『よいこのほけんたいいく』



 誰にでも優しいマルチは近所の子供たちの人気者。
 休みの日には、何人もの『お友達』に遊びに誘われる事も多い。
 この日も、近くの幼稚園に通っている三人の女の子に乞われ、公園にまで遊びに来ていた。

「マルチおねえちゃん……ちょっと、いい?」

「はい、なんでしょう」

「あのね……そーだんしたいことがあるんだけど……いいかな?」

 そこで、その中の一人――愛ちゃん――にオズオズと、それでいてどことなく切羽詰った表情で話し掛けられた。

「相談、ですか? はい、もちろんいいですよ。なんですか?」

「えっとね、あのね……わたし……わたし……」

 俯いて、両の人差し指を胸の前でツンツク突付き合わせる愛ちゃん。
 真剣さと恥ずかしさの入り混じった顔をして、じわじわと耳まで朱色に染め上げていく。
 そんな愛ちゃんの様子に可愛らしさと若干の怪訝を感じつつ、マルチは彼女が口を開くのを急かす事なく黙って待った。

「……あかちゃん……できちゃったかもしれない」

 暫しの逡巡の後、モジモジしながら、愛ちゃんがポツリと零した。
 それを受け、

「え? ど、どうしたの、マルチおねえちゃん。だいじょうぶ?」

「……だ、だいじょうぶです」

 マルチ、地面へと豪快に顔面ダイブを敢行してしまう。

「あの、愛ちゃん? 赤ちゃんですけど、どうしてそう思うんですか?」

 身を起こし、顔や服に付いた土を払いつつ、なんとか気持ちを落ち着かせて愛ちゃんに尋ねた。

「だって、きのう、おとなりのあきとしちゃんと……ちゅーしちゃったから」

 頬をリンゴの様に真っ赤にして愛ちゃんが答える。
 秋俊ちゃんというのは、愛ちゃんと同じ幼稚園に通う幼なじみ。少々お調子者のところがあるものの、とっても優しい男の子。些か気が早い感想だが、マルチから見て実にお似合いに思える二人。
 秋俊ちゃんの後をとてとてと付いて行く愛ちゃんの姿を何度か目にした事があるが、その度に『浩之さんとあかりさんの小さい時もこんな感じだったのでしょうか』などと微笑ましい思いに駆られるマルチだった。

「ちゅー、ですか?」

 あまりにも無垢な告白に、マルチはついつい笑みを漏らしてしまう。

「うん。……ほっぺに、ちゅって」

 赤い顔をして照れている愛ちゃん。思わず抱き締めてしまいたくほどの可愛らしさを覚えるマルチだった。

「あいちゃん、ほっぺにちゅーじゃ、あかちゃんはできないわよ」

 マルチと愛ちゃんの会話が耳に入ったのであろう、今までブランコで遊んでいた愛ちゃんのお友達――美影ちゃん――がそう言いながら二人の許へと近付いて来た。

「え? そうなの?」

 きょとんとした顔で愛ちゃんが美影ちゃんに尋ねる。

「うん。あかちゃんはね、くちとくちでちゅーしないとできないんだから。そうだよね、マルチおねえちゃん」

「え、えっと……」

 どう答えたら良いものか、マルチが言葉を詰まらせてしまう。美影ちゃんのおませな発言に微かに苦笑しつつ。
 すると、マルチの代わりと言わんばかりに、その会話に公園に来ていた三人目の子供――凛ちゃん――が割って入ってきた。

「みんなこどもねぇ。そんなのであかちゃんができるわけないじゃない」

 どこで覚えたのか、両掌を上に向け、肩を竦めるジェスチャーをする凛ちゃん。

「あかちゃんをつくるには、いっしょにねないといけないんだから」

 凛ちゃんは手を腰に当てると、「えへん」と胸を張ってキッパリと言い放った。

「そ、そうなの?」

 驚いた顔をして愛ちゃんが問う。

「そうよ」

 自信満々に凛ちゃんが頷いた。

「……だ、だったら、やっぱりわたし、あかちゃんができちゃってるかも。だって、なんどもあきとしちゃんといっしょにおひるねしてるもの」

 不安と、微かな期待を声色に滲ませる愛ちゃん。
 そんな彼女に対し、凛ちゃんは呆れた様にため息を一つ。

「やれやれ、あんたってばほんとーにこどもね。おひるねじゃダメなの。あいしあうおとことおんなが、よるにいっしょのおふとんでねないとあかちゃんはできないのよ」

 何とも危険な発言を大きな声でぶちまける凛ちゃん。無論、本人は『寝る』の意味など微塵も分かっていない。彼女の発言には何の裏も含ませておらず、そもそも大人たちが思い描く様な『裏』など全く理解していない。
 しかし、それが分かっていても尚、ハラハラしてしまう気持ちを抑えられないマルチだった。

「よるじゃないとダメだの?」

「そうなの、マルチおねえちゃん?」

 凛ちゃんの主張を受け、愛ちゃんと美影ちゃんが「ほんとうに?」という目をして、この場で唯一の『大人』であるマルチに確認してくる。

「そ、それは……その……なんと言いますか……」

 どのように答えたらいいのかが分からず、マルチはごにょごにょと言葉を濁してしまう。

「どうなの? マルチおねえちゃん、おしえて」

「りんちゃんのいうとおりなの?」

「そんなのきまってるでしょ。ねっ、マルチおねえちゃん。そうだよね」

 答えに窮しているマルチに対し、興味津々と目を輝かせて、口々に『赤ちゃんの正しいつくりかた』を尋ねてくる三人の無邪気な子供たち。

「えとえと……赤ちゃんは……ですね……」

 まさか幼稚園児相手に『正しい過程』を教えるわけにもいかず、ダラダラと冷や汗を流して苦慮しているマルチ。そんな彼女に、綺麗に口を揃えて『あかちゃんは?』と追い討ちを掛ける小悪魔三名。

「赤ちゃんは……赤ちゃん、は……」

 マルチへと真剣そのものの視線を向けて、固唾を呑んで回答を待っている愛ちゃん美影ちゃん凛ちゃん。
 ――その面々に、

「こ、コウノトリさんが運んできてくれるんですよ♪」

 パンと手を打ち合わせ、マルチは満面の笑みを浮かべて答えた。半ばヤケクソ気味に。
 途端、場に『…………』となんとも痛い沈黙が落ちた。

「……マルチおねえちゃん」

「それは……いくらなんでも……」

「いまだにそんなのをしんじてるなんて。マルチおねえちゃんってまだまだこどもなのね」

 揃って『ふぅ、やれやれ』と言わんばかりのため息を零す幼稚園児一同。
 それを一身に受け、

「う、ううっ。だって……だって……」

 ガックリと跪いて、マルチ、えぐえぐと落涙。

(本当の事なんて言えるわけないじゃないですかぁ!)

 子供相手の性教育。
 その難しさをイヤというほど堪能してしまったマルチだった。 


 教訓:おませな子供は最強無敵