『藤田家のたさい』外伝

柏木家の幸せ〜やさしさのつくる痕〜


 



 耕一が父親の死を境に隆山を訪れてから、二年が経った。
 その間様々なことがあった。
 耕一は大学を卒業して鶴来屋へ一般従業員として就職した。将来、鶴来屋を
継ぐため副社長の足立の元で経営学も学び始めた。
 千鶴は耕一が正式に鶴来屋の会長を継ぐまで、暫定的に会長職に就いていた。
 梓と楓は高校を卒業後、それぞれ大学へ進学した。大学は違ったが、どちら
も家から通える範囲だった。
 初音は高校三年生となり、大学受験の準備に忙しかった。
 本当に様々なことがあったが確かなことは耕一が幸せだったことだ。彼は大
好きな従姉妹の四姉妹と一緒に暮らせて本当に幸せを感じていた。そして四姉
妹も大好きな耕一と一緒に暮らせる幸せをかみしめていた。
 だが、世の中には限度という言葉がある。ここでも、この「好き」という言
葉が問題だった。

 

 その日の夕食時も、「好き」という言葉が問題になっていた。 
「耕一さん、あとでお話があります。夕食後、私の部屋に来ていただけますか」
 千鶴が耕一に言った。
 耕一が周りを見ると、梓も楓も初音もうなずいていた。
 ――またか。
  耕一の予想が正しければ、また例のことを言われるに違いなかった。耕一は
彼女たちと一緒に暮らすのは好きだったが、このことだけは辛かった。
 だが彼に拒否権はなく、夕食後耕一はいやいやながらも千鶴の部屋へ行った。

 耕一が千鶴の部屋に行くと、すでに千鶴たち四人が耕一を待っていた。
「待ってましたよ、耕一さん」
 千鶴がにっこり笑って言った。だが、千鶴がにっこり笑うときほど耕一にと
ってよくないことが起きることを、耕一は十分すぎるほどわかっていた。
「千鶴さん、話って何かな」
 耕一は逃げ出したい気持ちを抑えて、努めて冷静に話しだした。
「では、単刀直入に言いましょう」
 千鶴の目が光った。
「耕一さん。いい加減にはっきりさせていただきましょうか。私たちのうち、
誰が好きなのか、誰と結婚するのか」
 耕一の思ったとおりの展開だった。だから耕一の答えも決まっていた。
「千鶴さん、何度も言ってるように俺はみんなのことが同じくらい好きなんだ。
誰か一人を選んで他の三人が悲しむのを見るくらいなら、いっそのこと……」
 優柔不断で最も情けない答えだということは、耕一にもわかっていた。しか
し耕一はこう答えざるをえなかった。
 なぜなら幼い頃、父親に捨てられたと思いこんだときから耕一の心には本当
の意味での安らぎはなく、その安らぎを与えてくれたのは千鶴たち四人であり、
耕一にとってはそんな彼女たちに好きの優劣を付けるなんて事が、根本的に無
理だったためだ。
 だが、彼女たちの勢いは止まらなかった。
「いつまでそうやって逃げ回っているつもりですか。耕一さんが優しいのはわ
かっています。でも、それとこれとは話が別です。私、もう二十五なんですよ。
こうなってはもう他の御縁なんてあろうはずがありません。耕一さん、責任を
とって私と結婚してください」
 これは嘘であった。今時二十五で結婚していない女性などいくらでもいる。
それに耕一には内緒だが、千鶴には今でも月に四,五件の縁談の話はあるのだ。
 千鶴が耕一に迫ろうとしたとき、横で黙っていた梓が割って入った。
「何言ってんだよ、千鶴姉。この間も縁談の話があったじゃないか。それより
も耕一。小さいときから、あんたと一番仲がよかったのはあたしだよな。だっ
たらこれからもずっといっしょに仲良くしていようよ。それに千鶴姉なんかと
いっしょになった日には一日で食中毒で死んじまうよ。な、耕一」
 そう言って耕一に抱きつこうとした梓の後ろから、楓が冷たい目で見つめな
がら言った。
「耕一さん。五百年間私は待ち続けました。あのときの誓いを今こそこの時代
で果たしましょう、耕一さん」 
 そう言って耕一の手を握った楓に、梓がくってかかった。
「何言ってんだよ楓。今更そんな大昔の事言われたら、耕一も迷惑だろうが」
 だが楓は梓を無視して言った。
「確かに私はエデェフィルの生まれ変わり。しかし、それ以上に柏木楓として
耕一さんのことを愛しているんです。さあ、耕一さん今こそ私と……」
  その時初音が大声を出した。
「みんなだめー!! 耕一お兄ちゃんはずっとずっとずーっと私のお兄ちゃん
なんだもん。私と結婚してずっとずっと私といっしょにいるんだもん、ねえー
お兄ちゃん。お兄ちゃんだって私が十八歳になって、結婚していい歳になるの
を待っててくれてるんでしょう。だから今までお姉ちゃんたちに何言われたっ
て結婚しなかったんだよね、お兄ちゃん」
 耕一は何も言うことができなかった。今までの経験上、下手なことを言えば、
どんな目にあわせられるかわからないからだ。
 しばらく黙っておけば何とかなるだろう、と思った耕一は黙っていたのだが、
今日は運が悪かった。口論を続けていた四人が突然耕一の方を向いたのだ。
「さあ、誰を選ぶのか決めてもらいましょうか!!」
 四人は声を合わせて耕一に答えを要求した。
 ――もう逃げられない!
 そう悟った耕一は最後の手段を使うことにした。
 ぼうん!
 こんな事もあろうかと密かに隠し持っていた、忍者の使う煙玉を床に投げつ
けたのだ。
「きゃっ」
 四人があわてているうちに耕一は千鶴の部屋から逃げ出した。

