『属性』



「いやいや会長。やはり妹ですよ、妹」

「待て、長瀬。時代は姉だろう」

 拳を握って激論を繰り広げている二人の漢。来栖川会長と長瀬主任。
 そんな彼らを眩しそうに見遣りながらセリオは呟いた。

「……なんですか、あれ?」

 それはもう汚れた物でも見る目をしながら。

「気にしないで。いつものことだから」

 近くに居た女性所員がセリオに答える。

「いつものこと、なんですか?」

「会長はときどき研究室にまで視察にお見えになるのよ。――で、その度に」

「あのような会話が行われていると。アホですね」

「セリオちゃん、きっついわね。まあ、その通りなんだけど」

 容赦ないセリオの言葉に女性所員が苦笑を浮かべた。
 もっとも、フォローするつもりが一切無いところを見る限り、彼女も同感であることが窺える。

「いいですか、会長。想像してみてください。『お兄ちゃん♪』と言いながら甘えてくる妹を。脳が蕩けそうになるほど萌えませんか?」

「確かに。確かに萌える。だがな、長瀬よ。姉の持つ色気、包容力。これは捨てがたいとは思わんか? 甘えてくる妹も一興。だが、甘えさせてくれるお姉さんは至高」

 周囲の者が呆れ果てている中、四方から注がれる生温かい視線も意に介さずに漢の議論は熱を帯びていった。

「なにを仰いますか。甘えさせてくれる? それは邪道です。ヘタレです。女の子を甘えさせてあげてこその漢でありましょう」

「その意見は短絡的に過ぎるぞ。漢にも羽を休めたくなるときがある。その時、翼を癒してくれる大いなる存在が姉なのだ」

「笑止です、会長。それならば母でも構わないじゃありませんか」

「ふっ。まだまだ青いな、長瀬。姉と母。この二つの存在の味わいの違いを解せぬとは」

「……すみません。張り倒してきていいですか?」

「落ち着いて、セリオちゃん。気持ちは分かるけど。あんなのでも一応は取り敢えずは多分もしかしたら上司だから」

 冷静に物騒なことを口走るセリオ。
 その言葉に頷きそうになるのを必死に堪え、女性所員がセリオを制止する。雇われ者の辛いところだった。

「理解する必要があるとも思えませんね。私はあくまでも妹萌えですから」

「嘆かわしい。思考停止は最も愚かな事であると知れ」

「広く浅くよりも、狭く深くを信条としているだけですよ。――会長、私は可愛らしさを重視しているのです。その点に於いて、妹はまさに無敵」

「馬鹿め。可愛らしさならば、それこそ姉の独壇場ではないか」

「……何と言いますか、仕事のときよりも真剣な顔をしてませんか?」

「それは言わない約束よ」

 こめかみを解しながら尋ねるセリオに、女性所員が深いため息を吐きながら答えた。なかなかに気苦労の多そうな職場である。

「それは聞き捨てなりませんね。姉が可愛らしさで妹に勝てるとでも? いいですか、会長。頭に思い浮かべてみてください。雷が鳴り響く夜、妹が枕を持って部屋に訪れてくる様子を。目に涙を浮かべて怖がりながら、『お兄ちゃん、一緒に寝てもいい?』と甘えてくる姿を。どうです? 究極的に萌えると思いませんか?」

「だから青いと言うのだ、長瀬。普段から甘えている者が甘えてきても、それは日常の延長に過ぎぬ。確かに可愛い姿ではある。しかし、ただそれだけだ」

「なんですって?」

「いつもは凛としている姉。そんなお姉さんが雷を怖がって部屋を訪れてくる。その姿こそがまさに萌え。ギャップこそが正義」

「うぐっ。そ、それは……来ますね。心にズシッと来ます」

「そうであろう、そうであろう」

「……スタンガン、セット」

「セリオちゃん、殿中で御座る」

 淡々と危険なことを呟くセリオを女性所員が羽交い絞めをして止める。
 ちょっぴりヤバいっぽいデンジャーな空気が漂い始めていたが、その全てを完璧にシカトして主任と会長は尚も激論を続けた。

