって呼ぶのは違和感がありますし、それに…」
「それに…なんだ?
 まあ…初音に関しては、もう別にかまわないが」
 クスリ、と、楓は僅かに微笑んだようだった。
「あなたも初音には甘いんですね」
「うるさいな。で、なんだ?」
 笑いを収めて、楓はすこし目を逸らした。
「私にとって、おじさんというのは『賢治おじさん』のことでしたから」
 姉妹達にとっては親代わりに自分たちを守ってくれた叔父、耕一にとっては父親、そして柳川にとっては異母兄にあたる人物の名を、楓は大事そうに呟いた。
「柏木賢治、か」
 柳川が隆山に赴任して、初めて関わった大きな事件。それが、鶴来屋社長兼会長代理として事実上グループのトップにいた人物の、事故死だった。
 結局公的には事故として決着がついたが、今ではそれが覚悟の自殺であったことを柳川は知っている。だが当時は他殺という線も捨てきれず、上司であった長瀬と共に容疑者筆頭だった千鶴の身辺を探ったりしたものだった。
 それは、もう随分昔のことだったような気がする。
「…悪い噂は、聞いたことが無かった」
 社会的な地位の高さに比例して、味方と、それ以上に敵は増えていくものだという。
 鶴来屋ほどの規模のグループになれば、代議士に金をばら撒き利便を図ってもらっているといった類のお定まりの黒い噂は常について回るし、また全く清廉潔白な企業などは有り得ないだろう。
 だがそれでも、柏木賢治という人物についての誹謗・中傷は、その社会的地位からすれば少ないものだったし、それも大半は聞くからに事実無根と知れる、お粗末な代物でしかなかった。
 公人としてはどうだか知らないが、個人的にはまず善良な人物だったようだと思う。

「生前、会う機会は無かったが。…当たり前のことだが。
 でも一度くらい、会っておきたかったと思ってる」
「よく知らないのに…そう断言できるんですか?」
「こうやって、マメに墓の掃除にくる姪が1人いる。それだけでも故人の人柄を推測する材料としては十分だと思う」
 一瞬、少し困ったような顔をして、楓は首を僅かに傾げた。
「…もし今の言葉を聞いたら、叔父さん少し困ると思います。そんな大したもんじゃない、って」
「ん…まあ、そうかもな」
 自分でも照れくさいことを言ってしまった気がして、柳川は頷く。そんな彼を、何故か楓はしばしじっと見つめた。
「…なんだ?」
「いえ…なんでも。
 それより、あなたこそ今日は何をしにいらしたんですか?墓参りではない、とおっしゃってましたが」
「あー…まあ。本当は、こっそり済ましておきたかったんだが。
 実質的にここの管理をしているお前にも、話は通しておいた方がいいだろうな」
 そう言って、柳川は懐から小さな箱を取り出した。
 大きさと形状は、メガネケースを一回り大きくしたくらいの、プラスチックの箱である。
 蓋を開け、更に油紙の包装を解いて現れたのは、黒い小さな板のようなものだった。
「――位牌?」
「ああ」
 小さな位牌に書かれた文字を見て取らないうちに、柳川はまたそれを油紙に包むと箱にしまい、更にその箱をビニールで包んだ。
 少しあたりを見回して、墓石の、真後ろよりやや左寄りの所に屈みこむ。
 そしてそのまま、敷き詰められた玉砂利を素手で掘り返しはじめた。
「一応――千鶴やここの住職には話は通してある」
「それって…」
「ま、遺骨は共同の納骨堂に納めてあるがな。せめてこれくらいはと思って」
「…………」

 こういった形のほうが、その位牌の主にとっては、あるいは似つかわしいのかもしれない。

「単なる感傷だ。実質的には、意味のあることじゃない」
 砂利が取り除かれ、土を鬼の爪で掘り返しながら、淡々と柳川は言った。
「…………」
 しばらく、楓は黙って見ていた。
 それから、そっと柳川の背後に歩み寄った。
「一つ、いいですか?」
「なんだ?」
「感傷にすぎないというなら、それでもいいです。
 でも感傷だとしても、なぜ、そうしたいと思うんです?」
「…そうだな」
 そう言って、しかし柳川は即座に返事をしなかった。
 しばらくそのまま無言で土を掘り続け、穴の深さが30cmほどにもなったころ、手を止めた。
 そっと、穴の底に包みを置いてから、言う。
「母は柏木に対して、一言半句たりとも恨み言らしきものを口にしたことは無かった。…だからかな」
「柳川さん」
「うん?」
「私も…土をかけさせてもらっても、いいですか?」
「ああ。お願いする」

