了承学園5日目第3時限目 (WHITE ALBUMサイド) 「………あっ」  扉を開けて入ってきた教師の姿に、冬弥たちは一瞬身を竦ませた。  そんな冬弥たちの気配にまるで気づいていないかのように、今日はごく普通の背広 姿の柳川は無言で教卓についた。そんな彼の姿を、全員が息を詰めて見つめる。  マインは許してくれた。貴之はむしろ自分達を思いやっていたようだった。だが、 柳川本人は、どうだろう?昨日謝罪に行った時、柳川はただ、無言だった。別にわだ かまりがあったようではなかったが、かといって友好的なそぶりをみせてくれたわけ でもない。  不安だった。だが…一つ、冬弥は学んだことがある。  その不安を幾ら思い煩ったところで何の解決にもなりはしない。それは、所詮自分 の心の内だけのものにすぎないからだ。  結局のところ、相手に対して誠心誠意接するということに代わりがない以上、そん な葛藤は足踏みしているだけのものにすぎない。相手と向き合わないまま1人で思い 悩んだところで、現実は何も変わらない。いや、そんな自分の思惑に関係なく、状況 は勝手に動いていくのだ。  教卓に手をついて、やや顔を俯かせている柳川の姿を冬弥は見つめた。悩んでいる のは自分だけではない。それは、柳川だって同じ…の筈だ。多分。  結局のところ、柳川が何を言おうと、どう考えていようと、想像しているだけでは 対処できない。相手が、今、何を考えているか?それを知らずにどう対処できるとい うのか。  無言で心配そうな視線を向けてくるみんなにやはり無言で、しかし冬弥は鷹揚に頷 いた。  大丈夫だから。  その姿に、態度に、若干の不安はあっても怯えはない。冬弥はただじっと、柳川の 出方を覗った。  が、柳川は動かない。しばし耳が痛いほどの静寂に教室は包まれた。  こちらから動くべきだろうか?そう冬弥が考え始めた時、唐突に空気が震えた。 「…ニャ〜…」 「は!?」  あまりに予想外の事に、思わず冬弥はコケかけた。今のは…猫の鳴き声? 「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…」  重く、長いため息をつくと、柳川は背広の内懐に手を入れた。 「…仔猫?」  掌に乗るような、小さな仔猫だった。よくわからないがまだ歩くのがやっと、とい う小ささである。そしてそのトラ柄の毛並みには見覚えがあった。 「冬弥君、あの仔猫って…」 「先程マインさんが抱えていた猫、ですね」  由綺の言葉を弥生が引き継ぐ。そして、全員が頷いた。 「はあ…」  もう一度、柳川がため息をつく。  途方にくれている。  唐突に、先程からの柳川の態度が何であったのか、理解できた。困惑している。何 も言葉が出てこないほど、困りきっているのだ。  そんな柳川に、冬弥はおずおずと声をかけた。 「あの、その猫ってもしかして…?」 「あ?ああ。…ま、察しのとおりだ。さっきはマインが世話になったそうだな。礼を いう」 「うわ…なんか、やけに素直…」 「でも無気力というか…元気ないね?」  マナとはるかの囁き通り、教卓の上で少し毛づくろいするとそのまま目を閉じて丸 くなってしまった仔猫を見ている柳川は、なんだか随分意気消沈している。 「あの、その仔猫はいったい?」  由綺の質問にようやく顔を上げて、柳川は呻くように答えた。 「実はな。マインが、この猫を飼いたいと言い出してな。どうやら野良みたいだし、 まだ小さくて自分ではエサも見つけられないだろうって」 「いいことじゃないですか?」 「だが、俺の所は動物は…事情があるから飼えない」  よくある話である。だからその「事情」とやらは尋ねないまま、由綺は言葉を続け た。 「それで、断っちゃったんですか?」 「まあ、あいつもその辺はわかってはいたんだろうが…その…な」 「あんた。まーたなんか、余計な一言付け加えたんでしょ?」  ジト目で睨む理奈の視線から顔を背けて、弁解するように柳川は言った。 「別に余計なこととかじゃない。ただ…」 「ただ?」 「その…」 「その?」 「…ただ、その、…そーいや三味線って猫の毛皮で作るんだよな、って」 「バカ――――――――――――――――――ッ!!!」 「バカバカバカバカッ!」 「大馬鹿ですね…」 「最っ低…!」 「そんな…ひどすぎます…」 「あ〜あ。ダメだこりゃ」  口々に批難を浴びて、さすがにきまり悪そうに柳川は抗弁した。 「軽い、アメリカンジョークのつもりだったんだが」 「…あのですね。前から思ってたんだけど、柳川先生、ギャグセンス寒いよ」 「うっ」  冬弥の言葉に少し仰け反ってしまう柳川である。 「…だいたいどこがアメリカンジョークなんですか。アメリカ人を愚弄してません? それって」 「レミィさんに狩られちゃいますよ」 「うーむ…」  少し考え深そうな表情を見せる柳川に、美咲が問い掛けた。 「それで、どうなったんです?」 「まず、無言で圧力かけてきた」 「それから?」 「オ昼御飯ヌキデモイイデスカ、って脅しかけてきやがった」 「…それで?」 「だから、困っている」 「ガキじゃないんだから、そのくらいでいい歳した大人が困らないでくださいっ!」  たまらず喚いた冬弥に、すこし口元を歪めて柳川は反論した。 「何を言う!自慢じゃないが俺は生活力皆無だぞ!そーいう事言われると困るしかな いんだっ!!」 