8月30日月曜日(富山−立山・立山黒部アルペンルート・信濃大町・松本−長野−)
3日目の朝は大変早い。電鉄富山5:40発の富山地方鉄道普通電車立山行きでの出発である。ここで矢寺氏と別れ、6人での出発となる。電鉄富山駅で立山黒部アルペンルートの切符を購入するが、他の参加者は、黒部湖までの乗車券を購入する。私は、念のため窓口氏に、「信濃大町までは買えないのか?」ときくと、「ありますよ」と即答。私はこの時点で信濃大町までの切符を購入する。
5:40発の寺田経由立山行き普通ワンマン電車は、元京阪特急でテレビカーとして活躍した元京阪8500型、現10030系である。外観は塗色を塗り替えた以外は大きな変化はないが、車内は、ワンマン化改造がされており、乗務員室後部は座席を撤去して、整理券発行機と料金箱を設置、上には料金表が装備されている。しかし座席は京阪時代のままの転換クロスシートで、乗り心地はいい。なお、制御装置やマスコンなどは営団地下鉄日比谷線で活躍した3000系の発生品に変更されており、ブレーキ関係は阪急の発生品に変更されているため、足周りにはもともとのものを搭載していないのが特徴である。朝が速い電車にも関わらず、ハイカーが多く乗っている。
電鉄富山をでると、しばらく田畑の広がる富山市郊外を走る。単線で、車窓にはのどかな景色が広がり、富山市とは思えないような景色である。稲荷町で南富山経由の路線と別れる。この電車は寺田・五百石経由であるが、南富山を経由しても、岩峅寺で合流することができる。乗りつぶしにはやっかいな区間だ。富山市域をでて、景色はいっそうのどかになってくる。しかし、途中の交換駅ですれ違う電鉄富山行きには通勤通学客の姿がある。しばらく走ると、電車は寺田に到着。宇奈月温泉方面と別れる。電車は方角を東にとって、北アルプスへと向かう。途中の岩峅寺で南富山経由の路線と合流。岩峅寺をでると、だんだんと山深くなって来、渓谷なども見える。立山が近づくと、勾配もきつくなり、電車のスピードもでなくなる。ゆっくりゆっくり山登りをした電車は、大きな駅舎を持つ立山駅に到着する。
立山からは美女平行きのケーブルカーに乗り換える。乗車前に手持ちの乗車券をケーブルカー専用の乗車整理券に変えてもらい乗車。乗車整理券を持って鉄道に乗るのは、なんとなく湘南ライナーみたいな感じがするが、車両は当然211系ではなく、少々古ぼけたケーブルカーである。この区間のケーブルカーは、一括制御の無人運転であり、当然運転台はないが、非常ボタンがあったのが特徴である。ケーブルカーらしくすごい勾配を登っていく。レールの間にケーブルが引いてあるため、さながらナローゲージの鉄道がアプト式になったような感じがする。中間地点で下り便と交換する。まことにうまくできているものだ。わずか7分で美女平に到着。 美女平の駅は涼しかった。もちろん高度が高いからである。クーラーはいらないぐらいかとも思えたが、やはり日なたは暑い。川田氏が持ち込んだポテトチップスも爆発寸前でがんばっている。
美女平からは、立山開発鉄道の立山高原バスで室堂へ向かう。通常ならば途中の弥陀ヶ原と天狗平に停車するが、我々が乗ったのは、臨時の直行バスだった。もちろん他に近道があるわけではないので、弥陀ヶ原・天狗平も通り、車窓観光が楽しめるが、乗降できない。
美女平の車庫に、日野セレガがたくさん停まっており、中には9年式と思われる車両もある。期待したが、どうも運が悪いようで、私たちが乗車したのは、富士ボディを架装している貸し切りシャシーの日野ブルーリボンである。どうやら環境のことも考えて、バスは日野製だけを入れているようだ。排ガス規制にうるさい区間であるため、そこまで古い車両はいないが、私たちが乗車したバスは、その中でも古参級の車両である(おそらく3年式ぐらい?)。一応夏場は暑いため、バスにはクーラーが備えてあり、しかも日野のクーラーは効きがいいので、この点は歓迎である。
