「お兄ちゃん♪」
「はうっ」
 深い思考に耽っていた俺は凶悪な呼称で我に帰る。
「な、ななな……」
「うーん、北川さんにはそういう属性ありませんか」
 俺の背中にしがみついた栞ちゃんは残念そうだった。
「いや、オレ妹いるから……」
「あ、聞いたことあります。妹がいる人は妹萌えって理解できないそうですね」
「ロクでもないこと知ってるな……」
 栞ちゃんは入院しがちであまり学校通えなかったため世間知らずなところがあると美坂はぼやいていたが、妙な方向で世間ズレしつつあるらしい。
「乙女のたしなみですっ」
「どんな乙女だ……いやそれよりなんでいきなり」
「それはですね、呼び鈴鳴らしても全然反応なかったんですけど、鍵開いてたんで不法侵入しちゃいました」
 そう言って小悪魔的な笑みを浮かべる。
「で、話しかけても反応なかったからこういう暴挙に?」
「はいっ」


題目  『Giri Giri Valentine−別視点−』


「で、学校で渡しそびれた義理チョコです……って、あれ?」
 栞ちゃんは俺の前にある綺麗にラッピングされた小箱に気づく。
「ああこれか? 美坂……キミの姉さんからの義理チョコだ」
「あの、名雪さんから電話あって、お姉ちゃんチョコあげてないって話してたんだけど……」
「やっぱりそうだったか。こいつをいざ相沢に渡そうとして怖気づいちまったんだろうな。なのに水瀬の強引な後押しで引っ込みつかなくなったんだろ」
「だからって、その悪あがきで北川さんに押し付けたんですか!? そんなのひどいです! 義理ですらあげる気ないのに他の人の本命チョコを渡すなんて、これじゃ当て馬じゃないですか!」
「はぐぅ……っ!?」
 美坂の不誠実な行為より、君の容赦のない表現のほうがきついよ栞ちゃん……。
「で、でもさ、美坂だってこれまで色々大変だったんだ。いざ自分自身のことに向き合ったら舞い上がっちゃってあんな行動に出たって仕方ないだろ」
 何で俺が美坂のフォローに回るんだか。
「でも……」
「わかるんだよ、オレの妹も長いこと入院してたから」
「えっ……?」
「妹だけが真っ白な部屋にひとりぼっちでいて、それなのに自分のことに目を向けてなんていられないだろ。それが解決していざ行動に移そうとしたってなかなかうまくいかないさ」
 実際、俺がそうだった。
 去年の3学期、これまでになかった良い兆候が妹に現れ回復の見込みが出てきた。それに舞い上がった俺は今になって思うと相当な奇行ぶりだった。
「お姉ちゃん……」
「そのせいかどうかはわからないけど、オレはキミら姉妹がどれだけ大変なものを背負ってるか気づいてやれなかった。冗談交じりでチョコ欲しいとは言ってたけど、こんなオレに、本命はおろか義理だって貰う資格はないさ」
「そ、そんな事ないです! 私、北川さんからも生きる力を貰いました。だから、だから持ってきたんです」
 そう言って、綺麗にラッピングされた小箱を改めて差し出してきた。

 栞ちゃんが過酷な治療に耐え抜き退院したときに聞かされた話だ。
 あまりにも成功率が低いため諦めていた手術を受けたきっかけが相沢だった。
 あいつと過ごす楽しい時間が、手術を決断する勇気と耐え抜く気力をもたらしたという。
 そして、その相沢との出会いを取り持っていたのが俺だった。
 3学期の初めごろ、授業中に何気なく中庭を覗き見てストールの女の子を見つけ、妙に気になり相沢にその存在を伝えた。
 栞ちゃんと相沢の付き合いはそれがきっかけだった。
 あの何気ない行動が姉妹の運命を大きく変えていたのだ。

『上級生のみなさんに囲まれて緊張します……』
『大丈夫だよ。俺だろ? 名雪に、香里もいるし』
 学食で緊張している栞ちゃんの髪を、相沢がくしゃっとかき混ぜながら言った。
『オレもいるしな』
『北川は初対面だろう』
『けど、最初に中庭にいる栞ちゃんを見つけたのはオレだぞ。あのとき相沢に言わないで、オレが栞ちゃんに会いに行けばよかったなあ』
 冗談めかしてそう言った俺に対し、
『結果はいまと同じだと思うけどね』
 と、美坂からクールな突っ込みが入ってテーブルについたみんなが笑った。

