(2)

 二つの月が輝く下。
 蒼く凍った夜の世界で、自分を殺そうとするモノと対峙しながら、志貴は考えて続けた。
 かつて、自分の体内に入り込んだ吸血鬼の血だけを殺し、無効化したことはある。
 志貴は酷使され、熱を発してグラグラと煮立っているような脳の痛みに耐えながら男を凝視した。
 …よく、見えない。
 よく理解している自分の身体に較べて他人を精密に視てとるのはより困難なことなのか。
 ともかく、何らかの異物が、男の死の線とは別の線が、見えるようではある。だがそれらは非常に複雑に絡み合い、容易に判別できるようなものではなかった。
(点が見えれば楽なんだが…)
 必死に気力を奮い起こし、志貴は男を視る。だが、男の方はそんなことには全くかまわず。
 跳んだ。
「…こっ…!」
 この、という暇も無い。速いが乱暴なだけの男の爪を辛うじてかわし、とにかく距離を取ろうとする。

 ビビビッ…

 男の各所でそんな音が響き、そして布地がはぜた。
 男の体からデタラメに伸びだ触手。

 ――かわしきれない。

 ズパパパパパパパパッ!!!

「ガッ……!!」
「にーちゃん!!」
 鞭の殴打の雨を受け、自分の体の表面があちこちでこそぎ取られる。その激痛が、痛みで失神することを許さない痛みが。
 悲鳴は上げられなかった。
 悲鳴を上げる、というのは意外に体力を使う。逆に言えば盛大な悲鳴を上げられる痛みは、まだ余裕がある。
 そして志貴に余裕は無かった。
 右手のナイフが動いたのは、己の防御本能の賜物だったかもしれない。

 さくっ。

 右手の一閃。それで開いた隙間から、志貴は鞭の射程範囲外に転び出た。
「うあ…」
 慌てて駆け寄ってきたキララが思わず呻き声を洩らすのを聞いて、己の惨状に想像がつく。あまり想像したくはなかったが。
 それでも、体が欠けてなくなったり動かないという事になっていないのは幸いだろう。

「そうか」

 ぼんやりと、そして初めて、光狩憑きの男が喋った。
 こちらを見ているのか見ていないのか、正気なのか狂気なのか、わからない口調で。

「そうか」
「そうか」
「足りない」「使っていれば」
「火者」「追手?」
「毒を」
「バカだ」
「かけたのに」「罠」「護章を持つ者」「違うのか?」
「何が足りない」「終わっていたのに」
「毒」

 男の体の、手足の、あちこちからデタラメに伸びた触手。
 触手ではない鞭。鞭ではない舌。トゲがびっしりと生えた舌。
 それが触手でもなく鞭でもなく舌なのは、口から生えているからだった。
 膝で、腹で、背中で、腕で、脛で、首で、そこにある口が舌を伸ばして囁きをかわしていた。

「毒」「染み込ませておけば」「痛い」「憎」「死ぬ」「死ね」「死ね」「死ねよ」
「痛い」「切られた」「ムカツク」「死ねよ」「しねよ」「シネヨ」
「シネヨ」「シネ」「シ」「シ」「シシシ」
 
 しししししししししししししししししししししししししししし。
  ししししししししししししししししししししししししししししし。
   しししししししししししししししししししししししししししししし。
    ししししししししししししししししししししししししししししししし。

 コオロギのように。だがとてつもなく神経に障るコオロギが。蒼い二つの月の下、独りでコーラスを唄っていた。
 黙って身構える志貴を見つめ、コオロギは言った。
「今度は」「使う」
「毒」

 ビュッ!

 同時に風切音が二つ。左右から舌が襲い掛かる。それを前に飛び出しつつ後ろ手で切り捨てると、志貴は駆けた。コオロギに向かって。
 線の切り口は死んでいるためそこから再生してくることはない。だが、根元の口から幾らでも、舌は長く長く伸びていくようだった。
 だが、数が増えたといっても10本には届かない。
 速いといっても線は変わらず見える。
 かつて、この公園で戦い、殺した死徒――ネロ・カオスの666の獣に較べてきつい、ということは無い。決して容易というわけではないが、自分の射程内に入った舌は全て切り落としつつ、志貴は道を歩くのとさして変わらぬ歩調でコオロギに近寄ってゆく。

 ――おかしい。

 無限に伸びる舌を切り落としながら、そんな疑念が志貴の胸中に湧いた。

 ――うまく、いきすぎる。

 もう少し抵抗があってもよいのではないか。
 もう少し、てこずって当然なのではないか。
 
 また一歩、距離が縮まる。

 なぜ、こいつは後退しないのか。自分から距離を開けようとしないのか。

 切り落とされた舌の先端は地面でのたくるうちに、みるみる劣化してゆく。
 だが、舌そのものは無限かと思えるほど、後から伸びてくる。

 ――なぜ、2本しか舌を使わない?

 もう5.6本増えたところで対処できないわけではないが、それでもそれだけこちらの疲労は増すし、前進のスピードは格段に落ちるだろう。

 ――攻撃が単調すぎる。自分に有利すぎる。
 それはつまり。

 男の顔の口が、大きく開いた。それに続けて攻撃に参加していない各所の口も開く。

 ――ナニカ、ヤバイ。

 男の顔が、笑った。

 GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY……!!!

