十二月。
 世の中は少しずつ一年の終わりを告げ始めていた。
 一年の終わりには、様々なイベントがある。
 安心してそれを迎えるために、どこもかしこも忙しさを増していた。
 もちろんここ鶴来屋でも、会長である柏木千鶴や、その秘書兼夫である耕一以
下、社員一同忙しく働いていた。



「はい、わかりました。その件に関しては、会長の判断に任せるということで。
はい、はい、では明日細かいことを。時間は……はい、はい。では、そういうこ
とで。……ふぅ、やっと終わった」
 耕一は取引先との電話を終えると、大きく息をついた。
「ごくろうさま、耕一さん」
 部下から受け取った報告のメールを読み終えた千鶴は、耕一に声をかけた。
「ありがとう、千鶴さん。はぁ、それにしても年末は大変だね、仕事」
「そうですね。ですがやっぱりこういう温泉旅館にとって、年末というのは稼ぎ
時ですから」
「ふむ、そう考えると忙しい方がいいのか、やっぱり」

 ぐううう。
 そのとき、奇妙な音が会長室に鳴り響いた。
「耕一さん」
「あ、あはははは」
 あきれたような千鶴の視線に、耕一は照れ笑いを浮かべた。
「やっぱり、一生懸命仕事をすると、ほら、お腹だって空くしね……あはは」
 耕一は腹をさすりながら時計を見た。
 時計の針は十二時を少し回ったところを指していた。
「ねえ、千鶴さん。そろそろお昼にしない? もうお昼休みだよ」
 目を輝かせて自分を見つめる耕一に、千鶴は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ふふ、そうですね。あ、耕一さん、午後の予定はどうなってますか?」
 千鶴に言われて耕一は手帳を取り出した。
「えっと、今日決まっているスケジュールとしては、二時からの重役会議ぐらい
かな。まあ、この会議が大変なんだけどね」
「そうですか。じゃあお昼休みは三十分だけですね。会議の準備もあるでしょう
から」
「了解。さ、とりあえずは、腹ごしらえ。お弁当、お弁当!」
 そう言うと同時に耕一は梓の作った愛妻弁当を食べ始めた。
 だが、千鶴はなかなか弁当に箸をつけようとせず、何か言いたそうに耕一をち
らちらと見ていた。
 その様子に気づいた耕一は、卵焼きを飲み込むと口を開いた。
「どうしたの、千鶴さん? まだ仕事はいっぱいあるんだから、食べておかない
と。それとも、あんまりお腹空いてないの? じゃあ俺が食べてあげるよ」
 耕一が千鶴の弁当に箸をのばそうとしたとき、千鶴はキッと耕一を見つめた。
「耕一さん!」
「はい?」
 耕一は思わず箸を止めた。
「あの、耕一さん。今月の二十四日のクリスマスイヴの日なんですけど。よろし
ければ、私とふたりだけで過ごしませんか?」
「え? どうしたの、突然。それにクリスマスイヴってみんないっしょじゃいけ
ないの? 毎年そうだったんだし」
「それは、そうですけど。でも、せっかくのイヴの日なのに――」

 ぷるるるるる――。
 千鶴がなおも話を続けようとしたとき、会長室の電話が鳴った。
 耕一は千鶴を手で制すると電話に出た。
「あ、ちょっと待ってね、千鶴さん。はい、会長室」
 電話に出た耕一の耳に聞こえたのは、彼のよく知っている女性の声だった。
『耕一か、あたしだ。あんた、今昼休みだろ? 時間あるよな』
「梓か。なんの用だ?」
「あ、あのさ耕一。よかったら今年のイヴの日はふたりっきりで――』
「ちょっと待て、梓。おまえもか?」
『え、じゃあ千鶴姉も?』