発車すると同時に、車内のテレビとテープで観光放送が始まる。バスは急勾配であるため2速でずっと登っていく。有料道路を走って行くわけだが、一般車両の通行は制限されており、立山開発鉄道の路線バスと貸し切りバス、事業用車だけが通行できるため、交通量は少ない。高度が上がって行くにつれて、低い植物が増えてきて、見晴らしがよくなる。鹿児島出身の私には、さながら霧島・えびの高原あたりをバスで走っているかのようである。
夏のまぶしい日差しを受けながら、右へ左へ曲がりながら、バスは終点の室堂へ到着する。およそ50分間の空中バス旅行である。
室堂でしばらく時間を持ち、周辺を散策する。
室堂からは立山黒部貫光のトロリーバスで大観峰を目指す。「観光」ではなく「貫光」であるところがにくい。トロリーバス初体験の私にとっては、気分が高まる。なお、今回も増発便である。
トロリーバスとは、法律上の分類によれば鉄道に分類され、屋根上のポール(集電装置)を介して架線から電気を取り入れ、それを動力として走るバスである。排気ガスも出さず、環境にも優しいため、東京都交通局や横浜市交通局で実際の路線バスとして使われていたが、当然、架線がなければ走ることはできず、また終点ではポールを回転せねばならないことに加え、保守費用がかかることもあって、現存するのは立山黒部アルペンルートの2路線(残り1路線はあとで紹介)となっている。
やってきたバスは、ボディは西日本車体のボディに似たような形の、三菱のバスである。三菱と分かったのは運転台のハンドルに、三菱マークがあったからで、アイドル音やエンジン音では判断できない。しかも走り出してみると、IGBT・VVVFインバータの音がする。走行音は電車と同じで、私もびっくりしてしまった。みてくれはバス、足周りはVVVFとは驚きである。
トンネル内を走るため、地下鉄に乗っている感覚である。それにしても運転手は運転がうまい。よく架線から外れないように運転できるものだ。感心していると、中間地点で交換する。中間地点には鉄道用の出発信号が設けられており、青に変わると発車する。保守装置も完璧に鉄道である。およそ10分で終点の大観峰に到着する。
大観峰からも、臨時便の黒部平行きロープウェーが接続する。傾斜がきつい区間で、しかも地表からかなりの高さを動く。この区間がケーブルカーだったらさぞかし怖いことだろう。しかし、大観峰の名前に反することなく、景色は最高である。秋になれば紅葉が見事だろう。わずか7分で黒部平に到着する。
黒部平で昼食をとり、続いてケーブルカーに乗り換えて、黒部湖を目指す。今度のケーブルカーは、立山−美女平のケーブルカーとは違い、運転装置が付いた有人運転で、もちろん原則は集中制御だが、もしもの時のために、非常ブレーキとそれを操作する乗務員が乗っている。 トンネル内を走るため、景色は見えないが、傾斜がきついことはよく分かる。トンネル内に通風機を設けているらしく、窓を開け放つと涼しい。5分で終点の黒部湖に到着する。
黒部湖から、次のトロリーバス乗り場である黒部ダム駅までは、ダムの上を徒歩での移動となる。黒部湖と、水しぶきをあげるダムをみながらの散歩。照りつける日差しは強いが、涼しい。雄大さに絶句する。黒部ダムの展望台にもあがって、別の角度からダムをみる。室堂で足がまいっており、少々きつかったが、青空とダムの水しぶき、それにより生じる虹が見事だった。
黒部ダムで他の参加者は扇沢までのトロリーバスの乗車券を求める。すでに切符を持っている私は、乗車整理券に引き替えて、トロリーバスに乗車する。
黒部ダム−扇沢間のトロリーバスは関西電力が運行しており、車両は先ほどの立山黒部貫光のものと同型式である。ちなみに黒部ダム駅には発車ベルがあった。
満員の乗客を乗せたバスは、5両で扇沢を目指す。こちらもトンネル内の走行で、景色を楽しむことはできない。中間地点で対向のバスと交換する。向こうも5台で運転されている。途中で富山県と長野県の県境を越える。トンネル内の電気の色を違えてあることが目印だが、あまり実感がわかないし、青函トンネルの最深部表示みたいである。終点の扇沢が近づくと、トンネルをでて、青天井の中を走る。長いトンネルをでて地上にでると、地下鉄が地上にでたような感じである。広い構内を持つ終点扇沢に到着。
ここで直ちに信濃大町行きのバスに乗り換える。予定より1本早い便に乗車することになるようだ。