「本気で自慢にならないことを大声で主張しないでくださいっ!」 「っていうか…だらしなさすぎ…」 「男の人ってどうしてそういう人が多いのかしら…」 「今時、家事の一つもできない男って…情けない!」 「マインちゃん、よくこんな人についていけるよね」  普段グータラしている藤田家の浩之だってその気になればベーコンエッグぐらいは 作れるし、一人暮らしをしている時はそれなりに家の掃除や洗濯だってやっていたの である。あかりの支援があったとはいえ。 「で、まあ、とりあえず誰か引き取り手を見つけてくるからってことで機嫌を直して もらったんだが、考えてみると俺って交友関係ゼロだし」 「悲しい事実を胸張って言わないでください…」 「とりあえずガディム教頭は無条件で却下として、澤田女史は生活が不定期で余裕な いし、ガチャピンは宇宙人、ティリアもああ見えて結構がさつだしサラはもっとダ メ、エリアは今は…プライベートで手一杯だろうし、英二は性格悪いし大志はヲタク の変態馬鹿王、雄蔵は番長。小出には恨み買ってるし、長瀬先生はなんか苦手だから 嫌。あとの奴らとは話もしたことないしな」 「…なんか自分のこと棚に上げて勝手なこと言ってますけど」 「あれ?ルミラ先生やメイフィア先生は?」 「…由綺…いくら俺でも学園一エンゲル係数の高い奴等にこんなもん押し付ける気に はなれん…」 「あ、あはは…」  思わず引き攣った笑いを上げる一同である。 「後は生徒の方だが…藤田家は芹香の黒猫がいるし、それにデカいのが2人いるし な。誠の所も似たようなもんだし、耕一の奴はなんかムカツクから却下。相沢家と折 原家はネコはご禁制だし、宮田家も食料品扱う所で動物はまずいだろう。五月雨堂の 方も壊れ物を扱うし。千堂家は…普段はともかく修羅場がくるとどうなるか、予測が つかん。長瀬家は主夫の祐介次第ということでいま一つ信用がおけん。似たような理 由で城戸家も却下。で、お前らだが…超多忙な芸能人には無理だろ、やっぱ」  はあ、と柳川はかぶりを振った。 「ったく見事に役立たずばかり雁首揃えやがって…」 「ううっ、内容は正しいかもしれないけど凄い理不尽なものが…」 「でもさー。そんなこと言ってたら何にも方法ないじゃない。どーすんのよ?」 「だから困ってるんだろうが」  マナにそう応じて、柳川は腕組みして考え込んだ。一同もつられるように沈黙す る。 「…やっぱ保健所かな」 「あっさりあきらめないでくださいっ!」  少し黙り込んでから、柳川は指を一本ピン!と立てて。 「川に」 「もっとダメでしょ!?」 「っていうかなんでそんなこと思いつけるわけ!?」 「ああっ!もういいわよっ!藤井さん、ウチで飼ってあげましょ!」 「ええっ!?」(×7)  感情のままに飛び出したマナの言葉に、一同は思わず顔を見合わせた。 「だって、忙しいって言ったって多忙なのは由綺姉さんに理奈ちゃんに、マネー ジャーの弥生さんとADの藤井さん…私や澤倉先輩やはるかさんは余裕あるわよ!猫の 面倒くらい見られるわ!」  言われてみればその通りではある。ただ、実際には芸能関係者でないマナ達も多忙 な他の家族のために色々と助力することは多い。口で言うほどに余裕があるかどうか は疑問だった。  更に付け加えるなら、美咲とはるかと弥生には最近同人という副業が出来ている。 「…もう少し大きくなれば放っておいてもいいんだが、こいつはまだまだつきっきり で面倒みてやらなきゃいかんだろう。…そんな余裕が本当にあるといえるのか?  言っておくが、単なる意地でできないものをできる、なんて言い張るのはお前の勝 手だが、それで困るのはお前と、何よりこの猫だぞ?  …ま、俺としては厄介払いできるから、お前が引き取るというならありがたいが… それでいいんだな?」  相変わらず嫌味と毒がたっぷりと振りかけられた柳川の口調に、マナの顔は青ざ め、そして怒りで真っ赤になった。唇がくっ、と噛み締められる。  その噛み締められた唇が、ふっと開きかける、一瞬前。 「柳川先生!」  着席したまま、やや強い調子で声を上げたのは冬弥だった。タイミングを狂わさ れ、激発しかけていたマナの気が散じて、それがまた立ち直る前に冬弥はまっすぐ顔 を向けて口を開いた。 「…あなたはなにか、猫の飼主探しのために考えがあるんですか?」  発言の内容よりも、発言した、という行為そのものをおもしろがっているようにも 見える柳川は、左の眉だけを器用に上げてみせた。 「…まあオーソドックスに、飼主募集のポスターを貼るとか地道に学内を回ってお願 いするとか、そういったことなら考えている。それともなにか、お前にはもっと効率 的で画期的で都合のいいアイデアがあるのか?」 「ありませんけどね。…俺も、結局地道な方法が一番だと思います。でも、どうして も見つからない時は、その時はあらためてみんなで、…家で飼えないかどうか、検討 してみたいと思います」 「藤井さん!そんな回りくどい…」 「マナちゃん」  美咲が、静かに口を挟んだ。 「…私は、家で面倒みてあげられるかどうかは、難しいと思う。勿論こんな小さな仔 猫を放り出すなんてしたくないけど、私たち、こんな仔猫の面倒なんてみたことない し、知識もない。