「ぐわっ!?」
「ひっ…」
 鼓膜が破れるような大音量。
 激痛と苦痛を伴う音の爆発が、志貴とキララを打ち倒した。
「う、あ、あ、あ、あ」
 キララが涙をポロポロと零しながら地面に崩れ落ちる。
 反射的に耳を塞ごうとして、しかし腕は脳の命令に従うことができなかった。
 指一本動かすこともできず。身体はピクリとも反応しない。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ…」
 音が止んだのか。自分が何を喋っているのか。
 聴覚が麻痺し、偽りの静寂に包まれて、相変わらず動かない身体に縛られたまま。
 志貴は、コオロギの舌がゆっくりと振り上げられるのを見せられた。
 その棘だらけの舌が自分に与えるであろう痛みを思い、志貴は慄然とした。

 こいつは。
 ああ、こいつは。

 唐突に、志貴は理解した。

 こいつは、苦痛を与えることを楽しんでいる。
 だから、殺さない。
 毒なんてウソだ。死ねなんてデタラメだ。
 死んだら、痛みを感じない。
 だから、こいつは、今まで8人の人間を襲いながら、誰も殺してはいないんだ。
 この、単純なるサディストは。
 己の、そんな歪んだ欲望のためだけに。

「この――」
 僅かに音が戻ってきて、自分の喉が思ったとおりの声を出していることを確認できた。
 何の役にも立たないが。
 歪んだ舌が、歪んだ欲望で、空気を裂く音を立てる―――

 ドオオオッ!!

「なっ!?」
 自分の背中の方から、せっかく回復してきた耳をまた痛める轟音。
 同時に赤い光。

「…火?」
 なんとか後ろを振り返ると、公園の入口で盛大に炎が噴き上がっていた。更に連続して何かが爆発し、紅蓮の炎が一帯を埋め尽くしていた光狩を飲み込んでゆく。
 そして。

 ゴウンンッ!!!

 まだ火勢の衰えぬ炎の壁を一気に突き抜けて、一台のバイクが飛び出した。
 ハイビームが一瞬、志貴とコオロギを照らし出す。

 カアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!

 バイクは全くスピードを緩めず、流石に驚いているらしいコオロギめがけて一直線に突っ込む!

 がすっ。

 全く減速せず、容赦なく、正面から、バイクは男を撥ねた。
 志貴の視界の中で、重さを感じさせずあっさりと宙を飛んだ光狩憑きの身体は、数メートルの飛距離を移動して地面に叩きつけられた。
 ずしゃっ、という、どこか非現実的な音が、麻痺してしまっていた志貴を揺さぶった。
「な…何なんだよ?」
 とりあえず、そんなことしか口にはできなかったが。
 そんな志貴を、ライダーは無視してバイクを降りた。サイドスタンドをかけ、律儀にエンジンを切る。そして無造作にフルフェイスのヘルメットを脱いだ。
 ばさっ、とあまり手入れの行き届いていない、荒れた感じの茶色の髪が広がる。
「大丈夫かキララ?」
「ま…まこと…」
 クシャクシャの泣き笑いで、キララが声を上げつつ身を起こした。
 苦悶を上げつつもがくコオロギに注意を払いつつ、茶系のコートに身を包んだ女――マコトはキララに駆け寄り、ざっとケガの有無を確かめる。
「…詳しい話は後だ。キララ、そこから動くな」
 カシャン。
 右手の手甲を鳴らし、何故か志貴は全く無視したまま、マコトはようやく上体を起こしてきたコオロギに向かって歩き出した。
「ま、待てよ!不用意に近付いちゃいけない!そいつは…」
 無視されて少々カチンとはきたが、さっきの「悲鳴」を注意してやらねば自分の二の舞だ。慌てて声をかける志貴に、女性としては長身のマコトは振り返りもせず、呟くように言った。
「――人間はある種の周波数の音をあびせられると少しの間だが、身体が麻痺してしまう。原理的には鎮圧用に使われるスタン・グレネード等と同じか」
 真っ直ぐ標的を見つめながら、続ける。
「種がばれた手品が通じると思うな」
「ひ――」
 膝立ちになった男の前に、マコトが立つ。

 ごっ!

「がっ―――!」
 右脇腹にマコトの分厚いブーツの先端が食い込み、男の顔の口から舌が飛び出す。
 そしてマコトは全く無頓着に、肩口にある口から伸びた、棘だらけの舌をグローブを嵌めた手で掴んだ。
 躊躇せず男の顔面に靴底を叩きつける。その反動で、びち、と嫌な音を立てて、何かが千切れた。

 ぎ

「ぎゃあああああああああああああああああああああっっっ!!?」
「他人の痛みは楽しんでも」
 不気味な肉片を投げ捨て、マコトはみっともなく泣き喚く男に感情のこもらぬ声をかけた。
「自分の被る痛みには耐えられないのか?お前が他者に与えた苦痛は、こんなものではないだろう」
 言いながら拳を固めて無造作にマコトは近付く。
 そんな彼女に、手をついてガタガタと震えていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
 痩せこけて不健康な色をした肌。そして、懇願の目で、マコトを見上げて言う。
「た…たすけて…」
「……………」
「俺の…なか…いる…化け物が…」
「……………」
「…………たすけ…て…」
 男の顔が、歪む。その目に光るものがあった。