 相沢は、栞ちゃんが背負った運命を知った上でなお普通に接していた。
 それがあの子の望んだ事だからだ。
 だが、相沢をはじめとする事情を知るものはどうしても悲壮感を抑え切れず、それを察してしまった栞ちゃんが逆に気を遣うことも少なくなかったらしい。
 入院しがちで学校にもあまり行けなかった栞ちゃんの人間関係は非常に狭かったそうだ。
 つまり、接する事ができる人の大半は家族や医師、看護婦さんといった深い事情を知る者で占められたことになる。
 周りの人間が、自分の命が長くない事を知った上で辛い思いを堪えて接してたとしたら、その生活は非常に窮屈なものだったろう。
 だからこそ、本当に何も事情を知らず接していた俺や水瀬との交流は、栞ちゃんにとって心底心地よいものだったそうだ。
 俺は普通にしていただけなのだが、それはとても大きなものをもたらしていたという。
 だからこそ栞ちゃんは俺を兄のように慕い、こうしてチョコも持ってきたのだ。
 このチョコは、本当の意味での『義理』だった。
「……わかった。ありがたく貰っとくよ」
 兄が妹に行うように髪をくしゃりとかき混ぜてやる。あのとき学食で相沢がそうしていたように。
「きゃ! ちょっと……あはは」
 けらけらと笑ってた栞ちゃんが不意に神妙な顔になる。
「ところで、何をそんなに真剣に考え込んでたんですか?」
「ん? ああ、こいつをどうしようかと思ってさ」
 美坂からの相沢用本命チョコを見る。
「あ……困りましたね」
「本当にオレが食っちまうわけにもいかんし、かといって俺が相沢に渡したって仕方ないし、捨てるなんて論外だし。だけど美坂に返したって意固地になってるから受け取るわけないし……」
「ですね、お姉ちゃん頑固なところありますから」
「このままってわけにはいかない。とはいえ、ヘタな後押しで益々変な方向に暴走したら目も当てられんしなぁ……」
 うまいことこのチョコを本来あるべき場所に届けてやる術はないものか。正攻法では駄目だ、だが……。
「あ、いい方法思いつきました。押して駄目なら引いてみろです、チョコを隠すならチョコの中、です」
「よくわかんないんだが……」
「お姉ちゃんに見つかったら作戦失敗です。台所お借りしていいですか?」

 栞ちゃんは慣れた手つきで相沢用本命チョコを刻む。
「お菓子作りの道具も揃ってますね。妹さんのですか?」
「ああ。と言っても、それ使ったのは八年前に妹とクッキー作るのに使ったのが最初で最後だったんだけどな」
「……ごめんなさい」
「こらこら、人の妹を勝手に殺すな、今日は検診が長引いてるだけだよ」
「え……?」
「まだまだ体が本調子でないから今年のチョコは市販品になってしまったけど、そのうちそれらも使えるようになるさ」
「そ、そうだったんですか……」
 縁起の悪い早合点にばつの悪い思いをしながら栞ちゃんは作業に戻る。

 物心つく前に親の離婚で別れて暮らしていた双子の妹。色々と揉めに揉め、戸籍もかなりややこしいことになっていたらしい。
 母さんが亡くなったことで妹が戻ってきたのがあの年の冬だった。
 ぎこちない暮らしがしばらく続いたある日、あいつは友達にクッキーをプレゼントしたいと言ってきた。
 兄妹で何かをしたのはアレが初めてだったな。
 母さんがいないのは悲しいけど、これからは俺たち3人で仲良くやっていこう、そう考えた矢先……。

