二次創作投稿投稿SS(月姫)

「遠野家の、とある風景」(作:阿黒)










 …ガチャッ。キィ…
 とん。
 カツカツカツ…

 例えるなら、誰かが部屋の窓をこっそり開けて忍び込み。
 忍び込んだにもかかわらず、足音を殺す手間もかけずに堂々と近付いてくるような。
 ってか、例えるまでもなくそのまんまな事態なんだろうけど。
 半分目覚めかけたまま、俺は少しだけうんざりしつつ、シーツを頭から被ろうとして…
「おっはよ〜志貴。朝だよー。起きてー」
 そのアルクエイドの脳天気な明るい声は、決して不快なものではなかった。
 呼びかけと同時、とんでもない馬鹿力で空中で一瞬、俺の体が捻りつつ回転したりとかしなければ。

 どさっ!!

「ぐっ…!?」
 ベッドの上であり、さして高い所からの落下というわけでもないが、それなりの衝撃はあるし急激な運動に三半器官が混乱を起こす。何と言っても端的に、こんないきなりな事は心臓に悪い。
「アルクエイド――!!」
「わーい。起きた起きた〜」
「起きたじゃな――い!朝っぱらから何をしやがるんですかいお前はっ!」
「空気投げ」
 いっそ気持ちいいくらいの即答だった。
 ニンマリ顔でVサインなんかしてる吸血姫に軽い疲労を感じて、起き上がりかけた体がまたベッドに横になる。
「あれ?志貴知らない?ジュードーの最終奥義・其之六っていうワザなんでしょ?」
「最終奥義が五つも六つもあるかい。…しかしまた、どこからそんな古い知識を歪めて仕入れてくるんだか…」
「地獄車の方がよかったかな?」
「やめてくださいおねがいします」
 一瞬、特訓と称して屋敷の正門から坂道を布団を抱えて転がっていくアルクエイドの姿が脳裏に浮かんだ。いくらなんでもそんなバカな、と思いつつも、なんかこう、否定しきれないリアリティが満ち満ちているような…。
「そんなことよりさー。志貴、遊びにいこーよー。ねー。ねー」
 ちょぴり甘えた声でねーねーと幼児のようにおねだりしてくるアルクエイドは、なんだかとってもネコっぽくて。つい、負けてしまいそうになるんだが。
「だから。俺は学校があるっていつも言ってるだろ?」
「休んじゃばいーじゃない。志貴、学校の成績けっこう良いんでしょ?ちょっとくらい休んだって大丈夫だって」
「…俺は体が弱いから、病欠とか割と多いんだよ。体調の良い時はなるべく学校に顔出しておかないと、出席日数が足りなくなっちまう」
「うー」
「大体な。いくら日中でも活動できるからって、お前も吸血鬼なんだから、昼はおとなしく寝ていた方がいいだろ?よくわかんないけど、お前みたいな奴でもやっぱり睡眠不足は身体に悪いと思うし」
「…ふーん。一応、私の身体を気遣ってはくれてるんだ」
「たりめーだろ」
 少し嬉しそうな顔をしてこちらを覗き込んでくるアルクエイドの視線から微妙に目を逸らし、俺は起き上がろうとした。
「えい♪」
「むぎゅっ!?」
 視界が白色に覆われ、顔にふわっとした柔らかい感触が広がり。微かに、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「なっ、なに考えてるんだお前はっ!」
「んふー?志貴の言うとおり、もう寝ようかなって」
「だったら自分の家に帰って寝ろ〜〜〜〜〜〜!!」
 いきなり人の上に覆い被さってきたアルクエイド、というか顔面を挟み込む服越しの胸の谷間に、カッと血が上りながら払いのけようとするが…ビクともしない。
「やめろっ、すぐどけっ、可及的速やかにたちどころに瞬く間に即座に一瞬の煌きのごとくのけ〜〜〜〜っ!!」
「だってもう眠いし。あ、なんかもう何もきこえない〜〜」
「悪ふざけはやめろっ!お、お前、こんなことして恥ずかしくないのか!?」
「恥ずかしいわよ」
 といいつつ、更に人の顔面を圧迫してくるアルクエイド。実に、発言に説得力が無い。
「…でも、ほら。…志貴だから」
「…あ、あのな…」
 柄にもなく照れたアルクエイドの声に、こっちもどきまきしてしまう。それに、この感触が気持ちイイのは、こう…事実でもある。
 しかし。
「い、いい加減にしろアルク!そろそろ翡翠が起こしにくるんだから!!」
「翡翠?ああ、あのメイド娘?あの娘はこんな風には起こしてくれないでしょ?物理的に不可能だし」
「物理的って…まあその…(ゴニョゴニョ)」
「ふっふ〜ん。なんだかんだ言っても、さっきからあたしのお腹にあたってる固いモノは、な〜にかな〜〜?」
「アッ、アルク〜〜〜〜〜〜!!!」
「…志貴さま」

 ――ぞわっ。

 まるで、その氷点下な声がそのまま背骨代わりに詰め込まれたような冷気を覚えた。俺同様、思わず硬直してしまっているアルクエイドの下から何とか抜け出す。
 その途端、感情というものを全く浮かべていない翡翠と正面から相対してしまった。
 ……………。
 ……………。
 貝のような沈黙の後。
 俺は、翡翠と第一次接近遭遇を試みた。
「…ぱ、ぱぺぴぽぷ〜?」
「???」
「や、やは。おはよう、翡翠」
「おはようございます、志貴さま」
 慇懃にお辞儀をする翡翠の口調は、静かなものだった。着替えの制服を、引き裂かんばかりに握り締めていることにさえ気づかなければ、いつもどおりである。
「アルクエイドさん。…お戯れも結構ですが、もう少し時と場所を考えていただければ幸いに存じます」
「え、あ、うん」
 真祖をも圧倒するオーラ(?)を静かに発している翡翠に完全に呑まれ、アルクエイドもがくがくと頷く。
「志貴さま、あまりお時間はございませんので、はやくお着替えになってください」
「は、はい」
「アルクエイドさん。………………折角ですからお茶でもどうぞ」
「い、いえっ!お心遣いはありがたいけど、あたしはこれで失礼するわ!それじゃあね志貴!」
「ああっ一人で逃げるな―――!!」
 じゃっ!と手を上げて挨拶をすると、止める間もなくアルクエイドは窓から飛び出していった。あっという間にその姿は木立の中に消える。
「あ、あの。…翡翠、さん?」
 僅かに口惜しそうな顔をして、エプロンの端を握り締めている翡翠に、俺はおそるおそる声をかけた。ちなみに『さん』付けは、動物が腹をみせるのと同じ意味である。
「なんでしょう、志貴さま」
 呼びかけに振り返りもせずに応えるという、普段の礼儀正しい翡翠からは考えられない応対に怯えながら、俺は、何とかお怒りを静めてもらえるように努力…してみたいなぁ…と、もう手遅れ風味に無駄な気がしないでもないんですけど…とにかく、おずおずと謝罪しようと試みた。
「あ、あのですね。これは、その、アルクエイドのいつもの他愛も無い冗談というかほらコイツは存在そのものが冗談みたいなアジャパー女なわけですからね?」
 とりあえず、無言のまま聞いてくれているらしい翡翠の顔色を伺いながら、続ける。
「えーと。ですから今のこれは、もう何と言うか冗談がすぎるというかその…とりあえず今後、窓の鍵はちゃんと閉めておきたいと思います」
「そうしてください」
 切り捨てるような一言を返して、翡翠は静かにドアノブに手をかけた。そのまま後ろ手にドアをしめようとする寸前、肩越しに、やはり静かな目を向けてくる。
「…どうせ…私にはそのような起こし方、物理的に不可能ですから」