  * * * * *

 海岸沿いにある、ひなびた蕎麦屋に入ったのは昼にはまだ少し早い時間帯だった。
 天ぷら蕎麦を二つ頼んでから、それで良かったですかと尋ねてくる楓に柳川は少し考えてから頷いた。
「何やってるんだろうな、俺」
「そうですね。何やってるんでしょう、私」
 淡々とした口調で、番茶を啜る楓の姿は奇妙に素朴な店の内装とマッチして、違和感が無かった。
「叔父さんは、いつもタバコのにおいがしました。洗い立てのシャツを着ていてもそう。
 特にヘビースモーカーというわけではなかったですけど」
 くんくん、とにおいをかいで、楓は続けた。
「タバコのにおい、しませんね」
「俺は吸わないからな。吸いたいと思ったこともない」
「なぜですか?」
「なぜって…」
 返答に窮している柳川にかまわず、楓はさっさと話を進めた。
「タバコのにおい。ひなたのにおい。おおきくて、あったくて、頼りになる。大きな、木みたいな。…私達にとって、叔父さんはそんなイメージのある人でした。
 ――耕一さんと、似てました」
「そうなのか?」
「はい。細かいところでは結構がさつっていうか抜けてるところがあったり、酒豪という程ではないけどお酒は好きで、いい気分で酔ってくると親父特有のギャグを連発したり」
「…それは似ているというより耕一そのまんまじゃないか?」
「そうですね。あと20年もして、年月による人格の熟成と深みと渋味が加わったら、耕一さんは叔父さんそっくりになるかも」
「ふうん…」
「あまり、喋らないんですね」
「そういうお前は随分喋るな。俺は、お前はもっと無口な性格だと思っていた」
「そう…ですか?」
 ずっ、と茶を一口すすってから、柳川はため息をついた。
「白状するとな。俺は、女と喋るのは苦手だ」
「……そうですか?」
「ああ。女という生き物は揃いも揃って口の達者な生き物で、そのくせ何を考えてるのか全然わからん。正直、人間の女よりもラルヴァの方がまだわかりやすい。
 だから、何を話題にしたらいいものやら、皆目見当がつかん」
「…………」
「気を悪くしたか?変な顔をして」
「いえ。そのお気持ちは、わからないわけでもないですから」
「そうか?なら良いが」
 ずずずずず、と茶を飲んで、ほう、と楓はため息をついた。
「お茶、好きなのか?」
「はい」
「そうか。なんか、おいしそうに飲んでるから」
「…叔父さんと同じこと、言うんですね」
 コトリと茶碗を置いて、お代りを注ぎながら何気ない口調で、楓は言った。
「叔父さんも、よくこぼしてました。
 今時の女の子は何を考えてるのかさっぱわりわからないって。
 忘年会とかで、従業員の若い子達に捕まって、女の子向けの話のネタは少ないのにいっぱい喋らされた、疲れた疲れたって。
 そうこぼす相手の私たちも、女の子なんですけど」
 少し難しい顔をして、柳川は楓を見た。
 そして言う。
「…お前、もしかして俺と柏木賢治を無理に重ねようとしてないか?
 兄弟だからって理由で?
 止めろよ、そんなこと。
 たとえ仮に似ていたとしても、俺は俺、柏木賢治は柏木賢治だ。
 他人のイメージで人を計ろうとするな」
「…………」
 戸惑ったように少し引く楓に、柳川は苛立たしげな視線を向ける。
 その視線をつい、とはずして、少し弁解するような口調で。
「まあ…なんだ。
 ちゃんと覚えていてやれ」
「――え?」
「柏木賢治がお前にとって、大事な叔父だったなら、ちゃんと覚えていてやれ。
 それだけでいいだろ。
 他人に重ねて懐かしむ、っていう気持ちもわからなくはないが…あまり重ねすぎると、記憶の方がぼやけてくる。
 どこからどこまでが俺で、どこからどこまでが叔父だったか…?
 ゴチャゴチャになって、よくわからなくなってしまうだろ?
 だから…ちゃんと、覚えていてやれ」
 そこまで言って、自分をじっと見つめている楓の視線に気づき、柳川は…ゴホン、と咳払いした。
 口調を少し改めて、言う。
「そもそも俺と柏木賢治とでは、比較の対象にもなりはしないだろう?」
「根拠はなんですか?」
「は?」
「あなたの言う事は、わかります。私、それを否定する気はありません。
 でももう少し、思い出を他のものに重ねてはいけないというその根拠を詳しく聞かせてくれませんか?そうしたら、もう少しきちんと、納得できると思うから」