「ふう、危なかった。でも、今日はこれで逃げ出せたけど、これからどうしよ
う……」
 誰に聞かせるでもないつぶやきを言うと、耕一は庭先の倉の中へ隠れた。こ
こが、何かあったときの耕一の野宿場所だった。耕一はこのことが誰にもばれ
ていないと思っているが、週に一回梓がきちんと掃除してくれているのに彼は
気づいていなかった。

 耕一が逃げたあと、居間で千鶴たちは話し合っていた。
「ほんとに耕一さんたら優柔不断なんだから。でも、ほんと何とかしないと」
 千鶴の言葉にうなずきながら梓が答えた。 
「そうだな。でもこのままだったら耕一、誰とも結婚しないぜ」
「じゃあ、姉さんたちが耕一さんをあきらめればいいんです。そうなれば耕一
さんが私との結婚を断る理由がなくなります」
 楓の提案に初音が賛成した。
「じゃあ、私以外はみんな結婚できる歳なんだから、がんばってね。耕一お兄
ちゃんは私に任せて!」
「ちょっと待て、楓、初音。何でそういう展開になるんだ!」
 梓が言い返そうとしたとき、楓がテレビでやっているニュースに気づいた。
「みんな、このニュース見て!」

「――というように少子化対策のため、重婚制が参議院において賛成多数で可
決。これによって日本での重婚が可能となりました――」
「…………」
 しばらくの間居間に沈黙が流れた。
「梓ちゃん」
「楓」
「初音」
「千鶴お姉ちゃん」
 全員が顔を見合わせてうなずいた。
「これしかないようね」
「ああ」
「仕方ありません」
「耕一お兄ちゃんが優柔不断だからね」
 千鶴がせきばらいをした。
「こほん、では全員の賛同を得たところで……行動開始よ!」
「オー!!」
 
 意見が一致した後の彼女たちの行動は素早かった。
「梓、耕一さんを連れてきて!」
「まかしといて!」
 言うが早いか梓は耕一を連れに倉へ向かった。
「楓、初音、居間を模様替え! 議会モードにチェンジよ!」
「わかったわ」
「了解!……で、お姉ちゃんは?」 
 初音の質問に千鶴はニヤリと笑って答えた。
「私は、着替えてきます!」

 十分後、耕一はすっかり様子が変わった柏木家の居間に連れられて、いすに
座らされていた。
「どうして俺の居場所がわかったんだろう?」 
 耕一は未だに自分の行動が柏木四姉妹には筒抜けだ、ということに気づいて
いなかった。
「それにしても、この部屋の様子は……?」
 居間の様子はまったく今までと異なっていた。テレビの横に一段高い机が置
かれ、その机をアーチ上に囲むようにいすが四つ並べられていた。
「それになぜ俺はこんな格好をしているんだろうか?」
 耕一は自分の格好を改めて見た。
 逃げられないように全身を縄で縛り上げられ、首輪をつけられ、ご丁寧にも
その首輪からのびる綱を梓に握られていた。
「梓、せめて首輪だけでも取ってくれないか?」
 耕一は隣に座っている梓に頼んだが、梓は取り合わなかった。
「黙ってろ。もう逃げられないんだからな、覚悟しろよ、耕一」
 次に耕一は梓の隣に座っている楓と初音に頼んだ。
「ねえ、楓ちゃん、初音ちゃん、頼むよ」
 しかし、二人ともニヤリと笑うだけで耕一の頼みを聞こうとはしなかった。
「耕一さん、年貢の収め時って言葉、知ってますか?」
「お兄ちゃん、幸せにしてね」
「いったい何がどうなってるんだ?」
 耕一が考えだしたとき、廊下から正装に着替えた千鶴がしずしずと現れた。
 そして一段高い机に着くと、高い凛とした声を出した。
「ではこれより、第一回、柏木家最高議会を開会します」

