あこがれのホールズ・オブ・ホールズ(99.7.30)
ずっとオルゴール曲が好きだった。清里の萌木の村に「ホールズ・オブ・ホールズ」というオルゴール・ギャラリーがあることは前から知っていた。そこに注文して何枚かCDを買ったこともある。
軽井沢から明野村のキャンプ場をめざしている時,それは偶然目の前にやってきた。3日目はここに寄ってから帰ろう,そう心に決めた。
子どもたちにとってもうちの奥様にとっても,萌木の村は魅力的なところだった。テディ・ベアの店にケーキ屋さん。「私たち,一日いてもあきないわ。」こんな時,女という生き物と男という生き物の違いを肌で感じる。山登りをがんばった子どもたちに,何かごほうびをあげたくて,テデイベアのお楽しみ袋(1500円)を買ってあげてしまった。あぁ,親バカならぬバカ親。「早く車に乗ろう。」娘たちはテディベアを使って,ままごとがやりたいのだった。
あ,そうそう肝心の「ホールズ・オブ・ホールズ」。入場料がやや高めだった。ただ各種オルゴールを使ってのミニ・コンサートは楽しかった。バイオリン自動演奏にほれぼれ。帰り,尾崎豊のオルゴールCDが欲しくて探したんだけど,なかった。「長い間」や「ひだまりの詩」も欲しい。
絶景(99.7.29)
みごとなひまわり畑だった。そのうえ,コスモス畑も。ひまわりの迷路をずんずん進んでいくと,自分がメイちゃんやさつきちゃんと遊んでいる気分になってくる。八ヶ岳と南アルプス,そして富士山が見渡せる村。明野村。見慣れるとこれが当たり前になっちゃうんだろうなあ。でも,旅人はこうして,感激して帰っていく。体中の空気が入れかわったな,きっと。
美ヶ原高原のはずが(99.7.29)
明野ふれあいの里は素敵なキャンプ場だった。オートキャンプ1泊4000円と格安,トイレ・流しもきれい,そして近くに太陽館という温泉もある。入所説明を聞いていたら,茅ヶ岳というマップが目に入った。「近くに登れる山があるんですか?」「そうですねえ。大人の足で2時間ぐらいで高い方の金ヶ岳に登れますよ。地図をあげましょうか。」もう話を聞いているうちに,美ヶ原高原はどこかに消え失せ,4人家族は茅ヶ岳(金ヶ岳)登山が今日のメインディッシュになった。
昨夜はバーベキュー。そして朝食は焼き魚とエビと焼きそば。そうそう骨付き鶏肉も七輪で焼いた。塩・こしょうで味付けしただけだが,これがけっこういけた。でも,心配なのが空模様。めざす茅ヶ岳はガスの中。8時までに天気がよくならなかったら,清里に遊びに行こうかなんて相談していると,天が味方してくれた。
8時10分。キャンプ場を出発。一応スケッチ帳も持って,登り始める。少し歩くと,「ガガガガガガ・・・。」とやかましい工事の音。新しい道が作られるようだ。「この音が遠くなったら,頂上が近いってことだよ。」そんなことを話しながら,ずんずん登っていった。50分歩いて10分休憩で行きたかったが,残りの3人がばててしまい,麦茶休憩をする。まだ工事の音は響いているが,我々4人以外はだあれも登っていない。2回目の休憩まではあすか隊長を一番前にして歩いた。そしたら,今度は何と私がばててしまった。運動不足のつけがこんなところにでてきた。
「さあ,あと3分の1で頂上だ。」と思ってからが長かった。唯一の救いは道ばたに咲く高山植物。特に,ホタルブクロには凛々と勇気づけられた。この茅ヶ岳には丁寧に200メートルおきに表示がしてあった。「あと1km」「ああちゃんコース半分だね。」「もうマツモトキヨシのところをまわったね。」とうちの近くのマラソンコースをイメージしながら何とか自分を 子どもたちを まるめこもうとしていた。平地の200mと山の200mはこんなにも長さがちがうのかと改めて痛感する。