 がっ。

「ぐはああ…!!」
 その顔面の中央に左の拳が埋まり、血ではない何かの体液を撒き散らして男はまたも地面に転がった。
「おい、待てよアンタ!そいつは光狩とかいう化け物に憑依されているから…?」
 非難の声を上げようとして、マコトの姿勢が微妙に変化していることに志貴は気づいた。
 右肩を引き、それに連なる右手は肩のあった空間を貫いている舌を握っている。
 そして、それは地面へと消え、そして男が手をついていた場所から出て、男の掌の口へ延びていた。
 ――命乞いをするフリをして、だまし討ちを仕掛けていたのか。
「…遊ぶのもいい加減にしろ。光狩がそんなヤワなモノならば、我等が苦労することなど無い」
 冷えきった声と同時、ローキックが男の膝を蹴り砕き、左拳が顎を撃ち抜いた。
 だが、男は今度は悲鳴を上げず、僅かによろめいただけで。
「しゃあああああああああああああああああああっ!!」
 残った全ての舌鞭をマコトに向けて伸ばす!
 それを驚異的な体術でマコトはかわしていったが、完全にかわしきることは不可能だった。各所で浅く、血が飛び散る。
 だが致命傷を巧みに避け、最小限度に負傷を押さえつつ、マコトは更に距離を詰める。
「あはははははははははははははっ!!」
 胸に二箇所、腹に一箇所。
 新たに開いた口が哄笑と共に舌を吐き出した。それがマコトの首・左手・右足に巻きつき、動きを封じる。
「へ、へ、へ」
 笑いかけ、しかし捕らえたマコトがまるで表情を動かさないことに、男の眉が不快そうに顰められる。それは比較的人間的なものを感じさせ、その笑いが男の心に隠れていた闇が発露したものであることを、端的に証明していた。
「野郎ッ…!」
 思わず飛び出しかけた志貴より早く。
「理想的だ」
 ギリギリと絞められる舌の痛みに僅かに顔を顰めながらも、マコトは。
 そっと、右拳を男の脇腹に当てる。
「これで、絶対に外さない」

 ズパアアアアアンンンッッッ!!!

 瞬間、男の脇腹が爆裂した。
 盛大な白煙と火花。
 そして特有の硝煙の臭い。

「雷穿甲…!」
 どこかで、キララの呟きが聞こえた。

「…!!………!……………!!!」
 パクパクと、声にならない悲鳴を上げる男。
 ヒメイをアゲラれるイタミなど、まだ余裕がある。
 余力の無い時に、ヒメイは上げられない。
 なまじマコトを拘束していただけに、衝撃を散らすことも逸らすことも出来なかったのだ。
 ブチブチと縛めを千切って自由になると、マコトはまだうっすらと白煙がたなびいている手甲に、炸薬を装填した。
 そして、地面で痙攣して転がる男を、冷静に見下ろす。
「やめろ!」
「…………」
 自分の肩に手をかけ制止する志貴を、マコトは黙って見た。その、無感情な目に何か対抗しがたいものを感じつつ、志貴は言葉を続けた。
「よくわからないけど…あんた、火者っていうんだろ?その、こんなバケモノを専門にする」
「…………」
 無言で肯定するマコトに更に言う。
「でも、こいつは元から悪人なのかもしれないけど、人間なんだろ?人を殺すつもりなのかよ!?」
「あまりに深く融合した光狩を分離するのは不可能だ。殺すしかない」
「なんだよソレ!?…まだダメだと決まったわけでも…」
「もう決定している。だから私がこの町に派遣された」
 乾いた声で、マコトは淡々と言った。
「既に一人、こいつを討伐にきた火者が返り討ちにあっている。その報告を受けて、上層部は私を派遣することに決めた」
 僅かに間を置いて。
「私は、それが専門だから」
 分離不可能な光狩を討つことを任とする。
 つまりは、人殺し専門の火者。
「あんた…それじゃまるで…」
 殺し屋じゃないか。
 それを言うことは、志貴にはできなかった。
 言葉を失う志貴から興味を失ったように、マコトは足元の光狩憑きを見下ろした。油断無く、右手を構える。
「お前ほど殺しに長けた者はいないと聞いたのだがな、遠野志貴」
「え…?」
 なぜ、自分の名を?
 その疑問を口にする前に、マコトは視線だけで志貴に光狩憑きを見るよう促した。
「今、こいつは瀕死のダメージを受けて、生き延びるために必死に力を振るっている。今ならば、憑依した中の光狩本体も、多少は見やすくなっているのではないか?」
 こいつは自分の能力を知っている。
 疑念はますます強まったが、しかし志貴は眼鏡をずらし、男を視ることを優先することにした。
 男の身体に広がる点とラクガキのような線。それに僅かに青みがかった別の線が絡みついている。それが憑依した光狩の線なのだろうが、なるほど、確かに一部は完全に癒着して、光狩の線だけを切ることは難しそうだった。
 こめかみを抉られるような痛みに耐えながら、志貴は点を探す。
 …あった。
 首の後ろ、延髄のあたりにある男の点に隠れるように、無数の線と線が絡み合う奥に、核とも言える点があった。
 少しでも手元が狂えば、他の線を傷つけてしまいそうではあったが。
(…冷静に。こんな時こそ冷静に。そして、見極めるんだ…)
 震える手を抑え、志貴は、じっと点をみつめた。
「…どうした?もう2、3発、ケリでも入れた方がいいか?」
「サラッと怖いこと言わないでくださいっ!!」
「む…」
 意外におとなしく黙り込んだマコトにちょっと拍子抜けしたような気分になりつつも、志貴は再び男の点に視線を落とした。
「…キララ…私は今、何か怖いことを言っただろうか…?」
「えー?別にそんなん無い思うけど。裸に剥いてから発情した牝犬の血を全身にすり込んで飢えた野良犬の群れに放り込んだわけでもなし」
「さり気に殺伐とした会話かわしてんじゃないお前ら――――!!」
 頭を抱え、そしてもうこの二人は完全に無視することに決めて、志貴は三度男に向き直った。
 いつの間にか、手の震えは止まっていた。
 緊張がほぐれ、余分な力が抜けたように。
(あれ…?)
 冷静に、正確に、隙間を見極め、志貴はナイフを構えた。
 ――結果的に、今のわずかな言葉のやりとりが自分を沈静させてくれたのか。
 まさか、意図的にということはないだろうが…。