 ばたん。

 そして、ドアが閉められた。
 ……………。
 ……………。
 ……………。
「う、ううう…」
 最後の一言に、瞬間的に胃に二つ三つ、穴が開いたような痛みを覚え、俺はベッドの上で蹲った。

 * * * * *

 気乗りがしないまま制服に着替え、居間に入ると、もう予想通りの光景が飛び込んできた。
「おはようございます、兄さん」
「お、おはよう、秋葉」
 セーラー服姿でティーカップを手にソファーに座る秋葉。そして壁際で、無言で控える翡翠。――まず間違いなく、さっきの事は報告されているだろう。
「えーと。じゃ、俺、メシ食ってくるから」
「兄さん。ですからその、乱暴な言葉遣いは何とかなりませんか」
 こちらを見もしないまま、ピシャリと妹のトゲどころかクギまみれの声が飛んでくる。
「あ。ハイ。朝食を摂ってきますので、お兄ちゃんは失礼するよ」
「兄さん今日は朝食抜き」
「なんでっ!!?」
 思わず振り向いてしまって、後悔した。
 必死になって怒りを押さえ込んでいるのだろうが、秋葉の癖のない艶やかな髪がさわさわと不気味な動きをしていた。一瞬、赤く変色したようにも見える。
「えっと。あの。秋葉、ちゃん?」
 冷や汗が額にじったりと浮かんでいるのを自覚しながら、満遍なく攻撃色を発している秋葉から少しでも距離をとりたくなる。
 ――秋葉の能力『略奪』は視界の範囲内全てを対象とする。この能力には弱点らしきものがまず無い。なんかもーザ・ワールドとかキングクリムゾンっぽく無敵状態。
 それでも、一応、兄としてあまりに横暴かつ一方的な仕打ちに対しては、抗議の声をあげるべきだろう。
「…えっと。理由を、聞かせていただけませんでしょうか?」
 なるべくフレンドリー、かつ卑屈にお伺いをたててみる。
「言われずともわかってるでしょうに。
 …いいですか兄さん。兄さんは仮にも遠野家の長男なのですから、もう少し交友関係には気を配っていただかないと困りますと、もう何度も何度も繰り返しているでしょう?」
「えっと…長男っていっても当主はお前なんだし、そもそも俺は養子…」
「それでも遠野家の人間であり私の兄であることは変わりありませんっ!もう少し、世間体というものを考えてあのような方とはキッパリと絶縁してくださいっ!!」
「そ…そりゃあ確かにアルクエイドの奴はその、一般的な規格からはかけ離れた奴だけど。でもな、やっぱり、俺にとっては大事な存在なんだよ!秋葉、いくら妹だからって、世間体だの体面だの、そんなつまらない理由でアルクエイドを侮辱するんじゃない!」
「吸血鬼だとかそんなことは関係ありません!殿方の部屋に窓から侵入して誘惑しよう、だなんて破廉恥な性根を私は問題にしてるんですっ!私だってこんなことは言いたくありませんし、これまでだって随分譲歩してきたつもりですが、もう今日という今日は堪忍袋の緒が切れました!今すぐ、あの方とは縁をお切りになってください!」
「さ、さもないと今日は朝食抜きってか?ちょっとそれは横暴でセコいんじゃないか!?」
 お互い、感情的になって言葉の砲撃を交わす。あまり感情的になるのはまずい、と自覚しつつも、しかし解決策が見つからず、俺たちは無言で睨み合った。
「……………」
 と、段々と、秋葉の瞳が潤んできた。
 う。
 あう。
 い、いかん。泣かれるのには弱い。おにーちゃんとしては、妹に泣かれるのには致命的に弱いのだ。秋葉は気が強いように見えるけど、それは幾分無理をしているところもある。
 なにより、プライドの高い秋葉が人前で涙ぐむなんて、余程のことだ。
「…兄さんは、私よりあの女の方が良いっていうんですか?」
「いや。だから。どっちが良いとか悪いとか、そういうんじゃなくて。お前は世界で一番可愛い妹だし、アルクの奴はある意味、俺の命の恩人だし」
「そんなことはわかってます!…ただ…その…私が言いたいのは…一人の女性、として…」
 うぐ。
 あぐぅ。
 言いたいことはわかるんだけど。つーか、もう、近頃では毎日のように、アルクにシエル先輩に琥珀さんに翡翠に言われてることなんだけど。
「…ごめん。全面的に俺が悪いです」
 深々と頭を下げる。
 つまるところ、ここ最近のトラブルの全ては、優柔不断で一人の女性を選べない俺にあるのだから。
「わかりました」
 ごくさりげなく――本人はそのつもりなのだろう、多分――指で目尻に溜まった雫を払って、秋葉はつい、と視線を逸らした。
「やっぱり兄さんは胸の大きな女性が好みなのですね」
「全然わかってねーよお前!!」
「もういいです!…翡翠、私はもう学校へ行きます!琥珀には兄さんの朝食は不要、と伝えておいて」
「かしこまりました」
「だから秋葉――!!翡翠もつつがなく受けないで――!!」
 という俺の悲鳴をきれいに無視して出て行く秋葉と入れ替わるように、和服のお手伝いさんスタイルの琥珀さんが顔をだす。
「朝から災難ですね志貴さん」
「こ、琥珀さーん!秋葉がイジメるんだよ〜〜!!」
「あらあら、志貴さんたらまるでの○太君みたいですねぇ」
 ニコニコと明るく笑いながら、琥珀さんはしれっと言った。
「でもヤッパリ志貴さん朝食抜き〜〜。残念でした〜〜〜」
「こ、琥珀さ〜〜ん!そんな殺生な…ただでさえ貧血気味な俺が朝食抜いて、学校でぶっ倒れたらどうするんですか!?」
「遠慮なくぶっ倒れちゃってください」
 さわやかにド外道なことをおっしゃいます琥珀さん。オレ、そんなに琥珀さんに怒られることしましたっけ?
「大丈夫ですよ。朝寝坊してせっかく用意した朝食を食べずに登校されるなんて、志貴さんの日常じゃないですか」
 …にこやかな笑みの中に、ほんのりと、危険なものが混入してたりする。
「先週、志貴さまがきちんと朝食を摂ってでられたのは、三日だけですね」
 朝からずっと冷たい翡翠が更に俺の不精ぶりを補強してくださいます。…我ながら、自堕落な生活スタイルしてたんだなぁ。
「うふふふふぅ。少しは私のありがたみとかわかりましたかあ?」
 腰に手をあて、無意味に偉そうに胸を張る琥珀さん。
「それに、本当に倒れちゃった時は、私がらぶらぶばーにんぐな看病してあげますから♪」
「…姉さん…それって…」
「んー。おかゆフーフーは基本でしょう?それからあ、恥ずかしがる志貴さんの身体を拭いてあげたりとか、お薬なんか口移しで飲ませてあげるし、おトイレにもつきそってあげちゃって、かわりに振ってあげちゃったりなんかして〜〜〜。もう、志貴さんたらエッチ〜〜〜〜」
 フニャフニャクネクネ身もだえしている琥珀さんと、そんな姉を引き攣りつつもうらやましそうに見ている翡翠を残して、俺は、…全てをあきらめて出て行った。