 ――何がどうなってるんだ?
 耕一の疑問をよそに千鶴は話し始めた。
「今議会の議題は、耕一さんと私たちの将来についてです」
 今まで状況に流されるままだった耕一だが、さすがに議題を聞いたとたんあ
せりだした。
「ちょっと待ってください、千鶴さん。これは一体どういう事なんですか」
 しかし千鶴は耕一を無視した。
「耕一さん、先ほどおっしゃったこと、間違いありませんね」
「え? なんのことですか」
「ですから、私たち四人を同じだけ愛しているということです」
 優柔不断な耕一だが、これだけははっきり「はい」と言えるためそう答えた。
「ええ、それだけは断言できます。俺はみんなを心の底から愛しています」
 耕一は全身ぐるぐる巻の情けない格好だが、しっかりとうなずいた。
「ですが、それが何か?」
「それでは本題に入りましょう。楓、例のものを」
 千鶴が合図をすると、楓がビデオのスイッチを入れた。
「こ、これは……」
 そこにはさっき千鶴たちが見たニュースが流れていた。
 耕一は食い入るようにそのニュースを見たあと千鶴を見た。
「ち、千鶴さん、まさか……」
 千鶴は黙ってうなずいた。
 耕一は周りを見回した。
「梓、楓ちゃん、初音ちゃん、みんなも……」
 全員同じようにうなずいた。
「じゃ、やっぱり……」
 耕一はうなだれた。
「さ、耕一さん。私たちの意見は一致しています。後はあなただけなんです。
いいですか。では、これより採決を取ります。柏木耕一が柏木千鶴、柏木梓、
柏木楓、柏木初音の四人と結婚することに賛成かどうか。賛成する方は起立し
てください」
 耕一以外の四人は千鶴も含めて全員起立した。しかし、耕一だけは立たなか
った。ずっと考え込んでいた。
「おい、耕一。ここまで来てまさか逃げるつもりじゃないだろうな」
 梓が握っていた綱をさらに強く握った。
「耕一さん、どうしたんですか」
「そうだよ、お兄ちゃん」
 楓と初音が耕一を心配そうに見た。
 しばらくうつむいて考え込んでいた耕一だったが、すっと何かを吹っ切った
ように全員を見上げた。
「俺、優柔不断でどうしようもないかもしれないけど、みんなのことを好きっ
て気持ちは誰にも負けない。そんな俺でもいいといってくれるのなら……」
 耕一は立ち上がった。
「千鶴さん、梓、楓ちゃん、初音ちゃん。俺と結婚してください」 
 耕一が言った瞬間、全員が耕一に抱きついた。
「耕一さん!」
「耕一!」
「耕一さん」
「お兄ちゃん!」
 耕一は四人を見回して微笑んだ。
「俺、みんなを絶対幸せにしてみせるから」



 半年後。
 初音は梓と同じ大学に合格した。また、重婚を認める法律が施行され、初音
も十八歳となり、法的には何も問題がなくなった。そんなある日、彼らの結婚
式が隆山のある教会で行われた。
 ビシッとスーツを着た耕一は新婦控室の前でイライラしながら立っていた。
  がちゃっ。
 控室の扉が開き、そこにはウエディングドレスを着た柏木四姉妹が立ってい
た。
 彼女たちの姿を見た耕一は思わず我を忘れ、「絵にも描けない美しさ」とい
う美しさが真実であることを感じていた。
「どうかな、こ、耕一……」
 梓が恥ずかしそうに聞いた。他の三人も期待を込めた視線を耕一に送ってい
た。
「ああ、すごくきれいだ。俺にはもったいないくらいの美人ばっかりだ」
「ありがと、耕一」
 梓がうれしそうに言った。千鶴たちも顔を真っ赤にしてうつむいた。
  耕一は本当にうれしかった。千鶴たちの話を最初に聞いたときは正直どうな
るかと思ったが、自分の選択に誤りがなかったことを実感した。
「さ、式が始まる。行こう、みんな」

 そして式はつつがなく行われた。
「汝、柏木耕一はこの女性たち、柏木千鶴、柏木梓、柏木楓、柏木初音を妻と
することを誓いますか」 
「誓います」
「汝たち、柏木千鶴、柏木梓、柏木楓、柏木初音はこの男性、柏木耕一を夫と
することを誓いますか」
「誓います」
 四人の声が重なった。
「では、指輪の交換を」
 耕一は鶴来屋で働いた給料をきっちり一年分使って作った――つまり、ちょ
うど一人あたり給料の三ヶ月分となる――、四姉妹全員分の指輪を彼女たちに
はめた。
「では、誓いの口づけを」
 耕一は梓、楓、千鶴、初音の順にキスをした。この順序は実は前日に行われ
た、一時間にも及ぶじゃんけんバトルによって決められたものだった。

