Pure White


 森川由綺という名前は、世間ではそれなりによく知られている名前だと思う。

 そしてそれは俺が高校生時代から付き合っている彼女の名前。
 カチューシャと腰まで届く黒髪が印象的な女の子。
 そして、日本で1,2を争う歌手でもある。
 高校生の時は同じクラスで毎日顔を合わしていたけど、今では、俺は現実の森川由綺よりも、ブラウン管の向こう側にいる彼女、駅に貼ってあるポスターの彼女を見る機会の方が、はるかに多くなっていた。
 その事は残念であり、寂しくもあったが、しかし彼女のがんばりの結果そうなったのだ。
 俺としては本来祝ってあげるのがあたりまえなんだろうけど、自分の奥底で僅かな彼女との隔たりを感じて、どこかわだかまりを残していたのも事実だった。

 だが、大学に進んでもなお付き合っている俺達。
 芸能界と、世間一般という世界に別れても、なお付き合い続けている俺達の姿が、ある。





 12月も半ばにさしかかろうという日は、なんだかいつもよりも寒い気がした。
 今日は彼女と過ごせる久しぶりの日だった。

 俺は、学校が終わると、急いで家に帰って、シャワーを浴び、とっておきのいっちょうらに着替えたあと待ち合わせの駅に向かう。
 約束の時間の5時には少し早いが、彼女に会うのを心待ちにしていた俺にはもっと早くから待っていても良いくらいだ。
 時間になると、まるで測っていたのかと思わせるくらいぴったり5時に彼女はマネージャーの車に乗って現れた。
 アイドル森川由綺のマネージャーは篠原弥生といった。
 ちょっと冷たい感じのする女性だけど、決して悪い人じゃない。
 キッと車は俺の前に止まり、運転席のウィンドウが開く。
「時間通り―――です」
 弥生さんはこちらを見つめ、冷たく通る声で言った。
「です、ね」
 彼女の視線はこちらの心を見透かされているような気分にさせ、多少の居心地の悪さを感じた。
「由綺さんをお連れしました」
「冬弥君!」
 声と共に車の後部座席のドアが開き、森川由綺の姿が現れる。

 テレビの向こう側で見たままの、彼女がここにあった。
 由綺と以前のように多く会えることは無くなって、今日も2週間ぶりにあったのだが、彼女は何も変わっていなかった。
 もちろん、たった2週間で人が変わるわけはないのだろうけど。
「やぁ、由綺、元気してた?」
「うん、元気だよ」
 由綺は微笑み、俺の顔を見上げた。
「そいつは、なによりってとこだな」
「冬弥君こそ、ちゃんとしたもの食べてるの? インスタントの食品ばかり食べていると体壊しちゃうよ」
「うーむ、それは難しい問題だな。 人生で二番目くらいに難しそうだ」
「そんな大げさな…」
「ちなみに一番目はどうやったら4年で学校を卒業できるかって言うことだが…」
「…真面目に学校行くしかないんじゃないの?」
「それこそ、一生を費やしても出無さそうな答えだな」
 俺はニヤリと笑い、由綺は苦笑する。
 そんな会話を交わす俺達の間に、弥生さんの冷たい声が割り込んで入る。
「では、明日の朝またお迎えに上がりますので」
「うん、弥生さん、じゃあまた明日」
「はい」
 ガルルルというエンジン音を残して車は走り出し、俺達はそれを眺めながら、車が視界から消えたところであらためて向かい合った。
「それじゃ、行こうか? ここ、寒いし」
「うん」