 かなりあっさりと、ナイフは憑依した光狩の点のみを貫いた。
 
「あ…真月が」
 キララの声より早く、周囲から蒼い色彩が薄れていった。
 思わず見上げた夜空には、孤独に浮かぶ月が浮かんでいる。
 凍夜が終わった。

「…遠野くんっ!」

「え?」
 いきなり名前を呼ばれ、眼鏡を直しつつ振り返る。
 そして志貴は、マコトが突入してきたのとは反対側の方角から駆け寄ってくる、教会のカソック姿のシエルを見出した。

「遠野くーん!!」

 飛燕のような身軽さで走るシエルの姿は、教会のエクソシストとして戦闘装備を整えているようだった。
「先輩…どうしてここに…?」
 なぜ、マコトが自分の名や能力を知っていたのか。なんとなくその理由がわかったような気がして、とにかく久しぶりに出会えた先輩に、志貴は微笑みかけた。

「遠野君のバカ――――――――――!!!」

 ごがす。

「ぱぷうぅ!?」
 突進してきたスピードを乗せた掌底が顎を貫き、あっさり志貴は地面に打ち倒された。
「危ないことしちゃいけないって、いつも言ってるじゃありませんかっ!お姉さんをあんまり心配させないでくださいっ!!」
「えっと、シエル。相手は気絶しているようだが…」
 マコトが、遠慮がちにそう声をかけた。言われてシエルは、レンガ舗装された広場に後頭部から叩きつけられ、白目を開いて痙攣している志貴を見下ろして。
「ああっ!?誰がこんな酷いことをっ!!?」
「「あんたやろが――――――――――!!」」
 マコトとキララが、思わずダブルでつっこんだ。

