投稿SS 藤田家のたさい・番外編 「夢のカケラ」  これは、まだ多妻制が施行される前。まだ「藤田家」という場所が無かった頃の… お話です。 「あれ?」 土曜日の昼下がり。塾へ行く前の時間潰しに立ち寄ったゲームセンターで覚えのあ る人影を見つけて、保科智子は軽く眉をよせた。 エアホッケー台の傍らで、何をするでもなくじっと立っているその人物は、近くの 西園寺女学院の制服を着ていた。そして長いストレートヘアから突き出した、白いセ ンサー。 「あれー?セリオじゃない」 「知っとるんか、長岡さん?」 最近になってようやく出来た友人の一人、長岡志保に智子は尋ねた。志保は情報通 でお喋り好きでちょっと騒がしいが、気安いノリがあって付き合いやすい。今では結 構気のあう友人である。実を言うとゲーセンに来たのも志保のつきあいだった。 「ほら、三年の来栖川先輩の妹で、寺女に綾香さんっていたでしょ?彼女の『お付き の侍女』よ」 「ああ…確かウチの学校にも、この間までテストで来ていたメイドロボがおったね」 「そ。マルチと同時開発されてる試作メイドロボだけど…一人かしら?珍しいわ ねー」 「ふーん…ま、うちらには関係ないか。ところで長岡さん、うちはキャッチャーやり たいんやけど」 「ふふーん、まーかせて!これでもあたしは昔『ツリキチ志保ちゃん』と呼ばれた女 よ!」 (*長岡さん、あなた幾つですか?)    * * * * * * * * それは、一本の電話から始まった。 「…セリオがいなくなった?」 浩之はとりあえず時計を見た。玄関脇の時計は6時を過ぎている。電話の向こうで 切羽詰まった様子を隠しもせずに、綾香が悲鳴のような声を上げてくる。 「そうなの…今日、セリオ研究所の方で定期チェックがあるから、って言って学校終 わった後別れたんだけど…帰ってこないのよ!」 「研究所の方はなんて?」 「メンテそのものは30分足らずで済んで、さっさと帰ったそうなんだけど」 今日は土曜だから、どう遅くなっても3時頃には帰ってくる予定だったという。あ のセリオに限って寄り道をしたり、道に迷ったなどということは考えられられない。 マルチなら十分ありそうな話だが… まだ、忘れ去るにはあまりに深い心の痕に、無意識に浩之は顔を顰めた。マルチが いなくなってから、まだ一月程も経ってはいない。 「わかった。じゃあ、俺も探してみるわ。…いいって、ダチだろ?俺達は。ああ。そ れじゃ、見つけたらお前の携帯に連絡いれるわ。じゃ…」 「どうしたの、浩之ちゃん?」 夕飯を作りに来てくれていたあかりが、エプロン姿のまま心配そうに問い掛けてき た。 とりあえずセリオがいなくなったという事情を手短に説明しながら、浩之は靴を履 く。 「すまん、あかり。今日はお前のメシごちそうになるヒマがねー」 「そんなのよいいよ。でも、一体どうしたんだろうね」 「さあな。…なんか、サテライトサービスの接続も切ってて探知不能なんだそうだ」 「まさか、事故にあったとか…」 「考えたくはねーがな…あの生真面目なセリオが勝手な行動とるわけが無いし、有り 得るとしたらそれくらいしか思いつかねえ」 「私も一緒に探そうか?」 「いや、…お前は帰ってろ。連絡番してくれ」 浩之は今時珍しく携帯の類を持っていない。電話なんてわざわざ持たなくても使う 必要を感じないというか、単純に面倒くさいだけというか。だがこのような場合には それが裏目に出てしまった。 「…わかった。でも、ご飯だけは作っておくね。あとでチンして食べて」 「ありがと。じゃあ、鍵はかけといてくれよな」 現在藤田家は両親の勤務先が遠隔地であるため、浩之は一人暮らしの状態が続いて いる。だから万一のことを考えて、近所の幼馴染みでそして先日…恋人になったあか りにも家の鍵は渡してある。 「あっ、浩之ちゃん…傘」 「おっ、サンキュー」 夕方から雨模様になってきた空は雲に覆われている。そろそろ暗くなる時間帯だ が、おそらく今日は星は出ないだろう。 一つため息をつくと、当てもないまま浩之は外に飛び出していった。    * * * * * * * * セリオの第一印象は、いかにもロボットらしいロボットだな、というものだった。 無表情で、無感情で、当たり前だが言動は機械的で、マルチのような人間らしさを 感じたことはなかった。 