8月31日火曜日(新大阪−福知山・宮津−天橋立−豊岡・和田山・姫路・岡山−西条)

 新大阪駅は朝の通勤ラッシュのまっただ中である。野洲・草津・米原方面からの113系からたくさんのサラリーマンが吐き出される。同様に尼崎・神戸・加古川方面からの221系も通勤輸送にがんばっている。私たちが降りた特急ホームは少し離れており、都会の慌ただしさを遠巻きにみる格好となる。しかし、この特急ホームは、朝数本の新快速が発着するため、ネクタイ姿も見える。
 新大阪駅で山田氏と合流し、乗車するのは特急「タンゴディスカバリー11号」久美浜行きである。車両はもちろん北近畿タンゴ鉄道のKTR8000系である。2両編成の短い特急であるが、福知山までは福知山運転所電車グループ(福フチ)の183系6連で組成された特急北近畿と併結運転をするため、新大阪−福知山間は8両編成での運転となる。なお、タンゴディスカバリーは11号車・12号車になる。また、新大阪から、大阪・尼崎・宝塚・三田・篠山口・柏原・福知山の順に停車するが、タンゴディスカバリーが客扱いをするのは、大阪・尼崎・宝塚・福知山の各駅のみで、それ以外の駅では、北近畿は客扱いをするものの、タンゴディスカバリーは運転停車という形態をとる。
 KTR8000系は、運転室後方の窓を広くとって、客室から前方を見渡せるようになっており、またミニロビーを備えている。第三セクターの特急ながら、貫通路上部にはLED案内機をもうけており、沿線の観光見どころ案内や、次駅表示をする。座席の枕カバーには、名産品である丹後ちりめんを用いており、この点が第三セクターらしい地域に密着した感じを受ける。 7:56、都会の喧噪の中を、特急北近畿1号とタンゴディスカバリー11号は新大阪を離れた。電車と気動車の併結運転であるが、エンジン音が聞こえないので、どうやらタンゴディスカバリー編成はぶら下がっている状態と思われる。ほどなく大阪に到着。環状線ホームには103系・223系・221系が行き交う。大阪の高層ビル群を眺めつつ、尼崎に停車。ここからは福知山線へ入る。福知山線は2つの顔を持っている。1つは、尼崎−新三田間に見られる大阪のベッドタウンとしての様相。スカイブルーの201系・205系や、スマートな207系が頻繁に行き交う。そして2つめは、新三田−福知山間の、緑が美しい山並みである。大阪からこんなに近いのに、自然があふれている。篠山口を過ぎるとアーバンネットワークのエリアを出るため、駅名板が宝塚線カラーの黄色からJR西日本標準の青色へと変わり、自動改札も終わりとなる。列車の本数も激減し、山の奥へと分け入っていく。その後、柏原に停車した後、道路を行き交う車のナンバーが神戸ナンバーから京都ナンバーに変わると、福知山に到着する。
 福知山で、ここまで連れ添ってきた特急北近畿と切り離される。北近畿は城崎へ向けて、山陰本線へ進路を取る。北近畿が出発した後、タンゴディスカバリーは身軽な2両編成となって、北近畿タンゴ鉄道宮福線へと入る。車掌もJR西日本から北近畿タンゴ鉄道の職員になる。
 しばらく走ると、車掌が検札に来た。ここで大問題が発生した。「この切符じゃ乗れまへんな」という車掌の声が聞こえる。逸見氏の切符について言っているようだ。私と大坪氏は通路を挟んだ席に座っていたため、状況がよくつかめない。川田氏と山田氏が車掌に説明している。しばらく押し問答が続いた後、「ほな駅の窓口に行ってみて下さい」と言い残して、車掌は去っていった。
 切符を見せてもらうと、「信濃大町−岡山 経由;大糸・中央東線・新幹線・新大阪・新幹線」となっている。料金を計算したら、北近畿タンゴ鉄道経由の料金なのだが、経由地に北近畿タンゴ鉄道が明記されていないのである。天橋立駅で苦労しそうだ。 10:16、列車は天橋立に到着。山田氏、逸見氏、私の順で改札を通ることで、トラブルに対応できるように構えた。ところが、改札は何も起こらずに出場できた。とりあえずは一件落着。天橋立の観光に出かける。
 観光も終わり、天橋立駅へと戻る。少々時間があるので、例の切符を処理してもらうことにする。というのは、この状態では、仮に北近畿タンゴ鉄道はクリアしても、播但線でつっこまれる可能性があるからだ。しかし、私がペンで経由地を書き加えたら、乗車券改変で無効になるし、刑事的な問題になるので、とりあえず、窓口のマルスで窓口氏に確かめてもらいつつ、窓口氏に経由地を書き加えてもらい、「天橋立」の印をおしてもらう。