  * * * * * *

「ようするに…知り合いなの?先輩とマコトさんって」
「知り合いというか仕事の関係上…出会って、日はまだ浅いのですが」
 とりあえずシエルに負傷を癒してもらったものの、疲労はずっしりと残ったままである。それでも志貴は目前に山積みにされた疑問の答えをシエルとマコトに求めていた。
 ベンチには志貴とキララだけ座り、マコトとシエルは微妙な距離を挟んで立っている。ちなみに光狩に憑依されていた男は一応治療は施してあったが、まだ目覚めていない。
 見るからに無口そうなマコトが自分から説明するわけもない、と判断したシエルが説明を始める。
「きっかけは、この辺りで頻発するルナシィ事件を追って光狩討伐のために派遣されたものの、あっさり返り討ちにあっちゃった火者の方を私が助けたことなんですが」
 火者側にとっては随分気に障るようなことをあっさり言うシエルである。多分、別に皮肉っているわけではないのだろうが。
「…一般に妖魔や妖怪と呼ばれるモノに対抗する組織や集団というものは、世界中に色々とあるんです。ただ、そういった集団同士が、必ずしも友好的な関係にあるわけではないんです。宗教的なコトとか、目的や手段の違いもありますし、下世話な理由ですが国家間や民族的な対立、というものもあるんです。
 それに、それぞれ専門というものもありますし…逆に言えば、得手不得手な事も。
 例えば、教会、それも私たちは吸血鬼専門のエクソシストで、この国は教会のテリトリーからは外れているんです。私は、単独行動の権限があるからこの町へやってきたわけですが」
 はあ、と腰に手を当てて、シエルは少し困ったような顔をした。
「無論、私たちの武装は吸血鬼以外の妖物にも大抵は効果ありますが。でも光狩というのはかなり特殊なモノでして…何らかの備えが無ければ、その姿を見ることも出来ないんです。
 実際今だって、凍夜の中の遠野君たちが私にはわからなかったんです。なんとなく気配だけは感じていたのですが…」
「それは仕方が無い。実際、護章が無ければ私たち火者も光狩を見ることはできん」
 そう言って、少しマコトは志貴を見つめて付け足した。
「…もっともお前は見ることができたようだが」
 言われてみればそうだった。確かに最初は護章を持ったキララと一緒だったが、彼女と距離を置いても相変わらず、志貴の眼には光狩が見えていた。
「で、私はその負傷した方を近場の火者の里まで護送するついでに、対光狩用の概念武装を準備しようと思ったのですが」
「――光狩の討伐は我々火者の管轄だ。しかもこの国は我等の本拠だというのに、何故吸血鬼専門の埋葬機関の人間がでしゃばるか」
「そんな縄張り意識で無用な意地を張るのは無益でしょう!今、この瞬間にも、何の罪もない人々が危険に晒されているというのに!」
「こと光狩に関しては我々火者が第一人者だ。責任をもって我等が処理する」
「…と、まあこんな感じで無益な時間を費やしてしまいましたが」
「まあ、な。もっとも、相手が吸血鬼で私が貴女の立場であったら、教会も同じような対応に終わるとは思うが」
 肩を竦めるシエルと、目に見えるリアクションは無いが同様の気分らしいマコトを見ながら、志貴は挙手して質問した。
「まあ、シエル先輩としては不本意極まりないだろうけど…アルクの手を借りるという選択肢は」
「キッパリとありませんっ!!!」
 ギリギリと歯軋りしながら、シエルは震える握り拳を目の前に翳した。それを『誰か』に向けて言う。
「それに、あのアバズレ吸血鬼がこの事を知ったら、自分の好奇心だけで勝手に手を出した挙句、やたらと事態が面倒なことになってしまいかねませんっ!おもしろそう、という理由だけで遠野君や秋葉さんまで巻き込みそうだしっ!いくら能力者とはいえ、鬼の血をひく妹さんはともかく遠野君を危険に晒すわけには!!!」
「うわー、メチャクチャ私情いりまくりやなメガネの姉ちゃん」
「己の欲望に正直だといえ、キララ」
「どっちにしても失礼だよお前等…」
 無邪気な顔で落差の激しい発言を重ねるキララと、真面目な顔で時折ズレたことをのたまうマコトに、じんわりと汗をかきながら志貴は溜息をついた。
「でも、結局――遠野君を拘わらせてしまって。私ってダメですね〜」
 はは、と笑うシエルに、志貴はゆっくりと頭を振った。
「先輩。これはまあ、偶然拘わっちゃったわけなんだし…それに、偶然だけど、これはちゃんと自分で考えて、自分で選んだことなんだ。先輩が責任を感じることじゃない」
「――まあそうなんですけど。でも、遠野君?あなたはとても立派な考えを持ってると思うし、私はそんな遠野君が大好きだけど、だからこそ遠野君が心配なの。
 …遠野君が傷ついたりするのって、私、イヤだから」
「う…うん…」
 少し気弱げな顔で、眼鏡越しにやや上目遣いな視線を向けられて、自分が顔を赤くしているのを自覚しながら志貴は曖昧に頷いた。視界の端で、ニヤニヤと笑っているキララは無視することにする。
「えーと。あ、そういえば、どうするの?この人」
 照れ隠しではあったが、実際、この光狩に憑依された男をどうするのか。これはなかなか難しい問題であるように思えた。確かに本人にも陰湿な性癖はあったようではあるが、通り魔事件などを起こした直接の原因は光狩である。
 とり憑かれ、操られていたこの男も被害者である。このまま警察に突き出しても良いものか。
「…警察に引き渡そう。確かに光狩にとり憑かれてはいたが、それでも初めのうちの犯行は覚えているだろう。多少は自分の加虐嗜好を満足させる歪んだ欲望を満たしていたのだろうし。
 本人にそれを悔いる意志があるのならば、ケジメをつけさせてやるのも良かろう。そんなつもりなど無い卑劣漢ならば、当然の報いというものだ。
 ――まあ、ルナシィによる精神失調ということは考慮されるだろうし」
 淡々と語るマコトの言葉に、志貴は考え込んだ。
 確かにマコトの言うことは一理ある。どの道、このまま放っておくのもそれはそれで後味が悪い。この男によって、傷ついた人は確かにいるのだから。
 シエルを見ると、彼女も目線で同意を示してきた。だからというわけではないが。
「――わかった。じゃあ、そちらに任せてもいいのかな?」
「ああ。後で警察に電話を入れておけばいいだけの話だしな。
 ――キララ、今日はもう遅い。どこか宿をとって、体を休めた方がいい。疲れただろう?」
「…うん。そやね。流石にウチも疲れたわ」
「じゃあ、これで分かれよう。シエル、遠野、協力には感謝する。それじゃ」
 軽く手を挙げて、さっさとやや離れた所に置いたバイクに足を向けかけて、マコトは志貴に顔を向けた。
 そのまま戻ってくる。
「…祁答院マコト」
「――え?」
 一瞬、ぽかんと口を開ける志貴に、変わらない口調でマコトは言った。
「それが私の名前だ。先程は緊急時とはいえ、随分と失礼なことをしてしまった。申し訳ない」
「あ、いや、その…別に、そんな、俺、全然気にしてないし」
「それに――」
 僅かな空白を置いて。
「キララを守ってくれて。本当に、感謝している」
 そして、ほんの少しだけ、マコトは笑った。
「縁があったらまた会いたいものだが、どちらかといえば、そんな事は無いほうがいいのかな。
 ――それでは」
 志貴とシエルに簡単に目礼して、今度こそ去ってゆくマコトの後姿を、ぼんやりと志貴は見送った。
「――マコトって、笑うとちょっとカワイイやろ?」
「う、うん…はううっ!!?」
 キララの何気なさを装った質問につい、正直に答えてしまって志貴は悲鳴を上げた。隣で、少し頬を膨らませたシエルが、腕を抓った指をすばやく後ろに回す。
「ホント、世話になったわにーちゃん。おおきにな」
「…なあ、キララ」
 少し精神的に居住いを正して、マコトの後を追いかけたキララを志貴は呼び止めた。
「お前…いつもこんな危険な目に遭ってるのか?」
「いつもやないよ。まあ、マコトのやっとることがやっとることやから、フツーの人よりは、怖いことも色々あるけど」
「もし、俺がお前の兄貴だったらこんな危険な目には遭わせないように取り計らうよ。キララ、今日は運があったかもしれない。でも、次も助かるとは限らないんだ。
 ――詳しい事情も知らないのにこんな事いうのもアレだと思うが、あまり感心はできないな」

 ……………。

 少し、黙り込んで、それからキララは少し顔を上げて言った。
「…そうかもしれん。頼めば、ウチを居候させてくれる知り合いの二人や三人、心当たりがないわけやない。ウチはそこでおとなしくマコトを待ってて、マコトの足を引っ張らんようにする方がええんちゃうか、思う時もあるし」
 少し、寂しそうに微笑んで、キララはまた少しだけ黙り込んだ。
「ウチのお母さんは、光狩にとり憑かれて。お父さんは、お母さんに殺された」
 な――。
 一瞬、息を呑む志貴の気配に気づいたのかどうか。変わらずキララは続けた。
「ウチも殺されるところを、駆けつけたマコトが助けてくれたんや。
 そうしなければウチは助からんかった。マコトは命の恩人や。
 でも――ウチのお母さんを、殺したのはマコトや」