だが、綾香との付き合いで顔を合わせる機会が増える中、時に――僅かだが感情の カケラのようなものを感じることがあった。最近、幼馴染みの雅史に恋人ができた が、その取持ちをセリオがしたという。 「セリオさんは、私のトモダチです」 …マルチはそう言っていた。そしてその言葉に、心なしかセリオは嬉しそうな顔を していた…ようにも思える。 「俺…あいつのこと、何にも知らなかったんだな…」 闇雲に商店街を探し回りながら、浩之はそんなことを考えていた。今こうやってセ リオを探しているのも、セリオ自身のためというより綾香のため、という気持ちが強 いのは事実だ。そして、いつもマイペースな綾香が、あんな狼狽した声を出すのは初 めて聞いた。 セリオは、マルチが綾香がそれほど大事に思っている存在だということに、今更な がら気づかされた気分だった。 時計はもう10時を回っている。8時にあかりと綾香に電話した時には何の進展も無 かった。もう一度電話してみるべきだろうか。 そう思いながら、とりあえず公衆電話を置いてある場所を脳裏の地図に思い描いた 時。 「あれ?藤田君やないか」 「あ、委員長。…今、塾終わったんだ?」 浩之の問いかけに、セーラー服姿の智子は疲れた様子も見せず頷いた。 「ホンマしんどいで。4時からずっとやもん。…ところで藤田君は何しとん?こんな 時間まで」 「人探し。っていうか、ロボット探しというか…委員長知ってる?セリオっていっ て、三年の来栖川先輩の…」 「セリオ!?」 予想外にオーバーな智子の反応に、一瞬浩之は目を丸くした。    * * * * * * * * 雨が降っていた。 その雨の中を、傘を差して浩之は走っていた。暗い夜の坂道を走るのは危ないが、 そんなことは別にどうでもよかった。それに、通いなれた道でもある。 目的地は…学校だった。 智子の話から推測すると、どうやらセリオは自らの意志で行方をくらませたようで ある。おおよそセリオらしくない行動。だが、なぜセリオはそんなことをしたのだろ う? 『エアホッケーの所で、何をするでもなくぽーっと突っ立っててな。気がついたら、 もういなくたってたけど』 紙袋一杯のヌイグルミと通学鞄を手に、智子はそう言っていた。 エアホッケー。 その言葉は心の痕を疼かせる。 やがて坂を登り切ったところに…学校の校門が見えてきた。校舎には当然だが明か りはない。 校門脇の桜の大木を浩之は振り仰いだ。季節は既に6月…花はとうの昔に散ってし まい、青々とした葉だけが茂っている。 確信があるわけではなかった。だが、可能性はある。 「セリオ!いないのか、セリオ!」 何度か繰り返してセリオを呼ぶが…しかし、何の反応も無かった。 「やっぱりいないか…いや、ひょっとして校舎の中に…」 そう呟きながら、校内奥に浩之が足を向けた時である。 「…藤田さん?」 「セリオ!」 桜の木の、丁度影になった所に何かが動く気配があった。ピチャピチャという足音 が鳴る。 やがて、やや遠くからの僅かな街灯の光に僅かに照らされた中に、人影が現れた。 白いブラウスの上にレモンイエローのベスト。グリーンのスカート。寺女の制服だ。 濡れて、ピッタリと張り付いた前髪の下で、何の感情も浮かべていない瞳が、自分 を見詰めていた。 「な…こんなとこでなにやってんだセリオ!こんなに濡れちまって…」 「別に…濡れたからといってどうということはありません。私は完全防水性ですか ら。人間と違って体温の低下による体機能障害を起すこともありませんし」 そして、付け加える。 「私は、ロボットですから」 どこか…どこか、ひどく突き放したような言い方だった。何もかも、全てを、自分 自身すら否定するような。 悲しい言葉だった。 「お前、いったい…まあいい。とにかく、詳しい話は後にしよう。綾香が、凄く心配 してる。早く帰ろう?」 雨は、止まない。その中で、ぐっしょりと濡れそぼった姿で、セリオは微動だにし なかった。 「セリオ?」 セリオは応えない。ただ無言で浩之の背後を…桜の木を見ている。花の無い、桜 を。 「セリオ。…お前、この桜を見に来たのか?…マルチの思い出の場所だから?」 その言葉に、セリオは視線を僅かに動かした。