「・・・雪。」
何時の間にか降出した雪が、頬に落ちて流れて消えた。
見上げれぱ暗く厚い雲間から、白い雪がちらちらと落ちている。
地上にある全てのものを包み込む様に、白いべ一ルで覆い隠すよつに、雪はゆっくりとそして静かに
舞い落ちる。
私は、呆然とそれを眺めた。
舞散る雪が私に触れ、融けて流れ落ちて行く。
いっそ、私も、この雪の様に、融けて流れ落ちる事が出来たなら・・・。
「・・・くしゅ。」
何時からここにいたのか知らないけれど、かなり長い時間ここに居た様で、身体は完全に冷え切って
いた。
誰かさんとは違い、雪国生まれの雪国育ちで、寒いのは比較的平気だとは言え、あと数時間もここに
座り続けていたら、明日の三面記事に私の名前が載りかねない。
でも・・・もし、そんな事になったら・・・相沢君、ちょっとは気にしてくれるかな?
題目 『 Giri Giri Valentine−後編−』
「・・・ふぅ。」
そっと、家の周りの様子を窺ってみる。
門灯と玄関灯が点いているものの、既に家の者は寝入った後なのか、部屋から明かりは漏れていな
かった。
もう一度腕時計を確認してみる。
・・・11時ちょっと過ぎ。
愛娘が、こんな時間まで外出していると言うのに、呑気に寝ていられる家族というのは、私に対して
無関心と捕らえるべきか、信頼されていると捕らえるべきか、結構微妙な所かもしれない。
気を取直し、音を出さない様に注意をしながら鍵を開け、慎重にドアノブを回してゆっ<りとドアを開けた。
体ひとつ入る分だけドアを開けると、急いで身体を滑り込ませて静かにドアを閉めた。
耳を澄ませて物音がしない事を確認してから、ゆっくりと鍵を掛けた。
こんな泥棒みたいな真似事して家に入るだなんて想像もしなかったけど、兎にも角にも家に入る事には
成功した。
後は、熱いお湯につかって、早いところベットに潜り込もう。 そして、何もかも忘れて泥の様に寝よう。
運が良いのか悪いのか、気が張っているせいもあって、お腹は空いていなかったから。
荷物を上がり間口にそっと置き、自分も腰掛けて靴のホックを外した。
・・・と、その時。
「・・・お帰り、お姉ちゃん。」
誰もいないと思って居た階段の上から、急に栞の声がした。
私は、驚きのあまり、思わず飛退いてしまった。
「し、栞・・・起きてたの?」
「う、うん・・・心配だったから。」
「お父さんとお母さんは?」
「もう寝たんじゃないかな。 ・・・あ、心配しな<ても良いよ。 お姉ちゃんは名雪さんお宅に泊まるって、
お父さんとお母さんには言っておいたから。」
・・・あ、なるほど。
それで、うちの両親は安心して寝てたんだ。
「そ、ありがとう栞。 今度お礼にアイスでも奢るわ。」
私は軽く栞に礼を言うと、灯りも点けずに玄関を上がると、スリッパを履いて階段に向かった。
栞は階段の途中で、私のために脇に寄ってくれた。
「お姉ちゃん・・・。」
「・・・今日はもう遅いわ。 待っててくれたのは嬉しいけど、また体調を崩すといけないから寝なさい。」
栞の横を通り過ぎたとき、栞が私を呼ぴ止めた。
しかし、私はその声を途中で遮った。
「お姉ちゃん待って下さい。」
追い縋る栞の声を無視をして、階段を駆け上がryと自分の部屋に入った。
そして電気も点けずに、荷物を放り投げるとベットの上に身を投げた。
コンコン・・・。
「お姉ちゃん、入って良いですか?」
控えめなノックの後で、部屋の外から栞の声が聞こえた。
「ダメよ。 今、着替え中だから。」
ベツトの上でうつ伏せになりながら、それだけ答えた。
熱いお風呂に入りたかったけど、今はそれさえも鬱陶しく感じた。
「名雪さんから電話があって・・・。 お姉ちゃん、相沢さんにチョコをあげて無いって、ホントですか?」
「・・・。」
扉の向こう側から聞こえる栞の声は、少し震えて聞こえた。
「どうしてですか? あんなに楽しみにしてたじゃないですか! あんなに頑張ってたじゃないですか!」
ええ。 確かに私は、この日を心待ちにしていたし、楽しみにしてもいましたよ。
でもね・・・でもね・・・。
「相沢さんだって、お姉ちゃんの作ったチョコを楽しみにしていたはずです。 行って下さい。
今からなら、まだ間に合います。」
「行かないわ。 もう、寝たいの。 栞も早く寝なさい。」
間に合うわけがない。
私は、相沢くんのために作ったあのチョコを、北川君にあげちゃったのだから。
だから、もう・・・いい。
「ダメです。 行かなきゃ、それこそきっと後悔します!」
後悔? 後悔なんて・・・もう、とっくにしてるって。
でも、いくら後悔したって、どうにもならないじゃない。
「良いのよ、もう! 私の事はほって置いて!」
私は、そう叫ぷと、枕を頭の上に置き耳を塞いだ。
泣きながら後悔して、漸く諦めて帰ってきたんだから・・・お願いだから蒸し返さないで。