 ドルルルル…

 遠くで、バイクのエンジンをかけるマコトを見やって。
「正直、マコトを憎んだこともある。人殺し、って呼んだこともある。
 でもな、でも、…そのことでマコトも傷ついてるってことは、わかったから。
 それに、いま、ウチがこうやっていられるのも、ウチが笑うことができるのも、マコトがウチを守ってきてくれたから」
 そして、キララは正面から志貴を見つめて言った。
「なによりも…ウチは、マコトが好っきゃねん」
 キララは、笑った。
「――キララ」
「あー、いまいくー」
 マコトの呼びかけに返事をしてから、キララは向き直った。
「…それじゃあなにーちゃん。もし今度会うことがあったら、そん時はお好み焼き一緒に食べような」
「…あ、ああ。…その時は、再開を祝して派手にやろうか」
「おっ、にーちゃんもわかってきたなぁ。そんじゃ!」
 身軽に踵を返して走り去りかけて、途中でキララは振り返って、言った。
「にーちゃん。ホンマ、おおきになー!!!」
 とびっきりに元気な、それは感謝と別れの言葉だった。

  * * * * * *

「――火者、というのは千年近い歴史を持つ、能力者の集団なのですが」
 一緒に公園を出て、遠野の屋敷へ続く坂道を無言で歩きながら、シエルはそう話を切り出してきた。
「ですが近年、その火者の血は拡散し、強力な能力者は次第に数を減じているともいいます。逆に、火者の里以外の土地で出現する能力者、というのも結構いるようですが」
「それで?」
 なんとなく、相槌を打つ志貴に、シエルは少しためらってから言った。
「そして中には、火者の里に生まれながら、何の能力も持たない者もいるそうです」
「それってつまり…ただの人間、ってこと?」
 頷いて、そしてシエルは言った。
「――マコトは、その無能力者です」
「はあ…?」
 一瞬、耳に入った言語情報の信憑性に、かなりの疑いをもって志貴はシエルの顔をまじまじと見た。脳裏には先程のマコトの、一方的な戦いの光景が浮かんでいる。
「――彼女の体術は大したものですが、あれは修練の結果であり生来のものではありません。
 能力を持たない彼女が、火者として生きるためにはそれが必要だったからです。そして、だからこそ、彼女は…暗殺者として養成されたのです」
 志貴は、シエルの言葉を頭の中で反芻した。しばらく考え込み、そして、あまり認めたくない、推論が組みあがる。
「それって…つまり…無能力者だから…」
「――融合があまりに進んだ光狩を分離させることはできない。憑依された犠牲者ごと殺すしかない。
 でも、自分の手を汚すのは忍びない。だから――」
「なんだよ、それ?」
 ふつふつと――言い様無い黒いものが、自分の内に膨れ上がるのを志貴は感じた。
「なんだよそれ?なんなんだよ、それ!?じゃあ何か、嫌なことや汚い仕事は、能力の無い奴に押し付けようってのか!?」
「人間社会ではさほど珍しいことではありませんよ」
「シエル先輩!」
「私だって、快く思っているわけではありません。ただ、それが現実というものです」
 表情を押し殺してそう呟くシエルに、ハッとなって志貴は俯いた。
 そのまま、二人はまた黙りこくって歩き続けた。
 ――何となく、自分より随分としっかりした物言いから、自然にマコトは自分よりずっと年上だと思っていた。
 だが、あの別れ際の微笑をみて、年齢相応の顔をしたマコトは、自分と同年代の少女にしか見えなかった。
 他人の身の上にいちいち同情できるほど自分が恵まれた境遇にあったわけではないが。
 なんというか…たまらなかった。
 無性に、たまらなかった。
 能力者は、只の無力な人間より優れているのだろうか。確かにある種の分野に対しては優れているのかもしれない。
 だが、だからといって、自分以外の誰かに殺人者となることを強要する権利があるとは思えない。
 そんなことを、認めたくはなかった。
「――光狩とは」
 また唐突に、シエルが話を振ってくる。
「“ある筈がない”“あってはならない”といった否定、無の想念、“存在しない”という概念が結集した存在なのだそうです。
 元々が無から生まれたもの故に、普通の妖物より遥かに見えにくい、あやふやで不確かなモノだとか。
 だからこそ、自分の存在を確定させたくて――“そこにありたい”というのが、光狩の行動原理なのですね。全てのものから打ち捨てられ、存在を認められないから。
 自らの不確かさを確実なものにするために、光狩は人に憑依するのだそうです」
「…それは…なんか、哀れっぽいな。やってることは認められないけど」
 何の能力も持たず生まれてきたマコトは、組織の暗殺者となることで自分の存在意義を認めてもらいたかったのだろうか。
 自分が、この世に必要とされて生まれてきたのだと、認めてもらいたかったのだろうか。
 そうしないと、自分の生に意味を見出せなかったのだろうか。
 祁答院マコトは無意味な存在だと、思われたくなかったのか。
「――遠野君」
「はい?」
 答えた瞬間、鼻先を指で軽く弾かれた。
「ひゃっ!?な、なにすんですか先輩?」
「ふふふ。…遠野君は、いま何歳ですか?」
「え?…17歳だけど」
「そうですかー。まあ、世間一般にはまだ少年と表現される年代ですね」
「えーと。…まあね」
「キレやすい年齢ですし世間一般には」
「…それは、少年犯罪が起こると無闇に騒ぎ立てるマスコミのせいだと思う。17歳全員がすぐキレやすいわけじゃあるまいし」
「そうですね。でもね、遠野君。遠野君は、まだ17歳なんですよ?
 たった17年ぽっちの人生で、なんだか悟り澄ましたようなコト考えないでくださいね。多分それ、未熟ですから。というか、そんな簡単にわかるようなことじゃないです生きるってことは。
 安易にバラ色の解答が目の前にポン、って出てくれるほど、簡単じゃあないんです」
「…先輩はわかるっていうんですか?」
「私も、まだ少女だからよくわからないですねー」
 ふふ、と笑って、シエルはちょっとおどけたように言った。
「でも、一人で考えても出せない答が、誰かと交わることで簡単にわかっちゃう、ってことは知ってます。一人きりで生きてゆくより、誰かと一緒に歩いていくことができれば、辛いことはあっても、手をとりあって前に進んでいくことができるんですから。
 それは、とても素晴らしいことだと思いませんか?」
 ね?という風に自分の顔を覗き込んでくる先輩に、志貴は、なんとなく笑っちゃいそうな口元を引き締めながら。
「そうですね。…うん、俺もそう思います。俺は、そういう考え方の方が好きです」
 クスリと笑って、シエルは小さく呟いた。
「…私にそれを教えてくれたのは、遠野君なんですけどね」
「は?なんか言いました?」
「あはは、なんでもないですよ。……ねえ、遠野君」
「はい?」
 頤に指をあて、少し考え込む素振りをしてからシエルはポン、と手を打った。
「マコトさんがですね。こう言ってたんですよ。
 火者とは能力ある者ではなく覚悟ある者の名だ、って。
 いえ、キララちゃんと二人で、私を置いてさっさと先発しようとしてた時なんですけど」
 何だかそれはちょっと剣呑な状況だったんじゃないかと、志貴は少し気にかかったが、今更気にしても本気でしょうがないことなのでその疑念を口にはしなかった。
 何より、気にかけることは他にある。
「覚悟ある者…」
「私が思うに、何ができるか、っていうのはあまり大事な問題じゃあない気がするんです。いやもちろんできることがある方が良いに決まってるんですが。
 でも、まず自分がやるのかやらないのか。それが一番大事なんだと思います。少なくとも、何ができるかっていうのは、二番目か三番目くらいに考える問題で。
 …例えば、今日みたいな事。遠野君は直視の眼という能力を持ってますけど、だから、自分には力があるから、キララちゃんを守ってあげようって思ったわけじゃないですよね?
 まず最初に守りたい、助けたいって。その気持ちがあったわけです。
 遠野君ってそういう人ですから」
「えーっと…」
 人の事を自信満々に断言するシエルに苦笑しつつ、さて何と言い返せばいいのか適当な考えが思いつかないまま、志貴は頬を掻いた。
「――仮に、光狩は遠野君の眼にも見えなかったとしても、だからって遠野君はキララちゃんを見捨てるようなことはしないでしょう?対抗する手段が無いならそれなりに、逃げる方法とか時間を稼ぐ手段とか、色々試みるでしょう?」
「あー。まあ…そりゃそうだろうな。でも、本気でヤバかったら、わかんないよ人間なんて」
「そうですね。でも、遠野君がそんな“お利口さん”だったらあんな性悪吸血鬼、とっとと見捨ててくれたんでしょうけど」
「あ、あは、あはははは…」
「まあ…そんなドライな遠野君は私、嫌ですが」
 覚悟ある者。
 自分が何のために、何をなすのか。それをちゃんとわきまえている者。
 自分の進む道は自分で決めて、己の行動に責任を持てる者。
 そして……
「真っ直ぐに立っている者」
 そういって自分を見るシエルの言葉と目は、どこか似ているというわけではなかったが。
 8年前、青空の下、あの野原で『先生』と語らったことを連想させた。 
 ―――あの時、先生は何といったんだったっけ。
「辛いことを乗り越えたてきた人には、深みのある輝きがあります。
 私は、マコトさんは本当の意味で覚悟ある者だと思いました」
「…シエル先輩」
 ふっ、と視線が合って。道の真中で二人は見詰め合った。
「え…と、…遠野くん」
「は、はい」
 なんとなく、いい感じ。
 まるで互いの魅了の魔眼に魅入られたように、頬を染めて。
「あの。あの…遠野君。私ね。その…遠野君も、覚悟ある者だって、思ってる」
「そ。…そうかな」
「そうですよ。だから…」

