身体を揺すられる感覚に、深遠の底にて安らぎの一時を過ごしていた私の意識が覚醒し始めます。
 それでも、その強制的とも言える覚醒に逆らうかの如く、意識の多くは目覚める事を拒み、身体は
 惰眠を貪る事を望んでいるようです。
 ただただ柔らかな布団にくるまり、泥の様に眠りたい、と願う私の心に反し、楽園の破壊者とも言える
 べき、私の意識の覚醒を望む者は、その行為を止める事なく、執拗に私を苛め急かせます。

 現に戻る事を拒み、夢の世界に身を置きたい、との願いも虚しく、次第に身体を揺すられる感覚や、
 私を呼ぷ声がはっきりとしてきます。
 意に反して閉じた目蓋がゆっくりと開き、見慣れた景色が目に飛ぴ込んできました。

「おはようございます、芹香お嬢様。」
 側に佇む若いメイドさんが、満面の笑みを零しながら朝の挨拶をしてきます。
 私だってこのメイドさんを恨むのは、筋違いである事くらい重々承知しているつもりです。
 でも、私の安らかな眠りを妨げ、強制的に覚醒させた張本人でもある事には変わりありません。
 だから、寝ぼけ眼のままでしたが、不機嫌そうな視線をメイドさんに向けました。

「芹香お嬢さま。 今日も清々しいお天気ですよ!」
 件のメイドさんは上機嫌です。
 私が御機嫌斜めだって事、理解して頂けて無いみたいです。
 こんな時、表情が乏しいって事を、殊更悲しく感じてしまいます。 しくしく。

 メイドさんは、何やら楽しげに私へと言葉を掛けながら、カーテンを開けて回り、朝の光を部屋いっぱいに
 入れています。
 部屋が明るくなるにつれ、薄ぼんやりとした意識が次第にはっきりとしてきますが、まだメイドさんの話し
 ている内容が理解出来ません。
 多分、最後の抵抗とばかりに、頭が起きるのを抗っているのでしょう。
 そのうち、全てのカーテンを開け終えたメイドさんが、ベットの側に歩み寄ります。

 仕方ありません。
 枕さんや布団さん達と離れるのは名残惜しいですが、何時までもベットの上で座ってはいられません。
 今の私に穏やかな1日など望むべくもなく、また多忙な1日が始まろうとしているのです。
 私は、1つ小さな溜息をつき、まだ私の温もりの残る布団を退けて、ベットから降り立ちます。
 降り立ち・・・降り立ちって・・・え?

「せ、芹香お嬢様!」
 明るかった室内が、急に暗闇に包まれました。
 遠くで、メイドさんが私を呼んだ気が・・・・・・・・・・。







      『題目   芹香のお休み 』

「・・・。(・・・うぅ。)」
 ゆっくりと見開いた瞳に映ったのは、薄暗い室内に低くて白い天井、そして、心配顔で見詰める綾香ちゃん
 の顔。

「あ、姉さん、気がついた?」
 曇った瞳が一転し、花が咲いた様な明るい表情に変わります。
 私は綾香ちゃんに返事をする前に、目の見える範囲を右から左へと見回します。

(・・・ここは?)
 朝霧の様に、白く薄ぼんやりとした思考をフル回転させてみますが、この小じんまりとした室内に見覚えは
 ありません。
 少なくとも、私の部屋でない事だけは確かなようです。
 かなり動きが鈍くなった記憶を手繰り寄せますが、目を覚ます前の記憶が非常に曖昧で・・・確か失意の
 中で目覚めた所までは、朧げながらにも覚えているのですが・・・。

「先輩、もう大丈夫か?」
 頭を悩ませていたとき、急に浩之さんの顔が覗き込んできました。
 あまりに急な事だったので、心臓がぱくんって、大きく波打ちます。
 咄嗟に、お布団で顔を隠しましたが、頬が赤らんだの、浩之さんに見られてしまったでしょうか?

「綾香から話を聞いて、飛んで来たんだぜ。」
「・・・。(?)」
 綾香ちゃんから話・・・はて、何の事でしょう?
 と、言うか、私は何故ここで横になり、お布団をかぶっているのでしょうか?

