二次創作投稿(天使のいない12月)
「天使無用の12月」
(作/阿黒)



 この世界に永遠は無いし、真実も無い。
 ただ、今そこにある、あやふやで不確実なものが、ただそこにあるというだけのこと。
 それは正しいのか間違っているかわからないし、今この瞬間は必要ではあっても、明日にはどうなっているかもわからない。
 それでも、
 今の俺に、確かに透子は特別な存在で。
 ――それは『愛情』という言葉と安易に直結させられる程のモノではない。
 身体だけは繋がっていても、俺は透子の心を理解するなんてことはできないだろう。
 ぬくもりなんて、離れた瞬間から冷めてゆく、ただの慰め。
 アイツは俺のことをわかったようなことを言うが、俺のこの気持ちをアイツが理解できるわけはないし、俺もそんなアイツの気持ちがわからない。
 俺達の心は永遠に交差することのない平行線で終わるだろう。

 そう、この世界に永遠も真実も無い。
 だからハッピーな恋愛ゲームのような、変わらぬ気持ちなんて都合のいいものは存在しない。

 この世で変わらないものは無いという真実。
 そして変化は永遠に続くのだから。

  * * * * *

「木田くぅん☆」
「のうわっ」
 メタメタに甘えまくりな透子の声に生理的に耐えられず、俺は廊下の真中で身悶えた。
「ど、どうした、の?」
「いや…どうしたっていうか。
 てゆーか、学校であんまり話し掛けてくんなって言ったろトン子!」
「ふぇぇぇ…またトン子って言うぅ」
「何を今更!っていうかお前だってトン子でいいとか言ってたろ!もう忘れたのかこのバカ!
 トンマだからトン子!トンチキだからトン子!いっそデフォルト名トンヌラのトン子にしろわかりやすく!
 このトン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子トン子っ!!」
「ふぇぇぇ、25回も連続でトン子って言ったあ…」
「律儀にカウントしてんじゃねーよお前は!だからバカなんだよ!!」
「うう、だってバカだもん…」
「いじけんな!だからお前はイライラすんだよ!
 お前自分バカだって認めて、そこで思考停止して終わってんじゃねーよ!全然前向きじゃねえ…っていうかお前存在そのものが全速力で後ろ向きだし!」
「う、うわー、うわー、なんだかとってもヒドいこと言われてるような気がする…」
「言ってんだよこのメガネ猿!ちったぁモノ考えろこのネクラ女!考え方くらい知ってるよなコラ?」
「えーっと…脳細胞を使うんだよね?」
「素で返すなバカタレッ!!」
「うう、だってバカだもん…」
「振り出しに戻るなこの日陰ジッタリカビ女!」
「だ、だって頭わるいのは生まれつきだもん…バカだもん…」
「にしたって限度ってもんがあるだろ!?ドーブツだってもう少し頭良いぞコラ!!」
「……そーいう木田君はケダモノだけど……」(ぼそっ)
「――なんか言ったか?」
「あ〜〜〜〜、う〜〜〜〜〜〜!?ご、ごめんなさいごめんなさいっ!
 だだだだ、だから許して!
 えひゃあ、頭にアゴのせてグリグリしちゃやだあああああああ!何だか人としてすっごく屈辱的みたいな!?」
「あ〜〜〜。お前ら?」

 唐突に第三者の声が俺と透子の間に割って入ってきた。
 隣りを見ると、何やら頬に汗をたらした功っぽい物体がおじゃる。

「ってかオメー親友を物体呼ばわりかよ時則!」
「わかった。どうしたまい朋友」
 我ながら誠意のカケラもない返答だったが、巧もその辺はあっさりスルーしてきた。
 慣れたものだ。
「まーな。お前と栗原が仲が良いのは何はともあれ良い事っていうかまあ所詮他人事だし俺にとってはどちらかといえばしょうもなくて下らなくてどーでもいいっちゃーどーでもいい事だけど」
 お前、いつか絶対シメる。
 っていうか俺と透子が仲良いってお前何を盛大に勘違いしてますか?
「ただ、なんというか…時と場所くらいはわきまえろよ、って言いたいとゆーか」
「はあ?」
 透子の頭にアゴ置いたまま、俺は功に促されて周囲を見回した。
 学校の廊下の、ど真ん中で。
「何あれ変態?」
「根スケベ」
「羞恥心とか無いのかねぇ」
「くっそ、見せ付けやがって」
「所詮、幸せ者にはかなわないのさ…」
 うっわ、皆様の間に勘違い拡大中!?
 ちゅうか俺ら…晒し者?

 ふにゅ

「はぅん…」
「トン子お前っ、トン子のくせして艶っぽい声出すな!」
「だ、だって…木田君が…」
「え?」

 どこか切なそうな透子の声に、改めて俺は見直した。
 ……後から羽交い絞めした透子の胸を、俺の右手は申し開きのないほどガッシリと、傍若無人に鷲掴みしていた。
 いやあ、もう掴み慣れてるし。もうこれが定位置とばかりに自然に。

 ふにふにっ。

 うーむ決して大きくはないが掌にスッポリ収まるこの慎ましいサイズがこれはこれで手に馴染む。小さいなりに柔らかくてそのくせしっかり芯はあるというか。
 いつまで触っていても飽きない。

「は…はうううううぅ…だ、だめだよ木田君こんな…みんな見てる……ダメ。
 だめ。だめだよ。だめなのぉ…だめなのに…だめ…だめ…だめっ…らめぇ…!」
「なんだお前、ちょっとムネ弄られたくらいでメチャクチャ感じてんじゃねーよ、このスケベ」
「だ、だだだって、だって…木田君が触ってくれてるんだもん…」

 うわ。
 うっわかわえー。めらかわえー。
 畜生このバカ、チンチクリンのメガネブスのくせして時々すげぇかわえー。
 ああもう透子お前お前なんかもうお前メチャクチャにしてぇ今すぐにっ!!