 * * * * *

 空きっ腹を抱えて屋敷の門を出かけた時、タッタッという足音が聞こえてきた。
「志貴さま、お待ちになってください」
「いつもの見送りかい翡翠?相変わらず律儀だなぁ」
 珍しく少し息を切らせて駆け寄ってきた翡翠は、目の前で止まるとこちらに小さな小箱を手渡してきた。
「…キャラメル?」
「はい。…あの、お腹にはたまりませんけど…糖分を摂っておけば、とりあえず栄養的には問題ないだろうと、姉が…」
「そっか。なんだかんだいっても俺の健康の事は考えてくれてるわけなんだ。ありがと、翡翠。琥珀さんにもお礼言っておいて」
「私は…ただ、姉から言われたとおりにしただけですから。本当は、ちゃんと朝食は召し上がってください」
 少し俯いている翡翠は、何故か少し元気無さそうだった。
「…では、いってらっしゃいませ、志貴さま」
「ああ。――なるべく、朝は余裕をもって、ちゃんとゴハンたべられるように努力するよ」
 キャラメルを一つ、口に放り込みながら俺は、自分でもあまり信用できないことを言った。自分でも早起きしようとは思っているんだけど…自分の寝坊助ぶりは、なかなか改善できないでいる。まあ、夜はアルクエイドの時間だから、無理矢理付き合わされるということもあるんだけど、もう半分は…。
「兄さん、なにやってるんですか」
「うおっ!?」
 そんなことを考えながら坂道を下っていると、いきなり背後からそんな声をかけられて、慌てて振り返る。すると丁度、電信柱の影から秋葉が少し拗ねたような顔をして出てきたところだった。
「あ、あ、あ、秋葉?なんでございますでしょうか?」
「なにって、一緒に登校すること以外に何があるっていうんですか」
 ツン、とした態度のまま、自分の横に並んでくる秋葉。
「兄さんは知らないかもしれないけれど、私、これでも結構男子生徒の皆さんには人気があるんですのよ」
「いや、それは知ってるけど。っていうか知らない方がおかしいし」
 類稀な美少女で、しかも富豪のお嬢様(というか当主なんだけど)。それでいて、小さい頃から全寮制の女子校に押し込まれていた秋葉は、俗世のことにはとかく疎い。傍からみればちょっと放っておけない(特に男にとっては)ところがある。性格は少々堅苦しくて近寄り難いところもあるが、一度その垣根を乗り越えてしまえば、実は結構気安いところもあって、一般的な評価は概ね良好、というところだ。少なくとも兄よりは余程、人気はある。
「ですから。変な虫がつかないように、かよわい妹のガードをするのは兄の役目ではありませんの?」
「…そうだな。こんな凶暴な妹、とても他所様の子息とつきあわせるわけにはいかないか」
「兄さん!」
「はいはい、警護役でも何でも、務めますともお姫様」
「もう、兄さんったらいつも冗談ばかりなんですから…」
 怒ったようにそう言いながらも、つつ、と微妙に距離を詰めてくる秋葉の歩調に合わせながら、俺は、どうやら秋葉が許してくれたことに安堵しつつ、内心で謝った。
 ごめん、秋葉。いつもお前には気苦労ばかりかけて。でも、俺はお前のことを本当の妹だって思ってる。いや、妹以上に、大事な存在だって。
 だけど、お前にとっては歯がゆいだろうけど、アルクエイド達のことも、同じくらい大好きなんだ。わかってくれ、とは言わないけれど、でも、今は、認めてくれないか。
「…兄さん、今日のお昼ですけど」
「ん?なに?…いい加減、購買部のパンは嫌になったか?じゃあ学食にしようか」
 食事というものは黙っていても自分の目の前に用意される、という生活が日常だった秋葉には、買い食いやセルフサービスのシステム等は今ひとつ、馴染めないというかついていけない事柄である。そのためやむなく昼食の世話は俺がしてやってるわけだが…兄としては、頼られているという実感があって、ちょっぴり嬉しかったりもする。
「いえ、学食にも、そろそろ挑戦してみようかとも思うんですが…今日は、琥珀にお弁当をお願いしましたの。後で持ってきてくれるそうですから、いつもの中庭で、その…二人っきりで…」
「?有彦もダメか?」
「あ…。あの、乾さんには申し訳ないですけど…」
「あー。あんなのに気をつかわなくていいって。大体、今日も学校きてるかどうかすらおぼつかない奴は最初から想定外」
 俺の言葉にウソはない。実際、中学以来の腐れ縁ではあるが、あいつが今日はさぼらずに登校してくるかどうかなんて、その瞬間の有彦の気分次第。本人だってわかりはしないだろう。
「――ふふ。そんなひどい扱いも許容できてしまえる関係って、ある意味、うらやましいかもしれませんね」
「そーかー?俺は、いつ縁が切れても痛痒は感じないと思うけど」
「きっと、乾さんもそう言うと思いますわ」
「…だろうな。しかしそっか、琥珀さんお弁当持ってきてくれるんだ。空きっ腹で待つ楽しみができたってもんだ」
 ひょっとしたら、朝食の件はそれを見越したイジワルだったのかな、と俺はチラリと思ったが、楽しそうに笑う秋葉の横顔からは、その真意は読み取れなかった。

 * * * * *

 四時間目終了のチャイムと同時、学校は一日で最大の喧騒に包まれる。無論、昼食確保のための生徒の騒乱が原因だが。
「人間とは浅ましい生き物だねぇ」
 学食の順番取りやパンの争奪戦とは無縁の、弁当持参の生徒の余裕をかまして、俺は席を立つとそのまま中庭に向かった。有彦は今日は休みだったから、体よくあいつを除外する苦労もせずにすんだのは僥倖だろう。
「…あ。でも、シエル先輩も来るかもな。まあ、先輩はお弁当かもしれないけど」
 少し心配になりながらも、中庭の芝生の木陰に既に座り込んでいる秋葉の方へ、俺は駆け寄った。
「よ。早いな秋葉」
「兄さんは相変わらずルーズですね」
「はいはい。…ところで、琥珀さんもまだ?」
「ええ。…おかしいですわね、授業終了10分前には来て、他の生徒の皆さんの目につく前に帰るように言っておいたのに」
「…あれ?一緒に食べるんじゃないの?」
「それじゃ兄さんと二人きりに…そ、その、琥珀のあの格好は、学校では目立つと思いまして」
「ああ…和服に割烹着のお手伝いさんはなぁ。俺も、家に帰ってきて初めに琥珀さんに会ったときは、そのアナクロぶりにちょっと驚いたし」
「…そ、そうだったんですか兄さん?」
「ああ。翡翠のメイド服もだけど、屋敷の中ならまあ、あるいはむしろ自然な格好かもしれないけど、世間一般では――少なくとも学校という場では、違和感バリバリだろうな」
「……………」(汗)
「……………」(汗)
 俺たちは、頬にたらりと一筋の汗が流れるのを自覚しつつ、じったりと、見詰め合った。
「あー、志貴〜〜、ヤッホ〜〜〜」
「すいません〜〜、おそくなりました〜〜」

 どげらごけしっ!!!