桜の木から、浩之の顔へ。 「やっぱりそうなんだな?」 「……………」 「ゲーセンで、エアホッケーの所にいたって聞いて…ひょっとして、と思ったんだ。 マルチが初めて遊んだ所だから。あいつの、思い出の場所だから」 「藤田さんにとっても、でしょう?」 ようやくセリオは口を開いた。その仕種にはどこか…何かの、感情の燐片があっ た。 「…あの日…藤田さんの所から帰ってきたマルチさんは、私に一枚のディスクをくだ さいました。私の大事な思い出です、と言って」 あの日。マルチと一夜を過ごして、人間とロボットではなくただ「男」と「女」と しての一夜を過ごして、そして、マルチがデータだけの存在となった、あの日。 試作機として、後に生まれてくる妹…量産機の礎となるために、マルチが研究所へ 帰っていった…あの日。 自分の一番大事なメモリーを焼き込んだDVDをセリオに渡し、マルチは言った。 「ありがとうございました、セリオさん」 そして、マルチはいなくなった。いなくなってしまった。 「…満開の桜の花の下で…立っている。花びらが静かに舞っている。そして…聞こえ てきます。歌が。仰げば、尊しと。藤田さんが歌っているのが、聞こえてきます。そ して、視界は涙で歪んできます。…マルチさんの、一番大事な、思い出」 「……………」 「でも。それなのに…それなのに、私にはわからないんです。桜の花が、きれいだと いうことがわからない。マルチさんがきれいだと感じたことが、私にはわからない」 「……………」 「…今日…初めてマルチさんのメモリーを読み込みました。長瀬主任にお願いして。 …今まで…私はどうしてもこのメモリーを見ることができなかった。 マルチさんのことを思い出す度に、私の身体に原因不明のパルスが流れます。それ が『悲しい』という感情なのなら…私は、悲しいのでしょう。その感覚は、私にとっ ては苦痛でした。だから、今まで見ることができなかった」 「セリオ…」 「マルチさんは、私の憧れでした。マルチさんは私にはわからないことを感じ、理解 していました。マルチさんは私が持っていないモノを持っていました。 マルチさんのことを考えるのは苦痛です。でも、私はマルチさんが何を考え、何を 感じていたのか。知りたかったのです。 私のAIもマルチさん同様、学習型です。だからその一端なりとも理解できるので はないかと思っていたのですが。 なのに、…わからない。わからない。私には、きれいがわからない。マルチさんの 大事な思い出が、わからない」 「だから…せめて同じ場所に来たかったのか?少しでも何かがわかるんじゃないかっ て?」 セリオは、静かに頷いた。 「私…口惜しいんです。どうして私にはわからないのでしょう。わかってあげられな いのでしょう。マルチさんが、一番大事な記憶をくださったのに、どうしてその心が わからないのでしょう。どうして、どうしてそんな私がここにいるんでしょう。どう して、どうして。 どうして、私なんかがここにいるのでしょう。 どうして私なんかが今、こうやって、浩之さんとお話ができるのでしょう。 あんなに浩之さんと一緒にいたかったマルチさんがいなくて、何もわかってあげら れない私なんかがここにいるんでしょう。どうし…」 いきなり浩之に抱き締められて、セリオは口を閉ざした。投げ捨てられた傘が、地 面で転がる。そして降りしきる雨が、たちまち浩之の身体も濡らしていく。 「…藤田さん…いけません。濡れると風邪を引き込む畏れがあります。…藤田さん ?」 「…言うなよ…」 「…は?」 「そんな悲しいこと、言うなよ。自分なんか、なんて言うなよ。 …お前…いいヤツじゃねーか。すっげーいいヤツじゃねーか。普通いねえよ、ここ まで他の誰かのこと想って、悲しむヤツなんてよ。 マルチがお前のことトモダチだっていうの、良くわかったよ。お前に一番大切なも んくれたのも、当然じゃねーか。綾香の奴がお前のことあんなに心配するのも。 愛されてるじゃねーか。想われてるじゃねーか、お前。 あるよ、お前にも心。作りモンかもしれねーけど、お粗末な出来かもしれないけ ど。 あるよ。セリオにも、マルチみたいにあったかい心が、あるよ。 そんなお前が…自分なんか、なんて言うなよ!言うんじゃねぇ!」 