『好きな人の手だから』



「浩之ーーー!」

 何者かが廊下をドタドタと走る音が近付いてきたかと思うと、バタンと思いっ切り部屋のドアを開けて、俺の大切なワガママお姫様こと来栖川綾香お嬢様が飛び込んできた。

「だーっ! 部屋に入ってくる時はノックくらいせんかい!」

 俺はこめかみに指をあてながら、そんな至極もっともなセリフをじゃじゃ馬姫に浴びせる。

「……うっ、ごめんなさい」

 その指摘に勢いを削がれた綾香が、申し訳なさそうな顔をして即座に謝った。
 何というか、この辺の素直さも、このお嬢様の大きな魅力の一つだと思う。

「ま、それはともかく。どした? なにかあったのか?」

「そうそう。浩之ってば聞いてよ〜」

 俺が促すと、綾香は即座に勢いを取り戻して、身を乗り出して話し始めた。

「あたしね。今日、電車に乗ったのよ」

「……で?」

「そしたらね。丁度会社員の帰宅ラッシュにぶつかっちゃって、すっごく混んでいたの」

 身振り手振りを加えながら、さも大事の様に綾香が話す。

「それはそれは。ご愁傷様」

「それでね。その時にね……」

 急に綾香が声のトーンを落とした。

「なんだ? その時に……どうしたんだ?」

「あたし、痴漢に遭っちゃった」

「な、なんだとーっ!? マジか!?」

「マジよ。大マジ」

 俺の叫びを受け、綾香が我が意を得たりとばかりに言葉を続ける。
 
「でさ……あたしってば本当にビックリしちゃって……」

「そりゃそうだろうな」

 俺は、うなずきながら答えた。
 いきなり見ず知らずのヤツから触られるんだ。それは誰だって驚くだろう。

「うん。だからね……つい、その痴漢を……」

「その痴漢を?」

「……てへっ♪」

「『てへっ♪』じゃねーだろ! いったい何をした!?」

「聞きたい?」

 綾香がイタズラっぽい目をして訊いてきた。

「それは、もちろん聞きた…………いや、いい。やっぱ遠慮しとく」

「ぶー。つまんないの」

 不服そうな顔で綾香が文句を言う。

「聞かなくたって分かるっつーの。どうせおまえの事だ。これ以上ないって位に制裁を加えたんだろ?」

「あら。やっぱり分かっちゃった?」

 俺からの問いかけに、綾香がややばつの悪そうな笑みを浮かべて答えた。

「そりゃーな。おまえの事はそれなりに理解してるつもりだし。手が早い所とか足がすぐ出る所とか……中略……容赦がない所とかな」

「略すな! っていうか、なによ、その偏った理解の仕方は!?」

「なんだよ。違うとでも言う気か? 別に間違ってないだろ?」

「それは……言わないけど〜」

 口を尖らせて、不満そうに綾香がつぶやく。

「でも、もうちょっと違う言い方があるんじゃないの? まったくもう。可愛い恋人に対する気遣いが足りないわよ」

 上目遣いをしながら、拗ねたように綾香が文句を言う。

「へいへい。それは悪うござんしたね」

 その様子に苦笑しながら、俺は、くちびるを尖らせたままの綾香に、そっと自分の顔を近付けた。
 そして、触れ合うだけの軽いキス。

「な、なによー。今のご機嫌取りのつもり? だ、だったら残念でした。こんなのじゃ誤魔化されてあげないからね」

 頬を染めながらも、綾香は拗ねた態度を崩さない。というか、崩さないように必死に堪えていた。

「そっか。それは厳しいな。……だったら……」

 俺は再び顔を近付けると、今度は啄むようなキスを何度も繰り返した。
 何度も何度も。
 何度も何度も。

「…………ん…………んん…………んふぅ…………」

 しばらく続けていると、次第に綾香の表情がトローンとした物に変わっていった。

「…………んむ…………んっ…………」

 ほんのりと上気した頬、潤んだ瞳。

 そして、

「……はぁ」

 こぼれ落ちる熱い吐息。

 それらを見ているうちに、俺もだんだん気分が盛り上がってきた。

