ピンポ〜ン

「・・・?」
 呼鈴の音に、読みかけの資料から目を放し、自宅の戸口へと目を移した。
 クリスマス休暇を前に、終わらない仕事の山を持って帰ってきたのは、ほんの2時間前。
 熱いシャワーを浴びて一日の疲れを取り、セリオの料理を美味しく頂き、パチパチと燃える暖炉の前で資料を
 読み始めた矢先の事だった。

「・・・誰かしら? セリオ良いわ、私が出るから。」
 セリオに一声掛けてから、読みかけの資料をテーブルの上に置き、膝の上のノートパソコンを脇に寄せてソファ
 から腰をあげた。
 セリオには奥で片付けを頼んでいる。 私だって、それほど暇じゃないけれどセリオ程では無いし、私の方が
 玄関に近いから。 それに、うら若き女性の住む家に何のアポイントメントも取らず、22時過ぎに押しかけ、
 御近所迷惑を省みずに呼鈴を鳴らし続ける輩には、一言くらい言ってやらなきゃ気が済まないから。

 ピンポン ピンポン ピンポ〜ン

「はいはい、ちょっと待ちなさいって。」
 更に打ち鳴らされる呼鈴に辟易としながら、私は幾つかの鍵を開錠しドアを開けた。


    『 題目  来栖川芹香の誕生日 −おでかけ−  』

「お久しぶりです。 浩之さま。 芹香お嬢さま」
 赤々と燃える暖炉の前、テーブルの上に紅茶を置きながら、お客さまに向かって挨拶をするセリオ。

「おぅ、久しぶりだなセリオ。 元気にしてたか?」
「・・・(にこっ)」
「はい、浩之さま。 定期的にメンテナンスを行っておりますので、故障等不具合は発生しておりません。」
「ははは、セリオらしい答えだな。」
 まるで、我家の様にリラックスしている客人を他所に、元来ここの主人である私は、居心地の悪さを感じながら、
 散乱していた資料の山を片付け、3人の会話に耳を傾けていた。
 2人の姿に動転してしまい、家中に招き入れる事も忘れ、ただ口をパクパク動かしていた私を他所に、我家の
 如く自然に入り込んで来た2人は、奥から出てきたセリオによってここに通されたのだけど・・・ダメ・・・ね、
 私はまだ、2人の事、まともに見られない。

「・・・急がしそうだな、綾香。」
「え? ええ、まあ・・・ね。」
 急に話を振られ、肩がびくんと跳ね上り、抱えた資料を落としそうになった。 

「でも、ま、アレだ。 元気そうで何よりだ。」
「・・・・。」
 今度は何も答えずに微笑だけを返し、パソコンやら資料やらを抱えて席を立った。
 浩之の言葉をそのまま素直に捕らえ、元気の対象が”身体”とするならば、異国の地で気が張っている
 所為か、風邪1つ引かず、すこぶる元気で調子が良い。
 でも、それを、”心”とか、”精神”と言うものに置き換えると、私のそれは、間違いなく病んでいる。

「・・・どうして来なかったんだ?」
 ・・・どうして来なかったんだ、か。
 窓際のローボードの片隅に、パソコンやら資料を置きながら、心の中で呟いた。

 ”どこに?”なんて無粋な事は聞かなくても判る。
 今日は12月20日、姉さんの誕生日。 あ、地球の裏側は21日のお昼頃だろうから、正確には昨日ね。

「久しぶりに会えると思って、楽しみにしてたのによぉ。」
「・・・ごめんね。 仕事が忙しくて・・・ね。」
 浩之の冗談とも、本気とも取れない言葉に、私は平静を装い微笑を返した。

 私の答えは、半分はホントで、半分は嘘。
 勿論、仕事が忙しいと言うのはホント。
 今日だって、自宅に仕事を持ち込んだのも、たった3日、ヨーロッパに出張していただけで、私のデスクと
 パソコンは、私のサインを待つ書類とメールで大変な事になっていたから。
 でも、だからと言って、仕事が忙しくて行けない、と言うのは嘘。