「――お帰りなさいませ、志貴様」
「「はうううううううううううううううっ!!?」」(×2)

 いきなり背後からかけられた声に、二人は飛び上がった。
「ひ、ひ、ひ、翡翠…さん?」
「はい。なんでしょう志貴様?」
 後ろの暗闇からつい、と現れたメイドの、常にも増して冷ややかな声に既に気分的には白旗を掲げながら志貴はおずおずと声をかける。
「あの…どうしてここに?」
「どうしてもなにも、ここはお屋敷の門前ですが」
「「へ?」」(×2)
 志貴とシエルは間抜けな声を上げて辺りを見回した。
 言われてみれば確かに何時の間にか坂を登りきり、遠野家の大邸宅前に自分たちが辿り着いていることに気がつく。
「随分遅いご帰宅でしたね、志貴様」
「えっと…翡翠?なんで、翡翠はここにいるわけ?」
「何故…と申されましても。志貴様のご帰宅をお迎えするためですが」
 志貴は、黙って腕時計を見た。時刻は夜の10時過ぎ。遠野家ではとっくに消灯の時間である。
「えっと…翡翠、さん?一体、何時ごろから、私めを待っていて頂いたのでしょーか…」
「いつもどおり4時頃からですが」
 …………。
 …………………。
 ……………………………。
「ごっ、ごめんなさいっ!!」
「……どうしたのです?私、別に怒ってなんかいないですよ?」

 絶対ウソだあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
 その、微妙な間があやしすぎるぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

「そおですねぇ。とりあえず、事情を訊いてからですね」
「怒るのははそれからですわ、兄さん」

 がしいっ!!

