「・・・美坂さん、ちょっと良いかしら?」
「はい、何でしょうか。」

「明日の勤務なんだけど、どうしても人が足りなくって・・・何とかならないかしら?」
「すいません。明日は妹の・・・。」

「あ、そっか・・・栞ちゃんの・・・。」
「はい。すみませんが・・・。」

「そうね、それなら仕方ないわ。」
「・・・申し訳ありません。」


私は、高校を卒業後、近県の看護大学に進み、そこで看護婦の国家試験を取得した。
看護婦になる事が私の小さい頃からの夢、なんて事はない。
栞の事があったから・・・栞に何もしてあげられなかったから、看護婦になることにした。
栞のお世話になった地元の総合病院に就職先を決めたのも、そんな理由からだった。





        題目  『  栞の誕生日  』





「栞、来たよ。」
私の可愛い妹、栞に声をかける。

「ふう・・・。さ、始めますか。」
そう自分に言い聞かせると、厚手のコートを脱いで柵にかけ、セータの袖をた<し上げてバケツの中の雑巾を絞った。

「冷たぁ・・・。」
身を切る様な冷たさに辟易としながらも、積もった雪を払い除け、ゴシゴシと拭いて汚れを落とす。
と、言っても、月に2,3度はここに来て掃除をしているから、そんなに汚くなっているって訳でもない。

それでも、周りを掃き清め、小さな草や、落ち葉などを拾ってゴミ袋に入れ、近くのお花屋さんで買ってきた切花を水差しに飾り、水飲みの苔を綺麗に落して新しい水を入れ、石塔に水をかける頃には30分位は経っていた。

「・・・これで良しっと。」
綺麗になった栞の前で独り言を呟く。


「・・・あれ? 香里、もう来てたのか?」
聞き覚えのある声がする。
振向かなくても、その声の主くらい判る。

「・・・っとに、毎年、毎年・・・私が掃除をし終わったのを見計らったかの様に来るわね。」
悪態をつきながら振向くと、思った通り、そこには花束と水桶を持った相沢君が立っていた。
・・・栞の愛した相沢君が。



それから二人で並んで腰を下ろし、栞の大好きだったバニラアイスを墓前に供えて手を合わせた。

「・・・栞、早いもんだな。お前が逝って、もう10年かぁ。」
相沢君は、石塔を見つめながら呟いた。

「・・・ううん、まだ10年よ。」
真っ直ぐに伸びる線香の煙を見ながら、私は呟く。

・・・そう、10年経ったんだ。
先生の診立て通り、誕生日を迎えられなかった栞が、その短すぎる人生の幕を閉じてから、10年・・・。
その月日が短いのか、長いのかは判らない。
でも、大切なたった1人の妹に、何もして上げられなかった・・・ううん、何もしなかった私には、辛くて苦しい10年。

罪の呵責に悩まされ続けた10年。


「・・・なぁ香里。天国の栞が、今のお前の姿見たら如何思うだろうな。」
唐突に相沢君が聞いてきた。
私が、10年間得られなかった答えを。
見つけられない答えを。

「・・・知らないわ。」

「看護婦として、誰よりも献身的に患者さんと接して、自分の時間を割いてでもつきっきりで看護して、患者さんからは慕われ、同僚からは頼りにされて・・・。」
「きっと、『どうして私には優しくしてくれなかったの?』って言ってるわよ。」

「ははは。間違っても、栞はそんな事言わないよ。」
「でも、私は栞に酷い仕打ち・・・したから。」
俯きながら呟く。
自責の念に駆られながら。

「『ねえ、おじいちゃん、おばあちゃん見てください! あの頑張ってる人が私のお姉ちゃんです! 私の大好きでご自慢の香里お姉ちゃんです!』ってさ。」
重く沈んだ空気を一掃するかの様に、身振り手振りを交えながら声色まで真似て相沢君が言った。
あまりにその姿が可笑しかったから、思わず吹いちゃった。

「ぷっ・・・ふふふふ・・・・。」
「受けた?」

「・・・全然。それに、お爺ちゃんもお婆ちゃんも健在よ。」
「え? あ・・・ごめん。その、そんな心算じゃなくて・・・。」

「判ってるわよ。・・・でも癪ね。」
「・・・何が?」

「・・・たった3週問。たった3週間しか一緒にいなかった相沢君が、実の姉である私よりも、妹の事を理解しているって事。」
「そんな事・・・。香里くらい、栞の事を想ってる奴はいないさ。」
・・・そんな事ない。
だって、あの時、私は栞から逃げたから。
栞が1番苦しくて、辛い時に、私は栞から逃げたから。

「・・・・・。」
何も答えられないまま私は腰を上げた。
両腕を抱え、少しだけ相沢君と栞から離れてみる。
目を閉じ、小さく深呼吸をする。
躊躇いながらも、押し出すように口を開いた。

