「・・・はぁ、これで良し。」
 綺麗になった室内を見回して独言を言う。
 大きな家具は、勉強机とベット、タンスと本棚しか無い殺風景な部屋。
 色々なぬいぐるみと、所狭しと並べられた目覚まし時計に埋め尽くされた私の部屋とは
 ずいぶんと違う、殺風景な部屋。
 高校生くらいの男の子の部屋って、こんなものなの?
 それとも、仮住まいでは物を増やさない、って事かな?
 そんな事無いよね。 信じて良いんだよね。 祐一の言った事、信じて良いんだよね。

「名雪、手が止まっているわよ。」
「お母さん。」
 誰もいないと思っていたのに、何時の間にか、お母さんが戸口に立っていた。
 春の陽射しの様な微笑を浮かべて。

「祐一さん、早く帰ってくると良いわね。」
「うん、そうだね。」
 そこに居ない寂しさと、一抹の不安。
 でも、大丈夫。 祐一、出かける前に約束してくれたから。
 除夜の鐘、一緒に聞こうって、約束してくれたから。
 祐一、意地悪だけど、私との約束は守ってくれるから。

 だから、お母さんに負けないくらいの笑顔で、「お帰りなさい。」って、お出迎えするって、
 決めたんだから。


題目   『 楽 し い お 正 月 』


「・・・ごめん。 今日中には帰れなくなったから。 うん・・・うん・・・ホントにごめんな。 ・・・じゃ。」
  
 ・・・ピッ。

 携帯電話の向こう側から聞こえてきた、寂しそうな声が耳に残る。
 たった3分にも満たない時間の中で、笑ったり、拗ねたり、怒ったりと、色々な声が聞こえてきた。
 多分、今頃は頬をいっぱいに膨らませて、クッションに八つ当たりでもしながら拗ねているだろう。
 その姿が、容易に想像できて可笑しかった。

「・・・良いの?」
 電話の声で目を覚ましたのか、先程まで静かな寝息を立てて居た人から声を掛けられた。
 俺は、声のする方に顔を向ける。
 声の主は、壁際にある常夜灯の薄明かりの中、熱い吐息をつきながら、潤んだ瞳で、俺をじっと
 見詰めている。
 電話の相手を聞きもしないし、言いもしないが、電話の相手も内容も理解した上で、「良いの?」
 と聞いてきたようだ。
 俺は、苦笑いを浮かべ、声の主に短く答えた。

「心配するな香里。 大丈夫だ。」
「・・・・うん。」
 俺の一言に安心したのか、香里は短く答えて目を閉じた。
 駅近くのホテルの一室。 大きなベットの中で、火照った身体を横にしながら、香里はまた眠りの
 世界へと誘い始めた。
 俺は、目深にかぶった布団を軽く押しのけ、紅潮した頬に優しく手を当ててみる。
 香里は目を閉じたまま、擽ったそうな、恥かしそうな、でも、ちょっぴりだけ嬉しそうな、そんな複雑
 な表情を俺に向けて来た。

 香里の温もりを感じつつ、今夜は眠れそうに無い事を感じていた。
 


 ・・・ガチャ。


「・・・名雪、祐一さんからなの?」 
「・・・。」
 お台所から、お母さんの声が聞こえてきたけれど、それに答える気にはならなかった。
 いつもより力が入っちゃったのか、扉を、バタン!って、大きな音を立てて閉めた。

「・・・名雪?」
 いつもと様子の違う事を感じたのか、お母さんお台所から顔を見せた。
 自分でも判るくらい、ぷぅ〜〜って、頬を膨らませながら、どすん!ってソファに腰を下ろした。

「・・・祐一、今日は帰って来られないって。」
 私にとって最悪な言葉を口にしながら、更に腹が立ってくるのが判った。
 いつもは可愛いと思うのに、笑いながらちょこんと座るケロピーが、不思議と憎々しげに感じ、手元に
 あったクッションを掴むとケロピーに投げつけた。
 クッションは、ケロピーに当たるとソファの向こうに飛んで行き、哀れなケロピーは、前のめりにくたっと
 倒れ込んだ。