「妹には無いギャップという武器。これぞ姉の魅力よ」

「なにを仰いますか。妹にもギャップ萌えは存在しますよ」

「ほう?」

「いつも笑顔を絶やさない甘えん坊の妹。その子にこんなことを言われたらどう思いますか? 拗ねた態度で上目遣いに『お兄ちゃんなんか大嫌い』」

「ごふっ。きょ、強烈だ。強烈すぎる」

「あそこの二人、いっそのこと抹殺してしまった方が世の為だと思いません?」

 セリオが据わった目をして黒い笑みを浮かべる。

「思うわ。……って、ダメだから! ものすっごく同意したいけど、とにかくダメ! あんなのでも一応は世界的なVIPなんだから!」

「……チッ」


○   ○   ○



「――ということがありまして。あの時ばかりは来栖川製だということを本気で恥ずかしく思いました」

 ため息交じりのセリオの言葉を聞いて、藤田家一同は揃って苦笑を漏らした。

「……」

「え? 困ったものです? そうね。あたしも同感だわ」

 セリオ同様に深いため息を零す芹香に、綾香も眉間を揉み解しながら同意する。

「まあ、そう言ってやるなよ。老いてますます盛ん、だとか、いつまでも若い気持ちを持っている、とか肯定的に解釈してやろうぜ」

「物は言いようだね、浩之ちゃん」

 クスクスと笑うあかり。彼女からのツッコミを受け、浩之は軽く肩を竦めた。

「世の中なんてそんなもんさ。言い方一つでどうとでもなる」

「ふわぁ。なんだか哲学的ですぅ」

「マルチ。あんた、意味分かって言っとるか?」

「えへ。実はあまり」

 マルチの無邪気な回答に皆から笑い声が上がる。

「――ところで、浩之さん」

「ん? なんだ、セリオ?」

「浩之さんにも何かそういう拘りってあったりします? 姉とか妹ですとか」

「拘り?」

 浩之が問い返すとセリオはコクンと頷いた。

「拘りねぇ。うーん、特にこれといって無い気がするけど……どうなんだろ?」

「無い無い。浩之に拘りなんか無いわよ。だって節操なしだもん」

 腕を組んで考え込む浩之。その彼に代わって、綾香が笑いながら断言した。

「お前なぁ」

「だってそうでしょ? じゃなきゃ、こんなに大勢の女の子に手を出したりしないんじゃない?」

 睨みつけてくる浩之にウィンクを返して綾香がイタズラっぽく微笑む。

「……」

「確かに綾香ちゃんの言うとおりですね、ですか? そうですね。わたしも同感かも」

 芹香の言葉に理緒がうんうんと首肯した。

「浩之さんには属性的な拘りはあまり無さそうですよね。オールマイティーって感じでしょうか。来るもの拒まず? とっても素敵です」

「琴音ちゃん、それ、褒めてないよ。わたしもその通りだとは思うけど」

 満面の笑顔を浮かべている琴音に突っ込みを入れつつも、決して否定はしない葵。

「さすがはヒロユキ。オールオッケーのスケコマシ、ネ♪」

「好き嫌いがないというのはいいことです。やっぱり浩之さんは凄いですぅ」

 ビシッと親指を立ててくるレミィと、どことなくズレた発言をするマルチ。

「拘るのは……まあ、性別が女ってところだけかもな」

「ですね。佐藤さんに手を出す素振りは見せませんから、少なくとも男性には興味なさそうです」

 身も蓋も無い発言をする智子。それに至極大真面目な顔でセリオが追随する。

「ふふっ。みんな、浩之ちゃんのことをシッカリと理解してるね」

「理解、なのか? これって喜んでいいのか?」

 輝かんばかりの笑顔を向けてくるあかりに対し、浩之はなんとも表現しがたい複雑な表情を返す。

「間違ってるだろ。絶対に何かが激しく間違ってるだろ」

 どうにも納得がいかず、悶々とした気分を抱いてしまう浩之だった。
 さもありなん。


 ちなみに、同時刻。

「それでは、お先に失礼します。戸締りの方、宜しくお願いしますね。……はぁ。そろそろ本気で転職を考えようかしら」

 来栖川エレクトロニクスの研究室では――

「ですから、妹の良さというものはですね」

「いやいや。姉の素晴らしさが……」

 未だに議論が続いていた。

 漢たちに幸あれ。