 俺と秋葉は、ダブルでずっこけた。
 いきなり背後から脳天気な声をあげつつ姿をあらわしたのは、危惧したとおりのお手伝いさんスタイルの琥珀さんと、何故か、何故か、何故かなんでどうしてこいつがちきしょうあーもうどうしてくれようかこのバカたれはああああっ!!!
「アルクエイドっ!」
「なによー志貴?」
「なんで…なんでウチの学校の制服なんかきてるんだこのブルセラ吸血鬼っ!!」
「えー。だって、学校の制服着てれば目だないでしょ?」
 不思議そうに、黄色のベストに制服のややミニなスカートというアルクエイドはクルリと回ってみせた。
「どこかおかしい?」
 いや。金髪碧眼という、いかにもヨーロピアンな美女がですね。日本の女子高生の格好するってのはもう、琥珀さん以上に違和感バリバリなんですけど。
 と、頭痛そうに隣の秋葉が怒鳴りつけた。
「歳を考えなさいあなたはっ!!」
 ぴしっ。
「…あれ?何だか今、何気にもの凄まじく失礼な発言があったような気がするんだけど」
「あ〜ら、耳まで遠くなったんですか?まあお年寄りなんですから仕方ありませんわねぇ」
「ふっふっふっふっふ…」
「おっほっほっほっほ…」
 
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…

 不敵な笑みを浮かべて対峙する、「真祖」と「鬼」の間の空間は、冗談抜きで危険な歪みを生じていた。例えるなら、荒木飛○彦調な擬音がよく似合いそうな。
「ささ、志貴さんお腹減ったでしょう?たーんと召し上がれ」
「いや、あの琥珀さん、今まさに地球が大ピンチな状況なんですけど、わかってます?」
「いやー。だって、秋葉さんったら学校に持ってきて、とだけで詳しい場所を教えてくれなかったんですもの。教室に伺ったら秋葉さんも志貴さんもお姿が無いし…いっそ、放送で呼び出してもらおうかと思ったんですよ」
「お、俺らの教室に行ったんですか琥珀さん…!」
 これで、五時間目後の休みは散々クラスの連中から問い詰められだろうことをゲンナリと覚悟して、俺は頭を抱えた。まあ、放送で呼び出されるなんて、全校中に恥をさらすような最悪の事態だけは何とか回避できたことだけは、喜んでおくべきかもしれないが。
「そーよ。あたしがたまたま通りがかって案内してあげたんだからね。感謝されこそすれ、怒られる謂れはないわ」
「うっ…」
 バツ悪そうに視線を逸らす秋葉。同時に物騒な殺気も掻き消える。そんな秋葉を、アルクエイドが余裕をもって見た。
「じゃあさじゃあさ志貴〜、一緒にお昼たべよ♪」
「まあ…お前一人分くらい、余分はありそうだけど…」
 芝生に準備よくシートを広げて三段重ねの重箱を開いている琥珀さんを見る。重箱には定番のから揚げ、卵焼きといったおかずが並んでいた。
 朝食抜きということもあるが、不覚にも腹の虫が悲鳴を上げている。
「えへへ。じゃあこのローストビーフもーらいっ。…ん、おいしいわコレ」
 行儀悪く指で摘んでおかずを口に運ぶアルクエイド。人間の食べ物も食べられないことはないそうだけど、彼女にとって食物は、味覚を楽しむだけの趣味的なものだろうが。
「じゃあ、まあ、開き直るか。…メシにしようぜ、秋葉」
「兄さん、ですからそのような言葉使いは…はあ、もういいです。この量だと、琥珀も一緒に食べていくつもりで作ったんでしょ?」
「はい、お留守番は翡翠ちゃんにお願いしましたから。…というか、翡翠ちゃん、誘ったんですけど相変わらず外出したがらなくって」
「ふーん、そなの?なんか、難儀な性格してるみたいねあの娘」
 とにかくも、楽しい昼の一時に入ろうとした、その瞬間。

「こ〜〜〜の〜〜〜〜〜……アーパー吸血鬼ぃいいいいいいいいっ!!!」

 どがががががががががっ!!!!

「みぎゃああああああああああああああああああああっっっ!!!?」
 怒号と共に突如飛来した数十本の剣が、アルクエイドを軽くスッ飛ばした。衝撃でそのままアルクエイドの身体はコロコロと転がっていく。
「シ、シエル先輩…?」
 アルクエイドとは逆方向――つまり、剣が飛来した方向から、大魔神みたいな形相をした先輩が、ずどどどどっとこちらに一人だけでも「殺到」という勢いで駆け寄ってくる。
 制服ではなく埋葬機関の黒の法衣姿。バリバリの戦闘スタイルだ。右手には釘をそのままスケールアップしたような剣、そして左手には何故か、カレーパンを持っていた。
「あ、あは、こんにちは、シエル」
 並みの吸血鬼ならそれ一本で6回は軽く死ねるという「黒鍵」数十本の直撃を喰らったとはとても思えない様子で、あっさりアルクエイドが復活してくる。ただ、珍しく微妙にその笑顔が引き攣っていた。
「もう!今日という今日は許しません!人の制服を剥ぎ取っていくなんて、なんてことしてくれるんですかっ!…あ、こんにちは遠野くん」
 本気で怒りながらも律儀にこちらに挨拶してくる先輩。なるほど、あの制服は先輩の服だったのか。…って、おい!
「アルクエイド、お前!!」
「や〜ん。シエルにはものごっついイジワルしてもお許しになるのよアタシ的には」
「なに自分勝手なこと言ってるんですかっ!人をあんな汚いトラップに誘い込んで…!!」
「トラップ?」
 怪訝そうにアルクエイドを見ると、うん、とあっさり彼女は頷いた。
「睡眠薬入りのカレーパンを進呈したんだけど」
 くやしそうに、先輩が頷く。
「怪しいとは思ったんだけど!!」
「「「「なら食べるなよ!!!」」」」
 思わず全員でツッコミをいれてしまう。
「カレーパンさんに睡眠薬を仕込むなんて、なんて卑劣な!その罪、万死に値します!」
「…あの…そのカレーパンって、もしかしてそれ?」
 左手のカレーパンを齧りつつ弾劾を続けるシエル先輩に、俺は、何か大事なものを少しずつ失う喪失感を覚えつつ、尋ねてみた。
「あ、私、薬物には身体を慣らしてますからもう大丈夫ですよ。それに、薬がかかった部分はもう食べちゃいましたし」
「…そうですか…」
 なんかもう、そんな風に応えるしかない俺を無視して、先輩とアルクエイドは盛り上がっていくようだった。
「眠った私の服を剥ぎ取って、下着姿で部室に放置しておくなんて!もし誰かに見られたら貞操の危機じゃないですか!」
「亀甲縛りから自力で縄抜けしといて非力なフリするんじゃないわよ!ああもう、こんなことなら情けをかけずに、思い切って全裸にして「便所女」とか立て札置いてその辺に放置しとけばよかったわ!!」
「な、な、な、なんてハレンチな発想するんですかあなたはっ!この淫乱女!!」
「なーによムッツリスケベ!エセフランスの正体インド人!」
「ぬぅわんですって〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 服のあちこちからシエル先輩が物騒な武器を手品のように出現させるのと同時。
 アルクエイドが周囲の世界を支配する。