 教会を出た彼らを待っていたのは、すさまじいばかりの祝福の嵐と、千鶴た
ちの投げたブーケを巡って行われたすさまじい争いだった。
 その際、千鶴たち三人は普通にブーケを投げたのだが、梓は目の前にいたあ
る女性にブーケを投げ渡した。その女性は日吉かおり、かつて梓を慕っていた
女性だった。
 梓から受け取ったブーケを見つめてかおりが泣きながら言った。
「先輩……」
「あんたにも色々世話になったな。でも、あたしはあんたの気持ちには応えら
れない、ごめん。あんたもあたしなんかじゃなくって、早く本当に好きな人を
見つけてくれよ」
「……先輩、お幸せに」
 かおりは梓に頭を下げると、そのまま走り去っていった。
 走り去るかおりを見つめる梓に耕一が声をかけた。
「梓……」
「……いいんだよ、これで。あいつは強いやつさ。ちゃんとわかってくれてる
よ。さ、行こ行こ!」 
 彼らは5人全員が乗れる大きめの車に乗って式場を後にした。

 その後彼らは新婚旅行に旅立ったが、その際体力が尽きるほど遊び倒したた
め、彼らが新婚旅行につきもののアレをやることはなかった。
 しかし彼らは千鶴のせりふでも明らかなように、さほどそのことを気にして
いなかった。
「まあいいでしょう。時間はこれからもいっぱいあるし。ね、耕一さん」



 結婚式から二ヶ月が経った。
 しかし、夫婦になったといっても彼らの関係はほとんど変わらなかった。結
婚前から同居していたし、名字も「柏木」のままだったからだ。変わった、と
いえば耕一が千鶴たちと四日で一回りの割合でいっしょに寝るようになったこ
とだが、これとて、本当にいっしょに寝るだけで、新婚夫婦なら必ずあるはず
の行為はいっさい行われていなかった。
 
 その日も耕一はベッドに入ると、ものの五分もせずに眠ってしまっていた。
  そんな耕一を、今日いっしょに寝ることになっていた楓が悲しそうな顔をし
て見つめていた。
「耕一さん。私たちは晴れて夫婦になったというのに、どうして一度も抱いて
くれないんですか。確かに夫婦というものはそれだけではないです。他にも互
いの愛情を確かめ合う方法はあります。ですが……」
 ぽたっぽたっ。
 楓の瞳から涙がこぼれた。
「みんなに聞いても、耕一さんは誰も抱こうとしないと言っています。まるで
私たちを避けるように。……もしかして耕一さん……ううん、そんなことない。
耕一さんは私たちを愛していますよね、そうですよね」
 楓は涙を拭うと自分もベッドに入り、耕一に抱きついた。
「せめて、これくらいはいいですよね、お休みなさい、耕一さん」
 
 実は楓の悩みは千鶴たち四人全員が持っていた悩みだった。
 耕一は結婚後、以前にもまして優しくなり、出掛けに必ず四人とキスをして
から会社に行くのを習慣とし、家に帰ってからもやはり全員にとても優しかっ
た。
 しかし、夜寝るときだけは違った。まるで彼女たちを抱くことを拒むかのよ
うに、疲れた、と言ってすぐに眠ってしまっていた。
 始めは誰も気にしなかった。耕一が結婚後、前にもまして一生懸命働くよう
になったのをみんな知っていたからだ。しかも、早く鶴来屋の会長になってみ
んなを立派に支えなくちゃいけない、という耕一の決意も知っていた。
 しかし、それもさすがに二ヶ月続くと、彼女たちにも不安感がわいてきた。
 ――自分たちは本当に耕一に愛されているのか、と。
 耕一の自分たちに向けられる笑顔が、他の誰に向けられる笑顔よりも優しさ
にあふれているのは彼女たちにもわかっていた。しかし、それだけでは不安で
あった。人間とはわがままな生き物である、何かを手に入れればそれ以上のも
のを欲しがる。彼女たちが耕一から愛の言葉やキス以上のものを欲しがるのも
当然だった。しかし、耕一はそれに応えようとしなかった。
 彼女たちの心の不安は少しずつ、確実に成長していった。



 それから、さらに三日ほど経った日の事、梓は耕一の部屋を掃除していた。
「はーあ、せっかく結婚したっていうのにな、耕一のやつ……あたしってそん
なに魅力ないかな……」
 梓はため息をついた。
「うん? あれって?」
 梓が耕一の本棚の一部が不自然になっているのに気づいた。きちんと入るは
ずの本の一部が本棚からはみ出ていたのだ。それはほんの小さな違いだった。
しばらくこの部屋に入っていない耕一でさえ気づかない程度のものだった。
「何だろう? そういえば、こんなとこ結婚した後掃除したことなかったから
な」
 ばさっ。
 梓がその本を取りだしてみると、何かが落ちてきた。
  落ちてきた少しほこりが積もったソレを見たとたん、梓の顔色が変わった。
「こ、これは……全て処分したはずなのに……楓――! 初音――! 急いで
千鶴姉に電話してくれ、スクランブルだ――――!!」

