そのニュ−スに背筋に冷たいものを感じたのは
1989年の夏真っ盛りのころでした。

京都と私と1989年の夏と  

京都在住の同年代の方なら覚えていらっしやるかもしれませんが、1989年9月1日に比叡山で東京のw大学の学生(女性)が、挙動不審な男に殺されてしまうという、悲惨な事件が起こったのです。事件自体もたいへん痛ましくて悲しいものだったのですが、私は別なことでゾッとしていました。

それは彼女と私には「偶然の一致」が多かったからです。

性別や、生まれ育った町が同じ。しかも、当時私は彼女が通うW大学の見えるところに住んでいたこと。それから、最も驚いたのは、私も事件当時、彼女と同様に京都をひとりで旅していて、しかも事件当日に私も比叡山に行こうとしていたのです。

その事件当日、私はホテルを出て「出町柳」という駅で叡山本線に乗車したときまでは、比叡山に行くつもりでいました。車窓から町並みをぼんやり眺めていると屋根の上に広がる空がどんよりと重く、いまにも雨が降り出しそうな事に気がつきました。

「こんな天気で比叡山は人間じゃないものがでそうだよなあ…」と、私はここで少し及び腰になり、そんな私を乗せた電車はどんどん山に向かって走っていきました。そして「修学院駅」を過ぎ「宝ガ池駅」を過ぎ、車内アナウンスが、次は三宅八幡駅だと告げた時、駅の近くに行きたいと思っいて、地図に丸をつけた場所があったことをふと思い出しました。

それは崇導神社というところで、早良親王という平安の昔の方が祀られているのです。私はこの親王に興味を持っていたのです。それで前回、妹と京都旅行の際、大原からの帰りに崇導神社に寄ろうと思っていたのに、大原で時間をとってしまって、崇導神社の前を通ったときには陽がどっぷりと暮れていて拝観できなかったのです。

それで私は咄嗟に電車を降り比叡山行きは中止。予定変更して崇導神社→赤山禅院→曼殊院→詩仙堂というコ−スをとったのでした。

←これは、なぜかその時写真におさめていた、三宅八幡駅です。

あのまま比叡山へ行っていたら、私はどうなっていたのかと思うとゾッとしました。

仏像が好きだった彼女は奈良や京都を歩くのが好きだったようです。
京都が好きという気持ちも共通していて、私は当時、切ない気持ちでニュ−スを聴いていました。

彼女のことは忘れないでいようと心に決め、冥福を祈り1989年の夏は過ぎていきました。
ところが、彼女との縁はまだ繋がっていたのです。1997年に私は同郷の男性と結婚したのですが、私の姑と彼女の母親が編み物教室で机を並べる親しい仲だったのです。驚きました。


京都って不思議なことが起こる都ですね…。

写真は1989年に京都で撮影したものです。上から…

◆ 加茂大橋から下鴨神社方向を写したもの。
  向かって右が高野川、左が賀茂川でちょうど橋のあたりで
  合流しているようです。

◆ 三宅八幡駅のあたりです



ほ−む

めにゅ−

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