 大昔の記憶に浸っていた俺の意識は電話のベルで覚醒する。
「水瀬です、あの、北川君? 香里、そっちに行ってる?」
「美坂か? いや、あいつは来てないが」
「そう……香里、まだお家に戻ってないんだって」
「戻ってない?」
「うん。どうしよう、わたしのせいだよ。わたしがあんなふうにたきつけたから」
「……ああ、そうだな。あてつけでチョコ渡されたオレもいい迷惑だ」
「……ごめんね」
 おどけて言ったつもりだが水瀬は真に受けてしまった。冗談だと受け取る余裕はなかったか。
「いいさ、過ぎたことだ、済まなかった。問題はこれからのことだ。心当たり探してみるから、水瀬も相沢と色々探してみてくれ」
 受話器を下ろす。
「お姉ちゃん、戻ってないんですか?」
「ああ、というわけで探してくる。栞ちゃんは……まだチョコの作業があるか。留守番頼む」
「あの、北川さん、いいんですか?」
「……やっぱわかるか」
 苦笑する。
「どうして、お姉ちゃんと祐一さんのためにここまで」
「仕方ないだろ。美坂が見ているのは相沢なんだ」
「でも……」
「なあ、こういう状況で、妨害工作を行ってでも自分に眼を向けさせようとする男って栞ちゃんから見てどう見える?」
「……かっこ悪い、ですね」
「そういうこと。オレなりの美学に忠実でいさせてくれ。では」
 おどけて敬礼して見せ、出発する。
 雪が降り出した。その中を美坂の姿を求めて走る。
 そして、これといった確信もなく向かった駅前で美坂を見つけた。
 ベンチに座り、俺同様周りが目に入らないくらいに考え込んでいるようだ。
 雪の積もり具合から察するに相当な時間ああしているらしい。お互い、妹に申し訳なくなるくらいに体は頑丈だった。
 発見の報告入れるため携帯で自宅をダイヤルする。高くつく代物だが、妹にはまだ何があってもおかしくない状態なのだ、致し方ない。
『あ、お兄ちゃん?』
「おう、検診終わったか。どうだった?」
『良好だって。この調子なら学校で体育もできるようになるって言ってた』
「そっか、よかった」
『今年はムリだったけど来年はちゃんと手作りでチョコ作るよ。お兄ちゃんも期待しててね』
「おう。とりあえず今年は、オレからのホワイトデーを楽しみにしとけ」
『碁石クッキーはもうごめんだよ。それに、アレでボクすっごく恥かいたんだから』
「そりゃお前が作り方わからんくせに作ろうとするからだ。道具や材料揃えたらもう料理の本買う金なくなって、仕方なくTV、それもよりにもよってCMを参考にしたんだろうが。俺は止めたぞ、あんな無謀なマネ」
『うぐぅ……』
「……などと兄妹ゲンカしてる場合じゃないか。栞ちゃん……美坂の妹来てたろ? まだいるか?」
『うん。ボク驚いたよ、帰ってきたら栞ちゃんがチョコ作ってるんだもの。栞ちゃん、お兄ちゃんとも友達だったんだ』
「なんだ、お前とも知り合いだったのか」
『うん、リハビリしてる病院で再会したんだ。それじゃ代わるね』
 なんとまあ、世間ってのは広いようで狭いものだな。
『栞です。あの、北川さんの妹さんって……』
「なんだ、俺にあんな可愛い妹がいるのは信じられんか?」
『あ、その……』
 図星だったらしく言葉を濁す。
「隙をついてカチューシャ取ってやるといい。兄妹の証である褐色でピンポイントのクセ毛がぴょこんと元気に跳ね上がるはずだ」
 妹はそれを物凄く恥ずかしがって、ガキの頃は髪をリボンでまとめていた。
 長く伸ばして自重を稼いだぐらいじゃ完全には収まらなかったのだ。
 小悪魔的な笑みを浮かべ爛々とした目を妹のカチューシャに向ける栞ちゃんと、妙な気配を感じ身をすくめる妹の姿がありありと脳裏に浮かぶ
『あの、それより……』
「あ、そうだった。美坂……姉さんは見つかったよ。無事そうだ」
『よかった……』
「変に刺激したらまずいからもうしばらく様子見とくよ」
『分かりました。あの……』
「ん?」
『その……やっぱり、北川さんが私のおにいさんになってくれたら、素敵だと思います』
「んー、こればっかりは縁だからな……でも、ありがとう」
『……本当に、これでいいんですか?』
「いいんだよ。まずは作戦を成功させよう、チョコの準備は?」
『あともう少しで固まります』
「そっか、じゃ、また連絡するから」
 電話を切り、改めてベンチに座ったままの美坂を見る。何をやってるんだと自問しながら。
 栞ちゃんが言ってたとおりだ。俺のやってることは結局、美坂と相沢をくっつける方向にしか向かわないだろう。
 でも、やらなきゃ後悔する。美坂だって、そういう思いからチョコ作ったんだろうし。
 俺がこうして本来受けとるはずじゃないチョコ貰って、それがきっかけで美坂と付き合うことになるかもしれない。でも美坂の相沢への想いはくすぶったままになる。それじゃなんにもならない。
 だから、やるしかないんだ。自分にできることを。 と、そこで肩をつつかれ、振り向く。
「君は何をしているのかな?」
 国家権力の犬のお巡りさんだった。俺はこういう星の下に生まれたらしい。
 傍から見りゃ、俺の姿はどう見てもストーカーだった。
 美坂は自分のくしゃみで我に返り、自宅の方向へ歩き始める。
 あとは栞ちゃんの働きに期待するしかない。