 けっして厳しくも鋭くもない、何気ない口調。しかしわずかな隙間に滑り込んでくるようなその問いかけは、拒絶や誤魔化しを許さないものがあった。

 ――初音といいコイツといい、どうしてこうもひたむきに、まっすぐでいられるのだろう。

 ひたりと向けられる楓の視線から目を逸らし、柳川はため息をついた。
「話してもいいが、場が湿っぽくなるかもしれん」
「…あなたが嫌じゃなければ。無理強いはしません」

 俺にとってはお前のその態度が既に無理強いなんだよ、と心の内でぼやきながら柳川はあきらめた。

「お前、親を亡くした時、泣いたか?」
「…………」

 少しだけ、眉を寄せて。それから楓は小さく頷いた。

「そうか。俺は…泣かなかった。いや、泣けなかったな」
 少し不思議そうな楓に、ゆっくりと、柳川は話し始めた。

「たった二人きりの家族だ。贔屓目にしても俺たち親子は…良好な関係だったと思っている」

 単に仲良しだったということを、この人はこんな堅苦しい言い方しかできないのだろうか。
 らしいと思いつつ、ほんの僅か苦笑を禁じえない楓だった。

「俺は、自分で言うことじゃないが…『いい子』だったと思う。…笑うな、コラ。
 四字熟語で言えば品行方正・学業優秀と、優等生の見本のような子供だったんだぞ」
「今では変わり果ててますけどね」
「…きついな、お前。否定はしないが。
 でもまあ、こんな言い方はあまり好きじゃないんだが、女手1人で苦労してる親の姿を間近に見ていれば、子供心にもなるだけ余計な負担はかけられないって思っても不思議じゃないだろ。
 ……グレるわけにはいかなかった」
「なるほど。若い頃の反動が、今出ているわけですね」
「本気できついなお前!というか俺は今もまだ若い!」

 憮然として軽く深呼吸する。
 それで、昂ぶりは治まってくれた。


「これは初音にも言ったんだが…俺にとっては父親という存在は最初から無かった。
 俺にとってはそれが当たり前で、父親がいないからといって別にどうということはない。
 けどな、世間の自称善人は、こう言うんだ。
 お父さんがいなくて、可哀相だ、と。
 お母さん一人だなんて、なんて辛いんでしょう、とな」
「…………」
 辛辣、という言葉そのままに、柳川は吐き捨てた。

「片親しかいない、っていうのがそんなに可哀相なことなのか?
 ま…最初から親がいて、それを失ってしまうのは確かに辛いことなんだと思う。
 だから親がいないということだけで安直にそう結論付けても、仕方ないかもしれない。
 だがな。
 だが俺は…他人に憐れんで欲しいなんて、思ったことはない。
 他人の情けを乞うたことなど一度も無い。一度もだ!」

 それは、
 どこまでも烈しい、誇り高さ。
 己の中の鬼に一人で立ち向かい、一人で戦い、一人でのたうち。
 押し潰され、引き裂かれそうになっても、ただ、一人で。
 だから、一人だから、鬼に負けたのではあるが。

「あそこの家にはお父さんがいない。
 だから子供の成績が悪いんだ。
 母親一人だけでは子供の教育に目が行き届かない。
 やはり母親一人だけではダメなんだ。
 ――ふざけるな、ってもんさ」

