私立了承学園第472話
「メイドロボットに大切なこと」
(作:阿黒)






 子供の頃、自分が見知らぬ世界――異世界というものは、すぐ傍にあるものだった。
 まだ、目に見えるものが今よりずっと大きくて、でも自分が小さいということを感じたり、その大きさを比較したりすることはなく、ただ目に映るもの、そのことだけ考えていた。
 そんな幼い日。
 自分の知らない世界は、道1本違えただけで、いつだって踏み入ることができる身近なものだった。
 いつもと違う、通ったことのない道に入る。
 それだけで見慣れた風景は一変し、よく知っている建物さえ違った顔を見せる。
 奥へ、更に奥へと踏み入っていけばいくほど、自分の知らない世界の奥へと入り込んでいく。
 少しの不安と、少しの好奇心。そして、少しの興奮。
 それは、寄り道という名の大冒険。
 心の引出しを探してみれば、そんな遠い場景を仕舞っている人は多いだろう。
 その時、迷子になって途方にくれて、大きくなる不安と暗くなっていく景色に押し潰されて、泣いてしまったとしても、それもまた遠い日の懐かしい思い出ではなかろうか。

 ただし。
 現在進行形で迷子になっている者にとっては、そんな叙情的な感慨は全く無縁ではあるのだけれど。

「ううっ…ここはどこなんでしょうか浩之ざ〜〜ん゛……」

 途方にくれて夕暮れに染まる風景をみまわすマルチであった。
 語尾が既に濁音まじりであったりしたり。
 こと方向感覚に関しては一行に成長の兆も見えない学習型AIである。

『メイドっ子は方向音痴。それが俺のジャスティス!』

 夕焼け空に笑顔で決める、馬面の主任の幻影がマルチのCCDカメラには見えたような気がした。

  * * * * *

「うえええ。ぐすぐす。しくしく。えぐえぐ」
「…………ト、イウ訳デ、御姉様ヲ連レテ来タノデスケド」
「あー。ありがとな、マイン」

 そう礼を言ってから、妹に手をひかれて玄関に立ち、しゃっくりあげているマルチに浩之はナマあたたかい笑顔を向けた。
 いつもの『しょーがねーなー』というぶっきらぼうな優しさと、既に悟りの境地に到った諦念とがビミョーな比率で混ざった笑顔である。

「御姉様…」

 言葉少なに、そっとマインはハンカチを差し出した。それをマルチは泣きながら受け取る。

「ううう、……ち――――――――――ん!
 あ、ありがどうございばず〜〜〜」
「…………」

 鼻水でグショグショになったハンカチを、マインは黙ってエプロンのポケットに戻した。
 人間ができてますマイン。メイドロボだけど。
 後で新しいハンカチを買ってやることにして、浩之はようやく泣き止んだマルチの頭に手を置いた。
 そっと、撫でてやりながら尋ねる。

「で…今回はどういう経緯でこうなったんだ?」
「は、はい〜〜。最近、駅前に新しくできたドラッグストアでティッシュの特売があるというものですから、買いにいったんですっ。
 折込広告に地図ものっていたから、一人でも大丈夫だと思ってたんですが…」
「でも迷っちゃったというわけか?
 あー、ほらほら、泣かない泣かない」

 またじんわり目じりに涙の玉を浮かべてきたマルチを慰めるように、浩之はマルチの頭をなでなでしてやった。
 それをちょっとうらやましそうに見ているマイン(無表情だがなんとなくわかる)に視線を向けて、浩之は苦笑混じりに軽く頭を下げた。

「で、たまたま通りかかったマインに連れて帰ってもらったのか?」
「はい〜〜〜。
 お、おまけに特売はお一人2パックまでだったので、協力して並んでもらっちゃったんです〜〜〜〜!!ううっ、私お姉さんなのに、お姉さんなのに〜〜〜〜〜!」
「アノ…私モ、特売目当テデシタカラ…ソレニ、並ンデ貰ッタノハ、御互イ様デスシ…」