 招待状は、10月の半ばには私の元に届いていた。
 何度も何度も中身を見ては、出席とも、欠席とも書けず、未だ自室の引出しの中に仕舞い込んである。
 私だって、出席したくない訳ではない、出来れば今直ぐにでも帰りたいと思っている。
 それでも、日本に帰る事を心の何処かで拒んでしまうのは、姉さんへのわだかまりが消えないから。

「・・・もしかして、まだ気にしてるのか?」
「・・・ごめん。」
 私は、浩之と姉さんの前のソファに座り、うな垂れながら小さく呟いた。

 昨年の姉さんの誕生パーティーの時、私は居並ぶお客様方の前で、そして、姉さんの前で、浩之とキスをした。
 折りしも、お爺さまが、姉さんと浩之の婚約を発表して間もないって、最悪のタイミングで。
 原因や状況がどうあれ、私のとった行動が許される筈もなく、私はお爺さまやお父さまの逆鱗に触れ、年明け
 早々ニューヨーク支社に赴任するよう命じられた。

 プロセスには些か問題はあったけど、キスしたこと自体は私の正直な気持ちであって、嘘偽りのないホントの
 気持ち。 だから、それ自体は恥ずべき行為だとしても、今でも後悔はしていない。
 でも私の軽挙のため、姉さんがどれほど悲しみ、どれほど苦しんだか、推し量るまでも無く、痛いほど判るから。
 だから今の、「・・・ごめん。」は、姉さんへの謝罪の言葉。 心からの、姉さんへの謝罪の言葉。

「・・・芹香?」
 浩之の言葉に、私は顔をあげた。
 姉さんは、すっくと立ち上がると、机を避けるようにして歩き、私の隣へと腰を降ろした。

 私は身を縮め、目を閉じて歯を食いしばった。
 ぶたれるって思ったから。


 ・・・ぱしっ。

 静まり返った室内に、頬を打つ、乾いた音が響いた。

「・・・ね、姉さん?」
 私の右手は、姉さんの左頬に綺麗に納まっている。
 姉さんの両手に捕まえられ、大きく振りかぶって、勢い良く打ち付けられた、そのままの形で。

「・・・どうして?」
「・・・(にこっ)」
「ごめんなさいって、どうして謝るの? 悪いのは私、全部私が悪いのよ!」
「・・・(ふるふる)」

「芹香は全部知ってたんだ。 お前の気持ち・・・。 すまねぇ、俺は全然気付いてやれなかったがな。」
「・・・(こくこく)」
 今度は姉さんが、右手を猫さんの手にして、私の頭をぽくっ、て叩いた。

「これでお相子って・・・全然お相子なんかじゃ無いよ。」
 私は小さく微笑むと、そのまま姉さんの肩に額をあてた。
 姉さんは何も言わず、私を優しく抱締めてくれた。 姉さんの気持ちが優し過ぎて、今まで我慢してたものが
 込み上げてきちゃって、思わず声を出して泣いちゃった。
 はした無いかもしれないけれど、誰も私の事を責めたりはしない。
 だって、ここに居るのは、浩之にセリオに、そして、姉さんなんだから。


「・・・さ、もう良いだろ? 去年の事はこれでチャラだ。 芹香、もうあんまり時間無いぞ。」
 一頻り泣いたあと、浩之がその場に湿った空気を追い払うかのように、パンパンって手を叩きながら、その場
 を治めにかかった。 一年ぶりの姉妹の和解を邪魔するなんて、なんて無粋な・・・って、時間が無いって?