 ぷるるるるるる――。
 そのとき、別の電話が鳴った。
「あ。梓、ちょっと待ってくれ。はい、会長室で――」
 不思議そうな顔をして電話を取った耕一の耳に、梓とはまた別のよく知った女
性の声が聞こえた。
『あ、耕一お兄ちゃん?』
「ああ、初音ちゃんか。どうしたの?」
『あのねお兄ちゃん、今年のイヴにつれていって欲しいところがあるの、わたし
とふたりっきりで』
「え、ひょっとして、初音ちゃんもなの?」
『じゃあもしかして、お姉ちゃんたちもなの?』

 りりりり――ん。
 さらに、お約束のように会長室にある三台目の電話が鳴った。
「ま、またか。ここまでくればもうお約束だな……初音ちゃん、ちょっと待って
てね」
 耕一はうんざりした顔をして電話を取った。
「はい、耕一だけど……楓ちゃんだよね」
『そうですけど、よくわかりましたね』
「……まあね。ということは、楓ちゃんもイヴの日に俺とふたりっきりで過ごす
プランを考えたの?」
『はい。でも本当にすごいですね、耕一さん。予知能力があるんですか?』
「そうじゃないんだけどね……はは、ちょっと待ってね」
 耕一はため息をついて受話器を机に置くと、通話状態にした三つの受話器に向
かって叫んだ。
「みんな、このことはうちに帰ってからゆっくりと話すから、悪いけど、もう切
るよ!」




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『藤田家のたさい』外伝
柏木家の幸せ〜雪の中の聖夜〜
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 夜、柏木家では、イヴの予定についての話し合いが行われていた。
「それにしても、あなたたちも同じことを考えていたなんて」
「お姉ちゃんたち、耕一お兄ちゃんのお嫁さんになっても、やることあんまり変
わらないね」
「なに言ってんだ初音。あんただって似たようなもんだろ?」
「それはともかく、問題は、イヴの日をどうするか、ということです」
「そうそう。で、お姉ちゃんたちはどうするつもり?」
「誰も耕一さんを譲る気なんてないんでしょ?」
 千鶴の言葉に全員がうなずいた。
「じゃ、やることは一つね」
「そうだね」
 初音がそう言うと、耕一を除く全員が立ち上がった。
 全員がお互いをにらんで、右手をぐっと握りしめた。
「ん? ちょっとみんな、まさか、力ずく? や、やめてくれよ!」
 今まで状況を静観させられていた耕一があわてて叫んだが、全員、耕一を無視
して拳を振り上げた。
「じゃあいくぞ、恨みっこなしだからな! 勝ったやつが耕一とふたりっきりの
イヴをすごす! いいな!」
「だからやめてくれ!」
 耕一が勢いをつけて四人の間に割って入ろうとした。
 そして次の瞬間、

「ジャーン、ケーン、ポン!」

 ぐわっしゃ――ん!!
 耕一は頭から壁につっこんだ。

「……あの、大丈夫ですか? 耕一さん」
 壁から這い出して頭をおさえていた耕一に、楓が声をかけた。
「あ、痛ててて……か、楓ちゃん、これはいったい?」
「はあ、じゃんけんですけど。耕一さん、知らないんですか? えっとルールは、
グーとチョキと――」
「いや、そうじゃなくて、なんでじゃんけんをするのかって聞いてるんだけど」
「はあ、これなら簡単ですし、それに公平な勝負ができますから。それが何か?」
「じゃあ、別にケンカするわけじゃないんだね?」
 耕一は安心したような表情を浮かべた。
「もちろんです。そんなことをしたら耕一さんが悲しむことを、みんな知ってま
すから」
「そうなんだ。よかった」
 耕一は体をはたきながら立ち上がり、全員を見わたした。
「じゃあ、俺も参加させてくれよ。よく考えれば、俺が一番の当事者なんだ。俺
がイヴの日に何をするのか決める権利だって、あって当然」
 全員が顔を見合わせてうなずいた。
「仕方ありませんね」
「じゃあ、もう一度です!」
 全員、拳を振り上げた。