「あらあら、ケロピーが可哀想よ。」
 お母さんが、何時もの様に優しく咎めてくれる。
 ケロピーに八つ当たりするなんて、良く無い事くらい判っている。
 判ってはいるけれど、このやり場の無い怒りのはけ口を、他に見つけ出す事が出来なかったから。
 私は、左手に持ったクッションを、抱え込むようにしてぎゅっと抱締めた。

「・・・祐一なんて嫌い。」
 約束したのに・・・。
 意地悪だけど、約束は守ってくれると思っていたのに・・・。
 更に頬が膨れるのを感じた。

「あらあら・・・名雪のほっぺ、まるで焼いたお餅みたいね。」
「むぅ〜〜〜だって、祐一が悪いんだもん。」

「そうね。 でも、そんなに膨れてると、元に戻らなくなるわよ。」
「え? うそ?」

「ふふふ・・・うそよ。」
「もう! お母さんまで・・・。」
 口を尖らせる私。

「祐一さんだって、向こうにお友達くらいいるでしょうし、止むに止まれぬ事情だってあるかもしれないわ。」
「・・・・。」
 そんな事くらい、言われなくっても判ってる。
 判ってはいるけど・・・。

 約束したんだもん。

 初めて迎える初めてのお正月。
 一緒に鐘の音聞こうね、って。
 一緒に年越しそば食べようね、って。
 一緒に2年参りに行こうね、って。
 一緒に・・・一緒に・・・初めての挨拶しようね、って。

「それとも、名雪は祐一さんの事信用していないの?」
「そ!そんなこと・・・。」
 そんな事はない。
 祐一の事、信じてる。
 
「だったら、信じて待ちなさい。 名雪の好きな祐一さんをね。」 
「・・・うん、判ったよ。」
 お母さんの言葉で、私の中の怒りがスーって消えていくのが判った。
 そうだよね、お母さん。 信じるって決めたんだもんね。
 だから、祐一の事、信じて待たなきゃいけないんだもんね。

「そうよ名雪。 恋人との約束をすっぽかして外泊するくらい大した事無いのよ。 昔の女友達に会って
焼けぼっ栗に何とかなんてよくある事だし、一度や二度の浮気なんて、男の甲斐性と思わなくっちゃね。」

「お、お母さん!」
 ホホホ・・・って笑うお母さんに向けて、クッションを投げつけた。



 年も明けて1月1日。
 結局私が起きたのは、お昼をかなり過ぎた時間だった。
 例年の様に除夜の鐘は聞けず、年越しそばも食べられず、二年参りも出来なかった。
 今年初めて挨拶だって、例年通りお母さんとした。
 
 お雑煮を食べてから、年賀状を読んだ。
 退屈凌ぎにと、つけっ放しにしたお正月番組も、何故か全然笑えなかった。

 くた〜っとして時計を見ると、もうすぐ4時って時間になっていた。
 それでも祐一は帰って来ず、連絡もしてこない。
 幾らなんでも変だって感じた。 もしかして、祐一の身に何かあったんじゃないかって・・・。
 私は急いでコートを掴むと駅へと急いだ。



 駅についた。
夕方近くの駅前は、いつも程では無いにしろ、沢山の人が往来していた。
 私は、駅の改札付近で、祐一の帰りを待つ事にした。
 いつ帰ってくるか判らない。 でも、祐一が帰ってくるまで、ここで待つつもりだった。
 電車が駅に到着するたびに、何十人という人が電車から吐き出され、急ぎ足で改札へと向かって行く。
 私はその度に、目を皿の様にして祐一の姿を探した。
 何度目かの電車が過去り、辺りが暗くなった頃、ようやく祐一の姿を見つける事が出来た。
 香里に寄り添う祐一の姿を。

「・・・・・!」
 声が出なかった。
 って言うより、状況が全く理解できなかった。

 自然と涙が零れ落ちてきた。
 見たくないはずなのに、2人から目が離せずにいた。
 色んな言葉をぶつけたいのに、それが言葉となって口から出せずにいた。
 そんな時、伏せ目がちだった香里の顔がゆっくりと持ち上がり、確かにその唇が、「な・ゆ・き」と呟いたの
 を見た。
 一拍遅れて、祐一が私へと顔を向ける。

