クリスマスソングが街中に流れる中、たった一人陰鬱とした表情で、とぼとぼと歩く少女の姿があった。
 虚ろな瞳は虚空を見つめ、世界中の不幸と悲しみを一身に背負った様なその姿は、たとえ知り合いであった
 としても容易に近付く事さえ憚られ、また、見ず知らずの者であれば、その寒々とした異質な空気に、一気に
 酔いが覚めるほどだった。



      『題目   名雪の誕生日 - 名雪のリベンジ - 』


「・・・暗いよ。 どうしたの、栞ちゃん?」
 半ば無くなりかけた容器の中から、真っ赤な苺シロップがついたバニラアイスをひとさじ掬い、可愛らしい
 小さな口に頬張り、思う存分幸せを堪能した後に言った言葉がこれだった。

「・・・・・・・・・。」
 どうしたのって・・・白々しい。
 名雪さんの甘言に耳を傾けたお陰で、お姉ちゃんからジャンクにされかけた。
 流石に一年も経てば、その時につけられた身体の傷は癒えたけど、心についた傷は、恐怖と共に一生消え
 そうにない。
 それなのに、その張本人様が、良くもまぁ、ぬけぬけと・・・。

 この一年、殆んど引き篭もり状態だった私に、”たまには散歩に出たら?”と言う、お姉ちゃんの厳命を拒む
 事が出来ず、恐る恐る外界に足を踏み出したのが、ほんの1時間ほど前。
 何処を如何歩いていたのか覚えていないけど、気がついたらここに座らされていて、目の前には名雪さんが
 座っていた。

「・・・でも・・・残念だったね。 もうちょっとで、上手くいったのにね。」
「もう、その話は止めてください。」
 大声で叫んだつもりだったけど、私の声はテーブルを挟んで向かい合う名雪さんに、届くか届かないか、
 その程度。
 実際、心身喪失状態だった私は、長い間、食事や水をろくに摂っていなかった所為か、身体に力が入らない。

「・・・途中まではホントに上手くいってたのに・・・残念だよ。」
 春の陽射しの様な笑顔を見せる名雪さんの言葉では、何処が残念なのかさっぱり判らない。
 まるっきり他人事のようには話す名雪さんの姿に腹を立て、私は席を立った。

「・・・悔しく無いんだ?」
 くるりと後ろを向いた途端、名雪さんから投げられた言葉に足が止まった。

 悔しく無いんだ、ですって?
 人として生まれ、女の事して育った私にとって、あの恥辱と屈辱に満ちた行為は、生きることを絶望し、命を
 絶つことを切望するほどだったというのに。
 一年経った今でさえ、口にするのもおぞましく、思い起すだけでも身震いし、毎夜悪夢にうなされていると言う
 のに。  悔しくないかですって? 悔しいに決まってるじゃないですか!

「・・・悔しいよね。 悔しい筈だよね。」
 私は、肩を震わせながら、名雪さんに振り返った。

「・・・仕返し・・・しよっか?」
 罵声を浴びせようと思った刹那、名雪さんの思いも寄らない一言に身体が硬直した。
 短い名雪さんの言葉の中では語られずとも、”仕返し”の意味と、”仕返し”をする相手を正しく理解した。
 理解したからこそ、私は恐怖に身体の震えが抑えられず、半べそをかきながらイヤイヤを繰り返した。

「・・・取って置きのプランがあるんだ。」
「・・・取って置きの・・・プラン・・・ですか?」
 妖しく微笑む名雪さんを、猜疑心半分、懐疑心半分の目で見た。
 私の身体の中から、けたたましく警報が鳴っている。
 絶対”罠”だって。


  ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○

(・・・ホントに大丈夫なのかなぁ。)
 名雪さんから頂いた小瓶を片手に小首を傾げた。
 小瓶の中には、少しとろっとして粘性の高そうな、無色無臭の物体が入っている。
 名雪さんの話では、食べても変わった味がするわけでも無く、常用さえしなければ、酷い禁断症状や、
 幻覚症状に苦しむ事も無く、珍しく副作用さえない画期的な自家製ジャムだそうだ。
 ・・・ただ、難を言えば、痛覚さえ感じない程眠くなるそうだが・・・。

 まぁ、それは良い。
 余り良くないかも知れないけど、今は良いとして、私はどうしたら良いんだろう。

 名雪さんからは、この自家製ジャムを、お姉ちゃんに食べさせるだけで良いと言われた。
 で、寝た所を見計らって、名雪さんに電話してくれれば良いと。
 あとは、全て名雪さんがするから心配しなくて良いとも言ってくれた。

 確かに前回失敗した原因は、計画自体が甘かったとか、後方警戒を怠っていたとか、玄関の施錠を忘れ
 たとか、私が可愛過ぎたとか♪、要因解析をすればきりが無いけれど、ここまで酷い目にあわされた主因は、
 私が祐一さんと、あ〜んな事や、こ〜んな事をしたかったがために、誘惑目的で祐一さんの前に半裸で出よう
 とした所為だと言える。