 ぴりぴりとした緊張が走り、家の中を静寂が包んだ。
 ごくり、と誰かがつばを飲み込む音がした。
 瞬間、耕一がかけ声をかけた。

「ジャーン、ケーン……」
 そして勝負は、
「ポン!」
 一瞬で決まった。

 チョキ、チョキ、チョキ、チョキ……グー。
「やった――!! 俺の勝ちだ!」
 勝負は耕一の勝ちだった。

「やった、やった、やった――!! 親父、お袋、俺はやったぜ!」
 耕一はよっぽどうれしかったのか、部屋中を踊り回り始めた。

 無理もない。
 この勝利こそ、耕一にとって初めて柏木四姉妹から勝ち得た勝利だったのだか
ら。
 この瞬間と感動を決して忘れることはないだろう。
 耕一はそう、心の中でつぶやいていた。

 耕一が感激のダンスを踊っている一方で、千鶴たちは残念そうな、それでいて
ほっとしたような複雑な表情をしていた。
「あらあら」
「ちぇ、耕一の勝ちか」
「耕一さんが勝ったのなら、仕方ないですね」
「ねえ、ねえ、耕一お兄ちゃんがイヴの日にやりたいことってなんなの?」
 初音の言葉に、全員が耕一を見た。
 その目には期待と不安がこれでもか、というほど入り交じっていた。
「俺がやりたいこと? それはね……」
 耕一はここで一拍おいた。
 全員がごくりとつばを飲み込んだ瞬間、耕一は明るい声を出した。
「もちろん、みんなといっしょに過ごす、クリスマスイヴさ!」
 その言葉に全員、困ったような、そしてとてもうれしそうな顔をした。



 それから一ヶ月、千鶴と耕一は会長とその秘書として猛烈な勢いで仕事をこな
した。
 その仕事量は桁違いで、社員たちは皆、千鶴と耕一の仕事ぶりに感心していた。
 が、当の本人たちの目的はただ一つ。
 「できる限り仕事を早く終わらせて、家族ですごす年末の時間をのばしたい」
 ただそれだけだった。

 結局、千鶴と耕一の必死のがんばりのかいもあって、二人の年末の仕事は順調
に片づいていった。

 さらに二十三日に行われた鶴来屋主催のクリスマスパーティも無事終わり、と
うとう十二月二十四日、耕一たちみんなが待ち望んだクリスマスイヴの日になっ
た。



 その日、耕一は午前十一時過ぎに目を覚ました。
 今までほとんど休みなく仕事をしていたので、疲れがたまっていたためだった。
 もちろん、この日は千鶴ともども休みを取ってある。

「おはよう、みんな」
 耕一は顔を洗うと居間に行った。
 そこでは柏木四姉妹全員が、パーティの飾り付けをしていた。
 真っ先に反応したのは、ツリーの飾り付けをしていた初音だった。
「あ、お寝坊お兄ちゃんが起きた!」
 初音らしからぬ辛辣な言葉に、耕一は顔を引きつらせた。
「お、おはよう初音ちゃん。そりゃ確かに、俺今まで寝てたけど、はは、結構キ
ツイね」
「いいの!」
 初音はぷいと横を向いた。
「まあまあ、初音もいいかげん機嫌なおして。耕一さんも仕事で疲れてたんだし」
 初音と一緒にツリーの飾り付けをしていた楓が初音をなだめたが、初音の機嫌
は直らなかった。
 ちなみに千鶴は荷物の運び出しとセッティング、梓はツリー以外の飾り付けを
していた。
「お姉ちゃんはいいよね、お兄ちゃんといっしょにお買い物行けるから! わた
しだって行きたかったのに……」
「ん? どういうこと、楓ちゃん?」
 耕一は楓のそばに行って彼女にたずねた。
「ですから、今日のパーティの用意の買い出し役は、私と耕一さんなんです」
「あ、そうなんだ。じゃあ、お昼食べたらいっしょに行こうか、楓ちゃん」
「はい!」
「いいな……」
 耕一たちの会話を聞いていた初音が、恨めしそうに楓を見ていた。
 梓と千鶴もじっと耕一たちの方を見ていた。
 その様子から、耕一が眠っている間に例のじゃんけんがあったことは容易に想
像できた。
 彼女たちを見てため息をついた耕一は、三人に向かって言った。
「ねえみんな、確かに今日は楓ちゃんと買い物に行くけど、また別の機会にはみ
んなとも行くから、それじゃだめかな。ね、だから機嫌なおしてよ」
「本当?」
 初音が疑わしそうな目つきをした。
「ああ、本当さ。初音ちゃん、俺がみんなにこんなうそついたことがあった?」
「……ううん、ないよ」
「じゃあ、信じてよ。ね、千鶴さんも梓も」
「わかりました」
「ああ、わかったよ」
 千鶴と梓はやれやれ、といった顔をして了承した。
「初音ちゃんもいい?」
「……うん!」
 ようやく、初音の顔に笑顔が戻った。