「姉さん、もしかして覚えてないの? 姉さん、今朝、部屋で倒れたのよ。」
「・・・。(??)」
 え? 私が・・・ですか?
 そう言えば、そんな気{しないでもない様な・・・。

「もう! 今朝なんて、屋敷中大変だったんだから!」
「・・・。(・・・。)」
 ふむふむ。 なるほど、なるほど。
 私は今朝倒れたから、家の者が慌てて病院に運び込んだと。
 で、当然一緒に住んでいる綾香ちゃんの耳に入り、浩之さんへと伝わったと。
 それで、先程浩之さんが言われた、”飛んで来た”に繋がる訳ですね。
 ・・・納得しました。
 って、悠長に納得している場合じゃないです。

「姉さん、どうしたの? まだ起きちゃダメだって!」
「先輩、医者も、今日は一日安静にしてろって言ってたぜ。」
 起き上がろうとする私を、押え付けようとする浩之さんと綾香ちゃん。
 僅かに抵抗を試みますが、私のカなんて、二人に比べたら微々たるものですから、叶うはずもありません。

「姉さん、そんな身体で行って、また倒れでもしたらどうするの? その方が、皆さんに迷惑がかかるのよ。」
「そうだって。 今日くらいは仕事なんて忘れてさ、ゆっくり休んで体調整えなきゃ。」
 二人の気持ちは嬉しいけれど、私にはやらなければならない事が山の様にあって、それをやらなければ、
 困る人が沢山居て・・・。

「判ったわ、姉さん。 じゃ、こうしましょう。 今日一日の姉さんの仕事は全て私がします。 だから安心して
寝ていて頂戴。」
「・・・(!)。」
 え? 何を言っているの、綾香ちゃん。

「・・・(フルフル!)」
 私が倒れた事で、多くの人に迷惑を掛けてしまっているのに、その上、綾香ちゃんに私の仕事をして貰う
 だなんて、そんな事・・・。
 私は、目一杯首をフルフルさせました。

「何? 姉さん、私に遠慮でもしているの? もう! 水臭いんだから。 ほら、困った時はお互い様、って
言うでしょ。」
 ・・・だから、違うって。
 私が倒れて皆さんに御迷惑を掛けているのに、私の仕事を綾香ちゃんにお願いして、更に御迷惑を掛けるん
 じゃないかって・・・。 
 って言うか、明日以降の仕事が増えるんじゃないかなって・・・。

「・・・そう言う事だから、浩之、後は任せたわよ。」
「・・・(?)」
「ちょ、ちょっと待て! 何だそれは? って言うか、『そう言う事』って、なんだ?」

「もう、鈍いわねえ、浩之。 私は、私の仕事+姉さんの仕事をしなくちゃいけないの、判る?」
「おう! それは判るって。」
「・・・(こくこく)」

「だから、今から私は、大変お忙しくってあらせられるの、それも判る?」
「おう! 日本語が無茶苦茶だが、それも何とか判った。」
「・・・(こくこく)」

「だから、私は仕事に戻らなきゃいけないんだけど、私が帰った後、誰に姉さんの看病を頼めと言うの?」
「おぉ? ん−−−−−−−−−−−−−−−−−。」
「・・・(−−−)」

「・・・って事だから、浩之。 今日一日、姉さんの看病よろしくね。」
「って、俺かい?」
「・・・(!)」

「そうよ、他に誰がいるって言うの? 姉さんが逃げ出さないように、ちゃんと見張っててちょうだい。
ね、それなら、姉さんも構わないでしょ。」
「・・・(ぽっ)」

「よし、決まり。 じゃ、私はこれで帰るけど、その前に・・・ちょっと、浩之。」
「なんだ、綾香?」

「浩之、ちょ〜っと、想像してみてくれない? 人が生きている事を限りなく後悔するような拷問や責め苦が、
自我が崩壊する一歩手前まで、際限なく延々と続く状態。」
「・・・・・・・・。」

「そんな酷い事、私が愛する浩之にすると思う?」
「・・・そ、そんな事・・・する訳・・・ねぇよな。 はははははは。」

「そうよねえ。 したくなんて無いわ。」
「ははは・・・。」

「だから、姉さんに手なんて出したらダメよ。」
「・・・お、おう。」

「愛してるわ、浩之。 じゃ姉さん、私帰るけど、お大事にね。」


  ・・・バタン。



 浩之さんを桐喝した綾香ちゃんは、笑顔で手をヒラヒラさせながらドアの向こうに消えて行きました。
 病室に残されたのは、私と浩之さんの2人っきり。
 しばしの沈黙の後、浩之さんは大きな溜息を一つつき、手近にあったパイプ椅子をベット脇に寄せて座り
 ました。