扇沢発信濃大町駅行きの急行バスは、川中島バス・松本電気鉄道・北アルプス交通の共同運行となっており、川中島バスと松電は同グループの会社であるため、通称アルピコカラーとよばれるCIカラーをまとっている。私たちがお世話になったのは、北アルプス交通のバスである。
今度のバスは、同じ急行バスでも、京福のバスとは異なり、貸し切り落ちではあるが、63年式の三菱MS715Nの担当である。もちろんリクライニングシートである。
狭く曲がりくねった道を、ゆっくりとしたスピードで下っていく。途中でいろんなバスとすれ違うが、品川・尾張小牧など各地の観光バスもみられた。しばらく走ると大町市内へはいる。はじめは田畑が広がるのどかな景色が広がったが、しばし走ると市街地へはいる。およそ35分で終点の信濃大町駅に到着する。
信濃大町駅に立ち、あたりを見渡してみると、自動販売機には「大清水」の名が踊り、旅行センターには「びゅうプラザ」の文字。ここまでJR西日本エリアを旅してきたが、ここはあくまでもJR東日本のエリアなのである。
郵便局に行きお金をおろし、近くの酒屋で、長野の地酒「千曲錦」を1本購入。今夜の「ちくま」の中で飲む千曲錦である。
信濃大町からは16:00発の松本経由辰野行き普通電車で松本を目指す。その30分前に「スーパーあずさ10号」新宿行きが発車し、行き先幕の「新宿」の文字に惹かれる私。東京へも3時間で行けるところに来ているのである。
16:00発の辰野行き普通電車は115系3連である。車体塗色は信州色、所属は松本運転所(長モト)の115系である。できれば新型のE127系に乗りたかったが、他の参加者がいるから仕方がない。私一人だったらE127系を待つだろう。
車内に入り車内を見渡してみると、ほとんど国鉄時代のままである。灰皿が取り除かれ小テーブルが設置されているが、青いシートモケットや、緑色の化粧版などがそのままである。最近では長野支社管内や豊田電車区の115系にリニューアル工事が実施されているが、国鉄を色濃く残した115系もなかなかいいものだ。
ちょうど学校の下校時刻と重なったため、車内は高校生であふれている。補習帰りなのだろう。豊かな緑の中を、信州カラーの115系が走る。途中でE127系とすれ違う。窓越しにのぞいてみると、オールロングシートの701系とは異なり、アルプス側(南小谷・糸魚川を向いて左側)はクロスシートになっており、通勤通学輸送と観光輸送のどちらにも対応するようになっている。それ以外は209系に酷似しており、なんとなく場違いな感じも否めない。
梓川を越えると松本市内に入る。梓川が特急「あずさ」の名前の由来である。イトーヨーカ堂もあり、都会的な様相もみせている。16:51、列車は松本に到着する。この電車は引き続き中央線を辰野まで走る。
私たちの乗車券は、「信濃大町−大糸・松本・中央西線・名古屋・新大阪・福知山・北近畿タンゴ鉄道・豊岡・播但・姫路・新幹線・岡山−(陽)西条」のきっぷであるため、篠ノ井線経由で長野方向へは行けないため、ここで松本−長野の往復切符を購入する。「いよきっぷ」と呼ばれ、往復1400円の割引切符がある。もちろん変更はできないが、長野県の2大都市を結ぶには便利な切符である。なんとなくイオカードにも響きが似ていないわけではない。
私たちが乗り継いだのは、松本17:18発の篠ノ井線各駅停車長野行きである。今度も信州色の115系3連であるが、今回は松本運転所ではなく、長野総合車両所(長ナノ)の115系である。とはいっても、内装・外観ともによく似ている。「よく似ている」と書いたのは、鉄道マニアしかチェックしないような違いがあるからである。松本運転所所属車は甲府への運用を持っているが、中央線は東京−甲府間で保安装置としてATS−Pを導入しているため、甲府駅構内でATS−Pを利用している。そのため、松本所属車は首都圏用ATS−Pを装備している。運転席後方にATS−Pの車上装置が客室内に出っ張っているのが特徴だ。一方、長野所属車は甲府運用を持たないため、ATS−Pの必要はなく、ATS−SNのみの装備である。言い換えれば、松本の115系は中央線はもちろん、京葉線・川越線・東北線・高崎線・東海道線・常磐快速線・総武緩行線でも走ることができるのである。