 昼食後、耕一と楓は商店街に買い物に出かけていた。
 保存のきくものはともかく、新鮮さが命の食材は今日買う必要があったためだ。
「ふぅ、結構いっぱいあったね」
「そうですね」
 必要な買い物を済ませた耕一は、両手いっぱいの荷物を持ち直して目を輝かせ
た。
「でも、これは今日の夕食が楽しみだな、へへ」
「ふふ、耕一さんたら、子供みたい」
「そうかな?」
「そうです」
 にっこりと微笑み合った二人は並んで歩き出した。

 商店街を出たころ、楓が恥ずかしそうに耕一を見た。
「あの、耕一さん」
「何?」
「腕、組んでいいですか? 荷物、半分持ちますから」
 実は今日の荷物は全て耕一が持っていた。
 耕一ががんとして楓に持たせなかったためだ。
 だが楓の気持ちを察した耕一は、優しく微笑んだ。
「いいよ。じゃあ楓ちゃん、これ、持ってくれる?」
 耕一は持っている荷物の中でもなるべく軽い物を選んで、楓に手渡した。
「はい!」
 耕一から荷物を受け取ると、楓は耕一の空いた方の腕に自分の腕をからませた。
「ねえ、動きにくくない?」
「大丈夫です。耕一さんといっしょだから……それに、こうしてると――」
「デートみたい、だね」
「え……」
「いやかな? 俺は本当のデートみたいでうれしいけどな」
「耕一さん……」
「楓ちゃんの意見は?」
 楓はそれには答えず、組んだ腕に力を入れた。
 耕一は楓を優しい瞳で見つめた。
「聞くだけ野暮、か。じゃあ楓ちゃん、ちょっとゆっくり帰ろうか」
 楓は頬を紅く染めて、こくりとうなずいた。
 こうして家に帰り着くまでの数十分、二人は小さなデートを楽しむことになっ
た。



 家の前に来ると、耕一はぴたりと立ち止まった。
「ねえ、楓ちゃん。俺、ちょっと用事があるから、先に帰っててくれる?」
「それはいいですけど。どうしたん――」
 耕一は楓の唇に人差し指を当てると、彼女をじっと見つめ、にかっと笑った。
「な、い、しょ。じゃあ頼んだよ!」
 突然のことに顔を赤くした楓に荷物を渡して、耕一はどこかに走っていった。



  耕一が家を空けてから数時間後。
「まったく耕一のやつ、どこで何してるんだ。もう七時だぞ!」
 すっかりパーティの用意が整った柏木家の居間で、梓がかんしゃくを起こして
いた。
 その梓を横目で見ながら、千鶴がつぶやいた。
「ほんと、せっかく梓たちが腕によりをかけてごちそうを作ってくれたのに。こ
のままじゃ冷めちゃうわ。楓、耕一さんがどこに行ったか、本当に知らないの?」
「はい、ないしょだって言って教えてくれませんでした」
「そう、困ったわね。耕一さん、仕事じゃないから携帯も持ってないし」
「私のテレパシーもなぜか届きません。だいたい、半径100キロくらいなら届
くんですけど」

