『おんな三人寄れば』
「ねえ、シオン。ちょっといいかな?」
夜。公園のベンチでハイティーン向けの女性雑誌を読んでいたさつきが、傍らで同様に本――尤も、こちらは細かい文字でビッシリと埋められた学術書であるが――へと目を通していたシオンへと切り出した。
「なんです、さつき?」
本を閉じ、シオンがさつきの方へと視線を向ける。
「あのね、教えて欲しい事があるんだけど」
「教えて欲しい事、ですか?」
「うん」
ちょこんと小首を傾げて応えるシオンに、さつきが至って真面目な顔で返した。
「シオンのね、初めての時の事を教えて欲しいの」
「……は?」
さつきから発せられた質問。それを耳にして、きっかり10秒間硬直した後、シオンは搾り出すようにその一語だけを口にした。
「だからぁ、シオンが初めてエッチした時の事よ」
「なっ!? な、ななななな」
繰り返された御無体な発言。
その余りと言えば余りな内容に、シオンは顔を真っ赤に染め上げてしまう。
「ねえ、どうだった? 痛かった? それとも、そんなでもなかった?」
「な、なんでそんな事を訊きたがるのですか!?」
「やっぱり興味あるしね。それに、わたしが遠野くんとする時の参考にもしたいし」
「参考って……わざわざ私に尋ねなくとも、さつきが手にしている本にいろいろと載ってる様ですが?」
さつきが手にしている雑誌へと視線を落としてシオンが指摘する。
開かれているページには、読者から寄せられた体験談が掲載されていた。思わず絶句してしまいそうになるほどに赤裸々なモノが多数。
「確かにこの本にも載ってるんだけどね。やっぱり生の声も聞きたくなっちゃって」
なんて傍迷惑な。シオンは本気でそう思った。
「だからって、私に訊かなくても……」
「シオンしかいないもの。まさか黒猫さんに訊くワケにもいかないでしょ。いくら遠野くんでも、こんな幼い娘に手を出したりはしないだろうしね」
さつきの視線の先では、彼女のもう一人の親しい友人であるレンが楽しそうな笑みを浮かべてマンガを読んでいた。
かなり作品に没頭しており、さつきたちの会話も全く聞こえていない。夢中になって黙々と一心不乱に読み耽っている。
その様の微笑ましさに、さつきとシオンは思わず目を細めた。
――が、そんなホノボノとした空気は長くは保たれなかった。さつきがアッサリと一刀両断してしまう。
「で? 結局どうだったの? 相手は誰? やっぱり遠野くん?」
レンからシオンへと顔を向け直すと、さつきは容赦なく問いを再開した。
「……そ、そこで何故志貴の名前が出てくるのですか? そ、そもそも、私が未経験だという可能性は全否定なのですか?」
「あのさ、シオン? 自分ではバレてないと思ってるのかもしれないけど、シオンってば結構露骨に態度に出してるよ。遠野くん好き好きーって。そんな人が他の人を選ぶ? それに、シオンってば最近妙に色っぽくなったりしてるし、胸だって大きくなってるみたいだし、お肌も艶々してるし。これだけ状況証拠が揃ってたら、遠野くんと何かあったんじゃないかって疑われても仕方ないと思うんだよね。あ、あとこの間なんて……」
滾々と出され並べられていくさつきの根拠。
それを、半ばポカンとした顔で耳にしていたシオン。
だが、ハッと我に返ると、コホンッと無闇矢鱈に大きな咳払いでさつきの言葉を遮り、
「……と、ところで、さつき? こちらから逆に尋ねたい事が一つあるのですが」
強引に無理矢理に話を切り替えた。若干頬を染めて、イタズラがばれた子供の様な顔をして。
「さつきは、初めての相手には、やはり志貴を望んでいるのですか?」
「え? う、うん。そうだよ」
あからさまな話題転換に苦笑しつつも、さつきはシオンの問いに正直に答えた。
「ライバル、多いですよ?」
「うん、分かってる。私の目の前にも一人いるしね、強力なライバルさんが」
気遣わしげに問うてくるシオンに、クスクス笑ってさつきが言う。
「わ、私は別に……」
「いいからいいから。ちゃーんと分かってるから。ねっ」
「……むぅ」
あやす様に宥められ、シオンが口を尖らせた拗ね顔になる。友人のそんな幼げな様に、さつきは再度コロコロと笑みを零した。
「ライバルが多くて苦労するのが分かっていても、私はやっぱり遠野くんがいいの。ずっと好きだったし、今でも好きだし」
どことなく大人びた表情を浮かべてさつきがキッパリと言い切る。
「それに」
「それに?」
シオンが促すと、さつきは涼やかな微笑を返し、
「それに、ね」
両の頬に手を添えて、
「遠野くんって経験豊富っぽいから手馴れてるだろうし、もしかしたら最初から気持ちよくしてくれるかもしれないし、しっかりとリードしてくれそうだし、なにより優しくしてくれそうなんだもん♪」
耳まで赤く染め、身体を捩って身悶えた。いやんいやん。
「……そ、そうですか」
思わず脱力してガックリと肩を落としてしまうシオン。
「ま、まあ、確かに志貴は経験豊富で手馴れてますね。気持ちよくもしてくれますし、リードもしてくれます。ですが『優しく』というのは期待しない方がいいと思いますよ」
こめかみを揉み解しつつ、シオンはさつきに忠告する。
「え? そうなの?」
「はい。アレの時の志貴は人格が変わりますから。はっきり言ってケダモノです。野獣です。例え相手が初めての娘であっても2回戦3回戦は当たり前、容赦という言葉は消え去ります。絶倫超人です、バーバリアンです。私の時もそうでした。何度も何度も散々弄ばれ、挙句の果てにはエーテライトで緊縛プレイまでさせられる始末。本当にベッドの上での志貴は鬼畜外道の淫魔です」
その時の記憶が鮮明に蘇ったのか、興奮した様子で悪口雑言を捲くし立てた。
罵詈を浴びせつつも、どことなく口元がにやけ、ほんのりと頬が染まっていたりするのはご愛嬌か。
「あのさ……シオン?」
志貴への恨み言を並べるシオンの迫力に圧倒されていたさつきだが、ふととある事に気が付いた。
「なんです、さつき?」
「シオン、やっぱり遠野くんとエッチしてたんだ」
「へ?