そんな不慣れな飼主よりも、私たちがこの人なら、って安心して托 せる人を見つけてあげられたら、その方がこの子には幸せだと思う」  続けて理奈が口を開いた。 「つまらない意地を張るのはやめよう、マナちゃん。私も美咲さんの言う通りだと思 う。  …でも、見つけられなかったら、その時はみんなでこの子の面倒みようよ。私に何 ができるか、わからないのにこんなこと言うのは無責任だけど…でも、私もできるだ けのことはする。そう割り切って、とにかく今はやらなきゃいけないこと、やろう ?」   ************** 「なんだか、うまく嵌められたって気がするなぁ」  モノクロコピーの、あまり鮮明ではないがそれでも仔猫のかわいさはわかる程度の 画像付のポスターを電柱に貼りながら、冬弥はぼやいた。 「そうだよね。ちゃんとこんな道具用意してたってことは、最初から私たちをコキ使 うつもりだったとしか思えないね」  まあ、実際にはたまたま藤井家の時間割がそうなっていただけの話で、柳川として はどの家族が回ってこようと同じようにこき使うつもりだったのかもしれないが。た だ、苦笑を浮べつつ由綺がそれをあまり気にはしていないのは明らかで、抱えた張り 紙の束を抱えなおしながら、糊をいれた缶と刷毛を手にした冬弥に小さくガッツポー ズを作って見せる。 「なんでもいいよ。がんばってあの子の飼主探してあげよ?冬弥君」  商業地区の、オフィス街。学園内に参加してきた企業の事務所が主に建ち並ぶブ ロックである。当然というか、多いとはいえない通行人はいかにもビジネスマン風の 人間ばかりだった。 「おい、あの娘どっかで見たことないか?」「なんか森川由綺っぽいな」  といった会話が時々聞こえてくるが、本人かどうか判断に迷っているのは明らか だった。由綺ほどメジャーな人間が、堂々と素顔を晒して街中を歩く筈がないという 固定観念と、また、素顔の由綺は目鼻立ちは端整なものの、どこか自然な感じがし て、目立たない。そのため由綺は結構気楽に町を出歩き、その度にこういった声を 時々耳にすることになる。彼らのそんな困惑する気持ちは十分わかるので、少し冬弥 はおかしい。 「なにをサボってるんだお前ら。次いくぞ、次」  体の前と後ろにプラカードをぶら下げてサンドイッチマンをやっている柳川が、無 愛想に二人を促した。ちなみに前の方には張り紙と同じ猫の写真と「もらってくださ い」「飼主募集」といった文字が書かれてあるが、背中側の「三割四割当たり前」 「栄養の鬼」「1万円ポッキリ」とかは一体なんなのだろう。まあ、周囲の一般人が 由綺に思い切って声をかけてこないのはそんな柳川のせいかもしれない。  あれから一同は4組に分かれた。こうやって飼主を募集して回る柳川・冬弥・由綺 組、仕事の広い繋がりを利用して知り合いに打診する理奈・弥生組、猫の面倒を看る のと連絡係を兼ねた美咲・マナ組。そして、「探してみるから」と呟いて、自転車で どこかに行ってしまったはるか。 「まあ、1人だけさぼっているなんてことはないだろうけど…相変わらずミステリア スな奴」 「でもああ見えて結構頼りになるところあるよ、はるかって」 「そうか?確かにそうかもしれないけれど、それと同じくらいの頻度で騙されること もあるぞ」  同類と思われたくないので、やや距離を置いて柳川の後からついていきながら、冬 弥と由綺は割と気楽な気分で歩いていた。冬弥と二人だけで町を歩く、ということは 多妻制が施行されてからは皆なんとなく遠慮めいた気分があり、そんな機会はなるべ く作らないようにしている傾向がある。だが、折角訪れたささやかな機会を逃すつも りは無い。まあ、厳密にいえば二人きりでもないし。 「でもさ、今知り合いに逢ったら…少し恥ずかしいかもな」 「そうだね。でも、別に悪いことなんかしてないんだから、堂々としていようよ」  と、由綺がそう言った時、前を先行していた柳川が軽く手を上げた。 「よう。また逢ったな」 「「えっ!?」」  前言を忘れて咄嗟に顔を隠した二人に気づかないまま、柳川は前方から歩いてきた 少年、月島拓也の顔を見て…ごく自然に言った。 「…しかしいつ見ても糸目だな、お前」 「あ、あはは…」  僅かにぎこちない笑みを浮べて、それから興味深そうに拓也は柳川と、少し後ろの 冬弥達に視線を移してから問い掛けた。 「一体何をやってるんです?…というか、まあ行為そのものは、わかるんですけ ど…」 「何もいうな。似合わないのは自覚している。が、こっちにも事情があってな」 「はは。…お昼御飯がかかっているとか?」 「ゲフ、ゲフン!!」  別に電波で思考を読み取ったわけではなく、拓也としてはほんの冗談のつもりだっ たのだが。 「…まあそういうわけだ。事情は察してくれ」 「はあ…?まあ、僕も一応関係者ですから…あの時の猫ですね?なるほど…」  苦笑して、拓也は苦い顔をした柳川をおもしろそうに見つめた。 「強力なエルクゥの力も、とりあえずこの猫の飼主探しには何の役にも立たないわけ ですね」 「どっかその辺の奴を捕まえて、血の小便がでるまで殴りまわして説得する、という 手段はあるが」 「…それ説得じゃないでしょ。やらないでくださいね」 「まあ、お前の電波は色々活用法もあるだろうが」  拓也の言葉はさり気なく無視して、逆に柳川は水を向けてきた。 「例えば、その辺の人の脳をいじって、その猫の飼主になってもらうとか…ね。