 ずずーん。
 全員が考え込んでいると、突然大きな地響きがなった。
「わわ、なんだ、何が起こったんだ。地震か?」
「いえ、違うようだけど」
「ねえ、あれ何!」
 窓の外を眺めて耕一を待っていた初音が、大声を出した。



「な、何だよあれ?」
 真っ先に家から出た梓が驚いたような声を出した。
 家の前には直径30メートルはあろうかという、巨大な布の塊があった。
「いやー、遅くなってごめんごめん。ちょっとこいつの用意に手間取ってね」
「耕一さん!」
 塊のそばに耕一が笑いながら立っていた。
 よく見ると、体のあちこちには雪や霜がついていた。
「どうしたんですか、耕一さん。あれから何をしてたんですか?」
 そばに寄ってきた楓に対して、耕一は指を自分の唇に当てウインクをした。
「もうすぐわかるよ。お――い、みんな、ちょっとこっちに来て!」
 千鶴たちが耕一の言葉に応じて塊のそばにやってきた。
「耕一お兄ちゃん。これ、いったい何?」
「これ? 初音ちゃん、ちょっと触ってみて」
  耕一は布をずらして、その布に包まれた白い物体を指さした。
 初音はこくんとうなずくと、その物体におそるおそる触ってみた。
「冷たい! もしかして、氷?」
「当たり! この袋の中には、俺が北極から取ってきた氷河の一部が入っている」
「北極! 氷河!」
 耕一のせりふに全員唖然とした。
「耕一、あんたいったい何考えてるんだよ。それに、そんなこと以前にどうやっ
てこんな物持ってきたんだ?」
「抱えて飛んできたに決まってるじゃないか。いやー、ほんとくたびれた」
 ちょっとした荷物を運んだように肩をぽんぽんと叩く耕一を、梓はあきれた顔
をしてにらんでいた。
「あんた、そんなバカなことして、明日のニュースどうなるか考えなかったのか?
 『未確認飛行物体、北極から出現!』とかニュースであったらどうするつもり
だよ」
「大丈夫だって、あんなスピード、とらえられるやつなんていないって」
 耕一は明るく手を振った。
「NASA(アメリカ航空宇宙局)やペンタゴン(アメリカ合衆国国防総省)が
出てきたらどうするんだよ」
 耕一は夜空を見上げ、遠い目をした。
「ふ、俺を甘く見るなよ梓。そんなこと、考えてたわけないだろう」
「え」
「どうしよう、梓……」
「……あんたってやつは」
 耕一はばつが悪そうに下を向いた。
「ごめん……」
「…………」
 しばらく静寂があたりを包んだ。
 その静寂を破るように、千鶴が耕一に話しかけた。
「で、耕一さん、そんなことよりも、これをどうなさるつもりですか?」
「ああ、そうそう。こんなことしてるひまなかったんだ。千鶴さん、梓、ちょっ
と手伝って。今から、雪を降らせる」
「ゆき?」
 再び出た意表をつく耕一の発言に、千鶴たちは心底驚いた。
「ゆきって、あの空から降る雪のことですか?」
「もちろん!」
「でも、どうやって降らせるんですか?」
「あの耕一さん。もしかして、この氷を核にして?」
 じっと氷を見ていた楓が、ぽつりと声を出した。
「さっすが楓ちゃん!」
 耕一はニヤリと笑った。
「核? 耕一さん、それって、どういうことですか?」
 笑みを浮かべたまま、耕一は不思議そうな顔をする千鶴を見た。
「ああ、簡単に言うとね、この氷を上空で粉々に粉砕して、雪の核にするんだ。
小さな氷は核となって、空気中の水蒸気がその周りに集まる。集まった水蒸気は
上空の気温に冷やされ、氷として核の氷にくっつく。核の氷はそれを繰り返して
だんだん大きくなって、大きな雪の結晶になる。それが落ちてきて、雪そのもの
になる。この気温なら、おそらく『ひょう』のように大きく結晶化したまま落ち