何時の間にか、自分が泣いているのを浩之は自覚していた。けれど、それを少しも 恥ずかしいとは思わなかった。 「今…わからないのは辛いかもしれない。でも、いつかわかる。絶対わかる。ココ ロ、あるんだから。いつか、マルチが感じたことを、セリオだって感じることができ るようになる。絶対」 「藤田さん…藤田さん…」 抱き締められる感触。おそらくマルチもこの腕に抱き締められたことがあるのだろ う。 この感触は、不快ではない。 浩之の涙を感じる。 自分も一緒に泣きたかった。マルチさんと、藤田さんと、一緒に。抱き締められな がら、セリオはそう思った。 その頬を、幾粒もの水滴が滑り落ちていく…。    * * * * * * * * 「あれ、もう充電終わったのか?」 「はい。…でも藤田さん、私、本当に…」 「いいって。綾香にも許可はとってあるしさ。…俺さ、今はセリオともっと話がした いんだ。知り合って結構たつっていうのに、俺、お前のこと全然知らないからさ。 …だから、今までの分を取り戻すためにも、セリオと話がしたい」  そう言うと、浩之はリビングのソファーに腰を降ろした。左手に座っていたセリオ とは微妙な距離を保って。 時刻はもう12時を回っている。とりあえず自分の家にセリオを連れ帰った後、 バッテリー切れになりかけていたセリオを充電させ、その間に綾香とあかりに連絡を いれた。その後あかりが作っておいてくれていた夕食を食べ、一風呂浴びてきたとこ ろである。 セリオも濡れた制服を乾燥機に放り込み、今は浩之のシャツを身につけただけの姿 である。いつぞや同じようなシチュエーションで智子を家に連れ込んだ時と同じであ る。 「しかしまー、前から思ってたけどセリオってスタイルいいんだなー。色っぽいぜ」 「……………」 (…言うんじゃなかった) 無反応なセリオに、精神的な重圧を感じる浩之だった。 「でもさ…せめて一言、綾香には断わっておいてもよかったんじゃねえのか?ちょっ と寄り道するくらい許さないような綾香じゃないだろ? セリオが黙って失踪するから、あいつ珍しく動揺してたぜ。物凄く心配してた」 「…そうですね。申し訳ないことをしました。ですが…あの時は自分でも不可解です が、他のことは何も考えられなかったのです。ただ…ただ、マルチさんのことしか考 えられなくて」 「やっぱり…悲しいか」 「はい。…悲しみはわかるのです。…わかっていると思います。マルチさんのことを 思い出す度に、この感覚を私は覚えます」 「俺もさ。しばらく…毎日校門を通る度に、あの時のことが思い出されて…泣きそう になった。 でもさ…人間って、悲しいことを少しずつあきらめていけるんだな。絶対に忘れは しないんだけど…その気持ちを忘れはしないんだけど…そのうち、笑えるようになる んだ。いつまでも悲しんでいたってしょうがないって、あきらめてしまえるんだ。そ うでなきゃ、とても悲しみに耐えられはしないんだけどな。 泣いてしまえば、楽なんだ。泣いたあとはすっきりするんだ。泣いて、悲しんで、 それで心の整理をつけることができる。あきらめと共に、悲しみを現実のものとし て、受け止めることができる」 「そういう…ものなのですか?」 「ま、異論はあるだろうけどな。そう間違った意見じゃないだろう。悲しみに耐えら れない弱い人間は、泣くことでようやくそれを受け入れられるもんなんだと思う。 でもさ。さっきセリオを見ていて…泣かずとも悲しみに耐えられる強さを持って るってのも、決して幸せじゃないと思った。 …楽なんだよな。泣けるってことはある意味。楽なんだよ」 「私は…強くなんかありません。私はただ、涙を流せないから、泣かないだけなんで すから」 「それは…苦しいな」 「はい。苦しいです」  悲壮感のカケラも無い機械的な言葉だったが…それはセリオの正直な気持ちなのだ ろう。ただ、そんな風にしか言えないだけなのだ。 「…無力だな、俺って」 「藤田さん?」  ゆっくりと、浩之は腰を丸めた。肘を膝について、頭を抱え込む。 「そんなこと言われちまうと…もうどうやって慰めていいのかわかんないよ。俺…セ リオに、何もしてやれねーのかな。何の力にもなってやれねえのかよ」 「藤田さん。…お気になさらずに」 「マルチの時もそうだった」  ポツリと呟かれた名前に、セリオは一瞬動きを止めてしまった。 