そん な事、絶対やりませんけど」 「いい心がけだ。…ところで何をしているんだ?いや、別に言いたくないなら言わな くてもいいが」  少し情けなさそうに頭をかいて、拓也は言った。 「バイト探しです。…でも、なかなか求人って無くって」 「大変そうだな…。じゃ、今日は用事もあるし、またいずれ」 「ええ。…その子の飼主、見つかるといいですね。それじゃ」  拓也は柳川に会釈すると、後ろでこちらを覗っていた冬弥と由綺にも目礼してその まま歩き出しかける。 「なあ、拓也」  その時、少し抑えた声を柳川があげた。 「…俺は、まあ平だが、教師という職種にはそれなりに社会的な信用もある。…紹介 状とか身元保証人とか、それくらいは引き受けてもいいが…」  そして、付け加える。 「まあ、余計な世話かもしれないが…」  それこそ余計な一言というものだったが。 「…覚えておきますからね。いざ必要な時には頼らせていただくとしましょうか」  笑いを含んだ声でそう応じると、拓也は一礼して今度こそ歩き去っていった。 「…あの、誰なんですか今の人?多分、まだ高校生だとは思うんだけど…」  長身で、どこか大人びた雰囲気のある拓也は私服だと大学生くらいにも見える。下 手をすると由綺と同年か、年上くらいの風格はあった。まあ、ほんの1,2歳の年齢 差ということもあるが。 「…長瀬家の、瑠璃子の兄だ。まあ今は事情があって疎遠になっているが…」  言外にそれ以上の説明を拒否して柳川が歩き出したので、仕方なく冬弥たちも続 く。が、ややあって柳川の方から口を開いてきた。 「わかっていると思うが…世の中には、当事者以外の人間には関って欲しくなくて、 他人が立ち入る余地など最初から無いケースもある。恋愛とか、家族の相克とか… 色々な。  そんな場合、本当に相手のためを思うならただ、黙って見守っていてやることも重 要だ。自分をわかってくれてる人が誰かいる、自分は1人じゃない、というだけで… たとえ実際には何もできなくても、相手の心理的な負担を軽くしてやれる。  …当人の事情も考えずに、親切面してベタベタまとわりついて手を出すのが友情、 なんて勘違いしているバカも結構多いようだが」  別に自分たちに向かって言っているわけでもないのに、なぜか居心地の悪さを二人 は感じた。ただ、納得できるものはある。一面の真実は確かに捉えているだろう。  しかしそれにしても… 「柳川先生…もしかしてあなた…」 「…なんだ由綺?」 「あの、その…やっぱり浮気は良くないと思うんです?」  …………………………………。  ギシリ、という擬音がよく似合いそうなぎこちない動きで、柳川と冬弥は由綺の顔 を見た。どこか顔を赤らめ、困っているようなはにかんでいるような、微妙な表情で 視線をさまよわせつつ、由綺は。 「その、柳川さんがそーいうシュミの方だというのは前から知っているんですけど、 そういうの私詳しいわけじゃないのにこんなこと言うのはおこがましいとは思います けど、でも、そーいう関係でもノーマルな恋愛と同じで、あの、貴之さんに操を立て るとか、えっとでも本人同士納得済みならそれでもいいかなとか、でもでもそーいう 多妻?っていうのもいいのかなぁとか、ああもう全然わかんないや…」 「いや、俺もわからないけど」 「…とりあえず、なんかもの凄まじくとんでもない勘違いしとらんかお前?」 「え?」  勘違い、という言葉に由綺は首を傾げ、それからおそるおそる口を開いた。 「…もしかして、柳川さんの方が受け?」 「ああっ、由綺までが早くも染まってる!?」 「澤田かっ!?澤田のヤオイ本攻勢がどんどん浸透しとるのかっ!?」  揃って頭を抱えて座り込んでしまった男二人を振り子のように交互に見比べ…由綺 はただただ困惑するしかなかった。  やがてそれでも何とか立ち直ってきた柳川が人目も気にせず喚いた。 「…あのな。言っておくが、俺は別に拓也をそーいう目で見とるわけではないっ!と いうか、他の男もそういう目で見たことはないっ!俺は男では貴之一筋だし、女だっ て大好きだっ!解れ!そこんとこ!」 「あのー、それもあんまり自慢できるようなことじゃないと思うんですけど…ってい うか往来でそういうこと喚かれると一緒にいる俺たちまで変な目で見られるから止め てください」 「あなた本当に人間としてクズですね…でも、じゃあ別に冬弥君に邪な危険は無いん だ…?」 「お前らなぁ…」  何やらぐったり疲れ果てながら、柳川は一つ頭を振った。 「もういい。…とりあえず目の前の課題を片づけよう」  プラカードを背負いなおす柳川に、言いにくそうに冬弥は口を開いた。 「でも、予想はしてましたけど見つかりませんよね。…質問してくれる人すら滅多に いないし」 「…まあな」 「見つからなかったら…ほんと、どうします?」 「その時は…理事長や校長に相談する。あまりやりたくはないが」  虚をつかれたように、冬弥と由綺は顔を見合わせた。やがて、大きく由綺が頷く。 「そうよね…考えてみると、一番頼りになる人をすっかり忘れてたよね…秋子さんな ら顔も広いし、この子の飼主ぐらいすぐに…」  複雑な表情をしている冬弥に気づいて、由綺の言葉は途中で立ち消えになった。憮 然としている柳川が、ポツリと呟く。 「…結局、つまらん意地なんだよな。安易に理事長を頼りたくない、なんて。