 だから。
 だから、他人にケチをつけさせないように生きてきた。
 学業にしても、運動にしても、素行にしても。
 絵に描いたような優等生。
 己の優秀性を示すことで周囲を圧倒し、勝者側であり続けることが、自分と、母の尊厳を守ることだと信じてきた。

「――まあ、似たような境遇だった耕一のグータラぶりを見ると、ちょっと肩に力が入り過ぎだったかな俺?と思わないでもない」
「あの、耕一さんは確かに一見グータラに見えるかもしれませんが、それは良い意味でのグータラだと思いますので、単純に怠け者としてのグータラではないと私は信じています。それに、別にグータラでもいいじゃないですかグータラし過ぎない範囲でのグータラぶりならば」
「楓…お前、容赦なくキツいな」

 じったりと頬に汗を一筋たらして呻く柳川である。
 気を取り直し、咳払いを一つすると柳川は話を戻すことにした。

「少し話が逸れたが…そういう感じで、大過なく俺たち親子は暮らしてきた。
 母は仕事が忙しかったし、俺も母を煩わせないようにしていたから、あまり触れ合うことはなかったが…それでうまくいってたし、それでいいと、思ってきた」

 淡々とした口調で、静かに柳川は言う。

「俺が大学三年の夏に、母は死んだ。くも膜下出血という奴でな。
 突然のことだった。まだ四十代だったのにな。
 俺はその時、取っている講義の研修で家を空けていて…帰ってきた時には隣人や警察がある程度段取りをつけていてくれて、そのまま滞りなく葬儀を済ませることができた。
 母は計画的な人間だったから、俺が大学を卒業するまでの学費と生活費程度の貯えは残しておいてくれたし、私生活もキッチリしていたから特にトラブルも無くて。
 四十九日が過ぎて義理事が一段落すると、俺はあっさりと平凡な日常というものに戻ることができた。でもその間――」

 チラリと店の奥を伺って、まだ蕎麦が出来上がる様子は無いようだと見てとりながら、柳川は視線を楓に戻した。

「俺は、泣けなかった。それからもずっとな。
 悲しくないわけじゃない。たった一人の家族だったんだ。互いに、大事に思っていんた。
 それなのに、涙なんか全然湧いてこなかったんだ」
「…突然のことだったから実感が無いとか、お葬式の手配とか、やるべきことが多すぎて、その忙しさに悲しみが紛れたとか…」
「そういった理由も、確かにあったかもしれない。だがそれは瑣末なことだった。
 俺の心は空虚で、乾いていた。――何故だかわかるか?」

 黙って首を横に振る楓を見遣り、柳川は肩を竦めて言った。

「20年一緒に生きていて、誰よりも身近な存在だった筈なのに、その間の思い出なんて数えるほどしか無かったんだよ、俺たち親子には。
 母は仕事に追われていて、俺は学校とバイトにかまけてて。
 同じ家に住んでいて、一日に一度も顔を合わせないことも、珍しくはなかった。
 互いに互いを煩わせないように、負担にならないようにって。
 だから一緒に何かをしたということが無い。
 良い事も悪い事も、何も無い。
 喜んでくれた事も、喜ばせた事も、心配させたことも、怒られた事も。
 だから親子なのに、実は互いのことを、大して知っちゃいなかったんだ。
 実際、母の同僚や上司、知人、普段の様子。
 何が好物で、どんな店によく行っていたかとか、身体の調子はどうだったとか。
 俺は、何も知らなかった。
 いつの間にか――ひどく希薄な存在になってしまっていたんだ。
 一人きりになってしまったのに、でも本当はもう随分前から俺は一人きりで、孤独は既に身近なものになってしまっていて…殊更に寂寥を感じることも無くなってしまっていた」
 自嘲未満の苦さをこめて、柳川は呟いた。
「まったく。なんだってそんな風に冷静に、自分の心情を分析できてしまうんだろうな、俺という人間は。
 理屈の多い人間は冷たい奴が多いと言うが、つくづく、自分は酷薄なんじゃないかと疑ったもんだ」
「――でも自分は酷薄ではない、と主張されるんですか?」
「キツいねお前。確かに否定はできんが」