「ねえ、”栞の良き理解者”の相沢君。一つ聞いて良いかしら?」
振向きもせずに聞いてみる。

「・・・何だ?」
相沢君は、立ち上がりながら短<答える。

「・・・栞ね・・・私の事・・・まだ、恨んでるかな? まだ、怒ってるかな?」
胸の中に支えていた気持ちを相沢君にぶつけてみる。
10年間探し求めた、答えの見付けられない疑念を。

目を閉じて、相沢君の答えを待った。
心の準備は出来ている。
何を言われても、きっと・・・。

「・・・きっと怒ってる。」
「・・・そう。」
天を仰いだ。
ある意味、私が思った通りの答え。
私は、まだ許されていない。
だって、私はそれだけの事をしたんだから。
私はまだ・・・。

「きっと栞の奴、草葉の陰から言ってるぜ。『私の事を何時までも引きずって、何時までも自分の幸せを考えられないお姉ちゃんなんて、大っ嫌いです!』ってさ。」

「・・・え? そんな事・・・。」
・・・そんな事ない。私は・・・。
栞に酷い事を・・・。許される筈・・・ない。


『・・・お姉ちゃん。祐一さんの言う通りです。』

突然、懐かしい声が聞こえた。
忘れられない、鈴を鳴らしたような声。

栞の声。

(え? 栞? 栞なの?)

周りを見回し、捜し求める。
私の大好きな、たった一人の妹の姿を。

『私の事より、そろそろ自分の幸せを考えて下さい。』

(・・・でも、私は栞に酷い事を・・・だから、私、栞に謝りたくって・・・。)

『・・・でも、私、お姉ちゃんの事を恨んだりとか、怒ったりなんてした事無いですよ。』

(・・・どうして? だって私は栞を見捨てたのよ! 栞が苦しんでる時に、栞から逃げたのよ!)

『・・・もう良いです、終わった事ですから。』

(・・・そんな、終わった事だなんて!)

『いいえ、終わった事なんです。私の事は忘れて下さい。・・・あ、でも、ホントに忘れられたら、ちょっと悲しいかな。
えっと・・・えっと・・・私の事は無かった事に・・・。えぅ〜〜なんて言ったら良いんだろ・・・。』

(・・・栞、何が言いたいの?)

『えっとですね、私が言いたいのは、私の事より祐一さんとの事を考えて下さいって事で・・・その・・・・私も二人の幸せな姿を見守りたいって思ってて・・・その・・・つまり・・・・。』

(だから何なの? はっきりしなさい!)

『えぅ〜〜久しぶりに会ったのに、お姉ちゃんちょっと怖いです。』

(失礼ね! 幽霊に”怖い”なんて言われたくないわ!)

『えぅ〜〜それは、そうなんですけど・・・。あ、そうじゃなくてですね。もし、お姉ちゃんが私の事で罪の意識を感じているとしたら、それは大いなる誤解です。心の広い私は、お姉ちゃんの意地悪や仕打ちなんて、毛ほども感じてないですから、安心して幸せになって下さい。』

(嫌よ!)

『え〜〜! どうしてですかぁ?』

(自分が許せないからよ。)

『そ、そんな・・・。えぅえぅ・・・もしかして、これってお姉ちゃん特有のいじめなんですかぁ? 酷いです・・・あんまりです・・・。う”〜〜もう良いです! いくら心の広い私も、ちょびっとだけ怒っちゃいました!
もう許してあげません! そんなに罪を感じるなら、罪を償って頂きます! お姉ちゃん、私と『約束』してもらいます!
拒否は許しません! もし、違える様な事が有れば、その時はホントに許しません! 良いですね!』

(ちょ、ちょっと何よ、その『約束』って!)

『その『約束』はですねぇ・・・・・・・・・・・・。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。








「・・・おり。香里!」
「あ! は、はい?」
気が付けば、目の前に心配そうな相沢君の顔が覗いていた。

「・・・相沢・・・君。」
「どうした? 大丈夫か?」

「・・・栞は? 栞は何処?」
「栞? よせやい、場所が場所だけに洒落にならんぞ。」

「・・え? じゃぁ。」
「覚えてないのか? いきなりここで倒れてな・・・心配したんだぞ。」

(・・・夢? ううん・・・。私は栞と・・・。)

私は、その時、漸く自分が相沢君に抱きかかえられている事に気が付いた。
頬が赤くなるのが自分でも判った。


「・・・ごめんね。」
恥かしさの余り、そう言いながら相沢君の腕の中から逃げ出した。
だって、いきなりだったし・・・ちょっと恥かしかったから・・・。

私は、真っ赤になった顔を隠すようにして立ち上がろうとした。

「・・・相沢君。」
立ち上がろうとした私の手を、相沢君が掴んでいる。
私は、その手を振り解くでも無しに、相沢君に背中を向けたまま動けないでいた。

「香里、聞いてくれ。さっきのだけどな、栞は最期の最期まで香里の事を恨んだりとか、怒ったりなんてして無かったと思うぞ。だって、栞にとって香里は、何時でも尊敬できる姉であり、憧れの女性だったんだから。」
相沢君は立ち上がりながら、私の様子を伺うように少しだけ言葉を切った。

