―私の現状と私の心情を理解していただく為に―

以下は、昨年(平成12年10月25日)判決の直前に、私が書いて裁判長他裁判官の皆様に提出した最後の上申書の内容の一部を転記したものです。

 

上申書(平成12年9月16日)

 

1年以上の長きに亘るご審議を頂き、ありがとうございました。

―以下、中略―

 

私は現在65才(昨年)です。私の体は1年前とは大きく違っています。1日の半分は寝て過し、移動は車椅子で、早晩寝たきりの毎日になるのではないかと怯える毎日です。それでも、なんとか生きて刑務所を出て、再起し社会復帰をしたい、と思っています。

そうは言っても、「破産宣告」で全てを失い、その後「2度に亘る覚せい剤の使用」、加えてM/16等の「銃器事件」で裁かれている私が、たとえ70才を過ぎて刑務所から出所して来ても、社会が私を受け入れ私を必要として呉れるのか!といえば、皆様方が普通に考えられての答えは否定的であり、あり得ないことでしょう。しかし、私はどうしても再起をして作品を造りたいのです。

その理由のひとつとして、平成3年から具体化をして(一旦は脚本迄上って)破産宣告で中断された「宇宙戦艦ヤマト・復活編」の製作があります。この作品では、「我々の住む“地球”がいかに、かけがえのない貴重な、美しく素晴らしい“惑星”であることの“感動”と“人間の愛”を、「全人類の移住」という出来事の中で描いています。

私は自分の最後の劇場作品として、長い時間を費やして製作の準備を進めていましたが、心ない破産申請で破産をして、前回の覚せい剤事件を起こし、製作には至りませんでした。しかし、9年も前から発想して、準備をして来たこの作品は既に“私のオリジナルストーリー”は出来上がっていて、私の頭の中では、映像的にも完成されています。内容の一部は旧「最高裁判所宛の上申書」の中に書き、ネット上で公開されています。

この作品を完成させ、世に出し、その内容を伝えることで再起の証明とし、人間として社会復帰を果たしたいと思っています。私にそのような気持がまだあるということを私に対する御考えの中に加えていただきたいのです。“私は非常に欠点の多い人間ですが、”計画的に犯罪を犯す(銃器の密輸、覚せい剤の売買等)ことは、今迄の人生で1度もありません。―作品を見て頂ければ判ります。―

10代で文学座に入り、20代の時から、常に物造り−製作者−として作品に取り組み情熱を傾けて、質の良い作品を今日迄造ってきたという「自負」があります。私の最後の望みは“宇宙戦艦ヤマト”に限らず、「物造りである自分が」「もう1度物造りの場に戻れて」、最後迄「物造りとして生きて」“小さくても良い作品を造り”「物造りとして死んでいきたい」と思っています。このような自分を支える気持ちがあってこの1年間頑張ってこられたのだと思います。

「もう1度物造りの場に戻れる!」という言葉を“自分に言い聞かせる”ことで、身近になった“死”という時に対して怖くても不安があっても、立ち向かって生き続けているのです。私は、この一年半の間、取調べと裁判の対応をさせて頂くことと同時に、自分の“体”と闘って来ました。そして今、私の「体の状態」は本当に良くないのです。痛みは日増しにひどく、寝ているときも常にあり、膝から下は痺れて痛みます。1年半、1日中座っているか寝ていた為に筋力が低下して房内で立つのも座るのも痛みを伴い夜も眠れません。それでも、気力を失わないように努力して上申書を書いています。が、以前の半分も書けず、又、何度書き直したか判りません。でもこれが最後ですから読んでください。

 

私は昨年5月(平成11年)に主任弁護人より「勾留執行停止の申立」を行いました。それは、今のような「車椅子の生活」になる為にではなく刑務所に行き“相応の役務を行い”「模範囚」となり、1日でも早く「仮釈放」で出獄して社会に復帰をしたい。

その為には、主治医が診断をしているように、抜本的治療である“手術”が不可欠である。と決心して申立を起こしました。まだ、今回の銃器等の事件で警視庁に留置され、取調べを受けていて“起訴”させる直前の時です。

ところが、起訴後は何の対話も対応もなく、最高裁判所で“却下”され、病院に行くこともなく悪化して、東京拘置所に来てから、「麻痺」という症状も加わって「車椅子の生活」となりました。このような状態の中でも、私の考えは変わっていません。

私にとって最大の望みは「健康」と1日でも短い刑期を終って「もう1度物造り制作の場に戻れる」ことです。その為にもこれ以上体が悪化する前に、施設のある病院に行き、抜本的な対策を、自分自身に行うことは許されないことなのでしょうか。「勾留執行停止の申立」は、どのような時に聞き入れられるのか私には判りませんが、今のまま刑務所に行くことは、自由が束縛される、ということだけではなく、体の苦痛との闘いの二重苦であります。

懲役の役務のできぬ人間が「仮出獄」はおろか、生きて出獄する可能性すら遠くに去っていくような、不安な心境であります。なんとか、刑務所に行く前に私の現在の体の状態を施設のある病院で診察検査等を受けさせて頂くことで、正確に体の“現状の把握”をさせて頂けるよう御願い申し上げます。

“人の運命を決めるものが何かはしょせん〔不可知〕ですが、私の最後の分岐点とも言えるこの度の事件に対し”寛大なる判決を賜るよう御願い申し上げます。

 

平成12年9月16日

西崎 弘文

 

以上をお読み頂き、“私の現状”と“私の心境”をご理解頂き、そして、2度に亘る罪を犯した私を許していただけるのであれば……

 

私が作品の〈製〉制作に取り組んだときの“真摯な姿勢”と、過去の作品の内容をご評価頂き、私の〈製〉制作者としての“物造り”の能力に可能性を御期待頂き、信じていただけるのであれば……

 

どのような形でも結構ですから、私の為に「嘆願書」を書いて頂けることを御願い申し上げます。

どのような控訴審の判決になったとしても、私は皆様から寄せられた「嘆願書」があるとしたらそれを「励み」として、なんとか獄中を生き抜き、再び作品の製制作者として御目にかかりたい!と心から思います。

 

―感動が共有出来る作品を作る為に――決して絶望はしない。

 

“宇宙戦艦ヤマトプロデューサー”西崎義展こと    西崎弘文

 


久しぶりで、総統デスラーからメッセージが届きました。嘆願書を求めています。皆様の熱き思いである「嘆願書」を氏名・住所を記入のうえ、是非お送りください。(名前を公表したくない方はイニシャルでも結構です。)裁判で使われるかどうかは予想できませんが、皆様の声、心よりお待ちしております。

(相原)

「嘆願書」はこちらへお寄せください。