てくることはないだろうし、もしうまくいかなくても、粉々の氷が雪みたいに見
えるはずだ」
「へー、そうなんですか……」
 千鶴は感心したようにうなずいた。
「お兄ちゃん、なんかすごいね、学校の先生みたい。それで、この袋は何?」
「ああ、これはね、保温のための布さ。せっかく氷河を持ってきても、上空まで
持っていく間に溶けたらいやだからね。倉にあったエルクゥの遺物を借りたんだ」
「そんなことのために、あんたは……はぁ。で、あたしたちは何を手伝うんだ?」
 あきれて反論する気もなくなった梓が、耕一にたずねた。
「梓と千鶴さんには、この氷を上空に放り投げてほしいんだ、それも思いっきり」
「で、あんたは?」
「俺はその後を追って上空で氷をバラバラにする」
「だめです、耕一さん!」
 突然千鶴が大声を出した。
「だめって、どういうこと?」
「いくらなんでも、雲があるほどの上空に行くなんて、危険です。一歩間違えば、
耕一さんの体にどんなことが起きるか!」
「そ、そうか! やめろ耕一、そんな危ないことする必要なんてないよ!」
 梓も大声を出して千鶴に同調した。
「大丈夫だよ、平気だって。スカイダイビングというものだってあるんだし。そ
れに着陸の時だって、普通に飛んでくればいいだけなんだから。なーに、最強の
鬼の力は伊達じゃないって」
「そう言われれば、そうですけど……」
 からからと笑う耕一に、千鶴は少し納得したようだったが、梓はまったく納得
していなかった。
「いやだ、いやだ、いやだ! ……いやだ、耕一が危ないことするなんて。そん
なことしてもし万が一のことがあったら、どうするんだよ。なんであんた、たか
が雪にそんなにこだわるんだよ。そんなこと、どうでもいいじゃないか。耕一が
危ないことするなんて、そんなのあたしはいやだよ」
 下を向いて肩をふるわせて抵抗する梓の肩に、耕一は手を置き、にこっと笑っ
た。
「梓、悪いがやめることはできない。お前はさっき『たかが雪』って言ったけど、
俺にとってはそうじゃないからな。だってこれって、俺の夢だから」
「ゆめ?」
 梓は瞳を潤ませたまま顔を上げた。
「そう、夢。一度でいいから、大切な人とホワイトクリスマスを過ごすっていう
のが。もちろん普通の人間なら、そんなもの自然任せだ。でも俺には、自分でホ
ワイトクリスマスを作る力がある。だから自然任せじゃなくて俺は自分の力で実
現したいんだ、俺の夢を。なあに心配するな、梓。お前、俺を誰だと思ってるん
だ? 俺はお前の夫……柏木、耕一だ!」
「耕一……」
 耕一は梓の頭をくしゃっとなでると、千鶴たちを見た。
「みんなも心配しないで。みんなを置いて俺が死ぬわけないんだから。大丈夫!
 梓も、いいか?」
 しばらく目をごしごしこすっていた梓も、ようやく微笑みながらうなずいた。
「わかったよ、あんたがそこまで言うんならもう止めない。そのかわり、絶対無
事に帰って来るんだぞ! もし死んだら、一生未亡人やってあんたを恨んでやる
からな!」
「私もです!」
「右に同じです!」
「以下同文だよ!」
 耕一はどんと胸を叩いた。
「まかしといて! じゃあ、千鶴さん、梓、お願い!」

 千鶴と梓は耕一が飛び上がる準備ができたのを確認すると、自分たちの力を解
放した。
「いくわよ、梓!」
「まかせろ!」
「どぅおおりゃああ――!」

  ごうううう――。
 二人の渾身の力で投げられた氷は、上空に上がって、どんどん小さくなってい
った。
「サンキュー二人とも。行くぞ! はぁぁああ――!!」
 どひゅん!
 耕一も氷を追いかけるように飛び上がった。