 二人で公園を少し散策したあと、ちょっと早い夕食を共にする。
 トップアイドルとの夕食―――だけども、別に高級な食事はしていない。
 小さいけれど雰囲気の良いイタリアンレストラン。
 値段も庶民的な範囲を外れていない。
 しかし、美味しくて、評判は高く、高校生の時にも幾度か二人で訪れたことはある。
 その頃は自分たちが背伸びをしている気分を味わっていたものだけど、今はごく普通か、由綺と一緒ならもうちょっと高級なところを選んでも良かったかな、と言う程度でしかない。
 まぁ、俺達は本来、一般庶民な感覚しか持っていないわけで、由綺にしてもコンビニの肉まんが美味しいだのおでんが美味しいだのと言っているレベルなのだ。
 なんにしてもあまり高級なところが似合うほど大人でもないのも確かだった。
 二人でワインを飲んで―――もちろん味が分かるわけもないが―――程良く甘くて旨かった。

「…ところで英二さんは最近どうしてるの? とんと噂を聞かないけど」
「うーん、お酒飲んだり、ボーリングしてたり、湖で釣りをしてたり、映画を観に行ったりしているみたい…いろんな…女の人と…」
「まぁ…あの人らしいと言えばそれまでだな…」
「…って、理奈ちゃんが言ってたけど…」
「あの二人も相変わらず仲が良さそうだなぁ」
「ウフフ、そうだね」
 由綺は微笑んだ。
 英二さんは由綺のプロデュースをしてくれている、元有名ミュージシャンだった人だ。
 そして、由綺を愛した人間でもある…けれども、それも過去のことだ。
 今は全て決着が着いた。
 それは俺と由綺が付き合い続けているという事実がそれを示していた。
 もしかすると、英二さんの方が本当に由綺をよく知っていて、よく守って、よく愛していたのかも知れないけど、だけど、俺も由綺を愛していた。
 由綺にとって、俺と英二さんのどっちが良かったかなんか知らないけど、俺は由綺を求めて、由綺も俺を求めていてくれた。
 だから、俺達は今こうしている。
 それは変わりようのない真実だ。





 食事のあとは、オールナイトの映画館。
 スクリーンの物語はありふれたお決まりのラブストーリー。
 俺にとってそう面白く感じるような代物ではなくても、彼女は熱心な顔で食い入るように見入っていた。
 上映後、彼女の目にうっすらと涙がにじんでいた。
 映画館から出ると、冷たく乾いた風が吹き付けられる。
 俺は何も言わず彼女の肩を抱いて、歩いた。
 日がそろそろ変わりそうだった。





 結構流行っていそうなラブホテルの一室に俺達はいた。
 迂闊な行動だとは分かっている。
 週刊誌に見つかってしまうかも知れない。
 由綺の名前に傷が付くかも知れない。
 けれどもそんなことは全て忘れ去って、自然な風の流れに任せるまま、俺達はあまりにも普通に交わった。
 好きだという感情をお互いに吐き出し合って愛し合う。
 限られた時間を、ただ自分達の欲望を満たし合うために費やす。
 俺は由綺の白い肢体を、ただ貪る。
 ひたすら動物的な欲求、その上に俺達の心を乗せて、その全てを受け入れる。
 俺という雄と、由綺という雌が一つになって、ベッドの上で求め続けた。
 できるならば肉体の限界が来るまで、交わり続けたい。
 互いの悦びを共有していたい。
 いつまでも由綺の柔らかな乳房を抱き続けていたい。
 俺は切に願った。





 俺達がどんなに願ったとしても。

 朝は迎えに来る。

 明け方の、凍えるような空の下、俺達は身を寄せあって歩いた。

 人通りもなく、車の通りもない。

 始発の電車はそろそろ走り出している頃だろうか。

「そろそろ、お別れだね」
「そうだな」
 はぁ、と、吐く度に白い息がなびく。
「今日は凄く楽しかったね」
「あぁ」
 俺は空を見上げた。
 見るとぶ厚い雲が張っていた。