 誤魔化すように柳川は苦笑した。

「そのまま無難に毎日を過ごしているうちに冬になって、冬季試験が始まって…連日、夜遅くまでテスト勉強に明け暮れる日々が続いて。
 ある晩、俺は机に向ったまま、眠りこけてしまった」

 それが?と、視線で問い掛けてくる楓に、柳川は言った。

「そのこと自体は珍しいことじゃない。けれど、眠ってしまった後、寒さで俺は目を覚ました。
 クシャミをして、寒さに見を縮ませて、それで俺は気が付いた。
 ――今までだって、勉強中に居眠りしてしまったことはあった。
 でも、そんな時はいつも、母さんが毛布をかけておいてくれてたって。
 その事を思い出して、それで俺は初めて…泣いた」

 堅苦しい“母”という言葉ではない、素のままの呼びかけを口にしたことを、彼が気づいているかどうかは、わからなかった。

「だから楓。
 ちゃんと覚えておこう。
 忘れたり、紛れてしまったりしないように」
「…………」
「悪かったな、つまらない話を長々としてしまって」

 そういった柳川の顔をじっと見つめ、ふるふると、楓はかぶりをふった。
 そして、言う。

「そうやって、思い出話をしてあげるのが一番いい供養だと思います。
 いつもは忘れていてもいいけど、時々そうやって、思い出して、偲んで…今日は、私にとっても柳川さんにとっても、いい日だったと思います」
「そうなのか?」

 少し自信無さげに柳川が首を捻った時、丸々と肥えたオバチャンが、ようやく天ぷら蕎麦を二つ盆に載せてやってきた。

 * * * * *

「ただいま」
「オ帰リナサイマセ」
 奥から出てきたメイドロボは挨拶をすると、手にしていた雑誌を脇に置いてキッチンに立った。
 月刊「私のご主人様」というそのフィギュア付きの雑誌を、最近マインは愛読している。
 多分、メイド関係の雑誌だとは思うのだが、いかにも萌え系な表紙絵にちょっと引いてしまっている柳川である。
「昼食ハ、ドウナサイマスカ?スグ準備イタシマスガ」
「あー…」
「お帰り柳川さん。待ってたんだよー。俺もう、腹へっちゃってさー、あと5分遅かったら餓死するんじゃないかと」
「――先に食べていれば良かったのに」
 実は既に楓と蕎麦を食べてきた柳川は、後ろめたさを覚えながらニコニコ笑う貴之にそう返した。
「いやでもさ、今日はマインが新メニューに挑戦したっていうし、折角だからと思って」
「…今回ハ、少々自信有リマス」
「ほう…?」
 いつもは控え目なマインが自分でそう言うのなら、確かに期待していいかもしれない。
 しれないが…あまり、腹具合に余裕は無かった。
「そうか。じゃあ手を洗ってくるから。
 そうそう貴之、最近、ちょっと美味い蕎麦屋を見つけたんだ。来週あたり、行ってみるか?」
「へぇ…柳川さんお薦めの店ねえ。ちょっと珍しいかも」
「ああ。隆山にあるんだが。――まあ詳しい話は後でな」
 キッチンに行く貴之と入れ替わるようにリビングに入った柳川は、ソファーの上に上着を放り出してから、こっそりサイドボードの上の薬箱から胃腸薬の壜を取り出して、ポケットに滑り込ませた。


 ――幸い、料理の味は満足できるものではあった。
 量は、おかわりに困らぬほどあったが。

 * * * * *

「何処かで誰かが苦悶を押し殺している…ような?具体的には飲食過多で」
「え、なにかいった楓お姉ちゃん?」
「ううん。ひとりごと」

 夜。
 柏木家の三女と四女は、仲良く一緒に入浴していた。
 薄い胸と細い腰つきの、人種によっては十分に魅力的な肢体を湯船に浸けて、二人ともほう、と息をつく。
「ねえ初音」
「なあに、楓お姉ちゃん」
「私たちって、姉妹だから似ているところが多いのかな?千鶴姉さんや梓姉さんも含めて」
「えー?それは、似てるところはあるでしょ?姉妹なんだから」
「例えば?」
「うーん、そうだねー…」
 しばらく考え込んで、初音は答えた。
「たとえば、私と楓お姉ちゃんとなら…体つきとか………ううっ」
「初音…いきなり自爆だよ…」