 数分後、四人が心配する中、上空から小さな爆発音が響いた。
「耕一お兄ちゃん、うまくいったのかな?」
 全員が耕一の無事な帰還を願った。
 そして数分後――。

 すたっ。
 初音のそばに耕一が降り立った。
「ただいま!」
「やった――!!」
 四人が耕一に抱きついた。
「うわわ!」
 抱きつかれた耕一はバランスを崩して、地面に倒れた。
 耕一は地面に倒れたまま四人をぎゅっと抱きしめた。
「ただいま、みんな。ね、ちゃんと帰ってきただろ?」
「…………」
 千鶴たちは何も答えず、しばらくの間、耕一に抱きついていた。
「さて」
 やがて耕一はゆっくりと立ち上がって空を見上げた。
「うまくいってれば、もう少したてば降ってくると思うよ、雪」
「楽しみだね」
 五人は黙って夜空を見上げていた。



 はらり、はらり。
 しばらくすると、空から何かが降ってきた。
 降ってきたその白い物は初音たちの体に当たると、すっと小さな水滴になった。
 さらにその白い物は、次から次に降ってきた。
 その様子に初音は目を輝かせた。
「あ、ゆき……雪だよ! やったー、成功だよお兄ちゃん!」
「きれい……」
「一時はどうなるかと思ったけど」
「素敵なクリスマスだよ、耕一!」
「そう? へへ、そんなに喜んでもらえるとうれしいな!」

 五人は家の縁側に行き並んで座り、雪が降ってくるのを目を輝かせながら見て
いた。
「お兄ちゃん、最高のプレゼントだよ、ありがとう!」
 初音にほめられて、耕一は照れ笑いを浮かべた。
「はは、品物のプレゼントも用意してあるんだけどね。やっぱり、この方が『恋
人たちの聖夜』って感じがするだろ?」
「こいびと?」
「そ、恋人。だって結婚してたって、俺達は好きあってるんだ。だったら、恋人
に違いないだろ?」
「そっか! こいびと、か……ふふふ。なんか照れちゃうけど、うれしいな」

 二人の会話を優しい瞳で見つめていた千鶴が、耕一に話しかけた。
「あの、耕一さん。来年のクリスマスなんですけど」
「あ、今年は俺の希望を聞いてもらったからね、来年はみんなの希望を聞くよ」
 だが千鶴は首を横に振った。
「違うんです。今日のイヴがとっても素敵だったものですから。よかったら来年
も、そのまた来年もこんなクリスマスがしたいなって思ったんです」
「え? 本当にいいの?」
 千鶴はこくりとうなずいた。
 梓も楓も首を縦に振っていた。
「世界中であたしたちだけだろうからな、ホワイトクリスマスを自分の手で作っ
てくれる夫がいる妻、なんてさ」
「そうですよ、デートはいつでもできます。クリスマスじゃなくったって」
「ありがとう。わかった、俺、来年もそのまた来年も、ずっとずっとがんばるよ!」
 耕一はぐっと拳を握り、ガッツポーズを取った。



  それからさらに二時間がたった。
 だが、それでも千鶴たちが雪を眺めていたため、さすがに耕一は彼女たちの体
が心配になってきた。
「ねえ、みんなそろそろ家に入らない? 風邪引いちゃうよ」
 耕一の提案に、初音が強い異議を唱えた。
「ええ――、せっかくお兄ちゃんが降らせてくれた雪なのに……もっと見てる!」
「でもね、初音ちゃん――」
 だが、耕一はなおも家に入ることを主張した。
 しばらく耕一の言葉を不満そうに聞いていた初音だったが、急に何かを思い立っ
たように、
「ちょっと待ってて!」
 と言って家の中に入ると、大きな布団を持って出てきた。
「初音ちゃん、それどうするの?」
 耕一の質問に初音はにっこりと笑って、
「こうすれば寒くないもん!」
 と言いながら耕一に抱きついて、自分と耕一を布団でくるんだ。
「お兄ちゃん、あったかあい……」
「ああ――! 初音だけずるい!」
 初音の行動を見た千鶴たちも、布団に潜り込んだ。
 千鶴たちの行動に、耕一は苦笑するしかなかった。
「みんな……でも、こうすれば本当に暖かいね」
 結局五人は布団にくるまり首だけを出して、雪を見続けることにした。
 五人が家に入ったのは、雪がやんでからだった。