「・・・って事だから、先輩、宜しくな。」
「・・・(・・・こく)」
 浩之さんの顔は、若干青ざめていらっしゃる様でした。


 日々の積重ねとは恐ろしいもので、あれからもう4年・・・いえ、5年になるでしょうか?
 あの頃の事は、つい昨日の事の様に思い出されますし、遠い日のよき想い出の様にも感じます。

 高校3年生の春、私は浩之さんと運命的な出会をしました。
 それ以来、浩之さんにお会いするにつれ、お話をするにつれ、少しづつ浩之さんに惹かれていきました。
 私の中の大きな部分が、浩之さんで満たされていき、私の幸せと喜ぴが、浩之さん抜きでは考えられなく
 なりました。
 それが、私の初恋だと気付くのに、然程時間は掛かりませんでしたが、そんな自分に戸惑いながらも、
 心地良くさえ思えたものです。

 それと前後して、浩之さんは綾香ちゃんとも出会いました。
 詳しくは2人とも教えてくれませんでしたが、色々な事があったみたいで、2人ともお互いに急接近して
 いきました。 私は綾香ちゃんの姉として、それを喜んで上げなければいけませんでしたが、恋敵として、
 手放しで喜んで上げる訳にはいきませんでした。
 こればかりは、たとえ、綾香ちゃんと言えど、譲る訳にはいきませんから。

 内向的で消極的な私ですが、浩之さんの心を掴むため、自分でも驚くほど積極的に行動しました。
 お弁当を作って差上げたりとか、プールにお誘いしたりとか、浩之さんにお会いしたいがために、パーティー
 を抜け出した事もありました。
 他にも色々・・・。(ぽっ。)

 それでも、結局浩之さんの手は、私に差伸べられる事は無く、綾香ちゃんに向けられ、固く結ばれました。

「・・・どうした? 先輩、眠れないの?」
「・・・(ふるふる)。」
 優しい言葉が掛けられます。
 どうやら、昔の事を思い出し、浩之さんの事を見詰めてしまった様です。

「それとも、綾香の事が心配か? 違うな、綾香がする仕事が心配なんだろ?」
「・・・(・・・・・・こく。)」
 小さく頷く私。
 実は、将来のためにと、私と綾香ちゃんは、来栖川グループ傘下の幾つかの企業を任されています。
 と言っても、来栖川グループ全体としては、数%に過ぎませんが、それでも一日に数百億から数干億って
 ビジネスを手がける場合もありますし、私の失敗は、数万人の雇用を危うくさせかねません。
 だから、私が居ない間に綾香ちゃんが何をするか心配で心配で・・・。
 だって、あの時は、綾香ちゃんの所為で数千億の穴を開けて・・・。

「はははは・・・いや〜実は俺も・・・。 あ、いやいや、この頃綾香も頑張ってるんだ。 多分、この前みたいな
事は無いから、安心しろって、な。」
「・・・(こく)」
 なんだ。 浩之さんも私と同じ事、心配していたみたいです。
 根拠なんて全くありませんが、浩之さんが、”安心しろ”って言って下さるだけで、不思議と胸のつかえが
 取れる思いです。

 浩之さんの笑顔は、どんな良薬よりも私には効きそうです。
 それに、損失と言っても、グループ全体から見れば小数点以下ですし、カバーは幾らでも出来ます。
 そういった意味からも、”何とか”はなるでしょう。

「だから、もう一眠りしてって・・・あ、そうか、もしかして俺邪魔だったか? だったら、俺・・・。」
 私が眠らないのを、自分の所為だと誤解されたのか、浩之さんは、パイプ椅子から腰を浮かせます。
 このままでは、浩之さんとの2人っきりの時間が・・・。

「・・・せ、先輩?」
 気がついたら私、イヤイヤをしながら浩之さんの服を掴んでいました。
 浩之さんは驚いていらした様ですが、ゆっくりと腰を降ろしてくれました。

「俺が居ても邪魔じゃない?」
「・・・(こくこく)。」
「それじゃ、先輩が寝るまで、俺居るから。」
「・・・(・・・て)。」
「え?」
「・・・(手・・・繋いで下さいませんか?)。」
 私は、小さな声で呟きます。
 恥かしさのあまり、頬が紅潮してしまい、思わず顔をお布団で隠してしまいました。