 一時間後、楓からのスクランブルコールを受けた千鶴は、息を切らせて家に
帰ってきた。すでに居間には梓たちが待っていた。しかも、全員怒りで顔を赤
くして。
「どうしたの、梓」
 梓は千鶴の方を見ずに、耕一の部屋で見つけたモノを渡した。
「こ、これは……!」
 それを見た瞬間、千鶴の顔色が真っ赤になった。
「どうしたの、梓、こんなモノを……」
 梓はぶすっとしたまま答えた。
「耕一の部屋で見つけた」
 その言葉に千鶴は愕然とした。
「そ、そんな……耕一さんがまだこんなモノを……」
「あいつ、今まであたしたちをだましていたんだ。あいつのこれまでの行動は
みんな嘘だったんだよ!」
  だんっ!
 梓が机を叩いた。
  しばらく居間に沈黙が流れた。
「耕一さん、ひどい……」
 楓が涙を流しはじめた。
「そうだったの、耕一お兄ちゃん……」
 初音は下を向いていたため表情はわからなかったが、膝の上でかたく握った
手が涙で濡れていた。
 全員が暗い雰囲気に飲まれかけたとき、千鶴がゆっくりと立ち上がった。
「とにかく、事の真相を耕一さんに確かめないと。梓、楓、初音、裁判を開く
わよ」
 三人とも黙ってうなずいた。
「耕一さん、私たちを裏切ったら、どうなるか思い知らせてあげます」
 千鶴はおもむろに電話を始めた、もちろん耕一を呼び出すためだ。