「死にさらしてくださいこの腐れ外道〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「うっさいこのガリガリ頭の宗教テロリスト――――!!!」

 瞬間、二人を中心に世界が白熱し、逃げようとしていた俺たちまで巻き込んで、何もかもきれいにスッ飛ばしてくれた。

 * * * * *

 魔は、魔を呼び寄せる。
「類は友を呼ぶ、ともいいますわね」
 ぽつりと、呟いた秋葉の言葉が、情け容赦なく真実を表していて、俺はがっくりと居間のソファーに身を沈めた。
 簡単に説明すると、二人の火力で中庭にちょっとしたクレーターを残して、勝負そのものは痛み分けということになった。その後は、周囲の…というかほぼ全校生徒にシイル先輩の暗示とアルクエイドの魔眼、それにあまり深くは考えたくないが、琥珀さんの怪しげな薬でなんとか事件を誤魔化して。更に秋葉が何やら学校相手に裏工作をしたらしく。
 なにかもう、知りたくもなかった社会の暗部とやらと会合してしまったものの、放課後には、何事もなかったかのように学校は平静を取り戻していた。
 まあ、人払いの結界を施して、アルクエイドとシイル先輩が午後一杯使って穴を埋めちゃったこともあるけど。
「うにゃ〜〜〜。流石に疲れたわ〜〜〜」
 最近、ますますネコちっくになっていくアルクエイドがソファーの上で丸くなりながらぼやいた。
「…元凶が何を言ってるんですか。自分のしでかした不始末はきちんと責任をとってください」
「だから責任とって元どおりにしたじゃない。だいたいシエルも半分は責任があるんだから、そんな偉そうな事は言えないじゃない」
「そもそもの発端はキッパリとアナタでしょう!」
 キィッ、と互いに牙をむいて――アルクエイドとシエル先輩は、ため息をついてソファーに身体を預けた。やはり、疲弊しきってケンカするのも億劫なようだった。
「あの…志貴さま?」
 この中で唯一、昼間の騒ぎとは無縁だった翡翠が、理解に苦しむ風に問い掛けてくる。
「どうして、この方々をお招きになったのですか?」
 嫌悪――というわけではないが、あまり快く思っていないことは確かだろう。特に、アルクエイドは。そんな翡翠の疑問に、俺は答えてやることにした。これは、俺だけの考えでなく、秋葉や琥珀の提案でもある。
「つまりさ。アルクエイドは退屈だから、俺にかまってほしくて今朝みたいに色々とちょっかい出してくるわけだな。じゃあ、一度、とことんアルクエイドにつきあって、欲求不満を解消させてやればおとなしくしてくれるんじゃないかと」
「…で、どうしていきなりパーティーを開くことになるんですか?」
 先程からキッチンと居間を忙しく往復して料理をテーブルに並べている翡翠は、パーティの準備を全く手を抜くことなく進めながら不満を口にする。
「みんなで仲良くおいしいもの食べていれば、そうそうケンカも起こらないだろ?」
 そして、ちょっと声を潜めて翡翠に囁く。
「…アルクエイドとシエル先輩と秋葉が一緒なら互いに牽制しあって、結果的に安全が確保されるんじゃないかと」
 これは琥珀さんの意見である。
「なるほど。――ですが三つ巴の大乱闘、という最悪の事態にも発展しかねませんでしょうか?」
「…………その時は祈るしかないな」
「……まあ……厄介なものは分散しているより一箇所にまとめておいた方が、まだ害は少ないかもしれませんし」
 翡翠も言うようになったものだ。
 でもまあ、俺の希望としてはできるならみんな仲良くしてもらいたい。虫のよすぎる願いだけれど。
 そのためにはとにかく対話…同じテーブル、同じ場所に立つことからはじめなきゃいけないと思う。それぞれに因縁や立場があって、そんなすぐにはお互いの関係を良くすることなんてできないだろうけど、最初から関係修復を考えないで、顔をあわせれば角突き合わせるというのは。
 それに…思えばアルクエイドとシエル先輩が、とにかくも同じ部屋で座っているというのは進歩といえる。アルクエイドはちょっと突飛なところもあるけど人好きのする奴だし、シエル先輩は基本的にすごく優しくて純粋な人で。どちらも、俺は大好きで、大好きだから、この二人には争って欲しくない。それは、秋葉や琥珀さん、翡翠にも同じ事がいえる。
 だから…出来れば、この突発的なパーティは、みんなにとって楽しいものになってくれればいいのだけれど。
「はーい、皆さんお待たせしました〜〜〜」