「そんな姉想いの栞が、大好きな香里の事を思うなら、真っ先に香里の幸せを願うと思う。俺の知ってる栞は、そんな優しい、姉想いの奴だったな。」

「ぷっ! ふふふふふふ・・・・。」
私は、相沢君に背中を向けたまま、肩を震わせ、噛み殺すようにして笑った。
だって相沢君、栞と同じ事言ってるんだもん。
なぜか、それが可笑しくって・・・。

「可笑しいか?」
「ごめんなさい、違うの。やっぱり相沢君は、”栞の良き理解者”だと思って・・・。」

「どう言う意味だよ。」
相沢君の少しだけ尖った声。
私は、相沢君に向き直ると、相沢君の胸に顔を埋めた。

「・・・言葉通りよ。」
「だから判らないって・・・。」
私の髪を優しく撫でながら相沢君が言った。
心地良さと、優しい温もりが、相沢君の手から伝わってくる。
相沢君の胸の鼓動が聞こえる。
私を眠りに誘うように、優しく、優しく・・・。




「・・・ねぇ、相沢君は栞の事、忘れない?」
「・・・当たり前だ。忘れられるわけが・・・ない。」

「・・・仕事、辞めないよ。」
「ああ。香里を辞めさせたら、患者さん全てを敵に廻す事になるからな。」

「・・・ずっと一緒に居てくれる?」
「ああ。ずっと一緒だ。」

「・・・ずっと私の事・・・愛してくれる?」
「ああ。約束する。」

短い答えと一緒に、相沢君に抱締められた。

(・・・栞。貴方との『約束』・・・私、守るわ。)

相沢君の腕の中、優しい温もりを感じる。
大好きな温もり。大好きな場所。大好きなひと。
離れたくない、大きな安らぎの胸。

(・・・栞の分まで幸せになるね。だから・・・。)

大好きな人の背中に腕を回し、愛する人に負けない様に一生懸命抱締める。
この幸せの中、相沢君と一緒に生きて行きたいと心から思った。

(・・・ごめんね・・・栞。)

そんな言葉が自然と浮かぶ。


「相沢君。この前の返事・・・受けるわ。」
愛する人の腕の中で、そう呟いた。
誓いの言葉を。


「ああ。幸せにするよ。」
胸の高まりとともに、相沢君の顔を見る。
穏やかで、柔らかい笑顔。
その笑顔が眩しくて、私は目を閉じた。

出会えた事に感謝して。
これからの幸せを願いながら・・・。

                                                おわり





香里  : 「ねえ、まだ時間あるんでしょ。いっしょにケーキなんてどう?」

祐一  : 「え? ああ、良いけど。」

香里  : 「今日は2月1日。栞の誕生日でも有るんだから、二人でお祝いしてあげましょうよ。」

祐一  : 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ! そうだった! 忘れてた!
       今日は栞の命日だって事は覚えてたんだけど・・・。」

香里  : 「相沢君、そのうち栞、枕元に立つわよ。」

祐一  : 「うう・・・。怖いの嫌い。」






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あとがき


ここまで読んで頂き有難うございます。
ばいぱぁと申します。

題名に騙された栞属性の方、誠に申し訳有りません。
”栞の誕生日”と言う題名の癖に、香里のが若干(?)目だってます。

3月の香里の誕生日も用意しておりますので、栞の活躍はそれまでお待ち下さい。
活躍しなかったらごめんなさい。

ではでは





 ☆ コメント ☆

綾香 :「10年、か。長いわよね」

セリオ:「そうですね。ですが、それだけの年月が必要だったのかもしれません。
     香里さんが自分の……そしてなにより栞さんの気持ちを真正面から受け止める為には」

綾香 :「かもね。でも、辛くて苦しい10年だっただろうなぁ」

セリオ:「だと思いますよ。だけど、そんな日々ももう終わりです。
     これからは、きっと楽しいことばかりが続くようになりますよ、きっと」(^^)

綾香 :「うん。だといいね。
     それはそうと……10年かぁ」

セリオ:「?」

綾香 :「これから、さ。始まるのよね。
     ある意味『10年間溜め込んだ』とも言える想いを解放した日々が。
     もしかして、凄い事になるんじゃ……」(^^;
     
セリオ:「10年間溜め込んだ……ですか。
     た、確かに解放したら凄そうです」(*・・*)

綾香 :「香里、とんでもない程のラブラブモードに突入したりして。
     それこそ天国の栞ちゃんが呆れ返るくらいの」(^^;

セリオ:「へ、下手したら固形かも」(*・・*)

綾香 :「……は? こけー?」(−−;

セリオ:「10年分溜め込んでるんですからね。ムチャクチャ濃いと思いますよ。
     なんと言っても10年分ですからね、10年分。
     それにそれに、きっと量もとんでもないでしょうね。
     入りきらなくて溢れちゃうくらいに。
     ……って、キャーキャー、可憐な乙女になんてことを言わせるんですかぁ。
     もう、綾香さんのえっちぃ」(*^^*)

綾香 :「……。
     あー、なんかもう、どこから突っ込めばいいのやら」(ーー;




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