「なぁ、綾香?」

「…………な…………なに?」

 俺の問いかけに、綾香が夢うつつの顔で応える。

「例の痴漢とやらにはさ、どこを触られたんだ?」

「……お尻と……あと……胸をほんのちょっと……」

 普段だったら問答無用ではっ倒されそうな質問に綾香は素直に答えを返してきた。だいぶボーッとしているようだ。

「そっかそっか。……それじゃ……」

「え? ちょ、ちょっと浩之!? いったいなにをやってるのよ!?」

 自分のヒップをまさぐる手の動きに、綾香が我に返ったように抗議の声を上げる。

「綾香のお尻を触ってる」

「ば、ばかぁ。……やめてよ。ま、まだ日も暮れて間もないってのに、なにを盛ってるのよぉ〜」

「失礼な。別に盛ってるわけじゃないぜ。ただ、綾香の身体に痴漢野郎の匂いを残しておくのは我慢できないからな。俺が全部消し去ってやるんだ。じっくりじっくりと丹念にな」

「そ、その気持ちは嬉しいけど……。で、でも、だからって……。だ、だいいち、盛ってないなんてウソよーーーっ!」

「まあまあ。細かいことは気にするな♪ ではでは……いただきます」

「も、もう! ばかーーーっ!」










「…………で、結局はこうなっちゃうのよね」

 つい先程まで荒い息を吐いていた綾香だが、どうにかこうにか呼吸が落ち着いたらしく、俺の方に視線を向けながら呆れた様につぶやいた。

「まったく、本当に底なしのエロエロマンなんだから」

「なんだよ。そんな言い方しなくてもいいだろ」

 綾香の物言いに俺は不服そうに反論する。

「事実でしょうが」

「あのなぁ、俺がエロエロだって言うんなら綾香だって似たようなもんじゃねーか。さっきだってあんなに悦んで……」

 ドゲシッ!

「ぐはっ!」

「デリカシーの無いことを言うんじゃないわよ!」

「は、はい」

 綾香の迫力に押され、俺は思わず反射的に返事をしてしまう。しかし、それとは裏腹に心の中では、

 いってーなぁ。本当の事を言われたからって殴らなくてもいいじゃねーかよ。

 なんて事を思っていた。

「…………どうやら、もう一発欲しいみたいねぇ」

 そんな俺の胸の内が読みとれたのか、綾香が拳に息を吐き掛けながら危険なセリフを口にしてきた。

「いえいえ、とんでもありません」

 両手を高く挙げて、降伏の意を示す。

「……ったく」

 ジトーッとした目で綾香が俺の事を睨み付けてくる。
 ――が、すぐに視線から剣呑の色を消すと、

「ま、浩之の言うことも一理あるかもしれないけど」

 そう言って、顔に苦笑を貼り付けた。

「なんだよ。自分がエロエロだってことを認めるのか?」

 からかう様な口調で綾香に訊く。

「エロエロとまで言うつもりはないわ。だけど、エッチするのは確かに嫌いじゃないしね。……でも……」

「でも? でも、なんだよ?」

「あたしが抱かれたい相手は……触って欲しい人は……浩之だけよ」

 ジッと俺の目を見つめながら綾香が真剣な口調で言う。

「痴漢なんかにはいくら触られたって気持ち悪いだけなのに、浩之に触られるとすぐに全身が熱くなって溶けそうになっちゃうの。ふふっ。不思議だよね」

 俺の手を取って、熱っぽく囁く。

「不思議なもんか。全然不思議じゃねーよ」

 俺はきっぱりと言い切った。

「痴漢なんてのは、所詮は自分の事しか考えてない最低野郎だろ。そんなのに触られたって気持ち悪いのは当然だぜ。だけど、俺は……」

「……そうね。浩之は自分の事はもちろんだけどあたしの事もそれ以上に考えてる。あたしに気持ちよくなってもらいたい、悦んでもらいたい、俺を感じてもらいたい、って。浩之はいつだって全力であたしのことを愛してくれる。だからこそ、あたしも浩之には安心して身体も心も全てをオープンに出来るし、浩之の手だけは素直に受け入れることが出来るのよね」