「あの日、本当は無理矢理にでもマルチを引き留めておきたかった。別れたくなんか なかった。犯罪だろうがなんだろうがかまわない。あいつを連れて逃げちまいたかっ た。  …だけどさ。あいつ、とびっきりの笑顔、見せてくれるからよ。  あんな顔で、ありがとうございました、なんて言われちまったら…何も言えない じゃないか。行くななんて、言えないじゃないか」 『ありがとうございました、セリオさん』  あの時の記録が脳裏に鮮やかに甦る。  眩しいほどに輝く笑顔だった。悲しさなど、微塵も感じさせない良い顔だった。  けれど、周りのスタッフ達は必死になって涙を堪えていた…。  なでなで。  不意に伸びてきた浩之の手が、自分の頭を撫でてきた。 「結局、俺には…こんなことしか出来なかった」  優しいというより、どちらかというと無造作な手つきだった。髪の毛をかき乱すよ うな。  この記録も、ディスクにあった。 「…あ…」  けれど、とてもあたたかい。空虚な自分の中を充たしてくれるような…この感覚。  マルチさんも感じていた、この感覚。  マルチさんも… 「…あ…」 「どうした、セリオ?」  身体こと自分に向き直ってきたセリオに、浩之は慌てて手を除けた。 「や…やめないでください…」 「…え?」 「もっと…もっと、撫でてください…私をもっとなでなでしてください…」 「えーっと。…なんか、よく話が見えんのだが」  セリオの表情と声に、微妙な変化があるように見えた。これはまるで…小さな子供 のようじゃないか?少なくとも、セリオが人間に、何かを望むという行為は今まで絶 対に無かった。 「頭…なでなでして欲しいのか?」 「はい。お願いします、藤田さん」 「じゃあ…ほら、こいよ」  浩之としては、それはもっと近くに寄ってこいよ、というぐらいの意味でしかな かった。  それなのに。 次の瞬間、セリオは体全体で浩之にむしゃぶりついてきた。 「お、おいっ…!?」  突然のことに浩之はセリオを受け止めきれず、バランスを崩して諸共に床に転んで しまった。床のカーペットの上で仰向けに寝転んだ浩之の胸に、顔を押付けるように セリオ覆い被さる。  浩之も彼女持ちである。それなりに経験はある。それなりどころか、実はあかり以 外にもマルチや、智子や、来栖川姉妹や、…ともかく、かなり場数は踏んでいる。だ が、押し倒されたのはこれが初めてだった。 ………………。  二人は無言で、至近距離にある互いの顔を見つめた。  セリオの前髪が、はらりと額にかかる。視線を逸らすと、自分の胸元で潰れたセリ オの胸の谷間が飛び込んできた。考えて見れば、今のセリオは浩之のシャツ一枚とい う無防備な姿である。  思わず飲み込んでしまう唾の音が、妙に大きく聞こえた。 「あのさ、セリオ…ひょっとして、ひょっとすると、その…あの夜の記録も、マルチ のデータに入っていたのか?」 「はい…それが?」 「いや、それが、ってあっさり言われても困るんだが」  きょとん、としているように見える、実に微妙な表情をしているセリオに、浩之は 溜息をついた。  多分、セリオ、わかってない。普通、今の状況がどういうものであるか。  とりあえず――浩之は前言どおりそのままの姿勢でセリオの頭を撫でた。 「あっ…」  僅かに目を細めたセリオは、しばらくそのままじっとしていたが、やがて顔を…浩 之の胸に埋めた。 「どんな気分だ、セリオ?」 「説明不能です。…うまく表現できないのです。ですが、ずっと、続けて欲しいので す…それだけはわかります」 「マルチは、嬉しい、って言ってたぜ。気持ち良いってな」 「これが…マルチさんが感じていたことなのでしょうか?」  その問いには答えず、浩之は左手をセリオの背中に回した。 「マルチの記録…」 「はい?」 「それと同じ事…お前もしてみたいか?…こんなふうに」 「……!」  シャツの上から浩之の左人差し指が、セリオの背中の中心をなぞった。ただそれだ けなのに、セリオの神経系に過剰な電流が流れたような刺激がかかった。そのまま下 まで滑っていった指は腰部の境目の、実に微妙なポイントで停止する。 「ふ…藤田さん…」 「感じたか?」 「え…」 「感じたのか?