『あかりんの葛藤』



 わたし、神岸あかりは葛藤していた。

「どうしよう。ここは思い切るべきかな? でも……でも……」

 目の前の物に手を伸ばし、少し躊躇い、また引っ込める。
 先程からこの繰り返し。

「これを使ったら、きっと凄いことになってしまう。取り返しのつかないことになってしまう」

 怖い。
 予想される未来図。脳裏に浮かぶ『そうなるであろう』事態。
 怖い。
 けど……たまらなく甘美な恐怖。

「どうしたら……わたしは一体どうしたらいいの?」

 己への問い。

「どうしたら……」

 出てこない答えを求めて、何度も何度も自分へと尋ねる。
 否。
 もしかしたら、もう答えは決まっているのかもしれない。
 その証拠に、目の前の物から視線を外す事が出来ないのだから。意識を離す事が出来ないのだから。

「わたしは……わたし、は……」

 呟きつつ、導かれる様に震える手をそっと伸ばす。
 眼前の物体を手に取り、ギュッと胸に掻き抱いた。

 ドキドキドキドキ。

 鼓動が高鳴る。
 恐れと、いけない事をしている様な背徳感。微かに湧き上がる高揚感。

「はぁ」

 吐息が零れた。
 身体が熱くなる。

 ダメ。もう抗えない。
 腕の中の物。それが放つ魅力に、誘惑に、わたしはもう逆らえない。
 
 お父さん、お母さん、ごめんなさい。
 わたし、悪い子に……



○   ○   ○




「わん♪」

「あ、あかり。その犬耳と犬尻尾はいったい?」

「とある人からの贈り物なの」

「とある人?」

「うん。くるすが……」

「皆まで言うな。もう分かったから」

 わたしの言葉を聞いて、浩之ちゃんが深いため息をつく。

「あの爺さん、相変わらずはっちゃけてやがるな。ったく、何を考えてるんだか」

 浩之ちゃんは顔を顰めると、人差し指でこめかみを揉み解した。
 その様子に、わたしは少し不安を覚えた。

「あの、浩之ちゃん。もしかして、この格好、変? わたし、結構気に入ってるんだけど。……似合ってない、かな?」

「え? い、いや、そんなことはないぞ。似合ってることは似合ってる」

「ホント?」

 覗き込むようにして尋ねる。所謂上目遣いの体勢。

「ほ、ホントだって。バッチリ似合ってる。つーか、寧ろ似合いすぎててやばい」

「やばい? 何が?」

「それはもちろんナニが……げふんっ、げふんっ。すまん。自分で自分の発言の寒さに引いた」

 寒い? 何が?
 よく分からなくて、わたしは上目遣いのまま小首を傾げた。

「う゛。そ、そういう仕草は反則だぞ、あかり」

「反則? そうなの?」

「ただでさえやばいのに、そういうことをされたら更に理性が危険で大ピンチになっちまうだろうが」

「そうなんだ。それじゃ、こんなことをされたらどうなっちゃう?」

 この時のわたしはどうかしていたと思う。
 いつもより積極的で大胆。
 これはきっと犬耳と犬尻尾の力。犬装備の持つ魔力。
 そうに違いない。そういうことにしておこう。
 そういうことにしておいてください、お願いですから。

「ひ・ろ・ゆ・き・ちゃん♪」

 クスッと微笑んで、浩之ちゃんの頬をペロッとひと舐め。
 加えて、ウルウルした瞳を向けて、「くぅ〜ん」と甘え鳴き。

 その結果。

 ぷちんっ!

 なにかが切れた音が響き渡った。

「あぁかぁりぃぃぃ!」

「きゅ〜ん♪」

 嗚呼、お父さん、お母さん、ごめんなさい。
 わたし、『犬耳犬尻尾』という名のいけない世界に足を踏み入れちゃいました。

「くぅ〜ん、っ、きゅ〜〜〜ん」

 ――もう戻れないかも。
 先に自分が想像したとおりの事態の中に身を置きつつ、そんなことを考えてしまうわたしだった。



「ところで、あかり。この尻尾、どうやって付けてんだ?」

「ふふっ。それは秘密。……あんっ、引っ張っちゃだめぇ」

 秘密ったら秘密。