 ――無理かも。

 両手いっぱいに酒瓶の山を抱えて入ってきた琥珀さんの姿に、俺は即座に絶望していた。

 * * * * *

 一時間後。
 俺の予想を裏切らず、居間は酔っ払いの巣窟と化していた。
「にゃ〜〜、ふにぁ〜〜〜〜〜」
 さっきから人語を解さないアルクエイド。
「いいですか。神はこう申されております。右の頬を叩かれたら痛いですー」
 植木鉢を相手になにやら説法をしているシエル先輩。
「右の頬を叩かれる隙を与えずクロスカウンター。受けた恨みは倍返しは基本じゃないですか。まったく、わけがわかりません」
 顔色は平静だが、なにやら小言マシーンと化している秋葉。
「……………」
 一口飲んだだけで顔を真っ赤にしているくせに、頑なにグラスを手放さずチロチロとワインを舐めている翡翠。
「はいはい、シエルさんグラスが空ですよ〜。秋葉さまもドンドンいきましょうドンドン!あはははははははは」
 ザルの如く杯を空にしながら、余念無く他のメンバーへの酌も忘れない琥珀さん。この場合は、なんでこう抜け目無く事態を泥沼化させるかなってなもんだ。琥珀さんはお酒は強いけど、でもかなり回ってきていることは確かだ。
「…兄さん飲んでないじゃないですか。はいどうぞ」
「あのね秋葉、兄さんは下戸だしアルコールはあまり良くないとお医者様にも言われてるんだよ?」
「…私のお酒は飲めないっていうんですねっ!!?」
「遠野くんおーぼー」
「うにゃ〜〜」
「志貴さん、お酒は気合で呑むものですよ〜」
「ううううう…」
 だー、と泣きながら氷が溶けきって薄くなった水割りを空にする。そのグラスにアルクエイドが氷を放り込み、琥珀さんがスコッチを注ぐ。先輩が水を注いでマドラーでかき回すと、秋葉が俺にグラスを手渡してきた。
「…お前ら、なんでこんな時だけこんなに手際よく…」
 それでも一応薄めに作ってあるウイスキーを舐めながら、俺は意外におとなしい一同を見渡した。
「…吸血鬼でも酔っぱらうんだな」
「ん〜?そうですねぇ、私もそんな話はちょーっと聞いたことないですけど」
 自身、かなり酔いが回っているけれど、不思議そうにシエル先輩も頷く。
「…別に?アセドアルデヒドくらい、簡単に無効化できるけど」
 あっさり素面に戻ったアルクエイドに、思わず口の中の酒を噴出しそうになる。
「な、なんだよお前。酔ったふりしてたのか?」
「ふりじゃないよ。というか、お酒呑むのって実は今日が始めてなんだけど」
 くい、とグラスを傾けるアルクエイドには先ほどまでニャンニャン鳴いていた影は微塵もない。
「人間ってわざわざ脳を酩酊させる化学物質を摂取するなんて、理解不能だなーってずっと思ってたからね。こんな風に錯乱して混乱してさ?」
「まあ…それはそうかもしれないけど」
「でもまあ、ものは試しと思って、ちょっと一時的に体機能を低下させて『酔って』みたんだけど」
「…はあ。で、感想は?」
「ん〜。実はまだ、よくわかんない。初心者だし」
 あははは〜、と笑って、アルクエイドは右手のグラスを軽く掲げてみせた。
「でも、思ったほど悪くはないかな。うん。結構たのしい。――シエルのこの醜態を見れただけでもおもしろいし」
「はい〜〜?呼びました?」
「はいはい、呼んでないから向こういこうね〜」
 半分ずり落ちたメガネ越しに酔眼を向けてくる先輩を態よくあしらっているアルクエイドは、機嫌よさそうだった。
「でも気をつけないと額に肉ってかかれちゃうのよね…」
 とかブツブツ呟くシエル先輩。
「やっぱり肉は基本ですよね〜。私、昔、シキ様に骨って書いたことありますけど」
 何気になんか過去を披露している琥珀さん。
「…にく?ほね?……なによそれ全然わかんないじゃない兄さん!」
「なんで俺に怒る秋葉っ!」
 と、いう抗議を無視して、秋葉は俺を睨んできた。
「…いい機会です。この際、兄さんには色々言いたいことがあります」
「あー。わかったわかった」
 酔っ払いは無敵である。論理的な交渉など何の役にも立たない。ここは馬耳東風に繰言は聞き流すべきだろう。
「そうですか。では兄さん、そこに座ってください」
 …既に座ってるんですけど。まあ、抗弁するだけ無駄だが。
 秋葉はくいっ、とグラスを傾けると、よって入るが明晰な口調で、言った。
「兄さんは、ステキな人だと思います」
「………はい?」
 相手が酔っ払い、ということはわかってはいるが、しかし、いきなりそんなことを言われるとは完全に予想外だった。恨み言や苦言される謂れなら、いくらでもあるだけに。
 こちらの困惑に構わず、秋葉は、酒精のせいばかりとも思えぬ赤みを頬に浮かべて続けてくる。
「…もうずっと昔から、私の理想の男性は兄さんでした。他の男性なんて、兄さんに較べると、いえ、較べる気にもなれなくて。我ながら、こんなことじゃいけない、兄さんはあくまで私の兄なんだから、って、ずっと自分に言い聞かせてきましたのよ?愛してはいけない人なんだって。兄として、傍にいてくれれば、それだけでいいんだって」
「秋葉…」
「私ですね。私、どうしてそんなに兄さんのことが好きなんだろう、兄さんのどこが好きなんだろう、って、自分なりに分析してみましたの。
 だって兄さん、顔は人並みだけどハンサムだし、体は弱いけど運動神経は良いし、性格はルーズで意地悪だけど優しくて海のように心の広い方ですし」
 誉めてるんだかけなしてるんだかわかりゃしない。…ちょっぴり、くすぐったいけど。
「私…私ですね。わたし…」
 とろん、と俺を見つめる秋葉。
 うぅ。か、かわいいかもしんない。
「…私、叱られて怯える兄さんが、とっても好き」
「……はい?」
 顔面がぴき、と引き攣るのを自覚しつつ、俺は、そんな間抜けな声をあげるしかなかった。
「私だって、別に兄さんを叱りたくて叱ってるわけじゃありませんのよ?でもですね、毎朝遅刻ギリギリになって、慌てて弁解する兄さんの情けない顔を見ていると、こう、自分でもムラムラと怒りたくなってきて、それで兄さんの困り顔を見ていると、ああ、なにかこう落ち着くというか。最近は毎朝一度は兄さんを叱らないと、朝が始まった気がしなくって」
「――おい。こら秋葉」
「好きな子ほどいじめたくなるって、本当なのかもしれませんわね…」
「遠い目をしてそんな結論出すなお前はっ!」
 と。
「秋葉さまっ!!」
 常にない強い声を上げると、琥珀さんが立ち上がった。そのままつかつかと秋葉の方へ歩み寄る。
「……?」
 怪訝そうに自分を見上げる秋葉の視線と位置を合わせ、琥珀さんは、そっと秋葉の手をとった。
「…わたくしも、秋葉さまのいうとおりだと思いますっ!」
「おおっ!同志っ!」
「またんかお前らっ!!?」
 思わず抗議の声を上げるが、同志的連帯感に結ばれているらしい二人はキレイにこっちを無視してくれる。
「わたしもなんだか…志貴さんを困らせると、ああっ、もう可愛いんだからあ、って身悶えしちゃいたくなりますっ!」
「そうよね!そうよね琥珀っ!」
「ええ!志貴さんの(ピー)を口に咥えてはむはむしちゃって、頭をペロッて舐めちゃったりして、その度に志貴さん女の子みたいに恥ずかしがったりしちゃって〜!
 もう、こっちは出しちゃってもいいのに、とか思ってるのに必死になって我慢してる志貴さんの羞恥にまみれた顔ったら!」
「え〜?そ〜なの〜?志貴ったら我慢するんだ?…もう一度火がついたらもうケダモノのように疲れ知らずでガンガン突いて突いて突きまくる掘削マシーンって感じだけど」
 更に人聞き悪さ満点なことを云いながら、腐れ吸血鬼が参加してくる。
「志貴ってさー。優しくするよ、とか言っておきながら、頭に血が上るとあんまり優しくないよね。…まあ、パワフルなのも嫌いじゃないけど」
「まったく兄さんったら、普段はあんなに病弱なのに、あの時はどこからこんな元気が出てくるのだか、本当に理解に苦しみますわ」
「男の子はそれくらい元気な方がいいですよー。でも、志貴さんて運動とかあまりされませんから体は細いのに、どうしてあんなに…ぽっ」
「…遠野くん、きれいな体つきしてるよ」
 少し体をグラグラさせながら、シエル先輩まで会話に参入する。
「確かに筋肉はあんまり鍛えられてないけど、でも余分な贅肉がなくて、決して貧弱じゃなくて。なんていうか、ただ斬る、という一点のみに鍛え上げられた刀のような美しさがあるというか。肌も白くてすべすべしてて」
「…ちょっとシエル。あんた、そんなまじまじと志貴の体を舐めるように観察してるわけ!?うわ、えっちっち〜〜」
「ほんと、シエルさんえっちっちです〜」
「人の兄をそんな目で見てるなんて…不潔です!」
「な、な、な、なによそんなみんなして人を悪者にして〜〜〜!!?ああ、でもですね、遠野くんにはほんっと、気をつけた方がいいですよ〜。調子にのると、後ろの方までその…してくるんですから」
「え?後ろの方って?」
「…ははあ。指を入れてくるんですか?」
「…………………」
「ま、まさかシエルさん、その、まさかっ!?」
「え?なに、なんなのよシエルっ!?」
「兄さんったら…わ、わたしにはそんなこと、してくださらないのに…」