「琥珀さんっ!?秋葉までっ!!!」
 いきなり門柱の暗がりから現れて、なれた手つきで二人はそれぞれ志貴の腕をとった。同時にその腕に食い込む爪の痛みに志貴は悲鳴を上げる。
「志貴さんったら…最近控えていたのに、また夜遊びですか?いけませんねぇ」
「兄さん…カワイイ妹をほっといて、シエルさんと何処で何をやっていたか、キリキリ喋っていただきますよキリキリと?」
「ご、ご、誤解だっ!別になにもやましいことはしとらんぞっ!!ね、そうでしょシエル先輩って、あああああああああっ!!?既にいないっ!!!?」
「とおのくーん」
 何時の間にやらちゃっかり一人だけ電信柱の上まで逃げていたシエルが、冷汗ぶっこきながら気まずそうに手をふる。
「じゃ、じゃあ、明日は久しぶりに学校へ行くし、今日はもう早く休むわ!お休みなさい皆さん!!」
「ああああああああっ、せんぱい〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」
「遠野君…大丈夫、遠野君は覚悟ある者だからっ!!私はそう信じてるわ!!!」
「勝手に一人で信じないでください――――――!!!?てか、それ何の覚悟ですかっ!!」
 ぽん。
 肩に手を置かれ、振り向いた先には妹と双子姉妹の使用人の、微妙な微笑み。
「とりあえず」「覚悟だけは決めてください」「まあ、なんとなく」
「なんとなく何を決めろというんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!?」
 という、もっともな志貴の絶叫は、あたりのしじまを貫いて、そして貫いただけで消えていった。


 エイメン。
 ち―――――――ん。





【後書き】
「夜が来る!」×「月姫」のクロスオーバー…なのかなこれは?
 とりあえず、アルクェイドの出番はありませぬ。許せ。
 どちらも夜・月・特殊能力・魔との戦い・メガネにショートの先輩と共通要素が多いゲームですが。特にメガネの先輩。
 今回の執筆にあたり、月姫を再プレイしてみたのですが…
 志貴、強すぎる!!!
 普段の志貴、またまだキレてない志貴というのは直視の眼があってもまだつけいる隙はあるのですが、いったんその気になっちゃうと人間外のスピードにも楽々ついていけるわ、一行で70匹のケモノを殺すわ、攻撃は強力極まりないわで、こーゆーのに対抗できる敵ってどんなん用意すりゃええんじゃ?ってなもんですわ。(秋葉は圧倒してましたが)
 とりあえず火炎や冷気、毒ガス、ビーム攻撃等は幾らなんでも「殺せ」ないだろうとは思うが、それだと後で駆けつけるマコトだって手に負えない。
 大体、チープだ。芸がない。
 気分的にはテーブルトークRPGでどんなラスボスを配置するか、ルールブック片手に悩む時と同じである。ルール無用でゲームマスターの超越手段というのは、ゲームを白けさせるだけだ。
 プレイヤーキャラの能力、技能で頭を使えばシナリオクリアできるバランス。強すぎては辛すぎるし、弱くてはゲームが盛り上がらない。
 こういう場合、モンスターレベルは低いけど嫌な特殊能力とかあると、それなりに緊張感はあるけれどパーティ全員で2,3回タコ殴りにすれば勝てるくらいが良いか。
 某筋肉神官娘さんも、頭に寄生生物(Lv1)乗られて大ピンチだったし(笑)
 てなわけで、体中の口からスタン・クラウドならぬスタン・サウンドを発するコオロギさん(仮名)を設定いたしました。どうよ?
 妖怪百目が身体に100個目があるので、じゃあ口が100あったらうるせーなーというなんやそれ!という内心のツッコミ付で。
 私は、囚われのヒロインがピンチに摩訶不思議な超常パワーを発現させて勝利という、いわゆる「イヤボーン」を心のソコから軽蔑してますので。
 私の好きな勝利パターンは知恵と勇気と、あとちょっとだけペテン、ですけどね。

 なお、真月の設定に関してだけは、月姫との世界観との関係上どう兼ね合いをとるか、悩みましたが。「夜」では事件解決後もまだ真月は残っているのですが(まあ徐々にその光は薄れ、いずれ封印が完成した暁には完全に見えなくなるのでしょうが)結局、光狩の残党が活動を起こすために凍夜を起こすときにだけ姿をあらわす、という感じにしてみました。





 ☆ コメント ☆

綾香 :「志貴にシエル先輩にマコト、そしてキララ。
     世の中にはまだまだいろんな強者や能力者がいるのねぇ。ホント、世界は広いわ」

セリオ:「え? キララさん? 彼女、なにか能力を持ってましたっけ?
     まあ、ある意味強者ではあるでしょうが」(・・?

綾香 :「持ってるじゃない。確実に奢ってくれそうな相手を見つける能力を」(^^)

セリオ:「……」(;^_^A

綾香 :「女に甘そうな男を見つけるのが上手い能力でもいいわよ」(^^)

セリオ:「……」(;^_^A

綾香 :「女絡みのトラブルに首を突っ込んで、自分から苦労を背負うタイプの男を見つける能力でも可」

セリオ:「あ、あうぅ」(;^_^A

綾香 :「ちなみに、浩之や祐一、和樹さんなんかがそのタイプね」(^^)

セリオ:「……ひ、否定できないかも」(^^;;;

綾香 :「あ、女絡みのトラブルと言えば……」

セリオ:「?」(・・?

綾香 :「志貴、あれからどうなったかしら」(−−;

セリオ:「……」(−−;

綾香 :「秋葉に琥珀、翡翠が相手だもんねぇ。きっと凄いことに……」(−−;

セリオ:「で、でしょうね」(−−;

綾香 :「……」(−−;

セリオ:「……」(−−;

綾香 :「え、えっと……取り敢えず無事を祈っておきましょう」(−−;

セリオ:「そ、そうですね」(−−;

綾香 :「無駄だろうけどね」(−−;

セリオ:「ええ、無駄でしょうけど」(−−;



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