「・・・名雪。」
 祐一の言葉を遮るように、私はイヤイヤをしながら、一歩、二歩と後ずさむ。
 兎に角この場から逃げ出したかった。
 信じるもなにも、この目で見た以外、例えそれが愛する祐一の言葉だとしても信じる事は出来そうに
 無かったから。 言い訳じみた祐一の言葉を、受け入れる余裕が私には無かったから。

「待って! 名雪!」 
 と、その時、悲鳴じみた香里の声が聞こえた。 
 香里は祐一の手を振り解き、その場に崩れ落ちながら私に手を差し伸べていた。
 
「香里!」
 私は香里に駆寄り抱締めた。
 抱締めた香里の身体は、燃える様に熱かった。




 ○   ○   ○   ○   ○   ○

 香里を自宅まで送り届けた俺達は、2人で家路についていた。
 いつもの様に肩を並べて・・・と言うわけにはいかず、名雪は俺の歩く一歩前を、黙ったまま歩いている。

「・・・だから、香里とはホントに何でも無かったんだって。 香里だってそう言ってただろ?」
 香里は数年ぶりに会う友人のため、風邪を押して会いに行ったところ、帰り間際に本格的に風邪を拗らせて
 しまい、心配する友人と別れた後、駅まで自力で歩いて行ったが、そこで体力を使い果たし、ベンチで休んで
 いた。
 そこに、自宅の掃除を終えた俺が偶然通りかかり、一晩中看病したってだけ。

 香里宅へと向かうタクシーの中で、うわ言の様に話す香里の手を握り締め、うん、うん、って、名雪、してただろ?

「・・・電話で事情を話さなかったのは、悪かったって。 もう、機嫌直してくれよ。」
 それでも、何度話掛けても、名雪はピクリともしない。
 完全に怒ってる。
 こりゃ、苺サンデーくらいじゃ機嫌治りそうに無いな。

「はぁ〜。」
 流石に精も根も尽き果てて、思わず溜息が出た。
 と、今まで何を話しかけても答えようとはしなかった名雪の足がピタッと止まった。
 
「・・・・・ありがと。」
 ポツリと呟く名雪。
 だけど、そのお礼の言葉とは裏腹に、呟き出たそれは地の底から響く様な低い声で、しかも、目は完全に
 怒っていた。

「・・・怒って・・・ない・・・のか?」
「怒ってなんて無いよ!」 
 そんな吐き捨てる様に言わなくっても・・・。
 拳を握り締め、戦慄きながら睨まれた世界にゃ、怒ってないって言われたって・・・ねぇ。

「怒ってなんて無いもん! 怒ってないけど、ムカムカするだけだもん!」
 名雪。 世間一般では、そういうのを怒っているって言うんだぞ。

「約束守ってくれなかったのも、昨日電話で嘘つかれたのも腹が立ってる。 一緒に居られなかったのは
寂しかったし、年越しそばだって、二年参りだって、今年初めての御挨拶だって出来なかったのは、
すっごく悲しかった!」
「な・・・名雪。」

「でも・・・でも、怒れないよ。 だって、香里助けてくれたんだもん。 怒りたくったって、怒れないんだもん!」
「名雪・・・・ごめんな。」
 俺は名雪を抱締めた。
 素直に申し訳ない事をしたと思えたから。
 香里の事があったけど、それで正当性を主張するには、あまりにも名雪を傷つけてしまっていたから。
 だから、心の底から謝る事が出来た。 ごめんなさいって。

「・・・良いよ。 祐一、悪い事なんてしてないんだもん。」
「それでもごめんな。」
 俺は名雪の唇に触れた。

「今度こそ約束する。 来年の正月こそ・・・。」
「祐一。 気が早すぎるよ。 今年だって始まったばかりなのに・・・鬼さんもビックりだよ。」
「それでも約束だ。 来年の正月は2人で過ごそうな。」
「・・・うん。」
「2人・・・だけでな。」
「うん。 約束・・・だよ。」
 俺は答える代わりに、名雪の唇に俺の唇を合わせた。
 言葉では伝えられない気持ちが、唇を通して伝わっていく。
 言葉よりも雄弁に。

「明けましておめでとう・・・名雪。」
「明けましておめでとうございます・・・・祐一。」
 お互いの瞳に自らの姿を写しながら、新年の挨拶をした。
 今年も一年、良い年でありますように、の気持ちを添えて。