それが 最善で、最短の道だとわかっているのに」 秋子に頼めばなんとかなる。実際、なんとかしてしまうだろう。ただ、…本来自分 が抱えている問題を、他人にあっさり肩代わりさせることが、単純に嫌なだけなの だ。 「でも、そういう気持ち、俺もわかりますよ。自分1人じゃどうしようもない事に、 誰かの力を借りるのはしょうがないし当然としても…でもやっぱり、できるなら自分 の抱えた問題は自分の手で解決したい、って思うし…それが自己満足だってわかって ても、なんていうか、その…」  うまく自分の感じているものを言葉にできないまま、それでも冬弥は呟いた。 「そういう、実際には一文の得にもならない、つまらない意地を、無くすというの は…それは、なんだか物凄く大事なものを失うことなんじゃないかな、って思う。単 に損得勘定だけで物事を判断するのは、確かに正しいかもしれないけど…なんだか、 さもしいっていうか…うまくいえないけど」  決して万全の自信があっての言葉ではない。そのつまらない意地が、時に人をひど く不幸にすることは多々ある。その意地が旺盛すぎる人間は、単なる頑固者に過ぎな い。  けれど、そう言った冬弥の横顔に何か透明さが増したような、清々しい美しさがあ ると…由綺は思った。  今、かかっているのは、たかだか仔猫一匹のことだ。  たかだか仔猫一匹の去就のことで、それも直接的に冬弥が責任を抱え込むことでも ない問題で、ここまで真剣に考え込む必要がどこにあるだろう?  だが、由綺は、たかがそれくらいのことで、と思考を切り捨てられる人よりも、た かがそれくらいのことに、真剣に思いをはせる事ができる人が好きだった。  事の善悪など関係ない。理屈もいらない。ただ好きなのだ。どうしようもなく。  ぺしっ! 「あうっ!?」  いきなりおでこにデコピンをくらって、実際の痛みよりその行為に驚いて、由綺は 悲鳴を上げた。目の前の冬弥が慌てて声をかける。 「す、すまん、そんな力入れたつもりなかったんだけど…けどさ、お前なんかぽーっ としてたから。呼んでも答えないし」 「どーでもいいが真昼間からボケないでくれ。…寝不足か?」  少し残念そうな顔をして離れていくOL風の女性に軽く礼をしてから、柳川が少し険 悪な視線を向けてくる。どうやら少しだけ自分の世界に没頭してしまっていたよう だった。 とりあえず二人に頭を下げる。 「ご、ごめんなさい…」 「疲れたなら少し休む?」 「…そろそろ授業時間が終わる頃だしな」  時計を見て呟いた柳川の言葉に、二人はハッとした。 「今の人は脈があったんですけどね。…猫好きみたいだったし」 「まあ仕方あるまい」 「でも、これからどうするんですか?その…」  このまま放ってしまいたくはない。できれば今日一日くらいは協力したい。二人と も同じ思いだったのだが。 「…お前らは次の授業があるからな。もう帰っていいぞ」 「でも…」「その…」 「もういい、と言っているんだ」  素っ気無く言い捨てる柳川の態度に、思わず冬弥は声を荒げた。 「つまらない意地を張るのもいい加減にしてくださいっ!」  言った途端に冬弥は後悔したが、しかし、今更止めるわけにもいかなかった。やや 声を落として続ける。 「その…はっきり言って、俺はやっぱりあなたは嫌な人だと思いますけど…今、こう やって手伝ってるのも、昨日の件の謝罪ってつもりって気分が少しあったかもしれな いけど…でも、一度乗りかかった船をこのまま自分だけ勝手に下りたくないっていう か…その…」 「だからなんだ?」  自分とは対照的に、小憎らしいほど涼しい顔をしている柳川に、冬弥は挑戦的に 言った。自分が言っていることも、結局は「つまらない意地」だと自覚しつつ。 「あなたが何を言おうと、俺は俺で勝手にやらせてもらいます。このままビラ張り、 続けますからね。別に許可なんかいりません。俺が、自分で、やるんですから」 「…私も。これは別に他人が手を出しちゃいけないなんてことじゃないと思うし」  無意識に冬弥の服の裾を掴みながら由綺も同意する。その姿は冬弥にすがりつくよ うであり、冬弥を支えるようでもあった。 「……それでいい」 「えっ…?」  柳川の、その囁くような小さな声を聞き違えたか、と思って冬弥が問いかけようと した、その時。  どくわっしゃんっ!!! 「おごぷわっ!?」  いきなりの背後からの攻撃に、成す術もなく柳川は顔面から歩道のアスファルトに 倒れこんだ。倒れる柳川の身体を避けて、咄嗟に冬弥と由綺が離れて飛び退けること ができたのは奇跡的である。  そして、加害者は、そんな二人にごく自然に声をかけてきた。 「見つかった」 「いきなりワケわかんない登場するなはるかっ!っていうかちょっとヒドいし!」  はるかの、傷だらけのメルセデスの下で、轢かれた柳川がピクピク痙攣している。 うつ伏せで倒れている柳川の背中の上で、自転車に跨ったままはるかは爪先で柳川を つついた。 「う…ううう…」 「大丈夫、生きてる」 「生きてりゃいいってもんじゃないだろ!?」 「いや、スキがあったもんだから、つい」 「つい、で人を轢くなっ!」 「今日はいい天気だね、冬弥」 「会話をしてくれ、頼むから!」 「あの…それより、早くどいてあげた方がいいんじゃないかなーって思うんだけ ど…」  ……………。  由綺の、引き攣った言葉に少しだけはるかは考え込んで、そして言った。 