鳥の目で見た京都御所
御所は簡単に言えば、天皇の住居であり、仕事場であり、各種公的儀式を行なったところ。 現在の御所は南北朝期の里大裏がル−ツ。幕末までは周囲に公家や宮家の屋敷が林立していたそうです。 江戸幕末のころになると、御所はだいぶ荒れ果てていました。というか京都全体が荒れていて、そして公家さんは貧乏だった。商人は金を貸してくれと頼まれてはかなわないから公家さんの家の前を通るときは声をださないで歩いたという、そんな話が残るくらい貧乏な生活だったらしいです。 どれくらい荒れ果てていたか、よくわかる旧跡があります。 三条大橋のたもとに御所の方角をみて両手をつく男の像があります。この男は高山彦九郎といって幕末に生きた人で、天皇崇拝者でした。幕末のあるとき、京都に足をふみいれた彦九郎は、橋のたもとで御所の築地塀が崩れて、御所の中がみえているのに驚き、その有り様が情けなくなり 思わずそこに座り込んでしまいました。その姿を像にしたものです。 |
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当時の京都は、三条大橋のあたりから御所がみえたんですね!私はそれに驚いちゃいました。しかも築地塀がくずれているのさえみえたなんて・・・ 京都御所には面白いエピソ−ドがたくさんあります。 京都気質のわかる話とか、奇々怪々な物語りや、現代の御所にも不思議はいっぱいで、私は御所散策にうきうきします。 下の図は鳥が空から見た京都御所。上が北、下が南で京都駅方向。天子は南面す、といって南側を向いているものなんですね。 |
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さてさて以下は12の猿ガ辻の話。 朔平門のあたりを通り過ぎ、自宅まであと100メ−トルというところまできたとき突如暗闇が動いたかとおもうと、それは人の姿にかわり、その人はキラリと冷たく光る刀をふりかざしていました。 太刀持ちの侍が逃げてしまったこともあり、姉小路さんは無惨にも切り殺されてしまいます。当時の京都は長州中心の攘夷派(開国求める外国人を追い払おうとしている人たち)が幅をきかせていて、幕府派が追い詰められている時でした。しかし、姉小路さんは追い詰められている幕府派ではなく、勢いにのって幅をきかせている攘夷派の公家さんなので、なぜ暗殺されなければならなかったのか、謎なのです。 犯人として、薩摩藩の田中新兵衛が捕まえられました。 事件は迷宮入りとなりました。 その犯人が隠れて、姉小路さんを待っていたのが「猿が辻」です。 |
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猿が辻は御所の東北にあたり、鬼門といって縁起の良くない方角なのです。それで魔除けの猿(山王権現日吉神社の使いの猿)を祀り、さらに塀に切り込みをいれ角をなくしています。角がないというのを絵にしてみました。上の鳥瞰図とあわせて御覧下さい。この切り込みのあたりに息を ひそめて隠れていたのでしようね。 私は、犯人になったつもりで、目を閉じて、その時の状況を想像してみます。心情までは想像できませんが、それでも怖くて怖くて鳥肌たっちゃいました。 |
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犯人は、真っ暗な闇のなか、人を殺めるために、刀を持ちずっと魔除けの猿の視線の下で、姉小路さんを待っていたんですよ音もなく、ただ目の前には真っ黒な闇が無限にひろがるだけです。ああ怖い・・・ | |||||||||||||||||||||
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おまけの写真 これ何かわかります? 御所の砂利についた、ナスカの 路上調査隊の本で知って、わざわざこの |
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