「ほらー、耕一しゃん、どんどん飲んでくだあ、しゃい!」
「いやー、かえでひゃん。もうほれいひょうは、飲めはいよー」
「なんですって! 耕一しゃんはわたしのしゃけが飲めないというんれすか! 
もうわたしのことは、愛ひてないんれすね! およよよよよよよ」
「こうら、耕一! 楓を泣はふなあ!」
「むうう……おうひ、わはっは! そほまで言ふならいふらでも飲んでやううぅ!
 かえでひゃん、あずさ、どんどん酒をもっへひへふれ。俺の愛の力を見へへや
るぞお!」
「ようひ、よふ言っは耕一! さあ楓、いふぞう!」
「はい!」

「……まったく、あの酒乱三人組は……ワインはもっと静かに飲まなきゃ」
 数時間後、楓と梓に左右からワインの瓶を口に突っ込まれ一気飲みをしている
耕一にあきれながら、初音は窓の外を眺めていた。
 窓の外では、やんでいたはずの雪がまた降り出していた。
「あれ、お兄ちゃんの雪、また降ってきた……」
 不思議そうな顔をする初音に、後ろから一人の女性が声をかけた。
「初音、これは本当の雪よ」
「千鶴お姉ちゃん。じゃあこれは……」
  振り向いた初音の目の前には、ワイングラスを持った笑顔の千鶴がいた。
「ホワイトクリスマスよ。Merry Christmas、初音」
 そう言ってウインクをし、ワイングラスを近づけた千鶴に、初音も自分のワイ
ングラスを軽くぶつけ、とびっきりの笑顔で応えた。
「Merry Christmas!」




<完> 


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 読んでくださった方、ありがとうございます。つばさです。
 いかがでしたか? 柏木家のクリスマス。まあ、お約束ってやつです。
(なぜ耕一が空を飛べるかわからない方、申し訳ないですが、前作を読んでくだ
さい)

 「痕」本編に「みんな仲良し」エンディングがないことに対するアンチテーゼ
から生まれたこの作品も、いつの間にやら第三話(梓シナリオがアレということ
に対するアンチテーゼもあったりする(笑))一体いつまで続くのか。いや、そ
れ以前に、次回はあるのか?(ネタはあるんですけど、書くのがものすごく遅い
ので)
 よろしければ、ご意見、ご感想、苦情をHiroさんのページの掲示板か、
こちらへくださると幸いです。
 
 それはともかく、もう私としては、この作品でついに念願が叶ったことがうれ
しい限りです。その念願とは、「Hシーン関連単語、描写をいっさい使わない!」
いやー、うれしいなあ。え、あんな程度(前二作参照)のどこがHなのか、です
って? いや、あれが私には限界ですし、あれでも十分恥ずかしいし。
(あーあ。本編まともに書いたと思ったら、あとがきでオチが)

 あなたは、どんなクリスマスをすごしますか? 
 素敵なクリスマスだといいですね。
 私は、おそらく勉強でしょうが……(受験生……)

 それでは、別の作品で。


(改訂版あとがき)
 昔書いた作品って、書き直したくなるときありませんか? 今回、どうしても
書き直す必要が出てしまい、Hiroさんにご迷惑をおかけすることになってし
まいました。ごめんなさいです。
 で、その理由とは……さあ、なんでしょうか?(笑)




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