「いい加減に……しろおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 ごきゃキンッ!!☆

「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!?」
「きゃああああああああああ!?木田くんっっっ!!?」
「と、時則!?落とせ落とせっ!!」

 いきなり背後から股間を蹴り上げられ、俺は悶絶しながら廊下に転がった。
 冷ややかな目で俺を見下ろしてくる『加害者』に、文句一つ言い返してやれない。

「木田くん!木田くんしっかりして!」
「栗原…お前、時則の股間に呼びかけてんなよ。まあそこが一番大事なんだろうけどな」

 トン子てめぇ後で擦り切れるまで犯してやる(涙)

「フン。…無様ねぇ」
「榊…テメェ」
「しーちゃんひどいよ!」
「あ…ごめん、透子。でもこれは透子のためなのよ」

 俺の弱々しい抗議は最初から気づきもせずに、しかし透子の少し涙の滲んだ視線に少したじろいで、彼女――榊しのぶはその勝気な表情を曇らせた。
 透子にとっては幼馴染みの大親友、そして俺にとっては最大の天敵たる榊は、しかしすぐに眉を元の角度に吊り上げる。

「何度も言うけどあなたは騙されてるのよ透子!」
 榊は、相変わらず単刀直入だった。
「何度も言い返すけどしーちゃんは木田君を誤解してるんだよぉ!」
 あんまり繰り返すものだから、最近では透子もこの台詞は淀みなく言えるようになっている。
「だってこいつは透子を愛してなんかいない!
 わかるわよ!こいつ、透子の身体だけが目当てなのよ!」
「そんなの最初からわかってるよ!
 でも私がそれでも良いって言ったの!私はそれでも良いの!」

 ――二人の応酬だけ聞いていると随分な修羅場だし、本当はそうなんだと思うけど、何度も繰り返されると人間は大抵のものには適応できる生き物らしくて。

「いやー。今週も始まりましたなー。このところ小康状態が続いていたからどうなるかと思ってましたが」
「いやいやまったく。週に2,3回はこれが無いとどーも物足りなくて」

 ――まあ所詮は他人事だし。
 ただ『木田時則は鬼畜外道の種馬怪人』とか何とかいう悪評が確固たるものになっていくのはどうにかならないもんでしょうか?

「…お前、ほとんど強姦紛いの初体験やっておいてそういう事を言うかね?」
「うるせ」

 巧のぼやきは右から左へスルーしておくことにして、俺はだんだん泣きが入ってきた女二人の言い争いに介入することにした。
 本当はイヤだが、このまま放っておいても一向に埒があかない。
 何より世間体が悪すぎる。主に俺の。

「しーちゃんみたいに背も高くて髪も長くて美人で頭良くって運動神経も良くて料理上手で強くてしっかり者でスタイル良くてむ、胸もばいんばいんにおっきな完璧超人には、私みたいなダメダメちゃんの気持ちなんてわかんないよお!」
「何を言ってるの!
 透子はちっちゃくて物凄くキュートでチャーミングで、純粋で素直で優しくてお肌スベスベでギュッと抱きしめるとほのかにいい匂いがして、もう可愛くて可愛くて一生まもってあげたいっていうかもーいつか絶対透子の処女は私が貰うって決めてたのに!」
「決めるなそんな事!」

 思わず俺は突っ込んだ。
 でもまあ、お前らって本当に仲良しなんだな。榊の方は過保護とか溺愛を通り越してる気がするが。っていうかちょっと…お前怖いよ、榊。

「ううう…初めての二人は海辺のホテルで同じ朝を迎えるという10年来の夢がっ」
「ちょっと待てお前いったい何歳の頃からっ!?」
「う…い、いま、ちょっとだけ、しーちゃん怖いって思っちゃった」
「怖くないわよ透子!」
「キッパリと怖いわバカタレ!!
 ――あのさ榊、これはもう本気で忠告するけどお前、マジで男作ったほうがいいぞ?」
「余計なお世話よ!!」
「いやでもお前このままじゃ一生処女か初体験がキュウリなんてことに。
 どう見てもお前、気位高すぎて婚期を逃すタイプだし」
「なんですってえぇ!!?」

「時則。お前どうしてそう、何気に人の神経逆撫でするセリフが出てくるんだ?」
「木田君は性根は素直で正直だからウソが苦手なんだよ…多分」

 あっ巧っ、透子っ、お前らなに安全距離置いてんだよ!?
 うわだから額に青黒い血管何本も浮かべて迫ってくるな榊っ!?その、誰かを絞殺しようとするようなアヤシイ手つきはなんだっ!!?

「きぃぃぃぃぃぃぃいだあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
「えっとその…榊さん?理性的に話し合おうジャナイデスカー」
 我ながら棒読みな口調だとは思いながら、俺は真剣な身の危険を感じつつ後退した。
 が、俺が下がった分だけ榊(鬼女モード)は距離を詰めてくる。

「そう…そうよ…あんたさえいなければ…最初からあんたさえいなければ…」
「えーとそのあの…と、とにかくごめんなさいっ!謝る!謝るから許して?ね?」
「返して…あたしの透子を返して!あたしの純でウブで『下の毛』って言葉さえ恥かしがって言えなかったピュアなマイスイート・透子を返してえええっ!!」
「お前そんなこと言わせようとしていじめてたんかい!」
「イジメなんかじゃない!ほんのオチャメなスキンシップというやつよ!」
「胸張って言い切るなっ!
 ――とにかく。わかった、譲歩しようじゃないか、な?」
「譲歩、ですって?」
「……毎週月・水・金はお前に透子をレンタルする。
 後は俺が透子を担当する。どうだ?」
「あ、あたしはレンタルビデオじゃないよぅ…って、ああっ!?
 し、しーちゃんなに真剣な顔で考え込んでるの〜〜〜〜!!?」
「え、いえ、そ、そんなわけないじゃない!透子はモノなんかじゃないわっ!」

 だったら目ぇ逸らすな榊。
 お前いまちょっとときめいてなかったか?