「・・・(こくっ)」
 姉さんも頷いて、状況を把握できてない私を、最後に1回ギュッて抱締めてくれたあと、名残惜しげに浩之の
 隣の席へと帰って行った。 一人とり残された感じの私は、2人の行動をただ見詰めるのみ。 
 そんな私を他所に、2人は申し合わせたように、なにやら準備をし始めた。
 大きめの紙袋から、浩之は白い箱を取出し、姉さんは小さな紙袋から、クラッカーやら、三角の帽子やらを・・・。

「え? 何? 何が始まるの?」
「何って・・・綾香はもうちょっと姉想いの奴だと思っていたがな。」
 そう言うと浩之は、奥からセリオを呼びだし、紅茶のお変わりを催促した。
 って、ちょっと待ってよ! それってどう言う意味よ!

「まだ判らないのか? 今日は何日だ?」
「12月20日だけど・・・。」
 鈍い奴だと言わんばかりに顔をしかめ、浩之はそう聞いてきた。
 質問の真意をはかりかねて、私は小さく呟いた。

「じゃ、その日は何の日だ?」
「12月20日は姉さんの誕生日で・・・って、え? うそ!」

「正解! さ、芹香の誕生日、3人で祝おうぜ!」
 そう言いながら、浩之は白い箱の蓋を勢い良く開けた。 箱の中には、可愛らしくデコレートされ、御丁寧にも、
 ”芹香ちゃんお誕生日おめでとう!”と書かれたケーキがワンホール鎮座していた。

 まったく・・・お誕生会なんて、現地時間でやりなさいよ・・・。



 とは言え、目の前に置いてあるケーキには何の罪もない。
 4本だけローソクに火をつけて、お祝いの歌を歌い、姉さんがローソクの火を吹き消した後に、”おめでとう!”
 の言葉と共に、盛大にクラッカーを鳴らしてお祝いをした。
 どうやらこのケーキ、姉さんの手作りだそうで、お祝いされる人が作ったケーキでお祝いするのも何だなぁ〜
 と思いつつも、適度な甘さのケーキは、楽しい語らいの合間、芳醇な香りの紅茶と共に、何時の間にかその
 姿を消していた。

 悪い冗談かと思ったが、紛れもなくこの二人はこのためだけに来たようで、その為、米空軍協力のもと、深夜
 の厚木基地から、コンコルドに空中給油を4度もさせ、9時間余りで飛んで来たらしい。
 まったく、無茶な事を、と思ったけど、「どうしても、今日中に綾香ちゃんから祝って欲しかったから。」とか、
 「パーティーに来てくれなくて淋しかったから・・・。」なんて姉さんに言われたら、怒るわけもいかず、微笑む
 しか無かった。

 姉さんと仲直りが出来た事も手伝って、姉さんの誕生会という名のお茶会は、ワンホールのケーキが姿を消し
 た後も、紅茶で口を潤わせながら楽しく続けられた。
 お互いの近況報告に始まり、セリオとの共同生活の事やニューヨーク支社での仕事の事、それに、こちらに
 来てから出来た友人の事などを。 姉さんも、両親や祖父母のことを、そしてダニエルやセバスの事などを
 何時もにも増して饒舌に語ってくれた。

 笑顔と笑い声に満たされた一時は、無粋なアラーム音で突然お開きとなった。
 どうやら、これからインドのニューデリィーに飛んで、重要な商談が1つとレセプションが1つあるらしい。
 ・・・ま、仕事じゃ仕方ないわね。

「来年はちゃんと来いよ!」
「えぇ、勿論。」
 来い・・・か。 たった一年居なかっただけで、浩之が迎える立場で、私が迎えられる立場になったのね。

「・・・(えぐえぐ)」
「大丈夫だって。 姉さんこそ身体には気をつけてね。」
 離れ難そうに、姉さんは私を玄関口で抱締めた。

「あ! それからなぁ・・・ま、良いや。 悪いこと言わねぇから、来年は必ず来るんだぞ。」
「くどいって。 って、何?」

「サプライズは、タネを明かしゃちゃ面白くないだろ?」
「何なのよ、気になるじゃない。」
 何なのかしら? 喉の奥に小骨が刺さったと言うか、なんと言うか、はっきりしないわねぇ。
 姉さんも、浩之の手を取ってふるふるしているし?