 それから三十分後耕一が柏木家に帰ってきた。千鶴の電話の声が尋常でなか
ったため、急いで帰って来たのだ。
「どうしたの、千鶴さん、大事な話って――」
 居間に入ってきた耕一はすさまじい殺気に声を失った。
「この殺気は……もしかしてみんなが?」
 だが、誰も耕一の問いには答えず、千鶴が右手を挙げると同時に各々の場所
へ移動した。
「どうしたの……ってこの配置は!」
 居間は模様替えをしていた。テレビの横に一段高い机があり、そこには千鶴
がいた。そして千鶴から見て右斜め前にも机があり、そこには楓がいた。千鶴
の向かいの机には耕一が着かされ、その後ろにあるいすには梓と初音が座った。
 かつんっ。
 千鶴が机を叩いた。
「これより、第三回柏木家最高裁判を始めます」
 千鶴の声が部屋中に響いた。
「検察官の楓、事件の概要を」
 楓は千鶴の方を向いてうなずくと、話し始めた。
「今日は、耕一さんの私たちに対する裏切り行為事件についてです」
「裏切り? ちょっと待ってくれ、俺はみんなを裏切ってなんかいない!」
 頭を抱えていた耕一が叫んだ。だが、楓は耕一の方を見て冷たく言った。
「じゃあ耕一さんは私たちに対して、やましいことは何もないと言うんですね」
「ああ、俺がみんなにそんなことをするわけないだろう」
「じゃあ、これは何でしょうか」
 楓は机の上に梓が耕一の部屋で見つけたモノを置いた。
「……!」
 耕一はそれを見て絶句した。そこにはH本、しかもかなり過激な物があった。
「これは、今日耕一さんの部屋で発見された物です。間違いありませんね、発
見者の梓姉さん」
 いつの間にか耕一の隣に立っていた梓がうなずいた。
「ああ、間違いない。今日耕一の部屋の掃除をしたときに本棚の中から見つけ
たんだ。まったくあんたってやつは、まだこんな物を買って……。あたしたち
に何もしないと思ったら、こんな写真の女の方がよかったなんて。くそっ」
 楓は耕一に冷たい視線を向けた後、話し始めた。 
「確か耕一さん、こういう物は結婚するときに処分したはずでしたよね、それ
も耕一さんの意志で」
「……」
 耕一は何も言えなかった。 
 確かに耕一は結婚するときに自分の持っているH本などの世に言うアダルト
グッズは全て処分した。理由は「結婚してまでこういう物を持ってるとみんな
に失礼だしね」というものだった。
 しかし現実問題として梓が見つけた物は紛れもなく耕一のH本だった。
 だから耕一は楓の言うことを黙って聞くしかなかった。
「結婚してから、耕一さんは私たちを一度も抱こうとはしませんでした。それ
は仕事で疲れているからという理由だったはず。では、この本はどういう事な
んでしょうか。私たちにかまう時間はなくても、こんな物を買って写真の女性
たちを見る時間はあった、ということなんでしょうか。これは今まで耕一さん
を信じてきた私たちに対する裏切りだと考えられます。よって検察としては私
たちに対する重大な裏切り行為として耕一さんに極刑を望むものとします」
 黙って楓の話を聞いていた千鶴が耕一に向かって言った。
「被告人、柏木耕一、何か申し立てることは」
「俺、みんなを裏切ってなんかいない! 確かにあの本は俺のだ。でも結婚す
るだいぶ前に買った本だし、結婚してからあんな本を見てはいない! それ以
前にどこにあったかも知らなかったんだ。本当にみんなを裏切ったりしたこと
はないんだ! みんなを嫌いになったりしていないんだ。これだけは信じて欲
しい」
 耕一は叫んでいた。自分が千鶴たちを裏切っていないこと、嫌いになってい
ないことだけは信じてもらいたかったからだ。
「本当なんだ」
 千鶴は耕一を冷たい視線で見つめて言った。
「では、なぜ耕一さんは私たちを一度も抱いてくれないんですか。結婚した後
私たちはずっといっしょに寝てきました。しかし、耕一さんは一度も抱いてく
れませんでしたね。これはどういう事なんですか。私たちのことを裏切ってな
い、嫌いになっていないと言うのなら、どうしてですか」
「それは……」
「私たち、この2ヶ月とても不安だったんですよ。耕一さんに本当に愛されて
いるのか、もしかしたら愛が冷めたんじゃないかって。そんなときあんな本を
見つけて、私たちの不安が的中したのかもと思って本当に悲しかったんです…
…わかってるんですか、耕一さん! 耕一さんは私たちのためにああいう物を
全て処分してくれた。なのにまたあんな物を手にしたということは、私たちに
愛想を尽かしたんじゃないかって、嫌われたんじゃないかって……あの本を見
つけたとき、みんな本気で思ったんです! 耕一さんの心が……私たちから離
れてしまったんじゃないかって……」
 千鶴の話し方はいつの間にか冷静さを失い、叫びに近いものになっていた。
しかも千鶴の目からはいつの間にか涙が流れ始めていた。
 千鶴の真剣な問いかけに耕一はしばらく愕然とした。愛する人たちをそこま
で不安にさせた自分が憎かった。言うなら今しかない、今言わないと一生後悔
することになる、そう思った耕一は意を決して話し始めた。
「千鶴さん、梓、楓ちゃん、初音ちゃん、みんなごめん。俺はみんなのことが
同じだけ好きだって言ったよね。それは今でも全然変わっていないんだ。むし
ろ昔より強くなっているぐらいなんだ。だから俺は今までみんなを抱くことな
んてできなかったんだ。みんなのことが大切すぎて」
「そんな事って……」
 千鶴は答えに窮した。が、なおも耕一は話し続けた。
「結婚式のキスの時はよかったんだ、その場の勢いというか、もう順番が決ま
っていて、さあキスしろ、みたいな感じだったから。でも、その、抱く、とい
うのは、なんか、俺が順番を決めるんだけど、決めちゃいけないみたいに思え
て。大切な人たちに順番を決めちゃいけないみたいに。だからどうしても踏ん
切りがつかなかった」
 そこで耕一は一呼吸おいた。  
「でも、抱く、ということがどんな意味を持っているのかは俺にはわからない
けど、やっぱり好きな人を抱きたい、体を重ねたいと思うことは俺にだってい
くらでもある。結婚した当時は、いや今ではもっとそう思う。特に寝る寸前な
んか、たえられなくなる事なんかしょっちゅうだ。だから俺は一生懸命仕事を
した。そうすれば、へとへとになってどんなに気持ちが高ぶろうと体がついて
いかないから。そうすれば誘惑にもたえられるから……それに、こんな事をし
なくたって俺のみんなへの気持ちは伝わっていると思っていた」
 その時梓が怒鳴った。
「ふ、ふ、ふざけるな、耕一!! あんた、あたしたちをなんだと思ってるん
だ! 思ってるだけじゃ伝わらないことはいくらでもあるんだ! いくら信じ
ていたって態度で表して欲しいときがあるんだ! あたしたちだって女だ、好
きな人のぬくもりを感じたいときだってあるのに、あんたは自分勝手な判断で
あたしたちの想いを無視し続けたんだぞ! 大切すぎるってなんだよそれ! 
そんなのって、そんなのってあるか……」
「梓……」
「耕一さん、梓姉さんの言う通りです」
「楓ちゃん……」
「耕一さん、さっき言いましたね。夜たえられないときがあるって。なら、私
たちも同じですよ。耕一さんが私たちのことを想うのと同じだけ私たちも耕一
さんのことを想っているんです。なら私たちだって夜辛いときがいくらでもあ
ったんです。どうしてその気持ちを察してくれなかったんですか?」
「……」
  誰も何も言わなくなったとき、初音が耕一に声をかけた。
「耕一お兄ちゃん……ほんと優しいね。順番をつけてみんなを傷つけることを
したくなかったなんて。ありがとう。でも、それってやっぱり卑怯だと思うよ。
誰が最初とか少しは気になるよ。でも、やっぱり耕一お兄ちゃんが何にもしな
いことが私たちには一番辛いんだよ。何もしなかったらお兄ちゃんが私たちの
ことどう想ってるかわからないんだよ。本当にだめだな、耕一お兄ちゃん。私
たちのことわかってないよ。そんなんじゃ……グスッ……私たちの旦那さん…
…ヒクッ……失格だよ……」
 初音が泣き出した。
「そうだね、本当に俺は卑怯だった。何もしないでみんなを傷つけた。俺は本
当にバカだ、自分のくだらない感情を守るために一番大切な物を傷つけるなん
て……本当に最低の大バカ野郎だ!!」
 耕一の話に今まで下を向いていた千鶴が、その声にはっとなって顔を上げた。
 かつんっ。
 千鶴が机を叩いた。
「被告側の答弁も終わったようですし、結審をしたいと思います。みんな!」
 耕一を除く三人が千鶴の側に集まり相談をはじめた。その最中、耕一の見え
ないところで千鶴がH本を指でなでると、その指はほこりで薄く汚れた。それ
を見て全員がうなずいた。
「じゃあ、そういうことでいいですね」
 全員が元いた場所に戻った。刑が決まったのだ。
「では、判決を言い渡します」
 耕一は覚悟を決めていた。彼女たちに何をされても甘んじて受ける覚悟はで
きていた。
「被告人、柏木耕一は無罪」
「……?」
「あの本にほこりが積もっていたことからも、耕一さんが結婚後あの本を読ん
でいないと言っているのは信憑性があります。従って耕一さんの私たちへの裏
切り行為についてはこの際問いません。よって耕一さんは無罪。みんないいで
すね」
 その言葉に耕一以外の全員がうなずいた。
「え……?」
 耕一は不思議に思い千鶴の次の言葉を待った。
「ですが、耕一さんが私たちを不安にさせたことについては責任をとってもら
わなければなりません。よって耕一さんにはそのことに関しては有罪とし、刑
に関しては特別な執行猶予をつけたいと思います」 
「千鶴さん……?」
「で、その特別な執行猶予なんですが、あの、その……」
 千鶴は何かを言いたげにもじもじしだした。
「何ですか、千鶴さん。俺にできることなら何でもしますけど」
 耕一が言ったとたんに千鶴が耕一の側にやってきた。
「本当ですね、今言ったこと本当ですね。ほんっと――に何でもしますね」
「は、はい」
 耕一は千鶴の勢いに押されながらもうなずいた。
 千鶴は周りを見渡した。全員がうなずいた。
「では、耕一さん。あなたには明日から二週間、会社を休んで私たちとずっと
いっしょに過ごしてもらいます。それで、えっとその、い、今までの分をと、
取り戻してもらいます……」
 真っ赤になりながらも何とか千鶴は言いきった。
「千鶴さん、それって、やっぱりそういう意味なんですか」
 千鶴は黙ってうなずいた。梓たちも真っ赤になってうつむいていた。
「やっぱり……」
 耕一は今までの自分の苦労はいったい何だったのかと思った。