松本駅は、山手線目黒駅や大宮駅6番線、熱海駅4・5番線などで使われている、通称東日本6番と呼ばれる発車メロディが使われている。曲の最後の「ジャララララララン」がうるさいと評判の音楽である。ちなみに、JR東日本ではよく使われている音楽で、青森・秋田・盛岡などや、高崎線北鴻巣・上尾、常磐線の下り線(いわき・仙台方面)でも使われている。
松本駅の発車メロディに送られて、電車は大糸線を左にみて、山深き篠ノ井線へと足を運ぶ。
明科では発車メロディが使われており、ここと川中島・しなの鉄道の軽井沢でのみ使われている珍しいメロディを直接聞くことができた(私のパソコンにはメロディが収録してあるのだが)。
途中、私たちが住む広島県の西条(さいじょう)と同じ漢字の西条(にしじょう)を通る。他の参加者は興味がないようで、私だけが目をランランとしていた。
姨捨はスイッチバックの駅である。私は肥薩線の真幸・大畑というスイッチバックも使ったことがあるので何とも思わないが、スイッチバック初体験の人にとっては新鮮であろう。電車のドアが閉まると、いきなり推進運転でバックしていく。しばらくバックすると今度は駅を左にみた別線へはいる。こちらは山を下る方なので、スイッチバックは必要ないのだが、松本方へは登りになるので、必要なのだ。今晩の急行ちくまがこのスイッチバックを使うのか、ショートカットするのかが楽しみだ。
ちなみに、ここで私が経験した怪奇体験を一つ。篠ノ井線は単線であり、途中で行き違いをする。姨捨に着いてドアが開くと、向こうに383系のものと思われる、JR東海特有の配置となっているヘッドライト4つがこちらに向かってくるのが見えた。「『しなの』だ。きっとここで交換するのだろう」と思っていたら、それを待たずに発車。「どうなっているんだ?? このままいったら正面衝突だ」と思うが、なぜか向こうから電車は来なかった。しかも途中で1回も383系と交換することがなかった。時刻表で確認しても、この時間に名古屋行きの「しなの」は走っていない。私がみた謎のライトは何だったんだろう?
篠ノ井でしなの鉄道(旧信越本線)と合流。篠ノ井では、東日本6番の音程を少し低くして、始まりの2回繰り返しが1回に短くなった通称中央3番を聞く。このメロディは岡谷・塩尻と、遠く離れた総武本線成東駅2番線(総武本線千葉方面行き)で使われている。篠ノ井はしなの鉄道開業に際し駅をリフレッシュしており、駅名表やホーム案内も首都圏と同じものが使われている。
しなの鉄道は長野行新幹線開通に伴い、JR信越本線の軽井沢−篠ノ井間を譲渡されて開業した鉄道で、車両もJR東日本から譲渡された元長野総合車両所所属の169系と115系を使っており、塗色は115系はJR当時のままの信州色で、ボディにしなの鉄道のロゴが貼ってある。169系は塗色変更されており、メタリックに赤帯という精悍な出で立ちである。なお、駅設備もそのまま引き継がれており、駅名表はしなの鉄道オリジナルに変更されているものの、JR東日本時代の発車メロディが今も使われており、上田では東日本6番、小諸では東京駅2番線(高尾方面)や五反田駅1番線(品川方面)で使われている通称「横浜3番」が使われている。(しなの鉄道の発車メロディは、こちらで紹介。) 篠ノ井をでると長野まではまもなくである。長野市域にはいると、住居が建ち並ぶ光景を見る。車窓右側に新幹線の高架橋が寄り添ってくると、終点長野に到着する。18:28到着。
長野駅で信州そばを夕食に食べ、私の希望により自由行動となる。今回は青春18きっぷではないので、18きっぷでは乗れないところに乗りつぶしに行くと同時に、発車メロディを聴いてこようと企画し、私は長野−(篠ノ井線・しなの鉄道経由)−軽井沢−(新幹線)−長野と乗ることにした。もちろん自腹である。しかも新幹線の自由席特急券が必要なので、総額5000円程度かかった。詳細はこちらで。なお、ここで青森へ向かう佐藤氏が別れる。彼女も強者で、19:56の快速信州リレー妙高13号(189系あさま色)からスタートし、長野−直江津−長岡−(ムーンライトえちご)−大宮−黒磯−仙台−盛岡−青森と乗り継ぐらしい。