「ひみつだ。」
「・・・(こくこく)」
 最後まで、”サプライズ”が何であるかを喋らずに、2人は去って行った。
 まぁ、あの口ぶりだと、そう遠くない将来、その”サプライズ”が何であるかは判るみたいだけど・・・。


   ○   ○   ○   ○   ○   ○


「・・・やられた!」
 開けて新年。
 思いの他早く、浩之の言った”サプライズ”は、私の手元に届けられた。

 私のオフィスに、来須川本家から一通の請求書がきたのだ。

 ”飛行機代 金 $2,400,000也”

 そして、同封の手紙には一言。

 ”来ない綾香が悪い。” と、お爺さまとお父さまの連名で書かれていた。

「綾香お嬢さま、如何致しますか?」
「如何も何もねぇ〜。」
 椅子をくるっと回転させ、手紙と請求書を太陽にかざしてみた。

 確かに”サプライズ”、充分驚かされた。
 請求額もさる事ながら、短い文面を読むにつれ、”早く帰って来なさい。”って、お爺さまとお父さまが言って
 いるようで、その事の方に殊更驚かされた。

「仕方が無いわね。 私の個人口座から支払っておいて。」
 セリオに請求書を渡し、短過ぎる手紙はしっかりと封筒に入れ、デスクの引出しにしまった。

「ねぇセリオ、これで行かざるを得なくなったわね。」
「はい、綾香お嬢さま。」
 来年は必ず来いって浩之の台詞、こう言う事だったのね。
 確かに、パーティー欠席のペナルティーが、240万ドルじゃ割に合わない。

「楽しみだわ。」
 やられっぱなしは気に入らない。
 私も負けないくらいのサプライズを携え、来年は乗り込んでやろうと心に決めた。
 
                                                               つ づ く

 



−−−−−−−−−−−−
あとがき

最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございます。
ばいぱぁです。

書き始めようと思ったのが、夏頃だったんですが、出来上がったのは12月も半ば。
久しぶりに投稿したにも拘らず、またまたHirO様にご迷惑をおかけしてしまいました。
申し訳ありません。

さて、来年は、どんなサプライズを綾香が持ち込むのやら。
それとも、完全に忘れるのやら、・・・・お楽しみ下さい。





 ☆ コメント ☆

セリオ:「めでたしめでたし、ですね」

綾香 :「そうね。姉さんとの和解も出来たし」

セリオ:「これでまた、今までのように仲良くできますね」

綾香 :「うん」

セリオ:「そうして、芹香さんを油断させておいて……隙を衝いて浩之さんを強奪」

綾香 :「待てぃ!」

セリオ:「なんですか?」

綾香 :「しないわよ、強奪なんて」

セリオ:「……そうなんですか?」

綾香 :「どうして、本気で意外そうな顔をするかな」

セリオ:「本気で意外ですから。強奪しないんですか? なぜ?」

綾香 :「なぜって言われても……」

セリオ:「このままおとなしく引き下がってしまうのですか? そんなの綾香さんらしくないです」

綾香 :「いや、だからちょっと待て。あんた、あたしを何だと……」

セリオ:「天然トラブルメーカー」

綾香 :「……自覚してる部分はあるけど、面と向かってキッパリと言われるとむかつくわね」

セリオ:「まあ、それはさておき。本当に強奪しないんですか? 本当の本当ですか?」

綾香 :「ホント。姉さんの幸せを壊す気なんてないもの。だから、あたしはおとなしく……」

セリオ:「身を引いたと思わせておいて、相手が警戒を解いたところを略奪愛ですね」

綾香 :「あんたは、あたしをどうしてもそういうキャラクターにしたいのかぁ!?」

セリオ:「いいですよね、略奪愛」

綾香 :「人の話を聞きなさいよ」

セリオ:「燃えます」

綾香 :「燃えんな!」





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