 背後に並ぶ箱テッシュ半ダースのパックが8つあることを確認しながら、浩之はマインの頭も軽く撫でてやる。
 僅かに顔を赤くして、マインは言った。

「デモ……目的ノ御店ノ正面デ、御姉様ニ道ヲ尋ネラレタ時ハ、一瞬カラカワレテルノカト思イマシタ」
「う、後ろがお店だったなんて思いもよらなかったんですぅ〜〜〜〜」
「いやそれは普通気づくだろっていうか気づけいくらなんでも!」

 つっこむまいと思っていたが、ついつっこんでしまう浩之だった。

「ううううう……私、お姉さんなのに迷子になっちゃうなんて…恥かしくて顔から火がでちゃいそうです…」
「……?御姉様、ソンナ機能ガアルノデスカ?」
「いやそうじゃなくて。っていうか似合わないボケはいいから」
「ボケ?」

 本気で、比喩を言葉どおりに受け取っているらしいマインに、浩之は内心ため息をつくと同時に納得もしていた。
 マルチの量産型であるHM-12は『商品』としてのコスト削減のために、姉にはあった様々なものが削除されている。
 感情機能。感覚。微妙な表情を作るための顔面部アクチュエーターの省略。
 その他、各種パーツも大量生産可能な、マルチのそれに較べると精度も耐久度も劣る部品が使用されている。
 だが『感情』という業務には不必要なものに処理能力を配していない分、廉価版ながらHM-12のAI性能は決して低いものではない。
 少なくともマルチのようにマインは方向音痴ではない。その点ではマインの方が優秀ではある。
 だがこういった人とのコミュニケーションでは、マインはそれでも暖かみはあるものの、やはり画一的で単純なところがある。
 それがそれぞれの一長一短というところ、なのではあるが。

「で、でも、私だってやる時はやるんです!
 ただ、今日はちょっと、動揺することがあって、混乱しちゃって…それで…」
「マルチ。自分の欠点は素直に認めるほうが潔いと思うぞ」
「はうう!で、でもですね浩之さん!わ、わたしだってこんなものをいきなり見せられたら…」

 そういって、スカートのポケットから小さく折り畳まれたチラシのようなものをマルチが取り出してきたので、浩之は広げて見た。

 途端に極彩色だが荒い画像と毒々しい色合いとフォントのコピーが飛び込んでくる。
『肛虐!超絶ア○ルマン!
 泣き叫ぶ人妻!
 だめ!そこは夫にも許したことの無い場所なの!
 未知の快楽に悶絶しア○ル地獄に落ちていく人妻!
 もう後ろを犯されないと感じない!』

 そして修正は入っているがパックリ口を開いた後ろの……

「こんなチラシ受け取ってんじゃね―――――――――――――!
 っていうかすぐ捨てろ!貰うな!破け!
 折り畳んで保管してるな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 即座に視聴に年齢制限の必要なDVDの広告チラシをビリビリに破いた上に踵で踏みにじる浩之であった。

「ええ!?で、でもせっかく貰ったんですし…」
「折角デスカラ」
「うわマインまで――――――――――――――――!!?」

 ああっ。あの汚れない真っ白で純粋なマルチがっ。
 平気でこんなもの貰ってるなんて!誰だ!誰が俺のマルチを汚しやがった!?

「べ、別に平気じゃないですよぉ〜〜。恥かしいですう〜〜」
「…………」
「そ、そうか、そうだよな、うん。
 ………マイン、なんで無言で俺を指差してるわけ?」
「…白ヲ切リマスカ?」
「すいませんわかってますゴメンナサイ」

 マインの視線にちょっぴり冷たいものを感じる浩之だった。

「デモ…少シ、不思議デス」

 自分が貰ったチラシを広げて――流石に少し頬を赤らめ、恥かしそうではあったが――理解不能、といった風に首を傾げるマインである。

「ウシロ、ッテ…何故、強調スル必要ガアルノデショウ?」
「マインさん…昔のマインさんだったらそういうチラシ貰ってる時点で煙噴いてましたよ…」
「そうやってみんな大人になっていくのさマルチ…。
 それはそれとして、言ってる意味がよくわからんな、マイン?」