セリオ」  その意地悪な問いかけに、セリオはしばらく沈黙を守っていたが、やがておずおず と答えた。 「…はい」 「気持ち良かったか?」 「…はい」 「頭を撫でられるのと、どっちがいい?」 「よく、わかりません」 「こっちの方をしてやろうか?」 「…………」  今度の沈黙は、やや長かった。 「…イヤならいいさ。じゃあ、なでなでしてやるよ。して欲しいんだろ?」 「…マルチさんも…」 「うん?」 「マルチさんも、同じことをしたんですよね?」 「まあ…な」  セリオは…混乱していた。一般の倫理観に照らし合わせてみれば、自分がやろうと していることは決して肯定できるものではない。浩之には恋人がおり、何よりマルチ の想い人…姉が唯一、自分のご主人様と思い定めた人である。  だがその一方で、浩之にもっと自分を触ってもらいたい。この感覚をもっと感じて いたい。その気持ちを抑えることができなかった。 「…して…ください…マルチさんと同じことを。私もマルチさんが感じたことを、感 じたいのです」 「それは無理だよ、セリオ」 「え?」 「今、お前が持っているメモリーはマルチの思い出だ。お前自身のものじゃない。今 から俺がお前にしようとしていることは、セリオ、お前自身の、お前だけのものにな ることだ。  マルチを導き役にするのはいい。だけど、なにもかも、全てを手本にしちゃいけな い。 …お前は、セリオなんだから。俺はお前をマルチの代用品として抱くんじゃない。セ リオが可愛いと思ったから、抱きたいんだ。  俺は、セリオを…抱きたいんだ」 「…藤田…さん…」 「キス…するぜ?」  一瞬ためらって、しかしセリオは目を閉じると…頷いた。    * * * * * * * *  二人は、その場でそのまま何度も身体を重ねた。浩之は一旦部屋まで場所を移そう かとも思ったが、多少の床の固さも、肌寒さも、そのうち気にはならなくなった。何 もかも頭から消えて、ただ目の前にいるセリオのことしか考えられなかった。  セリオは…かわいかった。たとえようも無く可愛かった。  最初、何もかもが初めてのことで、ただ浩之にされるがままになっていたセリオ も、いつしか不器用ながらも浩之の求めに懸命に応じようとする。  貫かれながら、セリオは感じていた。自分が、誰かに想われているということを。 誰かに必要とされていることを。自らの存在を望んでくれる誰か。そのことを理解 し、自らに湧き起こる感覚…あるいは感情を、おぼろげにではあるが感じた。  決して、完全ではないけれど。  でも、一つだけ、わかったことがある。 「ひ…浩之…さん…ヒロユキ、さんっ…浩之さん…!」 「セリオ?セリオ?」 「好きです…私、浩之さんのこと、好きです…」  ごめんなさい、マルチさん。でも、私、わかりましたよ…マルチさんの気持ち。  幸せだったんですね。こんな素敵な人と巡り会えて、好きになることができて。  だから、笑ったんですね。あんな素敵な笑顔で笑うことができたんですね。  だから辛くても、笑うことができたんですね。  この気持ちを、妹達にもわかってもらいたかったんですね。  私、わかりましたよ。わかりましたよ、マルチさん。  マルチさんの残してくれた、記憶の欠片。  マルチさんの見た夢のカケラ…    * * * * * * * * 「くんくん、くんくん?」 「お、おい、綾香?」 「あの、綾香お嬢様?」  翌朝。セリオを迎えに来た綾香が玄関先で待ち構えていた二人にまずしたことは ――まるで猫のように二人の匂いをかぐことだった。  やがてわざとらしく大きな溜息をつくと、綾香はジト目で二人を見つめた。 「とりあえず…お赤飯炊かなくちゃいけないわね」 「どーいう意味だそりゃ!」 「どーいう意味もなにも、そのまんまよこの性欲魔人。よくもあたしのセリオに手を かけてくれたわね」 「ど、ど、ど、ど、ど、どういう根拠で…」 「匂いでわかるわよ、んなもん」 「そんな、ちゃんと処理はいたしましたのに…」  ハッとセリオが口を閉ざした時には遅かった。意味ありげな笑みを浮べて、幾度も 綾香は頷く。 「そっかー。確証はなかったんだけど、やっぱりそうだったかー。…とりあえずロス トバージンおめでとセリオー!