途中,道を間違え,足をちょっと踏み外したら危ないところに出てしまったが,強行突破した。子どもたちは「こわいよ。」と言っていたが,「なかなかこんな経験できねえぞ。」と一蹴して。実際の所は,親父の足は小刻みに震えていたらしい。しばらくすると,ガスも出てきた。これにはまいった。頂上へ行っても何も見えないし,ガスが雨に変わったら・・・と思うと不安になった。でも頂上はもう少し。一瞬迷ったが,ここまで来たのだからと頂上をめざすことにした。
頂上に着いた時,みんな「やった〜。着いた〜。」と叫んだ。ホントにネコの額ほどの頂上だったけど,我が家にはかけがえのない頂上だった。いつしか工事の音も消えていた。時々ガスが切れ,下界が一望できた。娘達は,「チャンス!」とスケッチをはじめた。
下山は速かった。3時間かかった道のりが2時間弱。途中はるなが目印にさしておいた木の棒を見つけると,「ああ,もうこんなところまで来た!」と娘達は狂喜した。だんだん工事の音も大きくなってきた。騒音としか思えなかったあの音が希望の音に変わっていった。
くんぺいさんを訪ねて(99.7.28)
6月。軽井沢をサイクリングした時,喫茶くんぺい童話館のチケットを見つけた。「いつか行こうね。行ってみたいね。」その”いつか”がついにやってきた。今日から2泊3日のキャンプ。山梨県明野村が目的地だけど,中央高速の渋滞をさけて軽井沢まわりで行くことにした。
くんぺい童話館は,三笠ホテルのすぐそばにあった。小淵沢のくんぺい童話館も緑に囲まれていたが,ここも木立の中に静かに佇んでいた。9時過ぎに着いた時には,観光バスのガイドさんらが気ぜわしく珈琲を飲んでいた。エスプレッソを頼み,早速くんぺいさんの本を手にとる。「詩とメルヘン」も置いてある。「詩とメルヘン」といえば,以前くんぺいさんの詩が連載されていた雑誌。うちのクラスのポムポムプーさんが「お母さんが読んでいるの。」と持ってきてくれたその雑誌にくんぺいさんを見つけた時には,びっくりした。「え,くんぺいさんは亡くなったはずなのに・・・。」その雑誌は昭和58年のものだったのだ。
くんぺいさんのファンになったのは98年の6月にくんぺい童話館を訪ねてから。くんぺいさんのお話はウィットに富んでいて,面白い。本人が何かの本のあとがきに”1枚のスナップ写真を撮った時のねこのあくびのようにかわいく,短く,面白く”と語っていたが,まさにその通り。私が気に入ったのは,しじみというひとくち童話。しじみがひろいうみにでて,あさりになれたことやはまぐりになれたことをお母さんに手紙で報告するんだけど,お母さんからは「しじみにもどってかえっておいで」と手紙が届くというお話。背伸びしたかった青春時代を思い出して,ちょっぴり苦笑い。そんな話を読んでいたら,尾崎豊の「卒業」が流れてきた。オルゴール曲なので,あの激しい主張が妙にやさしい。うちの娘達もくんぺいさんのお話が気に入ってしまい,気に入った詩をノートに書き始めた。「この本ほしいなあ。」「はるばっかりずるいよ。わたしもほしいよ。」とねだることも忘れずに。
結局2冊本を買って,外から写真を撮ろうとしたら,「撮りましょうか。」とお姉さん。笑顔のたえないこのお姉さんはきっとこの店の看板娘?
今回の旅の目的はスケッチ。と言っても私が描くわけではない。娘達が描くのだ。小学校1年生と2年生が描くのだからスケッチと呼べるものになるかどうか・・・。でも2人はキャンプ用椅子に座って,いっしょうけんめい描き始めた。お姉さんも応援してくれて,くんぺいさんのシールもくれた。やっと描きあがった時にはもう12時が近づいていた。喫茶くんぺい童話館の近くを流れる小川のように静かに時が流れていた。
ひょんなところで(99.7.27)
一日消防学校体験。こんな行事があることを今年初めて知った。我が校からは6年生が4人参加。そしてめでたく私が付き添いにあたってしまった。
震度7の地震を体験し,マンホールの中を歩き,そしてロープ渡りをする。暑い中職員の方も子どもたちも付き添いの教員もみんなご苦労様だ。