 ……決して、険悪というムードではない。
 むしろ、俺が最初に望んだ、和やかな空気。それにずっと近い。
 少なくとも、皆、共通の話題を嬉しげに話している。いい雰囲気、と言っても良い。
「ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう……」
 だけど、人を肴にしてキャイキャイと黄色い声を上げる女の子たちを前に、俺はただ、泣きくれるしかなかった。そ、そ、そりゃあ、自業自得かもしれないけど!しれないけどさあああああっ!!?

「――皆さん」
 その声は、決して大きいとはいえない声だった。むしろ囁きに近い、か細いともいえる声。
 けれど、誰にも無視させない、そんな声だった。

 女性陣の中で唯一、顔をもうこれ以上ないくらい真っ赤にして俯いていた翡翠が、座の中央に進み出てきた。
 そして、手にした小さなワイングラスを、一気に傾ける。
「ちょ、ちょっと翡翠…!?」
 小さく動く翡翠の喉を見ながら、俺が何かを言うよりずっと早く。
「皆さんは間違ってます…!」
 何やら据わった目つきで、翡翠は断言した。
 思わずしん、と静まり返る一同の前で、翡翠は拳をぎゅっ、と握り締める。
 そして言った。
「志貴さまは、寝顔が一番かわいいんですっ!!!」

 ずがごけらぶしゃ――――――――――――んんんっ!!!

 …床の上で引き攣る俺を尻目に、翡翠の声は続くようだった。
「静かに、まるで彫像のような静かさで寝ている志貴さまも良いですが、やはり目覚める一歩手前の状態の志貴さまのお顔は、ほんのりと頬に血色がさしてきて、その絶妙な色合いがとても美しいのです!眠りから覚醒へ移る、ごく短時間の間の変化、朝というこの限られた時間でしか鑑賞できない、ああっ、まさに志貴さま付のメイドでしか味わえないこの至福の時!」
「あ、あの、翡翠、ちゃん?」
 おずおずと琥珀さんが口を挟もうとする。
「なんですか姉さん!?」
 びしいっ!
「…………い、いえ…なんでもないです…」
 そのまましおしおと、琥珀さんはソファーに沈んでいった。
「――そして、そして、何と言ってもたまらないのは…寝言っ!!
 あっ、ううん、とか、鼻にかかったそんな喘ぎ声は、無邪気な天使のような寝顔と合わせて、もう体中の神経が感電したように痺れてしまって、私は、もう乳首の先がきゅん、となっちゃうんです…。
 微かに動く睫毛。
 ゆっくりと開かれていく瞼。
 そしてそこから覗く、まだ睡魔に囚われてとろんと霞んだ瞳。
 小さなあくびをして、口をもごもごとさせて、目をこすりながらベッドから身を起こす志貴さま。
 そして、わたしに気づいて、わたしを見て、わたしだけを見つめて、微笑むのです。

 ――おはよう、翡翠。って。

 だからわたしも言うんです。おはようございます志貴さま、って。
 朝日の中で煙るような微笑を浮かべる志貴さまを見ているだけで、ああ、また今日も志貴のいる一日が始まるんだ、今日という日が始まるんだ、って、わたしはそれを感じることができて、信じることができるんです。
 とてもささやかかな、それがわたしのしあわせ。わたしのちいさなちいさなしあわせ。
 志貴さまは、そうやって毎朝わたしをしあわせにしてくれるんです。
 わたし…いま、毎日が、とてもしあわせです…」

 夢見るように翡翠は。
 そういって、小さな唇を閉じた。
 後に残るのは少しの気恥ずかしさと、少しのうらやましさ。そして、形にするまでもない、肯定。
 いいよ。わかるよ。
 そのしあわせ。
 そんな、肯定。

「な・の・に」
 ぎろり、と前髪の間から、それこそ魔眼じみた瞳を翡翠はアルクエイドに向けた。
「ひ…ひいう!?」
 そのド迫力に本気で怯えてシエル先輩と抱き合っちゃうアルクエイド。
「…その…至福の朝を…わたしの一番の楽しみを…」
 ゴゴゴ、と、周囲の空気が圧縮させるような息苦しさ。七夜の血だか生物の本能が、極大の危険を全力で警告する。
「ジャマしてくれやがるとはいい度胸ですこの腐れマ(ピー)!!毎朝デジカメで志貴さまの寝顔激写・完全保存という私の日課と趣味をどうしてくれます!!?」
「そんなことやってたんかいお前っ!!?」
 ふっ、と。
 今、メガネを外してアルクエイドを見たら、夜なのにありありとその体に死の点が見えそうな予感があった。
「はー。翡翠ちゃん普段は感情を抑圧している分、一度切れたら歯止めはきかないかも」
「何を呑気に解説してるの琥珀!あんた姉として妹をなんとかしてよなんとかなんない!!?」
「いやですねぇ。…何とかできたらとっくに何とかしてますよ秋葉さま」
「はあ。それはそうですね」
 達観したような、それとも全てをあきらめたような口調でシエル先輩がのたまうと同時。