 連行された交番にて時計を見上げる。既に11時を過ぎた。
 栞ちゃんの誘導がうまく行ったなら、美坂は数多くのダミーの上に積み上げられたあのチョコを掴み取っているはずだ。
 栞ちゃんの手により、そうとわからぬよう再形成された相沢用本命チョコを。
 今からまた刻み、湯煎にかけ、型に流し込み……ギリギリで間に合うだろう。
 ここまでして、肝心の相沢がグースカ寝てやがったらぶん殴ってやるところだが、流石にそれはないだろう。
 ……そう信じたい。
「妹さんからの証言も取れた。疑って悪かったが何も言わない君も悪い……って、何を満足そうにしてるのかね」
「……お巡りさん、オレが聞きたいっす」




以上。ばいぱぁ様の二次小説『Giri Giri Valentine』の別視点です。
なんとなくSS書いてみようかと思ってたときにぱいぱぁ様の作品を見て、あんな形でチョコ渡された北川もさぞかし困っただろうなという思いから、こういう話となりました。
ホワイトデーの贈り物の定番はクッキー。
さて、原作にあったクッキーのエピソードといえばあゆの碁石。
そこに以前発表した作品
紅い瞳に映るもの
http://ts.novels.jp/novel/200206/25215840/redeye.html
の設定を流用し、まとめてみました。
ばいぱぁ様了承感謝です。





 ☆ コメント ☆

綾香 :「なるほど。あの話の裏側ではこういう事が起こってたのね」

セリオ:「何と言いますか……北川さんって良い人ですね」

綾香 :「ええ。ホント、良い人だと思うわ。
     普通はできないわよ、ここまで」

セリオ:「自分に全く益がありませんからね。無償の奉仕という言葉がピッタリです」

綾香 :「まったくだわ」

セリオ:「ぶっちゃけ、典型的な『良い人』で終わってしまうタイプですね」

綾香 :「……あ、あんた、少しは歯に衣着せなさいよ」

セリオ:「否定はしないのですね」

綾香 :「…………」(汗

セリオ:「…………」

綾香 :「え、えーっと……そ、そういえば、この話では北川くんと某カチューシャの娘が兄妹という設定なのね。
     ちょっと驚いちゃった」

セリオ:「唐突に強引に露骨に話題を変えましたね」

綾香 :「や、やーねぇ。そんなことないわよ」(汗

セリオ:「あからさまに目を泳がせながら言われても説得力皆無です」

綾香 :「うぐぅ」

セリオ:「……本気でどうでもいい事ですが、綾香さんにはその手のセリフはとことん似合いませんね」

綾香 :「え? そう?」

セリオ:「はい。少なくとも、わたしはそう思います」

綾香 :「ふーん。なら、どういうやつなら似合うと思う?」

セリオ:「そうですね、綾香さんには……例えば……」

綾香 :「例えば?」

セリオ:「『Break Your Neck』ですとか『Do or Die』なんてピッタリではないかと」

綾香 :「なんで物騒なスラングばっかりなのよ」(怒

セリオ:「それはもちろん、綾香さん自身が物騒……」

綾香 :「…………」(けりっけりっけりっ

セリオ:「はうっはうっはうっ」(泣





戻る