ひゅーひゅー」  バンバンとセリオの背中を叩くと、綾香はにこやかな笑みのまま、無造作に浩之の 襟首を締め上げた。あくまで笑みは崩さないまま。 「ヒロユキ〜。不特定多数の女に甲斐性発揮するのもいい加減にしときなさいよねー ?神岸さんっていうちゃんとした恋人がいるってのに、少しは遠慮ってもんを覚えな さい!」 「いや、その、あの」 「その上姉さんという2号さんとあたしという愛人がいるクセしてまだ不満かアンタ は!」 「あの…それでいいんか綾香は?」 「ん。まあ、とりあえず。先のことはわかんないし。それに2号さんとか愛人ってい うのも、なんか良いし」 「そ、そうなのか…」 「だからっていい気になるんじゃないっ!もう既に手を出しちゃったセリオや葵はと もかく、好恵にまで手を出したらいい加減殺すわよ?」 「あうあうあうあう」  チアノーゼおこしている浩之を解放すると、呆然としているセリオを促して綾香は 来栖川家のリムジンに乗り込んだ。  と、窓が開いて再び綾香が顔を出す。 「まあ、一応お礼を言っておくわ。ありがと。これはせめてものお礼の印」  そう言って投げてきたものを反射的に受け止めて、浩之は怪訝そうに眉を寄せた。 「おい。…なんだこの、赤まむしすっぽんドリンクってのは」 「せめてもの心づくし。ああ、あたしってなんて健気な女!」  普通、本当に健気な女は自分でそんなこと言ったりしない。 「んじゃあね〜〜〜〜がんばってねヒロユキ〜〜」  今度こそ走り去っていく黒塗りのリムジンを見送って――とりあえず浩之は頭をか いた。 「どないせぇつーんだこんなモン…」 「…浩之ちゃん?」  ……………。 「あっ、あかりーーーーーーーー!?」  困ったような、やや悲しげな顔をした恋人の出現に、心臓の動悸が一瞬止まる。 「なっ、なっ、なっ、なんでここに?」 「えっとね。綾香さんに指示されて、30分くらい前からそこの茂みで待機してたの」  このヒマ人。  その言葉を無理矢理飲み込んで、とりあえず浩之は何とかこの状況を誤魔化せる、 ウイットに富んだトンチは無いものかと頭をひねった。(無論、無い) 「浩之ちゃん…ごめんね」 「な、なにが?」 「…浩之ちゃんそんなに欲求不満だったなんて…そりゃ、浩之ちゃん強いから、あた し浩之ちゃんが満足するまで付き合えないけど…でも、あたし、できるだけがんばっ てきたつもりだよ?」 「いやあのな、それはなにか、微妙に間違ってないかあかり?」  だが、あかりは何やらギュッ!と拳を作ると固い決意の炎を瞳に宿らせて浩之に 迫ってきた。 「浩之ちゃん、あたしがんばる!今日は日曜だし、もう一日中がんばっちゃうから !」 「ちょっと待て!いくら俺でもとりあえず今はちょっと眠いし…」 「…ううっ、あたしってそんなに魅力ないのかな?」 「いやだからそうじゃなくて…!」  …結局。あかりが満足するまで引き続きがんばった結果、浩之の性欲魔人レベルが 1ランク上がったとか。    * * * * * * * *  走行中の車の中とは思えない静けさの中で、セリオは隣の綾香の様子を覗ってい た。先程まで浩之に見せていた闊達さはすっかり影を潜め、いつもの綾香らしくもな く黙りこくっている。 「あの、綾香お嬢様…勝手な行動を取りまして、申し訳ございません」 「…あやまってすむ問題じゃないでしょ。あたしがどれだけ心配したか、わかってる ?」 「申し訳ございません…」 「あたし…口惜しいな」 「は…」 「口惜しいな。あたし、セリオの友達なのに…セリオ、あたしに何も言ってくれな かった。一人で勝手に飛び出して。あたしには何も言ってくれないままで」 「綾香様…」  セリオの肩に、綾香はもたれかかった。 「浩之が見つけてくれたからいいようなものの…あのままバッテリー切れで倒れ ちゃってたらどうするつもりだったのよ!いったい…もしセリオが死んじゃったらど うしようって、あたし、あたし…」  死ぬ。ロボットの私が、死ぬ?壊れるではなく?そんな心配を綾香様は? 「浩之…好きになったの…それは仕方ないよ…浩之だもんね…浩之だから…セリオ、 救ってくれたんだもんね…それはすごくわかる…でも…あたしだって…あたしだって セリオを…」  …何も言えなくて。申し訳なくて。セリオは途切れ途切れの言葉にただ耳を澄ませ た。  