「それはそれとして木田君、日曜日に透子を独占しようなんてフェアじゃないんじゃない?
 せめて半日づつ折半!」
「こっちだって結構な譲歩してんだぞ!?
 ――二日に一回しか透子とセックスできないだなんて…だからせめて日曜くらい朝からシッポリ」
「や、やだぁ」(ぽっ)
 一応口では嫌がりつつも、顔は幸せそうに崩れてる透子。
 こーのスケベ♪
 が、榊の方は治まらないようだった。
「なにが『だから』よこのお下劣野郎っ!!結局いきつくところはソレ!?
 個人の嗜好は人それぞれだと思うからあまりとやかく言いたくないけど、それでもある程度の品性と節度は必要でしょう人として!
 なによセックスセックスって、たかがセックスがそんなに大事なの、このバカ!!!」
「確かにセックスなんて大したもんじゃないが、それでも割と大事だと思うぞ!トン子の身体はキモチ良いし!」
「自信満々に腐ったこと言ってるんじゃないわよ!身体だけってあんたねぇ…もっと精神的なものとか…それからトン子いわない!透子はその名のとおり透きとおるように純粋な子なんだから!!」
「心なんて目に見えないものより実際に目の前にあるトン子の身体の方が大事だっ!トン子はすごく…具合は良いし化粧ッ気ないくせしていい匂いがして肌なんか白くて柔らかくてスペスペで、なんとも男好きのする肢体なんだっ!!」
「な、な、な、なんて下品で低俗なのあんたって男はっ…」
「……俺とトン子がやってんの見てセルフバーニングしてた奴にんな事いわれる筋合いは無い」
「はえ?なにそれ?」
「ととととととととととととととうこっ、なんでもないなんでもないのよ〜〜〜〜ほんとになんでもないのヨロレイヒ〜〜〜〜♪?」
「…し、しーちゃん、なんか…ヘンだよ?」
「ふっふっふっ…」
 俺は顔を真っ赤にして混乱してる榊の、真正面に立って心配そうに彼女を見ている透子の背後にそっと回った。
 そして、我ながら痴漢じみた手つきで。
 透子のスカートを、一気に捲り上げた!

 ばふっっっ!!

「ひゃあああああああああああああああっっ!!?」
「ええええええええええええええええええっ!!?」

 ぶふううううううううううううううううううううううううううっっ!!!

 同時、真っ赤な華が咲いた。
 いや榊の瞬間失血死しそうな勢いの鼻血だが。

「よっしゃ、逃げるぞトン子!!」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
「ま…まちなさいっ…こ、この…卑怯者ッ…!」

 自らの作った鮮血の池に沈む榊にクルリと背を向け、茹でタコになって硬直している透子の手を強引に引っ張って俺は逃げ出した。

「…ああ…で、でも透子のぱんつ…かわいやらしいぃぃぃ…」

 ――いやもうマジで男作れ、榊。
 世界平和と人類のために。

  * * * * *

 榊の魔の手から逃れて、とりあえず落着く先はいつもの『俺達の世界』しか無かった。
 いつものようにピッキングで鍵を開けて屋上に出ると、俺達は適当な壁にもたれかかって座り込んだ。
 外界と隔絶され、ただ頭上に空だけが無限に広がる、切り取られた狭い世界。
「はぁ……」
 無造作にポケットを探して、そこにタバコが無いことにようやく気づく。
 昨日、持っている分は吸い切ってそのままだった。自分の杜撰さを嫌でも痛感する瞬間である。
「う…ううう…あんないっぱい人がいるところでスカートめくられたぁ…」
「なんだ、トン子のくせして恥かしいのか?」
「恥かしいよぉ!当然だよぉ!」
「なんだよ、尻の穴に突っ込まれてよがってる変態女のくせして」
「わ、わたし変態じゃないよう!お、おしりの方はまだごつごつして痛くて、あんまり気持ちよくないもん…そ、それに、さっきのこととは関係ないでしょ!」
 あ、くそ、ごまかしきれなかったか。
「わたし…木田君以外の人に見られるの、嫌だよ…」
「あー…多分大丈夫だよ、あの角度からだとまともに見えたのは真正面の榊だけの筈だし」
 自分でもあまり信じていない言い訳を口にする。言い訳するくらいなら最初からやらなきゃいいとは思うのだが…。
「私だって怒るときは怒るんだよ。ぷん」
 何やら似合わぬしかめっ面を作ってソッポ向く透子に、俺は多少の引け目を感じつつも、同時に素直なおかしさを覚えた。
「あー。透子さん。俺が悪かった。悪かったから機嫌直していただけませんかー?」
「声に誠意が全然ないー。ウソっぽいー」
「よーしわかった。…じゃあ、身体で払うよ」
「ふえ?」
「誠意は無いが精子はあるぞー」
「うわー、親父ギャグ〜〜〜〜〜!!」
 じたばたもがく透子を固いコンクリートの上に押し倒す。スカートが太腿まで捲れあがって、結構な感じだ。
「暴れるなって。…透子」
「あ…」
 俺の呼びかけにふっ、と動きを止めた透子の唇に、俺はできるだけ優しく、触れるだけのキスをした。
 ――最近は、こんな恋人っぽい仕草にもどうにか慣れてきた。最初はこっぱずかしくて爆発四散しそうな感じがしたが、近頃は透子を喜ばすための義務と割り切っている。
 自分自身、それほど悪いものでもない、なんて感じているのは錯覚だと…思う。
 こんな演技一つで瞳を潤ませて幸せに浸ってる透子を見ると、その…まあ、なんだ。
 透子は、単純だから。うん。
「えっと…木田くん?」
「なんだよ」
「その…しないの?」
「しないの、って」
「その…身体で、払うってさっき言った…」
「なんだ、結局お前したいのかこのスケベ」
「う…だって木田くん…エッチなことするし」
「俺のせいにすんなよ。…で、どうする?」
 そう問われ、俺の腕の下で透子は頬を上気させた。
「わ、わたしは、その…木田くんがしたいなら、……いいよ」
「だから俺のせいにするなっつーの。…ま、今はやめとこ」
「へ?」
「素で意外そうな顔すんな、バカ。
 ほれ、ここ寒いし。固いし冷たいし」
「……いいよ、わたし。木田くんがしたいなら、わたし、我慢するよ?」
「我慢すんなバカ。――そんなことしなくても、学校終わったらたっぷり可愛がってやる」
「やん☆」
 耳元に吹きかけた息がくすぐったかったのか、透子が小さく嬌声を上げる。
「――バイト、さぼるの?」
「「どわあえええええええええええええええええっっっ!!!?」」
 本日二回目の第三者の闖入に、俺と透子は抱き合ったまま文字通り飛び上がった。
「うわ。器用」
「なななななななななななななな」
「なんだってんだ須磨寺、と言いたい?」
「おおおおおおおおおおおおおお」
「お前何時からそこに?……具体的には30分程前からだと思うけど」
 そう言ってフェンスの外側――ほんの一歩踏み出せば屋上の縁から地上へとダイブする危険な場所に平然と立っている須磨寺雪緒は、どこか感情を感じさせない瞳でこちらを見た。
 髪をツインテールにしたこの女は俺のバイト先の同僚であり、同学年であり、俺のバカ妹の憧れの先輩である、らしい。
 だがその内に自殺願望を秘めたアブネーやつ…だと思う。最近、ビミョーに変わってきたような気もするが。
「――え、えっと、その…」
「仲がいいのね」
「――まあそういうことにしといてくれ。もう一々説明するのも面倒だ。
 で、お前?須磨寺はなにやってんだそんな危ない所で」
 正直あまり聞きたいとは思わなかったが、嫌な感じがして尋ねずにはいられなかった。
 そんなこちらの気持ちなど無頓着に、須磨寺は澄み切った青空を見上げた。
「今日はとてもいい天気で…まるで吸い込まれそうな青空でしょ?」
「そうだな」
「うん。だからもっと高い所から空を見たくて」
「あー。わかります、そういう気持ち」
 何も知らない透子が同意の頷きをするが。
「だから、そのまますーっと飛んでいけそうで」
「飛ぶな!お前の場合本気で飛びそうで怖い!!」
 で、そのまま落ちたら死ぬし!やめれバカチン!!
「あ、でも、そのツインテール翼で飛べそうな感じかも」
「……それもありかな?」
「ないわ!つか余計な知恵をつけるなバカトン子!!」
「それはともかく。木田君、今日のバイトはさぼるの?」
 脈絡無く話を元に戻して、割合真面目な口調で須磨寺は俺に問いかけてきた。うう、こいつどこからどこまでが本気でどっからが冗談か、全然わからんから困る。
 1から100まで全部本気、って可能性が一番高いが。
 ともかく、俺はすぐに答えた。
「いや、ちゃんと出るよ。…おやっさんに怒鳴られたくないし」
「ああ。あの、もと傭兵部隊の隊長さんの店長さん?」