                                          

    ○   ○   ○   ○   ○   ○

 ・・・・そして。

「あ、香里。 どう? 身体の具合は?」
「うん、もう大丈夫。 心配かけてごめんね。」
「ううん。 私は全然大丈夫だよ。」
「そう。 じゃ、相沢くんとは?」

「もちろん、仲直りして、ラブラブだよ。」
「・・・・そ、そう。 それは良かったわね。(ほっ)」
「? ・・・香里? なぁに、いまの”(ほっ)”って?」
「い、いやぁねぇ。 何でも無いって。 ただ・・・・ううん、良いの。 今、2人が幸せなら、無理に波風立てる
事なんて・・・私さえ黙っていれば、丸く納まるんですもの。」

「そ、そんな事言われたら、むっちゃ気になるよ。 ねぇ、香里、何があったの?」
「名雪。 人生には、知らない方が良いって事、あるんじゃない?」
「知らない方がって・・・祐一、香里の看病してただけだって、疚しい事なんて何も無かったって・・・。」
「え! 相沢くんがそんな事・・・ううん・・・良いのよ。 それで良いんだわ。 そうよ、相沢くんが名雪にそう
言ったのなら、それで・・・。 二人だけの秘密って言うのも、ちょっと素敵かもしれないし・・・。」

「二人だけの秘密って・・・・。 うぅ〜〜〜! 祐一、やっぱり香里に何かしたんだ! 祐一の浮気もの!
今日から、ず〜〜〜っと、祐一だけ紅しょうが!!!」

「・・・・(ぺろっ。)」

                                              おわり  




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あとがき

最後まで読んで頂きありがとうございます。
ばいぱぁです。

1月も半ば過ぎでこの挨拶も何だとは思いますが、今年初って事で。
みなさん、あけましておめでとうございます。
本年も、時間の許す限り書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

なんかこの頃、カノンが多いなぁなどと思いつつ、やっぱり今年どしょっぱつは、カノンです。
カノンも、名雪と香里のからみがイヤに多いですが、きっと気のせいです。
加えて、栞の扱いがぞんざいだって言うのも、きっと、きっと、気のせいです。






 ☆ コメント ☆

綾香 :「前回のコメントと同じ様な振りで恐縮だけど……二人が仲直りしてめでたしめでたし、と思いきや」

セリオ:「なるほど、こうきましたか」

綾香 :「香里、小悪魔」(汗

セリオ:「波風立たせまくりですね」

綾香 :「最後のは香里の茶目っ気と解釈すればいいのかしら」

セリオ:「でしょうね。単なる冗談だと思いますよ」

綾香 :「そうよね、やっぱり」

セリオ:「でも実は少しだけ宣戦布告が入っている可能性も」

綾香 :「……あ、ありえるかも」

セリオ:「はい、ありえます。ただ、あくまでも『少し』でしょうけど。
     具体的には……九割ほど?」

綾香 :「……それ、少しって言わない」

セリオ:「ぶっちゃけ、香里さん寝取る気満々」

綾香 :「否定しきれないのが怖いわ」

セリオ:「親友同士が一人の男を奪い合い。
     なんとも素敵なシチュエーションですね」

綾香 :「素敵、なのかなぁ?」

セリオ:「素敵です」

綾香 :「断言しますか」

セリオ:「一度は友情に亀裂が入る二人。
     しかし、それを乗り越えて、更に深まる絆。
     お互いを認め合い、今まで以上に近まる心と心」

綾香 :「うーん、まあ、そういう風になれば確かに素敵っぽい、と思えなくもない、かも」

セリオ:「そして、いつしか二人の気持ちは抑えられないほどに燃え上がり、身も心も結ばれ……」

綾香 :「――って、ちょっと待てぃ!」

セリオ:「名雪さんと香里さんは禁断の園へと旅立つのでありました。めでたしめでたし」

綾香 :「いや、めでたくないでしょ、それ。
     てか、祐一は? 祐一はどうなっちゃうのよ?」

セリオ:「…………。
     これじゃ、祐一さんの立場が無いじゃないですか! どうしてくれるんですか!?」

綾香 :「あたしが知るかぁ!」





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