「弥生さんに連絡したからもうすぐしたら、来てくれると思う」
「そうか、で、これからまた仕事か?」
「うん、コンサートで東北に行くんだって…」
「まったく、大変だな」
 俺は溜め息をついた。
 相変わらずのハードスケジュールだ。
「なら、今日も休んだ方が本当は良かったんじゃないのか?」
「ううん」
 かぶりを振った。
「そんなことないよ、全然」
「そうか?」
「うん、だってすごく楽しかったし…それに久しぶりにHもできたし…」
 言葉の後半をかすれそうなものにして、モジモジと恥ずかしそうにする由綺。
 まったく、こういった純情なところは昔とまったく変わっていないな。
「ハハハ」
 俺はつい笑いがこみあげて止まらなくなった。
「何笑ってるの?」
「いや、由綺が可愛いなって思っただけだよ」
「何か、怪しいなぁ?」
「ハハハ、ま、気にするな」
「別にしないけど…あっ」
 驚いたような顔。
「ゆき!」
 その単語を合図にしたように降り出してきた。

 ちらちらと降ってくる。

 白い氷の結晶が舞い落ちる。

 ほんの僅かだけど、雪が降っていた。

「今年の初雪だね…」
「あぁ…」
 俺は由綺をそっと、後ろから抱きしめた。
「冬弥君?」
「これ」
 俺はポケットから小さな箱を由綺の目の前に差し出す。
 小綺麗にラッピングされたそれを、由綺は両手で受け取った。
「ちょっと早い、誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼントだよ」
 由綺はそれをまじまじと見つめ、
「あ、ありがとう冬弥君…すごく…すごく嬉しいよ…」
 涙がにじんでいた。
「そんなことくらいで泣くなよ」
「だって嬉しいもん。こんな嬉しいことそんなにないもん。 …あのね、ここで開けてもいい?」
「由綺にやったものだから好きにしたらいい」
「うん、じゃあ開けよっと」









「じゃあ、これが最初で最後の曲です。 曲は“WHITE ALBUM”です」
 恭しく一礼して歌いだす。





 すれ違う毎日が 増えてゆくけれど

 お互いの気持ちはいつも 側にいるよ



 ふたり会えなくても、平気だなんて

 強がり言うけど 溜め息まじりね




 観客がたった一人のミニコンサート。

 由綺の左手の指輪が僅かに差し込む朝日に輝いていた。



 過ぎてゆく季節に 置いてきた宝物

 大切なピースの欠けた パズルだね




 白い雪が街に 優しく積もるように

 アルバムの空白を全部 埋めてしまおう





曲が終わり、由綺が一礼すると、パチパチと俺一人分の拍手が響いた。
「エヘヘ、どう、良かった?」
「そんなこと言う必要があるのか…あぁ、まったく持って最高だよ…俺一人で聴くには勿体ないくらいだ」
「でも、冬弥君のために歌いたかったから、ね」
「まったくお前は」
 くしゃくしゃと、由綺の髪をかきまぜてやる。
「クリスマスコンサート、今年もその調子で頑張れよ」
「うん、ありがと、わたし頑張る!」
「その調子なら大丈夫そうだな」
「でも…冬弥君へのクリスマスプレゼントが用意できるかどうか自信がないんだけど…」
 ちょっと目を伏せる。
 由綺らしく、俺への責任を感じているのだろう。
「まったく…由綺、お前は…」
「今編んでるマフラーも出来上がるかどうか自信ないし…」
「そんなことは考えるな」
 まだ何か言いたそうにする由綺の口をふさいだ。
 ただ、由綺の頭を引き寄せて口づけただけ。
 実際に唇の触れ合っている時間は1秒程度だっただろうか。
「とにかく、歌え。 それが由綺に出来る一番のことだろ?」
「…うん、わかったよ。 わたし、歌う! みんなのためにも! 冬弥君のためにも!」
「その意気込みが大事だ」
「うん、冬弥君も絶対に見に来てね」
「もちろん、絶対行くに決まってるよ」
 俺は笑って言った。
 由綺もつられるように微笑んだ。
 少し離れたところから聞いたことのあるエンジン音が近づいてきた。