 透子…お前もそう思うのか?それとも明日菜さんあたりにヨタ吹き込まれたか?
 が、須磨寺は別に透子の言葉を気にした風もなく、しかし珍しく安堵するような顔をしてみせた。

「良かった。私一人だと心細くて」
「は?お前が?心細い?」
 バイト先のケーキ屋『維納(ウィーン)夜曲』では須磨寺は主に接客と会計、俺はケーキを焼くおやっさんの下働きと食器洗いその他の裏方という名の力仕事がメインだが、普段の須磨寺の仕事振りは、口惜しいが俺なんかよりずっと上。俺からすれば呪文か嫌がらせのような、舌を噛みそうなドイツ語のケーキ名もあっというまにマスターしてしまった。
 最近では店長の姪御さんの明日菜さんと並んで、店の看板娘との誉れも高い。――もっともウチのバカ妹の言うことだから、話半分に聞いておいたほうがいいだろうが。
 恵美里の奴、須磨寺に心酔してるからなー。
「実は、恵美里ちゃんが」
「は?」
 その須磨寺の口から当の妹の名が出て、俺は動揺した。――外には出さなかったが。
「最近、何かこう…私を見る目に迫力があるというか据わっているというか」

 曰く。
 毎日の手作り弁当の差し入れはありがたいがおかずがいつもハンバーグ。
 冬場だというのに汗をかいてると、すぐハンカチやタオルを差し出してくれる。のみならず拭いてくれる。その手が時々太腿の付根あたりまで伸びてくる。
 先程と関連して、何かと甘えて抱きついてくる。女の子同士のことであるし、単にふざけてるだけだとは思うが、うなじや耳元に熱い吐息をかけてきたり胸元やスカートの中に手をつっこんでくるのは、くすぐったいので少し困る。
 最近、学校やバイトの行き帰りの途中で妙な視線を感じることがある。
 家のゴミ袋が荒らされて、使用済みテッシュや抜け毛が漁られているようだ。
「…そして昨日、葉月さんが『恵美里が何だか特殊で年齢制限のある商品カタログを真剣な顔で覗き込んでました。マジやばいかもしれないです』と教えてくれて」
「うわー、よくわかんないけど妙に生々しくて怖いですね、それ」

 真帆ちゃん……親友なら恵美里を止めてやってくれ。いっそ共謀して殺すとか。
 つーかお前も榊の同類か、まいシスター。

「…すまん須磨寺。ウチのバカ妹が迷惑かけたようで」
「別に迷惑なんかじゃないけれど?恵美里ちゃん可愛いし、何事にも一生懸命なところなんか、私好きだな。…でも最近はちょっと一生懸命すぎるかな、と」
「わかった。あのサル妹はあとでシバいとく。…須磨寺、お前の貞操は俺が守るから!」
「ふ、ふぇぇ?」
 とりあえずこちらの誠意は感じ取ってくれたらしく、静かに微笑む須磨寺と俺は、無言で頷いた。――俺らの間では珍しい、バイト仲間の連帯感といったものの掛け橋が架かったようだった。
「…貞操…俺が守るって…。
 わ、私の純潔なんて、ビリビリに破いちゃったのに…」

 どこか後の方から、透子っぽい不満気な声がどーでもよさげなことをグチグチ呟いていたような気もしたが、俺達はあっさりスルーしてバイトに向うことにした。

  * * * * *

 俺らのバイト先である『維納夜曲』は、店は小さいが近隣の女の子達ご用達のケーキショップとして絶大な人気を得ている。
 店長の巣鴨さんこと『おやっさん』は見かけのとおりにごつくておっかないが、見かけによらず繊細な指先とセンスを持つ人で、フランスやドイツで本格的に修行してマイスターの称号も持っている筋金入りの職人だ。
 …でもやっぱりワイルドギースの元隊長、といった方がお似合いだと思うんだが。

 どべきっ!!

