偲 舘喜一郎(旧姓峯田先生 

                                          一周忌に際して     2000年3月5日制作



 

 昭和47年から昭和63年まで水戸一高サッカー部の監督をされた舘喜一郎先生は平成11年2月28日 
正午に50才でガンのため急逝されました。 
 水戸一高で16年間教鞭をとられ、その後桜ノ牧高に移られましたが、国際審判員として日本の代表とし 
て世界各地をまわられ、また、Jリーグの発足とともにその審判として活躍されました。 
 平成7年には45才の国際審判員定年にともない審判活動を引退され、Jリーグのマッチコミッサリーと 
してJリーグの発展に寄与されました。また、2002ワールドカップ日本誘致に動かれ、決定後は鹿島で 
の開催の茨城県の準備室で陣頭指揮にあたられていました。体の不調を感じられた平成10年12月まで、 
そのような多忙の中に身を置かれ、不言実行の張り切った姿がそこにはありました。 
 在学中、卒業後をとわず、先生のお宅に伺って先生と奥様になにかとお世話になったOBは数知れず。
仲人をしていただいOB、披露宴で先生にイエローカードを出された新郎も数名? 
 一高のころの写真は、「歴史」の各学年の卒業時の写真にありますが、その後の先生の活躍の写真を中心 
にしてここに掲載し、これまでの功績を偲び、ご冥福をお祈りしたいと思います。 
 

先生の略歴 

昭和24年生まれ 
昭和47年 日本体育大学卒 
昭和47年 水戸一高教員となる(水戸一高サッカー部監督就任) 
昭和49年 茨城国体に教員チームのゴールキーパーとして出場
昭和56年 一級審判取得 
昭和60年 日本リーグ担当主審に選任 
昭和61年 国際審判員に昇格 
昭和63年 桜ノ牧高校に転任 
平成 2年 アジア大会(北京)主審 
平成 3年 ワールドユース(ポルトガル)主審 
平成 4年 アフリカ選手権(セネガル)主審 
平成 4年 オリンピック(バルセロナ)主審 
平成 5年 Jリーグ発足・担当主審 
平成 6年 水戸一高蹴球部70周年に参加され、華麗なプレーとこれまでの功績に特別賞  
平成 7年 審判活動引退・Jリーグマッチコミッサリー就任 
平成 8年 茨城県教育委員会へ転出 
      茨城県企画部地域振興室計画調整課主査 
      (ワールドカップ開催準備室) 
平成11年 2月28日逝去  (墓所 水戸市天王町神崎寺) 
 



水戸一高在任中
 

 
やまびこ国体教員チーム(キーパー)

  
   歩く会                                                     旅先でアルコールもまわり歌に興じる先生
 

  
          水戸一高在任最終年1988年                               



国際審判員として世界を駆けめぐる           

                   
                   


1990 アジア大会(北京)

         
          1992年 アフリカ選手権大会(セネガル)  開会前にセネガルスポーツ大臣と握手

  
  


 

   
          1992年8月 オリンピック会場のバルセロナにて
 

                            
                                忙中閑(スイスにて)



Jリーグの発展に貢献される


1993年Jリーグ発足パーティー

                  
                  Jリーグ
            
 
     
     Jリーグ


Jリーグシーズンオフ 
 

           



2002ワールドカップに向けて


 鹿島スタジアムにて

                   
                    1998年2月 アベランジェFIFA会長と(アラブ首長国連邦にて)
 

       
                                      県庁にて
 

             
1998フランスワールドカップを視察

               
 
 

   
       日韓の会議