 いきなり落ち込んだ妹の方をポンポン、と楓は叩いた。
 それでもまだ初音は、真面目に考えているようだった。

「えーと、えーと、似ているところでしょー?
 顔は…それぞれ特徴的だけどバラバラだし、性格も、個性的でバラバラだし、得意なことも…やっぱりそれぞれ違うし…う〜ん、う〜〜ん…」

 見ている楓がのぼせやしないかと心配するほど顔を真っ赤にして考え込んでいた初音は、ようやく顔を上げた。

「えーと、みんな耕一お兄ちゃんが好きなところ…とか?」
「それは…確かにそうかもしれないけれど…他のクラスのことを考えるとちょっと弱いんじゃないかな?」
「むー。そっかあ。…でもどことなく、雰囲気とか、基本的な顔立ちとか、仕草とか、似ているところはやっぱりあると思うよ」
「うん…そうだよね」

 ちゃぱ、と水音をたてて楓は顔を洗うと、白い手拭いを湯面に広げた。
 その下から指で手拭いをつつき、ゆっくり持ち上げる。

「……初音は耕一さんの“ネッシー”は見たことある?」
「え?いや…無いと思うけど。なにそれ?」
「そう。…私はあるよ。あと、叔父さんのも」
「叔父さん…?なんなのかな、それ?」
「…初音がどうしても知りたいというのなら、具体的に、微に細に渡って説明するけど?」
「えーと…いいや。何だか聞くと後悔しそうな気がする…ってなんで残念そうな顔してるの楓お姉ちゃん!?」
「別にそんなことはないよ。…ただ、芸風も遺伝するのかなって思っただけ」
「げ、芸風?」

 怪訝な顔をしている初音には構わず、楓は湯から手拭いを掬い上げ、それでもう一度顔を拭った。

「初音、覚えてる?叔父さんがまだ隆山に来てまだ間もない頃だったと思うけど。
 いつも忙しい叔父さんが、珍しく日曜日に家にいて。
 私と初音、縁側で日向ぼっこしてて、気持ちよくて、叔父さんの膝に二人してよりかかって、そのまま眠っちゃって」
「そう…だっけ?ごめん、私よく覚えてないや」
「ううん、私たち二人とも半分眠りこけてたし…覚えてないのも仕方ないよ。
 ただ、その時、叔父さんは私たちの頭を撫でてくれてたんだけど…その時、初音が言ったんだよ。
 …お父さん、って」
「え…そうなの?」
「うん。私もお父さんみたい、って思ってた。だから気持ちいいな、って。
 でもね、その時、叔父さんが小さく呟いたんだ」
「……なんて?」

 すこし口をつぐんで、それから楓は、小さく言った。

「叔父さんは、こう言ったの。…俺は兄貴じゃないんだけどな、って」
「ふうん…?」

 よくわかっていない顔をしている初音に、楓はそっと微笑んだ。

「私も、その時はよくわからなかった。なんで叔父さん、そんなこと言うんだろうって。
 どうしてそんな、難しい顔をしてるんだろう、って。
 でも、何か気になって…時々、思い出すことがあった。
 でも…今になって、それが分ったかな。分ったと、思う」

 よくわからないなりに、目で問い掛けてくる初音をじっと見つめ、楓は妹に言った。

「初音、お父さんとお母さんのことは、よく覚えてる?」
「え?…それは…まだ小さかったけど…」
「叔父さんは、私たちに本当によくしてくれた。私たちにとっては本当に親代わりといっていい、優しい人だった。
 でも――どこかで、一線を置いてるような気がしてた。
 私の気のせいかもしれないけれど…でも、何となく、私はそんな感じがしてた。
 でも、今の私はこう思うの。
 叔父さんは、私たちの思い出の中のお父さんが、自分と入れ替わってしまうことを心配してたんじゃなかったのかなって。
 私たちに、お父さんとお母さんのこと、ちゃんと、覚えておいて欲しかったのかな、って」
「お姉ちゃん…」

 記憶に残る父と叔父の、そのぬくもりは同じもので、それはどちらも大事なもので、
 でもどちらも同じもので、どちらも同じくらい大事な思い出だから、
 あの日、あの時、あの場所で、
 自分を抱き上げてくれた手は、
 父と叔父――どちらのものだったか?