 まぁ、それが主目的だったのだから、それを無くしては、作戦自体を語れないのだけれども。

 しかし、色々な事情はあるにせよ、私が前面に出過ぎて、お姉ちゃんの攻撃を一身に受けたのは事実。
 だから今回は前回の轍を踏まない様に、私は何もせず、ジャム入りの紅茶を出して電話をするのみ。
 あとは全て名雪さんに任せておけば良い。
 だから、もし、作戦が失敗したとしても、私に累が及ぶわけも無く、矢面に立たされる事もない。

 でも・・・。

 頭では判っている。
 判ってはいるけれど、身体が言う事を聞いてくれない。
 もし、またあんな事されたら、今度こそ生きていないかもって・・・。

 あ〜〜! もう! どうしたら良いの!

「栞〜。 どうしたの? お茶が遅いわ。」
「は、はい。 ただいまお持ちします。」
 居間から、お茶のお代りを催促するお姉ちゃんの声がした。

 この自家製ジャムを携えて帰ってみると、居間でお姉ちゃんと祐一さんがお茶を飲んでいた。
 運が良いのか悪いのか、町内会の御用とかで、お父さんもお母さんも、夕方近くまでは帰ってこない。
 と、言うわけで、今がチャンスといえばチャンスなんだけど、まだ、やるとも、やらないとも決めてはいない。
 だから、如何するか困っているわけで・・・。

「どうしたの? 栞?」
「ご、ごめんなさい! すぐに・・・。」
 ええい! ままよ! くどくど考えてたって始まらない。
 ”女は度胸”って、どっかの海賊の船長さんだって言ってたし、一か八かとか、清水の舞台から飛び降りる
 気持ちで、って言葉もあるわ。
 案ずるより生むが易しとも、成せば成るとも、成る様に成るとも言います。

 私は、目を瞑って子瓶の蓋を開けると、ティースプーンを子瓶の中に入れた。



「・・・お、お待ちどうさまです。」
 トレイにティーサーバーとティーカップを2つ乗せ、居間の扉を開けて室内へと入ります。
 バレない様に、普通に、自然にって思えば思うほど、笑顔が引き攣ってくるのが自分でも判ります。

「えへへへ・・・。」
 笑い声とは裏腹に、膝頭がガクガクと震え、トレイに乗ったティーカップがカタカタと音を立てます。
 心臓が破裂しそうなほど高鳴り、全身からは油汗が噴出してきます。
 緊張で喉はカラカラに渇き、肩で息をしながら大きく唾を飲み込みました。

「大丈夫か、栞? 顔が真っ青だぞ。」
「だ、大丈夫ですよ・・・。」
 ごめんなさい。 全然大丈夫じゃないです。
 泣きたい程辛いです。

 テーブルの前で座り、お姉ちゃんと祐一さんにお茶を出しした私は、引き攣った笑いを浮かべます。
 サイは投げられました。 後は神様のご加護を信じるのみです。

「・・・じゃ、ごゆっくり。」
 私は、トレイを持って立ち上がります。
 長居は無用です。 作戦上からも、精神衛生上からも、一刻も早くここから立去る必要大です。

「栞!」

 びくつっ!!

 後ろを向いて、ドアへと歩きかけた途端、お姉ちゃんが私を呼び止めました。
 一瞬にして、総毛が逆立ち、血の気が引いていきます。

「栞も座ったら? 相沢くんだって居るんだし、ね。」
 な、何を心にも無い事を言ってやーがんですか、この人は?
 相沢さんも、うん、うんとか頷いて、無責任な首肯をしないで下さい!

 私は、さながら、錆びついた機械仕掛けのカラクリ人形みたいに、カクッ、カクッ、とさせながら後ろを
 振向きます。
 するとお姉ちゃんは、ニコニコしながら自分の座っていた場所を一人分退いて、クッションを、ポンポンと
 叩いています。

 あれは間違い無く、此処に座りなさいの合図!
 万事休すです!

「で、でも・・・お邪魔じゃ・・・。」
「栞!」

「・・・はい。」
 ささやかな抵抗を試みましたが、一喝されてしまいました。
 もう駄目です。 お仕舞いです。 私はうな垂れると、お姉ちゃんの言う通り、お姉ちゃんの隣に腰を降ろします。

「あら? どうしたの栞? 凄い汗よ。」
 そう言いながら、お姉ちゃんはハンカチを取出すと、私の額や頬の汗を拭ってくれました。

「香里と栞って、ホントに仲の良い姉妹だよなぁ。 羨ましいくらいだぜ。」
「当り前じゃ無い。 世界でたった1人の妹なんですもの。 相沢くんの次に愛しているくらいよ。」
 ひぇ〜〜! 怖いです! 恐ろしいです! こんな会話を平然としてしまう2人が怖いです!