 結局耕一が会社を休む件は足立にもすんなりと了承され、めでたく耕一は二
週間、千鶴たちによって愛にあふれた軟禁生活を送ることになった。
 そして裁判の日の夜から、ついに耕一と美しい四人の妻たちの、夜の生活も
始まった。
 その順番は、初音、千鶴、楓、梓の順、つまり結婚式でキスをした順番の逆
だった。考えたのは耕一で、その理由は、他に自分を納得させるいい方法がな
かった、という単純なものだった。
  よってその日の夜は耕一と初音がいっしょに寝ることになった。

 耕一が初音の部屋に行くと、初音はベッドに腰掛けていた。
「初音ちゃん、ずいぶんうれしそうだね」
 耕一の問いに初音は顔を赤らめながら答えた。
「うん。私、耕一お兄ちゃんのこと大好きだもん。だから耕一お兄ちゃんのお
嫁さんになってこういうことするのも、ちょっと怖いけど……やっぱり……う
れしいし……だって耕一お兄ちゃんのために大切にとってあったんだもん。そ
れにやっぱりあたしが一番最初って言うのもちょっとうれしい、かな」
 そんな初音に耕一は少し困った顔をした。
「初音ちゃん、それはないだろ?」
「あ、そうか。へへへ」
 耕一は電気を消すと初音の隣に座った。
「じゃ、いくよ」
「うん」
 そして、二つの影は一つになった。