 ぱたん、とあっさり翡翠は床にうつ伏せに倒れた。

「――はい?」
 おそるおそる、酒瓶の先で翡翠の体をつついてみる。
 無反応。
 いや。
「…………すぅ…すぅ…」
 微かに、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「あ。考えてみたら当然ですね。いつも翡翠ちゃん、お酒が入ったらすぐ寝ちゃうもの」
 その言葉に、琥珀さん以外の全員が腰砕けになって床にへたりこんだ。
「あ…は…はは…生きてるって素晴らしい…」
 感極まったのか、アルクエイドにいたってはちょっぴり涙目になってたりする。
「はあ。ホッとしたけど、なんか酔いが覚めちゃったわね」
「じゃあ、呑みなおしますか?」
 こちらも大分シラフに戻ってきたシエル先輩が、ちょっぴりトボケたように言う。
「そーね。あたしも、せっかくだから今日はもっと酔ってみたい」
「じゃあ、新しいお酒もってきますね。皆さんしばらくお待ちください」
「――おい。ちょっと待ってくれよみんな?」
 とりあえずソファーの上に翡翠を横たえながら、俺は声を上げた。ワイングラス一杯でとっくに翡翠はダウンしている。そんな翡翠を放っておくわけにはいかないだろう。
 と、そんな俺を皆が、一斉にジト目で睨んできた。
「な…なに?」
 誰かが、ハア、とため息をついた。
「朴念仁」
「野暮天」
「鈍感」
「兄さん。…折角、私たちが今夜は翡翠に兄さんを譲ってあげようといいうのに、その気遣いを無駄にしないでくださいな」
 一同を代表するように、秋葉が髪をかきあげながらそう言って立ち上がった。
「皆さん。中庭にでましょうか?今夜は月がきれいですから、夜空を肴に一杯というのも乙なものかと思いますよ」
「え、あ、おいちょっと?」
 先導するように出て行った秋葉を追うためにみんなも立ち上がった。
「まあ…今日は、翡翠さんを大事にしてあげてください」
「…うう。しばらく朝の訪問は控えよっと」
「それじゃ、頼みましたよ志貴さん。もう志貴さんの好きなように好きなように好きなように好きなように餌食にしちゃっていいですから」
「いや餌食って琥珀さん」
 ゾロゾロと出て行く一同を見送って、俺は熟睡している翡翠に視線を向ける。
「…寝顔が可愛いって、そんなの俺に限った話じゃないけどな」
 軽い。軽い、翡翠の体を抱き上げて、俺は翡翠の部屋へ向かった。この頃では、酒が出れば必ず眠ってしまう翡翠を部屋まで送り届けるのはすっかり俺の役目になってしまっていた。
「…好きにしろって、こんな気持ちよさそうに寝てるのに、何かできるかよ」
 気を回しすぎなんだよみんな。
 そうぼやきながら、階段を上る。
 まあ、二人っきりにしてくれるなら、今夜は一晩中、今までの仕返しに翡翠の寝顔を見つめてやるとしようか。
 それはとても良い考えに思えて、俺はクスリと笑うと、何も知らずに俺の腕の中でこんこんと眠る翡翠の身体を抱え直した。

 俺が早起きできない理由の半分は、夜になると遊びにくるアルクエイドのせい。
 あとの半分は…そのアルクエイドを撃退することに成功した誰かが、俺と一緒に過ごすから。今夜は結果として、久しぶりに翡翠が勝者(?)になったわけだけど。
「でも、今夜はゆっくり眠れそうだけどな」
 翡翠を起こさないように、俺は静かに二階の廊下を歩き出した。



(了)





















(余談)
「…翡翠?」
 秋葉の呼びかけに、立ったままうつらうつらしていた翡翠は慌てて居住まいを正した。
 ……………。
 氷点下の視線を、秋葉が向けてくる。
 登校前の、朝のお茶。いつもの風景。でもいつもとはちょっとだけ、違う風景。
「…期待を裏切らない兄さんって、ステキですわ」
 すっげぇ皮肉。
「あ。あは。あはははは。はは。いや。その」
 寝顔を見つめているだけのつもりだった。
 ええ、そのつもりでしたとも。
 でもね。
 そんな、翡翠の可愛い寝顔を目の前にして。
 こう、こみ上げてきちゃうのは男としてはむしろ男としては当然なことではないでしょーかと、遠野志貴は声を大にして言いたい!
「ケダモノ」
「助平」
「絶倫魔人」
 結局昨夜は泊まっていったアルクエイドとシエル先輩、そして琥珀さんが次々と追い討ちをかけてくる。
「兄さん、今日も朝食ヌキ」
「かしこまりました、秋葉さま」
「あうううううううううううううううううううう…」
「…すいません、志貴さま…」
 別に翡翠が謝ることはないだろうけど、他に言い様もなかったのだろう。
 ああ。
 遠野志貴の日常は、幸せだとは思うけど、でも、ちょっぴり、騒がしい。
「俺は芸もなく平穏に毎日を過ごす、ただのバンピーだったのになぁ…」
「また何を無茶なことを言ってるんだか、志貴は」
 無茶か?無茶なのか?
 俺が望むものはそんなに無茶なことなのか?
 ああ。
 俺の日常は、いったい何時からこんな突飛なものになってしまったんだろう?
「本人に責任の自覚が無いのは困りものですよ」
「まあ一番困ってるのは本人ですから」
 ……………。
 ………………………………。
 …………………………………………………………。
 ううう、納得いかん。納得いかんぞ――!
「まあ、あきらめちゃってください」

 うわ―――――――――――――ん!!!(号泣)



(終わる)









【あとがき】
 たさいに近いけど、微妙にたさいでもない。
 シエルグッドエンド拡大版、といった感じでしょうか?翡翠ひいきだけど。
 ちなみに出だしでアルクエイドが早朝に訪問してるってことは、昨夜は誰かが一緒にいたってことですかね、フフフ。

 ふっ、と思ったんですが、こーいう状況だと、志貴は翡翠と琥珀、二人の観応者と契約してるってことですかね。するってぇと、二人分のバックアップがあるわけですか体力的に。

 ああ。
 なるほど。(なにが?)






 ☆ コメント ☆

綾香 :「この作品を読んで思ったけど、月姫の世界で最強なのってひょっとして翡翠さん?
     最凶って言い換えてもいいけど」(^ ^;

セリオ:「かもしれませんね。
     まあ、普段おとなしい人は切れると怖いって言いますし」(;^_^A

綾香 :「うんうん」(^ ^;

セリオ:「それにしましても、翡翠さんって親近感を憶えます」(^^)

綾香 :「なんで?」

セリオ:「だって、昔のわたしに似てますから。
     無口で無表情で主人に一心に尽くすところなんて本当にそっくりです」(^^)

綾香 :「うーん。まあ、確かにそうかも。
     ……って、ちょっと待って」

セリオ:「はい? どうしました?」

綾香 :「『セリオ=翡翠さん』ってことは……」

セリオ:「てことは?」

綾香 :「姉妹という立場から言って『マルチ=琥珀さん』?」(−−;

セリオ:「……うわ」(−−;

綾香 :「権謀術数に長けたマルチ」(−−;

セリオ:「裏を返せば、掃除の得意な琥珀さん、ですか」(−−;

綾香 :「見たいような絶対に見たくないような」(−−;

セリオ:「というか、想像も出来ないですね。あまりにもイメージが違いすぎて」(−−;

綾香 :「や、やっぱ、マルチは大ボケで琥珀さんは破壊魔じゃないとね」(^ ^;

セリオ:「ですねぇ」(;^_^A

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マルチ:「あう〜。わたしのイメージって大ボケで確定なんですかぁ?
     ……えぐえぐ」(;;)

琥珀 :「あはー、お二人ともひどいですねぇ。
     あとでちょーっと座敷牢にご招待する必要がありそうですねぇ」(^^メ

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綾香 :「う゛。なんか悪寒が」(−−;

セリオ:「……あう」(−−;;;




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