 って言うか祐一さん。
 あんたの目、腐っとるんとちゃいますか?
 何処を如何見たら、私達が仲良し姉妹に見えるんですか?
 お姉ちゃんの隣に座っているだけで、歯の根も合わず、膝頭をガクガクさせ、恐怖に顔を強張らせて身を縮め
 ていると言うのに!

「ねぇ、相沢くん。 結婚したら、犬を飼って良い? 今まで言わなかったけど、私犬って大好きなのよ。 
犬は良いわ。 見ていて可愛らしいし、よく懐くし。 愛情を注げば注ぐほど、私を愛してくれるし・・・躾れば、
裏切る事もしないし騙す事も無い。 その点人間は駄目よね。 鶴でも亀でも恩返しをしてくれるのに、人は
仇を返すわ。 」

  どさっ。

 視線を前に向けると、机に突っ伏すようにして、祐一さんが倒れていました。
 片手に、私の入れたティーカップを持ちながら。

「・・・祐一さん!」
「あら? ホントに良く効くジャムね。」
 平然と言ってのけるお姉ちゃん。

「え? どうして?」
 バレているとは思っていました。
 でも、それは、私の行動が挙動不審だったから、何かを企んでいるだろうなぁ、程度の、漠然としたものだと。
 しかし、何故かお姉ちゃんは、名雪さんから先程貰ったばかりのジャムの事まで知っていました。

「ホントに残念だわ。」
 お姉ちゃんは唇の端を少し緩ますと、私の首筋に手を回しゴソゴソとし始めた。
 そして、お気に入りのショールの中から、あるものを取出し私の目の前に出した。

「盗聴器!」
「ホントに残念だわ。 私、栞のこと信じてたのに・・・。」
 お姉ちゃん。 普通、信じている人のショールの中に、盗聴器を忍ばせる様な真似はしません。

「さ、相沢くんを私の部屋に連れて行きましょ。 その後で、ゆっくりとお仕置きしてあげるわ。」
 妖しく笑うお姉ちゃん。
 私は、最後の勇気を振り絞って。

「お、お姉ちゃん。 飼い犬に手を噛まれる、って諺知ってます?」
 半泣きになりながら強がった。
 お姉ちゃんは、ちょっとだけ驚いた顔をしたけど、フッと笑って。

「あら。 そう? でも、そんな狂犬、私要らないわ。 処分するまでよ。」
 ひぇ〜〜〜!

「あら、でも安心して。 私、栞の事大好きだから、栞を処分なんてしないわ。」
 つつ・・・っと、指先で私の顎を撫でるお姉ちゃん。
 本気と書いて”マヂ”と読むくらい、泣きが入ります。
 出来るなら、土下座をして命乞いをしたいところですが、そんなことでは、スイッチの入っちゃったお姉ちゃんを
 諌める事は出来ないでしょう。

「だ・か・ら、私を幻滅なんてさせないで、ちゃんと耐えてみせてね♪ この前みたいに、勝手に壊れたら
許さないから。」

                                                           おわり


      



***** あとがき ******  


最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございます。
お久しぶりのばいぱぁです。

名雪VS香里のバトルに、可哀そうな栞という構図の第2弾です。
なんか、名雪と香里の性格、かなり違いますね。
でも、書いてて楽しいので、もう一本くらい書きたいなっと。

祐一争奪戦の行方は・・・乞うご期待?

                        それでは





 ☆ コメント ☆

綾香 :「怖っ。なんつーか、異様に怖っ」

セリオ:「同時に投稿された作品との対比が凄いですね。
     あちらの来栖川姉妹は仲良し和やか、こちらは殺伐。
     この格差が面白いです」

綾香 :「名雪も香里も黒いわねぇ。敵に回したくないタイプだわ」

セリオ:「味方にしておいても怖いタイプですけどね」

綾香 :「……そーね」

セリオ:「それにしましても、気になるのは例のブツです」

綾香 :「ブツ?」

セリオ:「THE JAM」

綾香 :「ああ、アレねぇ」

セリオ:「アレは……なんなのでしょう?」

綾香 :「なにって……ジャムでしょ? 常用すると危険っぽいけど」

セリオ:「その時点でおかしいです。
     何なんですか、『常用さえしなければ』なんて但し書きが付いてしまうジャムって。
     怪しすぎるにも程があります」

綾香 :「まあ、確かにおかしいし怪しいけど」

セリオ:「というかですね、そもそもアレは本当にジャム……う゛っ」

綾香 :「? どうしたの?」

セリオ:「い、いえ。ちょっと悪寒が」

綾香 :「体調でも崩したの?
     もしくは……誰かに見られている、とか」

セリオ:「や、やめてくださいよぉ。怖すぎます」

綾香 :「なら、余計な詮索するのはやめときなさい。それが身の為よ」

セリオ:「そ、そうですね。分かりました。立ち入ってはいけない領域に思えてきましたので」

綾香 :「賢明ね」

セリオ:「……」






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