「そうだね…うん、そうだね。覚えてる。ちゃんと、覚えてるよ」
「そう。それならいいよ」
「――お姉ちゃん?」
「うん?どうしたのかな?」
「今日は、なにか…あったの?」
「なにかって、なに?」
「なんだかね、ちょっと…お姉ちゃん楽しそうかな、って思ったから」

 そう言われた姉はただ黙って笑うだけで、何も言わなかった。
 でも自分の予想がそれほど的外れなものではないだろうと、初音は思った。


 <了>


【後書き】
 柳川の母について考察してみようと思う。
 まず呼び方。『柳川の母』では長すぎる。そーいや『ウルトラの母』ってアレが本名なんだろうか?まあ仮に本名あったとしてもみんな『ウルトラの母』って呼ぶんだろうなー。
 帰ってきたウルトラマンをだれも公式名『ジャック』で呼ばすに帰りマン、新マンと呼ぶように。
 それにしてもウルトラの父と母、その間の実子たるタロウが両親には似ておらず、セブン系の顔なのは何故だろう?せいぜい角くらいだよな父親に似てるのは。
 だからタロウ実子真偽説とか根強いのかなー。タロウの本当の母親はセブンとか。(マテ)
 そもそもウルトラ兄弟って血縁関係は無いんだよなぁ。
 何故に兄弟?何故にレオ・アストラ兄弟まで参加させる?本来アニメ版だったジョーニアスも入れるとゾフィーを頭に男ばかり9人兄弟。
 ウルトラの父。
 ひょっとして、何か邪な考えをもってないか?
 腐女子的には以下省略。
 そうかウルトラ警備隊ってゲイの巣窟。光の国ってイギリスの寄宿舎学校みたいなもんか?
 いかん、それは真性だ!

 …と、結論が出たところで今回はお開きにしたいと思います。
 次回のテーマは『平成イケメンライダーとオンドゥル語』について考察してみたいと思います。
 Adieu!







 ☆ コメント ☆

綾香 :「楓って謎な性格してる?」

セリオ:「不思議系ですね」

綾香 :「ある意味、瑠璃子さんに匹敵するかも」

セリオ:「瑠璃子さん、ですか?
     そうかもしれませんね。同系統かも。
     もしかしたら、楓さんなら、練習したら瑠璃子さんみたいに電波を使える様になったりして」

綾香 :「……既に使えるんじゃないかって気がしなくもないけど」

セリオ:「た、確かに……。
     ――ところで、話はガラッと変わりますが。
     柳川さんって、ときどきすっごくシリアスですよね。
     普段はアレですが」

綾香 :「アレって……」

セリオ:「否定は出来ませんでしょ?」

綾香 :「まあね。事実、結構アレな言動は多いし。
     でも、その原因の殆どは周囲にある様な気がするわ」

セリオ:「周囲、ですか?」

綾香 :「例えばメイフィアさんとか、専らメイフィアさんとか、所により一時メイフィアさんとか」

セリオ:「……なるほど。
     柳川さんがアレな言動をしてしまうのも、周りから危険人物だと認識されがちなのも
     メイフィ……もとい、第三者の所為であると」

綾香 :「全部が全部ってわけじゃないけどね。けど、そういう部分もあると思うわ」

セリオ:「つまり、わたしたちと同じ理屈ですね」

綾香 :「あたしたち?」

セリオ:「わたしも、綾香さんと組まされている所為で周囲からお笑い系だと誤解されてますから」

綾香 :「……誤解?」

セリオ:「誤解です!
     わたしは綾香さんと違って、清楚で可憐で清純な守ってあげたいタイプの正統派乙女なのですから!」

綾香 :「……プッ」

セリオ:「何故に吹き出しますかっ!?」




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