『真実』



「ちょっと待て、藤田。神岸さんは紹介できない!? どういうことだよ!?」

「い、いや……あいつには好きな奴がいるらしくてさ。だから……」

 激昂する矢島に、若干視線を泳がせつつ浩之が答えた。

「そんな言い分で納得できるか! だったら、せめてその相手の名前を教えてくれよ」

 浩之の肩を掴み、矢島は尚も問い詰める。

「そ、それは……」

「誰なんだよ、その男は? まさか、お前……」

 言いよどむ浩之へと疑惑の目を向ける矢島。

「答えられない」

 肩に掛けられている手を振り解きつつ、浩之は矢島の言葉を遮って返した。
 ――と同時に、矢島へと背を向ける。

「藤田!」

「……わりぃ」

 心苦しさの感じられる声で一言謝罪を零すと、浩之は矢島の呼び掛けを振り切って勢い良く走り出した。
 矢島から、彼の追求から――後ろめたさから――逃げる様に。

「おい、藤田! 藤田ぁ!」

 矢島の叫びが響き渡る。
 だが、必死そうな声とは裏腹に彼は浩之を追おうともしなかった。
 それどころか、矢島の視界から浩之の姿が消えた瞬間に、彼はニヤリと満足気な笑みすら浮かべてみせた。まるで、『上手くいった』と言わんばかりの表情である。

「お疲れ様、矢島」

「ぐっじょぶ、ぐっじょぶ。ナイス演技だったわよ」

 そんな彼に、背後から不意に労いの言葉が掛けられた。

「――見てたのかよ。趣味悪いぞ、お前ら」

 矢島が呆れた顔をして振り返る。
 すると、そこには浩之の親友である佐藤雅史と長岡志保の姿があった。

「ごめん。でも、一応は仕組んだ張本人だからね。結末はちゃんと見届けないと」

「そうそう。あくまでも責任感よ。決して興味本位で覗いていたワケじゃないからね」

「……佐藤はともかく、長岡は絶対に面白半分だったと思うけどな」

 ため息を漏らしながら、矢島は疑わしげな視線を志保へと向ける。

「そ、そんなことないってばぁ。や、やぁねぇ」

 矢島の指摘を志保は即座に否定した。――が、あからさまに目が逸らされている為に説得力の欠片も無い。
 その様に、顔を見合わせて苦笑を浮かべてしまう男二人。

「ま、まあ、それはさておくとして。すまなかったね、矢島。変な事を頼んでしまって」

 表情を真面目なモノに改め、雅史が矢島へと軽く頭を下げる。

「いや、いいってことよ。俺もあの二人にはやきもきしてたからな」

 今回の件は、言うなれば『茶番』。煮え切らない二人へのお節介であった。
 お互いが好き合ってるのは誰が見ても明らかなのにも関わらず、いつまで経っても『恋人』へと進まない浩之とあかり。
 そんな二人をじれったく思い、もどかしく見ていた者は少なくない。矢島もその中の一人だった。無論、雅史と志保は筆頭である。
 因みに、この一件について何も聞かされていないのはクラスでは浩之とあかりのみ。
 ・発案,総指揮:雅史
 ・脚本演出:志保
 ・出演:矢島
 ・スペシャルサンクス:クラス一同
 実に大掛かりな一大プロジェクトだった。
 出演に矢島が選ばれたのは『いい男』であったからに他ならない。浩之が動揺する――ひょっとしたらあかりの心が動いてしまうかも、と思わせられる――程の相手でなければ意味が無いのであるから。

