インターネットで銅鐸を探検しよう

バックグラウンドサウンドは愛知県清洲貝殻山貝塚資料館で展示中の復元小銅鐸の音色です

清洲貝殻山貝塚資料館 提供

滋賀県銅鐸博物館の紹介のページ

JR野洲駅の北東約3kmにあり、正式名は、野洲町立歴史民俗資料館という。 近くの大岩山から明治14(1881)に出土した銅鐸14 個、昭和37(1962)に出土した銅鐸10個を中心に、銅鐸に関する資料を展示している。1ヶ所からの出土数としては日本最多で、この中には現存する銅鐸の中で日本一大きなものが含まれており、野洲町の銅鐸は広く知られている。 館内は、常設展示室が2つと企画展示室が1つあり、企画展・特別展では銅鐸だけでなく、野洲町に関する歴史や民俗文化資料が展示される。この資料館のテーマは「調べ・考え・集め・残し・見て・学ぶ」で、復元された銅鐸を実際に触ったり鳴らせたりすることができるので、楽しみながら学ぶことができる。 (紹介文より引用)

東京大学総合研究博物館 デジタルミュージアム

銅鐸 銅鐸はいわゆるベル型の青銅器で、その起源は大陸製の小型類品にあったと推定されているが、大きさや形状、紋様構成などにみられる多くの特色は弥生時代の日本列島で独自に醸成された。 (紹介文より引用)

 こちらのページでは静岡県引佐郡細江町岡地舟渡から出土し東大の所蔵する通称「岡地船渡一号銅鐸 」の音を聴くことが出来ます。

島根県加茂町のホームページ 加茂町にて大量の銅鐸出土!〜全国最多の39個〜

平成8年1014日、島根県加茂町岩倉の農道建設現場にて、弥生時代中期から後期と思われる大量の銅鐸(どうたく)が出土し、これまで全国最多の39個が確認された。一カ所から出土最多の滋賀県野洲町大岩山遺跡の24個を大きく上回る歴史的大発見となった。(紹介文より引用)

こちらのページでは過去最大の銅鐸発掘遺跡となった「加茂岩倉遺跡」を紹介する加茂岩倉町ホームページです。

愛知県一宮市のホームページの中の銅鐸のページ 

銅鐸が出土した八王子遺跡96J 区は弥生時代中期の 集落を巡る環濠の内側に位置し、銅鐸は直径28cmほどの 擢鉢状の小土坑内部から紐を下にしてわずかに傾きながら ほぽ垂直に近い状態で倒立して出土しました。 銅鐸は出土状況や土坑の埋土が黄灰色でやや粘り気のある 土であることから、意図的に埋められた、 つまり埋納されたものと考えられます。(紹介文より引用)

銅鐸が逆さまのいわゆるシャチホコ立ちの状態で発掘された八王子遺跡の紹介ペーじです。

愛知県清洲貝殻山貝塚資料館の朝日遺跡の銅鐸のページ

朝日遺跡の銅鐸は、弥生時代の中期末から後期初頭に作られた、と考えられます。農耕に関するさまざまな儀式で使用され、弥生のマツリの中でも重要な道具のひとつです。展示室にある小銅鐸の音が聞けます。(紹介文より引用)

この銅鐸の音色はとてもかわいらしいものです。是非一度聴いてみてください。また、資料館では銅鐸出土状態の復元もされております。

出雲から世界へ

謎の多い青銅器として知られている銅鐸は弥生時代の文化を知る上で非常に重要な文化財である。これまで農耕の祭祀用に用いられていたというのが定説であった。しかし最近では農耕の祭祀に使われていたわけではないという説もでてきている。平成8年には島根県加茂町で39個もの銅鐸が一度に見つかり、畿内=銅鐸文化圏、九州=銅剣文化圏という二元構造も完全に崩れ、新たに出雲王国の存在も加味して銅鐸の謎は深まるばかりとなった。そこで今回は銅鐸とは何かという問題に言及し、さらに出雲という新視点から銅鐸を考え、弥生文化について考察してみようと思う。(紹介文より引用)

hisashiさんの銅鐸研究のページです。現在までで私がインターネット上で発見したページではもっとも充実した銅鐸研究のページだと思います。銅鐸航海用具説を展開されておられます。


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