今ならわかる。綾香様がどんな思いで私を探してくれていたのか、ぼんやりとだが わかる。  わかるから、ただ、ひたすら申し訳なかった。 「綾香様、私…」 「すぴー…」  返ってきたのは寝息だった。いつの間にか、セリオの肩を枕に綾香は寝入ってい た。 「…綾香お嬢様は藤田様から連絡を受けた後も、結局昨夜は一睡もできなかったの だ。眠らせておいてあげなさい」  前を向いたまま、運転席の長瀬執事が静かにそう言ってきた。 「…ごめんなさい」  その言葉は、自然にセリオの口から紡ぎだされた。自分の傍らで静かに眠る綾香を 見つめながら、セリオもう一度、小さく呟いく。 「ごめんなさい、綾香様。そして…ありがとうございます」  朝日の中を。まだ人通りの少ない道を静かに車は走っていく。  眠る綾香の重みを快いものとして感じながら。 ふと、窓辺を流れる新緑の景色を見ながらセリオは思った。  きれいだな、と。 <了> 【後書き】  「無言」や「静寂」は、時に雄弁に物語ります。自分の語りたいことを全て文字に せず、語らずとも読み手がそれを感じ取ってくれる…そのことによって伝わる余韻。 それが自分にとっては理想的です。  TVドラマ等を見ていると、時になんて俗な…とうんざりする時があります。俳優 が、悲しげな顔をして立っている。話の前後流れからしてもそういう場面なわけで す。  そこでナレーションが「○○は悲しんでいた」などと、余計な説明を加えてくれ る。そんなこと、見りゃわかる!わざわざ説明なんぞ入れるな!視聴者をなめとんの かコラ!  一から十まで懇切丁寧に書かないとわからないほど受け手がバカだとでも思ってる のかね?こういう脚本家&演出家は?それとも単純に、バカなだけか?  一応作品中で形はついているんだけど、受け手の想像を刺激するような作品。そう いうの…好きになるからこそ二次創作がしたくなる。そういうのが良いですね。  で、つまり何が言いたいのかというとですね。浩之とセリオのHシーンはそれぞれ 己の想像力を逞しくしてみてくださいドゾヨロシク。(ワハハハハハハハハハハハハ ハハハ)  一応、Hiro様のHPは年齢制限無い健全な場所ですしぃ。ね?  以上、すごく真面目な話か、とことんムチャクチャな馬鹿話のどちらかしか書けな い極端な男の独り言でしたー。  ほのぼのした話も好きなんだけどなー。なんで書けない俺?
 ☆ コメント ☆  >桜の花が、きれいだということがわからない。  >マルチさんがきれいだと感じたことが、私にはわからない  ……辛いですね、それは。  セリオが苦悩するのも頷けます。  でも、『苦悩する=心を持っている』ということ。  心を持っているが故に……『わからないこと』が辛いのですよね。     >「しかしまー、前から思ってたけどセリオってスタイルいいんだなー。色っぽいぜ」  >「……………」  >(…言うんじゃなかった)  > 無反応なセリオに、精神的な重圧を感じる浩之だった。  浩之って、ときどき、見事なまでにハズしますよねぇ(^ ^;  場を和まそうという思いは理解できるんですけどね。  >俺はお前をマルチの代用品として抱くんじゃない。セリオが可愛いと思ったから、抱きたいんだ。  >俺は、セリオを…抱きたいんだ。  マルチはマルチ、セリオはセリオですよね。  しっかし……浩之……ハズしたかと思えば、今度は一転してかっこいいし。  さすが主人公。決めるべきところをわきまえてますね(^0^)v  > 翌朝。セリオを迎えに来た綾香が玄関先で待ち構えていた二人にまずしたことは  >――まるで猫のように二人の匂いをかぐことだった。  こらこら、お嬢様(^ ^;  >赤まむしすっぽんドリンク  役立ってるし(^ ^;  さすがはお嬢様の心尽くしですね。  >一応、Hiro様のHPは年齢制限無い健全な場所ですしぃ。ね?  はい、うちは健全です……………………一応(^ ^;  だから、小学生の子でもOK!!  …って、それはそれで、ちょっと違う(−−;  阿黒さん、ありがとうございました\(>w<)/



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