「ところで冬弥」 「どかんかお前わっ!」  あっさり自分を無視しかけたはるかを実力で跳ね飛ばして、案外元気に復活してき た柳川は立ち上がった。はずみで自転車からころころと転がったはるかは、そのまま 勢いを殺さずまるで起き上がりコボシのようにシュリン!と立ち上がる。 「…痛いよ、柳川先生」 「実感がこもってない!あのなぁ、お前いきなり自転車で人を轢くなっ!危ないだろ !?」 「大丈夫。普段は冬弥しか轢かないから」 「俺も轢くんかいっ!?」 「はるか…最初から誰も轢かないで、お願いだから」  どこまでもマイペースというか、マイペースとはちょっと違うんじゃなかろーかと 言いたくなるようなはるかに、三人は頭を抱え込んだ。 「あのさ。見つかったら、猫の引取り手。だから帰ろう」 「だから会話を…って、見つかった!?」 「最初からそう言ってる」  あっさり頷くはるかは、やっぱりいつもの調子で言葉を続けた。 「冬弥、頭悪すぎ」 「お前の言い方がシンプルすぎるだけだろうがあああああああああああっ!!?」  もはや人目も気にせず絶叫するしかない冬弥だった。   ***********  犬と猫は普通、仲が悪い。  だが、それは別にこの両者に限ったことではなく、本来異種同士の動物が最初から 友好的である理由はどこにも無い。むしろ狩る側と狩られる側、という対立の構図の 方が多い。  だが、特に対立する理由さえ無ければ、殊更に争う必要も無い。満腹して寝そべる ライオンと、その姿を視界に収めながら、安全距離をとって悠然と草を食むインパラ のように。  足に包帯を巻いた仔犬とトラ柄の仔猫は、最初しばらく互いの匂いを嗅いでいた が、やがてどちらからともなく興味を無くしたように離れた。仔犬の方は真新しい自 分のベッドに少し足を引き摺りながら歩いていくとそこで丸くなり、仔猫はその近く の水入れと、皿に残った仔犬用ドッグフードに鼻をひくつかせる。 「御二人トモ、仲良クシテクダサイネ」  二匹がケンカを始めたら止めに入ろう、と身構えていたマリナは心配無し、とみて とった。ここは昼でも薄暗い、学園内のオカルトグッズ集積用倉庫…マリナと、そし て雪音の職場であり、住居である。そこに今、柳川と理奈・弥生を除いた藤井家の 面々が集っていた。  仔犬の方にも柳川は覚えがあった。昨日コリンが森の中で見つけた、倒木に足を挟 まれていた仔犬。 「お前ら、あの犬まで引き取ってたのか?」 「ええ。イビル様経由で、メイフィア様の所にケガをした仔犬がいらっしゃることを 覗いまして。幸い、私共の部署は他の姉妹たちに較べて…ヒマですから」  その雪音の言葉には、僅かに苦笑が混じっていたようにも思えた。そんな彼女の端 整な横顔を少し興味深そうに眺めていた柳川だったが、やがてぽつりと呟いた。 「よろしく頼む」 「逢いたくなったらいつでも来てください、とマインさんやコリン様達にもお伝えく ださい」  そして、付け加える。 「藤井様達も、どうぞご遠慮なく。歓迎いたしますから。特に篠原様」 「なんで弥生さん?」  それが気にならないわけではなかったが、他にも色々と疑問があったので冬弥はそ ちらを優先させることにした。 「しかし、いつの間にはるか、こんな知り合い作ってたんだ?まあ、お前って穴場を 探す嗅覚があるみたいだけど」 「いえ、はるか様とは先程お会いしたばかりです。…ただ、ここの近くのベンチで、 何やら考え込んでいらっしゃったようですのでこちらから声をおかけして…」  なるほど、と納得しかけた冬弥だったが、雪音の説明はまだ終わっていなかった。 「そうしたら、実は居眠りしていたんですね。起こしてしまって、申し訳ありませ ん」 「サボってたんかいお前!?」 「別にさぼってたわけじゃないよ。つい寝込んじゃっただけ」 「まあ…はるかだし」  どこか悟りを開いた修験者のように呟く由綺だった。 「でもさ…その、本当に良いの?引き取ってもらって?」 「何か不審な点でも?」 「いや、不審っていうか…こっちは大助かりなんだけどさ」  現在様々な分野で活躍しているメイドロボだが、本来医療・介護を目的として開発 された経緯から基本的にそういった事に適した特性を持っている。一般家庭で使用さ れることを前提とした12型にもそのための初歩的なデータくらいは入っている。家 事という仕事の中には単なる料理や掃除だけでなく、例えば乳幼児の養育、高齢者の 介護、そしてペットの世話も入っている。更にサテライトサービス搭載の13型は必 要に応じてブリーダーや獣医師並みの能力を発揮することができる。冬弥としては、 自分達より余程安心して仔猫を任せられる相手だった。 「ただ、その…ちょっと不思議に思ったんだよね。別に、命令されてこの仔犬を引き 取ったわけじゃないんだろ?どうして、君たちが動物を飼おうとするのかな、って。 特に君たちの本来の仕事に関係があるとも思えないし、何ていうか…その…失礼な言 い方だけど…」 「…理由ガ、必要ナノデスカ?」  同型に較べても無口なマリナが、小さく呟いた。そんなマリナの後を引き継いで、 雪音が口を開く。 「どうして藤井様達はご自分とは本来関りのない小動物のために尽力されたのです? それは不思議なことなのでしょうか?」 「えっ…?」  猫を抱き上げようか、と迷っていたマナが声を漏らす。 