「くだらないこと考えてないで、さっさと持っていけ!お客さんを待たせるな!」
「い、いきなりですか!?っていうかなんでわかるんです!?電波?電波ですか!?」
「……馴れだ。お前みたいなことを考える奴が、俺の人生にはやたらと多いんでな」
「…ご愁傷様です」
「お前が言うな。ホレ、無駄口たたいてるヒマがあったらキリキリ働け」
「は、はい!」
 これ以上グズグズしていると本当にもう一発くらいそうなので、俺は焼きあがったケーキを抱えて厨房から飛び出した。なるべく急いで丁寧に、店内のショーケースに並べていく。
 そのままケースの陰から店内の様子を窺う。『維納夜曲』はケーキ屋だが、喫茶店のように店内でケーキとコーヒーを楽しむスペースも設けてある。その数少ないテーブルにはいつものように、透子が俺がミスして形が少し崩れたケーキを幸せそうに食べていた。時折キョロキョロと辺りを見回すのは、俺が姿を見せないか探しているのだろう。
 …散歩中にちょっと待ってろ、と言われて置き去りにされた仔犬があんな感じだ。
 犬だともう少し時間が経てば、だんだん不安になってキャンキャン鳴き始めるが。

「あ、とっきのりくぅ〜〜ん☆」

 もにゅふっ☆

「ぐもももももももももももももももっっ!!?」
「もー、おねーさんが目の前にいるのに無視するなんて、しっつれーしちゃう」

 同年代だと精々榊くらい、透子では絶対に無理な乳プレス。
 100%天然巨乳山脈の間に顔を力一杯押し付けられて挟まれるという状況は、傍から見れば垂涎ものかもしれない。
 だが、俺は断言する。これは拷問以外の何者でもない。
 確かにふくよかな柔肉に顔を埋めるのは気持ちがいい。それがとびっきりの美人のお姉さんなら尚更でウハウハだ。
 だがしかし。何事にも『度』というものは必要なわけで。
「き、き、き、木田くぅん!?死んじゃやだぁぁぁぁ!!」
「明日菜さん。…木田君、先程から呼吸困難を通り越してチアノーゼ起こしてるんですけど」
「あ、ありゃ?久しぶりだったから力加減まちがえちゃったか、な〜〜〜?」
 苦痛と快楽がない交ぜになった拷問から解放され、新鮮な空気を肺に取り込みながら俺はぐったりと床に手をついた。限界に無理矢理挑戦させられた呼吸器はヒュウヒュウと情けない音を立てるばかりで、咄嗟に声を上げることもできない。
「あ…あ……ああ……」
「き、木田くん?木田くん大丈夫!?」
「透子……俺……三年前に死んだ母方の婆さんに会ってきたよ…」
「それは臨死体験というものね。…木田君、惜しい」
「何が惜しいか須磨寺っ!?」
「あっはっは〜〜☆まあ何事もなくてよかったじゃない。ほらスマイルスマイル♪」
「事の元凶がナニ言ってんすかこのジャンクマン!」
「なーによ、この明日菜さんを捕まえて悪魔六騎士呼ばわりなんて失礼じゃない!」
 白いブラウスに黒タイ、同じく黒のややタイトなスカートから除くストッキングに包まれたすらりとした脚線。店の制服を突き破りそうになるほど元から豊かな胸を張って、おやっさんの姪御さん――麻生明日菜さんは拗ねたように口を尖らせた。
 まあ、姪といってもおやっさんの奥さんの繋がりで、血縁は無いんだけど。
「まったく。いい歳して何をふざけてるんですか」
「やだいい歳だなんて、そりゃお姉さんは時則君より年上だけど、そんな言い方ってないんじゃないかなー。うるうる」
「ざーとらしい泣きまねしないでください」
 この人、一応花の女子大生。自己申請によれば仏文科だそうだけど、日本の大学生の例にもれずほとんど学校に行かずに遊んでるみたい。
 ……こーゆー人でも大学生になれるんだなぁと思うと、感心していいやら今の教育制度に疑問を抱けばいいのか、微妙なものがあるような。
「…ところで、明日菜さん今日はどうしたんですか?いつもは私たちより早く店に入っているのに」
「あは、ごめーん。ちょっと買出しに行ってたら遅くなっちゃって」

 絶対、適当にブラブラしてサボってたに100ゾルダ。

「あー。時則君がなんかあたしのことケーベツのマナコで見てる〜。
 ひっどいなーもう。おねーさん、せっかく時則君のためと思ってサボるのやめて早く帰ってきたのに」

 結局サボってるんやないかい!

 心の内だけでそう突っ込んでおく。
 そんな俺の心情なぞ全く知らないまま、明日菜さんは俺に何か言いかける形で口を開きかけ――その視線を俺から右に10pほど、ずらした。

「やん、透子ちゃん来てたの〜?恥かしいとこ見せちゃったわね〜」
「きゃわ、わ、わ、あ、明日菜さん!?」
 今度は透子の頭を胸に抱いて、しかし多少は手加減して頭をいーこいーこと撫でる明日菜さん。あのー、いちおー今、営業中なんすけど?今は切れ目でお客さんいないけど。
「ね、ね、透子ちゃんに似合いそうな服見つけたんだけどどうかな?ゴスロリでフリルでヒラヒラなやつ」
「ふ、え、え、わ、わたしいいですよぅ…似合わないし」
「ぜーったい似合うって、おねーさんの目に間違いないわ!
 とーこちゃん、磨けば絶対、光るもの。三年後にはお姉さんに勝るとも劣らない良い女になれる素質あるんだから」
「あ、あ、明日菜さぁん…」

 困ってるが照れてもいるな、透子のやつ。
 でも、明日菜さんには悪いけどホントに磨けば光るタマなのかな透子。まあ俺は別に、今のままのバカでおどおどしてて、でも最近はちょっと強気になってきた透子も、…嫌いじゃないし。