さて、全体行動に戻るとしよう。大阪へと抜ける私たちが次に乗車する電車は、長野23:55発の急行「ちくま」大阪行きである。実は、私はちくまについて、以前の12系座席車+24系寝台車の時代については知っているのだが、電車化されてからは何が使われているのか知らなかった。客車時代が宮原運転所(大ミハ)の受け持ちだったので、今もJR西日本の受け持ちとすると、北近畿用の183系かと思ったが、考えてみると、中央西線はトンネル断面が低いので183系は入れない。謎が深まる。
ホームに入ってきたのは、なんとキハ110系。もちろん飯山線の車両である。さすがにこれはないだろうと思ったが、案の定、車庫へ引き上げていった。女性陣に、「これが今日のちくまですよ」と言ったら本気にしていた。
結局ホームに入ってきたのは、JR東海神領電車区(海シン)の383系6連である。長野方にグリーン車を連結している。つまり、「しなの」の間合い運用となっているわけだ。東海の電車が大阪に行ってもと思ったが、時刻表をみると、大阪8:58発のしなの15号で運用に戻るわけだ。
383系は、曲線部分の多い中央西線の特急「しなの」用に開発された振り子式車両で、従来用いられていた381系が自然振り子方式で乗り心地が不評だったため、路線の線形をコンピューターに入力し、カーブ手前で徐々に車体を傾けるという制御振り子方式を導入している。車体はJR東海らしく、ステンレスにオレンジ帯で、車内設備は、現在特急ふじかわ・東海・伊那路、快速ムーンライトながらに使われている373系を踏襲しているが、座席設備として383系には背面テーブルがある。走行系統では、373系がVVVFインバータ+GTOサイリスタの組み合わせだったのに対し、こちらはVVVFインバータ+IGBTに変更されている。現在383系は、「しなの」のほか、中央西線名古屋口の快速「ホームライナー瑞浪」「ホームライナー中津川」に使われている。配置は全車神領電車区(海シン)である。
ちくま発車前に、中央東線経由新宿行き急行アルプスが発車していった。あちらは松本運転所(長モト)あずさ色の183系である。アルプスがでたあとの長野駅は閑散としている。新幹線・飯山線・しなの鉄道の本日の運転は終了しており、篠ノ井線松本方面最終列車がこの「ちくま」である。
23:55、本日最後の長野駅発車メロディを聴き、383系ちくまは長野駅を離れた。私の隣は1つ余計に確保していた座席で、先ほど川田氏が払い戻した席であるが、さっそくオヤジが座ることになった。せっかく横になれると思っていたのに……。
ほどなく篠ノ井に到着。篠ノ井のホームも閑散としている。それでも車掌はメロディをならしてくれた。おそらく発車メロディを聴けるのはこの夏最後だろう。そう思うと、何気ない中央3番の発車メロディも風情があるようなそんな気がする。
このあと、電車は聖高原・松本・塩尻と停車する。塩尻まで起きたり眠ったりを繰り返す。最近高速バスに乗り慣れてしまっているので、昼行特急用のリクライニングが浅いようなそんな気さえする。
塩尻到着時に、川田氏が私に「となりの3号車がらがらやで」とのこと。私たちが乗車している2号車はほぼ満席である。半信半疑で3号車へ行ってみると、誰もいなかった。この格差は何なのだろう。しかも、先ほど払い戻した指定席がすぐ売れて、ほかにも空席があるとはどういうことだろう。とりあえず、3号車の1画を確保して、横になる。途中の木曽福島での運転停車中にも1度目がさめた。
起きたら5:00着の名古屋だった。てっきり3号車は、どこかのツアーが占拠するのではないかと思っていたが、名古屋到着時もがらがらだった。100系新幹線や関西線用の213系が停まっている。もう少し休むことにする。
次に目覚めたのは、山科だった。まもなく京都である。下車駅の新大阪までもあと少しである。途中高槻付近で、車掌が改札に来る。2号車の指定券を持っている私は、どうにかこうにか説明して改札を切り抜け、吹田まで3号車でくつろぐ。2号車は相変わらず満席。みなさんご苦労様。新大阪到着7:21。