私に意見するのが無駄と悟ったのか、暫く扉を挟んで沈黙が続いた。
「・・・判りました。 お姉ちゃんがその気なら、私にだって考えがあります!」
「・・・?」
「お姉ちゃんの失態は、身内の私が補わなければいけません。」
「・・・栞? 何を言ってるの?」
「お姉ちゃんが行かないなら、私が行くまでです。 私がお姉ちゃんの名代として、祐一さんにチョコを
渡してきます。」
「ちょ、ちょっと栞! 何勝手な事言ってるの!」
「まだまだ今日は30分近くあります。 走れぱ充分祐一さんに届けられます。」
「何言ってるの栞! 外は寒いわ。 こんな時間から外に出て行って・・・具合でも悪くしたらどうするの!」
「心配しないで下さい。 実は今ちょっと風邪気味で・・・このまま出て行ったら、拗らせるかもしれませんが、
問題なしです。 必ず祐一さんにお届けしますから安心して下さい。 そこでカ尽きちゃうかもしれませんが
・・・その時はその時です。」
「何バカな事言ってるの! 絶対に行っちゃダメ!」
「私、大好きなお姉ちゃんの汚名を挽回できるなら本望です。 悔いなんてありません。」
「栞! バカな事言わないで頂戴! 栞の場合は冗談にならないんだから。」
「あうぅぅ・・・そんな事言うお姉ちゃんなんて嫌いです。」
「嫌いでも何でも良いから止めてちょうだい。」
「いいえ、ダメです。 では、もう時間も少なくなりましたから、行って来ます。 お姉ちゃん・・・さようなら。」
「判ったわ! 栞、私が行くから、待ちなさい! 行っちゃダメ!」
ベットから飛ぴ起き、這う様にしてドアまで辿り着いた私は、勢い良くドアを開けた。
開けたら・・・。
「えヘヘぇ。」
山の様なチョコが載った大皿を手にした栞が、にっこりと笑いながらこちらを見ていた。
しまった! そう思ったけど遅かった。
天の岩屋戸にお隠れになった天照大神(あまてらすおおみかみ)は、天釦女命(あまのうづめのみこと)の
楽しげな踊りと神々の笑い声に誘われ、ほんの少し開けた岩戸を、天手カ男命(あめのたぢからおのみこと)
により開け放たれたと言うけれど、私は栞の言葉に惑わされ、誰のカも借りずに勝手に扉を開けて勝手に
出てきてしまった。
「・・・栞、汚名は”挽回”するものじゃ無いわ。 ”返上”するものよ。」
一気に気が抜けた。
気が抜けたけど、栞を怒る気にはなれなかった。
「はい。 お姉ちゃんにとって、今がその”返上”のチャンスです。」
「・・・そうね。 栞の言う通りだわ。」
「祐一さんのハートを射止めるなら、質より量です。」
そう言いながら、山の様なチョコを差出す栞。
でも、私は、首を横に振ると、そのチョコの山から一握りだけ、チョコを掴み取った。
「栞、違うわ。 やっぱり、質よ。」
○ ○ ○ ○ ○ ○
「香里、どうした? ちょっと待ってろ。」
「・・・あ、うん。 ごめんね。」
勢い勇んで来たまでは良かったけど、もうそろそろ日付も変わろうかというこの時間。
流石に呼鈴を連打して呼出す訳にもいかず、どうしようかと悩んでいた所、小雪はちらついて来るは、
身体は冷えて来るはで、気分も萎え始めた時、突然相沢くんの部屋の窓が開き、相沢くんが声を
かけてくれた。
「どうしたんだ、こんな夜中に? ま、何でも良いや、とにかく中に入れよ。」
「あ・・・ううん、良いわ。 直ぐに帰るから。」
玄関の扉を開けて、駆け寄ってくれた相沢くんは、私に傘を刺し掛けながらそう言ってくれた。
でも、私はゆっくりと頭を振って、その御好意をお断りした。
だって、こういう事って勢いが大切で、家に上がり込んで、ゆっくりお茶を頂きながらする事じゃ無い様に
思えたから。
「そ、そうか? あ、あのさ・・・。」
「・・・相沢くん。 あのね。」
私は、口篭る相沢くんの言葉を遮った。
相沢くんとしては、色々な事を私に問い掛けたいだろうけど、一々答えていては、今日という大事な日が
終わってしまう。
私は、早鐘の様に打ち鳴らされる胸を押え、大きく深呼吸をすると、そのまま目を閉じ、握り締めていた
物を相沢くんの目の前に差出した。
「・・・これ、食べて!」
北川君にあげたチョコと比べたら、形は少しだけ劣るかもしれないけれど、相沢くんへの想いがいっぱいに
つまったチョコレート。
私が、初めて食べて欲しいと思った人に、心を込めて作ったチョコレート。
紆余曲折しちゃったけど、ようやく相沢くんにあげられるチョコレート。
「・・・か、香里い。 こ、これ・・・。」
なかなか受取ってくれない相沢くんは、絞り出すように私の名を呼んだ。
私は恐る恐る目を開け、苦笑している相沢くんの顔を見た後、愛情をたっぷり注ぎ込んだ、チョコを・・・。
「!!!!!!!」
な、なんて事! ここまで夢中で走って来た所為?