 天橋立から乗車するのは、15:34発の普通豊岡行きである。やってきた車両は、北近畿タンゴ鉄道普通列車に使われる、同社オリジナルのKTR700型である。213系タイプの側窓を持ち、車内は転換クロスシート、トイレ装備のワンマン列車である。なお、トイレなしの車両はKTR800型という別形式に分類されている。
 天橋立を出てしばらくは、車窓右側に海が広がる。もちろん、この周辺は観光資源が豊富だが、車内の乗客は見る限り地域住民のようで、北近畿タンゴ鉄道は地域住民の足としても大切な存在であることがわかる。途中駅で、KTR8000型を使った急行「タンゴレインボー」や、京都行きの特急「タンゴエクスプローラー」と交換する。優等列車の方が普通列車よりも多いようだ。峰山付近から車窓に緑が映るようになり、木津温泉・久美浜などの観光地を通過していく。但馬三江を出て、車窓に国鉄メークのキハ58系の姿が見えると、まもなく豊岡である。16:59の到着である。
 豊岡からは、17:25発の特急はまかぜ6号で播但線を経由して姫路へ抜ける。列車はもちろんキハ181系である。
 キハ181系は、先に登場していたキハ82系のエンジン出力を高め、勾配線区に対応できるようにした車両である。キハ82系は急行型気動車キハ58系と同型の、DMH17H型エンジンを2つ搭載しており、能力的には同レベルであり、中央西線や伯備線などの勾配線区では高速運転に不向きであった。そこで登場したのがキハ181系である。エンジンを500馬力のDML30H型エンジンに変え、ラジエータは屋根上に乗せられたため、外見もものものしくなった。電化前の中央西線の特急しなのや四国特急に使われたが、車両の老朽化が進み、延命工事やアコモデーション改良を施される車両もあれば、不幸にもスクラップになってしまう車両も出始めている。すでにJR四国からは撤退しており、現在はJR西日本京都総合車両所(京キト)と後藤総合車両所(米トウ)にあるのみである。
 特急はまかぜを担当するのは、京都総合車両所(京キト)のキハ181系4連で、2号車はグリーン車である。アコモデーション改良をなされているため、車体塗色も変更になっている。私たちは先頭車である1号車の一角に席を占める。指定席だったが、指定券を持っていない不届きものが座っていたため、私が多少すごんだような声で席を立つよう言うと、素直に立ち去った。
 和田山からは播但線にはいる。私は播但線初体験であるため、夕闇が迫る播但線の車窓を見つめる。陰陽連絡線だけあって、峠を越える格好になる。山深き景色が続き、どことなく福知山線の福知山−篠山口間に似ているような感じを覚える。寺前からは電化区間に入り、ワインレッドの103系を見ることができる。景色には似つかわしくない4つ扉の通勤型車両である。それにしても、なぜ105系に分類しなかったのかが疑問である。車窓にネオンがぽつぽつと見え始め、姫路城が見えてくると、18:59、列車は姫路に到着する。外はすでに真っ暗である。
 姫路からは岡山までわずかな区間ではあるが、新幹線を利用する。乗車するのは、19:21発の岡山行きのひかり169号である。JR東海の300系16連であるが、自由席はかなり埋まっている。席を探すのは一苦労した。私が見つけた席は、空いているようなのだが、網棚には背広が乗っている。とりあえず座ってみたら、大阪車掌区の車掌氏が近づいてきて、「前のお客さんが忘れていかはったんですわ」と一言。わずか23分ではあるが、新幹線での一時を過ごす。1人で座ったため、のんびりとする。19:44、岡山駅へ到着。ここで、逸見氏と別れる。
 旅の最終ランナーは、20:06発の各駅停車広島行きである。行きと同じ広島運転所(広ヒロ)N編成こと、115系3000番台4連である。この電車は三石始発で、岡山到着時にはすでに客が乗っているわけだが、列の先頭で並んで乗車したため、座ることができた。私は山田氏とビール片手に鉄道談義に花を咲かせる。隣の小林氏と川田氏はさぞかし退屈だったことだろう。大坪氏はこのまま実家に帰るということで、途中の鴨方で下車。4人になって西条を目指す。福山・尾道・三原で客が降り、三原以降はがら空きとなった。それもそのはず、まもなく夜の10時である。ゴールの西条についたのは22:10。駅では知恵氏が待ちかまえていてくれた。
 ずいぶん壮大なプランで実行された夏合宿だったが、無事に終了した。私個人としては、富山地鉄立山線・大糸線・しなの鉄道・篠ノ井線・中央西線・北近畿タンゴ鉄道・播但線に乗車することができて良かった。また、各地でうまい酒に出逢い、様々な列車にも乗車できたこともいい思い出である。今の私の頭の中には、次の旅行のことでいっぱいである。8月31日火曜日(新大阪−福知山・宮津−天橋立−豊岡・和田山・姫路・岡山−西条)