「私たちは…人間の皆様と違って心とか感情とか、そのようなものは持ち合わせては おりません。ですが、業務上物事を観察し、理解し、判断するために思考することは できます。 …人は、人である以上、人以外の“心”を理解することはできないでしょう。動物 が 今何を考えているのか…自分なりの想像はできるし、動物の“欲求”はある程度なら 理解もできるでしょう。ですが、それだけです。当然のことですが。人間は、人間以 外のものにはなれないのですから。  そして当然、人に作られた私たちの思考パターンもまた、どうしても人のそれを模 倣したものになります。ならば、そんな私たちがこのような申し出をするのがそれほ ど奇異なことでしょうか?」 「ア…」「あら…」  マリナと、美咲が同時に小さな声を漏らした。その二人の囁きに、全員がその視線 の先を追う。  仔猫が、空き箱を利用した寝床で丸くなっている仔犬に寄り添うように自分も丸く なった。仔犬は薄く目を開けたが、吠えもせず場所を空けるように少し身じろぎする と、再び目を閉じる。  誰も口をきかないまま、ただ、黙って、6人と2体は眠る2匹を見つめ続けた。   ************ 「…後で張り紙、剥がしにいかなきゃね」 「折角貼ったけどな」  由綺の手の中にはまだたっぷり張り紙が残っている。これを全部貼った後に、飼主 が見つからなくてよかった。しみじみとそう思う冬弥である。学園内の、ちょっとし た木立の中を先行する柳川とはるかの背中を見て、後ろに続くマナと美咲に視線を転 じ、そして隣の由綺に戻す。 「しかし、地道に真面目にがんばってた俺たちを差し置いて、居眠りしてたはるかが 成果を上げるというのはなんか納得いかんなー。理不尽だよなー」 「何を今更。世の中なんて理不尽に出来てるもんだ」 「さすがは年の功」  ぐわしっ! 「俺は公平な男だからな。白いブタも黒いブタも黄色いブタも牡ブタも牝ブタも皆平 等に価値がない。というわけで、このまま頭蓋骨が変形するまで圧力加えるのも容赦 せんぞ」 「あやまるから許してくださいごめん」 「…いやそんなあっさりあやまらんでも」  じわじわとはるかの顔面に食い込ませていた爪を外すと、柳川はぼやいた。はるか は別に気にした風でもなく自分の頬をさすってから、言った。 「血が」 「出とらん」 「死ぬ」 「死なないって」 「乱暴された、かわいそうな私」 「取り様によってはムチャクチャ人聞き悪いこと言うなっ!」 「よよよよよ…」 「冬弥…狩ってもいいかこいつ?」 「気持ちはわからないでもないですけど一応止めてください」  疲れた笑みを浮べる冬弥に一瞥をくれると、柳川は肩を竦めた。 「じゃ、この時間はこれで解散。…一応、協力には感謝しておく。あ、張り紙は後で 手すきのラルヴァにでも剥がさせるから、放っておいていいぞ」 「いいんですかそんなこと?」 「嫌とは言わせん。…くっくっくっくっく…」 「…また鬼畜なこと考えてるわねこの人…」 「は、はは…」  毒づくマナの隣で、美咲が引き攣りながら笑った。それは誰に向けたものだったの か。  1人でさっさと遠ざかっていく柳川を一同はしばらく見送っていたが、やがて誰が 促すわけでもなく自然に歩き出す。 「なんかさー。あの人、ぜーんぜん変わってないっていうか懲りてないっていう か。…あんなののせいであんなに悩んだあたしたちって、一体ナニ?バッカみたい じゃない」 「…それでいいんじゃないかな…?」  マナの不満げな意見に、やんわりと冬弥は応えた。 「気兼ねして妙に萎縮することもなく、逆にかさにかかるわけでもなく、いつもと全 然かわら ず…横柄でさ。俺のやった事なんて、まるで気にしていないじゃないか。気にするよ うなことじゃない、ってさ」 「……あの……それってさ……単に、“気にするな、自分も気にして無いから”って 言えばそれで済むようなことじゃない!?」 「…それで、はい、気にしませんって、即座に気分を切り替えられるほど人間は単純 に出来ていないよ。…マナちゃんだって出来ないだろう?」 「……………」 「だから、まあ、これでいいんじゃないかな。…でも、だからって今後、是が非でも 仲良くしたいと思える人じゃないけどね」  苦笑混じりのその意見に、一斉に頷く妻達であった。   *************** 「かくなる上は最終手段しかありませんね」  TV局の薄暗い倉庫に潜み、ドアの隙間から外を覗いながら弥生は理奈に自分の作戦 を披露した。 「まず、理奈さんが1人で廊下に蹲ります。ここで重要なのは、可聴域ギリギリの範 囲で苦しげな呻きと呼吸を相手に聞かせることです」 「…なんかよくわからないし、ロクでもないような予感がするのは気のせいかしら ?」 「気のせいです。さて、そんな理奈さんを放っておける男性がこの世にはおりません から、当然若干の下心をもって獲物は近寄ってくるでしょう。ここが第2のポイント ですが、潤んだ瞳で上目遣い。そしてか細く相手の上着を握り締め、こう言いま す。…胸が…くるしいの、と。理奈さんの演技力の見せ所です」 「あのー、どう考えてもまともな方法じゃない気がするんだけど」 「気のせいです。さて、ここで私がさりげなくこの扉を細めに開けておきますから、 下心と間違った狩猟本能と煩悩を全開した獲物は周囲に人影が無いのを確認して、理 奈さんを暗闇に連れ込むでしょう。