休憩時間の時だった。電話をかけて階段をあがっていくと,「あれ?」という顔に出会った。まさか,こんなところで会うわけがない。他人の空似だろう。そう思ってとんとん行こうとしたら,「先生。」と青年が階段をかけあがってきた。「あ,やっぱり**だったのか。」「先生,今どこの学校にいるんですか?」中学校の頃はあいさつをしてもそっぽを向いていた彼が,今にこやかな笑顔を見せる。長かった髪もばっさり切って,精悍に日焼けしている。握手した手も分厚くなっていた。彼との心理的なずれにずっと悩み続けた日々。それがすべて溶けていく握手だった。「がんばれよ!」「はい」そう言葉を交わして我々は別れた。
彼は消防士をめざして,7ヶ月の訓練を受けている。窓から,彼らが整然と走る足音が響いていた。
横浜満腹旅行〜当日編〜(99.7.24・25)
私にとっていいホテルとは,朝食がバイキング料理であること。グレープフルーツジュースが美味しいということ。卵料理・・・特にスクランブルエッグとオムレツが美味しいということ。これを満たしていた新・高輪プリンスホテルはさすがである。
思えば昨日から食べ通しだった。お昼は東京湾ランチクルーズバイキング。夜は横浜中華街の満珍楼で夕食。ランチクルーズはちょっと期待はずれだった。2年前のシンフォニーという船でのランチクルーズの印象が強すぎるのかもしれない。あの白のイメージ。高い天井。料理の品数も豊富だったシンフォニーは1500円ほど高かったが,やはり軍配はシンフォニーにあがる。
1時に満珍楼を確認し5時まで自由時間。中華街を歩き回るもよし。マッサージもよし。ランドマークタワーもよしだ。ただひとつの条件は夜にプレゼント交換をするので,ひとりひとりが1000円の買い物をしなくてはならない。横浜らしい変わったものを探そうとみんなスタートした。
我ら男3人組はちょっと中華街を歩いた後,喫茶店で作戦をたてた。その喫茶店のウェイトレス(推定年齢75才)の愛想の悪さと言ったら,他に例を見なかった。でも暑いのであまりかっかせずに,レモンスカッシュをぐっと平らげ,我々はランドマークタワーに向かうことにした。途中,地元人風おばさんに道順を聞くと,「え?ここから歩くんですか?」とあきれられてしまったが,時間がたっぷりあるんだからしょうがない。冷静に考えるとこんな暑い中,30分も40分も歩いている人はあまりいないかもしれない。
ランドマークタワーは噂通り高かった。70階建ては日本一。そのうえ,エレベーターは最高速度45km/時ときている。おのぼりさんの私にはもってこいの建物だ。展望台まで1000円という金額を見てハムレット的迷いがよぎったが,「ええい,行ってしまえ!」と清水の舞台から飛び降りた。
3人とも「この景色なら1000円の価値があるよね。」「これは東京タワーじゃ味わえない。」「中華街で買い物している場合じゃないよな。」と自分たちのとった行動を正当化しようと必死になっていた。
「あれ,まいけるさん好みじゃない?」「どれどれ」さすが相棒。よくわかっていらっしゃる。そこにあったのは生まれた時の新聞の1面が取り出せると機械だった。料金は400円。我々はじゃんけんで順番を決め,それぞれやってみた。自分が生まれたのは1960年10月13日。何かの本に前日(12日)に社会党の浅沼委員長が刺されたとあったので,「それが一面だろう。」と思ったら,やっぱりそうだった。天声人語もはっきり読むことができた。娘たちの生まれた日の新聞はアルバムに貼ってあるが,私の頃はそんな時代じゃなかったから,こんなサービスはありがたい。マネして金儲けしたくなったくらいだ。
3人は約束の1000円の買い物と家族への買い物を済ませ,満珍楼に向かって歩き始めた。帰りってなんでこんなに速いんだろうとおもうぐらい早く着いた。不安がないからなのか?満珍楼はいうまでもなくおいしかった。となりのYちゃんが,「私これ食べられないから食べて。」とまわしてくれるから,ひとつ返事で食べてしまった。こういう性格を直さない限り,いくら肥満との闘いを行っても無意味かもしれない。ああ,エビチリがうまかった!!