それとも、落とさないようにとしっかりと握り締めていた所為?
私の手の中で暖められたチョコレートは、悲惨にも溶けてくちゃくちゃになっていた。
「あ・・・えっと・・・これは・・・その・・・。」
慌てふためき、しどろもどろになりながらも、言葉を繋げようとするが、もう、何をどう言って良いのか判ら
なくなり、悲しいとか、淋しいとか、情けないとか、なんか、色んな気持でいっぱいなって、泣きたくなってきた。
「あ・・・えっと・・・ごめんね!」
折角一大決心して来たのに、やっぱり汚名は返上できずに、挽回しちゃったみたい。
こんな事になるくらいなら、来ない方が良かった。
いっそ、手の中のチョコみたいに、溶けて無くなってしまえたら・・・。
「ありがとう、香里。」
そう相沢くんは言うと、私の手を取りゆっくりと口元に寄せ、私の手の中で溶けて形が崩れたチョコを口に
含んだ。
「な・・・な・・・な・・・!」
あまりの事に、熟れたトマトの様になりながら、何がどうなったのか考えられないでいた。
反対に相沢くんは、口に入れたチョコをもごもごさせながら食べ、そして、ごくんって喉を鳴らせて飲み込んだ。
「香里、ありがと。とっても美味しいよ。」
「な・・・な・・・な・・・何すんの!」
私が目指した、味も形も厳選したチョコとは大きくかけ離れたチョコレートなのに・・・。
しかも、私の手の中で溶けたチョコをそのまま食べるだなんて。
「食べたかったから。」
「え?」
「ずっと待ってたんだ、何時くれるんだろうって。 でも、なかなかくれないし、かと言って、請求するわけにも
いかんし、挙句に、北川にチョコやって帰っちゃただろ。」
「そ、それは・・・。」
それは、相沢くんが他の子からチョコ貰ってたから、あげるチャンスが無くって・・・。
「俺、ちょっと傷付いたんだぜ。」
「・・・ごめんね。」
「いいって。 それよりも、来てくれた事が嬉しかったから。」
「うん。 私も来て良かった。」
悩む事なんて無かった。 迷う事なんて無かった。
素直に、自分の気持ちを伝えるだけで良かったんだ。
「・・・まだ、今はバレンタインデーかな?」
「ああ、ぎりぎり・・・な。」
「うん。 じゃ、もう一度、やり直して良い? 私も相沢くんに、とっておきのチョコをあげたいから。」
私も、私の手の平で解けたチョコを一口かじった。
そして、にっこりと微笑むと、目を閉じ、相沢くんの首に両手を回してから、少しだけ背伸ぴをした。
世界で一番甘いチョコを、食べてもらうために・・・。
おわり
おまけ
香里 : ・・・ねえ相沢くん。 どうして私が来るのが判ったの? 栞が連絡してきたとか?
祐一 : いや、栞から連絡なんてないぞ。
香里 : ? じゃ、どうしてかしら?
祐一 : 会いたいと願ったから。
香星 : え?(真つ赤)
祐一 : 偶然って言葉では片付けたくないんだけどさ、香里に会いたいって願いながら窓を開けたら、
ホントにいたんだ。 神様の存在を信じたくなったな。
香里 : 奇跡・・・ね。
祐一 : 安っぽいって言われるかもしれないけどな。
香里 : ううん。 立派な奇跡よ。 だって、ほら。 今、こうやって2人でいられるのだって、その奇跡の
おかげだもの。 私も、その奇跡に感謝したいわ。
祐一 : そうだな。 なぁ、それよりさ。
香里 : ・・・どうしたの?
祐一 : ちょっと寄ってかないか? かなり冷えてるみたいだし・・・その・・・もう少しだけ一緒にいたい。
香里 : ・・・いいわ。 実は、私も、もう少しだけ一緒にいたかったから。
祐一 : よかった。 じゃ、中に入ろうぜ。 温かいお茶入れるから、一緒に食べよっか、チョコレート。
香里 : え?
祐一 : いや〜。 今日、一人じゃ食べきれないほど貰ったからさ、一緒に食べてくれると助かるよ。(笑)
香里 : ・・・・・(怒)
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あとがき
最後まで読んで頂きありがとうございます。
ばいぱぁです。
昨年のバレンタインSSは、甘い感じの作品では無かったので、今回はちょっと甘めにしてみました。
それでは。