「これで少しは藤田の奴も危機感を覚えるだろ。俺も道化を演じた甲斐が有ったってものさ」

「そうだね。ちょっと荒療治だったかもしれないけど」

 大役を務め終え、達成感を漂わせる矢島と雅史。

「いいのよ、荒療治で。ヒロのバカはこれくらいしないと目が覚めないんだから。終わり良ければ全て良し、ってね」

 雅史にツッコミつつも、志保も二人と同様の空気を纏わせる。

「ヒロとあかり、あの二人は本当にお似合いなんだから……お互いに大事に思い合っているんだから……絶対に結ばれるべきなのよ」

 但し、男達とは異なり、声色に微かな翳りを滲ませて。

「なあ、長岡。お前、さ」

 それを敏感に感じ取り、矢島が真剣な――且つ気遣うような――口調で話し掛けた。

「なに?」

 怪訝な顔をして志保が尋ねる。

「長岡はそれでいいのか? お前、もしかして本当は藤田の事を……」

「いいに決まってるじゃない。なにワケの分からない事を口走ってるのよ」

 矢島に最後まで言わせず、志保はハッキリと言い切った。

「ヒロと結ばれるのはあかり、あかりと結ばれるのはヒロ。それでいいのよ。いえ、そうじゃなくちゃいけないのよ。だから……」

 そこで一端言葉を切ると、志保は矢島へと微笑んだ。
 そして、

「いいに決まってるじゃない」

 もう一度、キッパリと。

「――そっか。なら、いいんだけどな」

「そう言うあんたこそどうなのよ? 実は、演技じゃなくて本気であかりに気が有ったりするんじゃないのぉ? さっきのも妙に真に迫ってたしねぇ。いいのぉ、ヒロにあかりを譲っちゃって?」

 殊更明るく、不自然なまでに陽気に志保が尋ねる。
 湿っぽくなりかけた場の雰囲気を変える為に冗談で振った問い。相手がケラケラと笑い飛ばしてくれる事を期待したモノ。
 だが、それに対する回答は、

「……ああ、いいんだ」

 志保の予想に反して、微かに苦みを含んだものだった。

「え? あ、あれ? も、もしかして、あんた、マジであかりの事が?」

 驚きの声を上げながら、志保が矢島の顔を凝視する。
 雅史にとっても意外だったのか、矢島の答えを聞いて目を見開いてた。

「そんな!? だったら、なんでこんな役を引き受けてくれたの? 矢島にとっては損にしかならない事なのに」

 雅史の問いに、矢島は苦笑を浮かべて返す。

「悔しいけどさ、やっぱり神岸さんと藤田ってお似合いなんだよな。お前たちも気付いてるだろうけど、藤田と居る時の神岸さんって本当に良い笑顔をしている。心底嬉しそうに、幸せそうに笑ってる。――好きな娘にはさ、いつでもそんな顔をしていて欲しいじゃないか。例え、隣にいるのが自分じゃなくても」

 そこまで言うと、矢島は苦笑を穏やかな微笑みへと変えた。

「故に、俺は協力した。成功させる為に全力を尽くした。確かに、俺にとっては損にしかならないかもしれない。今回の事で、俺と神岸さんが結ばれる可能性なんて万に一つも無くなった。でも、俺はちっとも後悔してないぜ。もしも時間を遡ったとしても、俺はまた同じ事をすると思う」

 矢島は、未だに複雑そうな表情を浮かべている雅史と志保に対して、一片の曇りも無い晴れやかな顔を向けた。

「そういうことなんで、お前らが気に病む必要なんて全くないぞ。あくまでも俺の意思で、俺が望んで、手を貸したんだしさ」

 爽やかに笑い、矢島は二人に――そして自分自身にも――言い聞かせるように、

「だから」

 もう一度。ハッキリと、キッパリと。

「俺は、後悔してないよ」



○   ○   ○



「前言撤回していいか、佐藤。俺は、すっごく後悔してるぞ」

 あれから数日が経った後のとある昼休み。
 渋い顔をして矢島が雅史に訴えた。

「き、気持ちは分かるけどさ。我慢しようよ」

 言われた側の雅史はただただ苦笑いするしかない。

「はい、浩之ちゃん。あーん♪」

「お、おい、あかり。やめろよ、自分で食える……って、分かったよ、分かった。食うよ。だから、そんな寂しそうな顔をすんな。訴える様な目もすんな。反則だぞ、それは。――ったく、しょうがねーなぁ」

 矢島と雅史の視線の先には、仲睦まじくお弁当を食している浩之とあかりの姿があった。
 若干睦まじすぎる気もするが。というか、ぶっちゃけバカップル。
 教室で堂々といちゃつかれ、まさに目の毒耳の毒。
 おかげで、周囲の生徒達は揃って砂を吐いていたりする。さもありなん。

『こいつらをくっつけたのは失敗だった』

 クラス一同の魂の叫び。

「我慢なんか出来るかぁ! ちくしょう、俺はとことん本気で思いっきり際限なく後悔してるぞ。ううっ、あの時の俺のバカ」

 浩之とあかりの放つ甘い空気にやられ、机に突っ伏してしまう矢島。

「あ、あはははは」

 そんな彼に対して掛けるべき慰めの言葉も見付けられず、ただただ乾いた笑いを浮かべる事しか出来ない雅史だった。