横浜満腹旅行〜前日編〜(99.7.23)
何気なく横浜クルージングのホームページを見ていたら,
「え?何?出航11時だって?」
一瞬目を疑った。旅行会社からの時程表では11時半だったのに。それを信じて職場のみんな時程表を作って配ったのに。旅行の幹事は何を隠そうこの私。全身から血の気が失せていく。あわてていたら,渡りに船。旅行会社の担当職員がやってきた。
「船は11時半じゃなかったんですか?」
「11時でご案内していませんでした?」
よくよく調べてみたら,時程表は11時半,クーポン券の方には11時となっている。確認してみたら,やっぱり11時だった。
それからが大変だった。幼稚園に連絡し,(うちの学校はとなりの幼稚園職員と一緒に旅行に行く。)みんなに電話・・・電話・・・電話・・・。そろいもそろってみんないない。あたり前だ。今日はみんな出張だったのだから。そういえば自分もそうだった。息子さんに,おじいちゃんに,だんなさんに,「伝言お願いします。」「お願いします。」と選挙前の立候補者のように頭をさげまくった。
明日,みんな同じ電車に乗ってくるだろうか。
出張を楽しむ方法 (99.7.23)
2日間出張だった。それもこのうえもなく退屈なひたすら聞くだけの伝達講習会。
「え〜,新しい指導要領では,次の点が変わって,・・・はいアンダーラインお願いします。」
これが「先生達は授業を工夫してください。」というお偉い人のすることなのか。でも,十分予想できていたので,「やっぱり」と思っただけだった。真面目にアンダーラインをひく人。日頃の睡眠不足を解消する人。自分の好きな本をむさぼるように読む人。さまざまな光景がそこにくりひろげられていた。
私はといえば,耳と目をそれぞれ独立させ,脳もちゃんと2つに分けて,2チャンネルで対応した。
*** 2日間の収穫 ***
その1 千住真理子さんのコンサートのちらしを見つけた。さすが公民館!
その2 お昼休み&休憩時間に附属する図書館が利用できた。本を1冊読破!
これは大きな収穫だった。もちろん千住さんのコンサートはすぐに予約を入れた。「千住真理子&イ・ソリスティ・イバラキ」(9月26日 玉里村総合文化センター)ローカルなとこみんな知らないだろうな。私も知らなくて,文化センターに場所を問い合わせた。どうも霞ヶ浦の北の方にあるらしい。指揮者の田口さんは私の母校の音楽の教師だ。たぶん。髪型に見覚えがある。
夢中で読んだ桐蔭学園の校長先生が書いた本も面白かった。ジャイアンツの高橋選手や俳優の織田裕二さんもこの学校出身らしい。日教組批判も思い切り書いてあったが,半分以上あたっている気がする。そうだ。教師も自分自身の「今」を語れなくてはいけないのだ。
というわけで大変実りのある出張だった。
終業式の日に (99.7.21)
以前,私が初めてフルマラソンを完走した時,ネット友人のノリさんからこんなものをいただいた。マイケル・ジョーダンをこよなく愛し,自称まいけるの私にはこのうえないプレゼントだった。
終業式の日のことだった。
「先生,ほらマイケル・ジョーダンの短パンのとこに郡司先生の名前がのってるよ。」
と3年生がうれしそうに見せてくれた。1人じゃない。何人もの子がうれしそうに話してくれた。実はこのプレゼント画像をちょっと加工して,運動委員会の子どもたちとメダルを作ったのだ。朝のマラソンをすると子どもたちは,フルマラソンカードにシールをはっていく。そして,42.195km走り終わると,運動委員会の子からメダルをプレゼントされるのだ。片面にはこのマイケルの画像。そして片面には あんたはえらい! と書いたミニ賞状。それをラミネーター用ビニルにはさんで,ラミネーターという機械を通し,リボンをつけると立派な?メダルができあがる。最初は,フルマラソンカードがなかなか終わらなくて,ちょっと暇だった運動委員会も,1学期の終わりになったら,大忙し。最後の最後までメダル作りをして,やっとフルマラソンカード終了者全員に渡すことができた。中には2枚目が終わってしまう子もいて,デザインも賞状もかえるので大変だった。
でも,にこにこ顔でメダルぶらさげている姿を見ると,ぜーんぶ報われた。運動委員会の子たちもうれしそうににっこりしていた。
教育動作 (99.7.20)
教育動作で不登校がなくなる?ホントかよ?
『 教育動作が子どもを救う 』茨城県の龍ヶ崎の小学校の校長がそんな本を出した。うちの学校でもその「教育動作」が話題になり,早速家庭教育学級でその先生をお呼びして,研修を行った。「教育動作」という容易な動作法で,子供の心と体をときほぐしてストレスから救うという。折しも,学期末の超多忙の時期だったので,直接指導している現場にはいけなかったが,保護者にも教員にこれが評判がいいのだ。
でも半信半疑の私は,パソコンのやりすぎで?肩が凝っていたので,「教育動作やって。」と同僚に頼んだら,彼が私の肩に手をやり,背中を膝で押し始めた。最初は痛いと感じていただけだったが,これが効く効く。うそみたいに効く。「ほら,どんどん力が抜けていくのがわかる。ああ,でもオレの方が体力の限界。」そう言って彼は終わりにしたが,ホントに肩のあたりがすーっと軽くなった。
そもそも,教育動作は30数年前に生まれた。九州大学の教授が,脳性マヒ児の動かないと思われていた手足がある程度自由に動かせることを心理学の立場から突き止め,緊張によって生じる不自由さを身体運動で訓練し,効果をあげた。それがいま,「教育動作」という名前になり,姿勢が悪い子,私語が多く集中力がない子,多動な子等,“心”を原因とする子に,体の動きの調整を指導(援助)することで解決を図ろうとしている。体のぬくみが相手につたわり,緊張感がとけ,ストレスもとれていくのだ。うまく作用すれば,子どもも教師も親も心にゆとりが生まれ,相乗効果を生み出すことになる。もしかしたら,大きなブームになるかも・・・?