 キョトン、とマインは2人を見てきた。
 表情の少ないマインだが、これはわかりやすい。

「ダッテ…普通ジャナイデスカ」
「いや普通って。……あんまり、普通じゃないと思うんだけ、ど…?」
「そ、そうですね。浩之さんだって、あんまり後ろはしませんし…全く無いわけじゃないですけど」
「デモ…物理的ニ不可能デスシ…」
「「物理的?」」

 浩之とマルチの声が、思わずハモった。
 少しだけ、実は後ろくらいは既に普通な濃厚な夜の生活なのかなーと邪推してしまっていた浩之ではあったが、マインの口ぶりからするとそうでは無いようだ。
 ……あの主人の性癖を考えれば、そういう濃い基準も有り得ない話ではないが。

「ソモソモ…ソノ、ソレ以外ノ何処デ…迎エ入レレバ良イノデショウ?物理的ニ」
「…………えーと。
 よくわからんが、なんか物凄い齟齬があるような気がするぞ、マイン」
「っていうか物理的って」

 不思議そうな顔をしているマルチに、姉ほど豊かな表現ではないがやはり不思議そうな顔で、マインは言った。

「デモ…柳川様ト、貴之様ハ、ソノ……ソレガ普通デスシ…物理的ニ」
「ふえ?」
「うわなんか今ものすげぇ日本語聞こえたっ!?」

 全然わかっていないマルチを、浩之は思わず庇うように後ろへ引っ張った。
 そりゃ確かに男と男じゃー後ろがスタンダードだよなあ物理的にっ!
 つか柳川さん、御宅のメイドロボは確実になんかヤな方向に踏み入ってるよっ!

 あくまでも心の内だけで絶叫する浩之であった。

「…あの…よくわかりませんけど、それじゃマインさんの夜のおつとめはいつも後ろの方なんですか?」

 ちゅど―――ん!(浩之は120HPのダメージを受けた)

「……ソレガ?」

 ちゅどど―――――ん!(浩之は140HPのダメージを受けた)

「いや、それが、じゃなくてですねマインさん?」
「頼む…お前らもう喋るな…な、なんか俺の心の中で、大事な何かが音を立ててガラガラと崩壊していく…」
 
 とうとう泣きながら懇願する浩之だった。半分近くは自業自得とはいえ。
 そんな浩之に躊躇ったものの、しかし姉としての責任感から、マルチは言葉を継いだ。

「だからその…フツーには、しないんですか?」
「普通…?私ハ普通デス」

 ちがうソレちがう、とマルチと浩之は頭を振った。

「あのですね?一般的に、基本は、その…前、の方なんですよ?男と女の場合は。機能的に」
「…………………………………………………………………………………前?」

 表面的にはさほど変化は無いが、全く予想外のことを言われて動揺しているらしいマインに、浩之は、我ながら声が震えていることを自覚しながら、尋ねた。
 ある予感を覚えながら。

「まさかと思うけど…その、一般的に普通な方はシタことないとか、そんなことは無いよな?アハハハ…」
「………ミ、未経験ダト何カ不都合ナ事ガッ!?」
「マジですか――――――――――――――――――!!?」

 これ以上ないほど真っ赤になってオーバーヒート寸前、なマインに戦慄を覚えながら、ダラダラと流れる脂汗を浩之は拳の裏で拭った。
 間違ってる!
 物凄く初歩的かつ重要なところで間違ってるよ!

 しかし…

 ごくりと、思わず浩之はいつの間にか口中に湧いていた唾を飲み込んだ。

 後ろは開発されているにも関わらず、前の方は処女のまま…。
 流石は柳川先生!
 あんた通だよ!
 濃いよ!
 このスキモノ!マニアックな奴め!
 スゲエよアンタ!やっぱ大人はやることが一味違うぜよ!
 ある意味尊敬しちゃうよホント!

「バージンなのに後ろ専門のメイド…くぅ、なかなか萌える設定じゃないか!!」
「なにいっとんねんっ!」

 ごきゃすっ!