 俺の言葉を遮って綾香が言う。イタズラっぽい、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべながら。

「ま、そういうことだ」

 綾香の頭を軽く撫でながら応えた。

「うん♪」

 気持ちよさそうに目を細めて、今にものどを鳴らしそうな面持ちで綾香がうなずく。

「…………では」

「……ん?」

 唐突に声のトーンを下げた俺に、綾香が不思議そうな顔を向けてくる。

「俺のエッチには愛情がたっぷりこもっているということを理解していただけたところで……」 

「……え? ま、まさか……」

 綾香の顔が目に見えて引きつり始めた。

「さあ! もう1ラウンドだ!」

 それを見なかった事にして、俺は綾香にガバッと覆い被さった。

「こ、こらーーーっ! あたし、もうクタクタなんだってばーーーっ!」

「だいじょうぶだいじょうぶ。ちゃんと優しくするから」

「大丈夫じゃなーい!」

「気のせい気のせい」

「ちょっとーっ! あーんもう、やめなさいってばーーーーーーっ!」

「綾香が本当に嫌がってるのならやめるけどな。でも、俺にはそうは見えないんだよなぁ」

 口では嫌がりつつも俺のことを全く押しのけようとしない綾香に、ニヤリとした意地の悪い笑いを浮かべながら言う。

「……………………」

「……で? どうなんだ、実際のところは?」

「……………………そんなこと訊かないでよ……………………ばか」

 顔をプイと背けて拗ねたように綾香が答える。

「はいはい。まったく可愛いヤツだよな、お前は」

「…………ばかぁ」





 そうして……俺たちは再び身体を重ね合わせ……溺れていった。



 お互いのぬくもりを、全身から伝わってくる想いを心地よく感じながら。










< おわり >






 < おまけ >

 ―――次の日。

「あたし、今日もまた痴漢に遭っちゃった」

「おいおい、マジかよ。そんで? その痴漢野郎は?」

「ぼっこぼこにしちゃった。…………てへっ♪」

 さっぱりとした晴れやかな顔で宣う綾香嬢。

 こいつ、これでストレス解消してるんじゃあるまいな。
 痴漢界でこいつのことがブラックリストに載る日も遠くないかも。

 そんな事を思いながら、俺は自業自得の痴漢野郎の冥福を祈るのだった。

 ――合掌。










< おまけおわり >






 ☆ あとがき ☆

 この作品は、元々は友人の同人誌用でした。

 ですが……マンガを描く予定だった相棒が……「ごめん。俺の原稿、〆切までに間に合わんわ」などと笑顔でサラッと宣って下さいまして……(^^メ

 結果、その同人誌はお流れになってしまいましたとさ。めでたしめでたし(;;)

 そんな訳で、行き場のなくなってしまったこの作品なのですが、そのまま投棄するのもなんか勿体ないので、ここで公開させていただきました。

 内容的に『たさい』に組み込んでも問題なかったのですが、一応、相棒に義理立ててジャンク扱いにしました(^ ^;

 ところで……この作品は、当初は18禁になる予定でした。掴みの部分で痴漢ネタなんかを持ってくる辺りに『成年向けスメル』が感じられるかもしれません(;^_^A

 しっかし、私の書く18禁作品、か。自分で言うのも何ですが、友人の同人誌が潰れたのは結果的には良かったのかも。……いろんな意味で( ̄▽ ̄;





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