いつからか通知表も(99.7.19)
今日は終業式。通知表を開く時の胸の高鳴りが聞こえてきそうな日だった。うちの娘達も通知表をもらってきた。でも大きな感慨はない。指導要録開示の問題が浮上してから,指導要録はいつ開示になってもいいように児童・生徒のいいところだけを書くようになった。通知表は保護者へのお便りでもあるから,当然いいところを書く。昔のように,直すべきところは書いていない。耳障りのいい言葉が並び,保護者がほっとするようなコメントが踊っている。自分が書く文面もそうだ。でも,もっと子どもの心の奥まで見て,どきっとするような言葉も書いてみたい。もらって震えるような通知表を。
ボルダーからの手紙(99.7.15)
ボルダーから1枚の絵葉書が届いた。ボルダー,陸上の好きな人なら,すぐピンとくるこの名前。アメリカコロラドにあるこの地は,高地トレーニングに最適な場所として有名な所だ。少し雪を頂いた山並み。小さな山小屋。澄んだ青空。おいしい空気まで凝縮された絵葉書。文面に目をやると,懐かしい文字が並んでいた。ボルダーで合宿を張り,約1ヶ月の高地トレを行っているという。以前,このつれづれ日記でも紹介した大越友美さんは,日立製作所の陸上部に入り,今でも走り続けている。きっと新しい風に触れ,ひとまわりもふたまわりも大きくなって彼女は帰ってくるだろう。異国の地から,爽やかな風が吹き抜けた。もうすぐ梅雨も明けるかもしれない。
七夕の夜は(99.7.7)
七夕の夜。ずっと前から楽しみにしていた。七夕の夜には家族みんなで河原に星を見に行くことを。河原に行くのは,毛布にくるまってしし座流星群を見に行った日以来だ。がっかりした。我孫子の空は明るかった。遠くのネオンが明るすぎて,天の川が見えない。望遠鏡はないから父譲りの重たい双眼鏡まで持ってきたのに。でも彦星や織り姫星は見ることができた。6年生の理科で学習した夏の大三角を娘達にも教えてあげた。智恵子抄じゃないけど,「我孫子には本当の空はない」やっぱりキャンプに行こう。満天の星を見に行こう。大学の時,仲間3人でテントで旅した時の星空がもう一度見たい。然別湖の星空をもう一度見たい。
ひとりひとりの存在感(99.7.3)
背筋がぞくっときた。今日は授業参観。6年生は音楽をやった。メインは「勇気ひとつをともにして」の朗読・独唱・二重唱と2部合唱。6年生といえば思春期で声変わりの時期。人前で歌うことにも抵抗が出てくる。でもそこを逆手にとって,発表した。ひとりひとりが存在感をお母さん達に見せたかった。みんな堂々としていた。「心臓が飛び出ちったよ。」と言いながらも,精一杯自分を表現した子どもたちに大きな成長を感じた。ひとりひとりが大きく見えた今日。子どもたちへの思いもひとつ次の段階に進んだ気がする。
山の計画(99.7.2)
この夏の山登りの計画を立てた。初めての北アルプス。むかーし,初めての一人旅で安曇野に行った時に見た常念岳・蝶ヶ岳を縦走する。最後は上高地に下りて行くプラン。わくわくしてきた。槍ヶ岳・穂高を見ながら歩く日は近い。
感動したよ(99.7.1)
感動した。そういう風に受け止めてもらっているなんて,夢にも思わなかった。自分の思いがひとりよがりじゃなかったことが何よりうれしい。ありがとう。ひょんなことで,友だちの中に自分が生きていることを再確認できて・・・,それがいいようもなくうれしい。くるんでくれてありがとう。また走り出せる気がするよ。ネット上では時の流れは10倍以上に速いけど,そんな流れに流されることなく変わらない心に出会えてうれしい。始めた頃の,ちいさなつぶやきまで知っているから,いつまでも大切にできる。