「――まーったく透子ちゃんさえいなければ、時則君をあたし好みのお人形さんにできたんだけどなぁ。うーん、残念」
「ふえ?」
 あ、あのー明日菜さん?なんか今、さり気になんか無視しかねること言いませんでした?
「よーし透子ちゃん、今日はおねーさんがおごってあげる。とりあえずアイスコーヒー500CC」
「え、わ、その…わ、わたし、コーヒーは苦手で…」
「え〜〜〜?お姉さんのコーヒー、おいしいよ?あたしの淹れるコーヒー、飲んでくれないんだ…」
「ふぇ、あ、そ、その、明日菜さん…」
 透子、それは演技だ騙されるな。
 でも何だってそんなにまでしてコーヒー飲ませたがるかな明日菜さん?だって透子の奴…
「ささ、グイッといこーグイッと♪」
「あ、あうー、あうー。わ、わたし、コーヒー飲むとおしっこ近くなっちゃうから…」

 最後の方は蚊の鳴くような小さな声。ちょっと泣き入ってるなコリャ。
 あーあ、でも飲んじゃった。
 あ、なんか恨みがましい目でこっち見てる。
 許せ透子、こーいう、なんか企んでる時の明日菜さんの邪魔をするような勇気は俺には無い。すまんがこのまま生贄として明日菜さんの悪ふざけの餌食になってくれ。
「もー。そんなこと気にしてるの?大丈夫よ」
「そ、そなんです、か?」
「だって、そーやっておしっこ我慢する透子ちゃんの顔が見たいんだもの」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!?」
「もー今夜はお姉さん、時則くんに突かれながらもグッと我慢して我慢して、それでもついに限界を迎えて羞恥の底に叩き込まれつつ新たな絶頂を覚えちゃう透子ちゃんの姿を思い浮かべるだけで、ご飯3杯はいけちゃうかな?」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!?」
「あ、あ、あ明日菜さ〜〜〜〜ん!!!」
「なによ時則君?」

 思わず声を上げてしまった俺を、明日菜さんは胡乱げに見遣った。
 こ、この人は。
 この人ときたら。

「明日菜さん!」
「なに?」
「……グッジョブ!!」
 俺は、親指を立てて口元だけで笑った。
 明日菜さんも親指を立てて笑い返す。
 はっはっはっ。
 明日の日本橋も日本晴れ。(意味不明)
「き、き、木田くんのばかぁああああああああっっっ!!!」
 なぜか、透子だけは不満気だったが。
「なんだ嫌なのかトン子?」
「イヤに決まってるよぉ!そ、そんな、高校生にもなっておもらしだなんて…恥かしすぎるじゃない、バカぁ!!」

 ごん。

「あ、榊さんいらっしゃい。…どうしました?」
「え、あ、いや。……なんでも、なんでもないわよっ!」

 店内に入ってくるなりよろけて扉に頭を打った榊に、須磨寺がそつなく対応する。榊、俺らを追ってきたのか?しつこいなー。
 が、妙に動揺している榊は、須磨寺への接し方にもいつものキレがない。なんだ?

「あ、しーちゃん!聞いてよ木田くんと明日菜さんがひどいんだよ!?
 あたしにコーヒー飲ませておトイレ近くさせて、お、お、おもらしさせようなんて!
 ひどいでしょ!?ひどいよね!?
「そ、そうね!ひどいわよね!ひどすぎるわよ!
 これでわかったでしょ透子、こいつは最低最悪な人間のクズなんだっ…」
「おもらしだなんてほんっと、人としてのプライドも何もないよっ!そんな恥かしいこと、私、しちゃったら死んじゃいたいくらいだよ!」
「――アイタッ」

 榊は、何故か、胸を抑えた。

「そ、それに服が汚れちゃうし、汚いし、臭うし…もう、ほんっとうに、さいてーだよさいてー!!そんなさいてーなこと、わたし、できないよ!!!」
「あだだだだだっ」
「栗原さん…何故だか榊さんがすごい致命傷を負っているみたいなんだけど…?」
「ふぇ?ど、どしたの、しーちゃん?」
「な…なんでもない…なんでもないわよ透子…」

 いやどー見てもなんでもなくはないんだか榊。
 なんだ?もしかして何かおかしな病気持ちかお前?

「しーちゃんもそう思うよね!?しーちゃんもおもらしなんて汚くて臭くて人としてダメダメで恥かしいことだと思うよねっ!?」
「う、ううう、ううううううぅぅ……!」

 だからなんでそこで泣くのだ榊!?

「ふぇぇ!!?しーちゃん!?しーちゃんなんで泣いてるの!?お腹痛いの?」
 あの強気一点張りな榊が泣き出すという全く予想外のことに、おたつきながらも透子は榊に寄り添ってお腹とかさすりはじめた。
「え、あ、いや透子、気持ちは嬉しいんだけど…お腹いたいわけじゃないし」
「えっ!?どこ!?どこが痛いの!?」
「…まあなんていうか…胸が痛いというか…」
「ムネだねっ!」
「え、透子、とうこ…えひゃっ!?」

 さすりさすりさすり…
 ふにゅ、ふにゅ、ふにゅ、ふにゅっ。

「ど、どうかなしーちゃん?このへん?」
「あ…や、そこ、ふうぅ…擦れて…ッ!」
「き、気持ちよく、ないかな…?」
「う、ううん、いい、いいからっ。続けて、透子…」

 ……………。
 しばらく黙って二人を見ていた明日菜さんが、うーんと腕組みして唸った。
「いやー。てっきりしのぶちゃんがタチで透子ちゃんネコだと思ってたんだけど…意外ねー」
「そこで感心しないでくださいよ。…どうします、こいつら?」
「うーん。流石のお姉さんも同性相手はちょっと経験無いから…」

 俺的にはもうちょっと見物していたい気もするが。

「透子。透子っ…私…わたし、透子のこと、透子のことっ…!」
「うん、わかってる。あたしもしーちゃんのこと、大好きだよ」

 透子お前それNGワード!!
 無論、透子の『好き』はlike、親友として好きということだろう。
 が、榊のそれはもっと深い意味で、更に業も深いものなのだろう。
 などと高尚ぶってる場合じゃなくて!

「おっけ――透子たん!!!」

 ブバ――――――――――!!!

 本日二回目の鼻血大出血サービス!!
 ドクター高松かお前はっ!!!