 新大阪駅は朝の通勤ラッシュのまっただ中である。野洲・草津・米原方面からの113系からたくさんのサラリーマンが吐き出される。同様に尼崎・神戸・加古川方面からの221系も通勤輸送にがんばっている。私たちが降りた特急ホームは少し離れており、都会の慌ただしさを遠巻きにみる格好となる。しかし、この特急ホームは、朝数本の新快速が発着するため、ネクタイ姿も見える。
 新大阪駅で山田氏と合流し、乗車するのは特急「タンゴディスカバリー11号」久美浜行きである。車両はもちろん北近畿タンゴ鉄道のKTR8000系である。2両編成の短い特急であるが、福知山までは福知山運転所電車グループ(福フチ)の183系6連で組成された特急北近畿と併結運転をするため、新大阪−福知山間は8両編成での運転となる。なお、タンゴディスカバリーは11号車・12号車になる。また、新大阪から、大阪・尼崎・宝塚・三田・篠山口・柏原・福知山の順に停車するが、タンゴディスカバリーが客扱いをするのは、大阪・尼崎・宝塚・福知山の各駅のみで、それ以外の駅では、北近畿は客扱いをするものの、タンゴディスカバリーは運転停車という形態をとる。
 KTR8000系は、運転室後方の窓を広くとって、客室から前方を見渡せるようになっており、またミニロビーを備えている。第三セクターの特急ながら、貫通路上部にはLED案内機をもうけており、沿線の観光見どころ案内や、次駅表示をする。座席の枕カバーには、名産品である丹後ちりめんを用いており、この点が第三セクターらしい地域に密着した感じを受ける。 7:56、都会の喧噪の中を、特急北近畿1号とタンゴディスカバリー11号は新大阪を離れた。電車と気動車の併結運転であるが、エンジン音が聞こえないので、どうやらタンゴディスカバリー編成はぶら下がっている状態と思われる。ほどなく大阪に到着。環状線ホームには103系・223系・221系が行き交う。大阪の高層ビル群を眺めつつ、尼崎に停車。ここからは福知山線へ入る。福知山線は2つの顔を持っている。1つは、尼崎−新三田間に見られる大阪のベッドタウンとしての様相。スカイブルーの201系・205系や、スマートな207系が頻繁に行き交う。そして2つめは、新三田−福知山間の、緑が美しい山並みである。大阪からこんなに近いのに、自然があふれている。篠山口を過ぎるとアーバンネットワークのエリアを出るため、駅名板が宝塚線カラーの黄色からJR西日本標準の青色へと変わり、自動改札も終わりとなる。列車の本数も激減し、山の奥へと分け入っていく。その後、柏原に停車した後、道路を行き交う車のナンバーが神戸ナンバーから京都ナンバーに変わると、福知山に到着する。
 福知山で、ここまで連れ添ってきた特急北近畿と切り離される。北近畿は城崎へ向けて、山陰本線へ進路を取る。北近畿が出発した後、タンゴディスカバリーは身軽な2両編成となって、北近畿タンゴ鉄道宮福線へと入る。車掌もJR西日本から北近畿タンゴ鉄道の職員になる。
 しばらく走ると、車掌が検札に来た。ここで大問題が発生した。「この切符じゃ乗れまへんな」という車掌の声が聞こえる。逸見氏の切符について言っているようだ。私と大坪氏は通路を挟んだ席に座っていたため、状況がよくつかめない。川田氏と山田氏が車掌に説明している。しばらく押し問答が続いた後、「ほな駅の窓口に行ってみて下さい」と言い残して、車掌は去っていった。
 切符を見せてもらうと、「信濃大町−岡山 経由;大糸・中央東線・新幹線・新大阪・新幹線」となっている。料金を計算したら、北近畿タンゴ鉄道経由の料金なのだが、経由地に北近畿タンゴ鉄道が明記されていないのである。天橋立駅で苦労しそうだ。 10:16、列車は天橋立に到着。山田氏、逸見氏、私の順で改札を通ることで、トラブルに対応できるように構えた。ところが、改札は何も起こらずに出場できた。とりあえずは一件落着。天橋立の観光に出かける。
 観光も終わり、天橋立駅へと戻る。少々時間があるので、例の切符を処理してもらうことにする。というのは、この状態では、仮に北近畿タンゴ鉄道はクリアしても、播但線でつっこまれる可能性があるからだ。しかし、私がペンで経由地を書き加えたら、乗車券改変で無効になるし、刑事的な問題になるので、とりあえず、窓口のマルスで窓口氏に確かめてもらいつつ、窓口氏に経由地を書き加えてもらい、「天橋立」の印をおしてもらう。