なに、男なんて基本的に単純でバカでケダモノで すから、絶対うまくいきます。そこをすかさず私がこの携帯用の特殊警棒を思い切り 後頭部に叩き込みますから安心してください。そして…丁寧にお願いいたします。  理奈さんに邪な行為をしようとしたことをバラされたくなかったら、この可愛い仔 猫を貰ってください、と。大丈夫、この世界ではよくあることですから」 「それは否定しないけど、絶対犯罪だと思う」 「…美人局、とは」 「え?」 「どうしてつつもたせ、と読むんでしょうね…?」 「知らないわよ!」 「理奈さん」 「なによっ!?」 「前から思っていたのですけれど…理奈さんの肌って、きめ細やかでとても綺麗です ね…」 「ああっ!?なんだかとっても危険がデンジャラスな雰囲気がするのは気のせいっ! ?」 「気のせいです」  …いまだ既に問題が解決したことを知らずにいる二人は、空回りな奮闘と間違った 方向性の熱意がほとばしるまま、なんだか新たな世界へと暴走しかけていたのだっ た。 【後書き】  こんな終わり方してますが、弥生さんは由綺一筋なお方ですので理奈の安全は保証 いたします(笑)  冬弥の件は既にERRさんのお話で解決済みですので、まあ事後処理というかそんな 感じです。仔猫と仔犬の引取り先として、最初から雪音たちを設定していたわけでは ありませんが、書き進めていくうちにふっ、閃いてこうなりました。インスピレー ションとか神の啓示、とかいうやつですかね?こういうの。勢いだけで書くのとは 少々違います。ただ、私の場合はどちらかというとクトゥルー神のお導き、という気 がします。グゲゲ。(インスマンス語) これは持論ですが、小説において自分の頭の中にあるものを、全て書き出してし まってはいけない、と思っています(注:シリアス系に限ります)。10のうち7、 8くらいで、止めておきます。いつかも掲示板かどこかで書いたかと思いますが、私 としては、読み手に想像の幅をより広く持たせる方が良いかな、と思っていますの で。そして、何を書き、何を書かないか、という判断に頭を悩ませます。 ただ、同時にこれは読み手への「挑戦」「謎かけ」という気分がどこかにありま す。どこまで自分が考えていることを読み取れているか?なんてね。偉そうですが。 そもそも、相手に自分の狙いがちゃんと伝わるように書く、というのが正道でしょ うに(^^; 今回に限らず、柳川の言うことは「結論」ではなく「問い掛け」としての意味があ るものが多いです。そういうキャラとして使っていますけど。 十代半ばの青少年は一過性の病気のように――「人生の意味」について考えるもの です。そしてえてして、「雫」の祐介のようにつまらない日常、先の見えた未来に、 人生について懐疑的な気分になってしまう。生きるということに意味なんかあるのか ?ってね。そして大人から見るとしゃらくさい口をきくわけですよ。人生悟り澄まし たような顔で、一見高尚そうなことを。 ただ、彼らに共通しているのは、その視野の狭さ。その狭い世界の中で、彼らはま ず例外なく自分自身の命の価値すら軽く見る一方、「俺はこんな高邁なことを考えて いる。それに比べて他の奴等は愚者だ」などと思い上がっているものでね。実際に は、そんなことを考えている人間はいくらでもいるし、さして目新しい問題でもな い、ということ。いつの時代でもそれに頭を悩ます人間はいたわけで。 例えばインドの王様でありながら「人生の意味」に懐疑を抱き、世俗を捨てたお釈 迦様とかね。仏陀と青二才のガキとの違いは、後者が「結論」としたことを前者は 「問いかけ」として、出発点としたところ。私は日本人にはありがちな無神論者です が、宗教家ではなく思想家としては、こういった人達を評価しています。 ま、私自身…昔はそういう嫌なガキだった頃があるからねぇ。だからこそこんなこ と言えるんだけど。 人から言われたことを結論とするか、問いかけとするか。結論とするにしても、も う一度自分なりに考えてみるこは損にはならないでしょうな。
 ☆ コメント ☆ 綾香 :「猫か。うちに預けてくれてもよかったのにね」 セリオ:「う〜ん。どうでしょう。      うちには、既に猫がいますからねぇ。もう、手一杯ですよ」(;^_^A 綾香 :「猫? それって姉さんの黒猫でしょ?       別に一匹くらい増えたってどうってことないと思うけどなぁ」 セリオ:「いえ。黒猫さん以外にもいますから……」(;^_^A 綾香 :「へ? いたっけ?」(・・? セリオ:「はい」(;^_^A 綾香 :「ほへ?」(・・? セリオ:「元気な猫がいます」(^0^) 綾香 :「うにゅ?」(・・? セリオ:「行動的で、落ち着きのない猫です」(^0^) 綾香 :「うにゅにゅ?」(・・? セリオ:「しかも、乱暴で攻撃的で……」(^0^) 綾香 :「……………………」(−−) セリオ:「ものすご〜〜〜くワガママな猫が……」(^0^) 綾香 :「…………なんか、無性に頭に来るのは、あたしの気のせい?」(−−) セリオ:「もちろん気のせいです」(^^) 綾香 :「うにゅ〜〜〜〜〜〜っ」(−−)



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