「うふふふふふふふふ、この榊しのぶ、透子の愛があれば無敵無敵無敵ィ――――――ッ!!」
「榊さん…今の貴女はキングギドラより強いですわ」
 いや冷静に馴染んでる場合ではなくて須磨寺。つか事前に榊の周りをビニールシートで覆って流血防いでるあたりあまりにもそつが無さすぎるというか。

「――と、いうわけであなたはいらないのよ木田時則!」
「榊。…お前、こっちに帰ってきたのかそれとも暴走しまくって一周ループしてのか、どっちだ?」
「聞く耳持たないわ!透子を正しい人の道に戻すためなら、ちょっぴり法律を逸脱しちゃってもかまわないと決めたから!」
「お前、その今の発言の前後の甚だしい不一致に何か思うところはないのかっ!!?」
「でも今のしのぶちゃんちょっとかっこいいかも!」
「煽らないでください明日菜さん!」

 と、俺が無責任にはしゃぐ無責任女子大生の方を向いた一瞬。
 視界の片隅で剣呑な光が瞬いた。
 頭で理解するより早く、身体は反射的にその光から飛びのこうとする!

「しのぶカッター!!」
「うを危ねっ!!?」

 ビュン、という風切音まで立ててしのぶが振り回した事務用カッターナイフの刃を、俺はギリギリかわした。

「さ、さ、さ、さかきいいいっ!!?お、おま、お前、それは、それはありとあらゆる意味で問答無用に危ないぞ〜〜〜〜〜〜!!!?」
「たとえ世界を敵に回しても、守りたい人がいる!」
「かっこいいけどそんなセリフで誤魔化せるもんかっ!犯罪だぞ犯罪!!」
「♪ダイヤモンドカッターDA・DA・DA!!」
「そんなどこぞの社歌を唄ってる場合ではなくて明日菜さんっ!!ケーサツに連絡するとかおやっさん呼んでくるとか!?」
「えー、オジサマから一言。……『仕事場にプライベートを持ち込むな』だって。自分でなんとかしてね?」
 うわーい、この場の最大戦力が〜〜!
「し、しーちゃんダメだよ!そんなことしちゃいけないよ!」
 おお透子!ある意味榊に対する最終兵器はまだ健在だったんだ!
 頼む透子、あとはお前だけが頼りだ!
「そ、そんなことするしーちゃんなんて、わた、わた……
 う〜〜〜〜〜〜、ごめん、ちょっとおトイレ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「まて―――――――――い!!お前そんな中途半端なところで!?」
「ふぇ〜〜〜、でももっちゃうもん〜〜〜。ごめん、ちょっと待ってて〜〜〜」
 ぱたぱたと奥のトイレへ走る透子と入れ替わるように、流石にカッターナイフはヤバイと気づいたらしい榊が、それでも危険度はさほど変わらない拳を振りかざしてくる!
「ちぇすとおおおおおおおおぉ!!」
「のおおおおおおおおおおおお!?」

 がしいっ!

 榊の右拳を十字ブロックで受けて、俺はそのまま榊の手首を掴み上げた。
 やはり女の子らしく細い腕なのに、ともすればアッサリ振り解かれそうな強力はどこからくるのだろうか?
「お、おまいはギリヤギナ種族かッ!」
「なにワケわかんないこと言ってんのよ!?」
 うー、少しは頭が冷えてきたのかいつもの榊っぽくなっているが、いつもの榊というのは大抵、俺に対して敵対的なので結局俺ピンチな状況は変わらないわけね。
「す、須磨寺〜〜。なんとかならんかこの暴力客?」
「センパイのことを気安く呼び捨てにしないでよ、このバカ兄ぃ!」
 あまりにも聞きなれた黄色い声に、思わず目の前の均衡を崩しそうになった。
「木・田・く・ん・お・と・な・し・く・死・ん・で・よ・ね」
「死・ん・で・た・ま、るくあ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 子供が見たら泣きそうな面相で力を込めてくる榊に何とか対抗しながら、俺は須磨寺の方へ目だけ動かした。
 大きなリボンに透子以上に起伏の無い胸。つまりお子ちゃま。
 認めたくないが、血の繋がった実妹・木田恵美里が、コアラか何かのように須磨寺の腕にしがみついていた。
 須磨寺は表情らしいものは何も浮かべていないが…あの目は、必死に助けを求めている目だ。
「センパイ…センパイ、私のこと好きですか?」
「キライじゃないけど…恵美里ちゃん可愛いし」
「ありがとうございます!…でも、私、可愛いだけじゃダメなんだ、って最近ようやくわかってきたんです。私、まだ子供だから…」
「恵美里ちゃん…よくわからないけどあまり思い詰めない方が…」
「そりゃ確かにあのバカ兄ぃは男ってだけで私より優位にあります!私がどんなにかんばっても、肉棒の無い私にはセンパイを悦ばせてあげることはできないかもしれない…」
 肉棒って、オイ。俺の価値ってそれだけ?
「でも!私、センパイのためならモロッコにだって行けます!」
「いや、あの、恵美里ちゃん私よくわからない…」
 …えーと。
 向こうは向こうで結構なピンチみたいで。
 すまん須磨寺、お前の貞操守るって約束したけど、自分で何とかがんばってくれ。
「きぃぃぃだぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜」
「ええい、お前といい恵美里といい、なんで今この場所のこのメンバーでいる時を狙ったように現れる!しかもなんか怖いくせに情熱的だし!!」
「うーん。もしかして…」
「――またなんかやったんすか明日菜さんっ!!?」
「いやねぇ時則くん、お姉さんがいつもトラブルの種撒き散らしてるみたいな言い方して」
 自覚というものが全くない、この修羅場の中で唯一状況を楽しんでいる明日菜さんは、まるで不当な抗議を受けたような顔をした。
「あのね、さっき言いかけたんだけど、帰ってくる途中でしのぶちゃんと恵美里ちゃんに会って、なんだか二人とも悩み多そうだったからちょっと相談に乗って上げて…」
「ぐ、具体的にはどんなっ!!?」
「ん〜…多分、時則くんと雪緒ちゃん今バイトで店に来てるし、当然透子ちゃんも来てるから、一発決めちゃうとか?強奪愛って言葉もあるし…とか。
 あと、時則くんを見習って、ここは一発押し倒しちゃって強引に処女を捧げちゃって快楽でメロメロにしちゃえー、とか?」
「そーいうのは相談じゃなくて焚きつけとか煽動とか言うんです!」
「でも実践的だと思うけどなぁ…」

 OK、原因は分った。何の解決にもなっちゃいないが。
 くそ…この絶望的な状況を打破するためには、いったいどうしたら…。
 
 カラン。

「よ〜時則、遊びに来たからなんか奢れ〜」
「巧バリア―――――!!!」

 ドカカカカカカカカッ!!!

