『天文部のとある一コマ』



「くっそー! また触れることすら出来なかった」

 先輩との組み手を終えたモモちゃんが芝生の上にガックリと崩れ落ちた。
 ぜーぜーという荒い息、激しく上下している肩、噴き出ている大量の汗。それらがトレーニングのハードさを物語っている。

「モモちゃん、お疲れ様。はい、タオル」

「……サンキュ、三輪坂」

 もっとも、ハードだったのはモモちゃんだけだったかもしれないけど。
 現に先輩はケロッとしてるもの。今も鏡花さんと楽しそうに談笑している。
 そして、その様子をモモちゃんは納得いかない顔で眺めていた。

「ちくしょう。どうして先輩は平気な顔してんだよ。スタミナにはそこまで差はないと思うんだけどな」

「んー。運動量の違いかな?」

「運動量?」

「そう」

 怪訝な面持ちをするモモちゃんに、わたしは見ていて思ったことを説明する。

「なんかね、先輩の動きには無駄がないって感じたんだよね」

「どういうことだよ?」

「モモちゃんの攻撃を避けるにしても、受け流すにしても、全てを最低限・最小限の動きだけでこなしてる様に見えたの。だから、結果的に運動量が少なくて済む。故に疲れない。――ということなんじゃないかな?」

 右手の人差し指をピッと立てて解説。なんか女教師にでもなったみたいで少しだけ気分がいい。

「最低限の動き、ねぇ。それってやっぱ先輩の能力のおかげか?」

「それもあるとは思うけど、どっちかというと鏡花さんじゃない?」

「姉ちゃん?」

 モモちゃんの頭の上にクエスチョンマークがピコンと浮かんだ。

「モモちゃんだって組み手したことがあるから分かると思うけど、鏡花さんって凄くすばしっこい上に手数も多いでしょ。それに加えてチロちゃんまで攻撃してくる」

「思い出したくもないな。あれは地獄だ」

 ゲッソリとした表情を浮かべてモモちゃんが零す。
 うん、激しく同感。何度死ぬかと思ったことか。

「そんな組み手を、先輩はいつもやってるんだよ」

 そう言うと、モモちゃんは納得顔をしつつ深く息を吐いた。

「なるほどな。そりゃ、嫌でもそういう動きを会得するか」

「うん。しかも、鏡花さんは先輩には容赦ないから」

 わたしやモモちゃんの相手をするときは多少は手加減をしてくれるのだけど、先輩に対しては無慈悲に猛烈苛烈。たまに本気の殺意も混じっていたりするから笑えない。鏡花さんとチロちゃんの多重攻撃マジバージョン。相手の攻撃を最小の動きで避けるという技でも身に付けない限り本当に死にかねない。
 ちなみに、ときどき「昨夜のお返しよ!」なんて叫びが聞こえてきたりもするけど……いったい何のことでしょうね? わたしにはちっとも分かりません。だって清らかな乙女ですから。

「モモちゃんも鏡花さんに本気を出してもらえばいいんじゃない? 毎日それを繰り返していれば、モモちゃんだってきっと先輩みたいに……」

「その前に確実に死ぬっつーの」

 心底嫌そうな顔をしてモモちゃんがわたしの言葉を遮った。

「あはは。そうかも」

「それにさ、俺だって一応は空気くらい読めるつもりだぜ」

「空気?」

 首を傾げるわたしに、モモちゃんがクイッと顎で示す。
 促されるままに視線を送ると、そこには休憩を終えた先輩が鏡花さんと激闘を繰り広げている姿があった。
 相変わらずのマジバトルです。今回も鏡花さんの目にちょっぴり殺気が宿ってますね。おそらく昨夜もなにかあったのでしょう。

 ――でも。

「ああ、なるほどね」

 それでもなお……二人とも、楽しそう。

「ただでさえ先輩には毎日付き合ってもらってるんだしさ。その上で姉ちゃんにまでお願いしたら、野暮もいいとこだろ」

「ふふっ、確かにお邪魔虫かも。それにしても少し意外」

「なにがだ?」

「モモちゃんも案外そういう気配りができるんだね。そっち方面にはニブニブさんだと思ってたのに」

 わたしの言葉にモモちゃんがガックリと肩を落とす。

「お前って何気に失礼な奴だよな」

「あはは」

「……ったく」

 口を尖らせるモモちゃん。こういう仕草がちょっと可愛いと思ってしまうのは……惚れた弱み、なんでしょうか。

「なんだよ、ニヤニヤしやがって」

「べっつに。それより、そろそろ体力は回復した? なら、今度はわたしと組み手しようよ」

「いいぜ。手は抜かねぇから覚悟しろよ」

 よっこらしょと立ち上がるモモちゃん。指をポキポキと鳴らしてやる気満々のご様子。

「やーん、モモちゃんこわーい。さいてー。ぼーりょくはんたーい」

「自分から誘っておいてそういうこと言うな!」

「あはっ。よーし、今日はモモちゃんをメタメタのギッタギタにしちゃうぞぉ」

「そんな物騒なセリフを満面の笑顔で言ったりもするなぁ!」

 うんうん。相も変わらずからかうと面白いモモちゃんだった。



 ――で。その数分後。

「モモちゃん。取り敢えず、がむしゃらに突っ込むだけの戦法は改めた方がいいと思うよ」

「……ううっ。三輪坂にまで一方的にぼこられた」

 芝生の上でグッタリしているモモちゃん。
 先輩に一矢報いるようになれるのは、まだまだ当分先のことみたいです。

 ちなみに少し離れたところでは、鏡花さんにボコボコにされた先輩が「今晩仕返ししてやる」とか不穏なことを呟いてます。
 もしかして、先輩たちってエンドレスループ?