――あ゛」
シオン、自爆。
慌てて口を押さえたが時すでに遅し。もはや出てしまった言葉は戻らない。
「そっかぁ。そうなんだぁ。やっぱりねぇ」
楽しげにニヤニヤ笑ってシオンをからかう。
「う、迂闊」
「ふふっ。ねえねえ、シオン」
「……なんですか?」
満面の笑みのさつきに、些かぶっきらぼうにシオンが応えた。
「シオンのえっち♪」
「なっ!? さ、さつき!」
「きゃー。えっちな人が怒ったぁ」
「さつきっ!」
きゃいきゃいと騒ぎ、戯れ合うさつきとシオン。
そんな二人の元へ、
「……?」
マンガを読み終わったらしいレンが不思議そうな顔をして近付いてきた。
何をしているの? その顔はそう尋ねていた。
「あ、黒猫さん。聞いて聞いて。シオンったらねぇ、えっちなんだよぉ」
「?」
ワケが分からないといった風情で小首を傾げるレン。
その彼女に、さつきは『かくかくしかじか』と経緯を説明する。
「――というわけで、シオンってば遠野くんとあーんな事やこーんな事をしちゃってるというのが判明したの」
「さつき! レンに変な事を吹き込まないで下さい!」
シオンから抗議が飛んでくるがさつきはどこ吹く風。構わずレンに話し続ける。
「一人だけで抜け駆けして大人になっちゃったシオンみたいな裏切り者は放っておいて、私と黒猫さん、純潔を守っている清い体同士で仲良くしようね」
さつきが冗談めかしてレンに提案した。
しかし、言われた側のレンは、
「…………」
困った様なバツの悪い顔をして、あからさまにさつきから目を逸らした。
「く、黒猫……さん? ま、まさか……」
ピキッとさつきの頬が引き攣る。
「……っ!?」
身の危険を感じたか、レンがさつきから距離を取ろうとする。
だが、そうは問屋が卸さなかった。レンが離れるより一瞬早く、さつきの手がレンの襟首を掴んでいた。
手足を大きく振ってジタバタともがくレン。けれど、小柄なレンが幾ら暴れてもさつきの手は振り解けなかった。
「く・ろ・ね・こ・さん♪ くわしーくお話を聞かせて欲しいなぁ」
○ ○ ○
「そう。そうなの。シオンだけでなく黒猫さんまで。ふふふ。そうなんだ。ふふ、ふふふふふ」
なにやら黒いオーラを発しているさつき。
レンから『志貴と経験済み』との回答を引き出してからずっとこの調子だった。
「そうよね。遠野くんにとっては私は所詮過去の女なのよ。美しき思い出に過ぎないのよ。吹けば飛ぶような、青き春の淡くて苦いメモリーの一欠けらなのよ。ふふふっ」
かなり暗い。怖い。
シオンとレンも気圧されてしまい声すら掛けられない。
(こ、こういう場合は、一体どうしたら良いのでしょうか?)
(……かえりたい)
出来る事は、困った顔で佇むのみ。
半ば泣きが入っている。
「シオン、黒猫さん」
そんな二人に、さつきが唐突に顔と声を向けてきた。
「は、はい!」
「……っ!」
思わず背をピンと伸ばして直立不動の体勢になるシオンとレン。
「私、悟ったわ。やっぱり、欲しいモノは自分から奪いに行かなきゃダメだよね。ただ待ってるだけじゃダメだよね」
「そ、そうですね。仰るとおりです」
「…………」こくこく
さつきの言葉に、二人は何度も首肯する。
「うんうん。二人もそう思うよね。――だから、私、行ってくるよ」
シオンたちの答えに満足気に頷くと、さつきは『優しく』微笑んでそう宣言した。
「い、行くって……どちらへ? も、もしかして……」
「頑張ってくるね♪」
シオンの問いに意味ありげな――目の据わった――笑顔で返すと、
「トラトラトラ、我は求め訴えたり!」
意味不明の言葉を一つ残し、さつきは土煙を上げて走り去っていった。
「……あちらは……遠野のお屋敷がある方角ですね」
「…………」こくん
「今の時間なら……まだ、秋葉たちも起きているでしょうね」
「…………」こくこく
公園に備え付けられている時計は、深夜と呼ぶには些か早い時間を示していた。
遠野の家の者がベッドに入るまでにはまだ暫しの猶予があろう。
「凄い事に……なりそうですね」
「…………」こくん
二人はさつきが走り去った方角へと身体を向けると、シオンは黙祷を捧げ、レンは両の手を合わせた。
(今夜は屋敷に帰るのはやめよう)
心の中で全く同じ事を考えながら。
○ ○ ○
< 余談 >
翌朝、シオンとレンが家に帰ると其処には、
「うわ。こ、これは……」
「…………」(ぼーぜん
半壊した屋敷や無残に抉られた庭があったとかなかったとか。
君子危うきに近寄らず。
二人がそのまま回れ右をしたのは言うまでも無い。