 今年の由綺のクリスマスライブコンサートも、やはりというか大盛況のうちに終わった。

 俺も会場にいたが、それはその他大勢の由綺のファンとしてでしかない。
 こうやって遠くから彼女の姿を見ていると、時々彼女の姿がとても遠く、霞んだ存在に思えてしまうときがある。
 近くにいてもつかめない存在。
 1年前はそう感じ、寂しさをつのらせ、そしてその感情を無理に覆い隠そうとしていた。
 由綺という女の子が、俺とは遠く離れたものと思いかけていた。
 しかし、それはとんだ思い違いだった。
 あまりにも馬鹿な思いこみだった。
 いつだって俺達は側にいた。
 いつだって心は離れていなかった。
 いつだってお互いを思い続けていた。
 なのに、思いこもうとしていた。無理矢理に、変わってしまったのだと。
 住む世界が別れてしまって、それで離れてしまうのもどうしようもないことなのだと、自分に都合がいいふうにいいわけを作って、それを口実に信じ込もうとしていた。
 実際は、何も変わっていないのに。
 俺達は単なる大学生で、普通の男女だったのに。
 愛する気持ちに違いはないのに。
 全てを諦めて、逃げようとしていた。
 相手を傷付けないように。自分が傷付きたくないために。
 だけど、そんなことは幻想でしかあり得なかった。
 いつかは破綻して壊れてしまう。
 それでも、俺達が全てを失わずにここまで来れたのは、互いのことが好きというひどく単純な気持ちだったのだ。
 いつまでも側にいてくれるって。
 そんな子供の口約束じみたものが、俺達には誓約といってもいいくらいの重さをもった。
 初めて由綺を抱いたときに、やっと俺は由綺が何も変わっていないことに気付いた。
 それは遅すぎたけど、手遅れじゃなかった。
 そして、クールな生き方じゃ無くて、不器用で不格好でも、俺は、由綺は、歩いていく。
 真っ直ぐで同じ道を助け合いながら生きていく。





「なんだか、暖かいね」

「そうだなぁ」

「こんなに暖かいと、ずっとこうしていたいよね」

「そうだなぁ」

「眠たそうだね」

「あぁ、しばらく眠らせてくれ」

「それじゃ、ひざまくらしてあげる」

「気持ちいいよなぁ」

「こんな時に幸せって感じたりするよね?」

「幸せ?」

「うん、ただこうしていられるだけの小さくって大きな幸せ」

「…それは俺も感じているよ」

「うん、じゃあキスしてもいい?」





 俺達が埋めていくアルバムは、まだ白いところが多すぎてがら空きだけど、これからどんどんと増えていくだろう。

 俺達の夢と、思いで一杯にして。





―――(終わり)―――



あとがき
 久しぶりに、ラブラブ極まりないお話を書いてみました。
 無茶苦茶に恥ずかしいお話ですね。
 それに、かなりお約束な部分も多くて、反省してます。

 森川由綺というヒロインの彼女は、神岸あかりちゃんと違って、随分とリアルな面を持っています。
 そしてそれゆえに、好きだったりします。
 冬弥の事を好きで。
 「誰からだって冬弥くんを取り上げるんだから!」と言う台詞は心にずっと残っています。
 まぁ、あまり苦しいお話があまり多くの人に受け入れられなかったのは残念なんですが、自分はWhite Albumを気に入ってますんで、一つお話を書いてみました。
 面白いと思っていただける方が一人でもおられれば幸いです。



 ども!! Hiroです(^ ^ゞ
 可愛い由綺ちゃん、サンクスです。

 『WHITE ALBUM』というゲームはキャラクター・シナリオ・サウンドは絶品。
 これで、システムが完璧だったら、不朽の名作になれたものを……
 惜しいなぁ(−−;;

 でもでも、このSSはまさに名作。
 とても、あたたかな気持ちにさせてくれる作品でした。

 おーちゃんさん、ありがとうございました\(^▽^)/



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