  柏木家裁判時に互いの想いをぶつけ合った彼らは一つの壁を越えていた。そ
んな彼らにとって裁判後の二週間はこの上もなく有意義な日々だった。彼らは
この二週間で互いの互いに対する思いをより深く知ることができていたのだ。

 柏木家裁判から二週間が経った朝、耕一は梓の部屋で目を覚ました。
「ふあああ。ああー今日から仕事か」
 大きくのびをした耕一は、隣にいたはずの梓がいないことに気づいた。
「あれ、梓のやつもう起きたのか。朝飯のしたくか、ほんと働き者だな」
 耕一はベッドから出ると、服を着替え始めた。
 
 柏木家裁判から二週間、耕一は千鶴たち四人による愛の軟禁生活によって、
本当に朝から晩までずっと彼女たちといっしょに過ごしたのだった。
「よっと」
 着替えが終わった耕一は梓の部屋から食卓へ向かった。その耕一の顔は喜び
にあふれていた。
 もし誰かが彼に
「柏木耕一さん、あなたは今幸せですか?」
と尋ねたなら彼は躊躇することなく
「はい、幸せです!」
と答えたであろう。
 
 耕一は食卓へ着くと、そこで耕一を待っていた彼の最愛の妻たちに対して、
自分の中にある想いを込めてあいさつをした。
「おはよう!」

 食卓で耕一を待っていた千鶴たちも、耕一の想いを込めたあいさつに対して
自分達の想いを込めて返事をした。
「耕一さん!」
「耕一!」
「耕一さん!」
「耕一お兄ちゃん!」

「おはよう!」


 
 柏木家に住む若き夫婦たち――彼らは今日も幸せだった。



<終わり>


〜あとがき〜

 ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。
 はじめまして、龍 つばさ といいます。

 いかがでしたでしょうか、私なりの『藤田家のたさい』の外伝。
 本当はもっとおちゃらけた話にするつもりがかなりシリアスになってしまい
ました。単にH本が見つかってその罰として千鶴の手料理だけを食べて耕一が
一週間過ごす、みたいなのにするつもりだったんですが……どうしてこうなっ
てしまったんでしょう?

 実はこの作品は、書き上げて少し自己嫌悪モードに入りました。前半はとに
かく後半についてなんです。
この話の後半は、耕一と女性陣の想いのすれ違いを描き、いくらかは思った通
りの表現ができたかなと思うんですが、問題は千鶴たちのせりふ。あんなに「抱
く」という言葉を多用してよかったのかな、もっと他の言葉は使えなかったか
な……と思いました。

ただこの表現を使ったのには二つ理由があります。
まず1つは私のボキャブラリが足りないこと。
これは仕方ないです。努力するしかないんですから。

もう一つの理由とは、四姉妹がこう言ったのは本来普通じゃないかと。
彼らは夫婦。その夫婦間で言葉遣いに妙な遠慮や隠し事をずっとしていると、
その夫婦は結局離婚するんじゃないかと私は思うんです。
――ただしこのお話では、彼らはいいたいこと言い合っていませんでしたよね、
後半の最初の部分。それが結局だめだったんですけど――
だからこそ彼らには遠回しな言い方ではなく、思った通りの言い方をしてもら
いたかったというのがあるんです。
まじめにいってますが、これは本来私のエゴ。私の思いこみにすぎないかもし
れません。反論のある方はぜひ教えてください。
 他にも情景がつかめない等、妙なところがあれば教えていただけると幸いで
す。特に裁判のシーンなどは、かなり適当な物ですから……。
 
 最後に、私がこの作品を書くきっかけになるようなすばらしい欲望の世界
(笑)をつくられたHiroさんにお礼が言いたいです。さらにこのような作
品公開の場を与えてくださるなんて……Hiroさんには本当に感謝していま
す。ありがとうございました。
 
 またどこかで私の作品を目にすることがあれば読んでくださると幸いです。
――とりあえずこれが二作目――
 それでは、『視点が変わってしまうので』という理由でボツにしたせりふを
最後に書いておきます。ほんとはこのせりふで締めくくりたかった……。

「人は愛するからこそお互い傷つきあい、愛するからこそ輝かせあうことがで
きる。様々な辛い思いをしてきた柏木家の5人。しかし、彼らが互いを愛し合
う心を持つ限り、彼らの人生が輝きを失うことはないだろう。柏木家の人々の
永遠の幸せを願って……」


どうも、Hiroです。 ギャグとシリアスが絶妙に入り交じったSSですね。 「抱く」・・・確かにストレートな言葉ですが、だからこそ気持ちがダイレク トに読み手に伝わってきます。私は良いと思いますよ。 本当にありがとうございました!! 最後に・・・欲望の世界万歳!!(笑)


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