「げふうっ…!?」
「し、霜村センパイ――――!!!?」

 瞬獄殺を喰らったベ○の如く一瞬でズタボロになったまい親友の屍を乗り越え、俺は榊の射程距離から抜け出た。
「ってセンパイそれ人としてやっちゃいけないことだと思うー!!」

 すまん真帆ちゃん!でもまあ巧はあれで頑丈だし何とか大丈夫だと思う!
 迷惑かけついでに恵美里も何とかしてくれるとおにーさんは嬉しいぞ!

「ふぇ、木田くん…?」
「逃げるぞ透子!!」

 スッキリした顔でトイレから出てきた透子の腕を掴み、俺は店の裏口にダッシュする!

「逃がすか木田ぁぁぁあ!!」
「私の霜村センパイになんてことしてくれるんですか榊センパイっ!」

 おお、さすが真帆ちゃん現役ラクロス部員!榊と互角にやりあってるぞ!

「……木田。壊れた物は後でお前のバイト代から差っ引いておくからな」
「ううっ、すんません〜」

 既にあきらめ顔のおやっさんの脇を駆け抜けて、俺たちは裏口から転び出た。

「時則テメあとで覚えてろ…ぶぎゃっ、真帆っ俺を踏んでる、踏んでる〜〜〜〜〜!!」
「木田君の裏切り者……」

 巧と須磨寺の怨嗟の声を背に、心の内で土下座しながらしかし僅かも速度を緩めることなく、俺は透子の手を引いて逃げ出した。

「き、木田くぅん…どこへ行くの?」
「とりあえず安全なら何処でもいい!今はとにかく逃げるぞ!」
「で、でもしーちゃんが…それに恵美里ちゃんや真帆ちゃんに、須磨寺さんと明日菜さんが…」
「わかってる!わかってるが俺にどーしろ言うんだお前は?どーしようもないぞ、アレは」

 いやもう本気に正直に。逃げるしかできないって、アレは。
 俺は、ただの平凡な人間で、しかもどちらかといえば並以下の情けない奴で。
 無力で、いつも大事な時に、何かをしてやれたためしもない。
 自虐趣味じゃない。ただ、俺はそういう奴というだけのこと。

 それは永遠でなく、
 真実でなく、
 ただそこにあるだけの現実。

「とりあえず…せっかくだからラブホに行くか?」
「…木田くんって、鬼畜外道だよね」
「いやか?」
「…………ううん。いやじゃないよ」

 まあ、結局はこんな感じで、
 俺たちは、まったり生きている。
 結構えげつなく。



 <終われ>







【後書き】

 ♪天使ブレイク高校〜、リストカッターDA・DA・DA!!(笑え…ない)

 と、いうわけで2003年末ギリギリで何とかクリアした『天使のいない12月』ですが。
 始めて5分で主人公嫌いになりました(多そうだ、そういう人)
 なんてーか口と屁理屈ばかり達者で内弁慶のヘタレ野郎だし。まあそういうキャラだからこういったゲームの主役なわけだし。
 何度も何度も繰り返してプレイしてると、じんわりと味が広がるスルメのようなゲームですかね。

 えー、榊しのぶ嬢は作中ではあんな人になってますが(笑)『しーちゃんってこんなキャラなんだ』などと、くれぐれも誤解なきようお願いします一応念のため。
 ゲーム本編で『透子たんが身体の繋がりを求めるなら応えてあげたのに』的な発言はしてますが(爆)
 同じく木田恵美里嬢に関しても誤解なきようお願いしますしないと思うけど。
 そりゃ流れによっては憧れの雪緒センパイの唇奪ったり一線こえちゃったみたいな描写もあったりしますが、女の子同士のフレンドリーなスキンシップということで無理矢理納得してください。

 あと、タイトルは特に意味ないですー。フィーリングで。いちおー透子END後っぽい話のつもりですので作中は既に新年迎えてる筈なんですが、まあ、『12月』ってつかないとらしくないかな、とか?






 ☆ コメント ☆

セリオ:「皆さん、楽しい方達ですねぇ。とっても個性的で」

綾香 :「あの惨状を見て、その上で楽しいで済ますか、あんたは」

セリオ:「ふむふむ。『天使のいない12月』ってこういう作品だったのですね。なるほどなるほど」

綾香 :「……違うと思うな、あたしは」

セリオ:「――そう、なんですか? まあ、それはさておき。
     えっと、今回のお話って早い話が」

綾香 :「早い話が?」

セリオ:「現代の一般的な高校生の日常を描いた青春群像なわけですね」

綾香 :「一般的!?」

セリオ:「もしくは、愛と憎悪の入り混じったバイオレンススペクタクルっぽい感じ?」

綾香 :「バイオレンスでスペクタクルな日常なんて嫌すぎるでしょうが」

セリオ:「そうですか?
     綾香さんの日常だって充分にバイオレンスでスペクタクルでサスペンスでドメスティックで
     ちょっぴりブリリアントじゃないですか」

綾香 :「どんな日常よ、それは」

セリオ:「今回のお話のような日常。むしろプラスアルファ?」

綾香 :「待て。あたし、ここまではっちゃけてないわよ。
     あたしは平々凡々な日々を過ごしているんだから」

セリオ:「……」

綾香 :「な、なによ?」

セリオ:「……いえ、いいんですけどね、別に。
     では、そういうことにしておきましょうか。……ふぅ」

綾香 :「な、なんで遠い目をするかな、この娘は」




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