 天橋立から乗車するのは、15:34発の普通豊岡行きである。やってきた車両は、北近畿タンゴ鉄道普通列車に使われる、同社オリジナルのKTR700型である。213系タイプの側窓を持ち、車内は転換クロスシート、トイレ装備のワンマン列車である。なお、トイレなしの車両はKTR800型という別形式に分類されている。
 天橋立を出てしばらくは、車窓右側に海が広がる。もちろん、この周辺は観光資源が豊富だが、車内の乗客は見る限り地域住民のようで、北近畿タンゴ鉄道は地域住民の足としても大切な存在であることがわかる。途中駅で、KTR8000型を使った急行「タンゴレインボー」や、京都行きの特急「タンゴエクスプローラー」と交換する。優等列車の方が普通列車よりも多いようだ。峰山付近から車窓に緑が映るようになり、木津温泉・久美浜などの観光地を通過していく。但馬三江を出て、車窓に国鉄メークのキハ58系の姿が見えると、まもなく豊岡である。16:59の到着である。
 豊岡からは、17:25発の特急はまかぜ6号で播但線を経由して姫路へ抜ける。列車はもちろんキハ181系である。
 キハ181系は、先に登場していたキハ82系のエンジン出力を高め、勾配線区に対応できるようにした車両である。キハ82系は急行型気動車キハ58系と同型の、DMH17H型エンジンを2つ搭載しており、能力的には同レベルであり、中央西線や伯備線などの勾配線区では高速運転に不向きであった。そこで登場したのがキハ181系である。エンジンを500馬力のDML30H型エンジンに変え、ラジエータは屋根上に乗せられたため、外見もものものしくなった。電化前の中央西線の特急しなのや四国特急に使われたが、車両の老朽化が進み、延命工事やアコモデーション改良を施される車両もあれば、不幸にもスクラップになってしまう車両も出始めている。すでにJR四国からは撤退しており、現在はJR西日本京都総合車両所(京キト)と後藤総合車両所(米トウ)にあるのみである。
 特急はまかぜを担当するのは、京都総合車両所(京キト)のキハ181系4連で、2号車はグリーン車である。アコモデーション改良をなされているため、車体塗色も変更になっている。私たちは先頭車である1号車の一角に席を占める。指定席だったが、指定券を持っていない不届きものが座っていたため、私が多少すごんだような声で席を立つよう言うと、素直に立ち去った。
 和田山からは播但線にはいる。私は播但線初体験であるため、夕闇が迫る播但線の車窓を見つめる。陰陽連絡線だけあって、峠を越える格好になる。山深き景色が続き、どことなく福知山線の福知山−篠山口間に似ているような感じを覚える。寺前からは電化区間に入り、ワインレッドの103系を見ることができる。景色には似つかわしくない4つ扉の通勤型車両である。それにしても、なぜ105系に分類しなかったのかが疑問である。車窓にネオンがぽつぽつと見え始め、姫路城が見えてくると、18:59、列車は姫路に到着する。外はすでに真っ暗である。
 姫路からは岡山までわずかな区間ではあるが、新幹線を利用する。乗車するのは、19:21発の岡山行きのひかり169号である。JR東海の300系16連であるが、自由席はかなり埋まっている。席を探すのは一苦労した。私が見つけた席は、空いているようなのだが、網棚には背広が乗っている。とりあえず座ってみたら、大阪車掌区の車掌氏が近づいてきて、「前のお客さんが忘れていかはったんですわ」と一言。わずか23分ではあるが、新幹線での一時を過ごす。1人で座ったため、のんびりとする。19:44、岡山駅へ到着。ここで、逸見氏と別れる。
 旅の最終ランナーは、20:06発の各駅停車広島行きである。行きと同じ広島運転所(広ヒロ)N編成こと、115系3000番台4連である。この電車は三石始発で、岡山到着時にはすでに客が乗っているわけだが、列の先頭で並んで乗車したため、座ることができた。私は山田氏とビール片手に鉄道談義に花を咲かせる。隣の小林氏と川田氏はさぞかし退屈だったことだろう。大坪氏はこのまま実家に帰るということで、途中の鴨方で下車。4人になって西条を目指す。福山・尾道・三原で客が降り、三原以降はがら空きとなった。それもそのはず、まもなく夜の10時である。ゴールの西条についたのは22:10。駅では知恵氏が待ちかまえていてくれた。
 ずいぶん壮大なプランで実行された夏合宿だったが、無事に終了した。私個人としては、富山地鉄立山線・大糸線・しなの鉄道・篠ノ井線・中央西線・北近畿タンゴ鉄道・播但線に乗車することができて良かった。また、各地でうまい酒に出逢い、様々な列車にも乗車できたこともいい思い出である。今の私の頭の中には、次の旅行のことでいっぱいである。