「手を繋いでって・・・ああ、良いぜ。」
 私の小さな小さな願いは、浩之さんの耳に届きました。
 そして、私に手を差伸べて下さいました。
 その手に私の右手を添えます。
 大きくて、温かくて、優しい手です。
 私は更に左手を添え、ぎゅっと抱いて頬に添えます。
 私に向けられなかった手だけれど、今だけは私のためだけに向けられている。
 そう思えるだけで、幸せな気持ちに包まれます。
 忘れ様とした思いが、忘れきれない想いが、まだこんなに残っているだなんて・・・。

「ゆっくり休んでくれよな。」
「・・・(こくこく)。」
 そうは言ったものの、胸がドキドキして眠れそうにないです。
 でも、お約束ですから、私が眠るまで、手を繋いでいて下さいね。
 だって、私にとって浩之さんが、どんな良薬より一番効くと思いますから。
                                                 おわり





おまけ


あやか : もう! 軽はずみな事言うんじゃ無かったわ!
       私の所の仕事だけでもオーバーフローしてるって言うのに、姉さんの所の仕事なんて
       どうしたら出来るって言うのよ!

セリオ  : あ!

あやか : どうしたって言うの、セリオ? あ・・・まさか!

セリオ  : 何でもありません。 綾香お嬢様が御心配する程の事では・・・。

あやか : 御心配する程の事ではって・・・浩之が姉さんに何したって言うのよ!

セリオ  : いえ・・・ただ。

あやか : ただ、何なのよ!

セリオ  : ただ・・・浩之さんの手が、芹香お嬢様に伸びている様な・・・。

あやか : 何ですって! アレほど言っておいたのに! きぃ〜〜〜〜! 浩之の浮気もの!
       こうしちゃ居られないわ! セリオ! 後の事頼んだわ!

セリオ  : 綾香お嬢様、どちらへ?

あやか : 病院に決まってるでしょ! 浩之に目にもの見せてくれるわ!

          ・・・バタン!

セリオ  : ・・・漸く、行って下さいました。
       綾香お嬢様が、芹香お嬢さまの分までお仕事をされるだなんて・・・なんて無謀な・・・。
       さ、大事に至らない間に、改ざん改ざんっと。

                                                     おわり




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あとがき

最後まで読んで頂きありがとうございます。
ばいぱぁです。

今回は台詞が少し多めです。
他のSSでは、心理描写や情景描写を多めにしていますが、たまには・・・・って事で。





 ☆ コメント ☆

セリオ:「お帰りなさい、綾香さん。どうでした?」

綾香 :「取り敢えず、今回はセーフかしらね。手を繋いでただけだったし」

セリオ:「そうですか」

綾香 :「病気になると弱気になるものだしね。今回は大目に見たわ」

セリオ:「なるほど。
     ところで、綾香さん」

綾香 :「なに?」

セリオ:「妙にご機嫌に見えるのですが、なにかありました?」

綾香 :「え?」

セリオ:「そういえば、帰ってくるのも随分と遅かったですね」

綾香 :「そ、そう?」

セリオ:「はい。お仕事、すっかり片付いてしまいましたよ。
     というか、既に日が暮れてます」

綾香 :「あ、あら、そうなんだ。気が付かなかったわ。
     ちょ、ちょーっと浩之と話し込みすぎちゃったかしらね。あ、あはは」(汗

セリオ:「……話し込んだ、ですか?」

綾香 :「ええ、そうなのよ。思いの外盛り上がっちゃって」

セリオ:「そうなのですか。
     わたしは、てっきり浩之さんにご機嫌取りとして『あんな事』や『こんな事』をされたのかと思いました」

綾香 :「…………」

セリオ:「ひょっとして考えすぎでしたか?」

綾香 :「そ、そうよ。考えすぎよ。き、決まってるじゃない。やーねぇ、セリオったら」(汗

セリオ:「綾香さん」

綾香 :「な、なーに?」

セリオ:「お肌、艶々です」

綾香 :「気の所為よ」

セリオ:「…………」

綾香 :「…………」

セリオ:「お た の し み で し た ね ?」

綾香 :「あんたはどこぞの宿屋のオヤジか」





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