「メポっ!?」

 たこ焼きプレート入りの通学鞄で後頭部を強打され、浩之は3メートルほどすっ飛んだ。
 
「まったく何を長話しとる思うたら、玄関先でなに人聞き悪さ全開なことのたもうとる!?」
「い、いいんちょ…いま、鞄のカドのとこで殴ったね?」
「それがどないした!?」
「いえ俺が悪かったっす!」

 放っておくとそのままスーパーサイヤ人4にまで到達してしまいそうなボルテージの智子に、浩之は平伏して応えた。
 なんだかよく分らないが、妙なところで智子を刺激してしまったようである。

 ああ。そういえば委員長とは……
 初夜の時に後ろまでいっちゃったんだよなー。
 うーん、出されたご馳走があまりにもおいしそうだったもんでついつい欲張っちゃったというか。あの頃は若かったなーって感慨浸るほどの昔のことでもないけど。
 んー。しかし今、考えてみると…ホンと、若さ故のあやまちってヤツだったかも。
 あれはあれで良かったと思うけど…がっつきすぎたかもしれない。うん。
 もーちょっとこう、お楽しみは後にとっておくという関係も、これはこれで。

「藤田君。今、なんか物凄く失礼なこと考えてない?」
「エ?ソ、ソンナコトハ無イデスヨ智子サン?」

 フッ、と智子は口元だけのニヒルな笑みを浮かべた。

「私なぁ、正直者が好きやで?」
「あだだだだだっ!?わ、悪かった、俺が悪かった!だからやめれ!
 モミアゲつまんで引っ張るのやめれ!?
 痛い上に何だかわからないけどとっても屈辱的―――!!?」

 抵抗虚しく家の奥へ引っ張り込まれていく浩之を見送って、マルチは妹に視線を戻した。
 マインは動力が切れたように硬直していた。

 いや。

 微かに――ほんの微かに、口元が動いていた。
 マルチはマインにそっと顔を寄せた。

「………………」
「マ……マインさん?なに?」
「…………ガ…………」
「ガ?」

 一拍おいて、マインは小さく呟いた。

「………ガチョーン」
「なんでやねん!」

 他にツッコミ役がいなかったので、仕方なくマルチはつっこんだ。


<なし崩しに終わる>




【後書き】
 別に元ネタというわけではないのですが。
 これ書いてる時に、ふとパタリロを思い出しました。

 ――あー、そーいやマライヒって男なのにバンコランの子供、産んだんだよなぁ。

 とか。

 ――そーいやバンコランって薬で錯乱してパタリロの母(名前忘れた)押し倒しちゃったんだよなー。で、しっかり悦ばせたと。美少年キラーのくせに。
 …ていうかバンコランって、実はそれが女性初体験なんじゃ?

 とか。
 いやただそれだけの話なんだけど。





 ☆ コメント ☆

綾香 :「マルチってば相変わらず迷子になりまくりなのね」

セリオ:「凄いです。さすがはマルチさん」

綾香 :「は? 凄い、の?」

セリオ:「凄いですよ。道に迷うというのはマルチさんが高性能な証拠ですから」

綾香 :「……そなの?」

セリオ:「はい。だって、汎用型のメイドロボは道に迷ったりしませんでしょ?
     そんな器用な真似が出来るのはマルチさんだけです。優秀な証です」

綾香 :「……なんとなーく納得しちゃう様な……釈然としない様な……」

セリオ:「迷子になるというのはマルチさんだけに許された特権なのです。
     マルチさんのみに与えられた萌え機能なのです。
     ああっ。マルチさんはやっぱり凄いです。
     何時の日か、わたしもマルチさんみたいに道に迷えるようになってみたいです」

綾香 :「……それは勘弁」

セリオ:「ところで……。
     凄いといえばもう一方。
     柳川さんたちの方にも一応触れておきます?」

綾香 :「うーん。
     あまり関わりになりたくないし、何を言ってもマインへの追い討ちになっちゃいそうだけど……」

セリオ:「た、確かに」

綾香 :「でも、何も言わないのも味気ないので一言だけ。
     柳川さん、アブノーマル過ぎです」

セリオ:「ですねぇ。あそこまでいきますと変態とか言われても仕方ないかもしれませんね。
     何せ、前には触れずに後ろだけ開発、ですから。
     これが、浩之さんみたいに後ろ『も』愛するのでしたら至ってノーマルなのですけど」

綾香 :「……いや、それもどうかと……」




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